2025年3月31日の投稿[1件]
病気の場合の延命と、高齢者の延命は意味合いが違うかもしれませんが、欧米の病院や施設には寝たきり老人がいないそうですね。
理由は、高齢者が終末期を迎えると食べられなくなるのは当たり前で、経管栄養や点滴で延命を図るのは非倫理的だと、本人も家族も認識しているためだそうです。
日本だと、有無を言わさず点滴で栄養を与えたり、早い時期から胃ろうを行ったりと、寝たきりで意識もほとんどない人を無理やり生かすこともあります。
長寿大国日本の意味がおかしいです。
私も延命は望んでいません。
家族が介護しないといけなかったり、本人の苦痛が延長されるだけだったり、高額な病院代を払ったりしてまで延命する意味って、なんなんだろうと思うんです。
でも、農園主さんのお考えのように、元気な時に「延命は望まない」という意思だったとしても、いざその場になったら、「もう少し頑張れる気がするので、ちょっと延命してほしい」と思う可能性は私にもありそうです。
延命に対する考え方は、個人個人というより、ケースバイケースなのかもしれません。
意思の疎通ができる状態なら、「考えは変わっていないので延命しないで」と言えますが、意識がなければ伝えられないし、また土壇場で自分の気持ちがコロコロと変わることもありそうですし、家族には判断のつらさを味わわせることになるわけで、みんなが納得するような最後の迎え方は、なかなか難しいかもしれません。
延命しないでと頼んでおいても、家族の立場からしたら、本人に意識がない場合、「本人が望んでいたので延命はしないでください」と言うのには、かなりの決断が必要と思います。
快方に向かうなら、延命は望ましいことだと思いますが、苦痛はある、余命をいたずらに引き延ばすだけということだったら、延命の意味がないと思います。
家族や身内の人にとれば、一日でも長く生きてほしいという気持ちはあるでしょうが、本人と周りの人との思いに乖離があることもあり、お互いに悔いを残さないというのは、けっこう難しい課題だと感じます。
ざっくりとした私なりの結論として、「延命しないでほしい」というところに、条件を付け加え、家族に伝えておくのがベターかな、と。
私に意識がない場合、延命して治る(軽快する)見込みがあるなら延命をしてほしいし、死ぬのを引き延ばすだけの状態なら延命措置をしないでほしい、というふうに。
極端な話をすれば、意識が戻る可能性がない植物人間状態になった時、これがいちばん悩むケースだと思います。
このあたり、どうするべきかは非常に難しいですね。
家族としては、1年後、5年後、意識が戻るかもしれないという希望を捨てたくないでしょうから。
おかしな話をします(笑)
最近ずっと考えていることですが、まったく現実的ではなく、空想に過ぎません。
まじめに延命について考えていらっしゃる農園主さんにとっては、大変軽率な空想なのですが、そのあたりはご容赦ください。
人がだいたい20歳くらいになった時「なんの苦痛もなく、必ず死ねる薬(のようなもの)を支給され、いつでも自分の希望で自分にのみ使用していい」という制度があったらな、と考えていました。
使えるのは一度だけ。
他人に使おうという人が出る可能性もあり、犯罪にもなりそうな話ですが、あくまで想像にすぎないので、自分で自分に使うのが前提です。
使わない選択も当然あります。
もし、ひどい痛みや苦しみを伴う病気になった時、治る見込みがないなら、その苦痛に耐えてまで生きる必要もなく、早く苦しみから解放されたいと思うかもしれません。
