山麓王国

2024年8月の投稿5件]

2024年8月31日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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高校の学生運動のお話からふとおもったんですが、むかしのインテリは、社会をダイナミックに変えていくことを、一種の使命のように感じていたんですよね。

学生運動もそういったインテリの社会意識のもとに起こっています。

なのでこれから大学へ行き、社会を背負う人間になろうとする高校生が、学生運動にいち早く参加しようとしたのも、わかる気がします。

けれど学生運動が敗北してから、日本での学歴エリートの権威も失墜して、たんなる勉強ができる賢い人、という以上の意味付けがなされなくなったのではないでしょうか。

本来、東京大学であったり京都大学に入学できるような人は、日本の社会の中核を担うべき人材です。

当人にもエリートであるという意識がなくてはならないし、社会全体でそのように意識付けする必要もあったとおもいます。

お笑い芸人や落語家になったり、クイズ同好会でテレビに出るというようなことは、本来の役割ではないんですが、そんなことが当たり前になったのは、学生運動の敗北と地続きなのではないかとおもっています。



義理の息子さんのお父さんのご不幸、たいへんでしたね。

そこでスピリチュアルに感じられる出来事があったとのこと。

ぼくの以前の話をおぼえていてくださったので、今回はそこから発展させていこうかとおもいます。

今回は5次元の話で、かなりスピリチュアルな話でもあるとおもいます。

ただ、最初に言っておくのですが(そしてあとでも述べますが)、この話は、巷にある「5次元意識」というような、チャネリングのような話とはまったく関係がありません。

あくまで物理学的なアプローチに、ファンタジーな領域が混じった話とおもっていただければとおもいます。



宇宙物理学では約94%の暗黒物質・暗黒エネルギーがあって、われわれが感知できる物質は約5%だといいます。

最近ではこの人間に感知できない物質とエネルギーを、「5次元に関連している」とする研究・仮説があるようです。

https://gigazine.net/news/20210215-dark-...

最近話題になった本で『三体』という中国の小説があるんですが、あれは宇宙物理学をもとにしたファンタジーでした。

宇宙人である三体星人は、われわれ人類が4次元までしか感知できないことに目をつけて、さらに高次元を利用する、という描写があります。

つまり、肉体を持ち、時間にとらわれざるを得ないわれわれは4次元までしか認知できないのですが、宇宙にはさらに高次元の世界がありうるというのです。



1次元は、直線です。

2次元は紙に書かれた絵のような、面ですね。

3次元はこの面に奥行きが加わった、われわれが暮らしているような空間です。

では4次元はというと「3次元 + 時間(過去・現在・未来)」になります。

この4次元がわれわれの暮らす次元です。

われわれは4次元に生きているので、流れていく時間の中で、現在を生きて、おなじ現在を生きるだれかと出会います。



では5次元とはなんなのかというと、4次元における「時間」の軸が無数に存在している……つまり、パラレルワールドが無数に展開されているというのです。

パラレルワールドとはなにかというと、たとえばぼくがいま右を向く、という選択をするか、あるいは左を向く、という選択をするかで、未来はほんの少し分岐しますよね。

その分岐したぶんの世界が存在する、というのです。

しかしぼくたちは「いま現在のじぶん」という四次元空間を生きていますから、肉体がある以上、五次元空間を感知することはできません。

肉体をもって、時間とともに生きているわれわれが、パラレルワールドを自由に行き来できる、というのはあくまでファンタジーです。

暗黒物質や暗黒エネルギーが五次元と関与しているということも、もしかしたら今後物理学の精緻な研究とデータの積み重ねで、立証される、あるいはその現実性に肉薄することがあるかもしれません。

しかし、われわれが実際に五次元を利用して、過去や未来を変えるということは、すくなくとも肉体をもって「いま現在のじぶん」を生きている限りは不可能でしょう。

かといって、じゃあ死んだらそういうことが可能なのかどうかというと、それもだれにもわからないことです。

そしてだれにもわからないということは、可能性を否定するわけにもいかない、ということでもあるわけです(笑)



