山麓王国

No.1195

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1194
子供を「地獄に落ちる」というような戒めで教育することは、いまではほとんどないとおもうんですが、これはやっぱり時代ですよね。

たぶん、半世紀もさかのぼると、みんなそこまで法律や社会基盤を信用していなかったんです。

はっきりいつとはいえませんが、ぼくが子供のころに、テレビでコメンテーターが「これからは個人の問題を解決するのに弁護士をつかう訴訟社会になりますよ。アメリカではすでにそうなってるんです」なんてことをいっていました。

いまになっておもうと、その時代にやたらと「法律相談」みたいなテレビ番組が生まれてるんですよね。

笑福亭仁鶴がやっていた「バラエティー生活笑百科」(1985~2022)なんかがそうですね。

そういう社会の変化は、1980年代後半くらいに芽生えてきて、1990年くらいに本格化してくる感じだとおもいます。

で、われわれの行動が法律に縛られてくるのも、この時代からだとおもいます。

法律こそが人の生きる規範を決める、それ以外のなにかが勝手に規範をつくることを許さない、ということです。

こういう社会の変化にともなって、宗教が人を教育する……とりわけ迷信による戒めによって教育する文化が廃れていったのでしょう。



エルサレムの現地の人は不便や理不尽をさほど感じていないのでは、という件ですが、これは人それぞれだとおもいます。

先日、武田鉄矢さんが朝日新聞でインタビューを受けていたんですが、軍人だった父親についての話でした。

父親は戦前の封建主義的な日本の価値観に居場所があって、戦後の日本では居場所がなかった。

戦争トラウマらしき症状もあって、酒に頼ったり生活が荒れるなどの問題があったそうな。

ところが母親はというと、戦前はさんざん憲兵やら社会にいじめられてしんどかった、アメリカが占領してくれて世の中がよくなった、といって人生を謳歌し始めるんです。

おそらくイスラエルにしても、西側の価値観とイスラムの価値観の中で、人それぞれに適性があるだろうとおもいます。

厳格な宗教規則を苦におもわない人もいれば、そういう規範や社会常識に苦しめられている人もいるだろうとおもいます。

いろんな価値観の人が、それぞれふさわしい居場所を持てるのがよいのですが、ひとつの価値観に固執してしまう社会では、なかなか寛容にはなれないようです。



餅つき機があるのに外ではつかわない理由は、イベントとして楽しみたいということと、参加者にひとり子供がいるので、そういうことを体験させてやりたいということなのでしょう。

餅つきもいわゆる神事に連なるイベントだとおもうんですが、神事は猿田彦の一本下駄や安息日もそうですが、わざと不便でアナログなことをして、精神性をつないでいくようなところがありますね。



さて、それではきょうはたぶん一日つぶれてるとおもいます(笑)

ギズモさんにとってもよい休日でありますように。

あ、あとさっきの武田鉄矢さんのインタビューの記事ですが、鍵付きでパスワードを入れると本文をみられるようにしておきます。

パスワードは、ギズモさんが向こうで書いておられるときのお名前の「♪」抜きです。

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2026年4月5日(日) 11時48分53秒〔5時間前〕