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2025年9月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
すみません。個人的な話なんですが、今回から、一人称を「ぼく」から「わたし」に変更しようとおもいます。
年齢的なこともあるんですが、ことし自治会長をやるようになってから、公的な立場が求められる局面が増えました。
しかしなかなか一度癖づいた「ぼく」という一人称はなかなか抜けず、どうにもこのところ、違和感をおぼえることが多かったのです。
それで、これはトレーニングしていかないととおもった次第で、すみませんがお付き合いください(笑)
東日本大震災では、特に関東から東北の方々にとっては、ほんとうに長い期間トラウマが残る大災害ですね。
14年経ちましたが、どこか過去形にできない感覚があります。
わたしは当時買い物に出ていました。
関西も揺れたらしいんですが、そのときは気づかず、家に帰ってテレビでたいへんなことになったと知りました。
夜、気仙沼全域が真っ赤に燃えている映像をみて、この世の地獄をみたような、どうにもならない暗澹たる気分にとらわれたのがいまだに忘れられません。
テレビでみているだけでこれですから、被災当事者の苦難と心労はとても想像が及びません。
「しばらくの間は服を着たまま寝ていました」とのこと、決して大げさな反応ではないとおもいます。
むかし阪神淡路大震災があったとき、桂文珍という落語家は、いつ地震が起こってもすぐ逃げられるように、トレーラーハウスを買って数年間暮らしたそうです。
客観的にみれば、さすがにやりすぎのようにもおもえますし、奥さんやご家族はトレーラーハウスではなにかと不便なので、ふつうに家で暮らしたそうです。
文珍さんも数年するとさすがに冷静になり、家で暮らすようになったそうですが、被災当事者の強烈なパニックと不安感を考えると、決して極端な反応でもないのだとおもいます。
軍上層部の食事の件ですが、司馬さんは学徒動員で軍人になったとき、軍隊では上意下達さえ守っていれば思想教育もなく、ちゃんとした飯が三食食べられるし、一般人よりよほどよい暮らしができたと言っていました。
もちろん命をかけて死地に赴くわけですが、少なくとも生活面では保障があって、台風の目のような場所だったのでしょう。
むしろ一般人のほうがたいへんで、大人が子供たちに虐待じみた思想教育を行い、まともな食料供給もなく、しかも結果的に戦争に負けるわけです。
子供たちは愛国心をあおるだけあおられたあげく、はしごを外されました。
司馬さんより10ほど離れた子供たちが、じつは戦中戦後のいちばんの被害者だったといいます。
今回、仏教、あるいは宗教についてだけで、かなり長い話になってしまいました。
本質に注目するあまり、みもふたもない救いのない話なので、不快な印象を与えてしまうかもしれません。
あくまで個人的な見解として、ご理解いただけると幸いです。
ギズモさんのおっしゃる現世の救い、死後の救い(現当二世の救い)ということなんですが、宗教において救済の基礎となるのは称名を唱えることですね。
浄土真宗に限らず、称名を唱えるという行為は全世界共通のものです。
キリスト教では祭礼の際に「アーメン」といいます。
あれは意味としては「そのとおり」なんだそうですが、語源をたどっていくと、古代エジプトのアメン神にたどりつくといいます。
またハレルヤという言葉も、「ヤハウェ(ユダヤ教の絶対神)をたたえよ」という意味だそうですね。
加えて英語圏での「ジーザス」とか「オーマイゴッド」など、これらはむかしの日本だと「ナマンダブ(南無阿弥陀仏)」にあたる言葉でしょう。
さすがにわたしの時代では目にしたことはありませんが、日本のむかしのお年寄りは、驚いたり感動したりすると、なにかにつけて「ナマンダブナマンダブ……」と唱えたようです。
戦後、宗教意識の薄れた日本では、日常的に称名を唱える風習そのものがなくなりました。
西洋でも神を直接たたえるニュアンスを避ける人もいて、そういう人は「オーマイゴッド」のかわりに「オーマイグッドネス」なんていうそうですね。
個人が称名を唱えるのは救いを求めてのことでしょうが、組織としては人々がおなじ神仏を尊崇することで結託し、そのコミュニティの中で生きていこうとすることが目的でした。
ときにこの結託は、国家と肩を並べ、あるいは国家を凌駕することもあるほどの脅威となります。
救済とは、宗教組織が設定した後付けの理屈でした。
わるい言い方をすれば救済とは、信仰によるコミュニティを維持するために、馬の鼻面の先にぶら下げたニンジンのようなものです。
もちろん宗教者が衆生をだまそうとしたわけではないのですが、信仰することでなにか直接的ないいことがあるといわなければ、民衆はなかなかついてきてくれませんでした。
日本の仏教説話だと、もう何度も紹介した気がするのですが、俊徳丸伝説が代表的です。
現在の大阪府八尾市高安のあたりにあった長者の息子の俊徳丸は、見目麗しくかしこい子でしたが、継母にいじめられたあげく呪われて業病にかかります。
すっかり容貌の変わった俊徳丸はそのまま家を追い出されて、西へさまよい四天王寺領内で乞食をすることになります。
一年も経ったころ、高安の隣村の長者の、許嫁の娘がやってきました。
彼女はむかし、おさない俊徳丸が四天王寺の稚児舞楽に参加していたのをみてから相思相愛の関係になったのでした。
娘は容姿の変わったこの男が俊徳丸だと一目で気づきます。
そしてお互いひとしきり涙をこぼすと、ふたり一緒に四天王寺にまつられている観音菩薩にお祈りを捧げました。
そうすると不思議なことに継母の呪いが解け、俊徳丸の業病がたちどころに治癒したのです。
ありがたい功徳に感謝して高安へ帰ると、俊徳丸の父は亡くなっており、家は没落、継母は乞食同然の暮らしをしていました。
俊徳丸は許嫁の娘と結婚し、娘の家の後継ぎとなり、長者となりましたとさ……。
この話では、日本最古の本格仏教寺院である四天王寺の観音菩薩にお祈りをすると、現実的な救済があるという物語になっています。
こういった話は、本格的に仏教が大衆に広まり始めた鎌倉時代あたりから、僧侶たちが各村々で話し聞かせたものといわれています。
人々は「仏さまを拝めばわかりやすい現世利益が訪れる」という利益誘導を喜びました。
原理的な小難しい理屈を言ったって、大衆はさっぱり理解してくれないのです。
しばらく話がそれます。
前回、大衆に仏教が広まったのは鎌倉時代からだといいました。
しかし仏教の布教と、民衆の統率の試みは奈良時代にも行われていたのです。
こういった大衆への布教の元祖は行基(668~749)でした。
かれは民衆への布教が禁止されていた西暦700年ごろに、朝廷のいうことをきかず民衆に仏教の功徳を説き、地域に橋をかけたり道をつくったり、民衆の自立をうながしました。
行基の生没年は、空海の生没年からほぼ一世紀前です。
このころは奈良仏教、南都六宗が隆盛を極めており、行基は玄奘三蔵(602~664)の教えをもとにした法相宗という、当時はまだあたらしい宗派に属していました。
玄奘が亡くなってすぐ行基が生まれた、というくらい近い年代の人ですから、いまでいう仏教系の新興宗教のようなものですね。
この行基の活動が政治的に無視できないほど大きな反響を呼んだのです。
はじめ朝廷は行基を反逆者とみなし弾圧しました。
朝廷にとって、行基の行動は民衆を団結させ、民衆に自治を行わせるという点で、きわめて危険だったのです。
しかし民衆と積極的にかかわり、絶大な信頼を得ている点で政治に利用できるとわかると、朝廷はにわかに行基を持ち上げました。
朝廷が民衆のリーダーである行基を取り込むことで、クーデターを抑え込んだとも考えられます。
行基の生きた時代は、ちょうど三世一身法の時代でした。