以前にも話したかもしれないんですが、「インターステラー」という映画があります。

これは映画公開から3年後に、重力波の検出によってノーベル賞を受賞した、物理学者のキップ・ソーンがかかわった映画なんですが、5次元空間が出てきます。

さっきのギガジンの記事に「重力だけが5次元目以降の余剰次元に移動できる」という一文があるのですが、重力波と5次元につながりがあることが、この映画でも示唆されています。

映画序盤では、主人公の娘の部屋の本棚から本が落ちる不思議な現象が描かれます。

幽霊がいるという娘に、幽霊などいないという主人公。

ちなみにこの映画では地球がもうほとんど住めない状態になりつつあるんですね。

主人公はほどなく地球にかわる星を探すために宇宙へ旅立つのですが、星々を旅するうちに地球との時差が広がり、竜宮城にいる浦島太郎のような状態になってしまいます。

主人公の年とおなじになった子供たちが宇宙船にメッセージを届けるようになり、そのうち子供たちが主人公より年老いていく。

この描写はまるで、若くして死んだ親に子供の年齢が近づき、肩を並べ、父の年齢を追い越していくのに似ています。

そしてさっき言った本棚から本が落ちる現象は、じつは未来の主人公が5次元空間から重力波を利用して、過去の娘にメッセージを送っていたということが、映画終盤でわかるんです。

このインターステラーは、アマゾンプライムビデオで見られますから、すこし長い映画なんですが、ぜひ見ていただきたいです。

ギズモさんのおっしゃる、「偶然」が、ほんとうに偶然なのかどうか、考えるきっかけになるのではないかとおもいます。

個人的にあの5次元空間の描き方は、ギズモさんのおっしゃる不思議な現象を、科学的なアプローチから答えているようにおもえました。



そこからさらに飛躍して、いよいよファンタジーの領域に入りますが、われわれが死んで肉体を失ったとき、時間や空間の物理性はどうなるでしょうか。

肉体がなくなったとき、じぶんという精神性はどこへ行くのか。

この肉体は時間と空間にとらわれていますが、われわれの死後の精神、あるいは魂、あるいはこの宇宙のエレメントのようなものは、時間を感じることができるのでしょうか。

たとえば、ぼくが死んだら、何年過ぎたかなんてさっぱりわからないでしょう。

次に生まれ変わるときには、1億年が過ぎていたということだって、ないとは言い切れません。

もっといえば、ぼくが死んだとき、次に生まれ変わりがもしあるとすれば、それは果たして地球なのか、あるいは宇宙のべつの星もあり得るのか。

江戸時代に上田秋成が書いた『雨月物語』の「菊花の契り」というエピソードの中に「人一日に千里をゆくことあたはず。魂よく一日に千里をもゆく」という言葉があります。

人間は一日に千里をゆくことはかなわないが、魂であれば一日に千里でもゆくことができる、というのです。

江戸時代の人がこういう感覚をもっていたことに感心するのですが、しかし人間の魂が、物理学でいうところの光速を越えることはできるでしょうか。

結局人間の魂も物理的な法則に縛られているのだとしたら、宇宙にいくら恒星系の知的生命体のいる星があるとしても、ぼくは何光年、つぎの命にたどりつくまで旅をしなければならないでしょうか。

確率で考えれば、永遠に宇宙の迷子になる可能性のほうが高そうですね(笑)



けれど、われわれはもしかしたら、死後、五次元のような、いまわれわれがとらわれている次元とはまったくべつの次元から世界を俯瞰することだってできるかしれにし(ミスタイプでした→できるかもしれませんし)、ひょいと気まぐれになんらかの命を生きるということだって可能かもしれません。

それに、生前の魂の方向性というものがあるのなら、肉体から魂が解き放たれた瞬間、いま生きているだれかに、なにかわずかなメッセージを与えることも可能かもしれないとはおもいます。

しかしさっき言った物理学者のキップ・ソーンがいうには、重力波には、映画にあるような「本を落とす」ようなチカラはない、といいます。

だから、よくオカルトの話にあるような、強烈な心霊現象(ポルターガイスト)のような干渉は、できないのだろうとおもっています。

しかし、だとすれば、なにかもっと微弱なメッセージを、われわれはべつの次元から受け取っている「かもしれません」。

すくなくとも頭ごなしに否定するようなことではないとおもいます。

ミャンマーや、日本にも多少あるとおもうんですが、精霊信仰のある国では、亡くなった人がいまじぶんの目の前を飛んでいる蝶かもしれないなどというような話がありますよね。

