山麓王国

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今回はかなり長い記事になりました。
ちょうど終戦に近い時期ですが、とりとめのない話なので、適当に拾いやすい話題を拾っていただければとおもっています(笑)



『昭和天皇物語』、読ませていただいています。

むかし、作画の能條純一さんの将棋の漫画『月下の棋士』を読んだことがあります。

画力のある漫画家さんですが、やはり女性が積極的に読みたい絵柄ではないですよね(笑)



東郷平八郎の意には沿わない学者が「天皇の耳には入れたくない授業」をする話はたいへん興味深かったです。

しかしかれらはその道の学問を究めたからこそ、軍国イデオロギーに毒されずにいられたわけで、そのようなリベラルな教育は天皇にのみ施されていたんですよね。

いま現在のわれわれにとって常識のような学識は、大正当時には、天皇にのみ与えられるような特権的なものだったわけです。

国民に向けては、明治・大正・昭和とグラデーションがかかっていくように、徐々に国粋主義的な愛国教育が幅を利かせるようになりました。

とりわけ大東亜戦争に至ってからは国民への思想教育は苛烈を極めました。

ただ、この思想教育はかならずしも軍部だけが積極的におこなっていたというわけではありません。

教育勅語やマスコミの煽りを軸に、国民に火がついて、国民同士でお互いに思想教育をやりあい、「軍部を育てた(増長させた)」という一面が強かったのです。

以前この話をしたかもしれませんが、司馬遼太郎の随筆集『この国のかたち』に、こんな話がありました。

司馬さんは学徒動員で軍隊を経験しているんですが、かれが還暦を越えたあたりで、10歳ほどしか違わない下の世代たちと会う機会があったそうです。

そこで「ボクの青少年期には、天皇ということはあまりいわれませんでしたよ」と話しても、相手に理解してもらえなかったといいます。

なぜかというと、大正生まれで強制的に軍人になった人は、むしろ世間から隔離されていて、軍隊での上意下達さえ守っていれば、三食食えていたし、特に「天皇のために死ね」というような思想教育はほとんどなかったらしいのです。

しかし戦争末期に少年だった昭和生まれの世代は、多感なころに周囲から「天皇は絶対である」という思想教育の虐待を受けていたんですよね。

だから、司馬さんが軍隊で天皇についてうるさくいわれなかったということは、たった10歳ほど下の世代には、よく理解できなかったそうです。

司馬さんいわくこの昭和ひとケタの世代は、「精神の上で、最大の戦争の被害者」なのだそうな。

その虐待というのは、たとえば小学校でさえ軍隊的に組織され、校長が連隊長、学級長が小隊長といった具合で、生徒たちはこれら隊長の命令で、真冬でも裸足で登下校させられたといいます。

もちろんそういった命令は、各学級に飾られている天皇の肖像画のもとにおこなわれるわけです。

司馬さんはこの話を仙台で聞いたというのですが、当然東北の仙台ですから、冬の寒さはたいへんなものだったでしょう。

ぼくが子供のころにある教師から聞いた話だと、集団疎開先のお寺で、出された食事が合わず、廊下で戻してしまったところ、教師から「お国が危急存亡の中、申し訳ないとおもわんのか」とさんざんぶん殴られたあげく、吐いた吐しゃ物を飲まされたというのです。

その伝聞がほんとうかどうかはぼくにはわからないのですが、ぼくの心に強烈な印象を残している話です。

少なくとも、当時の国民同士が目の色を変えて、子供に異様な教育をしていたのは間違いないでしょう。



半藤さんの『日本のいちばん長い日』では、天皇や陸軍大将を含む政治中枢がポツダム宣言の受諾を決めた……つまり敗戦を受け入れるとなったときに、陸軍の青年将校たちがクーデターを起こそうとしたところを描いています。

上官が決めたこと、不可侵の神である天皇が決めたことであるにもかかわらず、青年将校という若手の立場にある連中が、軍国イデオロギーに染まり切って、「最後の最後まで戦い抜いて、国民も総玉砕せにゃならんだろう」といって、ポツダム宣言受諾を阻止しようとする。

大東亜戦争はもっと早く、原爆が落とされるより前に終わらせられなかったのか、という話もありますが、もはや軍の上層部も、天皇でさえ、国民の意志がああも盛り上がってしまっていては、中途半端なところでは止めるに止められない状況だったのだとおもいます。



