山麓王国

No.1078

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ふとおもったことなので、的外れなことを書くかもしれません。

先日、中村仲蔵がぼくには敷居が高いという話をしましたが、その原因をさらに考えていて、ふと気づいたのが、「生活者の目線」のない話だから取っ掛かりがつかめなかったのだろうな、と。

落語の多くの話は、そこに生活者がいるからおもしろいんですが、中村仲蔵には、芸道の求道者ばかり出てきて、生活者が出てこないでしょう。



で、アマテラスの話なんですが、ギズモさんがおっしゃるように、天照系の神社は、どこかよそよそしくて、それこそ敷居が高いんですね。

その理由は、生活者の目線がないからなんだとおもいます。

たとえば伊勢の神宮にお参りするときは、お願い事をするのではなくて、感謝の心を捧げなさい、などといいます。

参拝者個人の悩み事を聞く場所ではない、というわけです。



奈良時代の仏教は国家鎮護のためにあって、民衆の悩みを聞くようなものではなかったらしいんですが……天照系の神社には、奈良時代の仏教寺院のような空気を感じます。

仏教は平安時代末期から鎌倉時代にかけて、現在に続く各宗派を形成しながら全国に広がっていって、民衆の悩みを聞くようになります。

つまり全国各地の寺社、とりわけ神仏習合をしているような寺社には、「生活者の目線」があるんですね。

その土地を守ってくれる強い神仏が求められたり、俗人の願いをかなえてくれるような神仏がいたりする。

しかし神宮に参拝するときは、アマテラスという神そのもの(あるいは日本という国家)にフォーカスされていて、参拝者であるわれわれはそこに人間としての個性を出すことが許されず、「感謝の心をささげにきた群衆のひとり」ということになるようです。

神宮にはお賽銭箱もありませんしね(笑)



そこまで考えて、ギズモさんのおっしゃる、厳格な雰囲気、相性の悪さという意味がぼくなりに理解できたようにおもえました。

ぼくは伊勢に住んでいたからアマテラス推しという、それは変わらないんですが……日頃お参りするときには、先祖代々から民衆の集いの場所、縄張りを示す場所となっていて、そこへお賽銭を投げて、お願い事をして「よろしく頼みます」みたいな、人間くさい、泥くさいところを受け入れてくれる寺社のほうが、カラダになじむ感じはあります。

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