つまりあたらしい土地を開墾したら、三世代の間だけは所有権を認めてやるという制度です。
ようするに当時の朝廷は仏教の独占に限らず、なにかにつけておそろしくケチでした(笑)
利己的で独占欲の強い朝廷に対して、行基は徹底して利他行をおこない、民衆の暮らしをよくしようと努力します。
三世一身法については結局、民衆の労働意欲が落ちてどうしようもなくなったので、朝廷側が譲歩して、わずか20年後には墾田永年私財法として、開墾した土地はいつまでも民の所有物と認める、としました。
行基が亡くなったのは墾田永年私財法ができてから6年後でしたが、このような革新的な制度が比較的短期間に成立したのは、当時の仏教勢力がそれだけ政権の脅威となっていたことを物語っています。
行基の死後、朝廷は手のひらを返し、やはり大衆への仏教流布は禁じられることとなりました。
しかし墾田永年私財法はその後、関東を開拓した農場主たちがじぶんの土地を守るために武装して、武士の世をつくるきっかけとなります。
行基が亡くなったとき、のちの桓武天皇はまだ12歳。
桓武天皇は都を奈良から京都に移した天皇ですが、行基以来、要求の肥大化した仏教勢力にほとほと手を焼きました。
そのため、都を移してからは南都六宗を遠ざけて、あるあたらしい宗派を優遇するようになります。
それが真言宗(空海)と天台宗(最澄)でした。
ですので、源氏物語で加持祈祷を行っていた僧侶たちは、ギズモさんのおっしゃるように密教だったことでしょう。
仏教勢力の増長によって都が引っ越しまでしなければならなかったのは、単に政治的に結びつきすぎたという話以上に、民衆を結託させ、朝廷の政権を転覆させかねない危うさをもっていたからでした。
こういった歴史をみると、仏教が国家によって独占されていたころから、民衆の仏教需要が高かったことがわかります。
民衆はまとまりのないじぶんたちの暮らしに規律を与え、コミュニティを作ってくれるリーダーを欲していたのでしょう。
それでも長い間、仏教は権力者によって独占されていました。
当時から都を出て全国を行脚する僧侶が各地に寺を建てたりはするのですが、民衆を団結させてコミュニティを形成するリーダーは現れませんでした。
鎌倉時代以降、大衆仏教を広めた開祖たちが、ようやく各地でリーダーシップを発揮し始めたというわけです。
話をもとに戻しますが、民衆はむずかしい理屈がわかりません。
その点、親鸞は極めつけで「南無阿弥陀仏だけ覚えなさい。それ以外はなんにも知らなくて大丈夫だ。それだけ唱えていれば、必ず阿弥陀仏はお前を極楽往生させてくれる」と言いました。
シンプルな教えが民衆にウケたのは言うまでもありません。
あまりに極楽往生のハードルを下げてしまったものだから、どうせ極楽往生できるならと遠慮なく悪事を働く者が出てきたくらいです。
それで親鸞はあらためて「薬があるからといって毒を好んではならぬ」(極楽往生できるからといって、この世で悪事を好むようなことはするな)と戒めなければなりませんでした(笑)
実際に阿弥陀仏が死後の衆生を救ってくれるかどうかはさておき、親鸞は厳しい時代を生きる人々を安心させることには成功したといえるでしょう。
しかし実際の信仰の効能は、先ほどもいったように救済にあるのではありません。
「南無阿弥陀仏」の称名を唱える仲間たちによるコミュニティをつくるところにありました。
これはおなじ思想を持つ同志で結ばれるわけですから、非常に強固な結びつきになります。
現在のように人々が守るべきルールが機能していなかった時代に、仏教の教義は最低限の法律となりました。
この法律に従って暮らしているぶんには、コミュニティの仲間は支えあって生きていられる。
きょう一日の飯を仲間同士で分け与えながら食っていくことができるわけです。
そしてかれらは徐々にじぶんのコミュニティを自立させ、国のような堅牢なものにしていきます。
結果、朝廷が警戒していた事態は、戦国時代に現実のものとなります。
信長が一向宗(浄土真宗)と合戦を行ったのは、一向宗がすでに大名と同等にみなされるほどの力をつけていたからです。
そして本願寺側から信長に戦争を吹っかけ、各地で一向一揆が起こりました。
その間、当然大量の一向宗徒の血が(もちろん信長軍の血も)流れました。
また天台宗の比叡山延暦寺も、信長によって焼き討ちにあいますが、こちらはいよいよ悲惨で、僧兵のみならず、学者から子供までが虐殺されました。
宗教コミュニティが武力を用いて戦争をする、というのは洋の東西を問わずよくあることですが、これではまったく救いがありませんよね。
いくら敬虔に宗教を信じても、戦争になれば人殺しをしなきゃならないかもしれません。
いくら神を信仰しても、理不尽に殺されるときには殺されます。
病気で若く死ぬかもしれないし、俊徳丸のように四天王寺でお祈りをしても報われないかもしれません。
逆に、宗教に背を向けていても幸せに生きることができないとは限らない。
ギリシャ神話にせよ日本神話にせよ、神はもともとは、荒ぶる存在だったようです。
決して救いを与えたりはせず、ただひたすら人間の脅威であり、人々は神々を畏怖し、おまつりして、鎮めなければならなかった。
それがどこかで、目に見える形で救いを与えるような存在へ変貌していくんですね。
ところである仏教学者が言ってましたが、仏教の原理は非常に厳しいもので、甘いことなんて一切言わないというのです(笑)
事実、仏陀は生きることの本質は苦しみだといいましたし、わかりやすい救済はそこにはありません。
以前、般若心経についてお話したときに、般若心経は無と無限をつないだわっかのようなものを説いているといいました。
命はみなこのわっかのひもを端から端へ渡っていきます。
虫も、花も、動物も、生まれたところからひもを渡りはじめ、そして死んだところがひもの終端です。
このひもは、命そのものといえるでしょう。
そしてこのひもの両端は、かたほうが「無」で、かたほうが「無限」になっています。
このひもの端っこをつないでわっかをつくると、無と無限がくっつきますよね。
以前、この話がむずかしいとおっしゃっていたとおもうのですが、今回はこの話をもう少しちがったアプローチで話してみようとおもいます。
わたしたちは死ぬと、実体を失って、無限の宇宙に還ります。
そして同時に、次の命の準備をします。
わたしたちは死んだら無限の一部になりますが、これから命になろうとしているわれわれは、まだ実体のない無です。
無限と無を区別することはむずかしいのですが、実体を失って無限の宇宙に溶け込んだあと、またなにかに生まれることを1とする前提で考えれば、まだなにもないゼロ、無の存在でもあるというわけです。
わたしたちは死んで無限になり、同時に命を目指す無となり、そしていつかまたほんのひと時、形あるなにものかとして、わっか(ひも)を渡ります。
そしてこのわっかの終端までいけば、また無限へ還り、そして命に向かう無をさまよい、いつか時がくれば生まれ、ひもを渡る……ということを繰り返す。
しかし般若心経は、一瞬だけ命を得た実体のあるわれわれでさえ、じつは「存在がある」とおもい込むのは勘違いなんだぞ、ということを言っているのだと解釈しています。
実際わたしたちは動物として必要だから感覚をそなえて生きているけれど、植物の場合は感覚器官がなくても生きていますよね。
人間でも、感覚器官が欠損した状態で生きている人がいます。
たとえば蓮はうつくしい花を咲かせますが、当の蓮には目がないので、じぶんがどのようなうつくしい花を咲かせているか、知ることはできません。
なので、じぶんが命を生きているということと、じぶんが存在しているという感覚を結びつけるのは勘違いだという般若心経はたしかに正しいんです。
しかしこんな感じでいくら仏教の原理を突き詰めたって、だれも得をしませんよね(笑)