家族がそうなった時、少しでも長く生きていてほしいと思うかもしれませんが、本人の苦痛は壮絶なものでしょうし、家族の愛情、思いは理解しても、もう死んでもかまわないという気持ちが起きるかもしれません。
前にもお話したかもしれませんが、コロナにかかった時、経験したことのないような高熱のつらさで、「こんなつらいならもう死んでもいいかも」と思ったのですが、それでも治る可能性が充分にあると思えたからなんとか頑張れました。
でも、嗅覚・味覚が無くなった時は、「3年以上この症状が続いていている」というような経験談を読んでしまったため、もう絶望の境地でした。
どうやったら治るだろう、刺激を与えたらいいのかも、と日々いろいろ模索し、無意味かもしれないこともやってみました。
絶望しながらも、「味覚・嗅覚がなくても死ぬことはないだろう」という、開き直った心境になり、なんとか乗り越えることができました。
治らない、死を待つだけ、というお墨付き(笑)をもらった時、それでも苦痛を乗り越え頑張ろうと思えるかどうか。
そんな時、日本では安楽死(尊厳死)の制度がないので、想像したような薬があればいいな、と思った次第です。
でも、苦痛を伴わない状態で余命宣告をされた場合は、少しでも長く生きたいと、延命措置をお願いすると思います。
命を救うのは医師の義務かもしれませんが、心までは救うのは難しいです。
安楽死の問題を言いたいのではなく、あくまで「治ることがないのなら、苦痛はできるだけ短かくしてほしい、そして、家族につらい選択をさせることなく、自分の意志で終わりを迎えたい」という、安易なわがままからでた想像でした(笑)
コロナになったのがおととしの9月ですが、それ以降に、よく考えていたことでした。
自殺と同義と言われそうですが、気持ちの持ち方、死の迎え方はまったく違うと思います。
想像の話ですので、精神的な問題で生きるのがつらくなった場合に使っていいのかどうかは、視野に入れていません。
井戸の詳しいお話、ありがとうございます。
地盤沈下が起きたんですね。
井戸(揚水)を規制したのも知りませんでした。
てっきり、自然に枯れていったのだと思っていました。
防災井戸の新設にしても、そうそうあちこちにはできないのでしょうね。
高所得者の税率のお話も興味深いものでした。
今は、子どものいる家庭への児童手当や医療費助成も、所得に関係なく一律になってきているようですし、確かに高額所得者がどんどん優遇されてきている気がします。
石破総理が「楽しい日本を作る」という発言をし、物議を醸していますが、「楽しい=暮らしやすい」ならいいのですが、庶民の暮らしが逼迫し、様々な問題を抱えている中で、どうして楽しく過ごせるんでしょうか。
国民の暮らしをよりよくしたいという気持ちからなのでしょうが、一足飛びに「楽しい」という表現をするのは、ちょっと疑問です。
いつ乱世になってもおかしくないのが、今の日本だと思います。
「論語と算盤」の、道徳心がセットというのは、今の日本人が立ちかえらないといけない大事なことですね。
道徳心が欠けてしまえば、何事も成り立ちません。
ちょっと前なら当たり前にあった道徳心をどんどん忘れていって、見ず知らずの人をネットなどで非難するとか、人を騙す犯罪とか、そんなことを一生懸命やっている現代の日本人は、これからどうなっていくのでしょう。
そのエネルギーで、「次の世界のよりよいシステムを自前で用意できる」日本を作っていってほしいと思います。
夜、胸の痛みで眠れないという症状は、まだ続いていますか?
