No.1509
まず、農園主さんのお考えが、トンデモとか眉唾とはみじんも思っていないことを宣言しておきます(*^_^*)
答えの出ないものをいろいろと考えていくのは、「余剰意識」によるものなんですね。
荘子が説いたのは、余剰意識の活用はあまり意味がなく自然に即して考えればいい、ということのようですが、答えが出ないようなこと、考えてもあまり意味がないことをあれこれ考えるのは、楽しいですね。
こういうことができるから、人間っておもしろいんだ、と思います。
生活に必要のない知識や情報は、生きるにおいてさほど重要ではなく、知らなくても差し支えないものかもしれません。
結局は、自己満足の世界、知識欲を満たすだけのものではないかと。
でも、こういったものがなかったら、「知りたい」という欲や好奇心がなかったら、人生は実につまらないものだろうな、と思います。
荘子の教えは、いっさいをあるがままに受け入れる、ということですね。それが自然であると。
これはビートルズの『Let it Be』、「あるがままに、身を委ねなさい」と同じような考え方かと思います。
キリスト教だと、例えば試験勉強を一生懸命やったら、あとは神様に委ねなさい、と教えられます。
委ねてしまい、あとはくよくよと思い悩むな、ということかもしれません。
思い、考え方イコール物の見方であって、それによってずいぶん生き方が変わるのではないか、と思えます。
余剰意識であれやこれやと考え、時には自然に即してあるがままに受け入れる、この二刀流ですね。
今回の記事もずいぶん考えることの多い内容でしたが、すべてが「なるほどなぁ~」と、ストーンと響きました。
私は子どものころから変わっていたのでしょう。今もですが(笑)
人が死んだあと、天国とか地獄に行くというシステムも理解はしていましたが、それを理解はしつつ(天国地獄があるかどうかは別にして)、「見えない・聞こえないだけで、そばにいる(ある)」ように思っていました。
それは本当になんの根拠もない「感覚」としてであり、霊感はないと断言できます(笑)
つまり、この世とあの世は地続きのようなもの、と感じていたわけですね。
分かれ目があるようであって、実はない。
肉体がなくなったあと、「なにか」になって、その辺や、空、宇宙や自然などに「いる。ある」といったらわかりやすいでしょうか。
そこをもっと言えば、転生、ということに関係してくるかもしれません。
(追記)「じぶんの意識とじぶん以外の世界(この場合は蝶の意識)には、じつは分けへだてがないのかもしれません」というのも、この世とあの世に分けへだてがないのかもしれない、ということと、似ている??ように感じます。
以前お話した諸星大二郎の漫画や、手塚治虫の「火の鳥」など、一例ですが、やはり「宇宙」は不可欠だと考えていますね。
農園主さんがおっしゃる「生まれ変わりは地球に限らないぞ」というのも、とっても納得できることです。
人間の身体は「借り物」で、地球や宇宙の歴史のほんの一部分、わずか100年足らずの間借りていて、それを繰り返したり、ほかの何かになったり、悠久の時を漂い続ける、ということかもしれません。
電飾と電球のお話は、例えとしてとても理解しやすいです。
昔読んだなにかに書いてあったことですが、漫画や小説の作り話ではなく、宗教の話でもなく、哲学などに関係する話だったように思います。
無限の宇宙のどこかには、すべてを管轄する絶対的な存在がある。
それを神と呼んでもいいし、高度な文明の宇宙人でもいいし、他の何かでもいい。
その何かが、人間それぞれの人生のシナリオをあらかじめ決定している。
例えば人間がいろいろなことを自分で決めたように思ったとしても、それは実は自分で考えたことではなく、結局はなにものかに生かされ、ゆだね(させられ?)、自然に受け入れていることになる。
これは、農園主さんが書いていらっしゃる「電球がじぶんで灯っているのではなく~」ということのように思えました。
「あらかじめ決められているなら、何も考えず成り行きにまかせよう」と考えるのも、案外難しいことですね。
余剰意識とは、「こころ」と同義、またはこころの一部でしょうか?