仏教の原典を掘り下げていけば、お金ががっぽり手に入る、病気が治る、子宝に恵まれるといったわかりやすいご利益はないわけですから。
むしろそういう期待は、仏教を信仰すればするほど裏切られるといえるでしょう。
その点、やはり仏教の原理は厳しいとおもいます。
しかし、この無常観を基礎として、その上に人生という建物を築いていくのでないと、どこかで建物がぐらぐらしてしまうというか、人生が行き詰ってしまうようにもおもえます。
特に現代のように、じぶんの分限をはるかに超えた豊かさでじゃぶじゃぶになっている場合、その豊かさが剥奪されるだけで、じぶんのはかなさに耐えられなくなることでしょう。
なぜかというと、社会の豊かさは虚飾であるという無常を自覚していないからですね。
豊かな時代であれ、あるいは厳しい時代であれ、われわれはただ生まれた時代の環境に翻弄されるばかりのちっぽけな存在であり、仏陀が考えた四苦八苦のように、苦しみばかりが本質のむなしい存在です。
苦しくむなしい、ひどく頼りない存在であることが自覚できてはじめて、ギズモさんのおっしゃった自利と利他のような規範で、いま生きている間だけでもみんな手を携えていこうじゃないかという、地に足のついた謙虚な一歩が踏み出せるのではないかとおもっています。
それはおそらく、現当二世の救いの第一歩でもあるように感じています。
今回、落語の話などいろいろとお返事したいこともありましたが、仏教の話だけでかなり長くなってしまいましたので、いったんここで筆をおきます。
最後に、大阪の天王寺にある一心寺の存牟堂(ぞんむどう)ミュージアムにあった詩です。
これも以前紹介したかもしれません。
まず自利が満たされなければ、利他が広がっていかないという、人間の業を肯定してくれるメッセージだとおもっています。
年齢的なこともあるんですが、ことし自治会長をやるようになってから、公的な立場が求められる局面が増えました。
しかしなかなか一度癖づいた「ぼく」という一人称はなかなか抜けず、どうにもこのところ、違和感をおぼえることが多かったのです。
それで、これはトレーニングしていかないととおもった次第で、すみませんがお付き合いください(笑)
東日本大震災では、特に関東から東北の方々にとっては、ほんとうに長い期間トラウマが残る大災害ですね。
14年経ちましたが、どこか過去形にできない感覚があります。
わたしは当時買い物に出ていました。
関西も揺れたらしいんですが、そのときは気づかず、家に帰ってテレビでたいへんなことになったと知りました。
夜、気仙沼全域が真っ赤に燃えている映像をみて、この世の地獄をみたような、どうにもならない暗澹たる気分にとらわれたのがいまだに忘れられません。
テレビでみているだけでこれですから、被災当事者の苦難と心労はとても想像が及びません。
「しばらくの間は服を着たまま寝ていました」とのこと、決して大げさな反応ではないとおもいます。
むかし阪神淡路大震災があったとき、桂文珍という落語家は、いつ地震が起こってもすぐ逃げられるように、トレーラーハウスを買って数年間暮らしたそうです。
客観的にみれば、さすがにやりすぎのようにもおもえますし、奥さんやご家族はトレーラーハウスではなにかと不便なので、ふつうに家で暮らしたそうです。
文珍さんも数年するとさすがに冷静になり、家で暮らすようになったそうですが、被災当事者の強烈なパニックと不安感を考えると、決して極端な反応でもないのだとおもいます。
軍上層部の食事の件ですが、司馬さんは学徒動員で軍人になったとき、軍隊では上意下達さえ守っていれば思想教育もなく、ちゃんとした飯が三食食べられるし、一般人よりよほどよい暮らしができたと言っていました。
もちろん命をかけて死地に赴くわけですが、少なくとも生活面では保障があって、台風の目のような場所だったのでしょう。
むしろ一般人のほうがたいへんで、大人が子供たちに虐待じみた思想教育を行い、まともな食料供給もなく、しかも結果的に戦争に負けるわけです。
子供たちは愛国心をあおるだけあおられたあげく、はしごを外されました。
司馬さんより10ほど離れた子供たちが、じつは戦中戦後のいちばんの被害者だったといいます。
今回、仏教、あるいは宗教についてだけで、かなり長い話になってしまいました。
本質に注目するあまり、みもふたもない救いのない話なので、不快な印象を与えてしまうかもしれません。
あくまで個人的な見解として、ご理解いただけると幸いです。
ギズモさんのおっしゃる現世の救い、死後の救い(現当二世の救い)ということなんですが、宗教において救済の基礎となるのは称名を唱えることですね。
浄土真宗に限らず、称名を唱えるという行為は全世界共通のものです。
キリスト教では祭礼の際に「アーメン」といいます。
あれは意味としては「そのとおり」なんだそうですが、語源をたどっていくと、古代エジプトのアメン神にたどりつくといいます。
またハレルヤという言葉も、「ヤハウェ(ユダヤ教の絶対神)をたたえよ」という意味だそうですね。
加えて英語圏での「ジーザス」とか「オーマイゴッド」など、これらはむかしの日本だと「ナマンダブ(南無阿弥陀仏)」にあたる言葉でしょう。
さすがにわたしの時代では目にしたことはありませんが、日本のむかしのお年寄りは、驚いたり感動したりすると、なにかにつけて「ナマンダブナマンダブ……」と唱えたようです。
戦後、宗教意識の薄れた日本では、日常的に称名を唱える風習そのものがなくなりました。
西洋でも神を直接たたえるニュアンスを避ける人もいて、そういう人は「オーマイゴッド」のかわりに「オーマイグッドネス」なんていうそうですね。
個人が称名を唱えるのは救いを求めてのことでしょうが、組織としては人々がおなじ神仏を尊崇することで結託し、そのコミュニティの中で生きていこうとすることが目的でした。
ときにこの結託は、国家と肩を並べ、あるいは国家を凌駕することもあるほどの脅威となります。
救済とは、宗教組織が設定した後付けの理屈でした。
わるい言い方をすれば救済とは、信仰によるコミュニティを維持するために、馬の鼻面の先にぶら下げたニンジンのようなものです。
もちろん宗教者が衆生をだまそうとしたわけではないのですが、信仰することでなにか直接的ないいことがあるといわなければ、民衆はなかなかついてきてくれませんでした。
日本の仏教説話だと、もう何度も紹介した気がするのですが、俊徳丸伝説が代表的です。
現在の大阪府八尾市高安のあたりにあった長者の息子の俊徳丸は、見目麗しくかしこい子でしたが、継母にいじめられたあげく呪われて業病にかかります。
すっかり容貌の変わった俊徳丸はそのまま家を追い出されて、西へさまよい四天王寺領内で乞食をすることになります。
一年も経ったころ、高安の隣村の長者の、許嫁の娘がやってきました。
彼女はむかし、おさない俊徳丸が四天王寺の稚児舞楽に参加していたのをみてから相思相愛の関係になったのでした。
娘は容姿の変わったこの男が俊徳丸だと一目で気づきます。
そしてお互いひとしきり涙をこぼすと、ふたり一緒に四天王寺にまつられている観音菩薩にお祈りを捧げました。
そうすると不思議なことに継母の呪いが解け、俊徳丸の業病がたちどころに治癒したのです。
ありがたい功徳に感謝して高安へ帰ると、俊徳丸の父は亡くなっており、家は没落、継母は乞食同然の暮らしをしていました。
俊徳丸は許嫁の娘と結婚し、娘の家の後継ぎとなり、長者となりましたとさ……。
この話では、日本最古の本格仏教寺院である四天王寺の観音菩薩にお祈りをすると、現実的な救済があるという物語になっています。
こういった話は、本格的に仏教が大衆に広まり始めた鎌倉時代あたりから、僧侶たちが各村々で話し聞かせたものといわれています。
人々は「仏さまを拝めばわかりやすい現世利益が訪れる」という利益誘導を喜びました。
原理的な小難しい理屈を言ったって、大衆はさっぱり理解してくれないのです。
