No.1253
今回の震災の政府対応でおもうのは、政治が「エコノミー」を意識しすぎているということです。
エコノミーとは、日本語の経済とはちょっと意味のことなるところがあって、節約とか合理的という意味が含まれます。
そのうえで、エコノミーはエコノミストに任せておいて、政治家(ステーツマン)にはこんなときこそ浪花節で動いてほしい。
義理人情の精神が行き過ぎていて非現実的であるなら、現場が止めればいい。
もちろん政治家にも合理性は必要なのだけど、われわれはかならずしも政治家に冷徹なエコノミストであってほしいわけではないので、被災者が心身ともに極限状態にある局面で、合理性ばかりが強調されている状況には、どうにも納得がいきません。
つらいおもいをしている人の顔を見る、手を握る、心を寄せる、なにがなんでも支援をする……こういったことは、合理性を前にすれば、ムダな行為と切り捨てることもできそうですが、政治家はむしろそこをこそ拾うのが仕事ではないか。
特にニュースで維新系政治家の新自由主義的な意見をみると、かれらはこの局面においても合理性を最優先しているようで、ロジがどうの、個人のボランティアは迷惑だなど、サイコパスなエコノミストのような冷徹さを発揮しています。
エコノミーとは、日本語の経済とはちょっと意味のことなるところがあって、節約とか合理的という意味が含まれます。
そのうえで、エコノミーはエコノミストに任せておいて、政治家(ステーツマン)にはこんなときこそ浪花節で動いてほしい。
義理人情の精神が行き過ぎていて非現実的であるなら、現場が止めればいい。
もちろん政治家にも合理性は必要なのだけど、われわれはかならずしも政治家に冷徹なエコノミストであってほしいわけではないので、被災者が心身ともに極限状態にある局面で、合理性ばかりが強調されている状況には、どうにも納得がいきません。
つらいおもいをしている人の顔を見る、手を握る、心を寄せる、なにがなんでも支援をする……こういったことは、合理性を前にすれば、ムダな行為と切り捨てることもできそうですが、政治家はむしろそこをこそ拾うのが仕事ではないか。
特にニュースで維新系政治家の新自由主義的な意見をみると、かれらはこの局面においても合理性を最優先しているようで、ロジがどうの、個人のボランティアは迷惑だなど、サイコパスなエコノミストのような冷徹さを発揮しています。