山麓王国

No.1491

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肩こり、運動で治ったのならなによりです。

ぼくは数か月前に、温泉でマッサージ機をつかったのをきっかけに、ひどい肩こり(四十肩)にみまわれて、肩の運動もしたのですがよけいに悪化の一途をたどりました。

なにせ夜も眠るのに苦労するくらいの痛みだったので途方に暮れて、鎮痛消炎効果のある湿布を貼ったところ楽にはなったのですが、どうもじわじわした痛みが残って、具合がわるいんです。

そこで、わらにもすがるおもいで、エレキバンがそのままネックレスになったマグネループというアイテムを買いました。

これが、ぼくにはよく効きました。

いまもつけてるんですが、肩の不調はウソのように治まっています。

そんなこともありましたから、もししつこい肩こりで、運動でも治らないようことがありましたら、磁気アイテムもご検討ください(笑)



鬼のお話、興味深かったので、そちらで広げようかともおもったのですが、今回は卑弥呼で広げてみようとおもいます。

帚木蓬生さんの作品にはいままで読んだことがないのですが、また機会のあるときに触れてみようとおもいます。

今回も長い話になるんですが、こういう視点で卑弥呼の話をした人を見かけたことがないので、ちょっと興味深いのではないかとおもっています。



卑弥呼については、詳細な記述は魏志の倭人伝に頼るほかないんですよね。

倭人伝は西暦でいうと200年代末に中国で書かれたもので、これは古事記や日本書紀より400年以上も前ということになります。

ですから、古事記を編纂する当時、日本にはすでに倭人伝の情報が渡来していた可能性があります。

あるいは渡来人が倭人伝のことを知っていた可能性もあります。

そう考えると、日本神話におけるアマテラスの物語は、倭人伝の卑弥呼の一節を参考にしている可能性があるのではないか。

きょうは倭人伝が日本に渡来していたと仮定して、古事記と卑弥呼の「フィクション」をお話したいとおもいます。



古事記編纂の当時、朝廷に卑弥呼が統治してきた時代のヤマトのことをはっきり知る者はいませんでした。

なにせ文字のない時代でしたから、じぶんの祖父母より向こうのご先祖がなにをしていたかなんて、よほどしっかりと口伝で残していないと、だれもそんなことを知らない時代です。

江戸時代ですら、中期にもなると人々は「天地開闢以来ずっと徳川が世をおさめていたのだ」と漠然とおもっていたといいます。

古代の人々が数世代以前の統治者をおぼえていなかったり、あいまいなのは当然といえるでしょう。

しかし大陸から渡ってきた書物の「倭人伝」には、卑弥呼なる巫女が、いかにもヤマトのごとき「邪馬台国」という国を統治していたという記述があります。

もうすでに数百年も前の出来事であり、朝廷にそのことが口伝されていない以上、そういったことが実際にあったかどうか、確かめるすべはありません。

もちろん日本より文明のすぐれた大陸から渡ってきた書物ですから、正確性はあるとおもいます。

でも国内に卑弥呼を知る者がおらず、過去のことを口伝でまとめるにあたっては、もう神武からは天皇で進めていこうと筋立てが決まってしまっていました。

そこで苦肉の策として、この出来事は天皇の御代よりも前、高天原の神代に起こったエピソードにしようではないか、ということになったのです。



そのように想像すると、日本神話におけるある矛盾に、一定の理由付けができるようにもおもえます。

それはなにかというと、アマテラスは高天原に存在したわけですよね。

そのあとで、ニニギノミコトが九州に降臨し、初代神武天皇が奈良に東征する。

なのに、奈良に墳墓があるといわれる卑弥呼がアマテラスと似てるなんて、時系列がおかしいじゃないかという問題です。

もしアマテラスと卑弥呼が同一人物なら、せめて卑弥呼は天孫降臨の地である九州にいたということでないと、つじつまが合いません。

それで、長い間歴史家は、卑弥呼の畿内説と九州説でもめていたわけです。

しかしいま説明したとおり、太安万侶らが古事記・日本書紀を編纂するにあたって、朝廷の中ではすでに卑弥呼のことは無視して、天皇が統治していたことにしようという筋立てがあったのではないでしょうか。

