全年9月10日の投稿[3件]
2024年 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
すこし追記なんですが、さっきの投稿で、ぼくたちは電飾の電球のひとつだといいました。
ぼくが投稿の序盤で「われわれは結局のところ、大きな自然世界からたまたまじぶんという夢をみているだけなのではないか」といった、自然世界とじぶんの関係と、電球と電飾の関係はおなじです。
電球はすなわち電飾であり、電飾は電球を余すことなくつないでいます。
ぼくという存在は、大きな自然世界がみている夢のように感じる、というのは、電球がじぶんで灯っているのではなく、電飾のつないでいる電線が電球を灯している関係とおなじです。
ここからさらに、もし地球で最初の生命体が、どこか宇宙からきた命のかけらだったとしたらと考えると、やっぱりもしかしたら、生まれ変わりは地球に限らないぞと、いよいよ(ぼくだけが)楽しくなります。
ややこしい追記で失礼しました。
ぼくが投稿の序盤で「われわれは結局のところ、大きな自然世界からたまたまじぶんという夢をみているだけなのではないか」といった、自然世界とじぶんの関係と、電球と電飾の関係はおなじです。
電球はすなわち電飾であり、電飾は電球を余すことなくつないでいます。
ぼくという存在は、大きな自然世界がみている夢のように感じる、というのは、電球がじぶんで灯っているのではなく、電飾のつないでいる電線が電球を灯している関係とおなじです。
ここからさらに、もし地球で最初の生命体が、どこか宇宙からきた命のかけらだったとしたらと考えると、やっぱりもしかしたら、生まれ変わりは地球に限らないぞと、いよいよ(ぼくだけが)楽しくなります。
ややこしい追記で失礼しました。
1505
答えの出ない不思議な話をもうすこし続けさせてください。
けっこう重要なことを話しているつもりなんですが、今回はぼくの話すことにいよいよ偏りがあるというか、トンデモに片足を突っ込んでいるところがありますので、前回以上にあくまで眉唾物の話としてお読みいただけると幸いです(笑)
中国の思想家、荘子は紀元前300~200年ほどを生きたといわれ、思想書である「荘子」を著し、道教の始祖などといわれます。
ただほんとうに荘子という人物がいたのかどうかイマイチはっきりしないようです。それこそ仙人というか、謎の多い伝説的存在です。
この荘子の思想の中に「胡蝶の夢」という有名な話があります。
ある男が、蝶になった夢をみました。そして目を覚ましたときに、考えるのです。
わたしは蝶になった夢をみたのか。
あるいはいまのじぶんは、蝶がみている夢ではないのか、と。
荘子はこのたとえ話から以下のような思想を伝えます。
じぶんが蝶であるか、蝶がじぶんであるかと考えるようなことは、人為的に考えたことである。
じぶんが蝶の夢をみたのか、蝶がじぶんの夢をみているのかと、どちらかに正解を求めるようなことには意味がない。
じぶんが蝶の夢をみたこと、いまじぶんを生きていることはそれぞれ真実なのだから、その真実だけ受け止めて、あとは自然に預けてしまえばいいのだ、と。
ここにぼくの解釈を付け加えると、じぶんの意識とじぶん以外の世界(この場合は蝶の意識)には、じつは分けへだてがないのかもしれません。
胡蝶の夢の話を借りれば、われわれは結局のところ、大きな自然世界からたまたまじぶんという夢をみているだけなのではないか、ともおもえます。
たとえばトマトを育てていると、主枝からたくさんの側枝が出てきます。
そしてこの側枝を折り取って、土に差して水をやっておくと、側枝から根が生えてきて、またトマトとして生長して、花を咲かせて実をつけるんです。
ではこのとき、トマトの意志というものがあるなら、最初に植え付けたトマトと、側枝から根を張ったトマトは、べつのものでしょうか。
それとも、まったく意志の分別のない、おなじトマトであると言い切れるものでしょうか。
人間にたとえると、腕をちぎって培養液につけておいたら成長して、ぼくそっくりの存在になったとします。
