山麓王国

No.1665

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僕という一人称は、もとをたどると召使とかしもべという意味なんだそうです。

むかしからいまのように使われていた一人称ではありません。

それが明治維新のころ、江戸末期に革命家たちが京都に集まったときに、じぶんを「僕」、相手を「君」と呼んだのが、ぼくという一人称の広まるきっかけでした。

刀を腰に差して、幕府を転覆させてやろうか、それとも外国人を打ち払おうか、と考えるようなギラギラした連中が「ぼく」と言うのだから、どうも怖いようなところがあります。

もちろん現代ではそんな毒気は抜けて、ぼくという一人称は子供がつかうか、あるいは単にへりくだった表現となりました。



しかしたとえば、総理大臣や天皇が「ぼく」では困ります。

なぜかというと、このような立場の人が公的な場で無用にへりくだって、立場をあやふやにすると、むしろ下座に構えている周囲が困るからです。

わたしは総理大臣でも天皇でもないし、そういった立場自体をこれまで嫌っていましたから、できれば一生「ぼく」でいたいとおもっていました(笑)

ところが、自治会長になると、自治会の人はじぶんが陳情を申し上げやすいように、自治会長を上座に持ち上げます。

ふだんわたしのことを名前で呼んで対等に接してくれる80代の大先輩も、陳情があるときは「ところで自治会長さん」と下座から迫ってくるのです。



つまり、「ぼく」ではどうも周囲の風当たりがおかしいから、わたしのほうから周囲の人々に忖度して、わたしを自称せざるをえなくなってきたんですよね(笑)

上座に座って神輿に乗るのは、実際には下から槍で突っつかれて、常に座り方を矯正させられるようなもので、じつに居心地のわるいものです(笑)

もっといえば、じつは下座のほうが怖い存在なんですよね。

池部良さんが「ぼく」と自称していたということですが、自然と人から持ち上げられて立場を得ることの多い方だったようですから、「ぼく」と自称してへりくだるくらいでちょうど立場が均衡するような、強い魅力の持ち主だったのでしょう。

神輿を担ぐ側が、担いでいて気分がよいというタイプの人がたまにいます。

そういうタイプの方だったのではないかと推察しました。



最近、池波正太郎が出演していた古いNHKの番組をみました。

池波さんの実際の姿をみるのは初めてでしたが、あの人はたぶんわるい人じゃないとおもいます。

が、椅子にふんぞり返って、じぶんを大きく見せようとしているのが鼻につきました。

池波正太郎は大正12年生まれで、司馬遼太郎や遠藤周作と同い年です。

池部さんよりは5つほど年下ですが、おなじ軍人の世代ですね。



謙虚な池部さんとは対照的なようですが、池波さんは池波さんで、どうせ上座にたてまつられるのならと、おもいきってふんぞり返っていたのかもしれません。

いわば神輿の乗り方のスタイルの違いです。

池波さんの場合は自然と周囲から持ち上げられるのではなく、たたき上げでのしあがっていったタイプでした。

もちろん作家としての実力はすごかったわけですから、先生、先生と持ち上げられて、自然と神輿に乗ることになります。

神輿を担ぐ側としては、池波さんが謙虚であるよりも、ふんぞり返ってくれていたほうが、たてまつってさえおればよいという点でラクだったでしょう。

そう考えると、池波さんもじぶんを持ち上げる人たちに気を遣って、わざと相手がゴマをすりやすいように、身の丈にあわぬ尊大な態度をとっていたのかもしれません。



自利が満たされてから利他が広がっていく関係性は、「衣食足りて礼節を知る」ということなのか、ということですが、その通りだとおもいます。

そこをもうすこし掘り下げていくと、衣食が足りた以上は、あとはひたすら利他に生きるほかない、というメッセージでもあるんですよね。

なぜかというと、自利から始まって利他へ広がっていく、ということが万人に共通した考えであれば、世界中の人はまずじぶんが受け取らねばならないと考えていることになります。

世界中の人が、まず最初に受け取ることだけを考えていたら、だれも与える側には回りません。

そうなると、結局だれも受け取る側に回れませんから。



ツバメの子供が巣で口をあけながらピーピー鳴いているのを「自利行為」だとすると、餌をとって巣に持ち帰って子の口に運んでやる親ツバメは「利他行為」をしていることになります。

