山麓王国

No.1365

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1364
田舎暮らしをしてるとお金にならない仕事ばかりなんですが、それでもいいとおもえるのは、多くの人がひとりひとりの保全の苦労があってこそだということを知っていて、ねぎらい合う空気ができているからだとおもっています。

だから、介護だと特に、感謝の言葉、ねぎらいの言葉は折に触れて捧げたほうがいいと、ぼくもおもいます。



もう何度か言ってるかもしれませんが、うちの近所に、80になって現場仕事の大工をしているという超人的長老がいます。

この方といっしょに草刈りや原木しいたけづくりをしたとき、休み方がうまいことに気が付きました。

たとえば、「1~10までを片付けるタスク」があったとします。

で、「8」まで片付いたとしますよね。

肉体的にはちょっと疲れた程度で、これも10段階でいえば6くらいの疲れです。

残った作業があと2くらいなら、すこし無理押ししても片付けてしまいたいとおもいます。

このとき、ぼくの頭の中には、「タスクを早く片付けること」が最優先事項になっています。

ところが長老は、「休むで」といって、みんなを半ば強制的に休ませるんですね。

体力的に5~6割の疲れで、一回しっかり休憩をとって、みんなでわいわい談笑して、それであとひと仕事を一気に片付けよう、となる。

つまり、疲れるまでやるんじゃなくて、ひと仕事を終えるまでできるだけ、疲れてない状態をキープするようにしてるんですね。

そのときに大事なのは、全体で「あともうちょっとで片付くのに」といわずに、休憩を受け入れる心構えだろうとおもいます。

介護の場合、それでは一日のタスクが終わらないということもあるかもしれませんが、そこはもうじぶんのできる範囲を越えているということで、行政や家族など頼めるところにヘルプを求めたり、あるいはタスクの一部を無理やり削ってでもじぶんの休息にあてたほうがよい、ということが、きのうの話でした。



食事に関しても、「おいしい」「健康に問題ない」という結果が出ていれば、過程はなんだっていいんだとおもいます。

日本……というより東洋的なクセだとおもうんですが、結果よりもその過程で苦労しているかどうかということが大きく評価されるところがあります。

おなじ結果でもその過程で苦労してナンボみたいな気風があって、たとえばお米をお湯で研ぐなんてダメだ、なぜ冷たい水で研がないんだということを、「美味しんぼ」で山岡士郎が言ってたのをむかし読みました。

ぼくからすれば、出来上がるご飯が特別まずくなるというのでもなければ、ラクなほうがいいとおもいます。

文明が未発達だったむかしなら、なにごともマンパワーに頼るほかありませんでしたから、ともかく万事なまけさせない衆人環視的な圧迫教育が必要だったのも理解できなくもありません。

でも、現代は機械社会と資本主義によって、必要最低限にして最大限の利益を得る努力をするようになりました。

その中で「むしろ必要のない努力はしてはいけない」という風潮が生まれてきたのは、ものすごくよいことだとおもっています。

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