この場合、本体のぼくと、培養液で腕から育ったぼくは、べつのものでしょうか、それともおなじぼくでしょうか。
実際、現在のクローン技術では、元の本体そっくりの生命を生み出すことが可能だといいます。
もし人間のクローンをつくった場合、「意識の所有者」はべつなのに、じぶんとまったくおなじ存在がいるということになります。
そうすると、ぼくの意識、ぼくの魂とは、いったいなんなのか。
「意識の所有者」なんてものは、ほんとうに存在するのだろうか。
そんなにポンポンとじぶんの分身ができてしまうようでは、じぶんの意識や魂なんて、ずいぶん頼りないものにおもえてきます。
それでふと、このように考えます。
もしかしたら、ぼくの意識も、ぼくの魂も、地球の生命の歴史に紐づいていて、見えない根っこでつながっているのではないか。
前回の投稿で、じぶんに生まれ変わりがあるとしたら、べつの星で生まれることもありえるか考えると、永遠に宇宙の迷子になる可能性が高そうだ、といいました。
そうやって考えていくと、地球に生まれたわれわれは、やっぱり地球の所有物なんじゃないかな、とおもえてきました。
そしてぼくたちの意識や魂はあたかもじぶんが独占しているようにおもえますが、じつは地球の生命の歴史から借りているだけではないか。
たとえると、クリスマスの電飾で照明が点滅するものがありますよね。
じぶんという存在はその電飾の電球のひとつのようなものではないかと。
手前の電球と電線はつまり、地球の生命の歴史です。
手前からどんどん電球が点滅していき、いまじぶんという電球が一瞬光って、消える。
ぼくはぼく自身で光っているようにおもっているけど、じつは手前から光っている電飾のシステムがあって、じぶんはたまたまこの一瞬を光っているだけ、というわけです。
電飾の場合は電線があって、電球同士のエネルギーがつながっているからわかりやすいけど、人間の場合は電線でつながっているわけでもないし、独立した意識が肥大しているので、なんだかじぶんの肉体はじぶんだけのもの、とおもいこんでしまいがちなのではないか。
そして地球上にあるじぶんとじぶん以外のあらゆる存在は、肉体があるからへだたっているようにおもえるけど、ほんとうはへだたりがない、と考えたほうが自然なようにもおもえるのです。
人間には脳があって、自律とはまたちがった「意識」をもっています。
植物には意識はないけれど、自律して生きていますよね。
人間も呼吸をしたり、髪の毛・爪が伸びるということは、意識しなくても勝手に自律しておこなっています。
だから、植物がそうであるように、生きることそのものには、じつは意識は必要がありません。
しかし動物は植物とちがって、じぶんからなにかを捕食しなければ生きていません。
植物のように生きるために必要なモノ(土・水・太陽光)が自動的に手に入る場合は意識はなくてもいいんですが、動物の場合は工夫しないと生きていけないので、そのために意識が必要になったわけです。
もちろん人間以外も動物には脳がありますから、意識はあります。
けれど、人間以外の動物は脳が小さかったり、神経の数が少なかったりして、意識のレベルが低いんですね。
では意識の基本的な役割はなにかというと、「食べること」「子孫を残すこと」「じぶんより強い外敵からうまく逃げること」くらいのものです。
このみっつであれば、ハエでもやってのけることができます。
しかし人間の場合は脳の容量が大きく、神経もかなりたくさん張っているので、基本的な意識以外にも、意識を利用することができるんですね。
この人類の余剰意識の活用の仕方は複雑多岐にわたります。
ぼくがここでいま書いているようなことも、余剰意識によるものです。
じぶんが蝶になった夢をみたのか、蝶がじぶんになった夢をみたのか、ということも、人間ならではの余剰意識の活用です。
その点で荘子は、あんまり人間が余剰意識をこねくり回してああだこうだと考えることには意味がないといい、もっと自然に即して考えればいいんだと説いたんですね。
