山麓王国

No.1177

Icon of nouennushi
1176
山手線の中で降りたことがない駅のナンバーワンというのは、もしかしたら郊外で閑静な住宅街というようなイメージがあるのでしょうか。

商業地域がすこし離れた場所にあって、住宅街が主役の街の駅は地味になりやすいようにおもえます。



駒込の妙義神社は、群馬県の妙義山の中腹にある妙義神社と、祭神がヤマトタケルである点が共通しているんですが、駒込の神社はもともと白鳥社としてヤマトタケルをまつっていたところから、なぜ妙義神社という名前にしたのかがよくわかりませんでした。

群馬県の妙義山は、ゴツゴツとした岩山であり奇岩なんですが、南北朝時代の知識人である花山院長親がこれをみて「明々魏々である」といったことが、妙義に転じたということのようです。

それで、群馬の妙義神社では花山院長親も祭神に数えられているんですが、駒込の妙義神社ではまつられていません。



ネットで調べたんですが、どうもおなじことが気になった方がいるらしく、群馬の妙義神社に電話をかけて聞かれたというホームページがありました。

そこで、駒込の妙義神社は、室町時代に江戸城を建城した武将、太田道灌が白鳥社から妙義神社としたのではないかというんですが、太田道灌と群馬県の妙義神社の関係性まではわからないのだそうな。

駒込の妙義神社には、末社に太田道灌霊社がまつられているようですね。



室町以前、駒込の妙義神社が白鳥社という名前だったころ、ヤマトタケル信仰は廃れていましたが、これを太田道灌の時代に神仏習合で補強したのかな、というのがぼくの憶測です。

群馬県の妙義神社の鳥居の片側に「武尊大権現」と書かれた写真をみつけました。

妙義神社ではヤマトタケルが、仏教由来の山岳信仰である大権現と結びついていたんですね。

おなじヤマトタケルを信仰していた駒込の白鳥社が、名前を妙義神社に改め、仏教の信仰を取り込むことで、地域の信仰を取り戻そうとしたのかなと。

しかし明治の神仏分離で、そのあたりの事情についてはっきりしたことが言えない状態になって、由緒をみても情報が断絶したままになっている、といったところでしょうか。

特に東京の神社ですから、神仏習合の名残はすべて隠滅させていたのかもしれないなあ、と。

繰り返しますが、憶測です(笑)



駒込の妙義神社は太田道灌が武勇の人であったため、「勝負の神様」「戦勝の宮」といわれたそうですが、ヤマトタケル、牛頭天王も含めて、やはりギズモさんは神仏習合の、荒ぶる神がお好きなようにおもえます。

編集

■複合検索:

  • 投稿者名:
  • 投稿年月:
  • #タグ:
  • カテゴリ:
  • 出力順序:

■新着画像リスト:

新着画像リストは出力しない設定になっています。

全230個 (総容量 183.18MB)

■日付検索:

■カレンダー:

2023年12月
12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31

■カテゴリ:

■最近の投稿:

最終更新日時:
2026年4月5日(日) 11時48分53秒〔12時間前〕