山麓王国

全年全月8日の投稿27件]

2026年1月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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こんばんは。

仕事で外出していたため、再配達をお願いしたので、受取りとお礼が遅くなり失礼いたしました。

この度はお心のこもったものばかりをいただき、大変ありがたく、とっても恐縮しています。

だんだんお誕生日がうれしくないものとなりつつありますが、農園主さんのお心遣いの数々はとてもうれしく、思わずニコニコしてしまいました。


モロヘイヤのおうどん、初めて見ました!!

身体によさそうですし、色もきれいです。

大変めずらしいものをありがとうございます。

たまごやさんのお醤油は、色が薄いと思ったら、京都のお店のもので、京風だしまき醤油なんですね。

おだしも入っていて、甘味はオリゴ糖、これも身体によいものですね。

上品な甘さで、間違いなくおいしいと思います。

はちみつは、最近トーストに塗って食べることが多いのと、温かい紅茶に入れて寝る前に飲んでいるのですが、そろそろなくなりそうだったので、こちらも早速使わせていただきます。

チーズにかけても、最高です!!

書き足し 純国産とは、とても貴重なものをありがとうございます!

書き足しの追加 高槻で採れたハチミツなんですね。貴重以上に貴重なハチミツ。とてもぜいたくなので、ちょっとずついただきます。



お守り2体は本当に思いがけず、ありがたく頂戴し、すぐにお守り入れ(常時使っているバッグの中にお守りを入れるケースがあるので)に納めさせていただきました。

今年は絶対、いいことばかりがくるはずです(*^-^*)


覚えていてくださっただけでなく、お気持ちのこもった、たくさんのプレゼントまでいただき、心より感謝しています。

外箱は、いい加減なことはまったくないですし、お気になさるようなことではないのに、気を遣させてしまい、私のほうこそ申し訳ありませんm(_ _"m)

おかげさまで、幸先のよいお誕生日になりました。

遅くなりましたが、本年もよろしくお願いいたします(o_ _)o)


感謝の気持ちと感激がいっぱいで、お礼をうまくお伝え出来ず、ごめんなさい。



よい年末年始をご家族で過ごされたようで、なによりです。

本格的に寒くなってきそうですが、お身体には充分にお気をつけくださいね。

記事のお返事、近日中に書かせていただきますので、もう少々お待ちください<m(__)m>

本当に、本当に(語彙不足(笑))、ありがとうございました(^^♪

2025年12月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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まず、お返事がだいぶ遅くなったことをお詫びします。


今回は、私の妄想が農園主さんを悩ませてしまったようで、申し訳なかったです(笑)

私にしてみれば、ポッと浮かんだ想像に過ぎなかったのですが(だいたい理知的で理路整然とした考えから、何かを指摘したり疑問を呈したりする頭脳は皆無です(笑))、物部氏があがめたのはヘビではなく~~~という話に、農園主さんが着目していないはずはないと、思ってはいました。

でも、さほど問題にする点はないので触れていなかったのだと思いましたが、実はこれほど貴重で興味深いお話が展開されるとは、いつもに(訂正:いつにも)まして驚かされました。

点があっても、それを結びつけようとすると、どこかにつじつまが合わないところが出て、考えれば考えるほど問題が出現する。

まして、記録や書物が多数あれば、混乱は必須だと思います。

確たるものがない時代のことで、正解と言えるものが出ないテーマですが、これほど多方向から紐解いて、最適解と言える解説に、本当に感嘆しています。

ほぼひとりじめして読ませていただけるとは、本当にありがたく、申し訳なく思います。

農園主さんのお考えを読ませていただき、そこから思いついたり考えたことを、支離滅裂で雑然としていますが、書かせていただきますね。

いくら能天気な想像にしろ、理解不足で誤ったことも多いはずですので、ご指摘ください。



当然別ものだとはわかっていますが、ふと感じたことがあって、改めて、ご祭神とご神体の違いを調べてみました。

現代の神社では、神様は仏様と違い、像をお祀りするということはなく、神様を描いた掛け軸のようなものも見かけません。

袋を担いで打ち出の小槌を持っているという姿が定着している大国主命etc.は別として、姿かたちのイメージがほとんどないのが神様だと思います。

そうした場合、例えば鏡、石、岩、剣など、誰でも容易にイメージできるご神体があれば、信仰する対象として、ご神体を通して神様を拝むという行為がやりやすくなるので、実際にないかもしれないご神体を設けたのかと考えてみました。

ご神体を祀ってあるところでも、普通は参拝客どころか、神職でさえ見ることが叶わないこともあります。

岩や石のようなものは、ご神体としてしめ縄をかけ、誰でも見られることもありますが、特に鏡や剣は、神職も見られないケースもあるらしいので、実際にあるのかないのか、あやしげです(笑)

物部氏は、なにをご神体として、その向こうにいるスサノオに祈ることにしようかと考えた時、スサノウといえば、剣かヤマタノオロチだと思ったのかもしれません。



ヤマタノオロチの真赤な目は、たたら製鉄に関わる人々が炎を凝視する目を表し、お腹ににじんだ血は、燃える炎や、炉の中の溶けた鉄を表しているという説もあるようですね。

そもそも、ヤマタノオロチ伝説は、製鉄技術を持ち込んだスサノウを、英雄化、神格化するために創作されたものかもしれません。

農園主さんのお考えのように、朝鮮からやってきた(連れてこられた)とすると、その後、出雲で製鉄や治水などの技術を広め(その技術が朝鮮から持ち込んだものか、スサノウの独自のアイデアなのかはわかりませんが)、人々からあがめられるようになったけれど、そこにいまひとつ、インパクトを与えるための、ヤマタノオロチ武勇伝、といったところでしょうか(笑)

物部氏は、製鉄技術を教えてくれたスサノオを崇拝していくために、ご神体として、現実にはなかったかもしれないスサノウの剣、或いは、スサノオが退治したヘビを祀ったのでは。

剣は製鉄の象徴であり、ヤマタノオロチ伝説をあとから作ったのであれば、ヤマタノオロチはなくてはならない存在です。

また、農園主さんの前回の記事に書かれていたように、
「スサノウは高天原を追放されてから、新羅のソシモリに降り立ったが、この地にはいたくないと言い」、出雲に行ったわけですよね。


ソシモリにどのくらい滞在したのかはわかりませんが、その間に製鉄技術を仕入れたというのも、私のこじつけにすぎないでしょう(笑)

たたら製鉄は日本独自の技術なんですね。

「日本の製鉄の歴史について」という記事を引用しますが、司馬遼太郎も、「司馬遼太郎が考えたこと 14」で、製鉄の歴史と社会的意味について書いているんですね。

https://www.aichi-steel.co.jp/smart/mi/c...

年代的に、つじつまが合っているのか、そうでないのかわからないのですが、朝鮮の製鉄職能集団の技術を、スサノウが「たたら製鉄」という技術に発展させたと同時に、朝鮮からの侵略者という厄介ものを追い払った、これが、ヤマタノオロチを退治した、ということなのかもしれませんね。

製鉄という、人間の実際の生活に密着した技術と関わりがあったりすると、もう神なのか人なのかわかりませんし、神話なのか伝記なのか、グレーゾーンもいいところです(笑)

根本的な問題として、神として人々を統べたのか、人の長たるものとして統治したのか。

ここから考えたらますます泥沼ですね(笑)



スサノオとたたら製鉄のお話は、以前農園主さんが「氷川神社」の関連から、詳しく述べてくださっていました。

http://sanrokuoukoku.babyblue.jp/sanlog....

この時は、まさか物部氏と関係してくるとは、夢にも思っていませんでした(笑)

ニギハヤヒノミコトの守護者として物部氏が降臨した場所が河上哮ケ峯とは、もしかすると斑鳩の、古代の書き方なのでしょうか。



大国主命も、朝鮮から来たという説もあるようですが、神話の時代から、出雲と朝鮮は行き来があったようで(国引き神話)、朝鮮から来たかもしれないし、行ったり来たりして日本に定住したということもあるのかもしれません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%...



