山麓王国

No.1500

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能條さんの作品って、将棋やマージャンなど、勝負事をテーマにしたものが多いからか、表情から感情が読み取りにくい人物の描き方をするんですよね。

こちらが感情を読み取れないままどんどん読み進めていると、突然その人物が泣いたり怒ったりして、どうしてそういう感情の変化に至ったのか、前の部分を読み返すということがしばしばあります(笑)

おそらくそうやって読者をわざと惹きつけるレトリック(技術)なんだろうとおもうんですが、特に大正天皇のお妃の貞明皇后(九条節子)の、ホンネの見えてこない描き方は非常にうまいとおもいます。



今回は、戦時中に思想教育を押し付けられた子供が、大きくなってどうなったかというお話をさせていただこうとおもいます。

もちろん育った家庭や教育によってありようはさまざまですが、全体的にみると、国家を疑う人が増えたのは間違いないでしょう。

なにせきのうまで天皇陛下の名代のようにえらそうにして、子供たちをぶん殴り、虐待し、国のために命を賭けることを美徳と説いてきた大人たちが、8月15日を境に、天皇のことなどひと言もいわなくなり、やれ民主主義だ、自由主義だとのたまうようになるわけです。

子供にしても、きのうまで天皇陛下万歳で、兵隊になって日本の礎になって死ぬのだとおもっていたのが、突然ハシゴを外されて「もうお国のためになど、考えなくてよい。じぶんのために生きなさい」といわれてしまう。

「国家とはいったいなんなんだろう」というむなしさは、先天的に国家への忠誠を叩き込まれ、それを疑わなかった子供ほど強く感じたのではないかとおもいます。

さらに一部の人は、いままで心のよりどころにしていた「国から裏切られた」というおもいさえ抱いたのではないかとおもいます。

共産党の主導する学生運動は大正時代からそれなりに盛り上がっていて、戦時中には完全に排斥されていたのが、戦後、改めて盛り上がるんです。

国家が信じられない、国家になにか激烈なアクションを起こしたい一部の人々にとって、共産主義はよい受け皿だったのかもしれません。



ところで司馬さんは学徒動員でしたから、終戦時は少年と大人の端境のような立場で、むなしさにとらわれ、思索にふける余裕があったといえます。

が、おそらく司馬さんより上の世代の戦後は、そんなことより生活をどうにかしなければという気持ちが強かったでしょう。

世の中が変わっても、戦前に発布された国策である「産めよ殖やせよ」にしたがって、ともかく子供を増やしました。

家庭を持っていた多くの人は敗戦によって苦悩はしたものの、じぶんたちの考え方を主体的に変えていこう、これからの日本はどうあるべきか模索していこう、といったアクションを起こす余裕はなかったとおもいます。

この「変わらない大人たち」によって、戦後の爆発的なベビーブームが起こります。

そしてこの第一次ベビーブームの子たちが、60年代半ばには、学生運動の中核になっていくわけです。

個人的にはあの学生運動の原動力は、民主主義や西側としての日本へのカウンターという思想よりも、「じぶんの親世代と社会のありようのちぐはぐさをどうにかしたい」という側面が強かったのではないかとおもっています。



話があっちこっちしますが、以前、西郷隆盛の西南戦争について書いたとおもいます。

明治維新のときに、幕府側と新政府側が大きな戦争を起こすことなく、明治体制に転換してしまったんですね。

その後さらに武士という階級を取り上げられることになり、これまで武士だった士族の不満が噴出するんです。

そして薩摩から西郷隆盛を担いで、ほぼ勝ち目のない戦いを挑んだというのが、西南戦争です。

士族の言い分は理解できるのです。

戦いもせずに武士というアイデンティティが奪われていくのを、指をくわえてみていろというのは、やはり納得できなかったことでしょう。

西郷はかれらの不平の受け皿になったわけです。

西郷は、武士の死に場をちゃんとつくってやらなければ、いつまでも日本で内戦の火種がくすぶり続け、明治の平和が来ないということをわかっていて、あえて新政府への反乱に加担したんですね。



突然どうして西南戦争を持ち出したかというと、学生運動もどこか、不平士族の起こした内戦に似ているからです。
(もちろん、学生運動には西郷のような大きな受け皿や、思想の死に場はなかったわけですが)

戦争当事者の世代、つまり学生運動の時代の親世代が、各家庭で大東亜戦争を総括してくれるということはほとんどなかったはずです。

となると、当時の子供たちからすれば、そんな親のありようと社会のありようは、なにもかもがなあなあで、玉虫色におもえたことでしょう。

言い換えれば、理不尽な世の中だったのです。

なぜかといえば、親の世代は戦後になっても軍国主義の影を引きずっていて、子供たちは一緒に生活をする以上、親の影響を受けざるをえないのに、社会を見渡せば民主主義だ、軍国主義はもう終わった、封建主義はもう古いと叫んでいるのですから。

家庭と社会のありようがちぐはぐなんです。

それで、この不満に対して、じぶんたちで社会を変えようと奮起したひとつのアクションが、学生運動だった、というのがぼくの考えです。

じつは学生運動は、日本だけではなく、世界中で同時多発的に起こった現象でもありました。

日本だけではなく多くの国で、戦後はいろんな部分がちぐはぐだったのかもしれません。



正直、ぼくには当時の日本の学生運動の方向性が正しかったとはおもえません。

最初から血なまぐさい闘争ではありましたが、70年代以降にはいよいよ国際テロリスト集団と化す一派も出て、思想の正しさを訴えて日本を変えるというよりは、ほとんど暴力で社会をめちゃくちゃにする、憂さをはらすだけの状況になりました。

そもそも日本の社会が学生運動を見る目は冷ややかだったんですが、さすがにこのあたりから当事者の学生でさえ急速に冷めていったという印象です。

結局学生運動は西南戦争のような死に場もなく、日本の社会を明確に変えることもなく、うやむやに四散してしまったのですが、あの時代の若者たちが、ちぐはぐな社会になにか整合性を求めてアクションを起こした動機は、けなげだったとはおもいます。



と、今回もずいぶん長くなりました。

ネット環境がもとに戻ってなによりです。
デスクトップも買い替えられたんですね。

ここ最近のお話をうかがっていると、タブレット、ノートパソコン、デスクトップ、ネット環境のすべてがあたらしく切り替わったのではないかとおもうのですが、これだけ刷新すればきっとこれから長期間、ネット周りの心配事が減ってくれることでしょう。



ネットがつかえなくて精神的ストレスが多いというのは、わかる気がします。

ネット時代になって、膨大な情報量を受け取ることと、迅速な情報処理が「できて当たり前」になりましたから、いまアナログな情報処理を行うのは苦痛だし、精神的にストレスがかかるだろうとおもいます。

デジタルデトックスも大事だとおもうんですが、その期間は情報処理をしなくてすむような環境づくりも大事ですね(笑)



残暑といいますが、不思議なもので炎天は相変わらずなのに、時折吹く風が以前よりすずしくなったようにおもえます。

あとは秋のお彼岸あたりまで、すずしくなるのが待ち遠しいですね。

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