2025年5月の投稿[11件]
2025年5月29日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
お忙しいところを、ご連絡いただきありがとうございます。
くれぐれも、お返事のことはお気になさらないようお願いいたします。
1反半というと、かなりの広さですね。
ご自分のお仕事のみならず、お手伝いや自治会と、ずいぶんとお疲れになることと思います。
体調のことも心配ですが、夜はできるだけしっかり睡眠をとって、体力を落とさないよう充分にお気をつけくださいね。
くれぐれも、お返事のことはお気になさらないようお願いいたします。
1反半というと、かなりの広さですね。
ご自分のお仕事のみならず、お手伝いや自治会と、ずいぶんとお疲れになることと思います。
体調のことも心配ですが、夜はできるだけしっかり睡眠をとって、体力を落とさないよう充分にお気をつけくださいね。
すみません、ことしも繁忙期に入りました。
午前中に葉物の収穫作業。午後からはニンニクの収穫、オクラの草取り、畑の草刈りで一日が終わります。
さらに高齢のご近所さんが管理している1反半ほどの田んぼ(お米の収量としては700kgほど)が、去年は鹿にやられてしまい、自家用でさえまともに収穫できないほどでした。
ことしは防獣対策を講じるつもりだとおっしゃっていたのですが、春からご夫婦そろって体調不良が重なったりで、防獣対策どころか、まだ田んぼの準備がようやくできただけで、田植えもできていません。
それでぼくが見るに見かねて、数日前から電気柵の手配と設置などをして、できる限りのお手伝いをさせていただいています。
そのうえことしは自治会も予定もたてこんでおり、ちょっと落ち着いて文章を書く余裕がありません。
状況が落ち着くまでしばらく返信が遅れてしまいますが、何卒ご容赦ください。
午前中に葉物の収穫作業。午後からはニンニクの収穫、オクラの草取り、畑の草刈りで一日が終わります。
さらに高齢のご近所さんが管理している1反半ほどの田んぼ(お米の収量としては700kgほど)が、去年は鹿にやられてしまい、自家用でさえまともに収穫できないほどでした。
ことしは防獣対策を講じるつもりだとおっしゃっていたのですが、春からご夫婦そろって体調不良が重なったりで、防獣対策どころか、まだ田んぼの準備がようやくできただけで、田植えもできていません。
それでぼくが見るに見かねて、数日前から電気柵の手配と設置などをして、できる限りのお手伝いをさせていただいています。
そのうえことしは自治会も予定もたてこんでおり、ちょっと落ち着いて文章を書く余裕がありません。
状況が落ち着くまでしばらく返信が遅れてしまいますが、何卒ご容赦ください。
2025年5月26日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
文明というものを永続的に維持するために、やみくもではなく、ほどほどの発展でいったん立ち止まるということも大事だと思うのですが、近代の発展は恐ろしいほどに飛躍的でした。
現代の人から見たら不便な時代に生まれ育った年代の人たちが、目覚ましい発展にさほどとまどうことなく、それなりに順応して生きているのですから、高齢者の人はすごいと感心してしまいます。
電車やバスの中を見ても、70代、80代の方々が普通にスマホを使いこなしていますし、スーパーでのセルフレジを使う(使える)高齢者の方も増えてきています。
今の子たちは生まれた時からスマホがあるので、相手の顔を見て電話ができますし、動画も観られ、タッチするだけで乗り物にも乗れるし買い物もできるし、検索ができることも知っています。
家の中では、ちょっと話しかければ電気がついたり消えたり、お風呂のお湯が入ったりもします。
それを不思議とも思わず、生活しているわけです。
この文明がエネルギーや資源の枯渇などで失われた時、様々な便利さを享受して生きてきた世代の人は、不便な生活に順応して生きていくことができるのか、考えてしまいます。
なかったものがだんだんあるようになるということと(おかしな言い回しですが)、あったものが無くなるということは、比べものにならないくらい違うでしょうから。
水蒸気のお話は、感動と同時に、科学的な理論に基づいたお話とのことで、へ~~っと感心してしまいました。
よくそんなことを計算しようと考えたものですね。
というより、計算できた、ということが驚異です。
科学とロマンは、まったく別もののようでいて、案外、表裏一体なのかもしれません。
地球上のありとあらゆる原子などが、何年経っても何万年経っても、ずっとどこかで循環し続けているとしたら、これは本当に壮大なロマンです。
コレステロール値の表もありがとうございます。
これは、いろいろなことを調べ、納得のいく情報を得て、それを実行した(し続けている)という、努力のたまものですね。
本当によかったです!!
検査項目にないものに関しても多くの面で良好になってきているのでしょうが、やっぱり見えるところでよい結果が出ると、うれしいし、励みになりますね。
昨年の6月に、たまたま血液検査をしたら、コレステロール値が高かったというお話をしましたが、「中性脂肪」と「LDLコレステロール(悪玉コレステロール)」が、基準値よりかなり高かったため、薬物治療という話になりました。
その時期は外食が多かったために一時的に上がっているはずと思い、しばらくたってから再検査をし、その際結果がよくなければ考えたいと医師に話し、当面様子見ということになりました←様子見のまま、一年近く・・・。
一度検査で問題があると、必ず「生活習慣病 療養計画書」というものを作らなければならず、それに沿って治療・療養をしていくことになりますが、これによって再診料が毎月200円以上、上がります。
「座っただけで700円」ほど、取られることになります。
私の場合、その後、頸動脈エコーでプラークの検査をしただけで、再検査は受けておらず、普段はアレルギーの薬や気管支の薬をもらう程度なのに、です。
ちょうど昨年6月から、「生活習慣病管理料」というシステムができたので、タイミングの悪いことでした(笑)
あとで知ったのですが、拒否はできるそうです。それ、早く言ってよ、と思います(笑)
参考になるかどうかわかりませんが、計画書を2枚にわけた写真を添えました。
写っていませんが、主病の欄には「糖尿病・高血圧症・脂質異常症」と3つの項目があり、私の計画書には「脂質異常症」にチェックが入っています。
また、計画書にある項目について、厳密に問診があったわけではなく、とりあえずこういった方針で、という程度でした。
その先生が言うには、極端な(めちゃくちゃな)食事をしていない限り、食事では下がらないので(断言・・・)、まずは無理のない程度でかまわないので、運動が望ましいということでした。
計画書にチェックがついている項目は、特に難しい目標ではなく、ほとんど守れており、約1年経っているので、下がったはずだと思います。
「食事ではコレステロールはそうそう下がらない」という医師の話だったため、食事療法をしても、効果がでないと思い込んでいましたが、農園主さんのこの度のことを考えると、相当な効果がでることが確信できました。
なんでも継続するというのは、簡単なようで、案外厄介な面も多いです。
でも、農園主さんを見習い、コレステロール値のみならず、生涯健康でいるために、食事にはもっと気をつけていこうと思います。
とはいえ、以前からフライや天麩羅などの油ものはほとんど食べていないし、脂っこいものも食べておらず、けっこう健康的な食事をしているはずだったのですが、農園主さんのおかげで、改善すべき点が多いことに気がつきました。
ありがとうございます!!
農園主さんの記憶違いのお話ですが、パラレルワールドを思い浮かべてしまいました。
それはそれとして、記憶の置き換えというか、記憶が入り混じってなにが本当だったか悩むことはありますね。
私ならもうろくしたんじゃないの?と言われそうですが(笑)、農園主さんの場合はありえないし、単純な記憶違いかもしれませんね。
記憶というのは、結局は断片の組み合わせだと思うので、年月が経過するうちに、入れ替わったり忘れたり、ごちゃごちゃになったりするのではないかと。
でも、自分の記憶に間違いないという確信もあるので、そうなってくると、自分ではない自分が経験したことだったんだろうか?とか、不思議になることもあります。
確信していたはずの自分の記憶に間違いがあったとわかると、「でも間違いないんだけどなぁ」と疑いながらも、(訂正)新しい別の情報の方が正しいのかもしれないと思うことで、記憶の上書きというか、すり替えが起きるのかもしれません。
また、記憶を呼び起こす(思い出す)際に、本来の記憶とは異なる、その場所や出来事の情報が頭の中に介入してくることによって、実際起きたこととは違った記憶として、脳内に定着してしまったりもするように思えます。
もしかすると、記憶違いではなく、私が見つけたサイトや菅浩之氏の書いたものを読んだ人が、まったく別の記事を書いてネットにあげていたということもあるのではないでしょうか。
それをお読みになって覚えていたのかもしれませんし、椰子の実ジュースの一件は、失礼ですが、お母様の記憶違いも可能性としてはありえますよね。
記憶の書き換え、上書きですが、例えば事件などで、目撃した犯人の服装を詳しく教えてほしいと言われて、間違いないと思ったことを伝えます。
ところが、「本当に白いコートでしたか? 黒ではありませんか?」としつこく言われると、「あ、黒だったかもしれない」と思うようになったりしますよね。
こういうことって、けっこうありがちだと思います。
確信できている記憶でも、ぼんやりした記憶でも、やっぱり記憶って、能動的にも受動的にも、塗りかえられる可能性は多いのでは、と。
考えてみると、人間の記憶というのは実に興味深いものですね。
ヤシの実のジュースですが、ココナッツにストローをさしたものですか?
横浜の中華街や上野のアメ横に行くと見かけますが、缶のものしか飲んだことはありません。
缶も・・・・まずいです(笑)
イメージ的に、南の島で、木に登ってヤシの実を落っことして割り、急いで木から下りて飲む、そんな感じです(笑)
埼玉県坂戸市に、聖天宮(せいてんきゅう)という台湾系道教の宮があるのですが、台湾の宮大工が造ったもので、ロケやコスプレの聖地としても有名です。
中に台湾の飲料や台湾スイーツなどの自動販売機があり、ココナッツジュースの缶もあったので、久々に飲んでみましたが、やっぱりとてもまずかったです(笑)
ココナッツミルクのようなおいしさはまったくなくて、水でもなく、ジュースとも言えない、どっちつかずの、主張のない飲み物ですよね。
【No,1631の記事には、返信不要】とあったのに、いろいろ書いてしまいました。ごめんなさい。



現代の人から見たら不便な時代に生まれ育った年代の人たちが、目覚ましい発展にさほどとまどうことなく、それなりに順応して生きているのですから、高齢者の人はすごいと感心してしまいます。
電車やバスの中を見ても、70代、80代の方々が普通にスマホを使いこなしていますし、スーパーでのセルフレジを使う(使える)高齢者の方も増えてきています。
今の子たちは生まれた時からスマホがあるので、相手の顔を見て電話ができますし、動画も観られ、タッチするだけで乗り物にも乗れるし買い物もできるし、検索ができることも知っています。
家の中では、ちょっと話しかければ電気がついたり消えたり、お風呂のお湯が入ったりもします。
それを不思議とも思わず、生活しているわけです。
この文明がエネルギーや資源の枯渇などで失われた時、様々な便利さを享受して生きてきた世代の人は、不便な生活に順応して生きていくことができるのか、考えてしまいます。
なかったものがだんだんあるようになるということと(おかしな言い回しですが)、あったものが無くなるということは、比べものにならないくらい違うでしょうから。
水蒸気のお話は、感動と同時に、科学的な理論に基づいたお話とのことで、へ~~っと感心してしまいました。
よくそんなことを計算しようと考えたものですね。
というより、計算できた、ということが驚異です。
科学とロマンは、まったく別もののようでいて、案外、表裏一体なのかもしれません。
地球上のありとあらゆる原子などが、何年経っても何万年経っても、ずっとどこかで循環し続けているとしたら、これは本当に壮大なロマンです。
コレステロール値の表もありがとうございます。
これは、いろいろなことを調べ、納得のいく情報を得て、それを実行した(し続けている)という、努力のたまものですね。
本当によかったです!!