また話は飛びますが、なぜスサノオの話には、「8」が多いのでしょう。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣つくる その八重垣を」

まず「八雲」が「出雲」を指すことはわかります。

一般的には、八重垣に見立てた重なる雲で妻のクシナダヒメを包み込んでいるという解釈がありますが、「その八重垣」なんだと言いたいのでしょう。

ただの八重垣ではなく、出雲八重垣だと強調しているのでしょうか。

雲で八重垣を作ったらもうそれでいいのに、さらに「その八重垣を」という言葉が、なんだか暗号じみていると感じます(個人の感想です)

でも、農園主さんの「もっとたたらを踏んで、鉄を溶かして煙を上げろ 出雲に雲をなびかせよ 大事な妻を守るためにこの国をどこまでも堅固にするのだ」という解釈を読むと、暗号だのという妄想は払拭されました(笑)

スサノウにとって、やはり「出雲」が重要なポイントなのだと感じます。



クシナダヒメは蛇姫とも言われますし、ヤマタノオロチは水神とも山神とも言われているようですね。

また、クシナダヒメは8人姉妹です。

この「8」とヤマタノオロチの「8」、偶然でしょうか。

ヤマタノオロチの頭ひとつにつき、ひとりの娘・・・・。

実際は順番だったようですので無関係かもしれませんね(笑)

少し話が戻りますが、ヤマタノオロチは高志(越)の国(新潟)から来たという説もあるようなのですが、ヘビではなく、高志あたりからやってきた豪族たち侵略者が、出雲の地域を支配し住民を苦しめていたのを、スサノオが退治したというのが、無難な説かもしれません。

または、さきほど書いたように、朝鮮からの製鉄職能集団を退治した、という意味にもとれます。

実際、ヤマタノオロチのような怪物は、そうそういないだろうし、高志からの侵略者が、8人の娘を次々と差し出せといったなら、なんとなく腑に落ちます。

「8」から、何を想起させたかったのか。その謎は不明ですが。

勝手な妄想をすれば、「8」は、特に古代では「多くの数」を意味するそうですので、実際は、侵略者の犠牲になった娘は、クシナダヒメ姉妹の8人だけではなかったし、侵略者も八岐大蛇の頭と尾の数より、ずっと多かったのだと思えます。



セオニョのお話は、反物を織ったという共通のことから、織姫を連想しました。

フツとフルですが、古代朝鮮では漢字も使われていたようですので、勝手な想像になりますが、「布都」「布留」という言葉があったのなら、セオニョの布につながるようにも思えました。

そこからワカフツヌシに結びつけようと想像したのですが、まったくわかりません(笑)

それと、先ほどリンクをはった「国引き神話」のところに、

当初、作られた出雲国は「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)」によれば「狭布(さの)の稚国なるかも、初国小さく作らせり、故(かれ)、作り縫はな」という失敗作であったという。「狭布」すなわち国の形は東西に細長い布のようであったという。

ここにも「布」が出てきました。

これは、スサノウがヨノランとしてセオニョと新羅にいたが、なんらかの理由から出雲に来た、というお話に、いよいよ信憑性の高さを感じます。



物部太媛のお話も興味深いですね。

親や親族の政権争いのために、嫁ぐというより、送り込まれ、政治や権力争いに利用された女性が多いと思いますが、『成功の陰に女あり』という諺もあることですし、その影響は大きかったかもしれません。

これは、もしかすると、江戸時代の徳川家の政略結婚や縁組より、ミステリアスな気がします(笑)



話が前後したり、入り乱れて申し訳ないのですが、先日、埼玉県の、武蔵一宮氷川神社にお守りを受けに行った話をしました。

主人が上海に行ったので、事故ケガ病気のないよう、お願いして受けたお守りでしたが、無事帰ってきたので(軽い風邪をひいてきましたが)、そのお守りを納めるのと、お礼参りに行ってきました。

ご存じのとおり、ご祭神はスサノオなので、「このところ農園主さんからスサノウさまのことをいろいろ教えていただいてます」などと、お話してきました(笑)

そういえば、どこにもスサノウとヤマタノオロチのことは書いてないな、と思いながら神社を出ようとしたのですが、境内図の看板をふと見ると、「蛇の池」というのがあります。

その池のことは今までまったく知らず、行ったことはありません。

見ると、いちばん奥のところで、そんなところに道があったのも知りませんでした。

撮った写真をはりますが、スサノオとヤマタノオロチのことが書かれていました。

ネットで調べたら、この池が氷川神社の始まりであり、数年前まで禁足地だったとのこと。

少し奥まっているので、ひとりでは行きにくいところでしたが、他にもお参りしている人がいました。



農園主さんの記事からいろいろ妄想してしまいましたが、すべて、素人レベルのいいかげんな妄想です。

巳年の最後にヘビの話~~、とお書きになっていらっしゃいましたが、お返事を書き始めて下書きにためていた、ある日の真夜中です←怖い話を連想しそうな書き方ですが違います(笑)

前に雑談で書いたことがある、テレビ朝日の『全力坂』を、遅くまで起きていたので(深夜1:20くらいから5分の番組)、寝ながら携帯のワンセグで見ました。

氷川神社に行き、蛇の池もお参りした、その日の夜中です。

この日の坂は、なんと、東京都港区三田にある『蛇坂』でした。

思わず、笑ってしまいました(笑)



そろそろ農閑期が近づいてきましたね。

昨年末からの農閑期は、思いがけず体調をくずされたので、今年は元気で楽しい農閑期になりますように。

私は、今年もクリスマスコンサート、年忘れコンサートなどが控えているので、お互いに絶好調な体調で過ごしましょう(^^)v

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2025年10月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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僕という一人称は、もとをたどると召使とかしもべという意味なんだそうです。

むかしからいまのように使われていた一人称ではありません。

それが明治維新のころ、江戸末期に革命家たちが京都に集まったときに、じぶんを「僕」、相手を「君」と呼んだのが、ぼくという一人称の広まるきっかけでした。

刀を腰に差して、幕府を転覆させてやろうか、それとも外国人を打ち払おうか、と考えるようなギラギラした連中が「ぼく」と言うのだから、どうも怖いようなところがあります。

もちろん現代ではそんな毒気は抜けて、ぼくという一人称は子供がつかうか、あるいは単にへりくだった表現となりました。



しかしたとえば、総理大臣や天皇が「ぼく」では困ります。

なぜかというと、このような立場の人が公的な場で無用にへりくだって、立場をあやふやにすると、むしろ下座に構えている周囲が困るからです。

わたしは総理大臣でも天皇でもないし、そういった立場自体をこれまで嫌っていましたから、できれば一生「ぼく」でいたいとおもっていました(笑)

ところが、自治会長になると、自治会の人はじぶんが陳情を申し上げやすいように、自治会長を上座に持ち上げます。

ふだんわたしのことを名前で呼んで対等に接してくれる80代の大先輩も、陳情があるときは「ところで自治会長さん」と下座から迫ってくるのです。



つまり、「ぼく」ではどうも周囲の風当たりがおかしいから、わたしのほうから周囲の人々に忖度して、わたしを自称せざるをえなくなってきたんですよね(笑)

上座に座って神輿に乗るのは、実際には下から槍で突っつかれて、常に座り方を矯正させられるようなもので、じつに居心地のわるいものです(笑)

もっといえば、じつは下座のほうが怖い存在なんですよね。

池部良さんが「ぼく」と自称していたということですが、自然と人から持ち上げられて立場を得ることの多い方だったようですから、「ぼく」と自称してへりくだるくらいでちょうど立場が均衡するような、強い魅力の持ち主だったのでしょう。

神輿を担ぐ側が、担いでいて気分がよいというタイプの人がたまにいます。

そういうタイプの方だったのではないかと推察しました。



最近、池波正太郎が出演していた古いNHKの番組をみました。

池波さんの実際の姿をみるのは初めてでしたが、あの人はたぶんわるい人じゃないとおもいます。

が、椅子にふんぞり返って、じぶんを大きく見せようとしているのが鼻につきました。

池波正太郎は大正12年生まれで、司馬遼太郎や遠藤周作と同い年です。

池部さんよりは5つほど年下ですが、おなじ軍人の世代ですね。



謙虚な池部さんとは対照的なようですが、池波さんは池波さんで、どうせ上座にたてまつられるのならと、おもいきってふんぞり返っていたのかもしれません。

いわば神輿の乗り方のスタイルの違いです。

池波さんの場合は自然と周囲から持ち上げられるのではなく、たたき上げでのしあがっていったタイプでした。

もちろん作家としての実力はすごかったわけですから、先生、先生と持ち上げられて、自然と神輿に乗ることになります。

神輿を担ぐ側としては、池波さんが謙虚であるよりも、ふんぞり返ってくれていたほうが、たてまつってさえおればよいという点でラクだったでしょう。

そう考えると、池波さんもじぶんを持ち上げる人たちに気を遣って、わざと相手がゴマをすりやすいように、身の丈にあわぬ尊大な態度をとっていたのかもしれません。



自利が満たされてから利他が広がっていく関係性は、「衣食足りて礼節を知る」ということなのか、ということですが、その通りだとおもいます。

そこをもうすこし掘り下げていくと、衣食が足りた以上は、あとはひたすら利他に生きるほかない、というメッセージでもあるんですよね。

なぜかというと、自利から始まって利他へ広がっていく、ということが万人に共通した考えであれば、世界中の人はまずじぶんが受け取らねばならないと考えていることになります。