唯識論のように、すべてはこころが作り出す仮の世界、と考えると、なんとなくいろいろなことがつながってくるように思えます。
「ジャンケンマン」のお話、いい例をありがとうございます。
確かに理屈をわからない側からすると、マジックか予知ができる「特別なすごい人」ということになりますね(笑)
こういうことが、陰陽道や密教に存在したというのは、とっても興味深いお話です。
さて最後に「トンデモ」話です(笑)
母は、霊感があったわけではないと思うのですが、よく不思議な体験をする人でした。
その中でよく起きていた現象が、「誰かがスカートを引っ張る」というものでした。
私も経験があるのですが、裾のほうをクイっと引っ張られる感覚です。
もちろんそばには誰もいないので、私は「地続きの人だぁ」と自然に思っています。
人(追記・霊)ではなく、動物や妖怪、神仏、未知のなにか、ということもあり得ますね。
答えの出ないものをいろいろと考えていくのは、「余剰意識」によるものなんですね。
荘子が説いたのは、余剰意識の活用はあまり意味がなく自然に即して考えればいい、ということのようですが、答えが出ないようなこと、考えてもあまり意味がないことをあれこれ考えるのは、楽しいですね。
こういうことができるから、人間っておもしろいんだ、と思います。
生活に必要のない知識や情報は、生きるにおいてさほど重要ではなく、知らなくても差し支えないものかもしれません。
結局は、自己満足の世界、知識欲を満たすだけのものではないかと。
でも、こういったものがなかったら、「知りたい」という欲や好奇心がなかったら、人生は実につまらないものだろうな、と思います。
荘子の教えは、いっさいをあるがままに受け入れる、ということですね。それが自然であると。
これはビートルズの『Let it Be』、「あるがままに、身を委ねなさい」と同じような考え方かと思います。
キリスト教だと、例えば試験勉強を一生懸命やったら、あとは神様に委ねなさい、と教えられます。
委ねてしまい、あとはくよくよと思い悩むな、ということかもしれません。
思い、考え方イコール物の見方であって、それによってずいぶん生き方が変わるのではないか、と思えます。
余剰意識であれやこれやと考え、時には自然に即してあるがままに受け入れる、この二刀流ですね。
今回の記事もずいぶん考えることの多い内容でしたが、すべてが「なるほどなぁ~」と、ストーンと響きました。
私は子どものころから変わっていたのでしょう。今もですが(笑)
人が死んだあと、天国とか地獄に行くというシステムも理解はしていましたが、それを理解はしつつ(天国地獄があるかどうかは別にして)、「見えない・聞こえないだけで、そばにいる(ある)」ように思っていました。
それは本当になんの根拠もない「感覚」としてであり、霊感はないと断言できます(笑)
つまり、この世とあの世は地続きのようなもの、と感じていたわけですね。
分かれ目があるようであって、実はない。
肉体がなくなったあと、「なにか」になって、その辺や、空、宇宙や自然などに「いる。ある」といったらわかりやすいでしょうか。
そこをもっと言えば、転生、ということに関係してくるかもしれません。
(追記)「じぶんの意識とじぶん以外の世界(この場合は蝶の意識)には、じつは分けへだてがないのかもしれません」というのも、この世とあの世に分けへだてがないのかもしれない、ということと、似ている??ように感じます。
以前お話した諸星大二郎の漫画や、手塚治虫の「火の鳥」など、一例ですが、やはり「宇宙」は不可欠だと考えていますね。
農園主さんがおっしゃる「生まれ変わりは地球に限らないぞ」というのも、とっても納得できることです。
人間の身体は「借り物」で、地球や宇宙の歴史のほんの一部分、わずか100年足らずの間借りていて、それを繰り返したり、ほかの何かになったり、悠久の時を漂い続ける、ということかもしれません。
電飾と電球のお話は、例えとしてとても理解しやすいです。
昔読んだなにかに書いてあったことですが、漫画や小説の作り話ではなく、宗教の話でもなく、哲学などに関係する話だったように思います。
無限の宇宙のどこかには、すべてを管轄する絶対的な存在がある。
それを神と呼んでもいいし、高度な文明の宇宙人でもいいし、他の何かでもいい。
その何かが、人間それぞれの人生のシナリオをあらかじめ決定している。
例えば人間がいろいろなことを自分で決めたように思ったとしても、それは実は自分で考えたことではなく、結局はなにものかに生かされ、ゆだね(させられ?)、自然に受け入れていることになる。
これは、農園主さんが書いていらっしゃる「電球がじぶんで灯っているのではなく~」ということのように思えました。
「あらかじめ決められているなら、何も考えず成り行きにまかせよう」と考えるのも、案外難しいことですね。
余剰意識とは、「こころ」と同義、またはこころの一部でしょうか?
唯識論のように、すべてはこころが作り出す仮の世界、と考えると、なんとなくいろいろなことがつながってくるように思えます。
「ジャンケンマン」のお話、いい例をありがとうございます。
確かに理屈をわからない側からすると、マジックか予知ができる「特別なすごい人」ということになりますね(笑)
こういうことが、陰陽道や密教に存在したというのは、とっても興味深いお話です。
さて最後に「トンデモ」話です(笑)
母は、霊感があったわけではないと思うのですが、よく不思議な体験をする人でした。
その中でよく起きていた現象が、「誰かがスカートを引っ張る」というものでした。
私も経験があるのですが、裾のほうをクイっと引っ張られる感覚です。
もちろんそばには誰もいないので、私は「地続きの人だぁ」と自然に思っています。
人(追記・霊)ではなく、動物や妖怪、神仏、未知のなにか、ということもあり得ますね。