検査項目にないものに関しても多くの面で良好になってきているのでしょうが、やっぱり見えるところでよい結果が出ると、うれしいし、励みになりますね。
昨年の6月に、たまたま血液検査をしたら、コレステロール値が高かったというお話をしましたが、「中性脂肪」と「LDLコレステロール(悪玉コレステロール)」が、基準値よりかなり高かったため、薬物治療という話になりました。
その時期は外食が多かったために一時的に上がっているはずと思い、しばらくたってから再検査をし、その際結果がよくなければ考えたいと医師に話し、当面様子見ということになりました←様子見のまま、一年近く・・・。
一度検査で問題があると、必ず「生活習慣病 療養計画書」というものを作らなければならず、それに沿って治療・療養をしていくことになりますが、これによって再診料が毎月200円以上、上がります。
「座っただけで700円」ほど、取られることになります。
私の場合、その後、頸動脈エコーでプラークの検査をしただけで、再検査は受けておらず、普段はアレルギーの薬や気管支の薬をもらう程度なのに、です。
ちょうど昨年6月から、「生活習慣病管理料」というシステムができたので、タイミングの悪いことでした(笑)
あとで知ったのですが、拒否はできるそうです。それ、早く言ってよ、と思います(笑)
参考になるかどうかわかりませんが、計画書を2枚にわけた写真を添えました。
写っていませんが、主病の欄には「糖尿病・高血圧症・脂質異常症」と3つの項目があり、私の計画書には「脂質異常症」にチェックが入っています。
また、計画書にある項目について、厳密に問診があったわけではなく、とりあえずこういった方針で、という程度でした。
その先生が言うには、極端な(めちゃくちゃな)食事をしていない限り、食事では下がらないので(断言・・・)、まずは無理のない程度でかまわないので、運動が望ましいということでした。
計画書にチェックがついている項目は、特に難しい目標ではなく、ほとんど守れており、約1年経っているので、下がったはずだと思います。
「食事ではコレステロールはそうそう下がらない」という医師の話だったため、食事療法をしても、効果がでないと思い込んでいましたが、農園主さんのこの度のことを考えると、相当な効果がでることが確信できました。
なんでも継続するというのは、簡単なようで、案外厄介な面も多いです。
でも、農園主さんを見習い、コレステロール値のみならず、生涯健康でいるために、食事にはもっと気をつけていこうと思います。
とはいえ、以前からフライや天麩羅などの油ものはほとんど食べていないし、脂っこいものも食べておらず、けっこう健康的な食事をしているはずだったのですが、農園主さんのおかげで、改善すべき点が多いことに気がつきました。
ありがとうございます!!
農園主さんの記憶違いのお話ですが、パラレルワールドを思い浮かべてしまいました。
それはそれとして、記憶の置き換えというか、記憶が入り混じってなにが本当だったか悩むことはありますね。
私ならもうろくしたんじゃないの?と言われそうですが(笑)、農園主さんの場合はありえないし、単純な記憶違いかもしれませんね。
記憶というのは、結局は断片の組み合わせだと思うので、年月が経過するうちに、入れ替わったり忘れたり、ごちゃごちゃになったりするのではないかと。
でも、自分の記憶に間違いないという確信もあるので、そうなってくると、自分ではない自分が経験したことだったんだろうか?とか、不思議になることもあります。
確信していたはずの自分の記憶に間違いがあったとわかると、「でも間違いないんだけどなぁ」と疑いながらも、(訂正)
また、記憶を呼び起こす(思い出す)際に、本来の記憶とは異なる、その場所や出来事の情報が頭の中に介入してくることによって、実際起きたこととは違った記憶として、脳内に定着してしまったりもするように思えます。
もしかすると、記憶違いではなく、私が見つけたサイトや菅浩之氏の書いたものを読んだ人が、まったく別の記事を書いてネットにあげていたということもあるのではないでしょうか。
それをお読みになって覚えていたのかもしれませんし、椰子の実ジュースの一件は、失礼ですが、お母様の記憶違いも可能性としてはありえますよね。
記憶の書き換え、上書きですが、例えば事件などで、目撃した犯人の服装を詳しく教えてほしいと言われて、間違いないと思ったことを伝えます。
ところが、「本当に白いコートでしたか? 黒ではありませんか?」としつこく言われると、「あ、黒だったかもしれない」と思うようになったりしますよね。
こういうことって、けっこうありがちだと思います。
確信できている記憶でも、ぼんやりした記憶でも、やっぱり記憶って、能動的にも受動的にも、塗りかえられる可能性は多いのでは、と。
考えてみると、人間の記憶というのは実に興味深いものですね。
ヤシの実のジュースですが、ココナッツにストローをさしたものですか?
横浜の中華街や上野のアメ横に行くと見かけますが、缶のものしか飲んだことはありません。
缶も・・・・まずいです(笑)
イメージ的に、南の島で、木に登ってヤシの実を落っことして割り、急いで木から下りて飲む、そんな感じです(笑)
埼玉県坂戸市に、聖天宮(せいてんきゅう)という台湾系道教の宮があるのですが、台湾の宮大工が造ったもので、ロケやコスプレの聖地としても有名です。
中に台湾の飲料や台湾スイーツなどの自動販売機があり、ココナッツジュースの缶もあったので、久々に飲んでみましたが、やっぱり
ココナッツミルクのようなおいしさはまったくなくて、水でもなく、ジュースとも言えない、どっちつかずの、主張のない飲み物ですよね。
【No,1631の記事には、返信不要】とあったのに、いろいろ書いてしまいました。ごめんなさい。



2025年5月24日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
【この記事には返信不要です】
ありがとうございます。
菅弘之さんの計算の部分、まさにそうです。
もしかしたら、ぼくが読んだのがこの記事だったかもしれません。
ブログがなかったころで、いわゆるテキストサイトの一記事であったという記憶と、こんなに軽妙な文章ではなく、もっと重苦しくロマンティックな書き方であったような記憶があるのですが、長い時間の中で記憶が大きく置き換わっていた可能性があります。
先日、親と電話をしたときに、大阪万博の話になりました。
ぼくは、そういえばむかし大阪で開かれた花博に連れて行ってもらったよな、と話をしました。
すると母は「花博には行ってない」と言います。
そんなわけがありません。
花博で売られていたヤシの実ジュースを飲んで、それが美味しくなくてガッカリしました。
親はそんなぼくの様子をみて、高いお金を出したのに美味しくないとはどういうことだ、となぜかぼくに怒りだしたのです。
ぼくの記憶にはその部分がしっかり残っていました。
だからたしかに花博に行ったはずだ、と主張したのですが、親はそんなはずはない、と平行線。
後日、また電話をしたときに、母が言いました。
「あんたは花博が終わった後で鶴見緑地に行ったんや。花博が終わった後の鶴見緑地に行ったことなら覚えてる。ヤシの実ジュースは花博が終わってからもしばらく売ってたんやとおもうで」
それで、アッと気付いたのです。
ヤシの実ジュースがまずかった記憶はしっかり残ってるのだけど、花博の入り口で並んだとか、パビリオンに訪れた記憶がまったくない。
そのくせ公園内の植物園の中の大温室で、奇妙な大きな花をみたという記憶は残っているのです。
母の記憶が正しくて、ぼくの記憶が間違えていたのか、と不思議な気分になりました。
特にここ数年ですが、じぶんの古い記憶に自信がありません。
記憶が断片的にちがったものに置き換わって、置き換わったことを含めて事実だったとおもいこむ、ということがほんとうによくあるのです。
なので、あの火葬の水蒸気の話も、時期的にも記憶とちがうし、じぶんの中ではもう少しロマンティックで陶酔感のある話だったようにおもえるのですが、まったく自信がありません。
それどころか、どんどんこの記事がぼくのあのとき読んだ記事だったという気がしてきています(笑)
と、言い訳がましい話をしましたが、長い間ぼんやりしていた記憶をはっきりさせていただいて、感謝しています。
あらためて、ありがとうございました。
ありがとうございます。
菅弘之さんの計算の部分、まさにそうです。
もしかしたら、ぼくが読んだのがこの記事だったかもしれません。
ブログがなかったころで、いわゆるテキストサイトの一記事であったという記憶と、こんなに軽妙な文章ではなく、もっと重苦しくロマンティックな書き方であったような記憶があるのですが、長い時間の中で記憶が大きく置き換わっていた可能性があります。
先日、親と電話をしたときに、大阪万博の話になりました。
ぼくは、そういえばむかし大阪で開かれた花博に連れて行ってもらったよな、と話をしました。
すると母は「花博には行ってない」と言います。
そんなわけがありません。
花博で売られていたヤシの実ジュースを飲んで、それが美味しくなくてガッカリしました。
親はそんなぼくの様子をみて、高いお金を出したのに美味しくないとはどういうことだ、となぜかぼくに怒りだしたのです。
ぼくの記憶にはその部分がしっかり残っていました。
だからたしかに花博に行ったはずだ、と主張したのですが、親はそんなはずはない、と平行線。
後日、また電話をしたときに、母が言いました。
「あんたは花博が終わった後で鶴見緑地に行ったんや。花博が終わった後の鶴見緑地に行ったことなら覚えてる。ヤシの実ジュースは花博が終わってからもしばらく売ってたんやとおもうで」
それで、アッと気付いたのです。
ヤシの実ジュースがまずかった記憶はしっかり残ってるのだけど、花博の入り口で並んだとか、パビリオンに訪れた記憶がまったくない。
そのくせ公園内の植物園の中の大温室で、奇妙な大きな花をみたという記憶は残っているのです。
母の記憶が正しくて、ぼくの記憶が間違えていたのか、と不思議な気分になりました。
特にここ数年ですが、じぶんの古い記憶に自信がありません。
記憶が断片的にちがったものに置き換わって、置き換わったことを含めて事実だったとおもいこむ、ということがほんとうによくあるのです。
なので、あの火葬の水蒸気の話も、時期的にも記憶とちがうし、じぶんの中ではもう少しロマンティックで陶酔感のある話だったようにおもえるのですが、まったく自信がありません。
それどころか、どんどんこの記事がぼくのあのとき読んだ記事だったという気がしてきています(笑)
と、言い訳がましい話をしましたが、長い間ぼんやりしていた記憶をはっきりさせていただいて、感謝しています。
あらためて、ありがとうございました。
お返事の前に。
たまたま検索で出てきたものです。
農園主さんがご覧になったものとは違うようですが、とりあえず。
ご存じでしたらごめんなさい。
https://ikeoka.net/blogs/000/?cat=14&pag...
たまたま検索で出てきたものです。
農園主さんがご覧になったものとは違うようですが、とりあえず。
ご存じでしたらごめんなさい。
https://ikeoka.net/blogs/000/?cat=14&pag...