科学がなかったころから、われわれは感覚的に、なにか本質的なことを理解していたのかもしれないぞ、という気もしています。

そのうえであらためて注意したいのですが、今回の話は、ネット上にうっすらとはびこる「五次元意識」のようなスピリチュアル、チャネリングのようなものではないし、あくまで科学的な事実と可能性から、われわれがなにか感覚的に理解している不思議な話をつないで「楽しむ話」だとおもっていただけるとありがたいです。

2024年8月26日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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私が疑問に思ったこと、何気なく書いたことについて、多角的に答えてくださり、ありがとうございます。

第一次ベビーブームの子どもが学生運動の中核になったというお話。
家庭と社会のありようがちぐはぐだという不満を変えようとして奮起したアクションが学生運動だった、というお考えは、とてもわかりやすいです。

外国の学生運動に感化されたのが、一番の原因かと思っていました。
ただ、結局何をしたかったのか、何を成し遂げたのかよくわからずにいたので、農園主さんの解説で納得できました。

また、大学紛争が下火になったころ、高校でも学生運動が起こりましたね。
東大を目指す進学校と言われるような都立高校などで起きたようで、親戚や近所の人にも何人かいて、退学になった人もいると聞いたことがあります。

高校でも社研部(社会研究部?)があって、部員は思想的な活動をしていたようですが、一時期のみ熱中して、その後普通の大学生になったケースがよくあったとも聞きました。

戦中・戦後すぐの生まれの人は、「責任」ということに重きをおいていたように思えます。
軍隊からの影響なのか、小中学校でも、ひとりが授業をまじめに聞いていなければ、連帯責任と称しクラス全員が正座させられたり、なんでもないことで殴られるのも日常茶飯だったりしたそうです。
そういう先生のもとで教育を受けると、家庭とのギャップに戸惑った人が多かったかもしれませんし、逆に自由な学校教育を受けた人が、家庭では軍国主義を引きずった親に育てられたということもあるのかもしれません。
いずれにしろ、戦争が与えた影響は多大ですね。

国家を疑うということについてですが。
現在の日本人は、コロナ禍においてのワクチン問題を含む対応、WHOの問題、マイナンバーカード、諸外国への資金のばらまきなど、様々な問題についてデモや署名を行ったりしており、今の日本を疑っている人は多いかと思います。

でも、署名やデモ活動が報道されることはなく、それに不満は言っても、そこから大きな運動にはつながらない。
それはもしかすると、YouTubeやSNSなどで拡散したり、そこで共感を得ることで、なんとなく解消してしまう、ということができる、現代的な時代の問題なのかも、と思いました。


また、わたくしごとで恐縮ですが、1週間ほど前、娘婿の父親が急に亡くなりました。50代後半です。
昨年10月に、喉頭がんのステージ4が見つかり、闘病中ではありましたが、家で元気にしていただけにショックでした。

スピリチュアルなことを書くつもりではないのですが、亡くなる10日ほど前、ご存じのように電話回線が使用できなくなり、パソコンが壊れました。
これは落雷の影響だと科学的に説明ができるのですが、その数日後、お風呂がいきなりおかしくなりました。
予約ボタンが押せない、お湯が止まらない、という事象です。

続いて私のガラホで画像(例えばアメーバブログやニュース等の写真など)がまったく読み込めなくなり、次にはガラホの充電ができなくなりました。

そして、亡くなった日あたりから、すべて元どおりに直ったんです。
電話、ルーター、モデムは交換したので関係ないですが。

偶然、、でしょうね(笑)
いえ、偶然、でしょうか。

農園主さんの以前のお話にあったように、「この世の中では、見えるものより見えないもののほうが多い」、ということを考えると、人間の認識以外になにかあったとしてもおかしくないように思います。
笑われるかもしれませんが、今回起こったことを霊現象とは思いませんが、全部が偶然というわけではなく、「何かの知らせ」くらいに理解しています。

