2024年5月13日の投稿[1件]
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この時期、よく手をケガするんですけど、たぶん作業が立て込んでるからだとおもいます。
この時期は夏の種まきや畑の準備、草刈りが始まり、葉物野菜とニンニクやズッキーニの収穫が重なるなど、ヘロヘロになりがちです。
気を付けないと、先日も不織布を片付けるときに足がひっかかって畑で転んでしまいました(笑)
にんにくは、うちはどうしても販売に適さないような小さいものがたくさんとれるんですが、これは3つむいてようやく市販のにんにくひと粒くらいにしかならないので、皮むきするにしても手間ばっかりかかって得られるものが少ないんですよね。
これが機械化できたらこんなありがたいことはありません。
デスクトップとノートパソコンはそれぞれ一長一短あって、パソコンとしての使い勝手としてはデスクトップ一択だとおもいます。
ノートパソコンは画面も小さい、部品の取り換えもきかないんですが、持ち運びできるという一点が最強すぎて、デスクトップの利点をかなり犠牲にしてもやっぱり便利なんですよね。
全力坂、初めて知りました。
この前、東京の中華料理屋でお酒を飲むというコンセプトの番組をみたんですが、いまのテレビ番組の、特に東京の番組はずいぶんニッチなところを攻めるんだな、と感心しました。
もちろんこれは嫌味じゃなくて、東京をきちんと味わい尽くすというか、ていねいに利用している感じがして、坂道を走るのにしても、なんだか好感がもてます。
田舎でもいろいろとおもしろいコンセプトはあるはずなんですが、東京のようにはうまく紹介しつくせないですね(笑)
しかし東京で長崎のような坂があると、都市部という性質上ややこしいです。
というのも、都市部ではみんな効率性を最優先して生活しているでしょう。
田舎は資本主義的な効率性を犠牲にしていることをコミュニティ全体で理解しているわけですが、都市部ではそうはいきません。
ギズモさんのおっしゃったスロープがないとか、荷物の配送の問題は、ほんの半世紀も前なら不便であるというところですんでいたのが、現代では資本主義的な競争が激化して、生活の効率が下がる = 収入面で差が出てしまうところまできているとおもいます。
ところで、ついこの前、朗読で養老孟司の『死の壁』を聞きました。
もう20年も前の作品ではあるのですが、その冒頭に、都市部の団地などはその構造上、死ぬことを想定していないというんです。
つまり、人が死んで、その遺体が運ばれるということを想定していない。
だから、棺桶を団地から出すのに苦労する。
生きている人、元気な人のためだけに都市設計されているのはおかしい、というわけです。
これらのことを考えると、仕事の第一線から退いた高齢者が、効率性の面で不利な坂の土地に住まい、そのかわりに死を想定して設計された住宅で暮らすというのは、いまの東京なりの合理性なのかもしれないとおもいました。
この時期、よく手をケガするんですけど、たぶん作業が立て込んでるからだとおもいます。
この時期は夏の種まきや畑の準備、草刈りが始まり、葉物野菜とニンニクやズッキーニの収穫が重なるなど、ヘロヘロになりがちです。
気を付けないと、先日も不織布を片付けるときに足がひっかかって畑で転んでしまいました(笑)
にんにくは、うちはどうしても販売に適さないような小さいものがたくさんとれるんですが、これは3つむいてようやく市販のにんにくひと粒くらいにしかならないので、皮むきするにしても手間ばっかりかかって得られるものが少ないんですよね。
これが機械化できたらこんなありがたいことはありません。
デスクトップとノートパソコンはそれぞれ一長一短あって、パソコンとしての使い勝手としてはデスクトップ一択だとおもいます。
ノートパソコンは画面も小さい、部品の取り換えもきかないんですが、持ち運びできるという一点が最強すぎて、デスクトップの利点をかなり犠牲にしてもやっぱり便利なんですよね。
全力坂、初めて知りました。
この前、東京の中華料理屋でお酒を飲むというコンセプトの番組をみたんですが、いまのテレビ番組の、特に東京の番組はずいぶんニッチなところを攻めるんだな、と感心しました。
もちろんこれは嫌味じゃなくて、東京をきちんと味わい尽くすというか、ていねいに利用している感じがして、坂道を走るのにしても、なんだか好感がもてます。
田舎でもいろいろとおもしろいコンセプトはあるはずなんですが、東京のようにはうまく紹介しつくせないですね(笑)
しかし東京で長崎のような坂があると、都市部という性質上ややこしいです。
というのも、都市部ではみんな効率性を最優先して生活しているでしょう。
田舎は資本主義的な効率性を犠牲にしていることをコミュニティ全体で理解しているわけですが、都市部ではそうはいきません。
ギズモさんのおっしゃったスロープがないとか、荷物の配送の問題は、ほんの半世紀も前なら不便であるというところですんでいたのが、現代では資本主義的な競争が激化して、生活の効率が下がる = 収入面で差が出てしまうところまできているとおもいます。
ところで、ついこの前、朗読で養老孟司の『死の壁』を聞きました。
もう20年も前の作品ではあるのですが、その冒頭に、都市部の団地などはその構造上、死ぬことを想定していないというんです。
つまり、人が死んで、その遺体が運ばれるということを想定していない。
だから、棺桶を団地から出すのに苦労する。
生きている人、元気な人のためだけに都市設計されているのはおかしい、というわけです。
これらのことを考えると、仕事の第一線から退いた高齢者が、効率性の面で不利な坂の土地に住まい、そのかわりに死を想定して設計された住宅で暮らすというのは、いまの東京なりの合理性なのかもしれないとおもいました。