山麓王国

2024年2月29日の投稿2件]

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その超人的長老さんの世代だと、苦労は買ってでもしろとか、休むヒマがあれば働け、という考え方の人が多いと思うのですが、なかなかできた方ですね。
私も早く片付けたいタイプで、一気にやってしまうことが多いのですが、思い出してみると、がむしゃらにやるより、途中で何か違うことをしたりちょっとおやつを食べたりするほうが、その後の捗りが効率的だったりしています。

疲れていない状態をキープする、これはどんなことにでも応用できますね。
心に留めておきます。

美味しんぼ、そのシーンが思い出せませんが、いかにも山岡さんが言いそうなことですね(笑)
だいぶ前から、お米は「研ぐ」ということがなくなりましたし、家庭科の教科書でも「お米を洗う」になっていますよね。
それに、お湯で研ぐ(洗う)ほうが、訂正浸透率←浸透圧?? 吸水率??がよくなっておいしく炊ける、というネットの記事を読んだことがあります。

話がちょっと違いますが、昔は雑巾がけをお湯でやるなんてとんでもない、水でやれ、というお年寄りが多かったと思います。
つまり、過程の苦労をすべきだ、という精神なのでしょう。

最近は、雑巾を使った雑巾がけなんて、やる人はいるのでしょうか。
100均で雑巾は売っているので需要はあるのかもしれませんが、クイックルみたいな立って掃除する簡易モップ?を使う人が圧倒的に多いでしょうし、水拭きのできるタイプのルンバかもしれません(笑)

以前は毎日していた雑巾がけを週1~2日にし、あとはクイックルを使うようになりましたが、やっぱり手で雑巾がけした方がきれいになるのは間違いありませんし、なんとなく気持ちもスキッとします。
でも最近は、水拭きできるルンバを誰か買ってくれないかな、と思うようになりました(笑)

文明の利器を使って、過程で苦労せず無駄な努力をしない。
それによって得られる時間や、体力と心の余裕、これは必要ですね。

余談ですが、先日たまたま「読み上げ」機能を使ってみました。
AI独特の感じではなく、「どこの地方の人?」というような、ちょっと素朴な訛りがあるような話し方で、なんだか好感が持てて、失礼ですがちょっと笑ってしまいました(笑)。
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田舎暮らしをしてるとお金にならない仕事ばかりなんですが、それでもいいとおもえるのは、多くの人がひとりひとりの保全の苦労があってこそだということを知っていて、ねぎらい合う空気ができているからだとおもっています。

だから、介護だと特に、感謝の言葉、ねぎらいの言葉は折に触れて捧げたほうがいいと、ぼくもおもいます。



もう何度か言ってるかもしれませんが、うちの近所に、80になって現場仕事の大工をしているという超人的長老がいます。

この方といっしょに草刈りや原木しいたけづくりをしたとき、休み方がうまいことに気が付きました。

たとえば、「1~10までを片付けるタスク」があったとします。

で、「8」まで片付いたとしますよね。

肉体的にはちょっと疲れた程度で、これも10段階でいえば6くらいの疲れです。

残った作業があと2くらいなら、すこし無理押ししても片付けてしまいたいとおもいます。

このとき、ぼくの頭の中には、「タスクを早く片付けること」が最優先事項になっています。

ところが長老は、「休むで」といって、みんなを半ば強制的に休ませるんですね。

体力的に5~6割の疲れで、一回しっかり休憩をとって、みんなでわいわい談笑して、それであとひと仕事を一気に片付けよう、となる。

つまり、疲れるまでやるんじゃなくて、ひと仕事を終えるまでできるだけ、疲れてない状態をキープするようにしてるんですね。

そのときに大事なのは、全体で「あともうちょっとで片付くのに」といわずに、休憩を受け入れる心構えだろうとおもいます。

介護の場合、それでは一日のタスクが終わらないということもあるかもしれませんが、そこはもうじぶんのできる範囲を越えているということで、行政や家族など頼めるところにヘルプを求めたり、あるいはタスクの一部を無理やり削ってでもじぶんの休息にあてたほうがよい、ということが、きのうの話でした。



食事に関しても、「おいしい」「健康に問題ない」という結果が出ていれば、過程はなんだっていいんだとおもいます。

日本……というより東洋的なクセだとおもうんですが、結果よりもその過程で苦労しているかどうかということが大きく評価されるところがあります。

おなじ結果でもその過程で苦労してナンボみたいな気風があって、たとえばお米をお湯で研ぐなんてダメだ、なぜ冷たい水で研がないんだということを、「美味しんぼ」で山岡士郎が言ってたのをむかし読みました。

ぼくからすれば、出来上がるご飯が特別まずくなるというのでもなければ、ラクなほうがいいとおもいます。

文明が未発達だったむかしなら、なにごともマンパワーに頼るほかありませんでしたから、ともかく万事なまけさせない衆人環視的な圧迫教育が必要だったのも理解できなくもありません。

でも、現代は機械社会と資本主義によって、必要最低限にして最大限の利益を得る努力をするようになりました。

その中で「むしろ必要のない努力はしてはいけない」という風潮が生まれてきたのは、ものすごくよいことだとおもっています。

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