No.1594
心臓の違和感、徐々によくなってきたようで、よかったです。
自治会集会も無事に済んだとのことで、安心しました。
締めつけ感、キューっとなるような痛み、せりあがってくる痛みやもたれなど、心臓なのか胃なのか判明できない、まぎらわしい症状が出ることもありますね。
昨年末からのいろいろな不調が、食事や市販薬などで改善され、体調の不安がなくなるようにと思います。
せっかくの農閑期が体調不良で楽しめなかったかもしれませんが、農閑期のうちに原因に思い当たり、対処法を講じることができたのは、タイミング的にも何かにまもられているように思えます。
病気(「病気」と言えるものも言えないものも)は、気の持ちようも影響するので、あまり深く考えず、「騙し騙し」つきあっていくという向き合い方が必要かな、と思うようになりました。
私も、痛みをさんざん味わった末に死ぬのはいやです(笑)
痛みやつらさは、治る大前提のものであってほしいですね。
治ると思うから、つらくても我慢できるのだと思います。
浅井戸というのは初めて知りました。
稀に都内で井戸がある個人宅を見かけますが、枯れ井戸になっていて、使用不可のまま残してあるようでした。
最近知ったのですが、防災井戸というものを新しく設置している地域、集合住宅などがあるようですね。
災害時に使用する目的だそうですが、非飲用のようですので、浅井戸なのかもしれません。
飲めないのは困りますが、それでもこういう災害用の井戸は、増えてくれるといいですね。
昔は「湯水のように~~」という言葉がありましたが、最近の水道代は高すぎて、とてもとても気軽には使えません(笑)
電気・ガス・水道、これは生きていくうえで重要なものなので、26億円かけて都がやろうとしている、ランドマークの噴水事業は取りやめ、私立の高校の授業料無償化などという政策は見送って、高額医療費(訂正:高額医療費制度)は現状維持または引き下げとし、最低ラインの光熱費の負担を国、または自治体が行ってくれないものだろうかと思うのですが、そういうことは絶対してくれないんですよね(笑)
私立高校の授業料を無料にできる財源があるなら、奨学金制度の見直しをし、貸し付けではなく返済不要にすべきなのではと思います。
誰でも、ということはできないので、ある一定の成績以上の学生にということになるでしょうが。
実際、多額の奨学金を返済しなければいけないので、結婚できないという人も多いということですし、奨学金は借金として夫婦共有になってしまうので(訂正:夫婦共有になる可能性があるので)、なかなか難しい問題だと思います。
話がずいぶん逸れました(笑)
江戸幕府のお話、大変興味深く読ませていただきました。
考えてみたら、一つの体制が200年も続いたということは、不思議なことですね。
徳川家康以降、子孫がずっと政治を行ってきたというのは、不自然に思えてきました。
しかも、養子縁組をしてまで、代々徳川の体制を守ってきたというわけですから、ある意味、皇室と似たようなものだと思います。
徳川が続いていたら、大奥の制度も存続していたかもしれませんし、なんだかめちゃくちゃな世の中になっていたかもしれませんね(笑)
私なんかは、将軍に気に入られたために、大奥でさんざんいじめられて、つらい日々を過ごしていたかもしれません(笑)
司馬さんの考え方は、実におもしろいですね。
100年で別の体制に変わっていたら、いったいどんな世の中になっていたでしょうか。
反面、江戸幕府がずっと続いていたと想定した場合、いまだに鎖国ということはないでしょうから、仰るように、西洋の傀儡政権となり、宗教も今とは明らかに異なっていたかと思います。
武士が軍人、江戸幕府や藩は軍事政権というお話は、とても新鮮に感じました。
そういう捉え方をすると、私の中での武士というものが、変わったように思います。
幕府が100年で死に体というのは、司馬さんが、「べつの体制に転換しておけばよかった」と言った、その時期ですね。
「日本の奇跡は、あの時代に西洋に隷属せず、志士が幕府を打倒して、国家として独立する道を選べたこと」というお話を伺うと、改めて、本当に奇跡的な偉業だったのだな、と感じました。
「汽笛一声新橋を~」で始まる『鉄道唱歌』という唱歌をご存じと思います。
明治33年に、子どもたちに日本の地理を覚えさせようという目的で、『地理教育 鉄道唱歌』のタイトルで作られました。
中でも、新橋から神戸の「東海道編」が大ヒットしますが、その中に、頼朝、家康や藤吉郎の名もあります。
「大石良雄が山科の その隠家はあともなし 赤き鳥居の神さびて 立つは伏見の稲荷山」というのは45番の歌詞なのですが、大石良雄は大石内蔵助のことです。
2番では、
「右は高輪泉岳寺 四十七士の墓どころ 雪は消えても 消え残る 名は千載ののちまでも」
明治33年の当時も、忠臣蔵の話は歌にするほどだったということがわかります。
歌にしたのは、江戸時代に作られた「忠臣蔵」ではなく、史実に基づいた赤穂浪士のことなのかもしれませんが、定かではありません。
お忙しくなる時期ですが、まだ本調子とは言えないでしょうから、体調と向き合いながらくれぐれも無理せずお過ごしください。
こちらは、雪がけっこう降ったと思ったら、昨日今日は20℃以上。