2025年5月21日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
7世代というと、15歳くらいから子供を生んでいたむかしのサイクルでいえばだいたい100~150年くらい先ですね。
人間の一生の向こう側ということになるでしょうか。
日本でもむかしは、じぶんが死んだ後もその地域に住まう子孫ために、山の木を植樹したといいます。
山の木々は主伐して収穫するときにはじめて「儲け」が出ます。
それまでの間は、込み合った木々を間引く間伐をしたり、材木としての質を高めるために枝打ちをしたりします。
そういった作業から出た木々は、日々の煮炊きや風呂の薪として利用されました。
木々を育てるということが、暮らしそのものに直結していたんですね。
しかし主伐をした後に植樹をしても、じぶんが生きている間には収穫できませんし、儲けどころか出費と手間がかかります。
いまだけよければよい、じぶんの人生の間だけよければよい、というのであれば、植樹をせずに山を丸裸にするだけで放っておけばいいんですが、先人たちはそうしませんでした。
むかしの人々は、じぶんの暮らしが何百年先も変わらないということを確信していたからです。
資本主義や自由主義はこの、植樹をせずに山を丸裸にするだけで放っておいてしまう、ということを平気でやってしまいます。
なにせ基準が「お金がじぶんのポケットに入ってくるかどうか」「いまじぶんが豊かでいられるかどうか」だけなので、当然7世代先のことなんてほとんど考えていません。
子孫が苦しむかどうかより、いまじぶんが豊かであること、じぶんのポケットにお金が入ってくることのほうがよほど大事だという考え方です。
当然そんな調子だと、いずれどこかで子孫が破滅的な苦しみに見舞われることでしょう。
こういった、いまだけよければいいという困った問題を、将来の人間が克服できるかどうか。
少なくとも資本主義、自由主義ではもう「克服できなかった」という答えが出てしまっています。
が、たとえばAIに助けてもらう形であったり、あたらしい秩序の下でなら、再生できるでしょうか。
この再生は、地球のエネルギーが完全に枯渇したり、温暖化でどうしようもなくなったり、核戦争、あるいはそれらが複合的に噛み合わさった結果、強制的に起こるイベントかもしれません。
あるいは人類みずから立ち上がって、永続的な文明維持のために自発的・協力的に行うイベントとなる可能性もあります。
願わくば後者であってほしいとおもうのですが、おそらくこの逼迫した状況は、ぼくが生きている間はまだ起こらないようにおもえます。
しかしその決断のときを生きる世代は、前者・後者どちらのイベントにせよ、いったん江戸時代に近いところまで生活レベルを落とすことになります。
じぶんの寿命を10年以上差し出して、さらにこれまで文明がもたらしてくれた自由をあらかた捨て去る覚悟が必要になることでしょう。
心霊写真ですが、もう20年も前のことで、携帯も手元にはないので、写真自体もないとおもいます。
心霊ということでふとおもいだしたのですが、まだブログがほとんどなかったようなころ、あるホームページにこんなことが書かれてありました。
以下、一度お話ししたような気もしますし、そのときと話が多少変わっているかもしれませんが、記憶違いがあったとしてもそのままお話しします。
愛する人と死に別れて、その人が火葬されて、その水蒸気が雲になりました。
その雲が雨となり、山を伝い、川を流れ、海へ流れ、また水蒸気となり、山を伝い、川を流れ、海へ流れ、また水蒸気となり……。
その人はその循環について考えているうちに、じぶんの手元にあるコップの水にも愛する人がいるような気がしてきました。
そこで、じぶんの飲み水の中にその人の水蒸気のかけらが、どれくらい入っているかを、計算したのです。
その計算のやり方がどういうものだったか、まったく覚えてないんですが、まさか人ひとりが死んだくらいの水蒸気がコップ一杯の水に混じることなんてないだろうとおもったら、数字のうえでは、ほんの少し混じるんだそうです。
それは、まったくないというわけにはいかないくらい、はっきりした数値として、コップの中に含まれている。
ぼくは若いときにその話を読んで、なにか得体のしれない感動を覚えたのですが、ブックマークするのを忘れていました。
そしてあれからいくら探しても検索できないまま、いまに至ります。
心霊という精神現象は、このコップの中に含まれた愛する人のような、ぼんやりとはかないものだろうとおもうのですが、そうするとあのときWさんの横にいた顔のようなはっきりした形のものは、なんだか露骨すぎるというか、主張が強すぎますね(笑)
和菓子の水無月は京都だと非常にポピュラーなんですが、あれは単純だからこそむずかしいようで、ういろうがボソボソ、小豆も塩梅がいい加減、といったようなものが多いですね。
元をたどればそれぞれの家でつくっていた素朴なお菓子ですから、上出来なものを期待しすぎると気の毒ではあるんですが(笑)
しかし小豆はまだともかく、ういろうは美味しいものだともっちりとして歯ごたえがあって、こんなにおいしいものがあるのかとおもえるものです。
あのもちもちと歯ごたえのバランスをとるのはむずかしいのでしょう。
スーパーのういろうを買っても、これといった感動がありません。
三重県のご当地品、もう伊勢で暮らしていたころから30年近く経っていますから、ぼくも知らないものが多かったです。
おかげ犬もはじめて知りました。
あおさは有名ですし、美味しいのですが、当時からまあまあいい値段でした。
伊勢では日常の贈り物にすると喜ばれるものといった印象です。
伊勢の局地的な珍味なんですが、「さめたれ」という、サメの肉をたれに浸けた加工品があります。
お酒のアテにちょうどよくて、なかなかおいしいのですが、伊勢から離れるととんとみかけません。
あとは、手こね寿司といって、薄切りにしてたれに浸けたカツオを乗せたちらし寿司があって、これもポピュラーでした。
これらは当時、スーパーでも当たり前に売っていました。
ところでわたくしごとですが、先日献血に行き、血液検査の結果が出ました。
脂質制限をしていますが、たしかにコレステロール値は下がっていました。
210あたりをうろうろしていたのが、180と目にみえる形で下がっており、それ以外の項目はいつもとおなじ。
総コレステロール値には血中の中性脂肪も含まれているので、この調子で脂質制限を続けて、低めのコレステロール値を維持していくつもりです。
人間の一生の向こう側ということになるでしょうか。
日本でもむかしは、じぶんが死んだ後もその地域に住まう子孫ために、山の木を植樹したといいます。
山の木々は主伐して収穫するときにはじめて「儲け」が出ます。
それまでの間は、込み合った木々を間引く間伐をしたり、材木としての質を高めるために枝打ちをしたりします。
そういった作業から出た木々は、日々の煮炊きや風呂の薪として利用されました。
木々を育てるということが、暮らしそのものに直結していたんですね。
しかし主伐をした後に植樹をしても、じぶんが生きている間には収穫できませんし、儲けどころか出費と手間がかかります。
いまだけよければよい、じぶんの人生の間だけよければよい、というのであれば、植樹をせずに山を丸裸にするだけで放っておけばいいんですが、先人たちはそうしませんでした。
むかしの人々は、じぶんの暮らしが何百年先も変わらないということを確信していたからです。
資本主義や自由主義はこの、植樹をせずに山を丸裸にするだけで放っておいてしまう、ということを平気でやってしまいます。
なにせ基準が「お金がじぶんのポケットに入ってくるかどうか」「いまじぶんが豊かでいられるかどうか」だけなので、当然7世代先のことなんてほとんど考えていません。
子孫が苦しむかどうかより、いまじぶんが豊かであること、じぶんのポケットにお金が入ってくることのほうがよほど大事だという考え方です。
当然そんな調子だと、いずれどこかで子孫が破滅的な苦しみに見舞われることでしょう。
こういった、いまだけよければいいという困った問題を、将来の人間が克服できるかどうか。
少なくとも資本主義、自由主義ではもう「克服できなかった」という答えが出てしまっています。
が、たとえばAIに助けてもらう形であったり、あたらしい秩序の下でなら、再生できるでしょうか。
この再生は、地球のエネルギーが完全に枯渇したり、温暖化でどうしようもなくなったり、核戦争、あるいはそれらが複合的に噛み合わさった結果、強制的に起こるイベントかもしれません。
あるいは人類みずから立ち上がって、永続的な文明維持のために自発的・協力的に行うイベントとなる可能性もあります。
願わくば後者であってほしいとおもうのですが、おそらくこの逼迫した状況は、ぼくが生きている間はまだ起こらないようにおもえます。
しかしその決断のときを生きる世代は、前者・後者どちらのイベントにせよ、いったん江戸時代に近いところまで生活レベルを落とすことになります。
じぶんの寿命を10年以上差し出して、さらにこれまで文明がもたらしてくれた自由をあらかた捨て去る覚悟が必要になることでしょう。
心霊写真ですが、もう20年も前のことで、携帯も手元にはないので、写真自体もないとおもいます。
心霊ということでふとおもいだしたのですが、まだブログがほとんどなかったようなころ、あるホームページにこんなことが書かれてありました。
以下、一度お話ししたような気もしますし、そのときと話が多少変わっているかもしれませんが、記憶違いがあったとしてもそのままお話しします。
愛する人と死に別れて、その人が火葬されて、その水蒸気が雲になりました。
その雲が雨となり、山を伝い、川を流れ、海へ流れ、また水蒸気となり、山を伝い、川を流れ、海へ流れ、また水蒸気となり……。
その人はその循環について考えているうちに、じぶんの手元にあるコップの水にも愛する人がいるような気がしてきました。
そこで、じぶんの飲み水の中にその人の水蒸気のかけらが、どれくらい入っているかを、計算したのです。
その計算のやり方がどういうものだったか、まったく覚えてないんですが、まさか人ひとりが死んだくらいの水蒸気がコップ一杯の水に混じることなんてないだろうとおもったら、数字のうえでは、ほんの少し混じるんだそうです。
それは、まったくないというわけにはいかないくらい、はっきりした数値として、コップの中に含まれている。
ぼくは若いときにその話を読んで、なにか得体のしれない感動を覚えたのですが、ブックマークするのを忘れていました。
そしてあれからいくら探しても検索できないまま、いまに至ります。
心霊という精神現象は、このコップの中に含まれた愛する人のような、ぼんやりとはかないものだろうとおもうのですが、そうするとあのときWさんの横にいた顔のようなはっきりした形のものは、なんだか露骨すぎるというか、主張が強すぎますね(笑)
和菓子の水無月は京都だと非常にポピュラーなんですが、あれは単純だからこそむずかしいようで、ういろうがボソボソ、小豆も塩梅がいい加減、といったようなものが多いですね。
元をたどればそれぞれの家でつくっていた素朴なお菓子ですから、上出来なものを期待しすぎると気の毒ではあるんですが(笑)
しかし小豆はまだともかく、ういろうは美味しいものだともっちりとして歯ごたえがあって、こんなにおいしいものがあるのかとおもえるものです。
あのもちもちと歯ごたえのバランスをとるのはむずかしいのでしょう。
スーパーのういろうを買っても、これといった感動がありません。
三重県のご当地品、もう伊勢で暮らしていたころから30年近く経っていますから、ぼくも知らないものが多かったです。
おかげ犬もはじめて知りました。
あおさは有名ですし、美味しいのですが、当時からまあまあいい値段でした。
伊勢では日常の贈り物にすると喜ばれるものといった印象です。
伊勢の局地的な珍味なんですが、「さめたれ」という、サメの肉をたれに浸けた加工品があります。
お酒のアテにちょうどよくて、なかなかおいしいのですが、伊勢から離れるととんとみかけません。
あとは、手こね寿司といって、薄切りにしてたれに浸けたカツオを乗せたちらし寿司があって、これもポピュラーでした。
これらは当時、スーパーでも当たり前に売っていました。
ところでわたくしごとですが、先日献血に行き、血液検査の結果が出ました。
脂質制限をしていますが、たしかにコレステロール値は下がっていました。
210あたりをうろうろしていたのが、180と目にみえる形で下がっており、それ以外の項目はいつもとおなじ。
総コレステロール値には血中の中性脂肪も含まれているので、この調子で脂質制限を続けて、低めのコレステロール値を維持していくつもりです。
2025年5月16日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
ナウルのお話は知りませんでしたが、とても興味を持ちました。
アホウドリの糞が化石化してリン鉱石の島になったおかげで世界一裕福な国となり、それがわずか20年ほどで枯渇し、あっという間に貧しい国となってしまったという経緯には、驚くばかりです。
東京オリンピックの時、選手は2~3人、パリオリンピックではたったひとりでしたが、ナウルの国歌はとても日本人好みの素敵な曲(歌)だと思いました。
オーストラリア軍楽隊長(イギリス人)の作曲です。
ナウル語と日本語の母音の構成が似ているらしく、日本語で歌っている?と思わせますし、旋律も、日本に伝わってきた昔の唱歌のような趣があります。
ネイティブアメリカンの言い伝えなのか、サン・テグジュペリのオリジナルなのか、はっきりしないそうですが、
という言葉があると、最近知りました。
同じくネイティブアメリカンの言い伝えに、
というのもあるそうですね。
現代の地球に住む人間は、それらの格言をどう受け止めているのでしょう。
農園主さんが書いていらっしゃる、
「でもいつか科学技術の発展によって、環境破壊から環境再生優位となり、永続性のある人間社会が訪れることを、一縷の希望としています。」
永続性のある人間社会が、決して当たり前のことではなかったんだと気づかされました。ありがとうございます。
Wさんのお話ですが、さぞ驚かれたことと思います。
その部屋にいらした他の誰かの顔が、なんらかの反射で映り込んでいたとか、カラオケの画面がたまたま写っただけではないかとか、いろいろと科学的に考えてみて、やはり霊現象にしか思えないとのことなのでしょう。
写っていた霊の影響でWさんがうつになったのか、仕事などのストレスからうつになり、その弱くなった心につけ込んだ霊がついてしまったのか、どちらなのかはわかりませんが、前向きに???考えると、「たまたまその部屋にいたのが、たまたまWさんの横に写った」ということもありますね。
なんでも心霊現象と結びつける気はありませんが、やっぱり不思議なことはあるものです。
よけいなおせっかいですが、その写真、削除しましたか?
