No.1160
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外来の神様としてのエビスさんは、もともとは外国人の蔑称としてつかわれている言葉ですよね。
あれは、むかしの日本人の性格を考えるとわかりやすいとおもうんですが、よそものはみんな蔑称で呼んでいたんですよね。
みんなじぶんの領地・領土を守る意識が強かったので、よそものは敵です。
戦国時代に貿易のために訪れた外国人は、肌の色にかかわらず「南蛮人」という蔑称で呼んでいました。
明治あたりでも「毛唐人」でした。
江戸時代の書物では「西洋人」という蔑称でない言葉もつかわれていたんですが、これは現金なもので、じぶんたちに文明であるとか、なにか利益を与えてくれるとわかって、はじめて言葉遣いが変わるわけです(笑)
「エビスさん(えべっさん)」というのも、蔑称がそのまま尊称になったという例だろうとおもいます。
ところで、ぼくは歌舞伎のことはほとんどわからないんですが、歌舞伎と宇宙にはつながりがあるのでしょうか。
おそらく2018年10月の大阪の歌舞伎というと、この公演ですよね。
https://www.kabuki-bito.jp/uploads/image...
以前にも言ったとおもうんですが、歌舞伎観劇が趣味というのはうらやましいです。
古典芸能はたぶん、わかるとどんどん深みが出てきておもしろいのだろうなとおもいます。
キャンディーズの歓声ですが、ビートルズのときも、歓声でだれでも音楽を聴いていないことに、当のビートルズもイヤになってしまったといいますよね。
いわゆる「失神コンサート」というのは、むかしほどは聞かなくなりましたが、あれは一種の集団ヒステリーなんだとおもいます。
ライブが、集団で狂乱状態になるための道具になっているんですね。
アメリカの1960年代のウッドストックという、ロックフェスティバルのときの映像をみていると、あきらかにドラッグでトランス状態になった人たちが、恍惚としながら爆音のライブを眺めてる様子がみられます。
主人公は演奏者である、というのがふつうのわきまえなんですが、狂乱状態になると、主人公がオーディエンスになるという逆転現象が起こるのでしょう。
外来の神様としてのエビスさんは、もともとは外国人の蔑称としてつかわれている言葉ですよね。
あれは、むかしの日本人の性格を考えるとわかりやすいとおもうんですが、よそものはみんな蔑称で呼んでいたんですよね。
みんなじぶんの領地・領土を守る意識が強かったので、よそものは敵です。
戦国時代に貿易のために訪れた外国人は、肌の色にかかわらず「南蛮人」という蔑称で呼んでいました。
明治あたりでも「毛唐人」でした。
江戸時代の書物では「西洋人」という蔑称でない言葉もつかわれていたんですが、これは現金なもので、じぶんたちに文明であるとか、なにか利益を与えてくれるとわかって、はじめて言葉遣いが変わるわけです(笑)
「エビスさん(えべっさん)」というのも、蔑称がそのまま尊称になったという例だろうとおもいます。
ところで、ぼくは歌舞伎のことはほとんどわからないんですが、歌舞伎と宇宙にはつながりがあるのでしょうか。
おそらく2018年10月の大阪の歌舞伎というと、この公演ですよね。
https://www.kabuki-bito.jp/uploads/image...
以前にも言ったとおもうんですが、歌舞伎観劇が趣味というのはうらやましいです。
古典芸能はたぶん、わかるとどんどん深みが出てきておもしろいのだろうなとおもいます。
キャンディーズの歓声ですが、ビートルズのときも、歓声でだれでも音楽を聴いていないことに、当のビートルズもイヤになってしまったといいますよね。
いわゆる「失神コンサート」というのは、むかしほどは聞かなくなりましたが、あれは一種の集団ヒステリーなんだとおもいます。
ライブが、集団で狂乱状態になるための道具になっているんですね。
アメリカの1960年代のウッドストックという、ロックフェスティバルのときの映像をみていると、あきらかにドラッグでトランス状態になった人たちが、恍惚としながら爆音のライブを眺めてる様子がみられます。
主人公は演奏者である、というのがふつうのわきまえなんですが、狂乱状態になると、主人公がオーディエンスになるという逆転現象が起こるのでしょう。