山麓王国

No.1120

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悟り~般若心経のわかりやすい解説、ありがとうございます。

仏教の悟り。
「わかろうと努力しながらも、わけもわからずじぶんを生きていることこそが悟りである」
これは、子規の病牀六尺の悟りにもつながっているように感じました。

寒山拾得、これでまだとっかかりなんですか?

少しまた調べていたら、土田 耕平さん(知りませんでしたが、明治時代の童話作家)が、「寒山拾得」を、子ども向きなのかわかりやすいように書いていました。

http://hohrei.web.fc2.com/tk_117.html

ここでは、閭丘胤が自己紹介のあと、さらに「あなた方お二人は、普賢菩薩、文殊菩薩であられると承りました」と言っています。
読み手にとっては、ここが明確だと「豊干がしゃべったな」という言葉の持つ意味が理解しやすいように感じました。
敢えて書かなかったのが、夏目漱石のすごいところだとも思います。

『寒山拾得』を読んで、疑問に思ったことなどちょっと書いてみます。
私の見解と言うことではなく、よくわからない点です。

農園主さんの
「閭丘胤の世俗的で虚飾にまみれた礼がおかしくなって笑った」という解説で、ああ、そういうことだったのか、と思いました。

閭丘胤が豊干から、ふたりが普賢菩薩・文殊菩薩の化身だと聞かず、「会いに往ってためになるような、えらい人」というだけの認識で行ったとします。
(このような仮定は、鴎外の『寒山拾得』の論点とならないかもしれませんが、このあたりがとても引っ掛かりました。)
ところが実際会ってみて、「ためになるような、えらい人」とはとても言えない、みすぼらしい様子のふたりだった。
それでも、あのようなていねいな自己紹介をしたのだろうかという疑問。

普賢菩薩と文殊菩薩の化身と知って、ていねいな自己紹介をしたのは、文中にある「盲目の尊敬」なのでは、とも思いました。

仏教では仏陀(釈迦)にとって文殊菩薩と普賢菩薩は脇侍ですが、仏陀はふたりを従えてはいても、ふたりに助けてもらい守ってもらう立場でもありますよね。
豊干が拾得を拾ってきた、寒山は残飯を貰いに来る、となると、3人の関係性が見えるように思うのですが、
「豊干がしゃべったな」と皮肉ったということは、対等、或いは仏陀が下という関係にも思われます。

また、実は3人とも化身でも何でもない普通の僧で、閭丘胤が計略にはまり、恥をかかされたということはないのか。

そして最後の「僧らが、ぞろぞろと来てたかった」「道翹は真蒼な顔をして立ちすくんでいた」のくだりは、どうも意味不明です。
ふたりが菩薩の化身だとわかってしまったことによって、何か恐ろしいことが起きるとか?
僧たちは、実は怪しげな妖怪のようにも感じます。

追記
「寒山子詩集」について書かれたものを少し読んでみましたが、道翹が立ちすくんだのは、ふたりが仏の化身だとわかったことによる驚愕のようにも思いますが、定かではありません。

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