もう使っていらっしゃらない携帯ならいいのですが、もしSDカードなどで移行し、お手元にあるなら、削除なさってくださいね。
紙の写真なら、お塩を振って焼くのがベスト(焼き魚みたいですね(笑))なのですが、データは削除できるならしたほうがいいかと思いました。
うつというのは、当人が苦しんでいても周りからそう見られなかったり、理解されなかったり、また本人でさえよくわかっていないケースもあるように思います。
高齢者施設で(元気な人しか来館できない施設)、ずいぶん前から私の講座に熱心に出てくださる男性がいます。
恐らく70歳近いはずですが、昨年ぱったりと来なくなりました。
しばらくしていらした時、「ここが(と頭を指さして)ちょっと。入院していました」とおっしゃいました。
てっきり脳溢血や脳梗塞だと思っていたのですが、その後も、講座を申し込んでもすぐキャンセルすることが続いていました。
先日少しお話する時間があり、立ち話をしました。
「外へ出ないと家から出られなくなっちゃうんだよね、だから出るようにしてるんだけど」とおっしゃったので、「無理しないようになさってくださいね。講座は出られる時に出てくださればいいんですよ」という意味のことを話しました。
すると「そういわれるとプレッシャーがかかっちゃうんだよね」とおっしゃるので、「ごめんなさい、そんな意味で言ったのではないんです」と言ったのですが、「それはわかってるけど、裏の意味を考えちゃうんだよね」と。
その時、「ああ、もしかしたら、精神的な問題で入院していたのかもしれない」と思い当たりました。
本当のことはわかりませんが、もしそういったことだとすると、言葉を慎重に選ばないといけないと反省しました。
でも、私が「裏の意味」をまったく含んでいないのに、その方の受け止め方は違う(時がある)かもしれないと思うと、会話自体しないほうが無難という考えになってしまいそうで、それもなんだかなぁと。
難しいですね・・・・。
いつ頃からだったのか忘れましたが、「半夏生だからタコを食べましょう」というようなPOPが、スーパーの魚売り場で見られるようになりました。
そのあたりになると、タコは高くなりますが(笑)
この風習は関西からだったとは知りませんでした。
恵方巻も関西の風習だったそうですが、なぜか2000年にセブンイレブンが大々的に広め、こちらでも当たり前の行事となっています。
チェーン店のお寿司屋さんでは、通常の営業を縮小し、ひたすら恵方巻を作って売るという一日になっていて、それはもう上を下への大騒ぎの日となります(笑)
恵方巻の中身も年々進化し、実にバラエティーに富んでいますが、タコも恵方巻も、離れた地域で定着していくというのは、おもしろいです。
半夏生餅というのがあるんですね。
ご存じかもしれませんが「水無月」という和菓子があり、これは京都発祥で、6月30日の夏越の祓に食べる行事食なのだそうですが、こちらでは、デパートの和菓子屋さんで、6月30日の一日限りや、その前の1週間ほどしか販売しないという、困った和菓子です(笑)
昨年はうっかり買い損ね、しかたなく虎屋で買ったらまずいのなんの(笑)
俵屋吉富という京都のお店が、東京の西武百貨店に入っていて、驚くほどおいしかったのですが、お店によってまったく味が違うんですね。
因みに俵屋吉富は、なぜか東京の百貨店から撤退してしまいました。
旧約聖書の時代からはるかに時は経ちましたが、文明の進歩はしても、人間としては進歩しないものなのかもしれません。
また、愚かであるのが人間なんだとも言えるのでしょうね。
中学生の時だったと思いますが、浅草の映画館で『十戒』を観ました。
祖父母と浅草寺にお参りに行った(連れていかれた)帰りでしたが、もちろんリバイバルです(笑)
祖父母が観たかったので付き合わされたのでしょうが、興味もなかったため、タイトルすらすぐに忘れてしまいました。
しばらくして学校で国語の教師が、授業中に「十戒の映画を観た人いるか?」と聞きましたが、誰も手をあげませんでした。
なぜこの質問が出たのかすっかり忘れましたが、先生が観て感動したからかもしれません。
下校後、「あれ?この前観た映画、十戒っていわなかったっけ?」と思いましたが手遅れでしたね(笑)
ずいぶん経ってから、チャールトン・ヘストン、ユル・ブリンナーなど、豪華キャストのスペクタクル映画だったことを知りました。
海が割れるシーンとシナイ山のシーンは、印象に残っています。
あれ以来観ていないのですが、いずれ機会があれば amazon primeで観たいと思っています←今度はちゃんと観ます!!(笑)
それにしても、例えば木を切って生活に役立つ道具を作るとか、木や動物の骨から楽器を作るとか、古代から人間は発明家だったのだなと驚きますが、鉄鉱石や石灰山、リン鉱石の採掘など、その資源から何を作れるかと思いつくとは、奇跡的な知恵のように思えます。
昨日から近所のスーパーで、「三重県フェア」が始まったので、さっき行ってきました。
物産展は、北海道や京都、北陸、東北、九州などはよく開催されますが、三重県単独というのは珍しいです。
農園主さんがよくご存じの品物ばかりかと思います。
真珠、伊勢うどん、お酒、御福餅、じゃばら、九鬼の胡麻油(出展者の方に、九鬼の水軍の関連の会社ですか?と聞いたら、そうですと仰ってました)、あおさ、伊勢のひりょうず、珍しいのはマンボウのナゲット、etc.etc.、かなりの数のお店が出店していました。
おかげ犬というキャラクターもあるんですね。マスコットや手ぬぐいなど売っていました。
組子のコースター作りを体験できるコーナーもありました。
おかげ横丁あたりの、神具店が出店していたらと思いましたが、なかったので残念でした(笑)
アホウドリの糞が化石化してリン鉱石の島になったおかげで世界一裕福な国となり、それがわずか20年ほどで枯渇し、あっという間に貧しい国となってしまったという経緯には、驚くばかりです。
東京オリンピックの時、選手は2~3人、パリオリンピックではたったひとりでしたが、ナウルの国歌はとても日本人好みの素敵な曲(歌)だと思いました。
オーストラリア軍楽隊長(イギリス人)の作曲です。
ナウル語と日本語の母音の構成が似ているらしく、日本語で歌っている?と思わせますし、旋律も、日本に伝わってきた昔の唱歌のような趣があります。
ネイティブアメリカンの言い伝えなのか、サン・テグジュペリのオリジナルなのか、はっきりしないそうですが、
地球は先祖から受け継いでいるのではない、子どもたちから借りたものだ(You do not inherit the earth from your ancestors, you borrow it from your children.)
という言葉があると、最近知りました。
同じくネイティブアメリカンの言い伝えに、
どんなことでも7世代先(セブンス・ジェネレーション)のことを考えて決めなくてはならない
というのもあるそうですね。
現代の地球に住む人間は、それらの格言をどう受け止めているのでしょう。
農園主さんが書いていらっしゃる、
「でもいつか科学技術の発展によって、環境破壊から環境再生優位となり、永続性のある人間社会が訪れることを、一縷の希望としています。」
永続性のある人間社会が、決して当たり前のことではなかったんだと気づかされました。ありがとうございます。
Wさんのお話ですが、さぞ驚かれたことと思います。
その部屋にいらした他の誰かの顔が、なんらかの反射で映り込んでいたとか、カラオケの画面がたまたま写っただけではないかとか、いろいろと科学的に考えてみて、やはり霊現象にしか思えないとのことなのでしょう。
写っていた霊の影響でWさんがうつになったのか、仕事などのストレスからうつになり、その弱くなった心につけ込んだ霊がついてしまったのか、どちらなのかはわかりませんが、前向きに???考えると、「たまたまその部屋にいたのが、たまたまWさんの横に写った」ということもありますね。
なんでも心霊現象と結びつける気はありませんが、やっぱり不思議なことはあるものです。
よけいなおせっかいですが、その写真、削除しましたか?