霊現象、というより、なんらかのエネルギーが働いた、ということのように思えます。

覚えていらっしゃるかどうかわかりませんが、以前noteで、そのようなエネルギー関連のお話、「魂が身体を離れたときに・・」という記事を書いた時、それに関してとても興味深い記事を書いてくださったので、続編を書いた時引用させていただいたことがありましたね。
地獄のこととか、小野篁のこととか、だったように覚えています。

コメント欄には、消えてしまってはいますが(この世のことは)「物理学的に96%が不案内」と書いてくださったようです。
コピーして保存しておけばよかった・・・・。

まぁ、現実問題として、お風呂の交換は時間もかかって厄介なのと、この暑さに入れないのは困るので、ほっとしました(笑)

娘婿の実家は群馬なのですが、高速で2時間。そして知らない人ばかりの中での葬儀、心身ともに疲れました(;^_^

暑いながらも、風がだいぶさわやかになってきました。
台風が近づいているようですので、お気をつけください。
被害がありませんように。

2024年8月20日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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能條さんの作品って、将棋やマージャンなど、勝負事をテーマにしたものが多いからか、表情から感情が読み取りにくい人物の描き方をするんですよね。

こちらが感情を読み取れないままどんどん読み進めていると、突然その人物が泣いたり怒ったりして、どうしてそういう感情の変化に至ったのか、前の部分を読み返すということがしばしばあります(笑)

おそらくそうやって読者をわざと惹きつけるレトリック(技術)なんだろうとおもうんですが、特に大正天皇のお妃の貞明皇后(九条節子)の、ホンネの見えてこない描き方は非常にうまいとおもいます。



今回は、戦時中に思想教育を押し付けられた子供が、大きくなってどうなったかというお話をさせていただこうとおもいます。

もちろん育った家庭や教育によってありようはさまざまですが、全体的にみると、国家を疑う人が増えたのは間違いないでしょう。

なにせきのうまで天皇陛下の名代のようにえらそうにして、子供たちをぶん殴り、虐待し、国のために命を賭けることを美徳と説いてきた大人たちが、8月15日を境に、天皇のことなどひと言もいわなくなり、やれ民主主義だ、自由主義だとのたまうようになるわけです。

子供にしても、きのうまで天皇陛下万歳で、兵隊になって日本の礎になって死ぬのだとおもっていたのが、突然ハシゴを外されて「もうお国のためになど、考えなくてよい。じぶんのために生きなさい」といわれてしまう。

「国家とはいったいなんなんだろう」というむなしさは、先天的に国家への忠誠を叩き込まれ、それを疑わなかった子供ほど強く感じたのではないかとおもいます。

さらに一部の人は、いままで心のよりどころにしていた「国から裏切られた」というおもいさえ抱いたのではないかとおもいます。

共産党の主導する学生運動は大正時代からそれなりに盛り上がっていて、戦時中には完全に排斥されていたのが、戦後、改めて盛り上がるんです。

国家が信じられない、国家になにか激烈なアクションを起こしたい一部の人々にとって、共産主義はよい受け皿だったのかもしれません。



ところで司馬さんは学徒動員でしたから、終戦時は少年と大人の端境のような立場で、むなしさにとらわれ、思索にふける余裕があったといえます。

が、おそらく司馬さんより上の世代の戦後は、そんなことより生活をどうにかしなければという気持ちが強かったでしょう。

世の中が変わっても、戦前に発布された国策である「産めよ殖やせよ」にしたがって、ともかく子供を増やしました。

家庭を持っていた多くの人は敗戦によって苦悩はしたものの、じぶんたちの考え方を主体的に変えていこう、これからの日本はどうあるべきか模索していこう、といったアクションを起こす余裕はなかったとおもいます。

この「変わらない大人たち」によって、戦後の爆発的なベビーブームが起こります。

そしてこの第一次ベビーブームの子たちが、60年代半ばには、学生運動の中核になっていくわけです。

個人的にはあの学生運動の原動力は、民主主義や西側としての日本へのカウンターという思想よりも、「じぶんの親世代と社会のありようのちぐはぐさをどうにかしたい」という側面が強かったのではないかとおもっています。