世界中の人が、まず最初に受け取ることだけを考えていたら、だれも与える側には回りません。

そうなると、結局だれも受け取る側に回れませんから。



ツバメの子供が巣で口をあけながらピーピー鳴いているのを「自利行為」だとすると、餌をとって巣に持ち帰って子の口に運んでやる親ツバメは「利他行為」をしていることになります。

利他行為で必死になる親ツバメがいなければ、子ツバメは自利を訴えるうちに餓死することでしょう。

人間の場合も、じぶんの自利を辛抱して、だれかの自利のために、利他的に立ち回る必要があります。

そうすることで、だれかの「衣食足りて礼節を知る」が生まれ、そして次の利他が生まれる、という循環になっているんですよね。



おまんじゅうがみっつ手元にあったとして、ひとつは家族に、ひとつは社会に分け与える。

じぶんもひとつのおまんじゅうをいただく。

ひとつだと物足りなくてガッカリなんですが、そこは辛抱しようといって、ふたつを利他として施す。

あの詩(「慈悲の瞑想」というそうです)の意味は、つまりそういうことだとおもいます。

みっつのおまんじゅうを独り占めする人ばかりだと、おまんじゅうを食べたときはおなかいっぱいで満足かもしれませんが、次にじぶんが飢えたときに、だれも手を差し伸べてくれません。

自利がまず満たされないことには利他が広がっていかない、という人間の業は、実際そうなんですが、それでも結局人間は自利の追求だけでは生きていけず、分け与えていかねばならないんですよね。

(そうでなければ、「親しい人」や「生きとし生けるもの」に祈りをささげる理由がありませんから)



ところで、キリスト教では口づけを聖なる行為と位置付けているようです。

西洋人はなにかにつけやたらとキスをしますが、キリスト教という土台があればこその行為なのでしょう。

その点キリスト教圏以外では、口づけにさしたる意味づけがありません。

イスラム教では、わざわざ公共の場でのキスは避けるべきとして戒めているくらいです。

日本の場合、接吻となると急に神聖さが失われ、それこそ「口吸い」のように、行為そのものが際立つ露骨な言葉になります。

ですから俊徳丸と許嫁の娘がもし、口づけをして病が癒えたという話になるのなら、高安から追い出された俊徳丸が、舟で朝鮮半島へこぎつけ、遠路はるばるエルサレムの聖墳墓教会へ向かい、許嫁もたまたま聖墳墓教会に行って出会う、基教説話にまで達した場合は成立するかもしれませんね(笑)



呪いの話が出ましたが、「呪」と「祝」は、語源をたどるとおなじ「祭礼のときの言葉」でした。

これがいつしか、片方はわるい意味に、片方はよい意味とわかれます。

原始宗教では、呪いと祝いは混然としていました。



たとえば八坂神社の祇園祭では、スサノオ(牛頭天王)の脅威を祓うためにお祭りをします。

人々は疫病の神を一方的に恐れるのではなくて、楽しむんですね。

楽しむことがお祓いになっているので、一生懸命楽しまないと神仏の祟りがあるぞというわけです。

祓っても祓っても、毎年呪いを鎮めるために祝うというわけで、呪いと祝いが汽水域のようになっています。

この元になったスサノオの話は、備後国風土記という、奈良時代初期に編纂された書物までさかのぼります。

古神道のころの、仏教などの影響の少ない物語は、呪いと祝いが未分化なものが多いようにおもえます。



これが室町あたりから広まった俊徳丸伝説になると、呪いは西洋の魔女がかける「魔法」に近い形となります。

この魔法を観音菩薩が解いて救済して(祝って)くれる。

呪いは呪い、救済は救済ではっきりわかれています。

またこの時代になると神仏が人間の苦しみを救う祝いの要素が出てくるんですが、こういう変化は日本の場合は平安時代あたりから起こってきたものだろうとおもいます。



現在のような科学の時代になると、呪いと祝いは科学的に分析されて、たいていのことは解明してしまったとおもいます。

さすがにそこまで考える必要もないとおもうのですが、俊徳丸のかかった業病は、いまでいうハンセン氏病だったという話さえありました。

菅原道真や平将門、崇徳天皇といった怨霊とされる歴史上の人物も、現代のわれわれが呪いのチカラを信じているかというと、もうほとんどだれも信じていません。

こういった怨霊的なものがなにか悪いものをもたらすとすれば、それは「疑心暗鬼を生ず」で、じぶんの心の働きがそういった悪いものへの感受性を高めている。

つまり、プラセボのようなことが起こっているんだ、という科学的説明がなされます(笑)



そう考えると、ネット上の「炎上」は、現代の呪いですね。

ある人の起こした行動に対して、多数の人が「けしからん」といって攻撃をする。

しかし物理的なチカラではない形で攻撃をするわけですから、この炎上を食らう人は肉体的には痛くもかゆくもない。

痛くもかゆくもないのだけど、実際に炎上を受けた人はやはりいろんな面(特に精神面や法的罰則)でひどい目にあうことが多いです。



お住まいのリフォーム工事、お疲れさまでした。

建物ひとつを多くの人で共有するわけですから、定期的に建物全体のメンテナンスが必要なのだとおもいますし、ふだんから共益費を負担なさっているのだとおもいますが、わたしの家のようなおんぼろ一軒家はだれが修繕してくれるわけでもないので、たいへんうらやましいことです(笑)

ギズモさんのお部屋には厄除け、縁起物がたくさんあるとのことですが、そういうことは、やはり精神衛生にはよいのだとおもいます。

以前仲間内で、「厄除けに意味はあるのか」という話をしたときに、ある人が「気になるならやったほうがいい」と答えました。

わたしはその答えに感心したのですが、ようするに「気のもの」なんですよね。

だから、神仏に感謝をするとか、常から身辺を祓い清めておく、といったことで、じぶんにとってよい気をまとっておくというのは、少なくとも精神衛生にはよいのでしょう。



というのも……。

また話が長くなってしまいますが、室町時代以降、日本にやってきたヨーロッパの人々は、日本人があまりにも清潔な暮らしをしていることに驚いたそうです。

もちろん清潔といっても、現代の衛生観念には遠く及ばないんですが、それでも当時のヨーロッパに比べると清潔でした。

当時のヨーロッパの食堂では、床に背の高い草の葉が敷かれていて、客は食べ終わった肉の骨や食べかすをこの草に放り込んでいたそうです。

草に紛れてしまえば、見た目はそんなに汚れたように見えないというふざけた話なんですが、この草に隠れたゴミは野良犬に食わせていました。

また当時の西洋人は家でも土足で入りましたし、みな至るところでツバを吐いていたといいます。

日本にきた宣教師が、日本人の家は清潔なので、どこでツバを吐いたらいいのかわからないといった記述が残っているくらいですから、西洋人にとって日本人は不思議な民族におもえたことでしょう。



日本人が清潔だったというのは、古神道から続く「祓い清める」という行為からきています。

たとえば神社にお参りするときに、手水場で手を洗って口をすすぎます。

あれは儀礼的なもので、現代のわれわれはあの程度の手洗いと口すすぎでは、ほとんど衛生的な効果はないと知っています。

それでもむかしの人は、神域に入るにあたってじぶんの体の不浄を清めておこう、と考えたんですね。



日本の場合はアニミズムですから、神社にかぎらずあらゆる場所に神がいます。

台所や便所も、神様がいるのだから最低限の清潔は保とうということになる。

この清潔感は、現代の衛生観念とは違うもので、細菌感染を防ぐための衛生というよりは、祓い清めるという意味ですね。

つまり、科学的合理性に基づいて細菌を落とせているか、というようなことではなくて、その行為によってきちんと祓い清められているかどうかが、とても大事なんです。



そういう意味で日本人は、山や川もきれいにしようと努めました。

家の中だって往来だって、ちゃんと掃除しておかないと神様仏様に申し訳がないとおもっていたことでしょう。

祓い清めるという観念は、キリスト教や仏教では重要ではなかったので、宣教師たちは神道独自の観念をもった日本人の生活のありようが不思議だったのだとおもいます。

そういった日本の民族性を考えると、お祓いという形での精神衛生はバカにできないとおもいます。



今回も長くなってしまいました(笑)

季節の変わり目で体調を崩しやすい時期かとおもいますし、ぼちぼち年の瀬の背中が見えてくるころで、気ぜわしくなってくる時期でもあるとおもいます。

服装や掛布団のコントロールがむずかしい時期ですが、お互い体調に留意しながら乗り切っていきましょう。

2025年4月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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病院に、それも自治会の書類をお預けになってから行かれたとのことですが、よくない結果を予期して、相当意を決して受診なさったことでしょう。
エコーまでして異状なしは安心ではありますが、その場でまだ違和感があったというのでは、逆に検査結果を疑うお気持ちになったかもしれません。