ずいぶんと、不安な事かと思います。
よけいなお世話ですが、かなり深くゆっくりな深呼吸を、リラックスした状態でしばらく繰り返すと、全身にうまく血液がめぐり、多少なりとも改善されるかもしれません。
私はついつい呼吸が浅くなる傾向があるのですが、パソコンに向かっている時間が多い時は姿勢も悪くなるために、よけい呼吸が浅くなり、ついには逆流性胃腸炎(訂正・逆流性食道炎)が起こります。
そうなると、喉がイガイガし、咳き込むこともあるし、胃なのか心臓なのかわからないキューっとした痛みも起きます。
そういう時は、お水を一口飲み、深呼吸をしてやり過ごすのですが、案外効果があります。
農園主さんの場合とは違うかもしれませんが、気休めでも効果はあると思い、おせっかいを失礼しました。
理由は、高齢者が終末期を迎えると食べられなくなるのは当たり前で、経管栄養や点滴で延命を図るのは非倫理的だと、本人も家族も認識しているためだそうです。
日本だと、有無を言わさず点滴で栄養を与えたり、早い時期から胃ろうを行ったりと、寝たきりで意識もほとんどない人を無理やり生かすこともあります。
長寿大国日本の意味がおかしいです。
私も延命は望んでいません。
家族が介護しないといけなかったり、本人の苦痛が延長されるだけだったり、高額な病院代を払ったりしてまで延命する意味って、なんなんだろうと思うんです。
でも、農園主さんのお考えのように、元気な時に「延命は望まない」という意思だったとしても、いざその場になったら、「もう少し頑張れる気がするので、ちょっと延命してほしい」と思う可能性は私にもありそうです。
延命に対する考え方は、個人個人というより、ケースバイケースなのかもしれません。
意思の疎通ができる状態なら、「考えは変わっていないので延命しないで」と言えますが、意識がなければ伝えられないし、また土壇場で自分の気持ちがコロコロと変わることもありそうですし、家族には判断のつらさを味わわせることになるわけで、みんなが納得するような最後の迎え方は、なかなか難しいかもしれません。
延命しないでと頼んでおいても、家族の立場からしたら、本人に意識がない場合、「本人が望んでいたので延命はしないでください」と言うのには、かなりの決断が必要と思います。
快方に向かうなら、延命は望ましいことだと思いますが、苦痛はある、余命をいたずらに引き延ばすだけということだったら、延命の意味がないと思います。
家族や身内の人にとれば、一日でも長く生きてほしいという気持ちはあるでしょうが、本人と周りの人との思いに乖離があることもあり、お互いに悔いを残さないというのは、けっこう難しい課題だと感じます。
ざっくりとした私なりの結論として、「延命しないでほしい」というところに、条件を付け加え、家族に伝えておくのがベターかな、と。
私に意識がない場合、延命して治る(軽快する)見込みがあるなら延命をしてほしいし、死ぬのを引き延ばすだけの状態なら延命措置をしないでほしい、というふうに。
極端な話をすれば、意識が戻る可能性がない植物人間状態になった時、これがいちばん悩むケースだと思います。
このあたり、どうするべきかは非常に難しいですね。
家族としては、1年後、5年後、意識が戻るかもしれないという希望を捨てたくないでしょうから。
おかしな話をします(笑)
最近ずっと考えていることですが、まったく現実的ではなく、空想に過ぎません。
まじめに延命について考えていらっしゃる農園主さんにとっては、大変軽率な空想なのですが、そのあたりはご容赦ください。
人がだいたい20歳くらいになった時「なんの苦痛もなく、必ず死ねる薬(のようなもの)を支給され、いつでも自分の希望で自分にのみ使用していい」という制度があったらな、と考えていました。
使えるのは一度だけ。
他人に使おうという人が出る可能性もあり、犯罪にもなりそうな話ですが、あくまで想像にすぎないので、自分で自分に使うのが前提です。
使わない選択も当然あります。
もし、ひどい痛みや苦しみを伴う病気になった時、治る見込みがないなら、その苦痛に耐えてまで生きる必要もなく、早く苦しみから解放されたいと思うかもしれません。
