2023年9月20日の投稿[1件]
ダラダラと雨が降る一日。こんな記事をみました。
「猟犬4匹、散歩中の女性を襲い頭の骨が見えるほどの重傷負わせる…飼い主の男を書類送検 」
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230...
記事はきょう付ですが、4月に起こったことのようです。
いや、事件そのものについて書くつもりはないんです。
ぼくは、人間の住む場所とケモノの住む場所と、その境界線の話をします。
もう10年ほど前。
ぼくの住んでいる地域に、複数の猟犬を飼ってる猟師がいました。
飼い主以外になつかないようにしつけています。
愛情で飼育しているのではないから、名前もつけていませんでした。
狩猟でとれた獣肉の一部を生のまま、骨付きでごろっと犬小屋に放り込んで、それで2~3日放っておくと骨だけになっていたといいます。
犬小屋といっても、われわれがおもう犬小屋ではなくて、犬部屋とでもいうべきもので、ドアと屋根のある密室に、3匹飼っていました。
その犬たちに狩猟肉の味を覚えさせて、いざ狩猟の際には、対象の動物をじぶんでハントする喜びを学習させます。
このように育った犬は、うかつに外を散歩させることもできません。
狩猟で山に入るとき以外は、ずっと密室の中にいます。
くだんの猟師が、あるとき急死しました。
ご遺族は残された猟犬の扱いに困り果てました。もうペットに戻れるような犬ではなかったからです。
地域の猟師に声をかけたんですが、他人には絶対になつかないうえ、老犬だったこともあって、飼育を引き受けてくれる人がいませんでした。
で、最終的にどうなったかというと、生前仲間だった猟師が槍で突いて殺したそうです。
どうしてこんな話をしたのかというと、狩猟の社会は、一般社会とはちがう世界にあるんですよね。
異界、といってもいいかもしれません。
ひどく残酷なことが平然と行われるし、一般社会の人たちは怖いとおもうことでしょう。
けれどその残酷さが、人間の領域とケモノの領域の、そのあいまいなところにあることで、棲み分けを形成している。
いまどきは狩猟者も少なくなって、山の獣がいくらでも人里に出没するので、狩猟者が棲み分けを担っているといってもピンとこないかもしれません。
しかし半世紀以上さかのぼると、いまのようにスーパーに行けば安い肉がいくらでも並んでいるという時代でもありませんでした。
山の獣はほとんど狩猟者が狩ってしまって、人間のたんぱく源になりましたから、猪も鹿も、人里に下りてくることはほとんどなかったといいますし、だれも電気柵などしていませんでした。
現代に限らずおおむかしから、狩猟者が人間社会とケモノ社会の汽水域のような場所に行くときには、われわれは無意識のうちに線引きをしていたようです。
たとえば東北の伝統狩猟者に「マタギ(又鬼)」がありますが、この語源にはいろいろな説があります。
ぼくは、単純に山をまたいで生活する者、という意味にくわえて、人間の住む領域とケモノの住む領域とをまたぐ者、という意味があったように感じています。
だから、獣の領域をまたいだ狩猟者は、人間ではなく、鬼にたとえられた。
まあ、狩猟を取り巻くニュースをみていても、どことなく鬼をみているようなところがある気がしますし、さっきの猟犬を殺した猟師の話も、鬼のしわざということにして、一般的な人間社会に持ち込まないほうが都合がよいようにおもえます。
しかし、狩猟者も人里で暮らしているときは人間なんですよね。
人間と鬼を行き来するアンビバレント(二律背反)を理解しないと、山では生き物を殺生する狩猟者が、同時に家ではやさしい人間であり、ペットを飼ったりしている、というようなことも、うまく理解できないだろうとおもいます。
最後に。
現代では狩猟者が法令順守するのは当たり前ですから、このニュースにおける怠慢な狩猟者の味方するつもりは一切ありませんし、しかるべき法の裁きを受けてもらう必要があります。
と同時に、山間部に暮らす者として、ケモノと人間の棲み分けをつくる狩猟は重要だとおもっていますから、感情に任せて狩猟を弾圧するような考えでもないことを、断っておきます。
#時事
「猟犬4匹、散歩中の女性を襲い頭の骨が見えるほどの重傷負わせる…飼い主の男を書類送検 」
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230...