ギズモさんが葬儀場に向かうまで飛んでいた二匹のアゲハチョウは、「義理の息子さんのお父さんがみている夢」(あるいは未知の次元を介した干渉)だったかもしれないし、そうではない単なる偶然かもしれません。
いずれにせよ、ギズモさんがなにかのメッセージのように感じたのであれば、それは実際の正解かどうかはともかく、自然にそう感じたこととして受け止めてよいのだとおもいました。
さて、日食・月食の原理を知っている人、の話なんですが、ものすごくくだらないたとえを話します。
ぼくが子供のころ、コインゲームで「ジャンケンマン」というものがありました。
コインを入れて、じゃんけんをするだけのゲームなんですが、ふつうにやってるとなかなか勝てません。
しかし、このゲームはたまに次になにを出せばいいのか、ヒントが出ることがあるんです。
それを知っていれば、負けている子の横にいて、ヒントが出たときに「かわって」といって、勝ち目を利用していれば、メダルがたまります。
しかしそういう他愛ない裏技でも、知らない子からすると、いったいどうしてそんなことができるのか、不思議でたまらないんですね(笑)
こういった裏技をだれにも教えずに、秘密にしておいてじぶんの仕事の評価を高めるというようなやり方が、むかしの陰陽道であったり、密教(真言)に存在したのでしょう。
それ以外でもむかしは大工や植木屋、鍛冶屋など、じぶんの持ってるすぐれた技術は門外不出のものとして、一子相伝にして技術屋としての仕事をつないでいくのが当たり前でしたね。
最後にインターステラーが難解だという話なんですが、これだけおさえておけばとてもわかりやすくなるポイントがあります。
まず、いまの人類のテクノロジーでは、宇宙船が太陽系外に飛び出したり、人間をコールドスリープさせる技術はありませんが、映画の世界ではそういう技術が確立しています。
次に、五次元空間では重力だけが干渉できるという点です。
なので、主人公は未来の五次元空間から重力波を利用して、主人公の娘の身の回りでポルターガイスト現象を起こしたわけです。
最後に、なぜ生身の人間が五次元空間へ行くことができたのかというと、人間にとって愛は観測可能なエネルギーで、愛が不可能を可能にした、というのです。
最後の点はいろいろ飛躍しすぎてます。
ただ人類がここまでテクノロジーを発展させて繁栄していることも愛のエネルギーだと考えたら、この愛(観測可能なエネルギー)はこれまでじつに多くの不可能を可能に変えてきたわけで、いまや五次元の取っ掛かりさえつかもうとしています。
その点で、荒唐無稽ではあるのですが、一笑に付すわけにもいかず、いちおう納得させられてしまうんですよね。
もし作品をご覧になったら、もっと解説したいポイントはありますが、それはまたいつか(笑)
答えの出ない不思議な話をもうすこし続けさせてください。
けっこう重要なことを話しているつもりなんですが、今回はぼくの話すことにいよいよ偏りがあるというか、トンデモに片足を突っ込んでいるところがありますので、前回以上にあくまで眉唾物の話としてお読みいただけると幸いです(笑)
中国の思想家、荘子は紀元前300~200年ほどを生きたといわれ、思想書である「荘子」を著し、道教の始祖などといわれます。
ただほんとうに荘子という人物がいたのかどうかイマイチはっきりしないようです。それこそ仙人というか、謎の多い伝説的存在です。
この荘子の思想の中に「胡蝶の夢」という有名な話があります。
ある男が、蝶になった夢をみました。そして目を覚ましたときに、考えるのです。
わたしは蝶になった夢をみたのか。
あるいはいまのじぶんは、蝶がみている夢ではないのか、と。
荘子はこのたとえ話から以下のような思想を伝えます。
じぶんが蝶であるか、蝶がじぶんであるかと考えるようなことは、人為的に考えたことである。
じぶんが蝶の夢をみたのか、蝶がじぶんの夢をみているのかと、どちらかに正解を求めるようなことには意味がない。
じぶんが蝶の夢をみたこと、いまじぶんを生きていることはそれぞれ真実なのだから、その真実だけ受け止めて、あとは自然に預けてしまえばいいのだ、と。