もう使っていらっしゃらない携帯ならいいのですが、もしSDカードなどで移行し、お手元にあるなら、削除なさってくださいね。
紙の写真なら、お塩を振って焼くのがベスト(焼き魚みたいですね(笑))なのですが、データは削除できるならしたほうがいいかと思いました。
うつというのは、当人が苦しんでいても周りからそう見られなかったり、理解されなかったり、また本人でさえよくわかっていないケースもあるように思います。
高齢者施設で(元気な人しか来館できない施設)、ずいぶん前から私の講座に熱心に出てくださる男性がいます。
恐らく70歳近いはずですが、昨年ぱったりと来なくなりました。
しばらくしていらした時、「ここが(と頭を指さして)ちょっと。入院していました」とおっしゃいました。
てっきり脳溢血や脳梗塞だと思っていたのですが、その後も、講座を申し込んでもすぐキャンセルすることが続いていました。
先日少しお話する時間があり、立ち話をしました。
「外へ出ないと家から出られなくなっちゃうんだよね、だから出るようにしてるんだけど」とおっしゃったので、「無理しないようになさってくださいね。講座は出られる時に出てくださればいいんですよ」という意味のことを話しました。
すると「そういわれるとプレッシャーがかかっちゃうんだよね」とおっしゃるので、「ごめんなさい、そんな意味で言ったのではないんです」と言ったのですが、「それはわかってるけど、裏の意味を考えちゃうんだよね」と。
その時、「ああ、もしかしたら、精神的な問題で入院していたのかもしれない」と思い当たりました。
本当のことはわかりませんが、もしそういったことだとすると、言葉を慎重に選ばないといけないと反省しました。
でも、私が「裏の意味」をまったく含んでいないのに、その方の受け止め方は違う(時がある)かもしれないと思うと、会話自体しないほうが無難という考えになってしまいそうで、それもなんだかなぁと。
難しいですね・・・・。
いつ頃からだったのか忘れましたが、「半夏生だからタコを食べましょう」というようなPOPが、スーパーの魚売り場で見られるようになりました。
そのあたりになると、タコは高くなりますが(笑)
この風習は関西からだったとは知りませんでした。
恵方巻も関西の風習だったそうですが、なぜか2000年にセブンイレブンが大々的に広め、こちらでも当たり前の行事となっています。
チェーン店のお寿司屋さんでは、通常の営業を縮小し、ひたすら恵方巻を作って売るという一日になっていて、それはもう上を下への大騒ぎの日となります(笑)
恵方巻の中身も年々進化し、実にバラエティーに富んでいますが、タコも恵方巻も、離れた地域で定着していくというのは、おもしろいです。
半夏生餅というのがあるんですね。
ご存じかもしれませんが「水無月」という和菓子があり、これは京都発祥で、6月30日の夏越の祓に食べる行事食なのだそうですが、こちらでは、デパートの和菓子屋さんで、6月30日の一日限りや、その前の1週間ほどしか販売しないという、困った和菓子です(笑)
昨年はうっかり買い損ね、しかたなく虎屋で買ったらまずいのなんの(笑)
俵屋吉富という京都のお店が、東京の西武百貨店に入っていて、驚くほどおいしかったのですが、お店によってまったく味が違うんですね。
因みに俵屋吉富は、なぜか東京の百貨店から撤退してしまいました。
旧約聖書の時代からはるかに時は経ちましたが、文明の進歩はしても、人間としては進歩しないものなのかもしれません。
また、愚かであるのが人間なんだとも言えるのでしょうね。
中学生の時だったと思いますが、浅草の映画館で『十戒』を観ました。
祖父母と浅草寺にお参りに行った(連れていかれた)帰りでしたが、もちろんリバイバルです(笑)
祖父母が観たかったので付き合わされたのでしょうが、興味もなかったため、タイトルすらすぐに忘れてしまいました。
しばらくして学校で国語の教師が、授業中に「十戒の映画を観た人いるか?」と聞きましたが、誰も手をあげませんでした。
なぜこの質問が出たのかすっかり忘れましたが、先生が観て感動したからかもしれません。
下校後、「あれ?この前観た映画、十戒っていわなかったっけ?」と思いましたが手遅れでしたね(笑)
ずいぶん経ってから、チャールトン・ヘストン、ユル・ブリンナーなど、豪華キャストのスペクタクル映画だったことを知りました。
海が割れるシーンとシナイ山のシーンは、印象に残っています。
あれ以来観ていないのですが、いずれ機会があれば amazon primeで観たいと思っています←今度はちゃんと観ます!!(笑)
それにしても、例えば木を切って生活に役立つ道具を作るとか、木や動物の骨から楽器を作るとか、古代から人間は発明家だったのだなと驚きますが、鉄鉱石や石灰山、リン鉱石の採掘など、その資源から何を作れるかと思いつくとは、奇跡的な知恵のように思えます。
昨日から近所のスーパーで、「三重県フェア」が始まったので、さっき行ってきました。
物産展は、北海道や京都、北陸、東北、九州などはよく開催されますが、三重県単独というのは珍しいです。
農園主さんがよくご存じの品物ばかりかと思います。
真珠、伊勢うどん、お酒、御福餅、じゃばら、九鬼の胡麻油(出展者の方に、九鬼の水軍の関連の会社ですか?と聞いたら、そうですと仰ってました)、あおさ、伊勢のひりょうず、珍しいのはマンボウのナゲット、etc.etc.、かなりの数のお店が出店していました。
おかげ犬というキャラクターもあるんですね。マスコットや手ぬぐいなど売っていました。
組子のコースター作りを体験できるコーナーもありました。
おかげ横丁あたりの、神具店が出店していたらと思いましたが、なかったので残念でした(笑)
2025年5月11日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
ぼくはむかし、求人広告の制作部門の深夜勤務で働いていたのですが、職場に、Wさんという方がいました。
当時のぼくよりひと回り上の先輩でした。
Wさんは深夜勤務をこなしたあと、じぶんの独立した仕事として営業と広告制作をしてフライヤーをつくり、ポスティングをこなすというダブルワークをしていたんです。
一日に3時間しか寝る時間がなかったそうですが、月収は50万程度あったといいます。
しかし以前に離婚されていたようで、養育費を振り込んでいたようです。
カラダはガリガリでしたが気力は充溢しており、明朗な人格だったこともあり、そのうち職場で深夜リーダーとなりました。
あるときWさんと、大阪梅田でサシで飲む機会があったのですが、じつはリーダーになったあたりから、会社の人間関係がうまくいかなくなったことでうつ病になっていたことを明かされました。
たしかにリーダーになってからのWさんはメンタルが安定せず、急にイライラしたかとおもうと、元気がなくなってしまったり、ふだんのユーモアも失われがちだとはおもっていました。
じつはぼくはWさんの後を継いでリーダーになったので、50人の制作チームの人事や進捗を管理し、嫌われ者になる心労はわかるつもりです。
やりがいもあるし、給料だってたくさんもらえて、いい立場ではあるんですが、同時に職場に渦巻く不満の捌け口になり、かれらの不満の矢面に立つ仕事でもありました。
もちろん会社全体でみればリーダーは課長補佐より下の役職です。
しかし深夜勤務の中ではリーダー職が事実上のトップになるので、そこより上の役職がいません。
職場の不満をぶつけられる相手はリーダーしかいないので、サンドバッグになるしかありません。
Wさんがうつ病だった時期、職場の仲間でカラオケに行く機会がありました。
で、Wさんが歌っているときにぼくが携帯で撮影した写真なんですが、完全に映っていたんですよね。
薄暗いカラオケボックスの部屋で、歌を歌ってるWさんの横にはっきりと人の顔がある。
むかしの画質のわるい携帯の写メでしたが、それでも後にも先にもあんな完璧な……いわゆる心霊写真は初めてで、同僚たちに見せると悲鳴をあげて「なにこれ!?」といいました。
同時にみんな、さすがに心霊写真のようなものを本気でとりあうわけにもいかず、まさかなあといった雰囲気。
でもはっきり写った顔に、これだという説明ができる人もいませんでした。
当のWさんは根っからそういったことを信じない人でしたから、ネタとして笑った以外に、深刻にとらえるようなことはありませんでした。
この話はこれで終わりです。
いわゆる怖い話にできるような後日談があるわけでもなし、物語的なカタルシスもありません。
結局その方はしばらくして会社をやめて、ぼくが後を引き継ぎましたが、ぼくもその後職場をやめました。
いまWさんもぼちぼち還暦を迎えるころでしょうが、どうされているかは知る由もありません。
個人的にはいまの時代、うつ病になるということは人間が社会活動をするうえでの通過儀礼のようなものだとおもっています。
社会にマジメに向き合っている人ほど、不条理にもまれ、じぶんのおもっていたようにいかない人生に打ちのめされ、憂鬱に飲まれてしまいます。
この社会で生きるために必死になって、別れた家族に養育費を払いながら、すこしでも豊かな暮らしを手に入れるために、寝る時間を削ってやせっぽちで頑張っておられたWさんを、心霊と関連付けるのは気の毒なことです。
ですがやっぱり、あの不気味な写真と、あのころのWさんの状況を、因縁づけて考えたくなる気持ちもあるにはあるのです。
ギズモさんが精神科医さんとのエピソードをおっしゃってくれたおかげで、ぼくの中にもそういう心のせめぎ合いがあったのだと気づかせていただきました。
この話は、たまたまギズモさんの話から似たような経験、古い思い出がよみがえってきたというだけのことです。
ギズモさんを責めているのではないことは、付け加えておきます。
薬とうつ病の関係について、いろいろな情報を教えていただきありがとうございます。
いわゆる酔い止めにもストレス軽減の効能とうつの副作用があるんですね。
幸い言葉が出にくくなる症状はかなり落ち着きましたが、半夏厚朴湯はちょうどぼくの症状に効きそうな気がします。
そういえば半夏厚朴湯という言葉に記憶のひっかかりを感じたので、調べてみました。
半夏はカラスビシャクというサトイモ科の多年生植物の古い名前なんだそうです。
酔い止めとおなじく吐き気(妊婦のつわり)に効いたり、精神安定の効能があるといいます。
本来食用にならない植物ですが、この根っこを加工して入念にアク抜きすると薬草になるということです。
7月に入ってすぐ、カラスビシャクが芽を出すころを「半夏生」と呼ぶそうで、ああそれで親しみがあったのかと納得がいきました。
というのも、近畿圏では半夏生はけっこう有名で、古くは大阪では半夏生にはタコを食べる習慣があったそうです。
いまどきタコを食べる習慣はほぼ廃れましたが、半夏生餅という季節の和菓子があって、こちらは関西のスーパーや和菓子屋でみかけます。
むかしは麦と米の二期作でしたから、田植えは麦の収穫が終わった後の6月に始めて、11月に刈り取って麦をまくというサイクルでした。
ですから半夏生は田植えが終わって7月の梅雨時期に入り、ホッとひと息ついた時期の、農村におけるささやかなお祭りだったのでしょう。
芝桜のきれいな写真、武甲山の写真をありがとうございます。
人類の文明は道具をつかうところから始まりますが、鉄鉱石鉱山から鉄鉱石を採掘するようになったのが、「山を切り崩してじぶんたちの道具を得る」暮らしのはじまりでしょう。
古墳時代には、島根県(出雲)のあたりで鉄穴流し(かんなながし)といって、山を削ってこの土砂を水に流し、土に含まれる砂鉄を採取するやり方で鉄を採集していました。
農具、武具、民具にと、当時の鉄の需要はすでに全国規模のものでしたが、出雲のたたら製鉄は鉄製品の需要を支える一大産業だったのです。
ちなみにたたら製鉄を行うには、莫大な薪を必要としました。
出雲地方は湿潤な気候に恵まれていたため、山をひとつ丸裸に伐採し、また木の苗を植樹しておけば、20年のサイクルでじゅうぶんな大きさの木に生長したといいます。
この木々が育ちやすい気候がなければ、当時の製鉄における莫大な燃料はまかなえませんでした。
すでに当時から、人間の道具をつくるために一定の環境破壊は行われていたということですね。
有史以来人類は自然環境を利用して文明を強力に推進してきたのですが、石灰山が大きく切り崩されるようになったのはコンクリート需要や農業肥料の需要が急増した近代からですね。
近代になって一気に採掘が進んだという極端な例としては、太平洋のナウル島のリン鉱石採掘が有名です。
この小さな島はもともとサンゴ礁が隆起してできたのですが、そこにアホウドリが集まるようになり、糞が堆積しました。
鳥のフンにはリンが多く含まれていますが、ナウルではアホウドリの糞が長い期間かけて化石化してリン鉱石の島となったのです。
リンの使い道は多く、特に農業肥料の分野では欠かせません。
ナウルでは19世紀後半からリン鉱石の採掘がはじまりました。
1968年にはナウル共和国として独立。一時は世界一裕福な国となりましたが、1990年代にはリン鉱石が枯渇。
独立から数えれば、ほんの四半世紀の栄華でした。
現在では経済が崩壊し、漁業権の販売や観光業の振興に努めているということですが、自給自足もむずかしい島ですから、先行きが明るいとはいえません。
ナウルの資源枯渇問題は、将来の人類全体がたどる問題でもあります。
原油もいずれは枯渇しますし、世界中の山々から鉱石を採掘することだって、いつまでもやっていけるわけではありません。
リサイクルをするにしたって、その機械をつくるのに原油や鉱石などの資源が必要であり、現代文明社会の永続性について、人類は非常に危うい綱渡りをしています。
衣食住足りて人間は理性を保てますが、いざ資源が枯渇すれば、みんなじぶんに利益を引っ張るために戦争でも人殺しでも略奪でも、なんだってやることでしょう。
みんな仲良く、世界人口を計画的に減らしながら、残された資源と文明をうまく利用して永続させていく、なんてお行儀のいいことは、おそらく人類にはできません……いま現在できていないのだから、将来もできるはずがありません。
ギズモさんが武甲山をご覧になって、モーセの十戒の祭壇を想起されたという話は、ぼくとは解釈がちがうとはおもうのですが、ほんとうにそうだと感じました。
モーゼがシナイ山で創造主ヤハウェから授かったという十戒の、最後の戒めは「隣人の家を欲しがってはならない」ですね。
「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない」
この隣人という言い回しを地球規模にまで拡大解釈していくと、われわれは、地球の先輩たちが数十億年かけて残してきた「家」……つまり化石燃料や鉱石資源を、消費しつくすほどに貪って、戒めをないがしろにしています。
山体が変わるほど削られた山が、自然に元の山体に戻ることはありませんし、近い将来(といってもまだしばらくはもつでしょうが)、原油が枯れてしまえば、あらたに何十億年も動植物の死骸が積み重なって石油化しない限り、原油資源が復活することもありません。
