山麓王国

No.1539

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民主主義を説明するにはひと言ではもちろん足りないんですが、それでもムリにひと言でいえば、民主主義とは「手続き」なんですね。

国民・市民による選挙という手続きによって政治家が選ばれ、憲法・法律という手続きによって国家の秩序をたもつ。

この「手続き」のシステムが民主主義の背骨になっています。

で、この手続きの面倒くささは、民主主義の長所でもあり、短所でもあるんです。



たとえば安倍晋三を殺した山上徹也は、そこにどんな正当性があろうと、国家からみればテロリストということになります。

なぜなら民主主義国家では、たとえ悪があるとわかっていても、それは法秩序の手続きによって正していかねばなりませんし、殺して解決してやろうというのは、手続きを踏んでおらずアウトだからです。



しかし、ここでひとつの疑問が生まれます。

「法が権力者を優遇することがあるような例外がある以上、国民が民主主義のシステムをおとなしく守っているだけではダメな局面もあるんじゃないか?」

この疑問は残念ながら、ただしいんです。

山上徹也が革命分子から「山上烈士」などともてはやされたのは、民主主義のシステムを暴力的に打ち砕いたときに、それでたしかに世の中が変わってしまったからです。

山上徹也の「家庭の事情」をマスメディアが大きく取り上げ、統一教会は弱体化し、政治的には安倍派の影響力も衰微しました。

革命側からみれば、以下のように言いたくなることでしょう。

「日本は民主主義だなどと言ってるが、手続きを無視して暴力でものごとを変えたら、世の中はちゃっかりそこに乗っかって、変革をおこなったじゃないか。

ほんとうにこの国が民主主義国家なら、安倍晋三殺害によって世の中を変えるなんてことはしてはいけなかったんじゃないのか。

統一教会の問題はそのままにしておかなきゃいけないし、マスメディアはこの問題を問題として取り上げちゃいけなかったはず。

民主主義にあるべき手続きを踏んでいないのだから、本来無効でなくちゃならないことを、変革の材料として認めてしまっているじゃないか。

テロリストが権力者を殺して世の中を変えたなんて、あってはならないのに、山上徹也は安倍晋三を殺して、世の中を変えてしまった。

民主主義国家なんてこんなもんなんだよ」



戦争のころの日本の民主主義がおかしかった理由は、この山上徹也的な手法が横行していたからです。

必要となれば民主主義的な手続きを完全に無視して事を運び、変革をおこなってしまい、あらためて民主主義的に事を運ぶ、というやり方です。

本来、こんなことは超例外でなければならないんですが、日本自体しっかりした民主主義的思想が共有できておらず、さらに二二六事件によって軍部が政治中枢に入り込んでから、収拾がつかなくなったんですね。



