No.866
SNSをしてたとき、ぼくはほとんどの発信に、いいねがついたりはしても、返信はなかったんですよね。
いいねは、うるさいだけで、あんまりいいものじゃなかったです。
いいねを押す側は回覧板に印鑑押すような感覚なんですが、受け取る側はそうじゃないですよね。
ああいうことでじぶんの承認欲求を満たすというのは……たぶん満たせないんですよ。
むしろ心に競争が生まれて、苦しみのもとになる。
たとえば1万のいいねが毎回つくような人は、それが5000になると苦しむわけで。
でもふだん100ほどのいいねをもらってる人の中には、5000もいいねがつくなんて! といってうらやましがる人もいるかもしれない。
そこにあるのは結局数字であって、だれもそこに、いいねとおもってくれたひとりひとりをおもいうかべることはしません。
(というか、できない)
戦争で「〇万人の死者が出ました」というとき、亡くなったひとりひとりの尊い人生を追いかける人はほとんどいません。
〇万人という数字が、相対的に多いか少ないか。その数字で悲劇の総量を決めてしまう。
そういう状況下では、10の死者が出たときに「10人ですんだのか」とすらおもってしまうようになる。
かといって、われわれは死者の、ひとりひとりの人生をすべて受け止めることはできないし、結局は数であらわすほかないんですけどね。
だから、あんまりこういうサイトでも、アクセス解析なんてのはないほうがいいんだとおもってます。
だれが「何人来たのか」なんてことをやったところで、べつに商業的な効果を狙うサイトでもなし、分析する意味がありません。
それどころか、やっぱり満たされぬ承認欲求に苦しめられるだけですから、ひとりで書きたいことを書いてるのがいいとおもう。
この考え方は、たぶん少数派だとおもいます。
いや、「おもいます」じゃないな。
少数派である、と自信をもって言えます。
なぜなら、ネットでなにかを発信してるほとんどの人は、ぼくのようにひとりで書きものを楽しむなんてことはせず、SNSをやってるのだから(笑)
#与太話
いいねは、うるさいだけで、あんまりいいものじゃなかったです。
いいねを押す側は回覧板に印鑑押すような感覚なんですが、受け取る側はそうじゃないですよね。
ああいうことでじぶんの承認欲求を満たすというのは……たぶん満たせないんですよ。
むしろ心に競争が生まれて、苦しみのもとになる。
たとえば1万のいいねが毎回つくような人は、それが5000になると苦しむわけで。
でもふだん100ほどのいいねをもらってる人の中には、5000もいいねがつくなんて! といってうらやましがる人もいるかもしれない。
そこにあるのは結局数字であって、だれもそこに、いいねとおもってくれたひとりひとりをおもいうかべることはしません。
(というか、できない)
戦争で「〇万人の死者が出ました」というとき、亡くなったひとりひとりの尊い人生を追いかける人はほとんどいません。
〇万人という数字が、相対的に多いか少ないか。その数字で悲劇の総量を決めてしまう。
そういう状況下では、10の死者が出たときに「10人ですんだのか」とすらおもってしまうようになる。
かといって、われわれは死者の、ひとりひとりの人生をすべて受け止めることはできないし、結局は数であらわすほかないんですけどね。
だから、あんまりこういうサイトでも、アクセス解析なんてのはないほうがいいんだとおもってます。
だれが「何人来たのか」なんてことをやったところで、べつに商業的な効果を狙うサイトでもなし、分析する意味がありません。
それどころか、やっぱり満たされぬ承認欲求に苦しめられるだけですから、ひとりで書きたいことを書いてるのがいいとおもう。
この考え方は、たぶん少数派だとおもいます。
いや、「おもいます」じゃないな。
少数派である、と自信をもって言えます。
なぜなら、ネットでなにかを発信してるほとんどの人は、ぼくのようにひとりで書きものを楽しむなんてことはせず、SNSをやってるのだから(笑)
#与太話