2024年12月24日の投稿[1件]
ご心配をありがとうございます。
「きちんと」ケガ、というところで、申し訳ありませんが笑ってしまいました。ごめんなさい。
スッと触れただけで触れたぶん切れてしまう、その通りでした。
ひとつコンサートが無事終わりましたが、その晩傷口が開きました(笑)
油断してバンドエイドにしたのがいけなかったようです。
私の些細な疑問から、「短編歴史小説」というより、壮大でドラマティックな物語をありがとうございます。
とても興味深く読ませていただきました。
ことに宮中の言葉で語り合うユーモラスなくだりは、場面が目の前に浮かび、一気にその時代にとばされたような気さえしました。
阿波内侍も、様々な出来事や人に振り回され、つらく悲しい思いを強いられたのですね。
気性が激しかったということですが、徳子と対照的な性格だったのでしょうか。
ふたりの女性の、自分ではどうともすることができないそれぞれの人生が、寂光院でともに生きることで、浄化されたように思いました。
崇徳院の歌は、百人一首の中で一番好きなのですが、もう一つの意味もあったのですね。
この願勝寺を調べたら、最寄り駅が貞光駅となっていました。
プライベートな話で恐縮ですが、昔、ワンマンな母の言いつけに従って結婚した元夫が、貞光町の出身でした(5年ほどで別れました。今の主人とは再婚です)。
一度だけ、元夫の父親と兄夫婦が住む家に行ったことがあるのですが、貞光駅から、ガードレールのない、それこそ10センチずれたら谷底へ、という、あまりに狭い1車線の山道を上って行きました。
タクシーの運転手さんは慣れてはいるでしょうが、恐怖で冷汗がでました(笑)
最近、町がいくつか合併し、貞光町は「つるぎ町」となりましたが、20キロほど離れたところに剣山(昔は「けんざん」とも呼んでいたそうですが、今はつるぎさんに統一されたそうです)があります。
ご存じと思いますが、安徳天皇の遺言により、剣を山頂に隠し、ご神体とした山です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%A3%...
阿波内侍が願勝寺を阿波に移した20年ほど後に安徳天皇が亡くなっていますが、剣を山頂に隠したのはいつなのか、また剣山と呼ばれるようになったのがいつなのか、調べましたが、はっきりした年が不明です。
なぜ安徳天皇の剣を、阿波内侍に関係のある土地に埋めたのでしょう。
阿波内侍が徳子に勧めたのでしょうか?
または、徳子、阿波内侍とは関係のない人物の意図ということもありますね。
もうひとつ、興味深いことがあります。
元夫の姓は「金岡」と言いますが、苗字由来netの日本の名字ランキングを見ると、比率が多い場所(訂正=市区町村)の1位が「美馬郡(訂正・美馬市)つるぎ町」です。
これは単にこの一帯に親戚が多いからかもしれませんが、それにしても、つるぎ町に住む金岡姓の人全部に血のつながりがあるとは思えません。
名字の由来として「桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)に記述されている」と書いてあります。
このあたりも、平氏が落ち延びてきた土地なのかもしれません。
つるぎ町から60キロほどのところに、徳島県の民謡に歌われている、祖谷のかずら橋がありますが、このあたりは平家の落人が移り住んだといわれる地域です。
それを考えると、つるぎ町をもっと広範囲に広げた一帯に落ち延びた平氏が多く住んでいて、剣を隠すのには剣山が適当な場所だと考えた、という単純な話なのかもしれませんね。
寂光院は最初聖徳太子が建立したそうですが、聖徳太子は、美馬郡のあたりに多くいたという、渡来人の秦氏に影響を受けたと言います。
『母の生国である阿波(徳島県)の維摩寺に移し、名前をそのまま「願勝寺」に改めるように請願した』という維摩寺ですが、阿波内侍の母親、或いは阿波内侍とゆかりのあるお寺だったのでしょうか。
聖徳太子は鳩摩羅什訳の『維摩詰諸説経』に注釈した『維摩経義疏』を書いていますよね。
その「維摩」の寺だとすると、維摩寺も寂光院も聖徳太子に関係してくるわけです。
阿波内侍、徳子。聖徳太子、維摩寺、寂光院、阿波(徳島)、安徳天皇の剣、剣山、平氏、秦氏。
どういう関連性があるのかわかりませんが、どうも無関係とは言えないような気がします。
寂光院の山から剣山が見える・・・とか??
剣山から秦氏に関係するものが数多く発掘されたそうですが、これは平氏や安徳天皇の剣とは無関係なのでしょうか?
また、安徳天皇が入水せず、平氏の生き残りと剣山に隠れ住んだという説もあり、なんだかわけがわからなくなりました(笑)
秦氏と、イスラエルの失われた十二氏族(書き足し・十氏族ともいうようです)の関係の話もいろいろありますが、もうそこまで広げると混乱の境地です(笑)
農園主さんの壮大なロマンとも言えるお話を読ませていただき、感銘を受けて、よけいな妄想をしてしまい、失礼しましたm(_ _"m)
獣害は本当に難儀なことですね。
迅速な対策により、おさまってなによりです。
山田和明 さんのクリスマスカードですが、場所は横浜です。
メリークリスマス!