しばらく話がそれます。
前回、大衆に仏教が広まったのは鎌倉時代からだといいました。
しかし仏教の布教と、民衆の統率の試みは奈良時代にも行われていたのです。
こういった大衆への布教の元祖は行基(668~749)でした。
かれは民衆への布教が禁止されていた西暦700年ごろに、朝廷のいうことをきかず民衆に仏教の功徳を説き、地域に橋をかけたり道をつくったり、民衆の自立をうながしました。
行基の生没年は、空海の生没年からほぼ一世紀前です。
このころは奈良仏教、南都六宗が隆盛を極めており、行基は玄奘三蔵(602~664)の教えをもとにした法相宗という、当時はまだあたらしい宗派に属していました。
玄奘が亡くなってすぐ行基が生まれた、というくらい近い年代の人ですから、いまでいう仏教系の新興宗教のようなものですね。
この行基の活動が政治的に無視できないほど大きな反響を呼んだのです。
はじめ朝廷は行基を反逆者とみなし弾圧しました。
朝廷にとって、行基の行動は民衆を団結させ、民衆に自治を行わせるという点で、きわめて危険だったのです。
しかし民衆と積極的にかかわり、絶大な信頼を得ている点で政治に利用できるとわかると、朝廷はにわかに行基を持ち上げました。
朝廷が民衆のリーダーである行基を取り込むことで、クーデターを抑え込んだとも考えられます。
行基の生きた時代は、ちょうど三世一身法の時代でした。
つまりあたらしい土地を開墾したら、三世代の間だけは所有権を認めてやるという制度です。
ようするに当時の朝廷は仏教の独占に限らず、なにかにつけておそろしくケチでした(笑)
利己的で独占欲の強い朝廷に対して、行基は徹底して利他行をおこない、民衆の暮らしをよくしようと努力します。
三世一身法については結局、民衆の労働意欲が落ちてどうしようもなくなったので、朝廷側が譲歩して、わずか20年後には墾田永年私財法として、開墾した土地はいつまでも民の所有物と認める、としました。
行基が亡くなったのは墾田永年私財法ができてから6年後でしたが、このような革新的な制度が比較的短期間に成立したのは、当時の仏教勢力がそれだけ政権の脅威となっていたことを物語っています。
行基の死後、朝廷は手のひらを返し、やはり大衆への仏教流布は禁じられることとなりました。
しかし墾田永年私財法はその後、関東を開拓した農場主たちがじぶんの土地を守るために武装して、武士の世をつくるきっかけとなります。
行基が亡くなったとき、のちの桓武天皇はまだ12歳。
桓武天皇は都を奈良から京都に移した天皇ですが、行基以来、要求の肥大化した仏教勢力にほとほと手を焼きました。
そのため、都を移してからは南都六宗を遠ざけて、あるあたらしい宗派を優遇するようになります。
それが真言宗(空海)と天台宗(最澄)でした。
ですので、源氏物語で加持祈祷を行っていた僧侶たちは、ギズモさんのおっしゃるように密教だったことでしょう。
仏教勢力の増長によって都が引っ越しまでしなければならなかったのは、単に政治的に結びつきすぎたという話以上に、民衆を結託させ、朝廷の政権を転覆させかねない危うさをもっていたからでした。
こういった歴史をみると、仏教が国家によって独占されていたころから、民衆の仏教需要が高かったことがわかります。
民衆はまとまりのないじぶんたちの暮らしに規律を与え、コミュニティを作ってくれるリーダーを欲していたのでしょう。
それでも長い間、仏教は権力者によって独占されていました。
当時から都を出て全国を行脚する僧侶が各地に寺を建てたりはするのですが、民衆を団結させてコミュニティを形成するリーダーは現れませんでした。
鎌倉時代以降、大衆仏教を広めた開祖たちが、ようやく各地でリーダーシップを発揮し始めたというわけです。
話をもとに戻しますが、民衆はむずかしい理屈がわかりません。
その点、親鸞は極めつけで「南無阿弥陀仏だけ覚えなさい。それ以外はなんにも知らなくて大丈夫だ。それだけ唱えていれば、必ず阿弥陀仏はお前を極楽往生させてくれる」と言いました。
シンプルな教えが民衆にウケたのは言うまでもありません。
あまりに極楽往生のハードルを下げてしまったものだから、どうせ極楽往生できるならと遠慮なく悪事を働く者が出てきたくらいです。
それで親鸞はあらためて「薬があるからといって毒を好んではならぬ」(極楽往生できるからといって、この世で悪事を好むようなことはするな)と戒めなければなりませんでした(笑)
実際に阿弥陀仏が死後の衆生を救ってくれるかどうかはさておき、親鸞は厳しい時代を生きる人々を安心させることには成功したといえるでしょう。
しかし実際の信仰の効能は、先ほどもいったように救済にあるのではありません。
「南無阿弥陀仏」の称名を唱える仲間たちによるコミュニティをつくるところにありました。
これはおなじ思想を持つ同志で結ばれるわけですから、非常に強固な結びつきになります。
現在のように人々が守るべきルールが機能していなかった時代に、仏教の教義は最低限の法律となりました。
この法律に従って暮らしているぶんには、コミュニティの仲間は支えあって生きていられる。
きょう一日の飯を仲間同士で分け与えながら食っていくことができるわけです。
そしてかれらは徐々にじぶんのコミュニティを自立させ、国のような堅牢なものにしていきます。
結果、朝廷が警戒していた事態は、戦国時代に現実のものとなります。
信長が一向宗(浄土真宗)と合戦を行ったのは、一向宗がすでに大名と同等にみなされるほどの力をつけていたからです。
そして本願寺側から信長に戦争を吹っかけ、各地で一向一揆が起こりました。
その間、当然大量の一向宗徒の血が(もちろん信長軍の血も)流れました。
また天台宗の比叡山延暦寺も、信長によって焼き討ちにあいますが、こちらはいよいよ悲惨で、僧兵のみならず、学者から子供までが虐殺されました。
宗教コミュニティが武力を用いて戦争をする、というのは洋の東西を問わずよくあることですが、これではまったく救いがありませんよね。
いくら敬虔に宗教を信じても、戦争になれば人殺しをしなきゃならないかもしれません。
いくら神を信仰しても、理不尽に殺されるときには殺されます。
病気で若く死ぬかもしれないし、俊徳丸のように四天王寺でお祈りをしても報われないかもしれません。
逆に、宗教に背を向けていても幸せに生きることができないとは限らない。
ギリシャ神話にせよ日本神話にせよ、神はもともとは、荒ぶる存在だったようです。
決して救いを与えたりはせず、ただひたすら人間の脅威であり、人々は神々を畏怖し、おまつりして、鎮めなければならなかった。
それがどこかで、目に見える形で救いを与えるような存在へ変貌していくんですね。
ところである仏教学者が言ってましたが、仏教の原理は非常に厳しいもので、甘いことなんて一切言わないというのです(笑)
事実、仏陀は生きることの本質は苦しみだといいましたし、わかりやすい救済はそこにはありません。
以前、般若心経についてお話したときに、般若心経は無と無限をつないだわっかのようなものを説いているといいました。
命はみなこのわっかのひもを端から端へ渡っていきます。
虫も、花も、動物も、生まれたところからひもを渡りはじめ、そして死んだところがひもの終端です。
このひもは、命そのものといえるでしょう。
そしてこのひもの両端は、かたほうが「無」で、かたほうが「無限」になっています。
このひもの端っこをつないでわっかをつくると、無と無限がくっつきますよね。
以前、この話がむずかしいとおっしゃっていたとおもうのですが、今回はこの話をもう少しちがったアプローチで話してみようとおもいます。
わたしたちは死ぬと、実体を失って、無限の宇宙に還ります。
そして同時に、次の命の準備をします。
わたしたちは死んだら無限の一部になりますが、これから命になろうとしているわれわれは、まだ実体のない無です。