検査で異状が見つからなくても、身体が「気をつけなさい」というシグナルを発している状態なのでしょう。

ずいぶん前ですが、ずっと胃の具合が悪く、病院に行きました。
胃潰瘍かもしれないとのことで、H2ブロッカー薬を一ヶ月飲まされました。
けっこう大変な副作用が起きましたが、その中でどうにもつらかったのが、鬱でした。
薬は、体だけでなく、精神面にも作用するんですね。

一ヶ月後も胃の状態が軽快していないため、胃カメラの検査をしましたが、検査の間に医師が何度も「あれ?あれ?」と言うんです。
それを聞いて血の気が引き、たぶん顔面蒼白になっていたはずです(笑)
これはもう癌かと。

ところが結果は「異状なし」でした。
医師が言うには、潰瘍もなければ、薬で潰瘍が治ったあともなく、異状なしと。

実際、胃の不調は続いていたので、農園主さんのように、狐につままれた気分でした(笑)

こうなると、どんな医者でも診断はひとつ。
「ストレスですね」・・・・・・・・。

私が思うに、たまたま起きた胃の不具合が、薬によって助長されてしまったのだと。
確かしばらくして治った記憶はありますが、食べたものや生活状況、睡眠時間など、いろいろな原因(遠因)で、胃腸はすぐ影響がでますね。

食事で健康を保つのは、簡単なようでなかなか難しい面もありますが、いろいろと研究なさって取り組んでいらっしゃるのには、頭が下がります。

梅干しのお話、たった小梅ふたつでそんなに違うものなんですね。
夏の脱水症予防も、水分プラス塩分と言いますし、適度な塩分は必要ですね。

「人生の大事さは人生の後半になって徐々に理解できてくるのだなあと~」、これ、ものすごく同感します。
私の場合、徐々にではなく、いきなりでした。
一日を大切に生きることとか、健康が一番とか、わかったつもりになっていて、きちんと向き合うことをせず、その大切さにまったく気づいていませんでしたが、最近、突然悟りをひらいたように理解できたんですよね(笑)



ここからは引用した話になりますが、そのひとつめは、農園主さんの記事が投稿される数時間前に見つけた話です。

サッカー元日本代表、鈴木啓太氏(知りませんが(笑))の話の抜粋です。
「2004年アテネオリンピックのアジア最終予選の時、ドバイに到着して3日後くらいから、一人また一人と下痢に苦しむ選手が増えていき、最終的には代表メンバーの23人中18人が下痢になりました。
それも単なる下痢ではありません。猛烈にひどい水下痢です。しかも、もうすぐキックオフ。
試合開始の5分前にまでトイレに行列ができていたことなんて、サッカー日本代表の歴史上いまだかつてなかったと思います(笑)
冗談半分で「もうオムツつけてプレーするしかない!」とか言ってる奴がいて、笑うしかありませんでした(笑)
しかし僕は代表23人のメンバーのうちで、下痢をしなかった5人の一人でした。なぜ下痢をしなかったのか。僕はその理由をはっきりと言えます。
それは食後にはいつも温かい緑茶を飲み梅干しを食べていたからです。
静岡出身だからというわけでもないのですが、海外遠征にはいつも緑茶を持参します。
それと、祖母から代々続く手作りの梅干しも持っていきます。


この鈴木氏の話をもっと早く読んでいたら、先日の感染性胃腸炎を簡単に乗り越えられたかもしれないと、いたく後悔しました(笑)

「おさかなすきやね」は、ゆるゆるペースで続けていますが、梅干しもプラスし、「おさかなすきやね、うめ~~!!」で行きます(笑)

とは言え、庶民の味方のはずが、なんでこんなに高いんでしょうね~。
サプリより高いです(-_-;)
そして、塩分控えめとか、はちみつ入りとかで、梅干し本来のおいしさがなくなっていますね。


数日前、急に出先で二時間ほど時間をつぶさなくてはならなくなり、困りました。
しかたなくたまにお参りしている真言宗のお寺に行ってみたのですが、ちょうど桜が満開で、花まつり期間ということもあり、賑わっていました。
小さなお釈迦様に甘茶をかけたり、おみくじをひいたり、お不動さまにお参りしたりして、なんとか30分ほど過ごしました。

その後、本屋さんで本を買って、マックで読もうと思いましたが、さびれた本屋さんで、文庫の新刊も満足にありませんでした。
20分も迷った末(この時点で50分つぶせました(笑))、東京農業大学名誉教授の小泉武夫さんという方の『江戸の健康食』という文庫を買いました。
初版は2024年5月です。

マックの中でパラパラ、ほんの数ページ読んだだけですし、農園主さんには釈迦に説法ですが、ちょっと興味をひいたところを引用しますね。


まず、「まえがき」から(書き足し)抜粋した引用です。
江戸期は学問、文芸、芸術などが一大発展し、今日の日本文化の礎となった時代であった。食文化ににおいても、日本人の「和食を中心とする食事形態」がこの時代に定着し、形づくられていった。

江戸時代には、「食べものは医者である」「食べものは薬である」という、「医食同源」「薬食同源」の考え方が、すでに料理にあまねく浸透していたということだ。

江戸時代全体を通して、飲食と健康にかかわる諺が多数出てくることも興味をそそられる。

これらの諺は、「食事が心と体を育むのに、いかに大切なことか」をひろく大衆に伝えることにつながっていた。

病院もなく、医者に診てもらえる人もわずか、そのうえ薬も簡単には手に入らない江戸の人たちへの教育手段のひとつだったのである。

「朝茶は七里帰っても飲め」「朝茶はその日の難のがれ」。朝のお茶は心を落ちつけ、心身を醒まし、胃の働きを活発にしてくれる。健康上はなはだよろしい。



このあと、
甘酒・納豆・味噌汁・漬物・糠みそ・豆腐・凍りもの・蕎麦・天麩羅・煮物・梅干し・粥・鯨・貝・刺身・干物・大根・干し野菜・芋・食花・葱etc.と、ひとつの食品について、健康効果や説明が3ページずつ書かれているのですが、「梅干し」のところでは、
梅干しの「整腸・食欲増進・殺菌作用」だけでなく、紫蘇の薬理効果「鎮咳・健胃・解毒・防腐」もあると書かれています。


最後の項目として、日本酒について書いてあるのですが、おもしろいところを抜粋します。

二日酔いのときは長唄の二曲も唄うべし。

文化二年のハウツー本『武家飲酒肝要記』の中の「余酔予防の法」、二日酔いにならない方法というのがあり、現代医学からみてもうまく説明がつくので感心させられる。
その極意のひとつに「背を丸めて飲むことは甚だ不可である。必ず背筋を伸ばし、正しい姿勢で嗜む可し」と説いている。
これは背を丸めて飲むと、体内に送り込まれる酸素の量が少なくなる。姿勢をピンを張って飲むと、酸素が多くなる。
呼吸のとき、呼気とともに体内の未消化の酒精分の一部が排出され、さらに体内に新鮮な酸素が供給されるので、酒精の体内酸化分解も促進され、酔った体に優しさが加わる。


長唄も、要するに深く息を吸って静かに吐き出すので、体内に残った酒精が吐息とともに排出される、ということでした。

やはり姿勢は大事なんですね。
姿勢が悪いと体内に酸素を送る量が激減するので、呼吸器や内臓に悪影響がでて当然です。

上体のストレッチ、さっそくやっています。ありがとうございます。

ストレッチチューブ、持っていますが、8の字ではなくまっすぐで、30cmくらいのものです。
数年前買いましたが、見るだけになっています(笑)

伸ばすとずいぶんと気持ちがいいですね。
呼吸が楽になるだけでなく、肩こりや目にも効果があります。
頑張って(というほどのことでもないですが)、続けます!!


