山麓王国

No.1084

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すこし日本の古代の宗教と政治の話がしたいのです。



仏教を推進したい大和朝廷が、廃仏派の物部氏を討伐したとき、古神道の生殺与奪の権限は朝廷にゆだねられました。

そのときになぜ、神道を残そうということになったのか。

神道に「利用価値がなければ」、廃することでよかったとおもいます。

仏教のみでやっていく選択をしてもよかったはずです。

では当時の朝廷にとって、神道の利用価値とはなんだったのか。



神道には(特に古神道には)教義も教祖もありません。

日本の歴史の中で、神道に教義(教育勅語)と教祖(天皇)があったのは、大日本帝国憲法発布から太平洋戦争までのわずか半世紀ほどです。

古神道は、人々を導くものがない原始宗教でした。

なのに朝廷が神道を残した理由は、古神道は皇統を証明するのに都合がよかったからです。

皇統がどのようにして日本各地を守ったかということが伝わっていたため、これを神道における祭神としてまつったのです。

そして全国各地に社と祭神をまつることでその住民たちが地域、国家という縄張りを意識する。
これを日本の防衛の論拠としたわけです。

また、国家を統べる宗教が仏教しかない場合、日本が日本であるオリジナリティがなくなってしまいます。

朝廷は、大陸の属国ではなく、大陸と対等に渡り合うひとつの国家を建設するつもりでしたから、日本オリジナルの宗教があるのが望ましかった。

そこで神道を日本の国教として、仏教の教義と教祖で信仰を補強したのです。

かくして朝廷は神道を殺さずに利用しました。

仏教で国内を統治していた中国が革命によって政権転覆を繰り返していたことを考えると、もし日本が仏教の一本柱で国家統治をしていたとしたら、日本も王朝がどんどん革命によって入れ替わっていたのではないかという気がします。

しかし当時は仏教が隆盛を極め、国民から神道の信仰が衰退します。

そこで神道がなんとか生き残りを図ったのが神仏習合です。

そんなわけで、神道の神々は仏門にくだったという物語になっていくわけです。

#与太話

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