無限と無を区別することはむずかしいのですが、実体を失って無限の宇宙に溶け込んだあと、またなにかに生まれることを1とする前提で考えれば、まだなにもないゼロ、無の存在でもあるというわけです。
わたしたちは死んで無限になり、同時に命を目指す無となり、そしていつかまたほんのひと時、形あるなにものかとして、わっか(ひも)を渡ります。
そしてこのわっかの終端までいけば、また無限へ還り、そして命に向かう無をさまよい、いつか時がくれば生まれ、ひもを渡る……ということを繰り返す。
しかし般若心経は、一瞬だけ命を得た実体のあるわれわれでさえ、じつは「存在がある」とおもい込むのは勘違いなんだぞ、ということを言っているのだと解釈しています。
実際わたしたちは動物として必要だから感覚をそなえて生きているけれど、植物の場合は感覚器官がなくても生きていますよね。
人間でも、感覚器官が欠損した状態で生きている人がいます。
たとえば蓮はうつくしい花を咲かせますが、当の蓮には目がないので、じぶんがどのようなうつくしい花を咲かせているか、知ることはできません。
なので、じぶんが命を生きているということと、じぶんが存在しているという感覚を結びつけるのは勘違いだという般若心経はたしかに正しいんです。
しかしこんな感じでいくら仏教の原理を突き詰めたって、だれも得をしませんよね(笑)
仏教の原典を掘り下げていけば、お金ががっぽり手に入る、病気が治る、子宝に恵まれるといったわかりやすいご利益はないわけですから。
むしろそういう期待は、仏教を信仰すればするほど裏切られるといえるでしょう。
その点、やはり仏教の原理は厳しいとおもいます。
しかし、この無常観を基礎として、その上に人生という建物を築いていくのでないと、どこかで建物がぐらぐらしてしまうというか、人生が行き詰ってしまうようにもおもえます。
特に現代のように、じぶんの分限をはるかに超えた豊かさでじゃぶじゃぶになっている場合、その豊かさが剥奪されるだけで、じぶんのはかなさに耐えられなくなることでしょう。
なぜかというと、社会の豊かさは虚飾であるという無常を自覚していないからですね。
豊かな時代であれ、あるいは厳しい時代であれ、われわれはただ生まれた時代の環境に翻弄されるばかりのちっぽけな存在であり、仏陀が考えた四苦八苦のように、苦しみばかりが本質のむなしい存在です。
苦しくむなしい、ひどく頼りない存在であることが自覚できてはじめて、ギズモさんのおっしゃった自利と利他のような規範で、いま生きている間だけでもみんな手を携えていこうじゃないかという、地に足のついた謙虚な一歩が踏み出せるのではないかとおもっています。
それはおそらく、現当二世の救いの第一歩でもあるように感じています。
今回、落語の話などいろいろとお返事したいこともありましたが、仏教の話だけでかなり長くなってしまいましたので、いったんここで筆をおきます。
最後に、大阪の天王寺にある一心寺の存牟堂(ぞんむどう)ミュージアムにあった詩です。
これも以前紹介したかもしれません。
まず自利が満たされなければ、利他が広がっていかないという、人間の業を肯定してくれるメッセージだとおもっています。
2025年6月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
今回もお時間をいただきました。
いそがしくやってたんですが、あともう少しで自治会・畑とも仕事が落ち着くというタイミングで、油断して今週は風邪をひいてしまいました。
風邪の症状が出てからあわてて対策をしたのですが、ちゃんと対策するとはやく治るものですね。
喉の痛みが出始めていたのでアズノールでのうがい。
鼻の症状もあったので塩水での鼻うがいを徹底。
朝昼に銀翹散、夜は葛根湯、これを二日で、ほぼ軽快しました。
漢方とあなどるなかれ、ほんとうによく効きます。
喉と鼻の症状はうがいのおかげでほとんどなくなりました。
二日目に熱が上がりましたが、それも1日だけでした。
翌日には熱も下がり、喉と鼻の症状も軽快。
無対策だったらいまごろ風邪の症状がひどくなって倒れ込んでいたとおもいます。
ギズモさんもたいへんでしたね。
機材のトラブルもそうですが、やはり喉のケアはむずかしいですね。
喉が乾燥しないようにするといっても、なかなかふだんからケアを徹底するのはむずかしいです。
ミュージシャンはほんとうに喉を大事にしていますが、ここぞというときに酷使するためのメンテナンスという意味では、いくら気を付けても足りないくらいなのでしょう。
今回は以下、ずっと思考と錯覚の話で、なんだかとりとめのない話になってしまいました。
すみません。
ギズモさんのおっしゃった思考の話ですが、われわれの肉体は常になにかを錯覚しているんですよね。
たとえば人間の体は、神経の多く通る場所と、神経の少ない場所では、感覚の鋭さがまったく違うのだといいます。
手のように神経の多いところだと、二本の針で突っついたときに、二本の距離がかなり狭くても、二本だとわかるのだそうです。
ところが背中のように神経の少ないところだと、かなり広く二点をとらないと、二点を同時に突っつかれても一点で突っつかれたようにしか感じられないのだといいます。
こういう錯覚が、いろんなところで起こります。
がんは細胞のエラーですが、がんが増殖して痛みが発生しても、脳はじぶんの肉体が正常であるとおもっています。
脳の意志に反して、肉体側ではエラー細胞が増殖してしまうんですね。
脳はもっと生きていよう、がんよ治ってくれと考えるんですが、肉体はどんどんエラーが増えて、死に向かっていく。
肉体で起こっている実際を、脳がうまく認知できないというのも、錯覚のひとつでしょう。
ほかにも痛風は、針状の尿酸結晶が関節にとりつくんですが、尿酸結晶自体は本来わるさをするようなものではないそうです。
ところが関節にとりついた尿酸結晶を免疫細胞が敵と勘違いして、攻撃し始める。
この攻撃によって炎症が起こり、痛みが生じるのだそうです。
同様の病気に膠原病がありますが、肉体内の細胞も錯覚を起こすことがあるんですね。
いくら頭で病態を理解して、「尿酸結晶は敵じゃないから免疫細胞はおとなしくしてくれ」となだめたところで、肉体は脳から発する意志をきいてはくれません。
じぶんの肉体や細胞ですらこうなのですから、肉体を離れた外側を脳がどう認知するか、ということに関しては、誤解と錯覚であふれかえっている、といってもよさそうです。
ギズモさんの意識に紛れ込んできた思考Bについては、一般的には白昼夢といわれるものだとおもいます。
白昼夢はそれこそ意識による意識の錯覚のようなものですが、人類にはむかしから、明確な意識とはまた別個の意識が存在しました。
ただこれはふだんは隠れていて、表に出てくるのはめずらしいことです。
めずらしい現象だけど、人間を生きていると経験することがある。だから先人はわざわざ白昼夢という言葉をつくったのでしょう。
以前もお話ししましたが、多重人格という病態があります。
この場合は、ギズモさんのおっしゃる思考Bが、ギズモさんの主たる意識である思考Aを乗っ取って、独立してしまいます。
そして、思考Aと思考B、場合によっては思考CやDが現れて、交互に入れ替わる。
これは病的な白昼夢状態と言い換えられるかもしれません。
しかしこの複数の意識は、健全なかたちであれば、たとえば家族に対してはタメ口で、他人に対しては敬語でしゃべるというような、まっとうな分別としてあらわれるんです。
もうすこし突っ込んだことをいうと、人類……ホモサピエンスがあらゆる霊長類より上位の存在になり得たのは、ウソをつくことができたからだといいます。
ウソとは、複数の意識を巧妙に使い分けるということでしょう。
人間はこの世で唯一ウソをつける存在です。
人間同士でも、より上手にウソをつける個体が、上位の存在になります。