任意保険の値上がり、ひどすぎますね。
段階的に上がるのでも納得できないのに、いきなりその上がり方はおかしいです。
お仕事で不可欠なものなのに、情け容赦もない仕打ちです。

物価の高騰はある程度はしかたないとしても、あまりに理不尽な値上がりは、どこかで止まってくれないと、暮らしが立ち行かなくなる人がどんどん増えてくるように思います。

2025年2月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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詳しいご病状を知らないのに、食事で軽快すると思うなどと、軽々しいことを書いてしまい申し訳なかったです。

納豆のように簡単に食べられるものでも、食べ続けるのはなかなか厄介なことですよね。
精神的な負担になっては却ってよくないし、ほどほどでいいのかもしれません。

今回の記事を読ませていただき、一神教の国と違い、日本人というのは本当にありとあらゆる神仏に祈れる民族なんだな、と改めて感じます。
神様仏様だけでなく、道端の石ころや太陽、月、木々、葉や花、川に海など、森羅万象に感謝の念を抱き、拝むことができるのは、日本人だけかもしれません。

ありがとう、おかげさまで、の心にもつながっているように思います。

寺社仏閣は祀ってある神仏がそれぞれ違うのに、こだわらずに参拝する人は多いですよね。
ここはオオクニヌシだからやめようとか、観音様だからやめようとか、そんな人はあまりいないと思います。
これは、八百万の神、仏様など、祈る対象がたくさんあることや、「宗教」「信仰」という、あらたまった向き合い方をしない、日本人独特の宗教感だと思えます。

「おかげまいり」のことからふと思ったのですが、ご祭神の天照大神を理解してはるばる行ったのか、とてもありがたい神様がいらっしゃる神社だから行こうと思ったのか、そのあたりはどうなんだろうと。

そんなことを突き詰めるつもりはないのですが、現代にしても、「伊勢神宮」だから行こう、という認識なんだろうと思えます。


一神教やエジプト、ギリシャ神話などの、わかりやすく詳しいお話をありがとうございます。

『当時の中東やヨーロッパで覇権が移り変わる中で、信じられていた神が政治権力に組み込まれて、徐々に融合していくのはおもしろい現象です』
これは本当に興味深いことですね。
日本だと、仏教が入ってきた時も、それを政治に利用してきたし、神道にしてもそういったことがあったかと思います。

日本は雑多な宗教が入り混じっていますが、一神教の国であれば、また日本とは違う経緯があったのでしょう。

どの国でも、政治と宗教は切り離せないところがあるわけですね。

そういえばトルコは、イスラム圏でありながら、政治と宗教を分断した歴史がありましたね。
東洋と西洋の文化が入り混じる、不思議な国です。

神仏は、一般的には見えないし、声も聞こえません。
それは、どんなに熱心な信者であっても、神仏を信じない人であっても、同じことでしょう。

結局は、唯物論のように、自分の心が作り出しているということになってしまうのでしょうが、見えないものを信じ、すがり、支えにして生きていくことができるのは、人間の特権かもしれませんね。

『洋の東西、宗教の違いにかかわらず、われわれはじぶんの生き死にを、目に見えない大きな存在にゆだねて安心していた』
人間として生まれてきた以上、このように生きていきたいと思います。


今年は節分・立春が一日ばかり早かったですね。
恒例の(笑)、吉方位へのプチ旅行に、2泊で行ってきました。

北が吉方位のひとつだったので、近場ですが、宇都宮の「二荒山神社」にお参りしてきました。
ここは、日光東照宮のそばの二荒山神社(ふたらさん)と同じ字を書きますが、「ふたあらやま」というそうです←ややこしい・・・。

本殿に行く階段が95段ということでしたので、楽して脇の女坂から行こうとしましたが、初めてのお参りでしかも立春。
心と体に鞭打って、階段から上がりました。

30代くらいの人たちもふうふう言ってましたので、私だけじゃないです(笑)

この時神様に、「私、一生懸命上ってますよ」的なことを心の中でお話していたのですが、上がりきったとたん、曇っていたのに、サーっと陽が差してきたのは、とてもありがたい気持ちでした。
神様が「よしよし、がんばって上ったからご褒美じゃ」と言った、、かも(笑)


初めてだったのですが、なんとなくいい気を感じたので、ご祈祷を申し込みました。
30分に一度あるのですが、私の回は、私一人で、ラッキーでした。

今どきは畳の上でも椅子が置かれていますが、こちらの神社の本殿では畳に正座ということで、しびれたらどうしようと悩んでいるうち、あっという間に終わりました(笑)

次の日は栃木県立美術館に行きました。
県立美術館は、どこでも、その県出身の作家がメインですので、あまり知らない人ばかりでしたが、著名な画家や外国人の絵もあり、けっこう楽しめました。
とってもひまな静かな美術館で、私の他、ふたりしか見かけませんでした。

帰ろうとして、ふと外を見たら、なんと雪が降っていました!!
1時間ほどでやみましたが、東京ではこの冬降りそうもないので、ラッキーでした。

写真をご覧いただくとわかると思いますが、鳥居を入ってすぐのところに赤いお賽銭箱が置いてあります。
宇都宮の慣習かと思っていましたが、今、投稿するにあたり、理解できました。
階段はもちろん、女坂から上っても、本殿まで参拝に行くのはおっくうなこともあるので、上まで行かなくてもいいから、とりあえずここでお参りしてお賽銭を入れていきなさい、という意味なのでしょうね(笑)

毎日通る近所の方々には、とても合理的なシステムだと思いました(毎日通っても毎日お賽銭は入れないでしょうが)。


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2025年1月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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あ~~なんだかすごく気を遣わせてしまったようで、本当にごめんなさい。

本名と年齢以外は、書いていただいてまったく差し支えありませんので、以後はお気遣いなくお願いします←年齢はお教えしていませんが(笑)

クセが強い、とは感じませんでした。おいしいです(*^-^*)

カレー粉の辛さのお気遣いもありがとうございます。
唐辛子は入っていないです。
カレーの他、お肉や目玉焼きに振ったり、おでんのおつゆに足したり、いろいろ使わせていただきます。

スパイスは健康にもいいし、大好きなんです。

ありがとうございました<m(__)m>
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ああ、よかったです(笑)

お誕生日控えているのを意識して……こういうことは意識し始めると、いわゆるイップスのような症状になってしまって。

ここは検索NGに設定はしていますが、それでもオープンな場で伝えてよいものか、とか、もしなにかお話するとしたらまったく触れないのもヘンだし、かといって事前に話すのもどうか……など気になるともう沈黙がいちばんのような気がして、黙っていました。



ちなみにカレー粉は「辛くないカレー粉」を選んだんですが、唐辛子などが入っていないか、原材料をご確認くださいね。

以前、気管支を気づかって辛いものを避けているとうかがいましたので、こういう機会ですから一度試していただこうとおもいまして。

味付けはないスパイスですので、カレー風味にしたい料理にご活用いただけるかとおもいます。



生しば漬けは、平徳子の物語がないと、なにがなにやら戸惑う味だったこととおもいます。
あるいは、平徳子の物語があっても戸惑うかもしれません。

朝廷でおいしいものを食べていた平徳子が、寂光院で地元の人々がつくってきてくれたあのお漬物をいただいたとき、素朴な味わいに、おそらくは感謝と気遣いも込めて、ねぎらいの言葉をかけた。

ただそれだけのことが、ずっと伝説になって続いてるんですね。

平安時代の物語の味がそのまま商品になっているのはめずらしいとおもったんですが、なにせクセのつよい味ですから、先月から強引に平家物語の解説をして、ご理解をたまわろうとした次第です(笑)



指、そんなに深く切れてたんですね。

病院に行かれたとのことですから化膿はないとおもいますが、指ですからなかなか使わずに温存というわけにもいかないとおもいます。

どうかご無理のないように、すこしでも早く治りますように。
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今日は、思いがけず、お心を尽くしたお品物をいただき、誠にありがとうございました。

今朝何気なく外を見たら、遠くに金色に輝く丸いものが見えたので、太陽かと思いました。
時刻を確認したらぴったり日の出の時間だったので、今年は初日の出を見ていないため超ラッキーと思ったのですが、よく考えたら西から陽が昇るわけがありません(笑)

太陽でなくても、朝からお天気がよく、金色の何か(おそらく高速道路で光っていたランプでしょう)を見て、なんだかいい日だなと思ったところに、メールをいただき、さらにいい日になりました。

今年は喪中のため、松飾り・鏡餅・おせち料理、三が日の初詣を控えましたが、先ほど、近所の氏神様にお参りして来ました。

昨日は、茨城県の大洗磯崎神社(訂正:大洗磯前神社)と、兄弟社である酒列磯崎神社(訂正:酒列磯前神社)に行ったのですが、何度か晴れているのに雨が降るという、不思議な日でした。

早速ひとつ、いただきました。
生の方です。
あ~~こういう味なんだ~と感激しました。
建礼門院の頃は、こういう素朴で、素材の味が際立つ味わいだったのでしょうね。

この味のものは初めて食べました。
説明にあるように、お醤油をかけるとまた味わいが違うのでしょうが、このままがおいしいですね。
刻んであるので、マヨネーズと混ぜて、シバタルタルソースも作ってみたいと思います。

シロップもとってもうれしかったです。
ずいぶん前にお話したように思いますが、アレルギー体質に効果がありそうだったので、一時大分の紫蘇ジュースを飲んでいたのですが、飲んでいる時は軽快していた気がします。
けっこう高価なので、やめてしまって1年以上しますが、これを機にまた飲んでみようかなと思います。

と打っている間に、開けさせていただきました。
とても飲みやすく、甘くておいしく、紫蘇の味が優しいですね。
お砂糖がてんさい糖というのもうれしいです。
だいじに飲ませていただきます。

インデラカレー、あの有名なナイルで出しているんですね。知りませんでした。
こういうスパイス、大好きです!!
これでカレーを作っていらっしゃるのでしょうか?
タンドリーチキンにも使えますね。