利他行為で必死になる親ツバメがいなければ、子ツバメは自利を訴えるうちに餓死することでしょう。

人間の場合も、じぶんの自利を辛抱して、だれかの自利のために、利他的に立ち回る必要があります。

そうすることで、だれかの「衣食足りて礼節を知る」が生まれ、そして次の利他が生まれる、という循環になっているんですよね。



おまんじゅうがみっつ手元にあったとして、ひとつは家族に、ひとつは社会に分け与える。

じぶんもひとつのおまんじゅうをいただく。

ひとつだと物足りなくてガッカリなんですが、そこは辛抱しようといって、ふたつを利他として施す。

あの詩(「慈悲の瞑想」というそうです)の意味は、つまりそういうことだとおもいます。

みっつのおまんじゅうを独り占めする人ばかりだと、おまんじゅうを食べたときはおなかいっぱいで満足かもしれませんが、次にじぶんが飢えたときに、だれも手を差し伸べてくれません。

自利がまず満たされないことには利他が広がっていかない、という人間の業は、実際そうなんですが、それでも結局人間は自利の追求だけでは生きていけず、分け与えていかねばならないんですよね。

(そうでなければ、「親しい人」や「生きとし生けるもの」に祈りをささげる理由がありませんから)



ところで、キリスト教では口づけを聖なる行為と位置付けているようです。

西洋人はなにかにつけやたらとキスをしますが、キリスト教という土台があればこその行為なのでしょう。

その点キリスト教圏以外では、口づけにさしたる意味づけがありません。

イスラム教では、わざわざ公共の場でのキスは避けるべきとして戒めているくらいです。

日本の場合、接吻となると急に神聖さが失われ、それこそ「口吸い」のように、行為そのものが際立つ露骨な言葉になります。

ですから俊徳丸と許嫁の娘がもし、口づけをして病が癒えたという話になるのなら、高安から追い出された俊徳丸が、舟で朝鮮半島へこぎつけ、遠路はるばるエルサレムの聖墳墓教会へ向かい、許嫁もたまたま聖墳墓教会に行って出会う、基教説話にまで達した場合は成立するかもしれませんね(笑)



呪いの話が出ましたが、「呪」と「祝」は、語源をたどるとおなじ「祭礼のときの言葉」でした。

これがいつしか、片方はわるい意味に、片方はよい意味とわかれます。

原始宗教では、呪いと祝いは混然としていました。



たとえば八坂神社の祇園祭では、スサノオ(牛頭天王)の脅威を祓うためにお祭りをします。

人々は疫病の神を一方的に恐れるのではなくて、楽しむんですね。

楽しむことがお祓いになっているので、一生懸命楽しまないと神仏の祟りがあるぞというわけです。

祓っても祓っても、毎年呪いを鎮めるために祝うというわけで、呪いと祝いが汽水域のようになっています。

この元になったスサノオの話は、備後国風土記という、奈良時代初期に編纂された書物までさかのぼります。

古神道のころの、仏教などの影響の少ない物語は、呪いと祝いが未分化なものが多いようにおもえます。



これが室町あたりから広まった俊徳丸伝説になると、呪いは西洋の魔女がかける「魔法」に近い形となります。

この魔法を観音菩薩が解いて救済して(祝って)くれる。

呪いは呪い、救済は救済ではっきりわかれています。

またこの時代になると神仏が人間の苦しみを救う祝いの要素が出てくるんですが、こういう変化は日本の場合は平安時代あたりから起こってきたものだろうとおもいます。



現在のような科学の時代になると、呪いと祝いは科学的に分析されて、たいていのことは解明してしまったとおもいます。

さすがにそこまで考える必要もないとおもうのですが、俊徳丸のかかった業病は、いまでいうハンセン氏病だったという話さえありました。

菅原道真や平将門、崇徳天皇といった怨霊とされる歴史上の人物も、現代のわれわれが呪いのチカラを信じているかというと、もうほとんどだれも信じていません。

こういった怨霊的なものがなにか悪いものをもたらすとすれば、それは「疑心暗鬼を生ず」で、じぶんの心の働きがそういった悪いものへの感受性を高めている。

つまり、プラセボのようなことが起こっているんだ、という科学的説明がなされます(笑)



