山麓王国

2023年12月8日の投稿3件]

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きのうはいつもの収穫作業に加えて、ジャガイモの収穫。

ほとんどはじめてに近い秋じゃがの栽培でしたが、収量はというとイマイチで、しかもこのあたりは12月になるともう土がベタベタなので作業性もわるいです。

ただ、来年の春の種イモは得られましたし、何日かおなかいっぱいポテトフライが食べられるくらいには収穫も得られました。

親芋のように茶色くなったジャガイモが複数あったのだけど、そうか病のようでちょっとちがうようにおもえます。

春作には病害系農薬のフロンサイド粉剤やアミスター20フロアブルなどでそうか病を予防しながら作付けしようとおもいます。



きょうはいつもの収穫作業に加えてサトイモの片づけ。

もうぼちぼち室内に退避させないと、外の寒さでイモが腐ります。

あとバジルとモロヘイヤの種取り。

モロヘイヤは固定種なので、種取りができます。

ことしはじめて栽培して、はじめての種取りでしたが、この種取りがけっこうたのしい。

バジルは固定種なんですが、交雑しやすいので、種取りは一回にして、次はまた種を買います。



なんだかまだあれこれ忙しいんですが、これですこし落ち着いた感じです。

あとは自家用に育てていたダイコンやハクサイなどを、収穫をかねて引き上げて、保存していきます。

そのうち雪が降れば、収穫作業もできなくなって、待望(?)の農閑期に入ります。

#野菜
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私、宇宙は2回しか行ったことがないのですが、頭に来た時や呆れた時、なぜか宇宙語でヒトリゴトを言う傾向がありまして(笑)

アケスケにポンポン言う人はお腹の中はキレイ、ということもありますね。
逆に言うと、たいして本気で思っていないことも、なにかしらのきっかけでついポロッと言ってしまうということもあるでしょうし。

お見合いと自由恋愛を比べて、どちらもわるいことではないというまとめは、押しつけがなくていいですね。
どんどん時代が変わっていっても、古いものをすっぱりと新しいものに入れ替えてしまうのではなく、いいものは残していきながら新しいものを取り入れて行くことがいいように思うのですが、古いものがどんどんなくなっていくのは寂しいですね。

現代は親と同居が珍しくなっているし、「家族という共同体への奉仕の感覚」というのは、なくなってきているように思います。
昔、当たり前だったことがいつのまにかなくなっていく、或いは薄れていく。
時代だから仕方がないと言ってしまえばそれまでですが。

朝、岩手県の神社のお祭りが、高齢化と担ぎ手不足のため、来年で開催終了というニュースを見ました。
またひとつ、古いものが消えて行くわけです。
黒石寺も、蘇民祭も知らなかったのですが、こういうことは、たぶん他でも起こっていることだと思います。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/2023120...

やはり大衆が、見目のよい役者さんを求めているということなんですね。
私は歌舞伎が大好きなんですが、では、歌舞伎役者では誰が惚れ惚れするようないい男か?と聞かれたら、誰も思いつかないです(笑)

そう言えば、スーザン・ボイルがなぜあれほど一気に周知され、のし上がったかと言えば、見た目と歌唱力のギャップでしたよね。
美人が上手に歌っても当たりまえ、と判断されてしまうのか、このあたりもなんだか納得のいかない世界ですが、これは不美人であったための圧倒的な勝利でしょう。
結局は先細りになったようですが、一時的にでもあれだけ世界中に知られたら、もう本望かと思います。


先日お参りした六所神社の境内には、おみくじやお守りの他、クシナダヒメの関係か櫛も売っていましたが、一目で気に入った縁起物があったので、買ってきました。
お福分けです(^^♪


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なぜかその宇宙語、意味がわかります(笑)

お気遣い、ありがとうございます。

ほんとうに、悪気がなく時代にそぐわないことをするんですよね。

ただ、わずらわしくもあるんですが、こういうホンネ丸出しでアケスケなことを言う人がいるから、田舎の自治がうまく機能している一面もあります。

なので、個人的にはわずらわしいところもあるんですが、田舎で自治をするという点では、必要なコストなんだとおもってたりもします。

でもギズモさんのおっしゃるように、やっぱりこんな田舎でも、「頭が古い人」はすこしずつ淘汰されているようにおもえます。



小津安二郎は、時代の変化に対して非常に鼻のきく人でした。

かれの作品には、古い時代とあたらしい時代、という対比があります。

「お茶漬けの味」では、むかしながらのお見合い結婚と、当節流行りの自由恋愛が対比されていて、最終的には、どちらもわるいことじゃない、というような形でまとめられていました。

「東京物語」の場合は、仕事社会で資本主義になったことで、身内の付き合いにもかまっていられないあたらしい世代の人たちと、そういった社会の変化に最大限気遣いながらも、あたらしい世代の人であるじぶんの子供たちに頼ってくる親(古い世代)が対比されています。

東京物語の場合は、古い価値観をいつくしんで、家族という(お金にならない)共同体への奉仕の感覚が薄れていくことを哀しんでいます。



梨園の見目の話なんですが、あれはやっぱり、見目のよさを求める大衆があるからこそ、そうなっているのだとおもいます。

たとえば実際にあった出来事のドラマ化というときに、実際の人の容姿に役者を寄せるなんてことはまずありません。

そのほとんどすべてが、実際の人よりも容姿端麗な役者を用意します。

そうしないと大衆に受けないからで、そうなると大衆に受ける必要のある梨園もやはり、見目を重視するようになるでしょう。

そんなことを考えてると、どうも人間にとって器量のよしあしというのは、果てしない戦いのようにおもえてきました(笑)



ほんとうに、人との付き合いはご縁とフィーリングが大事だとおもいます。

ビジュアルやお金ははっきりした物差しになりますから、そういったことが重視されるのかもしれませんが、仮にそうであってもフィーリングを育んだほうがいいですね。

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