家族がそうなった時、少しでも長く生きていてほしいと思うかもしれませんが、本人の苦痛は壮絶なものでしょうし、家族の愛情、思いは理解しても、もう死んでもかまわないという気持ちが起きるかもしれません。
前にもお話したかもしれませんが、コロナにかかった時、経験したことのないような高熱のつらさで、「こんなつらいならもう死んでもいいかも」と思ったのですが、それでも治る可能性が充分にあると思えたからなんとか頑張れました。
でも、嗅覚・味覚が無くなった時は、「3年以上この症状が続いていている」というような経験談を読んでしまったため、もう絶望の境地でした。
どうやったら治るだろう、刺激を与えたらいいのかも、と日々いろいろ模索し、無意味かもしれないこともやってみました。
絶望しながらも、「味覚・嗅覚がなくても死ぬことはないだろう」という、開き直った心境になり、なんとか乗り越えることができました。
治らない、死を待つだけ、というお墨付き(笑)をもらった時、それでも苦痛を乗り越え頑張ろうと思えるかどうか。
そんな時、日本では安楽死(尊厳死)の制度がないので、想像したような薬があればいいな、と思った次第です。
でも、苦痛を伴わない状態で余命宣告をされた場合は、少しでも長く生きたいと、延命措置をお願いすると思います。
命を救うのは医師の義務かもしれませんが、心までは救うのは難しいです。
安楽死の問題を言いたいのではなく、あくまで「治ることがないのなら、苦痛はできるだけ短かくしてほしい、そして、家族につらい選択をさせることなく、自分の意志で終わりを迎えたい」という、安易なわがままからでた想像でした(笑)
コロナになったのがおととしの9月ですが、それ以降に、よく考えていたことでした。
自殺と同義と言われそうですが、気持ちの持ち方、死の迎え方はまったく違うと思います。
想像の話ですので、精神的な問題で生きるのがつらくなった場合に使っていいのかどうかは、視野に入れていません。
井戸の詳しいお話、ありがとうございます。
地盤沈下が起きたんですね。
井戸(揚水)を規制したのも知りませんでした。
てっきり、自然に枯れていったのだと思っていました。
防災井戸の新設にしても、そうそうあちこちにはできないのでしょうね。
高所得者の税率のお話も興味深いものでした。
今は、子どものいる家庭への児童手当や医療費助成も、所得に関係なく一律になってきているようですし、確かに高額所得者がどんどん優遇されてきている気がします。
石破総理が「楽しい日本を作る」という発言をし、物議を醸していますが、「楽しい=暮らしやすい」ならいいのですが、庶民の暮らしが逼迫し、様々な問題を抱えている中で、どうして楽しく過ごせるんでしょうか。
国民の暮らしをよりよくしたいという気持ちからなのでしょうが、一足飛びに「楽しい」という表現をするのは、ちょっと疑問です。
いつ乱世になってもおかしくないのが、今の日本だと思います。
「論語と算盤」の、道徳心がセットというのは、今の日本人が立ちかえらないといけない大事なことですね。
道徳心が欠けてしまえば、何事も成り立ちません。
ちょっと前なら当たり前にあった道徳心をどんどん忘れていって、見ず知らずの人をネットなどで非難するとか、人を騙す犯罪とか、そんなことを一生懸命やっている現代の日本人は、これからどうなっていくのでしょう。
そのエネルギーで、「次の世界のよりよいシステムを自前で用意できる」日本を作っていってほしいと思います。
夜、胸の痛みで眠れないという症状は、まだ続いていますか?
ずいぶんと、不安な事かと思います。
よけいなお世話ですが、かなり深くゆっくりな深呼吸を、リラックスした状態でしばらく繰り返すと、全身にうまく血液がめぐり、多少なりとも改善されるかもしれません。
私はついつい呼吸が浅くなる傾向があるのですが、パソコンに向かっている時間が多い時は姿勢も悪くなるために、よけい呼吸が浅くなり、ついには逆流性胃腸炎(訂正・逆流性食道炎)が起こります。
そうなると、喉がイガイガし、咳き込むこともあるし、胃なのか心臓なのかわからないキューっとした痛みも起きます。
そういう時は、お水を一口飲み、深呼吸をしてやり過ごすのですが、案外効果があります。
農園主さんの場合とは違うかもしれませんが、気休めでも効果はあると思い、おせっかいを失礼しました。