そう考えると、ネット上の「炎上」は、現代の呪いですね。

ある人の起こした行動に対して、多数の人が「けしからん」といって攻撃をする。

しかし物理的なチカラではない形で攻撃をするわけですから、この炎上を食らう人は肉体的には痛くもかゆくもない。

痛くもかゆくもないのだけど、実際に炎上を受けた人はやはりいろんな面(特に精神面や法的罰則)でひどい目にあうことが多いです。



お住まいのリフォーム工事、お疲れさまでした。

建物ひとつを多くの人で共有するわけですから、定期的に建物全体のメンテナンスが必要なのだとおもいますし、ふだんから共益費を負担なさっているのだとおもいますが、わたしの家のようなおんぼろ一軒家はだれが修繕してくれるわけでもないので、たいへんうらやましいことです(笑)

ギズモさんのお部屋には厄除け、縁起物がたくさんあるとのことですが、そういうことは、やはり精神衛生にはよいのだとおもいます。

以前仲間内で、「厄除けに意味はあるのか」という話をしたときに、ある人が「気になるならやったほうがいい」と答えました。

わたしはその答えに感心したのですが、ようするに「気のもの」なんですよね。

だから、神仏に感謝をするとか、常から身辺を祓い清めておく、といったことで、じぶんにとってよい気をまとっておくというのは、少なくとも精神衛生にはよいのでしょう。



というのも……。

また話が長くなってしまいますが、室町時代以降、日本にやってきたヨーロッパの人々は、日本人があまりにも清潔な暮らしをしていることに驚いたそうです。

もちろん清潔といっても、現代の衛生観念には遠く及ばないんですが、それでも当時のヨーロッパに比べると清潔でした。

当時のヨーロッパの食堂では、床に背の高い草の葉が敷かれていて、客は食べ終わった肉の骨や食べかすをこの草に放り込んでいたそうです。

草に紛れてしまえば、見た目はそんなに汚れたように見えないというふざけた話なんですが、この草に隠れたゴミは野良犬に食わせていました。

また当時の西洋人は家でも土足で入りましたし、みな至るところでツバを吐いていたといいます。

日本にきた宣教師が、日本人の家は清潔なので、どこでツバを吐いたらいいのかわからないといった記述が残っているくらいですから、西洋人にとって日本人は不思議な民族におもえたことでしょう。



日本人が清潔だったというのは、古神道から続く「祓い清める」という行為からきています。

たとえば神社にお参りするときに、手水場で手を洗って口をすすぎます。

あれは儀礼的なもので、現代のわれわれはあの程度の手洗いと口すすぎでは、ほとんど衛生的な効果はないと知っています。

それでもむかしの人は、神域に入るにあたってじぶんの体の不浄を清めておこう、と考えたんですね。



日本の場合はアニミズムですから、神社にかぎらずあらゆる場所に神がいます。

台所や便所も、神様がいるのだから最低限の清潔は保とうということになる。

この清潔感は、現代の衛生観念とは違うもので、細菌感染を防ぐための衛生というよりは、祓い清めるという意味ですね。

つまり、科学的合理性に基づいて細菌を落とせているか、というようなことではなくて、その行為によってきちんと祓い清められているかどうかが、とても大事なんです。



そういう意味で日本人は、山や川もきれいにしようと努めました。

家の中だって往来だって、ちゃんと掃除しておかないと神様仏様に申し訳がないとおもっていたことでしょう。

祓い清めるという観念は、キリスト教や仏教では重要ではなかったので、宣教師たちは神道独自の観念をもった日本人の生活のありようが不思議だったのだとおもいます。

そういった日本の民族性を考えると、お祓いという形での精神衛生はバカにできないとおもいます。



今回も長くなってしまいました(笑)

季節の変わり目で体調を崩しやすい時期かとおもいますし、ぼちぼち年の瀬の背中が見えてくるころで、気ぜわしくなってくる時期でもあるとおもいます。

服装や掛布団のコントロールがむずかしい時期ですが、お互い体調に留意しながら乗り切っていきましょう。

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