話があっちこっちしますが、以前、西郷隆盛の西南戦争について書いたとおもいます。

明治維新のときに、幕府側と新政府側が大きな戦争を起こすことなく、明治体制に転換してしまったんですね。

その後さらに武士という階級を取り上げられることになり、これまで武士だった士族の不満が噴出するんです。

そして薩摩から西郷隆盛を担いで、ほぼ勝ち目のない戦いを挑んだというのが、西南戦争です。

士族の言い分は理解できるのです。

戦いもせずに武士というアイデンティティが奪われていくのを、指をくわえてみていろというのは、やはり納得できなかったことでしょう。

西郷はかれらの不平の受け皿になったわけです。

西郷は、武士の死に場をちゃんとつくってやらなければ、いつまでも日本で内戦の火種がくすぶり続け、明治の平和が来ないということをわかっていて、あえて新政府への反乱に加担したんですね。



突然どうして西南戦争を持ち出したかというと、学生運動もどこか、不平士族の起こした内戦に似ているからです。
(もちろん、学生運動には西郷のような大きな受け皿や、思想の死に場はなかったわけですが)

戦争当事者の世代、つまり学生運動の時代の親世代が、各家庭で大東亜戦争を総括してくれるということはほとんどなかったはずです。

となると、当時の子供たちからすれば、そんな親のありようと社会のありようは、なにもかもがなあなあで、玉虫色におもえたことでしょう。

言い換えれば、理不尽な世の中だったのです。

なぜかといえば、親の世代は戦後になっても軍国主義の影を引きずっていて、子供たちは一緒に生活をする以上、親の影響を受けざるをえないのに、社会を見渡せば民主主義だ、軍国主義はもう終わった、封建主義はもう古いと叫んでいるのですから。

家庭と社会のありようがちぐはぐなんです。

それで、この不満に対して、じぶんたちで社会を変えようと奮起したひとつのアクションが、学生運動だった、というのがぼくの考えです。

じつは学生運動は、日本だけではなく、世界中で同時多発的に起こった現象でもありました。

日本だけではなく多くの国で、戦後はいろんな部分がちぐはぐだったのかもしれません。



正直、ぼくには当時の日本の学生運動の方向性が正しかったとはおもえません。

最初から血なまぐさい闘争ではありましたが、70年代以降にはいよいよ国際テロリスト集団と化す一派も出て、思想の正しさを訴えて日本を変えるというよりは、ほとんど暴力で社会をめちゃくちゃにする、憂さをはらすだけの状況になりました。

そもそも日本の社会が学生運動を見る目は冷ややかだったんですが、さすがにこのあたりから当事者の学生でさえ急速に冷めていったという印象です。

結局学生運動は西南戦争のような死に場もなく、日本の社会を明確に変えることもなく、うやむやに四散してしまったのですが、あの時代の若者たちが、ちぐはぐな社会になにか整合性を求めてアクションを起こした動機は、けなげだったとはおもいます。



と、今回もずいぶん長くなりました。

ネット環境がもとに戻ってなによりです。
デスクトップも買い替えられたんですね。

ここ最近のお話をうかがっていると、タブレット、ノートパソコン、デスクトップ、ネット環境のすべてがあたらしく切り替わったのではないかとおもうのですが、これだけ刷新すればきっとこれから長期間、ネット周りの心配事が減ってくれることでしょう。



ネットがつかえなくて精神的ストレスが多いというのは、わかる気がします。

ネット時代になって、膨大な情報量を受け取ることと、迅速な情報処理が「できて当たり前」になりましたから、いまアナログな情報処理を行うのは苦痛だし、精神的にストレスがかかるだろうとおもいます。

デジタルデトックスも大事だとおもうんですが、その期間は情報処理をしなくてすむような環境づくりも大事ですね(笑)



残暑といいますが、不思議なもので炎天は相変わらずなのに、時折吹く風が以前よりすずしくなったようにおもえます。

あとは秋のお彼岸あたりまで、すずしくなるのが待ち遠しいですね。

2024年8月16日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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『昭和天皇物語』をお読みいただき、いろいろな興味深いお話をたくさん、ありがとうございます。

