2024年7月1日の投稿[1件]
ちちぶまゆ、お口に合ったようでよかったです!!
秩父産のカエデ糖から作ったメープルシロップだったんですね。びっくりです。
コロナに限らず、何かしらの風邪のようなものに罹っている人が最近多いですね。
電車でも道でもお店の中でも、咳をしている人がいたら、急いでササッと逃げています(笑)
冨士山小御嶽神社関連のお話、とても詳しく教えてくださり、ありがとうございます。
「大変」、を何回も書きたいくらい、大変興味深く読ませていただきました。
とりとめのない話ですが、関連する余談としてお読みください。
伊豆に大室山という山がありますが(ネットの写真を貼っておきます)、ここの浅間神社のご祭神はイワナガヒメです。
山といっても、標高580メートル、リフトで登ります←けっこう、というか、かなり怖いです(笑)
そこで聞いた話です(確かテープで回っていました)
その後古事記など読み返し、姉妹の確執の話とはちょっと違うように感じていましたが、農園主さんの記事を読ませていただき、美醜で人を判断する愚かさに対する戒めという、教義めいたものということだとわかりました。
姉妹両方まつってある神社、珍しいですね。
富士山信仰総本山で全国にある浅間神社の主祭神はコノハナサクヤヒメ。あるいはイワナガヒメ。
そして、富士山周辺の浅間神社はコノハナサクヤヒメが多いけれど、富士山から離れるとイワナガヒメが主流となるらしいです。
学生時代、伊勢にいらしたということですが、内宮の摂社『朝熊神社』『朝熊御前神社』、そこのご祭神の一柱が、苔虫命(苔虫神)だそうですね。
奈良時代まで朝熊神社の神体山であった朝熊山は「あさまやま」で、富士山が遥拝できることから、「浅間(あさま)」に通じているとのことらしいです。
と、ここまで書いて、農園主さんはご存じのことばかりだろうなぁ、と思い、消そうかどうしようか悩みます(笑)
桜大刀自命のお話、すごいところにお話が関連していたんですね~。
ここからは私の勝手な妄想です。
冨士山小御嶽神社の創建は、937年となっています。
竹取物語が書かれたのが平安時代の初めですから、その後の創建になります。
富士山のご祭神がコノハナサクヤヒメになったのは、1616年あたり、林羅山の神話解釈によるものが始まりだったようで、中世から江戸初期にかけて富士山の女神としてまつられていたのは「比奈赫夜姫(ヒナカグヤヒメ)」でした。
仏教の衰退とともに、どこかでコノハナサクヤヒメに入れ替わったという説がある一方で、コノハナサクヤヒメとかぐや姫が同一視される説もありますね。
結局、冨士山小御嶽神社の創建が937年だとすると、当時とご祭神が異なっていることも考えられます。
小御嶽は富士山よりも先に出現した山なので、その関係でご祭神が富士山とは違うということもありそうです。
竹取物語のラストでは「国で一番高い山の頂上で、帝が(実際は使いの者)かぐや姫からもらった不老不死の薬を燃やしたので、死なない山、不死山(ふじさん)となった」と書かれています。
その後、不二山などと漢字を変えていっているようですね。
そんな山ですので、高貴で長生きの女性(刀自)である「桜大刀自命」、そして年齢を重ねたイワナガヒメである苔虫命としての設定が必要だったのではないでしょうか。
さらに、美しくても醜くてもそんなことは関係なく、神様として姉妹が平等にまつられる必要もあったのかと思います。
またもっと単純に、なにかと対立する立ち位置での本名(笑)、コノハナサクヤヒメ・イワナガヒメの合祀は、富士山ではタブー視されているのかもしれない、とも思えます。
北口本宮冨士浅間神社にお参りした時、本殿でご祈祷が行われていたのですが、神職さんは若い女性でした。巫女さんではありません。
男性の神職をおかないのか、たまたま女性だったのか気にかかったのですが、聞けないで帰ってしまいました。
また、うちから近くて(それでも一時間)大きな浅間神社は、多摩川浅間神社なのですが、祭神はコノハナサクヤヒメで、ここには天狗の石碑(像ではなく)や、大天狗・小天狗天狗の祠があります。
今日は富士山の山開きですね。
小雨が降ったりやんだりの曇り空ですが、なぜか日中は、富士山が青くきれいに見えました(*^^)v
農園主さんの記事で思い出しましたが、6月初めまで、東京国立博物館で特別展「法然と極楽浄土」があり、国宝「綴織當麻曼陀羅」が、奈良県外では初めて公開されました。
行けなかったのが本当に残念です。
秩父産のカエデ糖から作ったメープルシロップだったんですね。びっくりです。