激しい気温差と花粉でヘロヘロです(笑)
自治会集会も無事に済んだとのことで、安心しました。
締めつけ感、キューっとなるような痛み、せりあがってくる痛みやもたれなど、心臓なのか胃なのか判明できない、まぎらわしい症状が出ることもありますね。
昨年末からのいろいろな不調が、食事や市販薬などで改善され、体調の不安がなくなるようにと思います。
せっかくの農閑期が体調不良で楽しめなかったかもしれませんが、農閑期のうちに原因に思い当たり、対処法を講じることができたのは、タイミング的にも何かにまもられているように思えます。
病気(「病気」と言えるものも言えないものも)は、気の持ちようも影響するので、あまり深く考えず、「騙し騙し」つきあっていくという向き合い方が必要かな、と思うようになりました。
私も、痛みをさんざん味わった末に死ぬのはいやです(笑)
痛みやつらさは、治る大前提のものであってほしいですね。
治ると思うから、つらくても我慢できるのだと思います。
浅井戸というのは初めて知りました。
稀に都内で井戸がある個人宅を見かけますが、枯れ井戸になっていて、使用不可のまま残してあるようでした。
最近知ったのですが、防災井戸というものを新しく設置している地域、集合住宅などがあるようですね。
災害時に使用する目的だそうですが、非飲用のようですので、浅井戸なのかもしれません。
飲めないのは困りますが、それでもこういう災害用の井戸は、増えてくれるといいですね。
昔は「湯水のように~~」という言葉がありましたが、最近の水道代は高すぎて、とてもとても気軽には使えません(笑)
電気・ガス・水道、これは生きていくうえで重要なものなので、26億円かけて都がやろうとしている、ランドマークの噴水事業は取りやめ、私立の高校の授業料無償化などという政策は見送って、高額医療費(訂正:高額医療費制度)は現状維持または引き下げとし、最低ラインの光熱費の負担を国、または自治体が行ってくれないものだろうかと思うのですが、そういうことは絶対してくれないんですよね(笑)
私立高校の授業料を無料にできる財源があるなら、奨学金制度の見直しをし、貸し付けではなく返済不要にすべきなのではと思います。
誰でも、ということはできないので、ある一定の成績以上の学生にということになるでしょうが。
実際、多額の奨学金を返済しなければいけないので、結婚できないという人も多いということですし、奨学金は借金として夫婦共有になってしまうので(訂正:夫婦共有になる可能性があるので)、なかなか難しい問題だと思います。
話がずいぶん逸れました(笑)
江戸幕府のお話、大変興味深く読ませていただきました。
考えてみたら、一つの体制が200年も続いたということは、不思議なことですね。
徳川家康以降、子孫がずっと政治を行ってきたというのは、不自然に思えてきました。
しかも、養子縁組をしてまで、代々徳川の体制を守ってきたというわけですから、ある意味、皇室と似たようなものだと思います。
徳川が続いていたら、大奥の制度も存続していたかもしれませんし、なんだかめちゃくちゃな世の中になっていたかもしれませんね(笑)
私なんかは、将軍に気に入られたために、大奥でさんざんいじめられて、つらい日々を過ごしていたかもしれません(笑)
司馬さんの考え方は、実におもしろいですね。
100年で別の体制に変わっていたら、いったいどんな世の中になっていたでしょうか。
反面、江戸幕府がずっと続いていたと想定した場合、いまだに鎖国ということはないでしょうから、仰るように、西洋の傀儡政権となり、宗教も今とは明らかに異なっていたかと思います。
武士が軍人、江戸幕府や藩は軍事政権というお話は、とても新鮮に感じました。
そういう捉え方をすると、私の中での武士というものが、変わったように思います。
幕府が100年で死に体というのは、司馬さんが、「べつの体制に転換しておけばよかった」と言った、その時期ですね。
「日本の奇跡は、あの時代に西洋に隷属せず、志士が幕府を打倒して、国家として独立する道を選べたこと」というお話を伺うと、改めて、本当に奇跡的な偉業だったのだな、と感じました。
「汽笛一声新橋を~」で始まる『鉄道唱歌』という唱歌をご存じと思います。
明治33年に、子どもたちに日本の地理を覚えさせようという目的で、『地理教育 鉄道唱歌』のタイトルで作られました。
中でも、新橋から神戸の「東海道編」が大ヒットしますが、その中に、頼朝、家康や藤吉郎の名もあります。
「大石良雄が山科の その隠家はあともなし 赤き鳥居の神さびて 立つは伏見の稲荷山」というのは45番の歌詞なのですが、大石良雄は大石内蔵助のことです。
2番では、
「右は高輪泉岳寺 四十七士の墓どころ 雪は消えても 消え残る 名は千載ののちまでも」
明治33年の当時も、忠臣蔵の話は歌にするほどだったということがわかります。
歌にしたのは、江戸時代に作られた「忠臣蔵」ではなく、史実に基づいた赤穂浪士のことなのかもしれませんが、定かではありません。
お忙しくなる時期ですが、まだ本調子とは言えないでしょうから、体調と向き合いながらくれぐれも無理せずお過ごしください。
こちらは、雪がけっこう降ったと思ったら、昨日今日は20℃以上。
激しい気温差と花粉でヘロヘロです(笑)