モーセはシナイ山で神から石板を授かりました。
が、地上の人々はモーセがなかなか戻ってこないため、待ちきれずにあたらしい神の像(黄金の子牛)をつくってしまいます。
神はそのことを知って激怒しました。
モーセは急いで山を下り、黄金の子牛を焼き払うと、子牛を礼拝していた人々を皆殺しにします。
この黄金の子牛はモーセ(十戒)を待ちきれずに資本主義、拝金主義に走った人間の愚かさになぞらえているというのですが、当時から人間はこのような行き過ぎた貪りを繰り返していたから、戒めが必要だったのでしょう。
ギズモさんの武甲山の写真を拝見しながら、ぼくはついそんなことを考えていました。
ちなみにぼくは、いまの人類の文明では地球環境を破壊することから逃れることはできないとおもっています。
でもいつか科学技術の発展によって、環境破壊から環境再生優位となり、永続性のある人間社会が訪れることを、一縷の希望としています。
当時のぼくよりひと回り上の先輩でした。
Wさんは深夜勤務をこなしたあと、じぶんの独立した仕事として営業と広告制作をしてフライヤーをつくり、ポスティングをこなすというダブルワークをしていたんです。
一日に3時間しか寝る時間がなかったそうですが、月収は50万程度あったといいます。
しかし以前に離婚されていたようで、養育費を振り込んでいたようです。
カラダはガリガリでしたが気力は充溢しており、明朗な人格だったこともあり、そのうち職場で深夜リーダーとなりました。
あるときWさんと、大阪梅田でサシで飲む機会があったのですが、じつはリーダーになったあたりから、会社の人間関係がうまくいかなくなったことでうつ病になっていたことを明かされました。
たしかにリーダーになってからのWさんはメンタルが安定せず、急にイライラしたかとおもうと、元気がなくなってしまったり、ふだんのユーモアも失われがちだとはおもっていました。
じつはぼくはWさんの後を継いでリーダーになったので、50人の制作チームの人事や進捗を管理し、嫌われ者になる心労はわかるつもりです。
やりがいもあるし、給料だってたくさんもらえて、いい立場ではあるんですが、同時に職場に渦巻く不満の捌け口になり、かれらの不満の矢面に立つ仕事でもありました。
もちろん会社全体でみればリーダーは課長補佐より下の役職です。
しかし深夜勤務の中ではリーダー職が事実上のトップになるので、そこより上の役職がいません。
職場の不満をぶつけられる相手はリーダーしかいないので、サンドバッグになるしかありません。
Wさんがうつ病だった時期、職場の仲間でカラオケに行く機会がありました。
で、Wさんが歌っているときにぼくが携帯で撮影した写真なんですが、完全に映っていたんですよね。
薄暗いカラオケボックスの部屋で、歌を歌ってるWさんの横にはっきりと人の顔がある。
むかしの画質のわるい携帯の写メでしたが、それでも後にも先にもあんな完璧な……いわゆる心霊写真は初めてで、同僚たちに見せると悲鳴をあげて「なにこれ!?」といいました。
同時にみんな、さすがに心霊写真のようなものを本気でとりあうわけにもいかず、まさかなあといった雰囲気。
でもはっきり写った顔に、これだという説明ができる人もいませんでした。
当のWさんは根っからそういったことを信じない人でしたから、ネタとして笑った以外に、深刻にとらえるようなことはありませんでした。
この話はこれで終わりです。
いわゆる怖い話にできるような後日談があるわけでもなし、物語的なカタルシスもありません。
結局その方はしばらくして会社をやめて、ぼくが後を引き継ぎましたが、ぼくもその後職場をやめました。
いまWさんもぼちぼち還暦を迎えるころでしょうが、どうされているかは知る由もありません。
個人的にはいまの時代、うつ病になるということは人間が社会活動をするうえでの通過儀礼のようなものだとおもっています。
社会にマジメに向き合っている人ほど、不条理にもまれ、じぶんのおもっていたようにいかない人生に打ちのめされ、憂鬱に飲まれてしまいます。
この社会で生きるために必死になって、別れた家族に養育費を払いながら、すこしでも豊かな暮らしを手に入れるために、寝る時間を削ってやせっぽちで頑張っておられたWさんを、心霊と関連付けるのは気の毒なことです。
ですがやっぱり、あの不気味な写真と、あのころのWさんの状況を、因縁づけて考えたくなる気持ちもあるにはあるのです。
ギズモさんが精神科医さんとのエピソードをおっしゃってくれたおかげで、ぼくの中にもそういう心のせめぎ合いがあったのだと気づかせていただきました。
この話は、たまたまギズモさんの話から似たような経験、古い思い出がよみがえってきたというだけのことです。
ギズモさんを責めているのではないことは、付け加えておきます。
薬とうつ病の関係について、いろいろな情報を教えていただきありがとうございます。
いわゆる酔い止めにもストレス軽減の効能とうつの副作用があるんですね。
幸い言葉が出にくくなる症状はかなり落ち着きましたが、半夏厚朴湯はちょうどぼくの症状に効きそうな気がします。
そういえば半夏厚朴湯という言葉に記憶のひっかかりを感じたので、調べてみました。
半夏はカラスビシャクというサトイモ科の多年生植物の古い名前なんだそうです。
酔い止めとおなじく吐き気(妊婦のつわり)に効いたり、精神安定の効能があるといいます。
本来食用にならない植物ですが、この根っこを加工して入念にアク抜きすると薬草になるということです。
7月に入ってすぐ、カラスビシャクが芽を出すころを「半夏生」と呼ぶそうで、ああそれで親しみがあったのかと納得がいきました。
というのも、近畿圏では半夏生はけっこう有名で、古くは大阪では半夏生にはタコを食べる習慣があったそうです。
いまどきタコを食べる習慣はほぼ廃れましたが、半夏生餅という季節の和菓子があって、こちらは関西のスーパーや和菓子屋でみかけます。
むかしは麦と米の二期作でしたから、田植えは麦の収穫が終わった後の6月に始めて、11月に刈り取って麦をまくというサイクルでした。
ですから半夏生は田植えが終わって7月の梅雨時期に入り、ホッとひと息ついた時期の、農村におけるささやかなお祭りだったのでしょう。
芝桜のきれいな写真、武甲山の写真をありがとうございます。
人類の文明は道具をつかうところから始まりますが、鉄鉱石鉱山から鉄鉱石を採掘するようになったのが、「山を切り崩してじぶんたちの道具を得る」暮らしのはじまりでしょう。
古墳時代には、島根県(出雲)のあたりで鉄穴流し(かんなながし)といって、山を削ってこの土砂を水に流し、土に含まれる砂鉄を採取するやり方で鉄を採集していました。
農具、武具、民具にと、当時の鉄の需要はすでに全国規模のものでしたが、出雲のたたら製鉄は鉄製品の需要を支える一大産業だったのです。
ちなみにたたら製鉄を行うには、莫大な薪を必要としました。
出雲地方は湿潤な気候に恵まれていたため、山をひとつ丸裸に伐採し、また木の苗を植樹しておけば、20年のサイクルでじゅうぶんな大きさの木に生長したといいます。
この木々が育ちやすい気候がなければ、当時の製鉄における莫大な燃料はまかなえませんでした。
すでに当時から、人間の道具をつくるために一定の環境破壊は行われていたということですね。
有史以来人類は自然環境を利用して文明を強力に推進してきたのですが、石灰山が大きく切り崩されるようになったのはコンクリート需要や農業肥料の需要が急増した近代からですね。
近代になって一気に採掘が進んだという極端な例としては、太平洋のナウル島のリン鉱石採掘が有名です。
この小さな島はもともとサンゴ礁が隆起してできたのですが、そこにアホウドリが集まるようになり、糞が堆積しました。
鳥のフンにはリンが多く含まれていますが、ナウルではアホウドリの糞が長い期間かけて化石化してリン鉱石の島となったのです。
リンの使い道は多く、特に農業肥料の分野では欠かせません。
ナウルでは19世紀後半からリン鉱石の採掘がはじまりました。
1968年にはナウル共和国として独立。一時は世界一裕福な国となりましたが、1990年代にはリン鉱石が枯渇。
独立から数えれば、ほんの四半世紀の栄華でした。
現在では経済が崩壊し、漁業権の販売や観光業の振興に努めているということですが、自給自足もむずかしい島ですから、先行きが明るいとはいえません。
ナウルの資源枯渇問題は、将来の人類全体がたどる問題でもあります。
原油もいずれは枯渇しますし、世界中の山々から鉱石を採掘することだって、いつまでもやっていけるわけではありません。
リサイクルをするにしたって、その機械をつくるのに原油や鉱石などの資源が必要であり、現代文明社会の永続性について、人類は非常に危うい綱渡りをしています。
衣食住足りて人間は理性を保てますが、いざ資源が枯渇すれば、みんなじぶんに利益を引っ張るために戦争でも人殺しでも略奪でも、なんだってやることでしょう。
みんな仲良く、世界人口を計画的に減らしながら、残された資源と文明をうまく利用して永続させていく、なんてお行儀のいいことは、おそらく人類にはできません……いま現在できていないのだから、将来もできるはずがありません。
ギズモさんが武甲山をご覧になって、モーセの十戒の祭壇を想起されたという話は、ぼくとは解釈がちがうとはおもうのですが、ほんとうにそうだと感じました。
モーゼがシナイ山で創造主ヤハウェから授かったという十戒の、最後の戒めは「隣人の家を欲しがってはならない」ですね。
「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない」
この隣人という言い回しを地球規模にまで拡大解釈していくと、われわれは、地球の先輩たちが数十億年かけて残してきた「家」……つまり化石燃料や鉱石資源を、消費しつくすほどに貪って、戒めをないがしろにしています。
山体が変わるほど削られた山が、自然に元の山体に戻ることはありませんし、近い将来(といってもまだしばらくはもつでしょうが)、原油が枯れてしまえば、あらたに何十億年も動植物の死骸が積み重なって石油化しない限り、原油資源が復活することもありません。
モーセはシナイ山で神から石板を授かりました。
が、地上の人々はモーセがなかなか戻ってこないため、待ちきれずにあたらしい神の像(黄金の子牛)をつくってしまいます。
神はそのことを知って激怒しました。
モーセは急いで山を下り、黄金の子牛を焼き払うと、子牛を礼拝していた人々を皆殺しにします。
この黄金の子牛はモーセ(十戒)を待ちきれずに資本主義、拝金主義に走った人間の愚かさになぞらえているというのですが、当時から人間はこのような行き過ぎた貪りを繰り返していたから、戒めが必要だったのでしょう。
ギズモさんの武甲山の写真を拝見しながら、ぼくはついそんなことを考えていました。
ちなみにぼくは、いまの人類の文明では地球環境を破壊することから逃れることはできないとおもっています。
でもいつか科学技術の発展によって、環境破壊から環境再生優位となり、永続性のある人間社会が訪れることを、一縷の希望としています。
2025年5月7日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
目黒のさんまですが、一説には、家光が目黒不動参詣の帰りに寄った茶屋が舞台と言われていますね。
何度かお参りに行ったことがありますが、関東最古の不動霊場だそうで、808年開創のお寺です。
ご本尊の不動明王は秘仏で、酉年にしか開扉しないため、2029年には絶対お参りに行くつもりです←忘れないようにしないと。。。
目黒のさんまは、骨を抜いて蒸して・・・というお話だったと思いますが、最近、骨なしのお魚が、冷凍などで売られるようになりました。
さんまもありますが、尾と頭のないさんまというのも味気ないものです(笑)
お母様のお話ですが、お気持ちを推察するのは失礼ですし、わかるはずもないのですが、溜飲が下がったという心境ではないように思います。
同情から文句を言うのを辛抱しているのではないというご様子からも、そう感じます。
常々「一方的に不利益をこうむっている」と感じていても、そこはやっぱり家族なので、いざ大事が起きれば自然と愚痴は消え去り、よし!がんばるぞ~みたいな、ポジティブな心境にシフトしていったのではないでしょうか。
気持ちの切り替えをしたとしても、ムリムリではなく、自然な感情の流れであったのではないかと。
本当に溜飲が下がったと思っていらっしゃれば、愚痴を聞いてくれていた農園主さんに、気持ちをお話になるように思います。
それにしても、直接ご主人であるお父様に言えないからかもしれませんが、母親が息子に愚痴を言える関係って、いいですね~。
親子でも兄弟でも、異性間だとなかなか言いにくいように思っていました。
お母様から信頼されている証拠でしょうね。
お母様も、ちょっとした愚痴を言うことで、ご気分がスッキリなさったということもあったように思います。
お父様は、「言われないとなにもしない昭和の親父」とのことですが、昭和の親父は、言われても何もやらず、ちゃぶ台の前に座って、文句ばかり言っているイメージがあります(笑)
的外れかもしれない話を、失礼しました。
ギバー・テイカー・マッチャーのお話は、とても興味深いです。
この三種類の性格は、ビジネス面で顕著に現れるように思いました。
また、ギバーが結束して、テイカーやマッチャーに極力関わらないこと、これはとても重要だと思います。
この人は三種類のどれだろうと考えることにより、関わっていいものか距離を置くべきかがわかるので、ストレスはずいぶん減ることでしょう。
最近見かけませんが、だいぶ前テレビのCMで、「ストレスで喉がつかえる感じがする人に」に効く市販薬(たぶん半夏厚朴湯)の宣伝をしていました。
その時、そういう症状がある人は多いんだなと思ったことを覚えています。
ちょっと、おかしな話をします。
前回お話した精神科医の歌のレッスンは、カラオケ屋さんで一回1~2時間、やっていました。
他にも同じようにカラオケ屋さんでレッスンをする方は多かったのですが、彼女の時だけ、その1~2時間の間に2~3回、喉がつっかえる感じがして、声が出せなくなるんです。
急いでお水を飲んだりして、なんとかどうやら話せるようになるんですが、彼女の時だけ緊張したりストレスを感じるわけでもなく、まったく原因がわかりませんでした。
ストレスや身体的な問題でない。ではなぜ、そういうことが起きるのかと考えていくと、心霊的なことしか答えが出ませんでした。
まずは場所ですが、いつも同じではなかったのでこれは除外。
そうすると、彼女自身になにかあるとしか思えないのです。
もちろん断言はできないのですが、彼女のまとっている雰囲気からして、有り得ることだと思っています。
職業としてもいろいろ背負うものがあるのかもしれませんね。
憶測でものを言ってはならないと思いながらも、不思議なことだったので、書かせていただきました。
先日、芝桜を見に行ってきました。
埼玉県秩父にある、羊山公園・芝桜の丘です。
例によって写真が下手すぎるので、きれいに見えませんがご容赦ください(笑)
上の写真はその公園から見えた山なのですが、階段のようなものが見えますか?