たとえば政治家はできるかどうかもわからない理想(ウソ)を自信たっぷりに、臆面もなく人前で拡声器をつかいながら話すでしょう。
ホンネがわからないのに、ウソを堂々とつき通すところに、聞いているわれわれはなぜか「たのもしさ」を感じてしまったりします。
世界にあまねく神話も、白昼夢の延長線のようなものですね。
現実と非現実が入り乱れて、歴史の中にフィクションが紛れ込み、それらが神話・教義という形で虚実入り乱れて融合していきます。
人間が現実社会を生きるための規範と、ウソの物語が交雑するのです。
そういう意味では、ウソの中に神々が潜んでいる、ともいえるかもしれません。
ギズモさんに起こった意識の割り込みが、予知夢やパラレルワールドといった、どこかスピリチュアルな、第六感めいたことのように感じられたのも、自然なことだとおもいます。
たとえばシャーマンは、こういった意識の割り込みを意図的におこなえる……すくなくともそういう建前でやっていたわけです。
古くは全世界的にシャーマンの風習があったわけですし、こういったことは科学で解明できるようなものでもありませんから、いろいろな予測が成り立ち得ますよね。
ところで、ここからだんだん話がおかしな方向へいくんですが、神とはわれわれが理解できない存在……というか、理解できたら神じゃないんだそうです。
だから、たとえば経典であるとか神の肖像画というのは、あたかも神を描いているようですが、理解できるようになっているということは、実際は人間がつくりあげたものであり、ほんとうの神ではありません。
人間が神の思し召しを理解しようと努力した結果、経典や宗教芸術が生まれたといえます。
本来の神とは、人智の向こう側にあります。
どんなに科学が進歩しても、人間がなにをどうしようとも、理解のしようがない、あきらめるしかないところに神があると考えるべきかもしれません。
この人智を越えた存在の片鱗に触れたときの人間の態度は、「畏怖」「畏敬」などと表現します。
ギズモさんの意識に割り込んできた思考Bに、人間が抱えているよくわからないものを感じて、ふと畏れのような感覚が起こったとしたら、それは人間としてただしい態度だとおもいます。
科学は絶対的正しさをよりどころとしていますが、それこそ不遜で畏れ知らずですから、思考Bを実験・分析的なアプローチで解き明かそうとします。
神学の場合は、教義に反することのないように問題を克服しようと試みますよね。
神学はその点でどうしても科学にはなりきれませんが、解明しきれない問題に畏れの念をもっていた時代の人々のほうが、現代人よりは「持続可能な暮らしをしていた」と感じるのはぼくだけでしょうか。
では神学者でもなく、科学者でもないわれわれ凡百の人間はどうすべきかというと、こういったことには答えを見いだすべきではないのかもしれません(笑)
思考Bがたまたまじぶんの意識にまぎれこんできても、どうにも人間には推しはかることのできない要素があるようにおもえる。これはじつに畏れ多いことだ。
……という態度で受け流すのが、じつはわれわれにできるもっとも知的な態度のような気がするのです。
つまり、ソクラテスの言ったところの「無知の知」ですね。
ギズモさんのお父さんが天井を指さしてたずねた件も、これを解き明かすのはほんとうにむずかしいことです。
幼児が部屋の片隅を指さして「あれ誰?」と問うことがあるといいますが、いつか科学がこの現象の原因を解き明かすかもしれません。
しかしそれまでは、どこかそういった現象に畏れの念を感じながら、創造主のやることはようわからん、と受け流そうとおもっています(笑)
いそがしくやってたんですが、あともう少しで自治会・畑とも仕事が落ち着くというタイミングで、油断して今週は風邪をひいてしまいました。
風邪の症状が出てからあわてて対策をしたのですが、ちゃんと対策するとはやく治るものですね。
喉の痛みが出始めていたのでアズノールでのうがい。
鼻の症状もあったので塩水での鼻うがいを徹底。
朝昼に銀翹散、夜は葛根湯、これを二日で、ほぼ軽快しました。
漢方とあなどるなかれ、ほんとうによく効きます。
喉と鼻の症状はうがいのおかげでほとんどなくなりました。
二日目に熱が上がりましたが、それも1日だけでした。
翌日には熱も下がり、喉と鼻の症状も軽快。
無対策だったらいまごろ風邪の症状がひどくなって倒れ込んでいたとおもいます。
ギズモさんもたいへんでしたね。
機材のトラブルもそうですが、やはり喉のケアはむずかしいですね。
喉が乾燥しないようにするといっても、なかなかふだんからケアを徹底するのはむずかしいです。
ミュージシャンはほんとうに喉を大事にしていますが、ここぞというときに酷使するためのメンテナンスという意味では、いくら気を付けても足りないくらいなのでしょう。
今回は以下、ずっと思考と錯覚の話で、なんだかとりとめのない話になってしまいました。
すみません。
ギズモさんのおっしゃった思考の話ですが、われわれの肉体は常になにかを錯覚しているんですよね。
たとえば人間の体は、神経の多く通る場所と、神経の少ない場所では、感覚の鋭さがまったく違うのだといいます。
手のように神経の多いところだと、二本の針で突っついたときに、二本の距離がかなり狭くても、二本だとわかるのだそうです。
ところが背中のように神経の少ないところだと、かなり広く二点をとらないと、二点を同時に突っつかれても一点で突っつかれたようにしか感じられないのだといいます。
こういう錯覚が、いろんなところで起こります。
がんは細胞のエラーですが、がんが増殖して痛みが発生しても、脳はじぶんの肉体が正常であるとおもっています。
脳の意志に反して、肉体側ではエラー細胞が増殖してしまうんですね。
脳はもっと生きていよう、がんよ治ってくれと考えるんですが、肉体はどんどんエラーが増えて、死に向かっていく。
肉体で起こっている実際を、脳がうまく認知できないというのも、錯覚のひとつでしょう。
ほかにも痛風は、針状の尿酸結晶が関節にとりつくんですが、尿酸結晶自体は本来わるさをするようなものではないそうです。
ところが関節にとりついた尿酸結晶を免疫細胞が敵と勘違いして、攻撃し始める。
この攻撃によって炎症が起こり、痛みが生じるのだそうです。
同様の病気に膠原病がありますが、肉体内の細胞も錯覚を起こすことがあるんですね。
いくら頭で病態を理解して、「尿酸結晶は敵じゃないから免疫細胞はおとなしくしてくれ」となだめたところで、肉体は脳から発する意志をきいてはくれません。
じぶんの肉体や細胞ですらこうなのですから、肉体を離れた外側を脳がどう認知するか、ということに関しては、誤解と錯覚であふれかえっている、といってもよさそうです。
ギズモさんの意識に紛れ込んできた思考Bについては、一般的には白昼夢といわれるものだとおもいます。
白昼夢はそれこそ意識による意識の錯覚のようなものですが、人類にはむかしから、明確な意識とはまた別個の意識が存在しました。
ただこれはふだんは隠れていて、表に出てくるのはめずらしいことです。
めずらしい現象だけど、人間を生きていると経験することがある。だから先人はわざわざ白昼夢という言葉をつくったのでしょう。
以前もお話ししましたが、多重人格という病態があります。
この場合は、ギズモさんのおっしゃる思考Bが、ギズモさんの主たる意識である思考Aを乗っ取って、独立してしまいます。
そして、思考Aと思考B、場合によっては思考CやDが現れて、交互に入れ替わる。
これは病的な白昼夢状態と言い換えられるかもしれません。
しかしこの複数の意識は、健全なかたちであれば、たとえば家族に対してはタメ口で、他人に対しては敬語でしゃべるというような、まっとうな分別としてあらわれるんです。
もうすこし突っ込んだことをいうと、人類……ホモサピエンスがあらゆる霊長類より上位の存在になり得たのは、ウソをつくことができたからだといいます。
