山麓王国

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鶏皮、おいしいですよね。

ぼくはカリカリに焼いて油を飛ばして、それを湯で戻してさらに油切り。

千切りにしてたっぷりのネギを乗せて甘酢に浸してというレシピなら食べられそうです。

と、こんなレシピだともう完全に目黒のさんまですね(笑)



社会と公共の話の続きなんですが、「気力と体力が落ちている時は無理にがんばらない」という場合、その状況を周囲が支えるシステムが必要です。

社会や公共というのは、じぶんががんばれないときに、ほかの人が支えてくれるシステムです。

生活保護とか、バリアフリーとか、いまの社会が公共として築いてきたものは、弱者への配慮という視点を備えています。

言い換えれば、ふだん元気なときは、弱者を支えるためにじぶんも社会や公共の歯車として頑張る、ということになります。



家庭を社会として考えると、家族が公共ということになります。

ギズモさんがたおれたときは家族が支える。

家族がたおれたときはギズモさんも支える。

ふだん元気な時は、家族一丸となって、よりよい社会(家庭)を形成するための経済活動や、より広い範囲での公共活動にいそしむ必要があります。



しかし、たった数人の家族の社会でさえ、うまくいかない場合もあるでしょう。

一度話したような気もするんですが、心理学者のアダム・グラントが、人間には

ギバー
テイカー
マッチャー

という三種類の性格が備わっているといいました。



学術的な話のようですが、これはべつにたいそうな話ではありません。

ギブアンドテイクという言葉がありますが、このギブが「ギバー」、テイクが「テイカー」となります。

つまり、それぞれ直訳で「与えたがる人」「受け取りたがる人」「バランスを取りたがる人」ということです。



このうち最悪なのが、テイカー(受け取りたがる人)です。

じぶんが受け取ることばかり考えていて、ギバー(与えたがる人)から吸い上げようとします。

その次によくないのが、マッチャーです。

与えることと受け取ることを等量にしないと気がすまない。

外食をしたときに1円単位までの割り勘を求めてくるような人が、マッチャーといえるでしょう。

マッチャーはテイカーほど意地汚いわけではありません。

しかしケチには変わりありませんし、一緒にいるとなににつけても合理性を求めてくるので窮屈です。



もっともよいのが、ギバー同士で社会を形成していくことです。

ギバーが結束して、テイカーやマッチャーには極力関わらないこと。

お互いに与えあう関係性の中で社会が築ければ、ふだんの生活のストレスは激減します。



なにせテイカーが増えると社会はカンタンに壊れていきますし、公共は機能不全に陥ります。

あえて誤解を恐れずにいうと、社会全体の人が生活保護を求めてしまうと、当然社会は成り立たないでしょう。

生活保護は社会のセーフティネットですし必要な制度ですが、これを維持するために社会全体がギバーとして貢献しています。

生活保護を求める人の割合が増えてしまうと、いくらギバーがいても足りないということになってしまうし、ギバーにも不公平感や不満が渦巻いてしまうことでしょう。



たとえばギズモさんがいくらギバーとして家庭内でがんばっても、旦那さんがテイカーだったら、家庭は崩壊しますよね。

これがもしマッチャーだったら、家庭内を合理主義で染め上げて、与えることと受け取ることを等価にする……つまり合理的でないものを家庭に持ち込めなくなってしまい、窮屈な暮らしを強いられるようになります。

家庭に問題を抱えている人の多くは、ギバー同士で生活できていないというところに原因があります。

まだマッチャー同士であれば、夫婦間の合理性のつり合いがとれている間はうまくいくでしょう。



テイカー同士の場合は……『万引き家族』という映画がありました。

あの映画では、社会に居場所がなく、詐欺や万引きをしているような連中同士が共同体のようにして暮らしている人々を描写していました。

泥棒で生計をたてるというのは、人々がまっとうに労働している利益を奪い取って、じぶんのものにするという、典型的なテイカーです。

テイカーはよほど狡猾にやらないと居場所を失いがちですから、おなじような境遇にある者同士で共同体をつくっていくしかありません。

あるいは社会から見えないように、ひとりで生きていくしかありません。



では、このギブアンドテイクの不均衡を、せめてつり合いのとれたものにするにはどうするかというと、これはもうギズモさんがおっしゃっておられました。

せめてそのときテイカーになる人が「ありがとう」とひと言を投げかけられるかどうかですよね。

ギバーもマッチャーも、場合によってはテイカーになることがあります。

病気をして人のお世話にならねばならないとき、じぶんの不手際をカバーしてもらったとき、たまたま他より多くの利益を得たときなど、いろんな局面があるとおもいます。

その都度、じぶんの立場をわきまえて、他者のご苦労や気遣いに感謝とねぎらいの言葉を伝えられるのかということは、じぶんの暮らす社会を良好に保つために、極めて大事なことだとおもいます。



うちの父母の話をしますが、以前の母はなにかというと父の文句をぼくに言いました。

酒を隠れて飲んでいる、じぶんから掃除をしないなど、ひとつひとつの件は他愛ないことでした。

しかし母からすれば積み重ねで「じぶんだけが不利益をこうむっている」という気分だったのでしょう。

ちなみにうちの父はテイカーの気質が強い、いわゆる「言われないとなにもしない昭和の親父」です。



その父がおととし肺がんと咽喉がんを患いました。

胸部を横一文字に切り裂かれ、喉に放射線をあてられて咽喉が焼け野原になり、さらに療養中に帯状疱疹に見舞われたりと、半年間ガタガタになって苦しみました。

不思議なことにそれ以来、母の愚痴が減ったのです。

これはあくまで推測ですが、母は父がひどい目にあって、体力や気力が落ち込んだことで、溜飲が下がったのではないかと(笑)

母としては、これまでの不公平感に一種のつり合いがとれた状態になったんじゃないかとおもいます。

この憶測が実際のところどうなのか、母に確認するような野暮はしませんが、母の父への愚痴や文句が減ったのはたしかで、また父への同情で文句を言うのを辛抱しているという風でもないのもたしかです。



ギズモさんのうつ病についてのお話をうかがっていると、人間の肉体と精神のバランスは綱渡りのようなところがあるのでしょう。

以前りゅうちぇるという芸能人が自殺しましたが、女性ホルモンを投与して女性らしさを得ようとされていたそうです。

女性ホルモンだけでなく、細胞レベルで作用する薬を服用すると、その過程で精神が揺らぐのでしょう。

この揺らぎがうつというカタチであらわれる場合があるのだろうなとおもっています。

ガスターにしても、H2受容体という「細胞内の反応を誘導するタンパク質」に作用するんですよね。



ぼくは先日、自治会の集会で人前で30分話し続けたんですが、帰宅後はやはり血圧も上がりました。

それどころか数日間、声がうまく出なくなる(つっかえる)ような症状が出ました。

じぶんの頭ではうまく乗り切れたとおもっていたのに、精神面ではくたくたになっていたようです。



β遮断薬という心臓病の治療薬があります。

これは高血圧の治療薬なんですが、血圧を下げて緊張を和らげたり、本態性振戦という震えにも効果があるのだといいます。

心療内科で処方されることもあるのだとか。

ああ、こんな薬があるのなら、頓服で助けてもらうのもいいかもしれないなとおもいました。

しかし、調べてみるとやはりこれも受容体を遮断する薬で、薬剤惹起性うつ病のリストに挙がってるんですね。

やっぱり特殊な作用がある薬には、特殊な副作用もあるものだと感心(?)しました。

残念ですが緊張の緩和を目的にこの薬を飲むのはやめようとおもった次第です。

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