話を天皇に戻しますが、たとえばヒトラーは典型的な西洋的な皇帝の性質をもっています。

ヒトラー自身が非常に頭のキレる人間で、大衆扇動や組織の統制もみずから行っていました。

西洋の皇帝の代表といえばナポレオンですが、かれもたいへんなキレ者で、この優秀さが独裁につながっていきます。

そういう意味では昭和天皇はやはり東洋的な皇帝でした。

昭和天皇も賢い人ではありましたが、西洋の独裁者のような一代限りのカリスマとは一線を画しています。

今回の大河ドラマの「光る君へ」もそうですが、日本では天皇は官僚の傀儡(あやつり人形)のようになってしまうんですよね。

中国の皇帝もそうなんですが、天皇自身が独裁的に社会を動かすという例は、ほとんどありません。

天皇は世襲制で、どんなに愚昧でも、どんなに幼少でも、官僚が支えていくんですよね。

そのかわり、たとえ優秀でキレ者の帝であっても、やはり天皇はシンボルにすぎず、官僚が実質的に国家を動かしていくわけです。

しかし昭和天皇は独裁者となった瞬間があります。

それはポツダム宣言受諾のときと、それから漫画の最初にも描かれていましたが、マッカーサーとの会談のときだったといえるでしょう。

昭和天皇は終戦に向けて動き出し、鈴木貫太郎を総理大臣に、阿南惟幾を陸軍大将に推します。

かれらは天皇の親衛隊ともいえる理解者でしたから、天皇はかれらを政治中枢に据えることで、終戦への道筋をつけたといえます。

そして戦後、マッカーサーに対して命乞いをせず、それどころか国民を救うように求めたこと。

このふたつの大問題において、若き天皇はだれにもおもねらないじぶんの采配によって国民の運命を決定づけたんですよね。

戦後日本人は昭和天皇に戦争責任を問いましたが、皮肉なことに、昭和天皇は大東亜戦争を終わらせ、終戦後に国民を守るときにだけ、明確に独裁者だったというのがぼくの解釈です。



ところで、半藤一利さんなんですが、あの人は司馬遼太郎が書けなかった昭和について書いたという点で、司馬さんの後継者のような存在なんですよね。

実際司馬さんの担当編集者だった時代があり、司馬史観をじゅうぶんに吸収した人でもありました。

司馬さんは敗戦を経験したときに、日本という国に絶望しました。

それでむかしの日本人はもうすこしマトモだったんじゃないか、古い日本人のよさを発掘していこう、と考えたところから、歴史作家のキャリアがスタートするんです。

結果、日本史を鮮やかに切り取ってヒーローを生み出す大作家になるわけですが、昭和史だけは書けませんでした。

司馬さんいわく、あの時代はまるで魔法使いがあらわれて、日本という輝ける国家を暗い森に変えてしまったようだ、というのです。

司馬さんはその魔法を解くカギを、よそから借りるのではなく、自前のカギで開けたいとおもい、そのカギはほとんどできかかっているのだけど、開けることができないといいました。

司馬さんは軍人でしたから、大東亜戦争の不条理を当事者として経験しているわけです。

その司馬さんが、当時の軍部中枢の人物とも対談し、煮え切らぬ官僚答弁のような逃げ口上を受けて、ほんとうに苦しいおもいもしている。

ぼくからすれば、そんな司馬さんが昭和史を書けないのは当然だとおもうし、実際司馬さんは昭和を書くと発狂するとまでその苦しみを吐露する中、半藤さんが昭和史を引き継ぐんですよね。

半藤さんは昭和5年生まれですから、司馬さんより10ほど年下の、まさに「精神の上で、最大の戦争の被害者」です。

しかしある意味では戦争の現場を直接経験したわけではありませんから、昭和史をもっとも上手に客観視できる世代でもあります。

その半藤さんの研究した昭和史は、まだしばらく日本の昭和を理解するためのスタンダードであり続けるのではないかとおもっています。



デスクトップのパソコン、気の毒でしたね。

キーボードやディスプレイはつかいまわしがききますし、部屋にデスクトップ専用のスペースがあって邪魔にならないなら、腰を据えて作業するのにデスクトップは便利だとおもいます。

ギズモさんはデスクトップは仕事用として、ノートパソコンと分けて活用なさっているようですし、本体を買い替えて2台目として活用するのもいいのではないでしょうか。

うちの母も最近パソコンが壊れたのですが、一台しか持っていないので、結局ぼくがネットショッピングで買い替えて、実家に届くように手配しました。

ぼくはというとノートパソコンを2台持っているので、もし片方が壊れても、もう一台で買い直しの手配ができます。

といっても一台はほとんどゲームにつかっているんですけどね(笑)