記事はきょう付ですが、4月に起こったことのようです。
いや、事件そのものについて書くつもりはないんです。
ぼくは、人間の住む場所とケモノの住む場所と、その境界線の話をします。
もう10年ほど前。
ぼくの住んでいる地域に、複数の猟犬を飼ってる猟師がいました。
飼い主以外になつかないようにしつけています。
愛情で飼育しているのではないから、名前もつけていませんでした。
狩猟でとれた獣肉の一部を生のまま、骨付きでごろっと犬小屋に放り込んで、それで2~3日放っておくと骨だけになっていたといいます。
犬小屋といっても、われわれがおもう犬小屋ではなくて、犬部屋とでもいうべきもので、ドアと屋根のある密室に、3匹飼っていました。
その犬たちに狩猟肉の味を覚えさせて、いざ狩猟の際には、対象の動物をじぶんでハントする喜びを学習させます。
このように育った犬は、うかつに外を散歩させることもできません。
狩猟で山に入るとき以外は、ずっと密室の中にいます。
くだんの猟師が、あるとき急死しました。
ご遺族は残された猟犬の扱いに困り果てました。もうペットに戻れるような犬ではなかったからです。
地域の猟師に声をかけたんですが、他人には絶対になつかないうえ、老犬だったこともあって、飼育を引き受けてくれる人がいませんでした。
で、最終的にどうなったかというと、生前仲間だった猟師が槍で突いて殺したそうです。
どうしてこんな話をしたのかというと、狩猟の社会は、一般社会とはちがう世界にあるんですよね。
異界、といってもいいかもしれません。
ひどく残酷なことが平然と行われるし、一般社会の人たちは怖いとおもうことでしょう。
けれどその残酷さが、人間の領域とケモノの領域の、そのあいまいなところにあることで、棲み分けを形成している。
いまどきは狩猟者も少なくなって、山の獣がいくらでも人里に出没するので、狩猟者が棲み分けを担っているといってもピンとこないかもしれません。
しかし半世紀以上さかのぼると、いまのようにスーパーに行けば安い肉がいくらでも並んでいるという時代でもありませんでした。
山の獣はほとんど狩猟者が狩ってしまって、人間のたんぱく源になりましたから、猪も鹿も、人里に下りてくることはほとんどなかったといいますし、だれも電気柵などしていませんでした。
現代に限らずおおむかしから、狩猟者が人間社会とケモノ社会の汽水域のような場所に行くときには、われわれは無意識のうちに線引きをしていたようです。
たとえば東北の伝統狩猟者に「マタギ(又鬼)」がありますが、この語源にはいろいろな説があります。
ぼくは、単純に山をまたいで生活する者、という意味にくわえて、人間の住む領域とケモノの住む領域とをまたぐ者、という意味があったように感じています。
だから、獣の領域をまたいだ狩猟者は、人間ではなく、鬼にたとえられた。
まあ、狩猟を取り巻くニュースをみていても、どことなく鬼をみているようなところがある気がしますし、さっきの猟犬を殺した猟師の話も、鬼のしわざということにして、一般的な人間社会に持ち込まないほうが都合がよいようにおもえます。
しかし、狩猟者も人里で暮らしているときは人間なんですよね。
人間と鬼を行き来するアンビバレント(二律背反)を理解しないと、山では生き物を殺生する狩猟者が、同時に家ではやさしい人間であり、ペットを飼ったりしている、というようなことも、うまく理解できないだろうとおもいます。
最後に。
現代では狩猟者が法令順守するのは当たり前ですから、このニュースにおける怠慢な狩猟者の味方するつもりは一切ありませんし、しかるべき法の裁きを受けてもらう必要があります。
と同時に、山間部に暮らす者として、ケモノと人間の棲み分けをつくる狩猟は重要だとおもっていますから、感情に任せて狩猟を弾圧するような考えでもないことを、断っておきます。
#時事