No.1377
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むかしぼくが子供のころ、聖闘士星矢というアニメがあって、あれに十二星座の敵キャラがいたんです。
中でもかに座のデスマスクというのがほんとうにゲスな敵キャラだったそうな。(ぼくは聖闘士星矢はコミックもアニメもみていません)
で、ぼくがかに座だと知るや、同級生が寄ってたかってバカにしてきたのです。
こっちとしては、完全に巻き込まれたかっこうで、ものすごく迷惑でした。
それで、守り本尊に対しても地味だと言ってしまいましたが、なんとなくあの聖闘士星矢の一件がフラッシュバックするんですよね。
「知らない間に巻き込まれてる」という不快感があって、勢至菩薩に対しても、「なんで勝手に選ばれてるんだろう」とひがむ体質ができてしまった次第です(笑)
寒山拾得の考え方でいえば、仏さんの立場であっても上座と下座をもうけるような考え方には意味がないということですし、守り本尊というようなことも、心のお守りくらいに考えるのがいいのだろうとおもっています。
バラクーダの「日本全国酒飲み音頭」はバカバカしくて好きな曲ですが、あれは祭りの本質をついているような気がします。
みんなで酒でも飲みながら祭りをしましょうよ、というとアルコールハラスメントといわれる時代になって、日本の祭りはどんどん縮小傾向になっています。
酒が飲めない人はそもそも祭りにおもしろみを感じませんし、酒飲みもなんのご褒美もなく、実務だけの祭りをしろといわれたら、やる気がなくなります。
みんなそんな調子で、酒の一杯も出ない冠婚葬祭に魅力を感じなくなっているのだろうな、と。
その点、バレンタインやクリスマスなどの西洋のイベントは、実質的には買い物や商業的消費を楽しむイベントなので、現代で受け入れられる理由も(納得がいくかどうかは別として)わかります。
そういえば、柊はうちの裏山でもぼちぼち自生してます。
鹿山になってしまったところは、鹿があまり食べない木ばかりになっていくのだそうで、その中に柊も含まれます。
毎年節分に柊をもらってこようとおもうのですが、ちょうど雪が積もっていたり、めんどうくさかったりで、飾ったことがありません。
柊と南天を玄関先に飾っておけば、それっぽい感じになりそうなんですけどね。
むかしぼくが子供のころ、聖闘士星矢というアニメがあって、あれに十二星座の敵キャラがいたんです。
中でもかに座のデスマスクというのがほんとうにゲスな敵キャラだったそうな。(ぼくは聖闘士星矢はコミックもアニメもみていません)
で、ぼくがかに座だと知るや、同級生が寄ってたかってバカにしてきたのです。
こっちとしては、完全に巻き込まれたかっこうで、ものすごく迷惑でした。
それで、守り本尊に対しても地味だと言ってしまいましたが、なんとなくあの聖闘士星矢の一件がフラッシュバックするんですよね。
「知らない間に巻き込まれてる」という不快感があって、勢至菩薩に対しても、「なんで勝手に選ばれてるんだろう」とひがむ体質ができてしまった次第です(笑)
寒山拾得の考え方でいえば、仏さんの立場であっても上座と下座をもうけるような考え方には意味がないということですし、守り本尊というようなことも、心のお守りくらいに考えるのがいいのだろうとおもっています。
バラクーダの「日本全国酒飲み音頭」はバカバカしくて好きな曲ですが、あれは祭りの本質をついているような気がします。
みんなで酒でも飲みながら祭りをしましょうよ、というとアルコールハラスメントといわれる時代になって、日本の祭りはどんどん縮小傾向になっています。
酒が飲めない人はそもそも祭りにおもしろみを感じませんし、酒飲みもなんのご褒美もなく、実務だけの祭りをしろといわれたら、やる気がなくなります。
みんなそんな調子で、酒の一杯も出ない冠婚葬祭に魅力を感じなくなっているのだろうな、と。
その点、バレンタインやクリスマスなどの西洋のイベントは、実質的には買い物や商業的消費を楽しむイベントなので、現代で受け入れられる理由も(納得がいくかどうかは別として)わかります。
そういえば、柊はうちの裏山でもぼちぼち自生してます。
鹿山になってしまったところは、鹿があまり食べない木ばかりになっていくのだそうで、その中に柊も含まれます。
毎年節分に柊をもらってこようとおもうのですが、ちょうど雪が積もっていたり、めんどうくさかったりで、飾ったことがありません。
柊と南天を玄関先に飾っておけば、それっぽい感じになりそうなんですけどね。