しかし倭人伝の卑弥呼のエピソードを無視するわけにはいかないから、あくまで神話時代の挿話として、アマテラスの天岩戸の物語として差し込んだ。

そうすれば、倭人伝もいちおうそれとなく日本の歴史に差し挟んだかっこうにはなるし、この歴史書の時系列の狂いに一定の理由付けができます。



ところで、奈良の箸墓古墳は卑弥呼の墓ではないかという説があります。

箸墓古墳には倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)がまつられているといいます。

第7代孝霊天皇の娘といわれるのですが、初期の時代の天皇は、実際に存在していたかどうかあいまいなんです。

あいまいなので、西暦何年にだれが日本を統治していたかもわかりません。

しかしある学者によると倭迹迹日百襲姫命こそが卑弥呼なのではないかというのです。

卑弥呼が西暦200年代末に存在したことを考えると、おおむね孝霊天皇の御代に卑弥呼が存在したというのも、納得できるところではあります。

ただ、そうすると倭人伝における卑弥呼が「女王」であり、男王を立てると世が乱れたという記述とは、食い違いが出てしまう。

なぜなら、古事記・日本書紀ではこの時代の天皇は男で固まっているからです。

この時代に女王統治されていたという記述は、古事記・日本書紀にはありません。



ぼくはどう考えるかというと、倭迹迹日百襲姫命に近い存在が卑弥呼として当時の日本を統治していたとはおもうのです。

しかし先ほども述べたように、古事記や日本書紀といった歴史書を編纂する時代には、初代からの天皇については、各豪族の口伝などで、おおむね筋立てが決まっていたとします。

もう、天皇が統治していたというストーリーで決まりでしょ、ということになってしまっているわけです。

なのに倭人伝には卑弥呼の記述がありますし、実際女王統治の時代はあったのでしょう。

なにせ倭人伝は、いつ卑弥呼が日本を統治していたかもはっきり書いているので、古事記・日本書紀を編纂する側としてはどうにも具合がわるいのです。



というのも、古事記や日本書紀の目的は、天皇家、そして日本という国家の正当性と、その権力のあらましを、文章という形で残すことでした。

ですから、歴史書としての正確性は二の次でした。

正確な記録を残すのが目的ではなくて、「日本は天皇が統治する国である」ということを示すことが目的だったのです。

なので極端なことをいえば、古事記や日本書紀が書かれるより以前の日本のありように関しては、べつにあいまいでも問題なかった。

もう少し突っ込んだことをいえば、朝廷の有力な豪族たちが、その歴史で文句を言わず、納得してくれるのであれば、ほんとうの歴史じゃなくてもなんの問題もなかったのです。

占いで統治していた女王の時代があって、男の王をたてると国が乱れたなんて話よりも、初代から男の天皇が代々統治していたとするほうが、朝廷の重臣たちからすると納得がいく。

なのに、時代まではっきりしている倭人伝に、卑弥呼という女王がいたと書かれてしまっているわけでしょう。

日本という国の歴史は、日本人が決めるべきもののはず。

たとえ大陸で書かれた正確性の高い歴史書であるにせよ、朝廷の重臣たちの顔を立てないわけにはいきません。

けれど倭人伝を完全に無視するというわけにもいかないしなあ……と思案した結果、あのあたりの時代のことはうやむやにして、倭人伝の卑弥呼の件はアマテラスの挿話にしてしまおう、ということになった、という物語です(笑)



じつは古事記・日本書紀研究においても、二代目から九代目までの天皇の時代は、「欠史八代」などといわれる、存在があいまいな時代なんですよね。

言い換えれば「この時代の天皇はほんとうに実在したのか」という議論があるのです。

古代史はあいまいなところが多い分、こういった想像を差し込むゆとりがあるのは、たのしいですね。

というわけで、この話はあくまでフィクションとして聞いていただきたいのですが、実際古代の朝廷の、記紀編纂の現場はこんな感じだったんじゃないかとおもっています。

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