No.1577
ほんとうに医食同源とはよく言ったもので、カラダに起こる多くの問題は食生活の改善で避けられるんでしょうね。
そうはいってもなかなかじぶんの食欲と肉体と折り合いをつけるのはむずかしいことなんですが(笑)
「見えないなにかが守っていた」というお話で、以前も似た話をしたかもしれませんが、もう少し突っ込んで雑談してみようとおもいます。
アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)は一神教で、絶対神がいますよね。
ユダヤ教やキリスト教ではヤハウェとかエホバ、イスラム教ではアラーと呼ばれています。
そのような絶対神のいる宗教では、たとえば病気にかかる、死ぬというようなときも、神の思し召しによってそうなったのだと、すなおに受け入れてしまうんですね。
もちろんそうはいっても、実際にはそんなカンタンには割り切れなかったとおもいます。
生きる執着はわれわれの生命の根本ですから、生の執着を前にすれば宗教なんて方便にすぎません。
いくら頭では「主にお任せします」と繰り返しても、肉体の痛みを前にすれば、勘弁してくれ、なんとかしてくれ、と叫ぶほかないときもあるでしょう。
しかし、それでもやっぱり、われわれはじぶんの意志で生まれてきたのではないし、訪れる死もじぶんの意志ではどうしようもありません。
この理不尽にかりそめにでも納得するには、じぶんの生死にはじぶんの意志ではどうにもならないチカラが働いているとおもうほかないんですよね。
そしてその大きなチカラは、人間よりも優れた叡智をもっていて、われわれを導くために生まれさせ給い、そして死なせ給うのだと。
そう考えないと、人間は生きるにせよ死ぬにせよ、その孤独に耐えきれません。
余談ですが、ユダヤ教よりさかのぼって紀元前3000年ごろ、エジプト神話では太陽神ラーが最高神に位置付けられていました。
しかし15代エジプト王朝あたりから覇権がナイル川中流の都市テーベに移ります。
するとラーはその地で崇められていた軍神アメンと融合し、「アメン=ラー」となりました。
アメン信者がエジプト王朝の政権中枢に食い込んできたというわけです。
ちなみにファラオ(古代エジプトの王)はラー、もしくはアメンの化身とされました。
紀元前2500年ごろ、エジプト第5王朝あたりから、ファラオの即位名の最後に「ラー」の名前がつくようになります。
これは、ファラオはラーの化身であるという意味を持っていました。
歴代で200人以上いるファラオの中でもっとも有名なのはツタンカーメンでしょう。
この第18王朝のファラオの正確な名前は「トゥト・アンク・アメン」です。
日本ではこれを省略して「ツタンカーメン」と呼んでるんですね。
「アメン神によく似た御姿」というような意味なんだそうです。
エジプト王朝からさらに時を経てギリシャ神話が生まれます。
さらにギリシャ神話を模倣するかたちでローマ神話が生まれました。
ギリシャ神話の最高神はゼウス。
ローマ神話の最高神はユピテル。
このふたりはおなじ神だといわれます。
そしてゼウスもユピテルも、ゼウス=アモン、ユピテル=アモンという呼び方で、エジプトのアメン神と融合するんです。
当時の中東やヨーロッパで覇権が移り変わる中で、信じられていた神が政治権力に組み込まれて、徐々に融合していくのはおもしろい現象です
日本の神仏習合とも似ていますね。
日本の場合、かつて伊勢に「おかげ参り」の風習がありました。
伊勢神宮の門前町は「おかげ横丁」といいますが、これは江戸時代に伊勢参りのことを「おかげ参り」と呼んだことに由来しています。
なぜおかげ参りというようになったかというと諸説あります。
アマテラスのおかげさまでお参りできる、という意味。
また伊勢参りは一種の修行でしたから、道中人々に物心両面で助けを受けながら参拝の旅をします。
この、道中の人々の情けのおかげでお参りができるという意味。
個人的にはまず仏教用語として根付いていた「お蔭様」という言葉があったとおもいます。
そこに太陽神であるアマテラスの光の「影」の意味合いを重ねることで、おかげ参りとしたのではないかとおもっています。
アマテラスの光を求めて旅する「おかげ参り」というわけです。
いずれにせよ、われわれはじぶんのチカラだけでは決して生きてゆかれないのだ、という敬虔な感情がおかげ参りを支えていたのは間違いありません。
洋の東西、宗教の違いにかかわらず、われわれはじぶんの生き死にを、見えない大きな存在にゆだねて安心していたんですね。
ヘスペリジンの情報とともにお気遣いをいただき、感謝と恐縮の気持ちでいっぱいです。
気弱になりがちなタイミングでしたから、よけいにご厚意が身に沁みました。
七味につかわれる陳皮だけがこんな細かい粉末になったものがあるんですね。
みかんの甘い風味と同時に粉山椒のような風味があって、レシピを調べてみたらいろんな料理につかえそうです。
個人的に好みの味でした。
陳皮には血流をよくする働きとともに胃腸の働きをととのえる効果があるといいますし、免疫向上も期待できそうです。