ウソとは、複数の意識を巧妙に使い分けるということでしょう。
人間はこの世で唯一ウソをつける存在です。
人間同士でも、より上手にウソをつける個体が、上位の存在になります。
たとえば政治家はできるかどうかもわからない理想(ウソ)を自信たっぷりに、臆面もなく人前で拡声器をつかいながら話すでしょう。
ホンネがわからないのに、ウソを堂々とつき通すところに、聞いているわれわれはなぜか「たのもしさ」を感じてしまったりします。
世界にあまねく神話も、白昼夢の延長線のようなものですね。
現実と非現実が入り乱れて、歴史の中にフィクションが紛れ込み、それらが神話・教義という形で虚実入り乱れて融合していきます。
人間が現実社会を生きるための規範と、ウソの物語が交雑するのです。
そういう意味では、ウソの中に神々が潜んでいる、ともいえるかもしれません。
ギズモさんに起こった意識の割り込みが、予知夢やパラレルワールドといった、どこかスピリチュアルな、第六感めいたことのように感じられたのも、自然なことだとおもいます。
たとえばシャーマンは、こういった意識の割り込みを意図的におこなえる……すくなくともそういう建前でやっていたわけです。
古くは全世界的にシャーマンの風習があったわけですし、こういったことは科学で解明できるようなものでもありませんから、いろいろな予測が成り立ち得ますよね。
ところで、ここからだんだん話がおかしな方向へいくんですが、神とはわれわれが理解できない存在……というか、理解できたら神じゃないんだそうです。
だから、たとえば経典であるとか神の肖像画というのは、あたかも神を描いているようですが、理解できるようになっているということは、実際は人間がつくりあげたものであり、ほんとうの神ではありません。
人間が神の思し召しを理解しようと努力した結果、経典や宗教芸術が生まれたといえます。
本来の神とは、人智の向こう側にあります。
どんなに科学が進歩しても、人間がなにをどうしようとも、理解のしようがない、あきらめるしかないところに神があると考えるべきかもしれません。
この人智を越えた存在の片鱗に触れたときの人間の態度は、「畏怖」「畏敬」などと表現します。
ギズモさんの意識に割り込んできた思考Bに、人間が抱えているよくわからないものを感じて、ふと畏れのような感覚が起こったとしたら、それは人間としてただしい態度だとおもいます。
科学は絶対的正しさをよりどころとしていますが、それこそ不遜で畏れ知らずですから、思考Bを実験・分析的なアプローチで解き明かそうとします。
神学の場合は、教義に反することのないように問題を克服しようと試みますよね。
神学はその点でどうしても科学にはなりきれませんが、解明しきれない問題に畏れの念をもっていた時代の人々のほうが、現代人よりは「持続可能な暮らしをしていた」と感じるのはぼくだけでしょうか。
では神学者でもなく、科学者でもないわれわれ凡百の人間はどうすべきかというと、こういったことには答えを見いだすべきではないのかもしれません(笑)
思考Bがたまたまじぶんの意識にまぎれこんできても、どうにも人間には推しはかることのできない要素があるようにおもえる。これはじつに畏れ多いことだ。
……という態度で受け流すのが、じつはわれわれにできるもっとも知的な態度のような気がするのです。
つまり、ソクラテスの言ったところの「無知の知」ですね。
ギズモさんのお父さんが天井を指さしてたずねた件も、これを解き明かすのはほんとうにむずかしいことです。
幼児が部屋の片隅を指さして「あれ誰?」と問うことがあるといいますが、いつか科学がこの現象の原因を解き明かすかもしれません。
しかしそれまでは、どこかそういった現象に畏れの念を感じながら、創造主のやることはようわからん、と受け流そうとおもっています(笑)
2025年5月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
7世代というと、15歳くらいから子供を生んでいたむかしのサイクルでいえばだいたい100~150年くらい先ですね。
人間の一生の向こう側ということになるでしょうか。
日本でもむかしは、じぶんが死んだ後もその地域に住まう子孫ために、山の木を植樹したといいます。
山の木々は主伐して収穫するときにはじめて「儲け」が出ます。
それまでの間は、込み合った木々を間引く間伐をしたり、材木としての質を高めるために枝打ちをしたりします。
そういった作業から出た木々は、日々の煮炊きや風呂の薪として利用されました。
木々を育てるということが、暮らしそのものに直結していたんですね。
しかし主伐をした後に植樹をしても、じぶんが生きている間には収穫できませんし、儲けどころか出費と手間がかかります。
いまだけよければよい、じぶんの人生の間だけよければよい、というのであれば、植樹をせずに山を丸裸にするだけで放っておけばいいんですが、先人たちはそうしませんでした。
むかしの人々は、じぶんの暮らしが何百年先も変わらないということを確信していたからです。
資本主義や自由主義はこの、植樹をせずに山を丸裸にするだけで放っておいてしまう、ということを平気でやってしまいます。
なにせ基準が「お金がじぶんのポケットに入ってくるかどうか」「いまじぶんが豊かでいられるかどうか」だけなので、当然7世代先のことなんてほとんど考えていません。
子孫が苦しむかどうかより、いまじぶんが豊かであること、じぶんのポケットにお金が入ってくることのほうがよほど大事だという考え方です。
当然そんな調子だと、いずれどこかで子孫が破滅的な苦しみに見舞われることでしょう。
こういった、いまだけよければいいという困った問題を、将来の人間が克服できるかどうか。
少なくとも資本主義、自由主義ではもう「克服できなかった」という答えが出てしまっています。
が、たとえばAIに助けてもらう形であったり、あたらしい秩序の下でなら、再生できるでしょうか。
この再生は、地球のエネルギーが完全に枯渇したり、温暖化でどうしようもなくなったり、核戦争、あるいはそれらが複合的に噛み合わさった結果、強制的に起こるイベントかもしれません。
あるいは人類みずから立ち上がって、永続的な文明維持のために自発的・協力的に行うイベントとなる可能性もあります。
願わくば後者であってほしいとおもうのですが、おそらくこの逼迫した状況は、ぼくが生きている間はまだ起こらないようにおもえます。
しかしその決断のときを生きる世代は、前者・後者どちらのイベントにせよ、いったん江戸時代に近いところまで生活レベルを落とすことになります。
じぶんの寿命を10年以上差し出して、さらにこれまで文明がもたらしてくれた自由をあらかた捨て去る覚悟が必要になることでしょう。
心霊写真ですが、もう20年も前のことで、携帯も手元にはないので、写真自体もないとおもいます。
心霊ということでふとおもいだしたのですが、まだブログがほとんどなかったようなころ、あるホームページにこんなことが書かれてありました。
以下、一度お話ししたような気もしますし、そのときと話が多少変わっているかもしれませんが、記憶違いがあったとしてもそのままお話しします。
愛する人と死に別れて、その人が火葬されて、その水蒸気が雲になりました。
その雲が雨となり、山を伝い、川を流れ、海へ流れ、また水蒸気となり、山を伝い、川を流れ、海へ流れ、また水蒸気となり……。
その人はその循環について考えているうちに、じぶんの手元にあるコップの水にも愛する人がいるような気がしてきました。
そこで、じぶんの飲み水の中にその人の水蒸気のかけらが、どれくらい入っているかを、計算したのです。
その計算のやり方がどういうものだったか、まったく覚えてないんですが、まさか人ひとりが死んだくらいの水蒸気がコップ一杯の水に混じることなんてないだろうとおもったら、数字のうえでは、ほんの少し混じるんだそうです。