最近、やっぱりゲームを遊ぶならデスクトップがいいなあ、とおもっていて、そのうちお小遣いをためてゲーミングPCを買ってやろうと画策しています。



暑さの心配をいただいて、ありがたいです。

おかげさまで、ことしはスポーツドリンクをタイミングをみて飲むようにして、作業中にはいただいたネッククーラーを利用して乗り切っています。

ギズモさんも、先日集中豪雨があったとニュースで知りましたが、問題なかったでしょうか。

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神道には、教義も教祖もないのだけど、神社に参拝する側の理解として、これだけは間違いないということがひとつだけあります。

それは、その場所で代々長い間、ようわからんながらに神さまなるものに畏怖の心を持ちながら、人々がおもいを寄せていた、という点です。


平安時代の終わりごろから、鎌倉時代になるかならないか、といったあたりまで生きた西行という僧侶が、伊勢の神宮に訪れたときに、こんな歌を詠みました。

「なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」

そこになにが奉られているかよくわからないのだけど、畏れ多くて勝手に涙がこぼれる、というわけです。

神社なんてそれでいいんです。
よくわからんけど畏れ多くて、拝んでしまう、ということをむかしの人が連綿と繰り返していて、そこにあんまり小難しい理屈はなかったし、現代のわれわれもそれでいい。


明治以降、急に降ってわいたような国家神道の思想や、現代だとお参りのマナーや心構えみたいなものは、お参りをする側からすればどうだっていいことです。

過去にわたって鎮守の神様のもとで、たとえば病気の身内のためにお百度を踏んだり、みずからの心願成就を祈念したり、地域で集まってお祭りをしたりと、暮らしに根差すような形で長い間神社がそこにあった、ということだけが、ほんとうです。

だから、そういう過去の人々の願いや祈りの中に現代を生きるじぶんも混ぜてもらって、そのときのじぶんのありようを聞いてもらう。浄めてもらう。

ぼくにとって神社に参拝するのは、その程度の意味合いです。
神様もご先祖さんも、おおらかに、こちらの気持ちをじっと聞いてくださる。


それできょうは神社にお参りしてきました。当地の氏神さんである八坂神社と、市内にある若宮神社です。

八坂神社も若宮神社も、厄除けのご利益があるといいます。

「最近、畑はうまいこといかんし、親父に病気がみつかるし、タイミングがわるいのかいろいろわるいことが立て続いているようにおもえまして。どうぞこの厄を浄めてもらいたいんです。よろしくお願いします」
と、わずかばかりのお賽銭を入れて、二礼二拍手一礼。

宮司さんががっかりする程度のお賽銭しか入れないので、せめて若宮神社では厄除けのお守りをいただこうとおもったのだけど、おおらかで優しい神様はこうおおせになった(ようにおもえた)。

「よう来た。ようわかった。でもおまえみたいな貧乏人は、もう無理せんでよい」

その証拠に、社務所はだれもいませんといわんばかりに窓をぴっちり閉めて、中にはブラインドがかかっていました。(おそらく実際は暑すぎるから)

ぼくは心の中でかしこまりながら、
「おっしゃるとおり、ことしはタイヘンなんです。お言葉に甘えさせてもらいます。おおきに、ありがとうございました」
とお礼を申し上げた次第。

帰りにスーパーで買い物して、晩酌のおともにお刺身でも買おうかと考えたけど、お守りのかわりにお刺身を買うような贅沢をするようではさすがに申し訳ないと、そこは自粛しましたとさ。←晩酌はする

#与太話
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https://www.yomiuri.co.jp/economy/202308...

コンビニおにぎりの中にゴキブリが入っていたんだそうで。

そういえば先日丸亀製麺のシェイクうどんにカエルが入っていたという問題もありましたが、こういうことは、工場を消毒するとかそういうこととは別個の問題があるようにおもうんですよ。

たとえばじぶんのおにぎりをつくるときに、ゴキブリが入ってりゃ、「見りゃわかる」でしょう。

じぶんのおうどんをつくるときにカエルが入ってたら、これも「見りゃわかる」はずです。

じゃあなにが問題なのかというと、製造過程で「だれも商品を見てない」ことが問題なんですよね。

会社側は、「製造ラインを停止した上で洗浄・殺菌、防虫業者による緊急点検・燻蒸処理などを実施いたしました。」というのだけど、それ以前に人間が目視で確認する部分のコスト省いてる、あるいは省かざるをえないという問題が横たわっていないかい? と。