お心づくしの品々、本当にありがとうございました(人''▽`)
どれも、少しずつ大事にいただきます。

平氏や安徳天皇、徳子、ガラシャ夫人など、史料が少なかったり信憑性があやふやだからこそ、いろいろ想像できるのは魅力的ですね。
なにが正確な出来事なのかを知ることより大切な、歴史の捉え方かと思います。

観てもらった昨年の運勢ですが、気落ちしたり健康を害することもあるけれど、何か新しいことを学ぶとよい、ということだったんです。
農園主さんのブログで多くの事を学ばせていただいているので、大難が小難ですんだように思っています。
ありがとうございました。

指のケガの直り(訂正:治り)がはかばかしくなく、いつまでたっても傷が開いているように見えるため、おととい違う皮膚科で受診したところ、角層なのであと一ヶ月はかかります、と言われました(笑)
包丁も持てないので、困ります←手抜きできてうれしいですが(笑)

そちらはずいぶん寒くなってきているのではないでしょうか。
お身体に気をつけて、充実した農閑期をお過ごしください。

今日は、ハレの日でなく、普段どおり過ごす予定でしたが、思いがけずよい日になりました(私のご飯はスーパーで買った焼きそばです(*^-^*))

本当に、ありがとうございましたm(_ _"m)
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おはようございます。
不躾ですがメールを送らせていただきました。

2024年4月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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ありがとうございます(o_ _)o))

3年ほど前に転倒したことから要介護の認定となり、それからは家に区のヘルパーさんが来てくれていたのですが、ホームに入居したほうが安心だと思ったらしく、行政にも相談し、適当な有料老人ホームを探してもらったようです。

比較的安い所も一時金が怖ろしく高い所(マンションを買える値段)もまったく空きがない状態で、かなり待たされてやっと、都心からは少し離れた、交通が不便な所に空きがでて、入居した次第です。

空きが出るという事は、どなたかが亡くなったということなのでしょうね。

少しばかり歩行がつらい時はあったようですが、寝たきりにも痴呆にもならず、元気でいてくれたことにはホッとしました。

責任の所在、確かにいろいろつきつめると、本当にややこしいことになりますね。

今回は、行政とホームの責任もありますが、おおもとの問題は私です。
そのホームに入居したことは聞いていたので、たとえ行かなくてもホームと連絡を密にしていれば、今回のようなことにはならなかったと思います。


そう言えば、市販の冷凍野菜は、解凍しないで調理するように書かれているかもしれません。
先日、ブロッコリーとカリフラワーなどが入った西洋野菜ミックスの冷凍品を、解凍してから炒めたら、ぐちゃぐちゃになってしまいました。


テスカトリポカ、ネットでネタバレ感想を見ると、かなり精神的にまいってしまう作品のようですね。
以前、東野圭吾の「さまよう刃」で、ずいぶんと神経をやられました。
あれとは内容が違うでしょうが、小説で受ける影響というのは、けっこう大きいものですね。


昨日、所用があり、義弟の車で妹と千葉方面に行きました。
首都高から降りても、コンビニもスーパーはもちろん、道の駅や直売所というものがまったくなく、妹が「埼玉と全然違うね~、野菜を買うのを楽しみにしてたのに」と。

野菜があまりとれない県なのか他に理由があるのかはわかりませんが、有名なのは落花生と鉄砲漬けくらいなのかもしれません。

若葉というから東京23区のようなイメージだったのですが、山の中で、近くの公園の桜は5~6分咲き、蛙とウグイスが大きな声で鳴いていて、伸び伸びとした春を味わうことができました。



ところで、農園主さんは麻疹はかかっていますか?
最近はやっているようですので、もしまだのようでしたらお気をつけください。
私は小学校の頃かかりましたが、稀にですが2回感染することもあるらしいので、ちょっと怖いです(;´Д`)

2024年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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神仏には失礼かもしれませんが、身も蓋もない言い方をしてしまえば、所詮あとから人間が当てはめたものであって、仰るとおり「勝手に選ばれて」しまっていますよね。

高校三年生の時つきあっていたBFが、受験の時に身につけていくようにと、十二支の守り本尊のネックレスをくれました。
はっきり覚えていませんが、偽物のヒスイみたいな仏像がついたネックレスでした。

そんなもの(仏様、ごめんなさい)つけて受験に行く女子はいませんよね。
でも、私は素直なので、つけていきました。

・・・落ちました(笑)

その仏様に恨みはありません。
今思えば、高3男子がそんなものをくれた不可解さ・・・。
宗教には関係ない一家だとは思うのですが、なんだったんでしょう(^_^;)

それが原因ではありませんが、その後、別れました(笑)

私は、ほぼすべての神仏が、それなりに守ってくれていると思うことにしています。
よく仏様のヒエラルキーのような図を見ますが、私も上座、下座は無いように思います。
役目が違うということはあるかもしれませんが、何かに特化している(恋愛にご利益があるとか、勝負にご利益があるとか)というのも、あとから人間が決めたことかもしれません。


男子の聖闘士星矢、女子のセーラームーン、ですね。
子どもは、時代に関係なく、アニメやコミックには影響されてしまいますよね。
本当に、関係のないことで巻き込まれるのは、迷惑以上に迷惑だったと思います。

南天というと、南天のど飴です(笑)
あれは、効きます。
化学薬品ではないので安心ですし、やっぱり昔から伝わる漢方の効能は、案外ばかにできません。

あと、南天は「難を転じる」ので魔除けと言いますね。
少し前に、たぶんネットの記事だと思うんですが、「鎌倉の住宅はみな庭に南天を植えている」というのを読みました。
鎌倉は時々行くので、そのあと、実踏に行って見ました(笑)

本当でした。
鎌倉はお屋敷町というか、「鎌倉夫人」という言葉があるように、お庭がある立派なお宅ばかりです。
通り道を見ただけなので、どのくらいの割合で南天の木があるかまで調べませんでしたが、かなりの家に南天がありました。

鎌倉時代に渡来したそうですが、東京の一軒家や他の県ではあまり見かけたことがないので、おもしろい現象です。

2024年1月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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雑多に書き並べます。

新年になって、すこしおもうところあり、営利でブログをやってみようかと。

といいつつ、なんのアクションも起こしていません。

スタードメインだとドメイン代でサーバーも利用できるということで、かなり割安にブログ運営できそうですが、それでいったいぼくはなにを発信したいのだろう、ということが定まっていません。

いままで一貫してじぶんの書きものの方向性が定まったことがないので、もう半分あきらめてます。

しかしうちには道の駅の本があるので、全国の道の駅を基点にして、架空の旅ブログを書くのはおもしろそうだな、と。

その土地の名産や歴史、地理などを調べて書いていけば、そりゃあもういくらでも文字数は稼げるというわけで(笑)




ことしのぶんの生分解マルチを買いました。

一般的なマルチに比べて3倍ちかい出費ですが、バイオマルチだと土に還ってくれるので、マルチを回収する手間がありません。

たとえば500mマルチを張るということは、500mのマルチを「回収しなければならない」わけです。

回収したマルチは粗大ごみで捨てるのですが有料です。

そのあたりの経費を考えたときに、ビニールマルチを買うよりも1万5千円ほど多い出費は、じゅうぶん取り戻せるという判断です。

ことしはオクラもバイオマルチで栽培する予定です。

うちはオクラとニンニクは、バイオマルチに穴あきマルチの規格品がなかったので、ビニールマルチを利用していました。

しかしオクラはむりやりバイオマルチの規格品(95cm幅のマルチに30cmおきの穴が2列)で代用することとし、ニンニクにもビニールマルチをつかうのをやめて露地栽培に切り替えたので、ことしからはもうマルチのプラゴミが出ません。

これは気分的に非常にラクなことです。

ぼくのスタイルの農業で出る大きなゴミといえば、あとはべた掛け不織布くらいですが、これは比較的ゴミとしては出しやすいんですよね。



ふとおもったのが、充電式のサイクロン掃除機は吸引力が足りなくて苦労しますが、よく考えればコード式のサイクロン掃除機でもぼくとしては問題がないんですよね。

結局従来の紙パック式のキャニスター式が便利だとおもってたんですが、ことしカメムシが大発生しましてね。

紙パック式って、カメムシを吸っちゃうともう、排気がすごい匂いになるんですよ(笑)

それですぐに紙パックを交換というのはあまりにももったいないし、その点、サイクロン掃除機だとムダがないなと。

というわけで、コード式でじゅうぶんな吸引力があってサイクロン式、というのはどうなんだろう、とおもったわけですが、これからちょっと調べてみます。

#野菜 #与太話

2023年12月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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きのうはいつもの収穫作業に加えて、ジャガイモの収穫。