コロナに限らず、何かしらの風邪のようなものに罹っている人が最近多いですね。
電車でも道でもお店の中でも、咳をしている人がいたら、急いでササッと逃げています(笑)
冨士山小御嶽神社関連のお話、とても詳しく教えてくださり、ありがとうございます。
「大変」、を何回も書きたいくらい、大変興味深く読ませていただきました。
とりとめのない話ですが、関連する余談としてお読みください。
伊豆に大室山という山がありますが(ネットの写真を貼っておきます)、ここの浅間神社のご祭神はイワナガヒメです。
山といっても、標高580メートル、リフトで登ります←けっこう、というか、かなり怖いです(笑)
そこで聞いた話です(確かテープで回っていました)
晴れた時は富士山が向かい側に見えるが、富士山の神様は妹のコノハナサクヤヒメで、イワナガヒメは美しい妹をねたんでいたため、大室山では絶対に「富士山がきれい」と言ってはいけない。
姉と妹の山は、いつもにらみ合っている
その後古事記など読み返し、姉妹の確執の話とはちょっと違うように感じていましたが、農園主さんの記事を読ませていただき、美醜で人を判断する愚かさに対する戒めという、教義めいたものということだとわかりました。
姉妹両方まつってある神社、珍しいですね。
富士山信仰総本山で全国にある浅間神社の主祭神はコノハナサクヤヒメ。あるいはイワナガヒメ。
そして、富士山周辺の浅間神社はコノハナサクヤヒメが多いけれど、富士山から離れるとイワナガヒメが主流となるらしいです。
学生時代、伊勢にいらしたということですが、内宮の摂社『朝熊神社』『朝熊御前神社』、そこのご祭神の一柱が、苔虫命(苔虫神)だそうですね。
奈良時代まで朝熊神社の神体山であった朝熊山は「あさまやま」で、富士山が遥拝できることから、「浅間(あさま)」に通じているとのことらしいです。
と、ここまで書いて、農園主さんはご存じのことばかりだろうなぁ、と思い、消そうかどうしようか悩みます(笑)
桜大刀自命のお話、すごいところにお話が関連していたんですね~。
ここからは私の勝手な妄想です。
冨士山小御嶽神社の創建は、937年となっています。
竹取物語が書かれたのが平安時代の初めですから、その後の創建になります。
富士山のご祭神がコノハナサクヤヒメになったのは、1616年あたり、林羅山の神話解釈によるものが始まりだったようで、中世から江戸初期にかけて富士山の女神としてまつられていたのは「比奈赫夜姫(ヒナカグヤヒメ)」でした。
仏教の衰退とともに、どこかでコノハナサクヤヒメに入れ替わったという説がある一方で、コノハナサクヤヒメとかぐや姫が同一視される説もありますね。
結局、冨士山小御嶽神社の創建が937年だとすると、当時とご祭神が異なっていることも考えられます。
小御嶽は富士山よりも先に出現した山なので、その関係でご祭神が富士山とは違うということもありそうです。
竹取物語のラストでは「国で一番高い山の頂上で、帝が(実際は使いの者)かぐや姫からもらった不老不死の薬を燃やしたので、死なない山、不死山(ふじさん)となった」と書かれています。
その後、不二山などと漢字を変えていっているようですね。
そんな山ですので、高貴で長生きの女性(刀自)である「桜大刀自命」、そして年齢を重ねたイワナガヒメである苔虫命としての設定が必要だったのではないでしょうか。
さらに、美しくても醜くてもそんなことは関係なく、神様として姉妹が平等にまつられる必要もあったのかと思います。
またもっと単純に、なにかと対立する立ち位置での本名(笑)、コノハナサクヤヒメ・イワナガヒメの合祀は、富士山ではタブー視されているのかもしれない、とも思えます。
北口本宮冨士浅間神社にお参りした時、本殿でご祈祷が行われていたのですが、神職さんは若い女性でした。巫女さんではありません。
男性の神職をおかないのか、たまたま女性だったのか気にかかったのですが、聞けないで帰ってしまいました。
また、うちから近くて(それでも一時間)大きな浅間神社は、多摩川浅間神社なのですが、祭神はコノハナサクヤヒメで、ここには天狗の石碑(像ではなく)や、大天狗・小天狗天狗の祠があります。
今日は富士山の山開きですね。
小雨が降ったりやんだりの曇り空ですが、なぜか日中は、富士山が青くきれいに見えました(*^^)v
農園主さんの記事で思い出しましたが、6月初めまで、東京国立博物館で特別展「法然と極楽浄土」があり、国宝「綴織當麻曼陀羅」が、奈良県外では初めて公開されました。
行けなかったのが本当に残念です。