山麓王国

No.1268

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人工知能は、地に足がついていないんだという考えはまさにそのとおりで、意識の真似事のようなことをしている、という感じです。

では意識とはなんなのか、ということが記事の中で語られていたわけですが、だんだんと宗教的な話になっていくんですよね。

科学がどんどん「人間」から剥離していって、たとえば医療がすべてデータで語られて、人間を見なくなっていくとき、それじゃあAIが医療をすればいいじゃないか、ということになる、という。

科学だけが突出して発達して、人間がどんどん置いてけぼりになっていくわけです。



そんなことを考えていると、近い将来、人間は結局、近代以前の信仰の生き物に回帰していくのではないかという気がします。

人間が科学を操っていこうという近現代だったから、宗教はなおざりにされていたわけですが、科学が人間を置いてけぼりにして、人間が追いつけなくなったとき、人間はまたなにかを拝むことで、心のよすがを求めずにいられなくなるようにおもえます。

病気が科学のチカラで治っても、生活が科学のチカラでどんどん便利になっていっても、なぜそうなっているのかということに理解がいかなくなった人類は、結局人知の及ばぬなにかを畏れることによって生きるしかないのではないか。

それはたとえば軽微なモノであれば、朝、テレビの星座占いをみて一日の行動指針を決めるというようなことから、重度のモノであればじぶんの稼ぎのほとんどを信仰に貢いで安心せねば気が済まぬといったところまで、いまと変わらぬような信仰のありようが、いよいよ深く根を張っていく。

科学の時代なんだからそんなことはもうしなくていいんだ、という時代から、やっぱりそうじゃないんだ、という反動の時代がくるのではないか。



なぜそんなことになるのかというと、宗教は人間の苦しみから生まれたものだからです。

AIは人間の意識の真似事はするけれど、苦しみを分かち合うことができません。

人間を生きるという苦しみがわからない存在が、いよいよ科学の分野で存在感を増していく。

そうすると(これまでも半ばそうだったのだけど)科学に必死になってついていく分野の人々もまた、人間的なあいまいさを排除して、データ至上主義のロボットのようになるほかありません。

AIが科学分野で突出し、人間がそこに追い付けなくなれば、多くの人は科学の土俵から下りて、人間にしかできないことに回帰していくことでしょう。

それは結局、理屈ではないなにかを共有することで人間同士が連帯していくということです。

そうすることで、AIの完全支配から逃れようとする……というと大げさかもしれませんが、ようするにいまのぼくの、自然とともに生きているようなことが……最後に結局手前味噌な話ではありますが、大地に足をつけて生きて、日々の資本主義活動に追われすぎず、ゆっくりと時間をかけてものごとを考えて、自然を畏れて生きるようなことが、どうしたって人間の行きつくところだとおもうのです(笑)

#与太話

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2026年4月5日(日) 11時48分53秒〔5時間前〕