ほとんどはじめてに近い秋じゃがの栽培でしたが、収量はというとイマイチで、しかもこのあたりは12月になるともう土がベタベタなので作業性もわるいです。

ただ、来年の春の種イモは得られましたし、何日かおなかいっぱいポテトフライが食べられるくらいには収穫も得られました。

親芋のように茶色くなったジャガイモが複数あったのだけど、そうか病のようでちょっとちがうようにおもえます。

春作には病害系農薬のフロンサイド粉剤やアミスター20フロアブルなどでそうか病を予防しながら作付けしようとおもいます。



きょうはいつもの収穫作業に加えてサトイモの片づけ。

もうぼちぼち室内に退避させないと、外の寒さでイモが腐ります。

あとバジルとモロヘイヤの種取り。

モロヘイヤは固定種なので、種取りができます。

ことしはじめて栽培して、はじめての種取りでしたが、この種取りがけっこうたのしい。

バジルは固定種なんですが、交雑しやすいので、種取りは一回にして、次はまた種を買います。



なんだかまだあれこれ忙しいんですが、これですこし落ち着いた感じです。

あとは自家用に育てていたダイコンやハクサイなどを、収穫をかねて引き上げて、保存していきます。

そのうち雪が降れば、収穫作業もできなくなって、待望(?)の農閑期に入ります。

#野菜
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私、宇宙は2回しか行ったことがないのですが、頭に来た時や呆れた時、なぜか宇宙語でヒトリゴトを言う傾向がありまして(笑)

アケスケにポンポン言う人はお腹の中はキレイ、ということもありますね。
逆に言うと、たいして本気で思っていないことも、なにかしらのきっかけでついポロッと言ってしまうということもあるでしょうし。

お見合いと自由恋愛を比べて、どちらもわるいことではないというまとめは、押しつけがなくていいですね。
どんどん時代が変わっていっても、古いものをすっぱりと新しいものに入れ替えてしまうのではなく、いいものは残していきながら新しいものを取り入れて行くことがいいように思うのですが、古いものがどんどんなくなっていくのは寂しいですね。

現代は親と同居が珍しくなっているし、「家族という共同体への奉仕の感覚」というのは、なくなってきているように思います。
昔、当たり前だったことがいつのまにかなくなっていく、或いは薄れていく。
時代だから仕方がないと言ってしまえばそれまでですが。

朝、岩手県の神社のお祭りが、高齢化と担ぎ手不足のため、来年で開催終了というニュースを見ました。
またひとつ、古いものが消えて行くわけです。
黒石寺も、蘇民祭も知らなかったのですが、こういうことは、たぶん他でも起こっていることだと思います。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/2023120...

やはり大衆が、見目のよい役者さんを求めているということなんですね。
私は歌舞伎が大好きなんですが、では、歌舞伎役者では誰が惚れ惚れするようないい男か?と聞かれたら、誰も思いつかないです(笑)

そう言えば、スーザン・ボイルがなぜあれほど一気に周知され、のし上がったかと言えば、見た目と歌唱力のギャップでしたよね。
美人が上手に歌っても当たりまえ、と判断されてしまうのか、このあたりもなんだか納得のいかない世界ですが、これは不美人であったための圧倒的な勝利でしょう。
結局は先細りになったようですが、一時的にでもあれだけ世界中に知られたら、もう本望かと思います。


先日お参りした六所神社の境内には、おみくじやお守りの他、クシナダヒメの関係か櫛も売っていましたが、一目で気に入った縁起物があったので、買ってきました。
お福分けです(^^♪


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なぜかその宇宙語、意味がわかります(笑)

お気遣い、ありがとうございます。

ほんとうに、悪気がなく時代にそぐわないことをするんですよね。

ただ、わずらわしくもあるんですが、こういうホンネ丸出しでアケスケなことを言う人がいるから、田舎の自治がうまく機能している一面もあります。

なので、個人的にはわずらわしいところもあるんですが、田舎で自治をするという点では、必要なコストなんだとおもってたりもします。

でもギズモさんのおっしゃるように、やっぱりこんな田舎でも、「頭が古い人」はすこしずつ淘汰されているようにおもえます。



小津安二郎は、時代の変化に対して非常に鼻のきく人でした。

かれの作品には、古い時代とあたらしい時代、という対比があります。

「お茶漬けの味」では、むかしながらのお見合い結婚と、当節流行りの自由恋愛が対比されていて、最終的には、どちらもわるいことじゃない、というような形でまとめられていました。

「東京物語」の場合は、仕事社会で資本主義になったことで、身内の付き合いにもかまっていられないあたらしい世代の人たちと、そういった社会の変化に最大限気遣いながらも、あたらしい世代の人であるじぶんの子供たちに頼ってくる親(古い世代)が対比されています。

東京物語の場合は、古い価値観をいつくしんで、家族という(お金にならない)共同体への奉仕の感覚が薄れていくことを哀しんでいます。



梨園の見目の話なんですが、あれはやっぱり、見目のよさを求める大衆があるからこそ、そうなっているのだとおもいます。

たとえば実際にあった出来事のドラマ化というときに、実際の人の容姿に役者を寄せるなんてことはまずありません。

そのほとんどすべてが、実際の人よりも容姿端麗な役者を用意します。

そうしないと大衆に受けないからで、そうなると大衆に受ける必要のある梨園もやはり、見目を重視するようになるでしょう。

そんなことを考えてると、どうも人間にとって器量のよしあしというのは、果てしない戦いのようにおもえてきました(笑)



ほんとうに、人との付き合いはご縁とフィーリングが大事だとおもいます。

ビジュアルやお金ははっきりした物差しになりますから、そういったことが重視されるのかもしれませんが、仮にそうであってもフィーリングを育んだほうがいいですね。

2023年11月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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あ、アイコン、ありがとうございます!!
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早速の設定をありがとうございました。
お試しコメントです♪

昔はけっこうな貧富の差があって、学校に着て来る服がその顕著な例でした。
でも、裕福な家庭の子が貧しい家の子をばかにすることもなく、差があっても、それを自然に受け入れていたような気がします。
おとなは違っていたとは思いますが。

それがいつの間にか、みんなが流行の服を着てくるようになり、貧乏という言葉も聞かれなくなって。
「画一的な豊かさ」になったのでしょう。

今は、貧乏だからということではなくても、食費を1ヵ月3万以下で暮らすとか、服はUSEDを買うとか、光熱費の切り詰め方とか、
そういったものに取り組んでいることが生活の知恵のようになっていて、それは現代的な賢い生き方なのかもしれません。
昔は、武士は食わねど的な、矜持のあるおとなが多かったように思うのですが・・・。
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設定しました。

現在のパスワードは「password」になっています。

管理用ページから、「ユーザIDを管理」で、あたらしくご希望のパスワードに変更していただくようにお願いします。
このあたらしいパスワードはぼくにはわからないようになっています。

画像URLは設定しましたが、反映されているか、一度投稿してみて確認をお願いいたします。
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あいかわらずじゃりン子チエをみてます。

チエちゃんはぼくより10歳年上で、現実世界なら55歳。

テツはチエちゃんが10歳のときに35歳ですから、いま生きていたら80歳です。

おじい、おばあは、さすがにもうアッチにいってはるやろな、というところ。



ぼくの時代は、過渡期です。

日本が豊かになっていく過渡期で、その汽水域のようなところにある。

極端に貧乏なものと、極端に豊かなものと、両方あって、それがだんだんと、画一的な豊かさにつながっていった。

画一的、というところがポイントです。



むかしは、豊かさとは特別なものでした。

ほかの人たちが手にできないだろうというものを得るために競い合うのが、豊かさを示す指標であり、ステータスでした。

ぼくらの時代はそういう「特別なステータス」を追いかける人たちをみてきた。

けれど、そういった特別なものがだんだん当たり前のものになっていき、安価なものになっていく。

ぼくの時代は、特別な豊かさが、当たり前の豊かさになっていく過渡期を経ているのです。

#与太話
NO IMAGE
お手数をおかけしてしまうので、このままでもかまわないのですが、他の方がadminで書き込みをした場合、わからなくなってしまうということもあるので、
もしできたらお願いいたします。

アイコン用の画像を「画像を新規にアップ」というところで入れましたが、投稿してみないと反映されているのか確認できないようです。
IDは、「gizumo」でお願いします。
まったく急ぎませんので、よろしくお願いいたします。

画像が反映されないようでしたら、IDだけで大丈夫です。

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きょうの作業は、いつもの収穫にくわえて、愛車(軽トラ)のタイヤの交換。

いまの時期は朝6時からの配達と収穫で午前中がまるまるつぶれますが、冬に向かう中で、草刈りなどの作業はほとんどせずにすみます。

ことしは秋になってもあたたかいので、スノータイヤに交換する気になれなかったんですが、毎年この時期にやってることなので、晴れてるきょうに気合を入れてやってしまいました。