会社側は人件費をケチりたいし、働き手は現場の衛生環境がわるくても、責任の所在がじぶんにないことを知っているし、そもそも人件費をケチられているので毎日の業務でいっぱいいっぱいでそんなことの相手をしていられません。

そりゃ殺菌や燻蒸も応急処置にはなるのだろうけど、この会社にかかわらずどこも似たようなものでしょうから、こういうケースは今後後を絶たないでしょう。


だって、ぼくもそうですもん。
ひとりで百姓やって、ひとりで収穫。ひとりで袋詰め。

そもそもがボンクラのオッサンなのだから、一生懸命やっても見落としが出ます。
さすがにゴキブリやカエルが入ってたことはありませんが、野菜の小さな傷を見落としていて、それが陳列棚に置いてからわるくなってた、みたいなことがあります。

反省するし、次におなじことはすまい、と気を付けるんですが、そうなるとひとり体制というのはとても怖い。

もしぼく以外にも働き手がいれば、ぼくが気づかないミスに気づいてもらえる可能性は上がるし、逆に相手が気づいていないミスにぼくが気づくこともあるでしょう。

じゃあそれはぼくが人件費をケチっているのか、というと、ぼくの場合はそうではありません。

ケチるもなにも、ひとり親方のぼくが最低賃金以下で仕事をしてるのだから、人を雇えるわけなんかないのであります! ←開き直り

#野菜
#与太話
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ぼくが秋冬に作る野菜を以下に挙げます。

・ハクサイ
・カブ
・チンゲンサイ
・ベカナ
・シュンギク
・ダイコン

といったところでしょうか。
ハクサイとダイコンはほぼ自家用で、白菜は毎年早生系の60日の耐病性品種。
これをお盆過ぎくらいからペーパーポットに播種して、9月を過ぎてから移植して栽培します。

ダイコンは毎年耐病総太り。これは9月初旬に高度化成とダイアジノン粒剤5を畝にすきこんで、直播。
ある程度苗が育ったら一本立ちにして、あとは放任です。
虫害が発生するので、10月くらいまでは防除します。

ぼくはカブは「はくれい」という品種を育てています。
種の価格が比較的安いのと、食味がよくて草姿もよい、という理由です。

チンゲンサイは、ミニチンゲンサイの「シャオパオ」です。
小さくて若いうちに、200gで5つくらい詰めておくと、お得感があるようでよく売れます。

春菊はもうずっと、「さとゆたか」という摘み取り系の品種を育てています。
春菊は在来種ばかりなのですが、比較的べと病に強いそうで、作りやすくて食味も比較的よいので重宝しています。

ぼくはハクサイとダイコン以外は、それぞれ9月10日ごろ、その2週間後の9月25日ごろ、最後に10月10日ごろと3回にわけて栽培します。

9月10日はまだ、炎天が残っていて発芽が不安定でうまくいかないこともありますが、9月20日以降は毎年安定して栽培できます。

10月ごろからは日本海側は雨がだんだん増えてくるので、地面が乾くタイミングを見計らってスケジュールを前後させながら播種します。

種袋に8月下旬から育てられるとあったので、8月中にカブを育てたことがありましたが、外の見た目は変わらないし、葉っぱもきれいに育ったのに、よく太った根の中に黒いスが入ったようになったことがあります。
おどろいて種苗会社に聞いてみたら、真夏の炎天が原因の生理障害ということでした。

適期栽培はやはり大事なようですね。
今夏の葉野菜栽培もやはりむずかしかったです。

水やりを欠かさず、発芽してある程度育っても、こんどは炎天で外葉が焼けて黄色くなってくる。
防除をしてもなぜか葉に微細な穴があいて、美観を損なう。

やっぱり35度を超えてくると露地の軟弱野菜には厳しいようで、なんらかの形で日よけをするとか、防虫の工夫が必要になるようです。

しかし9月をすぎればそんなことを気にしなくても育つのだから、高くて場所をとる被覆資材を用いて、農薬と水やりに金をかけるくらいなら、夏には夏の実物野菜を、獣害などに気を付けながらきちんと育てるのが、結局定石なのだろうな、と考え直しています。

ちなみに春菊はまだ発芽率のわるささえ気を付ければなんとか育ちますが、ホウレンソウは輪をかけて発芽が気まぐれで、ネーキッド種子をつかい、水やりを欠かさずにいても、発芽がまともに安定せず、売り上げにつながらないことがあったので、栽培自体をやめることにしました。

でも、ホウレンソウはよく売れるから、ほんとうは作りたいんですけどね(笑)

#野菜

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