ここにぼくの解釈を付け加えると、じぶんの意識とじぶん以外の世界(この場合は蝶の意識)には、じつは分けへだてがないのかもしれません。
胡蝶の夢の話を借りれば、われわれは結局のところ、大きな自然世界からたまたまじぶんという夢をみているだけなのではないか、ともおもえます。
たとえばトマトを育てていると、主枝からたくさんの側枝が出てきます。
そしてこの側枝を折り取って、土に差して水をやっておくと、側枝から根が生えてきて、またトマトとして生長して、花を咲かせて実をつけるんです。
ではこのとき、トマトの意志というものがあるなら、最初に植え付けたトマトと、側枝から根を張ったトマトは、べつのものでしょうか。
それとも、まったく意志の分別のない、おなじトマトであると言い切れるものでしょうか。
人間にたとえると、腕をちぎって培養液につけておいたら成長して、ぼくそっくりの存在になったとします。
この場合、本体のぼくと、培養液で腕から育ったぼくは、べつのものでしょうか、それともおなじぼくでしょうか。
実際、現在のクローン技術では、元の本体そっくりの生命を生み出すことが可能だといいます。
もし人間のクローンをつくった場合、「意識の所有者」はべつなのに、じぶんとまったくおなじ存在がいるということになります。
そうすると、ぼくの意識、ぼくの魂とは、いったいなんなのか。
「意識の所有者」なんてものは、ほんとうに存在するのだろうか。
そんなにポンポンとじぶんの分身ができてしまうようでは、じぶんの意識や魂なんて、ずいぶん頼りないものにおもえてきます。
それでふと、このように考えます。
もしかしたら、ぼくの意識も、ぼくの魂も、地球の生命の歴史に紐づいていて、見えない根っこでつながっているのではないか。
前回の投稿で、じぶんに生まれ変わりがあるとしたら、べつの星で生まれることもありえるか考えると、永遠に宇宙の迷子になる可能性が高そうだ、といいました。
そうやって考えていくと、地球に生まれたわれわれは、やっぱり地球の所有物なんじゃないかな、とおもえてきました。
そしてぼくたちの意識や魂はあたかもじぶんが独占しているようにおもえますが、じつは地球の生命の歴史から借りているだけではないか。
たとえると、クリスマスの電飾で照明が点滅するものがありますよね。
じぶんという存在はその電飾の電球のひとつのようなものではないかと。
手前の電球と電線はつまり、地球の生命の歴史です。
手前からどんどん電球が点滅していき、いまじぶんという電球が一瞬光って、消える。
ぼくはぼく自身で光っているようにおもっているけど、じつは手前から光っている電飾のシステムがあって、じぶんはたまたまこの一瞬を光っているだけ、というわけです。
電飾の場合は電線があって、電球同士のエネルギーがつながっているからわかりやすいけど、人間の場合は電線でつながっているわけでもないし、独立した意識が肥大しているので、なんだかじぶんの肉体はじぶんだけのもの、とおもいこんでしまいがちなのではないか。
そして地球上にあるじぶんとじぶん以外のあらゆる存在は、肉体があるからへだたっているようにおもえるけど、ほんとうはへだたりがない、と考えたほうが自然なようにもおもえるのです。
人間には脳があって、自律とはまたちがった「意識」をもっています。
植物には意識はないけれど、自律して生きていますよね。
人間も呼吸をしたり、髪の毛・爪が伸びるということは、意識しなくても勝手に自律しておこなっています。
だから、植物がそうであるように、生きることそのものには、じつは意識は必要がありません。
しかし動物は植物とちがって、じぶんからなにかを捕食しなければ生きていません。
植物のように生きるために必要なモノ(土・水・太陽光)が自動的に手に入る場合は意識はなくてもいいんですが、動物の場合は工夫しないと生きていけないので、そのために意識が必要になったわけです。
もちろん人間以外も動物には脳がありますから、意識はあります。
けれど、人間以外の動物は脳が小さかったり、神経の数が少なかったりして、意識のレベルが低いんですね。