これを見た時、旧約聖書のシナイ山、モーセの十戒の祭壇かと思いました(笑)
武甲山といい、北側斜面が石灰岩質で、石灰岩の採掘がおこなわれているそうですが、石灰山というものを初めて見ました。
江戸時代には漆喰、明治からはセメントの原料として、採掘のためどんどん削られ、30mほど低くなってしまったそうです。


α訂正:β遮断薬は、薬剤惹起性うつ病のリストに挙がってるんですね。
投薬するお医者さんや薬剤師が、そこまで説明してくれる人ばかりではないと思うので、何でも調べてから服用するということは大事ですね。
トラベルミンは病院でめまいの治療薬としても処方されますが、乗り物酔いの薬は、リラックス、鎮静作用があるので、緊張を緩和したい目的でも使用できるそうです。
トラベルミンRなど、眠気の出にくい酔い止めの市販薬はいろいろあるのですが、乗り物酔いの薬は、副作用としてうつ病も挙げられています。
ただ、連用、常用するものではないので、さほど心配はいらないように思います。
私は、2時間以上車に乗る時と、飛行機・船に乗る時に必ず飲みますが、頻度としては2~3ケ月に一回程度で、おとなの量ではなく、子どもの量で飲んでいます。
飲酒の可能性がある場合は、お酒に酔いやすくなったり、眠気が増強されてしまうので、避けた方がいいです。
普段飲まない方は、子どもの量でも充分かもしれません。
浅田飴からは乗り物酔いのドロップもでていますが、サイダー味もあるので、今度試してみようと思っています(笑)
https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/...
何度かお参りに行ったことがありますが、関東最古の不動霊場だそうで、808年開創のお寺です。
ご本尊の不動明王は秘仏で、酉年にしか開扉しないため、2029年には絶対お参りに行くつもりです←忘れないようにしないと。。。
目黒のさんまは、骨を抜いて蒸して・・・というお話だったと思いますが、最近、骨なしのお魚が、冷凍などで売られるようになりました。
さんまもありますが、尾と頭のないさんまというのも味気ないものです(笑)
お母様のお話ですが、お気持ちを推察するのは失礼ですし、わかるはずもないのですが、溜飲が下がったという心境ではないように思います。
同情から文句を言うのを辛抱しているのではないというご様子からも、そう感じます。
常々「一方的に不利益をこうむっている」と感じていても、そこはやっぱり家族なので、いざ大事が起きれば自然と愚痴は消え去り、よし!がんばるぞ~みたいな、ポジティブな心境にシフトしていったのではないでしょうか。
気持ちの切り替えをしたとしても、ムリムリではなく、自然な感情の流れであったのではないかと。
本当に溜飲が下がったと思っていらっしゃれば、愚痴を聞いてくれていた農園主さんに、気持ちをお話になるように思います。
それにしても、直接ご主人であるお父様に言えないからかもしれませんが、母親が息子に愚痴を言える関係って、いいですね~。
親子でも兄弟でも、異性間だとなかなか言いにくいように思っていました。
お母様から信頼されている証拠でしょうね。
お母様も、ちょっとした愚痴を言うことで、ご気分がスッキリなさったということもあったように思います。
お父様は、「言われないとなにもしない昭和の親父」とのことですが、昭和の親父は、言われても何もやらず、ちゃぶ台の前に座って、文句ばかり言っているイメージがあります(笑)
的外れかもしれない話を、失礼しました。
ギバー・テイカー・マッチャーのお話は、とても興味深いです。
この三種類の性格は、ビジネス面で顕著に現れるように思いました。
また、ギバーが結束して、テイカーやマッチャーに極力関わらないこと、これはとても重要だと思います。
この人は三種類のどれだろうと考えることにより、関わっていいものか距離を置くべきかがわかるので、ストレスはずいぶん減ることでしょう。
最近見かけませんが、だいぶ前テレビのCMで、「ストレスで喉がつかえる感じがする人に」に効く市販薬(たぶん半夏厚朴湯)の宣伝をしていました。
その時、そういう症状がある人は多いんだなと思ったことを覚えています。
ちょっと、おかしな話をします。
前回お話した精神科医の歌のレッスンは、カラオケ屋さんで一回1~2時間、やっていました。
他にも同じようにカラオケ屋さんでレッスンをする方は多かったのですが、彼女の時だけ、その1~2時間の間に2~3回、喉がつっかえる感じがして、声が出せなくなるんです。
急いでお水を飲んだりして、なんとかどうやら話せるようになるんですが、彼女の時だけ緊張したりストレスを感じるわけでもなく、まったく原因がわかりませんでした。
ストレスや身体的な問題でない。ではなぜ、そういうことが起きるのかと考えていくと、心霊的なことしか答えが出ませんでした。
まずは場所ですが、いつも同じではなかったのでこれは除外。
そうすると、彼女自身になにかあるとしか思えないのです。
もちろん断言はできないのですが、彼女のまとっている雰囲気からして、有り得ることだと思っています。
職業としてもいろいろ背負うものがあるのかもしれませんね。
憶測でものを言ってはならないと思いながらも、不思議なことだったので、書かせていただきました。
先日、芝桜を見に行ってきました。
埼玉県秩父にある、羊山公園・芝桜の丘です。
例によって写真が下手すぎるので、きれいに見えませんがご容赦ください(笑)
上の写真はその公園から見えた山なのですが、階段のようなものが見えますか?
これを見た時、旧約聖書のシナイ山、モーセの十戒の祭壇かと思いました(笑)
武甲山といい、北側斜面が石灰岩質で、石灰岩の採掘がおこなわれているそうですが、石灰山というものを初めて見ました。
江戸時代には漆喰、明治からはセメントの原料として、採掘のためどんどん削られ、30mほど低くなってしまったそうです。


α訂正:β遮断薬は、薬剤惹起性うつ病のリストに挙がってるんですね。
投薬するお医者さんや薬剤師が、そこまで説明してくれる人ばかりではないと思うので、何でも調べてから服用するということは大事ですね。
トラベルミンは病院でめまいの治療薬としても処方されますが、乗り物酔いの薬は、リラックス、鎮静作用があるので、緊張を緩和したい目的でも使用できるそうです。
トラベルミンRなど、眠気の出にくい酔い止めの市販薬はいろいろあるのですが、乗り物酔いの薬は、副作用としてうつ病も挙げられています。
ただ、連用、常用するものではないので、さほど心配はいらないように思います。
私は、2時間以上車に乗る時と、飛行機・船に乗る時に必ず飲みますが、頻度としては2~3ケ月に一回程度で、おとなの量ではなく、子どもの量で飲んでいます。
飲酒の可能性がある場合は、お酒に酔いやすくなったり、眠気が増強されてしまうので、避けた方がいいです。
普段飲まない方は、子どもの量でも充分かもしれません。
浅田飴からは乗り物酔いのドロップもでていますが、サイダー味もあるので、今度試してみようと思っています(笑)
https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/...
