山麓王国

No.1595

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今回は、雑多な話になってしまいました。



まず、最近すこし考えていることがあるんです。

それは延命についてです。

ギズモさんが、病気とだましだまし付き合っていくのがよいのではないか。痛みやつらさは、治る大前提のものであってほしいとおっしゃったのは、その通りだとおもいました。

ぼくの場合は胸が痛くてなかなか眠れない夜に「これで突然死するなら仕方ないけど、もし治るなら、どうやったら自力で治せるだろうか」ということを考えていたんです。

まあ、実際なんとかなってるんですが、こうやって問題が起こったときに、じぶんの目先の延命を目指すというのは、案外たのしいものだな、と(笑)



これがもっともっと追い込まれて、死の絶望にさいなまれるような状態になっても、人間は結局そのときのじぶんの状態の中で、「もうすこし生き延びるにはどうすればいいか」ということを考えて、そこに一種のよろこびややりがいを感じるのではないでしょうか。

それはもしかしたら、ほとんど植物状態のようになって、意思の疎通ができなくなってさえ、当人の中ではあともうひと呼吸がんばってみようじゃないかと、望みをはせていたらどうしよう、とおもったのです。



ぼくは以前家族と、「もし延命しなければならないようなことになったらどうするか」ということを相談しています。

この答えはみんなおなじで、「延命はしない」。

けれど、それはもしかしたら、そのとき健康だからこそそう言えたのかもしれません。

ほんとうに死の間際になったら、「もうちょっと延命させてほしいなあ」と家族に心で訴えている、なんてことがあるのではないかとおもうと、どうにも考え込んでしまいました(笑)

やはり当人が意思の表明をできない状態で、第三者が重い判断をくだすのは、むずかしいことですね。

このことについては、まだ考えがまとまっていないので、時間をかけてもうすこし考えてみようとおもいます。



井戸の話なんですが、東京では戦後しばらく、各地で井戸水を生活用水に利用していた時期がありました。

ところが、戦後の爆発的な人口増加の中で、あの人口過密都市で深井戸から取水ですから、つかわれる水はとんでもない量になります。

それで地下水位が低下したことで、かなり深刻な地盤沈下が起こったというんです。

さすがに地面が一年に10㎝も下がっていくというのでは都市計画もままならないので、昭和30~40年代にかけて、法律や条例で井戸(揚水)を規制した、という経緯があります。

なので、もうつかわれなくなった古い枯れ井戸が残っているのでしょう。

工業用水として引っ張ったり、入浴施設で地下深くボーリングして温泉を引っ張るというようなことにもそれなりの規制があって、自治体に許可をもらわねばならないようです。



高額医療費制度や価格統制された光熱費のお話ですが、本来まっとうな国家は、高所得者から税金をとって、福祉(追記:福祉やインフラ機能)を充実させていくものです。

これも司馬さんのエッセイにありましたが、司馬さんの時代は、司馬さんくらいの高額所得者になると年収の8割を税金でもっていかれていたそうです(笑)

じぶんの好きなことをして高額所得を得ているのだから、税金がかかるのはいいのだけど、せめてちゃんとしたことにつかってもらわねば困る、というようなことをおっしゃってました。



ところが消費税ができた時代あたりから、なぜか高額所得者や大企業が、税制面で優遇される時代になるんです。

これは黒柳徹子さんの以下の記事に詳しく書かれてあります。

https://news.livedoor.com/article/detail...

黒柳徹子さんに至っては住民税も含めて収入の90%が税金だったそうで、これをあと10%ほどじぶんの収入として認めてもらいたいと税制調査会で発言したそうです。

その発言が功を奏したか、1987年の法改正で、所得税の最高税率が60%に下がったとあります。

この点に関しては、黒柳徹子さんはずいぶん罪深いことをなさったというのが率直なところです。



そしていま、行政は金持ちに媚びることを平気でするようになりました。

ガソリンにしたって直接的に税を下げることはせず、補助金というかたちで大企業にお金を渡して、わざと中抜きさせてます。

ガソリンの件なんて氷山の一角で、ありとあらゆるところでこのような、大企業、富裕層へのばらまきが行われ、そのツケを庶民が支払わされるという状態になっています。



これはすこしおおげさにいえば、民主主義政治、資本主義の腐敗です。

いつになるかはわかりませんが、現在のシステムもいずれは打倒されて滅びてしまうことでしょう。

日本の過去の例でいえば、いずれ大塩平八郎の乱のようなことが起こり、明治維新のような乱世が起こる。

前回の坂本龍馬の話でいえば、いまの日本は「いや、まだ資本主義・民主主義は腐りきってはいない。いずれぐずぐずに腐って腐り落ちるが、まだそのときではない」という状況だとおもいます。



江戸幕府が「100年で別の体制に変わっていたら、いったいどんな世の中になっていたでしょうか」

ということなんですが、西洋でフランス革命が起こるのは1790年ごろですから、赤穂事件(忠臣蔵)の起こった1700年ごろというと、まだ世界のどこにも民主主義的な価値観がなかった時代です。

アメリカが独立を果たしたのはフランス革命より少し前の1776年で、初代大統領のワシントンはフランス革命が勃発した1789年に就任しました。

それまでのアメリカはいわゆる西部開拓時代で、開拓を終えた州がそれぞれ国家のように作用していましたが、当然人権などの価値観はないに等しく、一攫千金を夢見る荒くれ者ばかりでした。

州の銀行が発行した紙幣が一か月後には信用を失って紙切れになっているということもザラにあったようです。

つまり、成熟した資本主義もまだまだ、といった段階です。



中世ヨーロッパや江戸時代の封建主義というのは、暴力によって上(体制)から下(領民)へ押さえつける国家統治のシステムですね。

民主主義はこれが逆転して、下(国民)から上(体制)へ突き上げていく国家統治のシステムです。

日本は明治維新のときに幕府を打倒してから、これらのあたらしい国家統治のシステムを西洋から学んだわけですが、自前で調達することはできませんでした。



明治維新の際、西洋諸国が大挙して日本で商売をしましたが、日本人は商売の信義則を守らず、ウソばかりつくといって呆れられたそうです。

そのため渋沢栄一は、『論語と算盤』という著作を残していますが、商売には道徳が必要なんだということを当時の日本人に向けて教えるんですね。

それくらい、明治期までの日本の資本主義は未発達なものでした。



もし江戸幕府が100年で崩壊するようなことになった場合は、日本にも民主主義や資本主義の前段階の、「民衆が自発的にじぶんたちの国をつくろうとする意志」を持つようになっていたかもしれません。

でも歴史の現実として、そうはならなかったんですよね(笑)

なので、いま考えるべきなのは、現代の日本人こそは、次の世界のよりよいシステムを自前で用意できるだろうかということだとおもいます。



しかし論語と算盤ではないけども、今後どのようなシステムが世界を席巻するにしても、人を大事にして、人のために生きるという道徳心がセットになっていなければ、立ち行かないとおもっています。

すくなくとも、いま世界中で起こっているような、わざと不道徳な言動をして炎上させて耳目を集めて、ものごとをじぶんの都合のいいように強引に変えてしまうような手法は、長く続けていられるようなシステムではありませんよね。

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