No.1094
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僧侶がいて、読経をしてもらうほうが、信仰の形が明確になってよいのかもしれませんね。
ギズモさんのご家族が真言宗智山派に菩提をあずけておられるのであれば、その形で弔うのがふさわしいようにおもえます。
きのう、寝る前にふとおもい出したことがありました。
以前、身内の葬式のときに火葬場で……そこはエレベーターのように複数の火葬炉が並んでたんですが、ある火葬炉に、東南アジア系の外国人たちがいました。
かれらは4人ほどでしたが、みんな若く、みんな普段着で、僧侶もおらず、たださびしそうに火葬炉をみつめていました。
かれらの事情はなにもわかりませんが、異国の地で、共通の信仰や形式のコミュニティを持たないまま見送るというのは、どこか寄る辺なくおもえたものです。
弔いの形がどうあるべきかということは、これからもじぶんの中で二転三転しそうなんですが、もうちょっと考えてみようとおもいます。
僧侶がいて、読経をしてもらうほうが、信仰の形が明確になってよいのかもしれませんね。
ギズモさんのご家族が真言宗智山派に菩提をあずけておられるのであれば、その形で弔うのがふさわしいようにおもえます。
きのう、寝る前にふとおもい出したことがありました。
以前、身内の葬式のときに火葬場で……そこはエレベーターのように複数の火葬炉が並んでたんですが、ある火葬炉に、東南アジア系の外国人たちがいました。
かれらは4人ほどでしたが、みんな若く、みんな普段着で、僧侶もおらず、たださびしそうに火葬炉をみつめていました。
かれらの事情はなにもわかりませんが、異国の地で、共通の信仰や形式のコミュニティを持たないまま見送るというのは、どこか寄る辺なくおもえたものです。
弔いの形がどうあるべきかということは、これからもじぶんの中で二転三転しそうなんですが、もうちょっと考えてみようとおもいます。