大事に、かつ積極的に利用させていただきます。ありがとうございました。
そうはいってもなかなかじぶんの食欲と肉体と折り合いをつけるのはむずかしいことなんですが(笑)
「見えないなにかが守っていた」というお話で、以前も似た話をしたかもしれませんが、もう少し突っ込んで雑談してみようとおもいます。
アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)は一神教で、絶対神がいますよね。
ユダヤ教やキリスト教ではヤハウェとかエホバ、イスラム教ではアラーと呼ばれています。
そのような絶対神のいる宗教では、たとえば病気にかかる、死ぬというようなときも、神の思し召しによってそうなったのだと、すなおに受け入れてしまうんですね。
もちろんそうはいっても、実際にはそんなカンタンには割り切れなかったとおもいます。
生きる執着はわれわれの生命の根本ですから、生の執着を前にすれば宗教なんて方便にすぎません。
いくら頭では「主にお任せします」と繰り返しても、肉体の痛みを前にすれば、勘弁してくれ、なんとかしてくれ、と叫ぶほかないときもあるでしょう。
しかし、それでもやっぱり、われわれはじぶんの意志で生まれてきたのではないし、訪れる死もじぶんの意志ではどうしようもありません。
この理不尽にかりそめにでも納得するには、じぶんの生死にはじぶんの意志ではどうにもならないチカラが働いているとおもうほかないんですよね。
そしてその大きなチカラは、人間よりも優れた叡智をもっていて、われわれを導くために生まれさせ給い、そして死なせ給うのだと。
そう考えないと、人間は生きるにせよ死ぬにせよ、その孤独に耐えきれません。
余談ですが、ユダヤ教よりさかのぼって紀元前3000年ごろ、エジプト神話では太陽神ラーが最高神に位置付けられていました。
しかし15代エジプト王朝あたりから覇権がナイル川中流の都市テーベに移ります。
するとラーはその地で崇められていた軍神アメンと融合し、「アメン=ラー」となりました。
アメン信者がエジプト王朝の政権中枢に食い込んできたというわけです。
ちなみにファラオ(古代エジプトの王)はラー、もしくはアメンの化身とされました。
紀元前2500年ごろ、エジプト第5王朝あたりから、ファラオの即位名の最後に「ラー」の名前がつくようになります。
これは、ファラオはラーの化身であるという意味を持っていました。
歴代で200人以上いるファラオの中でもっとも有名なのはツタンカーメンでしょう。
この第18王朝のファラオの正確な名前は「トゥト・アンク・アメン」です。
日本ではこれを省略して「ツタンカーメン」と呼んでるんですね。
「アメン神によく似た御姿」というような意味なんだそうです。
エジプト王朝からさらに時を経てギリシャ神話が生まれます。
さらにギリシャ神話を模倣するかたちでローマ神話が生まれました。
ギリシャ神話の最高神はゼウス。
ローマ神話の最高神はユピテル。
このふたりはおなじ神だといわれます。
そしてゼウスもユピテルも、ゼウス=アモン、ユピテル=アモンという呼び方で、エジプトのアメン神と融合するんです。
当時の中東やヨーロッパで覇権が移り変わる中で、信じられていた神が政治権力に組み込まれて、徐々に融合していくのはおもしろい現象です
日本の神仏習合とも似ていますね。
日本の場合、かつて伊勢に「おかげ参り」の風習がありました。
伊勢神宮の門前町は「おかげ横丁」といいますが、これは江戸時代に伊勢参りのことを「おかげ参り」と呼んだことに由来しています。
なぜおかげ参りというようになったかというと諸説あります。
アマテラスのおかげさまでお参りできる、という意味。
また伊勢参りは一種の修行でしたから、道中人々に物心両面で助けを受けながら参拝の旅をします。
この、道中の人々の情けのおかげでお参りができるという意味。
個人的にはまず仏教用語として根付いていた「お蔭様」という言葉があったとおもいます。
そこに太陽神であるアマテラスの光の「影」の意味合いを重ねることで、おかげ参りとしたのではないかとおもっています。
アマテラスの光を求めて旅する「おかげ参り」というわけです。
いずれにせよ、われわれはじぶんのチカラだけでは決して生きてゆかれないのだ、という敬虔な感情がおかげ参りを支えていたのは間違いありません。
洋の東西、宗教の違いにかかわらず、われわれはじぶんの生き死にを、見えない大きな存在にゆだねて安心していたんですね。
ヘスペリジンの情報とともにお気遣いをいただき、感謝と恐縮の気持ちでいっぱいです。
気弱になりがちなタイミングでしたから、よけいにご厚意が身に沁みました。
七味につかわれる陳皮だけがこんな細かい粉末になったものがあるんですね。
みかんの甘い風味と同時に粉山椒のような風味があって、レシピを調べてみたらいろんな料理につかえそうです。
個人的に好みの味でした。
陳皮には血流をよくする働きとともに胃腸の働きをととのえる効果があるといいますし、免疫向上も期待できそうです。
大事に、かつ積極的に利用させていただきます。ありがとうございました。