山麓王国

No.930

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ことしの大河ドラマの「どうする家康」。

ぼくはあんまりこのドラマが好きではないんですが、とりあえず見続けています。

どこがきらいか挙げていくと、片手で足りないくらいではあるんですが、いちばんイヤだったのは、厭離穢土欣求浄土の旗印の意味を改変していたことです。

これは本来「穢れたこの世を離れ、浄土を求めよ」という意味以上のものではありません。

旗印にこれを掲げるということは、戦いに赴くものに向かって、死を恐れるなというメッセージを込めています。

兵士が死を恐れてビビっていたら、戦争になりませんからね。

真田は六文銭を旗印にしましたが、これは三途の川の渡し賃と考えられていて、これもつまり、戦場で死んでも三途の川の渡し賃はここにある、だから死を恐れるなというわけです。

で、かのドラマでは厭離穢土欣求浄土は、そんな死を求めるようなメッセージではないという。

「この穢れた地をこそ、よりよい社会(浄土)に変えていこう」という意味なんだそうな。

んなわけあるかい。

そんなふうに歴史を都合よく解釈することを、歴史修正といいます。



ところで、家康はもちろん仏教徒ですが、どの宗派だったのか。

もしこれが日蓮宗であったなら、あるいは厭離穢土欣求浄土の意味合いが、ドラマがいうところのものであった、という主張も、無理筋ではありますが通らないこともありません。

日蓮はいまでいうところの現実主義者でした。

死後に救いを求めるよりも、いま生きているこの世を変えなければならないではないか、というのです。

みんなで南無妙法蓮華経を唱え、いま生きているこの世を変えようとすることが、すなわち救いではないか、と。

この考え方であれば、現世を浄土にしようではないか、という考えも成立します。



ところが家康はどうも浄土宗だったらしいのです。

曹洞宗か浄土宗でもめていたりするらしいんですが、少なくとも日蓮宗ではない。

浄土宗であれば、浄土には阿弥陀仏が統べるあの世という以外の意味はありません。

ちなみに厭離穢土という言葉は、万葉集にも出てきますが、これもやはり、この汚いこの世を離れて、清浄なあの世へ行きたいというものです。



しかしこのドラマは、なんで江戸時代が終わった現代になってなお、家康にゴマをするような歴史修正を行わねばならんのか。

こういう茶坊主的な脚本のありようが、どうにも腹に据えかねるわけです。

では、ぼくはなんでドラマをみてるのでしょう。

見なきゃいいだけなんですけど、見ないと批判もできないでしょう(笑)

ジレンマを抱えながら、視聴している次第なのです。

#与太話

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