これはおそらく以前にも書いたことがあるとおもうんですが、昭和天皇も戦後なお「いざとなれば手続きを省略できる独裁のほうがよいのではないか」と考えていたようです。

個人の自由のないことは言語道断だけれども、
ものが着々進むのは事実上、統制の強い力で引っ張らねば上がらぬ。

自由 民主という方向でゆくと なかなかものは進まぬ
これはむつかしい。

スターリンでもヒトラーでもムッソリーニでも
全体主義で引っ張るのが仕事は進む

英米のような思想系統のものは
自由でしかも仕事がいくかもしれぬが
国によってはそれではなかなか
国運を急に引っ張るはむつかしい

これはむつかしい問題だね。




ほかならぬ昭和天皇が、民主主義の手続きのもどかしさをボヤいていたわけです。

日本は明治以降、曲がりなりにも選挙制度と立憲主義をとっていて、西洋的な国家運営を目指していました。

そこにはもちろん、民主主義的な方向性も含まれていました。

しかし昭和天皇でさえ、いざとなれば手続きなんかやってる場合じゃないだろうという認識だったわけです。

戦後GHQは、このように民主主義が恣意的に運用されることを認めませんでした。



「『民主主義国家』を謳う国が、国ごとに実際は異なる政治体制だとすると、もう『民主主義』という言い方をやめてもいいように思います」

というギズモさんの言葉はもっともです。

アメリカにしたって、トランプが4年前に議会を襲撃しましたが、あれは議会制民主主義を手続きを経ずに破壊しようとしたわけで、本来あってはならないことです。

アメリカが厳格に民主主義を標榜するのであれば、トランプは処刑されてしかるべきでした。

しかし当のアメリカが、それはそれとしてトランプを再選させてしまいました。

民主主義は厳格に運用されないと意味がないんですが、その運用のありようは国によってちがうし、その時代によって厳格に運用されたり、いい加減になったりする、維持管理がたいへんなシステムなんだとおもいます。



指をケガする出来事が続いたとのこと、たいへんだったとおもいますが、その後障りはないでしょうか。

もしぼくにおなじようなことが起こったら、やっぱりなにかのメッセージだとおもってしまうことでしょう。

なにかじぶんの心の方向性で改めるべき点がないか、振り返ります。

今後はより注意深く行動しよう、ともおもいます。

まあ、実際にはまたおなじようなことはやらかしちゃうわけですが(笑)

結局、ケガをじぶんの行動改善のきっかけにしてるんです。



家電の故障などもそうですが、ケガなども一度起きると続けざまにあれこれ起こることがありますね。

うちの父は、がんが発見された後、検査でそれがふたつだったとわかり、肺がんを胸腔鏡手術で治療するはずが、問題が発生して胸を横に20cmも切る開胸手術になってしまいました。

さらにその後の入院中にコロナに感染。

退院後に咽喉がんの放射線治療で苦しみ、その数か月後に帯状疱疹を発症。さらにその数か月後に脱腸がみつかり、これも手術で治しています。

これまでほとんど大きな病気のなかった父が、たった1年の間で立て続けにいくつもの病気治療に追われました。

まあ、全身のメンテナンスをして改善したのだとおもえば、いまとなってはよかったとおもいますが、ああいうことがほんとうに起こるから、不思議ですね。



平家物語なんですが、先日、直売所が改装工事で休業したんです。

それでできた貴重な休日を利用して、日帰りで大原の寂光院に行きました。

平清盛が死んだ後、あれよあれよと平家は没落します。

清盛に煮え湯を飲まされていた後白河法皇が源氏と手を組み、平家は頼朝が派遣した義経に追われ続けます。

京都から瀬戸内海沿いへと撤退しながら、最後壇ノ浦で一族郎党みな討ち死にします。

権勢を極めた清盛は、とうとう孫に天皇を持つにまで至ったのですが、清盛の娘であり、7歳の安徳天皇の母である平徳子は、目の前で我が子が清盛の妻である二位尼に手を取られ、舟から飛び込んで壇ノ浦の海に入水するさまをみます。

後を追って徳子も海に身を投げたのですが、彼女だけが源氏方に救われてしまうんですね。

子を失い、家族もみな失い、権力も失い、じぶんだけが生き永らえてしまった。

寂光院は平徳子(建礼門院)が、壇ノ浦の合戦ののちに隠棲していた尼寺で、平家の菩提を弔い、自身の運命に苦しみながら日々を過ごしたといいます。



没落し、断絶したとはいえ、天皇の母です。

丁重に扱われていましたが、なにせたいへんな田舎でした。

在所の人々が、夏野菜と赤ジソでつくったお漬物を持ってきたのだけど、これを建礼門院はしみじみと喜んで食べたといいます。

そのときにこの漬物を「しば漬け」と名付けたそうな。

大原にはこの時代のしば漬けを再現した、ほんとうにシンプルな製法のものが売られていて、このお漬物を買ってきて、食べたんですが、乳酸発酵の効果でものすごく酸っぱい(笑)

スーパーに売ってるしば漬けとはまったくちがう、まったく現代に迎合していない、それでいて洗練されたお漬物でした。

こんなに純朴で、風変わりで、大昔の味をつないだお漬物はめったにないとおもい、今度京都の贈りもののひとつにしようとおもったんです。

が、なにせお漬物は好き嫌いがありますから、これだけは事前に伺っておこうとおもった次第です(笑)

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