山麓王国

No.1190

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庚申信仰は、庚申の日の夜には眠ってはならないというんですよね。

眠ると体内から三尸が出てきて、天帝に告げ口をしてわるいことが起こる(寿命が縮む)というような迷信があるため、人の心が離れてしまったのだろうとおもいます。

むかしはそういった民間信仰でも地域の結びつきにはなっていたのだろうとおもうんですが、この手の罰則をつくるような信仰は長続きしないですね。

生前の行いが死後に裁かれるというような地獄思想が現代になって廃れたのも、罰則だからです。

「〇〇してはならない。これを破ると天罰が下る」というような信仰は、法律がまともに機能していなかった近代以前には一定の効果もあったのかもしれません。

が、法による罰則がしっかり機能する時代になると、罰則は宗教の役割ではなくなります。

それに加えて、庚申信仰は古神道のようにはっきりした教祖もなく、「人間はこう生きるべき」という教義もなくてぼんやりしていたところも、衰退の原因だろうとおもいます。



一本下駄は山登りに便利で修験者が履いていたというんですが、そもそもあれを履きこなすのに修行が必要そうです。

猿田彦も現代風にスパイク長靴くらい履かせてあげればいいのになあ(笑)



信仰の作法の件ですが、先日テレビ番組で宗教者ふたりが対談しているのをみました。

いま起こっているイスラエルの戦争について語っていたんです。

イスラエルの、いま戦争が起こっているガザから東へ80kmほど離れたところに、エルサレムがあります。

エルサレムにはユダヤ教の聖地「嘆きの壁」、キリスト教の聖地「聖墳墓(せいふんぼ)教会」、イスラム教の聖地「岩のドーム」があります。

世界の主要な宗教3つの聖地が、エルサレムに固まっているんですね。

日本人であれば、じぶんの信仰にかかわらず、あんまりむずかしく考えず、嘆きの壁にも聖墳墓教会にも岩のドームにも、観光気分で行くのではないかとおもいます。

でも現地では、じぶんの宗教がユダヤ教なら嘆きの壁にしか行かない。

キリスト教なら聖墳墓教会にしか行かないし、イスラム教なら岩のドームにしか行かないのだそうな。

それぞれ、すぐ近くにあるべつの聖地には見向きもしない。

そういう宗教的な頑固さが、長く続いているイスラエルの戦争の一因ではないかというんですね。



なにが言いたいのかというと、じぶんの信仰に対してあまり頑固になって、よその宗教を受け付けないということをすると、それはやっぱり対立を生んで、いがみあうきっかけになってしまうということです。

キリスト教徒がお焼香をするのは、むしろキリスト教の懐の深さを示すことになるでしょうし……お地蔵さんに柏手を打つのも、その人に信心が備わっていれば問題ないような気がします(笑)

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