「きちんと」ケガ、というところで、申し訳ありませんが笑ってしまいました。ごめんなさい。
スッと触れただけで触れたぶん切れてしまう、その通りでした。
ひとつコンサートが無事終わりましたが、その晩傷口が開きました(笑)
油断してバンドエイドにしたのがいけなかったようです。
私の些細な疑問から、「短編歴史小説」というより、壮大でドラマティックな物語をありがとうございます。
とても興味深く読ませていただきました。
ことに宮中の言葉で語り合うユーモラスなくだりは、場面が目の前に浮かび、一気にその時代にとばされたような気さえしました。
阿波内侍も、様々な出来事や人に振り回され、つらく悲しい思いを強いられたのですね。
気性が激しかったということですが、徳子と対照的な性格だったのでしょうか。
ふたりの女性の、自分ではどうともすることができないそれぞれの人生が、寂光院でともに生きることで、浄化されたように思いました。
崇徳院の歌は、百人一首の中で一番好きなのですが、もう一つの意味もあったのですね。
そして阿波内侍が寂光院に入寺して3年ほど経ったとき、彼女は京都の願勝寺を、母の生国である阿波(徳島県)の維摩寺に移し、名前をそのまま「願勝寺」に改めるように請願したそうです。いまも四国八十八箇所霊場のひとつとして徳島県美馬市に願勝寺が残っています。
この願勝寺を調べたら、最寄り駅が貞光駅となっていました。
プライベートな話で恐縮ですが、昔、ワンマンな母の言いつけに従って結婚した元夫が、貞光町の出身でした(5年ほどで別れました。今の主人とは再婚です)。
一度だけ、元夫の父親と兄夫婦が住む家に行ったことがあるのですが、貞光駅から、ガードレールのない、それこそ10センチずれたら谷底へ、という、あまりに狭い1車線の山道を上って行きました。
タクシーの運転手さんは慣れてはいるでしょうが、恐怖で冷汗がでました(笑)
最近、町がいくつか合併し、貞光町は「つるぎ町」となりましたが、20キロほど離れたところに剣山(昔は「けんざん」とも呼んでいたそうですが、今はつるぎさんに統一されたそうです)があります。
ご存じと思いますが、安徳天皇の遺言により、剣を山頂に隠し、ご神体とした山です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%A3%...
阿波内侍が願勝寺を阿波に移した20年ほど後に安徳天皇が亡くなっていますが、剣を山頂に隠したのはいつなのか、また剣山と呼ばれるようになったのがいつなのか、調べましたが、はっきりした年が不明です。
なぜ安徳天皇の剣を、阿波内侍に関係のある土地に埋めたのでしょう。
阿波内侍が徳子に勧めたのでしょうか?
または、徳子、阿波内侍とは関係のない人物の意図ということもありますね。
もうひとつ、興味深いことがあります。
元夫の姓は「金岡」と言いますが、苗字由来netの日本の名字ランキングを見ると、比率が多い
これは単にこの一帯に親戚が多いからかもしれませんが、それにしても、つるぎ町に住む金岡姓の人全部に血のつながりがあるとは思えません。
名字の由来として「桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)に記述されている」と書いてあります。
このあたりも、平氏が落ち延びてきた土地なのかもしれません。
つるぎ町から60キロほどのところに、徳島県の民謡に歌われている、祖谷のかずら橋がありますが、このあたりは平家の落人が移り住んだといわれる地域です。
それを考えると、つるぎ町をもっと広範囲に広げた一帯に落ち延びた平氏が多く住んでいて、剣を隠すのには剣山が適当な場所だと考えた、という単純な話なのかもしれませんね。
寂光院は最初聖徳太子が建立したそうですが、聖徳太子は、美馬郡のあたりに多くいたという、渡来人の秦氏に影響を受けたと言います。
『母の生国である阿波(徳島県)の維摩寺に移し、名前をそのまま「願勝寺」に改めるように請願した』という維摩寺ですが、阿波内侍の母親、或いは阿波内侍とゆかりのあるお寺だったのでしょうか。
聖徳太子は鳩摩羅什訳の『維摩詰諸説経』に注釈した『維摩経義疏』を書いていますよね。
その「維摩」の寺だとすると、維摩寺も寂光院も聖徳太子に関係してくるわけです。
阿波内侍、徳子。聖徳太子、維摩寺、寂光院、阿波(徳島)、安徳天皇の剣、剣山、平氏、秦氏。
どういう関連性があるのかわかりませんが、どうも無関係とは言えないような気がします。
寂光院の山から剣山が見える・・・とか??
剣山から秦氏に関係するものが数多く発掘されたそうですが、これは平氏や安徳天皇の剣とは無関係なのでしょうか?
また、安徳天皇が入水せず、平氏の生き残りと剣山に隠れ住んだという説もあり、なんだかわけがわからなくなりました(笑)
秦氏と、イスラエルの失われた十二氏族(書き足し・十氏族ともいうようです)の関係の話もいろいろありますが、もうそこまで広げると混乱の境地です(笑)
農園主さんの壮大なロマンとも言えるお話を読ませていただき、感銘を受けて、よけいな妄想をしてしまい、失礼しましたm(_ _"m)
獣害は本当に難儀なことですね。
迅速な対策により、おさまってなによりです。
山田和明 さんのクリスマスカードですが、場所は横浜です。
メリークリスマス!