では意識の基本的な役割はなにかというと、「食べること」「子孫を残すこと」「じぶんより強い外敵からうまく逃げること」くらいのものです。
このみっつであれば、ハエでもやってのけることができます。
しかし人間の場合は脳の容量が大きく、神経もかなりたくさん張っているので、基本的な意識以外にも、意識を利用することができるんですね。
この人類の余剰意識の活用の仕方は複雑多岐にわたります。
ぼくがここでいま書いているようなことも、余剰意識によるものです。
じぶんが蝶になった夢をみたのか、蝶がじぶんになった夢をみたのか、ということも、人間ならではの余剰意識の活用です。
その点で荘子は、あんまり人間が余剰意識をこねくり回してああだこうだと考えることには意味がないといい、もっと自然に即して考えればいいんだと説いたんですね。
ギズモさんが葬儀場に向かうまで飛んでいた二匹のアゲハチョウは、「義理の息子さんのお父さんがみている夢」(あるいは未知の次元を介した干渉)だったかもしれないし、そうではない単なる偶然かもしれません。
いずれにせよ、ギズモさんがなにかのメッセージのように感じたのであれば、それは実際の正解かどうかはともかく、自然にそう感じたこととして受け止めてよいのだとおもいました。
さて、日食・月食の原理を知っている人、の話なんですが、ものすごくくだらないたとえを話します。
ぼくが子供のころ、コインゲームで「ジャンケンマン」というものがありました。
コインを入れて、じゃんけんをするだけのゲームなんですが、ふつうにやってるとなかなか勝てません。
しかし、このゲームはたまに次になにを出せばいいのか、ヒントが出ることがあるんです。
それを知っていれば、負けている子の横にいて、ヒントが出たときに「かわって」といって、勝ち目を利用していれば、メダルがたまります。
しかしそういう他愛ない裏技でも、知らない子からすると、いったいどうしてそんなことができるのか、不思議でたまらないんですね(笑)
こういった裏技をだれにも教えずに、秘密にしておいてじぶんの仕事の評価を高めるというようなやり方が、むかしの陰陽道であったり、密教(真言)に存在したのでしょう。
それ以外でもむかしは大工や植木屋、鍛冶屋など、じぶんの持ってるすぐれた技術は門外不出のものとして、一子相伝にして技術屋としての仕事をつないでいくのが当たり前でしたね。
最後にインターステラーが難解だという話なんですが、これだけおさえておけばとてもわかりやすくなるポイントがあります。
まず、いまの人類のテクノロジーでは、宇宙船が太陽系外に飛び出したり、人間をコールドスリープさせる技術はありませんが、映画の世界ではそういう技術が確立しています。
次に、五次元空間では重力だけが干渉できるという点です。
なので、主人公は未来の五次元空間から重力波を利用して、主人公の娘の身の回りでポルターガイスト現象を起こしたわけです。
最後に、なぜ生身の人間が五次元空間へ行くことができたのかというと、人間にとって愛は観測可能なエネルギーで、愛が不可能を可能にした、というのです。
最後の点はいろいろ飛躍しすぎてます。
ただ人類がここまでテクノロジーを発展させて繁栄していることも愛のエネルギーだと考えたら、この愛(観測可能なエネルギー)はこれまでじつに多くの不可能を可能に変えてきたわけで、いまや五次元の取っ掛かりさえつかもうとしています。
その点で、荒唐無稽ではあるのですが、一笑に付すわけにもいかず、いちおう納得させられてしまうんですよね。
もし作品をご覧になったら、もっと解説したいポイントはありますが、それはまたいつか(笑)
2023年 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
きょうは朝から集落の草刈りでした。
なんだか年々人数も減っていて、高齢化も進んで、そのくせ刈る場所が増えていくので、負担ばかり増えているような気がします(笑)
#野菜
なんだか年々人数も減っていて、高齢化も進んで、そのくせ刈る場所が増えていくので、負担ばかり増えているような気がします(笑)
#野菜