能條純一さん、ご存じだったんですね。
好みの絵柄とは言えませんが、人物の特徴がわかりやすいので、特に気になることはありませんでした。
女性の顔をふっくらとかわいらしく描いているのは、いいですね。

天皇の位置づけ、天皇に対する思想は、わずか10歳の差でまるっきり違うんですね。
歪んだ、と言っていいのかわかりませんが、思想教育を押しつけられた子どもは、大きくなったときにどんな考え方をしていったのか、気になります。

あの漫画では、満州国について、昭和天皇には事実が伝えられていなかったことが書いてあり、驚きました。
私の今までの認識では、戦争関連・満州国のことは、すべて天皇が知っていて、諸々の決断をしたと思っていたからです。
だからこそ、戦争責任を問われたのだと。

司馬さんと半藤さんの関係、知りませんでした。
教えていただき、ありがとうございます。

司馬さんの苦悩を知った上での半藤さんの昭和史は、単なる昭和の歴史を書くのとは違う、見えない重みがあると思います。


今回もいろいろと教えていただき、ありがとうございました。
あの漫画を読んでいると、軍の話あたりから、まったく聞いたことがない人物が続出しました。
いずれ、半藤さんの昭和史なども、読んでみます。

わたくしごとで恐縮ですが、やっとネット環境が復活しました。
ご心配をいただき、申し訳ありませんでした。

NTTから2台(前は1台)、ソフトバンクから1台送られてきたのですが、ルーターとモデムの接続方法が以前と大きく変わっていて、なかなか大変でした(笑)
そして無事開通後、新しいデスクトップの設定がまたけっこう厄介で(笑)

その後、セキュリティソフト、仕事関連のソフトなどのインストール、USBに入れておいたファイルなどの移し替えに、ずいぶん時間がかかってしまいました。

お母様のパソコンの買い替えに、もう1台必要というお話、とてもよくわかります!!
デスクトップが動かなくなったとき、Microsoftのサポートは電話がなくチャットなので、やっぱり他にパソコンがないとだめなんです。
遠隔サポートもないので、もうどうしようもありませんでした(笑)


今日は台風でかなり荒れる予報でしたが、さほどでもなく、もうじき通り過ぎそうでほっとしています。

ネットが使えなくなったこの一週間ほどは、非日常の連続で、普段と違うところで頭を酷使することがあったり、やらなければならないことができないのによけいな用事が増えたりと、精神的ストレスの多い日々でした。
様々なことが進化しているのにやることが簡素化されず、逆に煩雑になっているということを痛感しました。

まだまだ暑い日がありそうですが、睡眠不足になりませんように。
なんだか、すっかり暑さに慣れたような気がします(笑)

2024年8月5日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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1496
今回はかなり長い記事になりました。
ちょうど終戦に近い時期ですが、とりとめのない話なので、適当に拾いやすい話題を拾っていただければとおもっています(笑)



『昭和天皇物語』、読ませていただいています。

むかし、作画の能條純一さんの将棋の漫画『月下の棋士』を読んだことがあります。

画力のある漫画家さんですが、やはり女性が積極的に読みたい絵柄ではないですよね(笑)