もう15万キロ走っている車はもうあちこちサビがきていますが、去年から塗装部分にさび止めのスプレー(クレ3-36)をするようになって、おかげでずいぶんさびが少なくなりました。

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もしご希望でしたら、ユーザーID(半角英数)をお伝えいただければ、こちらでアカウントをつくります。

現在は最低限の権限ですが、寄稿者権限で、じぶんの投稿編集、ID管理までできるようになります。



野菜の値段、まだまだ高いですね。

おそらく生育期間の短い葉物野菜は下落傾向にあるとおもいますが、過酷な夏から続いている実物野菜は高値のままで、サトイモのような春から育てているイモ類も例年より小ぶりで、豊産とはいえないみたいです。

トマトは特に、現在トマトショックといわれる状況らしく(メディアが価格高騰を煽っているようにもおもえますが)、当面高値が続くようです。

農家側はどうしてもことしの強烈な物価高、ガソリン価格の高騰などを販売価格に乗せないと苦しいので、野菜価格はもし流通が順調でも、全体的に1~2割は高くなっているとおもいます。

この底上げに加えて、異常気象による高値なので、消費者からすると厳しいですね。
NO IMAGE
こんにちは。
前回、助詞の脱字が2ヶ所ありましたが、訂正できなかったのでごめんなさい。

この夏あたりから、とにかく野菜が高すぎです。
ブロッコリーは300円、トマトは小さくても1個200円以上。
このところいくらか下がってきたようですが、まだまだ高いです。

最近の冷凍野菜はなかなか優秀ですが、国産を選ぶとそれなりに高いですね。
以前、豚汁用の野菜の水煮を買ったことがあるのですが、サトイモなどのお芋類は、柔らかすぎておいしくありませんでした。
スーパーの西友に豚汁用の冷凍があって、豚肉と野菜数種が入っています。
このサトイモはサトイモらしくて、冷凍にしてはかなりよいものでした。
小松菜などの緑の野菜を足すと、手間いらずの立派な?豚汁の出来上がりです。
他はともかく、サトイモの下拵えは手間と時間がかかるので、おいしい冷凍品は本当に助かります。
煮物を作る時はちゃんと買いますが、急いで具だくさんのお味噌汁を作りたい時は便利です。

サトイモと言えば、先日デパ地下をうろうろしていたら、おもしろい人がいました。
50代くらいの女性なのですが、お惣菜やさんで、「サトイモだけ4つちょうだい」と注文していました。
サトイモ単品の煮物ではなく、野菜が数種類入ったものです。
グラムいくらという売り方なので、普通は、「○○グラムお願いします」という買い方かと思います。
売り場の人が、当たり前のように「はい、サトイモ4つですね~」と明るく応じていたのもびっくり。
こういう買い方があって、それはわがままとは違うんだ、ということに、新鮮な驚きを感じました。
あとでサトイモが足りなくなり、バランスの悪い煮物を買う人がでるんだろうな、と心配でしたが。
だいたい、18時過ぎたら安くなるので、強引に売ってしまうのかもしれませんが(笑)

サトイモから、つまらない話を失礼しました。

こちらは暖かすぎて、早めに出した暖房器具各種が、なかなか出番がこないのでため息をついていそうです。

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今回の投稿、ちょっと経緯を説明するのにすこし時間がかかります。


草刈り機には、Uハンドルタイプと、ループハンドルタイプ、あとツーグリップタイプの3種類があります。

202309081154081-nouennushi.jpg
↑これがUハンドル

20230908115408-nouennushi.jpg
↑これがツーグリップ

で、この写真はぼくの持ってるループハンドルタイプです。
20230908114422-nouennushi.jpg

ループハンドルの上に塩ビパイプがくっついてるでしょう。
この塩ビパイプが、きょう話したいことなんですよ。

これをきょうくっつけて、試運転してみたんですけど、なんでこんなものを取り付けたのか。


Uハンドルタイプは、平坦な地面を刈るのに強い……というか、ほとんど平坦地専用のような草刈り機です。
斜面には非常に弱いし、基本的に横振りしかできません。

ツーグリップタイプは非常に小回りがきくので、林の中の密集した草を刈るようなときに便利なんですが、シャフトを直接持つ格好になるので疲れやすいです。

その点、ループハンドルはオールマイティというか、斜面にも強く、小回りもある程度利きますし、平坦地も刈れます。
ただ、平坦地を刈るときには、どうしても猫背にならざるを得ず、しばらくすると腰や背中が痛くなってくるんですね。

そこで、なんとかループハンドルで平坦地が刈れるようにならないか、とおもったんですよ。


するとネットに、ダーウィンズハンドルというものがあるということを知りました。

こんな感じのハンドルを、草刈り機に取り付けるんですね。
20230908120539-nouennushi.jpg

これで、猫背にならずに作業することができるというわけです。
202309081209441-nouennushi.jpg
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で、このハンドルなんですが、自作してる方もちらほらいてて、きのう、そのやり方を参考にしようと勉強してたんですが、どうもこんなに棒を長くする必要がなさそうな気がしたんですよね。

棒を長くすればするほど草刈り機の重量は重くなるわけだし、塩ビパイプの場合、長くすればするほどたわんで強度が下がります。

そこで、再度見ていただきましょう。こちら。

20230908114422-nouennushi.jpg

部品の価格は1000円しませんでした。 塩ビの接着剤が手元にあるのなら、500円で自作できます(笑)


で、使い勝手はどうだったかというと、これが非常によかったです。

姿勢は猫背にならないし、斜面を刈る場合はループハンドルに握り替えればよいだけで、その場合もパイプはそこまで邪魔になりませんでした。

これならループハンドルの草刈り機で平坦地の草刈りがストレスなくやれそうです。

#野菜

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いい情報をみつけたので、共有します。

https://www.maff.go.jp/j/seisan/kankyo/h...

https://www.ja-nishikasugai.com/02_jisse...

不織布と寒冷紗はそれぞれ役割が違うんですが、寒冷紗は遮光性があるものの防虫性が弱く、またべた掛けができないのが悩みでした。

べた掛けってものすごくラクなんですよ。
畝に直接かけて、ピンで抑えるだけなので。

春の葉野菜栽培では安い不織布のべた掛けで虫害予防は問題ありません。
しかし一般的な不織布だと、夏には遮光効果がないどころか保温効果が強くて、野菜が蒸し焼きになってしまいます。

でもこのPDFとJAの情報をみると、日石ワリフであれば色を工夫すれば遮光効果と防虫効果が得られることがわかりました。
これなら夏の葉野菜栽培にべた掛けが可能です。

1.2m幅の100mで1万5千円ほどと、高価な資材ではありますが、これで夏野菜栽培がうまくいくなら投資する価値はあります。

来年試しに、日石ワリフの黒か銀を利用して、べた掛けで夏の葉野菜栽培にチャレンジしてみようとおもいます。
#野菜
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きょうは午前中に裏山の草刈り。
自走式草刈り機の修繕がもうすこし先になりそうなのと、曇り空で動きやすかったので、ちょうどいい運動になりました。
で、午後は昼寝して、また家の法面の草刈り。

水やりをしたけど、葉野菜はもう防除しても穴だらけでダメっぽいです。ベカナだけはもう少し様子見しますが、チンゲンサイはもうダメ。

オクラはきょうは9袋ぶんとれて、いま花盛りなので、お盆あたりにはここから2~3倍いけそうです。
最悪の状態の苗が、脇芽を出して生き延びてくれたおかげです。

#野菜
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筒井康隆という人は、知性と狂気と笑いが混在するような気色のわるい小説を書くのですが、実際に当人に会った人からすると、極めておだやかな紳士で、人当たりの良い人物だというのです。

かなりむかしに読んだものなので記憶があいまいですが、ある書評で、筒井氏は小説で狂気を発散することで、穏やかな日常を過ごせているのではないかという分析がなされていました。

ぼくにもそういうところがある……というか、逆にそういう振り子の作用のない人間などこの世にいるのだろうか、とおもっています。
実生活をマジメにやればやるほど、どこかでフマジメなじぶんを吐き出す場所が必要でしょう。

この不完全で理不尽な社会の中で、まったく精神が振れずに適応できるような人は、そのほうがどこか病的におもえるのですが、いままでぼくが実際に接した人で、振れ幅なしに生きている人はひとりとしていませんでした。

その点、ここはほんとうによい場所で、ぼくは振り子の反作用で一時的な非常識を楽しんで憂さ晴らしをすることもできるし、またごく素直に良識人としてあることもできます。

ぼくの精神性の振り子を正常に作用させるために必要であれば、人が眉をひそめるようなことも書きますが、おおむねそれらも、ほんとうの非常識人からすれば、物足りないくらい良識的だろうとおもいます。
それがぼくの限界です。
#与太話

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