2025年5月1日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
鶏皮、おいしいですよね。
ぼくはカリカリに焼いて油を飛ばして、それを湯で戻してさらに油切り。
千切りにしてたっぷりのネギを乗せて甘酢に浸してというレシピなら食べられそうです。
と、こんなレシピだともう完全に目黒のさんまですね(笑)
社会と公共の話の続きなんですが、「気力と体力が落ちている時は無理にがんばらない」という場合、その状況を周囲が支えるシステムが必要です。
社会や公共というのは、じぶんががんばれないときに、ほかの人が支えてくれるシステムです。
生活保護とか、バリアフリーとか、いまの社会が公共として築いてきたものは、弱者への配慮という視点を備えています。
言い換えれば、ふだん元気なときは、弱者を支えるためにじぶんも社会や公共の歯車として頑張る、ということになります。
家庭を社会として考えると、家族が公共ということになります。
ギズモさんがたおれたときは家族が支える。
家族がたおれたときはギズモさんも支える。
ふだん元気な時は、家族一丸となって、よりよい社会(家庭)を形成するための経済活動や、より広い範囲での公共活動にいそしむ必要があります。
しかし、たった数人の家族の社会でさえ、うまくいかない場合もあるでしょう。
一度話したような気もするんですが、心理学者のアダム・グラントが、人間には
ギバー
テイカー
マッチャー
という三種類の性格が備わっているといいました。
学術的な話のようですが、これはべつにたいそうな話ではありません。
ギブアンドテイクという言葉がありますが、このギブが「ギバー」、テイクが「テイカー」となります。
つまり、それぞれ直訳で「与えたがる人」「受け取りたがる人」「バランスを取りたがる人」ということです。
このうち最悪なのが、テイカー(受け取りたがる人)です。
じぶんが受け取ることばかり考えていて、ギバー(与えたがる人)から吸い上げようとします。
その次によくないのが、マッチャーです。
与えることと受け取ることを等量にしないと気がすまない。
外食をしたときに1円単位までの割り勘を求めてくるような人が、マッチャーといえるでしょう。
マッチャーはテイカーほど意地汚いわけではありません。
しかしケチには変わりありませんし、一緒にいるとなににつけても合理性を求めてくるので窮屈です。
もっともよいのが、ギバー同士で社会を形成していくことです。
ギバーが結束して、テイカーやマッチャーには極力関わらないこと。
お互いに与えあう関係性の中で社会が築ければ、ふだんの生活のストレスは激減します。
なにせテイカーが増えると社会はカンタンに壊れていきますし、公共は機能不全に陥ります。
あえて誤解を恐れずにいうと、社会全体の人が生活保護を求めてしまうと、当然社会は成り立たないでしょう。
生活保護は社会のセーフティネットですし必要な制度ですが、これを維持するために社会全体がギバーとして貢献しています。
生活保護を求める人の割合が増えてしまうと、いくらギバーがいても足りないということになってしまうし、ギバーにも不公平感や不満が渦巻いてしまうことでしょう。
たとえばギズモさんがいくらギバーとして家庭内でがんばっても、旦那さんがテイカーだったら、家庭は崩壊しますよね。
これがもしマッチャーだったら、家庭内を合理主義で染め上げて、与えることと受け取ることを等価にする……つまり合理的でないものを家庭に持ち込めなくなってしまい、窮屈な暮らしを強いられるようになります。
家庭に問題を抱えている人の多くは、ギバー同士で生活できていないというところに原因があります。
まだマッチャー同士であれば、夫婦間の合理性のつり合いがとれている間はうまくいくでしょう。
テイカー同士の場合は……『万引き家族』という映画がありました。
あの映画では、社会に居場所がなく、詐欺や万引きをしているような連中同士が共同体のようにして暮らしている人々を描写していました。
泥棒で生計をたてるというのは、人々がまっとうに労働している利益を奪い取って、じぶんのものにするという、典型的なテイカーです。
テイカーはよほど狡猾にやらないと居場所を失いがちですから、おなじような境遇にある者同士で共同体をつくっていくしかありません。
あるいは社会から見えないように、ひとりで生きていくしかありません。
では、このギブアンドテイクの不均衡を、せめてつり合いのとれたものにするにはどうするかというと、これはもうギズモさんがおっしゃっておられました。
せめてそのときテイカーになる人が「ありがとう」とひと言を投げかけられるかどうかですよね。
ギバーもマッチャーも、場合によってはテイカーになることがあります。
病気をして人のお世話にならねばならないとき、じぶんの不手際をカバーしてもらったとき、たまたま他より多くの利益を得たときなど、いろんな局面があるとおもいます。
その都度、じぶんの立場をわきまえて、他者のご苦労や気遣いに感謝とねぎらいの言葉を伝えられるのかということは、じぶんの暮らす社会を良好に保つために、極めて大事なことだとおもいます。
うちの父母の話をしますが、以前の母はなにかというと父の文句をぼくに言いました。
酒を隠れて飲んでいる、じぶんから掃除をしないなど、ひとつひとつの件は他愛ないことでした。
しかし母からすれば積み重ねで「じぶんだけが不利益をこうむっている」という気分だったのでしょう。
ちなみにうちの父はテイカーの気質が強い、いわゆる「言われないとなにもしない昭和の親父」です。
その父がおととし肺がんと咽喉がんを患いました。
胸部を横一文字に切り裂かれ、喉に放射線をあてられて咽喉が焼け野原になり、さらに療養中に帯状疱疹に見舞われたりと、半年間ガタガタになって苦しみました。
不思議なことにそれ以来、母の愚痴が減ったのです。
これはあくまで推測ですが、母は父がひどい目にあって、体力や気力が落ち込んだことで、溜飲が下がったのではないかと(笑)
母としては、これまでの不公平感に一種のつり合いがとれた状態になったんじゃないかとおもいます。
この憶測が実際のところどうなのか、母に確認するような野暮はしませんが、母の父への愚痴や文句が減ったのはたしかで、また父への同情で文句を言うのを辛抱しているという風でもないのもたしかです。
ギズモさんのうつ病についてのお話をうかがっていると、人間の肉体と精神のバランスは綱渡りのようなところがあるのでしょう。
以前りゅうちぇるという芸能人が自殺しましたが、女性ホルモンを投与して女性らしさを得ようとされていたそうです。
女性ホルモンだけでなく、細胞レベルで作用する薬を服用すると、その過程で精神が揺らぐのでしょう。
この揺らぎがうつというカタチであらわれる場合があるのだろうなとおもっています。
ガスターにしても、H2受容体という「細胞内の反応を誘導するタンパク質」に作用するんですよね。
ぼくは先日、自治会の集会で人前で30分話し続けたんですが、帰宅後はやはり血圧も上がりました。
それどころか数日間、声がうまく出なくなる(つっかえる)ような症状が出ました。
じぶんの頭ではうまく乗り切れたとおもっていたのに、精神面ではくたくたになっていたようです。
β遮断薬という心臓病の治療薬があります。
これは高血圧の治療薬なんですが、血圧を下げて緊張を和らげたり、本態性振戦という震えにも効果があるのだといいます。
心療内科で処方されることもあるのだとか。
ああ、こんな薬があるのなら、頓服で助けてもらうのもいいかもしれないなとおもいました。
しかし、調べてみるとやはりこれも受容体を遮断する薬で、薬剤惹起性うつ病のリストに挙がってるんですね。
やっぱり特殊な作用がある薬には、特殊な副作用もあるものだと感心(?)しました。
残念ですが緊張の緩和を目的にこの薬を飲むのはやめようとおもった次第です。
ぼくはカリカリに焼いて油を飛ばして、それを湯で戻してさらに油切り。
千切りにしてたっぷりのネギを乗せて甘酢に浸してというレシピなら食べられそうです。
と、こんなレシピだともう完全に目黒のさんまですね(笑)
社会と公共の話の続きなんですが、「気力と体力が落ちている時は無理にがんばらない」という場合、その状況を周囲が支えるシステムが必要です。
社会や公共というのは、じぶんががんばれないときに、ほかの人が支えてくれるシステムです。
生活保護とか、バリアフリーとか、いまの社会が公共として築いてきたものは、弱者への配慮という視点を備えています。
言い換えれば、ふだん元気なときは、弱者を支えるためにじぶんも社会や公共の歯車として頑張る、ということになります。
家庭を社会として考えると、家族が公共ということになります。
ギズモさんがたおれたときは家族が支える。
家族がたおれたときはギズモさんも支える。
ふだん元気な時は、家族一丸となって、よりよい社会(家庭)を形成するための経済活動や、より広い範囲での公共活動にいそしむ必要があります。
しかし、たった数人の家族の社会でさえ、うまくいかない場合もあるでしょう。
一度話したような気もするんですが、心理学者のアダム・グラントが、人間には
ギバー
テイカー
マッチャー
という三種類の性格が備わっているといいました。
学術的な話のようですが、これはべつにたいそうな話ではありません。
ギブアンドテイクという言葉がありますが、このギブが「ギバー」、テイクが「テイカー」となります。
つまり、それぞれ直訳で「与えたがる人」「受け取りたがる人」「バランスを取りたがる人」ということです。
このうち最悪なのが、テイカー(受け取りたがる人)です。
じぶんが受け取ることばかり考えていて、ギバー(与えたがる人)から吸い上げようとします。
その次によくないのが、マッチャーです。
与えることと受け取ることを等量にしないと気がすまない。
外食をしたときに1円単位までの割り勘を求めてくるような人が、マッチャーといえるでしょう。
マッチャーはテイカーほど意地汚いわけではありません。
しかしケチには変わりありませんし、一緒にいるとなににつけても合理性を求めてくるので窮屈です。
もっともよいのが、ギバー同士で社会を形成していくことです。
ギバーが結束して、テイカーやマッチャーには極力関わらないこと。
お互いに与えあう関係性の中で社会が築ければ、ふだんの生活のストレスは激減します。
なにせテイカーが増えると社会はカンタンに壊れていきますし、公共は機能不全に陥ります。
あえて誤解を恐れずにいうと、社会全体の人が生活保護を求めてしまうと、当然社会は成り立たないでしょう。
生活保護は社会のセーフティネットですし必要な制度ですが、これを維持するために社会全体がギバーとして貢献しています。
生活保護を求める人の割合が増えてしまうと、いくらギバーがいても足りないということになってしまうし、ギバーにも不公平感や不満が渦巻いてしまうことでしょう。
たとえばギズモさんがいくらギバーとして家庭内でがんばっても、旦那さんがテイカーだったら、家庭は崩壊しますよね。
これがもしマッチャーだったら、家庭内を合理主義で染め上げて、与えることと受け取ることを等価にする……つまり合理的でないものを家庭に持ち込めなくなってしまい、窮屈な暮らしを強いられるようになります。
家庭に問題を抱えている人の多くは、ギバー同士で生活できていないというところに原因があります。
まだマッチャー同士であれば、夫婦間の合理性のつり合いがとれている間はうまくいくでしょう。
テイカー同士の場合は……『万引き家族』という映画がありました。
あの映画では、社会に居場所がなく、詐欺や万引きをしているような連中同士が共同体のようにして暮らしている人々を描写していました。
泥棒で生計をたてるというのは、人々がまっとうに労働している利益を奪い取って、じぶんのものにするという、典型的なテイカーです。
テイカーはよほど狡猾にやらないと居場所を失いがちですから、おなじような境遇にある者同士で共同体をつくっていくしかありません。
あるいは社会から見えないように、ひとりで生きていくしかありません。
では、このギブアンドテイクの不均衡を、せめてつり合いのとれたものにするにはどうするかというと、これはもうギズモさんがおっしゃっておられました。
せめてそのときテイカーになる人が「ありがとう」とひと言を投げかけられるかどうかですよね。
ギバーもマッチャーも、場合によってはテイカーになることがあります。
病気をして人のお世話にならねばならないとき、じぶんの不手際をカバーしてもらったとき、たまたま他より多くの利益を得たときなど、いろんな局面があるとおもいます。
その都度、じぶんの立場をわきまえて、他者のご苦労や気遣いに感謝とねぎらいの言葉を伝えられるのかということは、じぶんの暮らす社会を良好に保つために、極めて大事なことだとおもいます。
うちの父母の話をしますが、以前の母はなにかというと父の文句をぼくに言いました。
酒を隠れて飲んでいる、じぶんから掃除をしないなど、ひとつひとつの件は他愛ないことでした。
しかし母からすれば積み重ねで「じぶんだけが不利益をこうむっている」という気分だったのでしょう。
ちなみにうちの父はテイカーの気質が強い、いわゆる「言われないとなにもしない昭和の親父」です。
その父がおととし肺がんと咽喉がんを患いました。
胸部を横一文字に切り裂かれ、喉に放射線をあてられて咽喉が焼け野原になり、さらに療養中に帯状疱疹に見舞われたりと、半年間ガタガタになって苦しみました。
不思議なことにそれ以来、母の愚痴が減ったのです。
これはあくまで推測ですが、母は父がひどい目にあって、体力や気力が落ち込んだことで、溜飲が下がったのではないかと(笑)
母としては、これまでの不公平感に一種のつり合いがとれた状態になったんじゃないかとおもいます。
この憶測が実際のところどうなのか、母に確認するような野暮はしませんが、母の父への愚痴や文句が減ったのはたしかで、また父への同情で文句を言うのを辛抱しているという風でもないのもたしかです。
ギズモさんのうつ病についてのお話をうかがっていると、人間の肉体と精神のバランスは綱渡りのようなところがあるのでしょう。
以前りゅうちぇるという芸能人が自殺しましたが、女性ホルモンを投与して女性らしさを得ようとされていたそうです。
女性ホルモンだけでなく、細胞レベルで作用する薬を服用すると、その過程で精神が揺らぐのでしょう。
この揺らぎがうつというカタチであらわれる場合があるのだろうなとおもっています。
ガスターにしても、H2受容体という「細胞内の反応を誘導するタンパク質」に作用するんですよね。
ぼくは先日、自治会の集会で人前で30分話し続けたんですが、帰宅後はやはり血圧も上がりました。
それどころか数日間、声がうまく出なくなる(つっかえる)ような症状が出ました。
じぶんの頭ではうまく乗り切れたとおもっていたのに、精神面ではくたくたになっていたようです。
β遮断薬という心臓病の治療薬があります。
これは高血圧の治療薬なんですが、血圧を下げて緊張を和らげたり、本態性振戦という震えにも効果があるのだといいます。
心療内科で処方されることもあるのだとか。
ああ、こんな薬があるのなら、頓服で助けてもらうのもいいかもしれないなとおもいました。
しかし、調べてみるとやはりこれも受容体を遮断する薬で、薬剤惹起性うつ病のリストに挙がってるんですね。
やっぱり特殊な作用がある薬には、特殊な副作用もあるものだと感心(?)しました。
残念ですが緊張の緩和を目的にこの薬を飲むのはやめようとおもった次第です。