東郷平八郎の意には沿わない学者が「天皇の耳には入れたくない授業」をする話はたいへん興味深かったです。

しかしかれらはその道の学問を究めたからこそ、軍国イデオロギーに毒されずにいられたわけで、そのようなリベラルな教育は天皇にのみ施されていたんですよね。

いま現在のわれわれにとって常識のような学識は、大正当時には、天皇にのみ与えられるような特権的なものだったわけです。

国民に向けては、明治・大正・昭和とグラデーションがかかっていくように、徐々に国粋主義的な愛国教育が幅を利かせるようになりました。

とりわけ大東亜戦争に至ってからは国民への思想教育は苛烈を極めました。

ただ、この思想教育はかならずしも軍部だけが積極的におこなっていたというわけではありません。

教育勅語やマスコミの煽りを軸に、国民に火がついて、国民同士でお互いに思想教育をやりあい、「軍部を育てた(増長させた)」という一面が強かったのです。

以前この話をしたかもしれませんが、司馬遼太郎の随筆集『この国のかたち』に、こんな話がありました。

司馬さんは学徒動員で軍隊を経験しているんですが、かれが還暦を越えたあたりで、10歳ほどしか違わない下の世代たちと会う機会があったそうです。

そこで「ボクの青少年期には、天皇ということはあまりいわれませんでしたよ」と話しても、相手に理解してもらえなかったといいます。

なぜかというと、大正生まれで強制的に軍人になった人は、むしろ世間から隔離されていて、軍隊での上意下達さえ守っていれば、三食食えていたし、特に「天皇のために死ね」というような思想教育はほとんどなかったらしいのです。

しかし戦争末期に少年だった昭和生まれの世代は、多感なころに周囲から「天皇は絶対である」という思想教育の虐待を受けていたんですよね。

だから、司馬さんが軍隊で天皇についてうるさくいわれなかったということは、たった10歳ほど下の世代には、よく理解できなかったそうです。

司馬さんいわくこの昭和ひとケタの世代は、「精神の上で、最大の戦争の被害者」なのだそうな。

その虐待というのは、たとえば小学校でさえ軍隊的に組織され、校長が連隊長、学級長が小隊長といった具合で、生徒たちはこれら隊長の命令で、真冬でも裸足で登下校させられたといいます。

もちろんそういった命令は、各学級に飾られている天皇の肖像画のもとにおこなわれるわけです。

司馬さんはこの話を仙台で聞いたというのですが、当然東北の仙台ですから、冬の寒さはたいへんなものだったでしょう。

ぼくが子供のころにある教師から聞いた話だと、集団疎開先のお寺で、出された食事が合わず、廊下で戻してしまったところ、教師から「お国が危急存亡の中、申し訳ないとおもわんのか」とさんざんぶん殴られたあげく、吐いた吐しゃ物を飲まされたというのです。

その伝聞がほんとうかどうかはぼくにはわからないのですが、ぼくの心に強烈な印象を残している話です。

少なくとも、当時の国民同士が目の色を変えて、子供に異様な教育をしていたのは間違いないでしょう。



半藤さんの『日本のいちばん長い日』では、天皇や陸軍大将を含む政治中枢がポツダム宣言の受諾を決めた……つまり敗戦を受け入れるとなったときに、陸軍の青年将校たちがクーデターを起こそうとしたところを描いています。

上官が決めたこと、不可侵の神である天皇が決めたことであるにもかかわらず、青年将校という若手の立場にある連中が、軍国イデオロギーに染まり切って、「最後の最後まで戦い抜いて、国民も総玉砕せにゃならんだろう」といって、ポツダム宣言受諾を阻止しようとする。

大東亜戦争はもっと早く、原爆が落とされるより前に終わらせられなかったのか、という話もありますが、もはや軍の上層部も、天皇でさえ、国民の意志がああも盛り上がってしまっていては、中途半端なところでは止めるに止められない状況だったのだとおもいます。



話を天皇に戻しますが、たとえばヒトラーは典型的な西洋的な皇帝の性質をもっています。

ヒトラー自身が非常に頭のキレる人間で、大衆扇動や組織の統制もみずから行っていました。

西洋の皇帝の代表といえばナポレオンですが、かれもたいへんなキレ者で、この優秀さが独裁につながっていきます。

そういう意味では昭和天皇はやはり東洋的な皇帝でした。

昭和天皇も賢い人ではありましたが、西洋の独裁者のような一代限りのカリスマとは一線を画しています。

今回の大河ドラマの「光る君へ」もそうですが、日本では天皇は官僚の傀儡(あやつり人形)のようになってしまうんですよね。

中国の皇帝もそうなんですが、天皇自身が独裁的に社会を動かすという例は、ほとんどありません。

天皇は世襲制で、どんなに愚昧でも、どんなに幼少でも、官僚が支えていくんですよね。

そのかわり、たとえ優秀でキレ者の帝であっても、やはり天皇はシンボルにすぎず、官僚が実質的に国家を動かしていくわけです。

しかし昭和天皇は独裁者となった瞬間があります。

それはポツダム宣言受諾のときと、それから漫画の最初にも描かれていましたが、マッカーサーとの会談のときだったといえるでしょう。

昭和天皇は終戦に向けて動き出し、鈴木貫太郎を総理大臣に、阿南惟幾を陸軍大将に推します。

かれらは天皇の親衛隊ともいえる理解者でしたから、天皇はかれらを政治中枢に据えることで、終戦への道筋をつけたといえます。

そして戦後、マッカーサーに対して命乞いをせず、それどころか国民を救うように求めたこと。

このふたつの大問題において、若き天皇はだれにもおもねらないじぶんの采配によって国民の運命を決定づけたんですよね。

戦後日本人は昭和天皇に戦争責任を問いましたが、皮肉なことに、昭和天皇は大東亜戦争を終わらせ、終戦後に国民を守るときにだけ、明確に独裁者だったというのがぼくの解釈です。



ところで、半藤一利さんなんですが、あの人は司馬遼太郎が書けなかった昭和について書いたという点で、司馬さんの後継者のような存在なんですよね。

実際司馬さんの担当編集者だった時代があり、司馬史観をじゅうぶんに吸収した人でもありました。

司馬さんは敗戦を経験したときに、日本という国に絶望しました。

それでむかしの日本人はもうすこしマトモだったんじゃないか、古い日本人のよさを発掘していこう、と考えたところから、歴史作家のキャリアがスタートするんです。

結果、日本史を鮮やかに切り取ってヒーローを生み出す大作家になるわけですが、昭和史だけは書けませんでした。

司馬さんいわく、あの時代はまるで魔法使いがあらわれて、日本という輝ける国家を暗い森に変えてしまったようだ、というのです。

司馬さんはその魔法を解くカギを、よそから借りるのではなく、自前のカギで開けたいとおもい、そのカギはほとんどできかかっているのだけど、開けることができないといいました。

司馬さんは軍人でしたから、大東亜戦争の不条理を当事者として経験しているわけです。

その司馬さんが、当時の軍部中枢の人物とも対談し、煮え切らぬ官僚答弁のような逃げ口上を受けて、ほんとうに苦しいおもいもしている。

ぼくからすれば、そんな司馬さんが昭和史を書けないのは当然だとおもうし、実際司馬さんは昭和を書くと発狂するとまでその苦しみを吐露する中、半藤さんが昭和史を引き継ぐんですよね。

半藤さんは昭和5年生まれですから、司馬さんより10ほど年下の、まさに「精神の上で、最大の戦争の被害者」です。

しかしある意味では戦争の現場を直接経験したわけではありませんから、昭和史をもっとも上手に客観視できる世代でもあります。

その半藤さんの研究した昭和史は、まだしばらく日本の昭和を理解するためのスタンダードであり続けるのではないかとおもっています。



デスクトップのパソコン、気の毒でしたね。

キーボードやディスプレイはつかいまわしがききますし、部屋にデスクトップ専用のスペースがあって邪魔にならないなら、腰を据えて作業するのにデスクトップは便利だとおもいます。

ギズモさんはデスクトップは仕事用として、ノートパソコンと分けて活用なさっているようですし、本体を買い替えて2台目として活用するのもいいのではないでしょうか。

うちの母も最近パソコンが壊れたのですが、一台しか持っていないので、結局ぼくがネットショッピングで買い替えて、実家に届くように手配しました。

ぼくはというとノートパソコンを2台持っているので、もし片方が壊れても、もう一台で買い直しの手配ができます。

といっても一台はほとんどゲームにつかっているんですけどね(笑)

最近、やっぱりゲームを遊ぶならデスクトップがいいなあ、とおもっていて、そのうちお小遣いをためてゲーミングPCを買ってやろうと画策しています。



暑さの心配をいただいて、ありがたいです。

おかげさまで、ことしはスポーツドリンクをタイミングをみて飲むようにして、作業中にはいただいたネッククーラーを利用して乗り切っています。

ギズモさんも、先日集中豪雨があったとニュースで知りましたが、問題なかったでしょうか。

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2026年3月28日(土) 10時30分40秒〔7日前〕