それは、まったくないというわけにはいかないくらい、はっきりした数値として、コップの中に含まれている。
ぼくは若いときにその話を読んで、なにか得体のしれない感動を覚えたのですが、ブックマークするのを忘れていました。
そしてあれからいくら探しても検索できないまま、いまに至ります。
心霊という精神現象は、このコップの中に含まれた愛する人のような、ぼんやりとはかないものだろうとおもうのですが、そうするとあのときWさんの横にいた顔のようなはっきりした形のものは、なんだか露骨すぎるというか、主張が強すぎますね(笑)
和菓子の水無月は京都だと非常にポピュラーなんですが、あれは単純だからこそむずかしいようで、ういろうがボソボソ、小豆も塩梅がいい加減、といったようなものが多いですね。
元をたどればそれぞれの家でつくっていた素朴なお菓子ですから、上出来なものを期待しすぎると気の毒ではあるんですが(笑)
しかし小豆はまだともかく、ういろうは美味しいものだともっちりとして歯ごたえがあって、こんなにおいしいものがあるのかとおもえるものです。
あのもちもちと歯ごたえのバランスをとるのはむずかしいのでしょう。
スーパーのういろうを買っても、これといった感動がありません。
三重県のご当地品、もう伊勢で暮らしていたころから30年近く経っていますから、ぼくも知らないものが多かったです。
おかげ犬もはじめて知りました。
あおさは有名ですし、美味しいのですが、当時からまあまあいい値段でした。
伊勢では日常の贈り物にすると喜ばれるものといった印象です。
伊勢の局地的な珍味なんですが、「さめたれ」という、サメの肉をたれに浸けた加工品があります。
お酒のアテにちょうどよくて、なかなかおいしいのですが、伊勢から離れるととんとみかけません。
あとは、手こね寿司といって、薄切りにしてたれに浸けたカツオを乗せたちらし寿司があって、これもポピュラーでした。
これらは当時、スーパーでも当たり前に売っていました。
ところでわたくしごとですが、先日献血に行き、血液検査の結果が出ました。
脂質制限をしていますが、たしかにコレステロール値は下がっていました。
210あたりをうろうろしていたのが、180と目にみえる形で下がっており、それ以外の項目はいつもとおなじ。
総コレステロール値には血中の中性脂肪も含まれているので、この調子で脂質制限を続けて、低めのコレステロール値を維持していくつもりです。
人間の一生の向こう側ということになるでしょうか。
日本でもむかしは、じぶんが死んだ後もその地域に住まう子孫ために、山の木を植樹したといいます。
山の木々は主伐して収穫するときにはじめて「儲け」が出ます。
それまでの間は、込み合った木々を間引く間伐をしたり、材木としての質を高めるために枝打ちをしたりします。
そういった作業から出た木々は、日々の煮炊きや風呂の薪として利用されました。
木々を育てるということが、暮らしそのものに直結していたんですね。
しかし主伐をした後に植樹をしても、じぶんが生きている間には収穫できませんし、儲けどころか出費と手間がかかります。
いまだけよければよい、じぶんの人生の間だけよければよい、というのであれば、植樹をせずに山を丸裸にするだけで放っておけばいいんですが、先人たちはそうしませんでした。
むかしの人々は、じぶんの暮らしが何百年先も変わらないということを確信していたからです。
資本主義や自由主義はこの、植樹をせずに山を丸裸にするだけで放っておいてしまう、ということを平気でやってしまいます。
なにせ基準が「お金がじぶんのポケットに入ってくるかどうか」「いまじぶんが豊かでいられるかどうか」だけなので、当然7世代先のことなんてほとんど考えていません。
子孫が苦しむかどうかより、いまじぶんが豊かであること、じぶんのポケットにお金が入ってくることのほうがよほど大事だという考え方です。
当然そんな調子だと、いずれどこかで子孫が破滅的な苦しみに見舞われることでしょう。
こういった、いまだけよければいいという困った問題を、将来の人間が克服できるかどうか。
少なくとも資本主義、自由主義ではもう「克服できなかった」という答えが出てしまっています。
が、たとえばAIに助けてもらう形であったり、あたらしい秩序の下でなら、再生できるでしょうか。
この再生は、地球のエネルギーが完全に枯渇したり、温暖化でどうしようもなくなったり、核戦争、あるいはそれらが複合的に噛み合わさった結果、強制的に起こるイベントかもしれません。
あるいは人類みずから立ち上がって、永続的な文明維持のために自発的・協力的に行うイベントとなる可能性もあります。
願わくば後者であってほしいとおもうのですが、おそらくこの逼迫した状況は、ぼくが生きている間はまだ起こらないようにおもえます。
しかしその決断のときを生きる世代は、前者・後者どちらのイベントにせよ、いったん江戸時代に近いところまで生活レベルを落とすことになります。
じぶんの寿命を10年以上差し出して、さらにこれまで文明がもたらしてくれた自由をあらかた捨て去る覚悟が必要になることでしょう。
心霊写真ですが、もう20年も前のことで、携帯も手元にはないので、写真自体もないとおもいます。
心霊ということでふとおもいだしたのですが、まだブログがほとんどなかったようなころ、あるホームページにこんなことが書かれてありました。
以下、一度お話ししたような気もしますし、そのときと話が多少変わっているかもしれませんが、記憶違いがあったとしてもそのままお話しします。
愛する人と死に別れて、その人が火葬されて、その水蒸気が雲になりました。
その雲が雨となり、山を伝い、川を流れ、海へ流れ、また水蒸気となり、山を伝い、川を流れ、海へ流れ、また水蒸気となり……。
その人はその循環について考えているうちに、じぶんの手元にあるコップの水にも愛する人がいるような気がしてきました。
そこで、じぶんの飲み水の中にその人の水蒸気のかけらが、どれくらい入っているかを、計算したのです。
その計算のやり方がどういうものだったか、まったく覚えてないんですが、まさか人ひとりが死んだくらいの水蒸気がコップ一杯の水に混じることなんてないだろうとおもったら、数字のうえでは、ほんの少し混じるんだそうです。
それは、まったくないというわけにはいかないくらい、はっきりした数値として、コップの中に含まれている。
ぼくは若いときにその話を読んで、なにか得体のしれない感動を覚えたのですが、ブックマークするのを忘れていました。
そしてあれからいくら探しても検索できないまま、いまに至ります。
心霊という精神現象は、このコップの中に含まれた愛する人のような、ぼんやりとはかないものだろうとおもうのですが、そうするとあのときWさんの横にいた顔のようなはっきりした形のものは、なんだか露骨すぎるというか、主張が強すぎますね(笑)
和菓子の水無月は京都だと非常にポピュラーなんですが、あれは単純だからこそむずかしいようで、ういろうがボソボソ、小豆も塩梅がいい加減、といったようなものが多いですね。
元をたどればそれぞれの家でつくっていた素朴なお菓子ですから、上出来なものを期待しすぎると気の毒ではあるんですが(笑)
しかし小豆はまだともかく、ういろうは美味しいものだともっちりとして歯ごたえがあって、こんなにおいしいものがあるのかとおもえるものです。
あのもちもちと歯ごたえのバランスをとるのはむずかしいのでしょう。
スーパーのういろうを買っても、これといった感動がありません。
三重県のご当地品、もう伊勢で暮らしていたころから30年近く経っていますから、ぼくも知らないものが多かったです。
おかげ犬もはじめて知りました。
あおさは有名ですし、美味しいのですが、当時からまあまあいい値段でした。
伊勢では日常の贈り物にすると喜ばれるものといった印象です。
伊勢の局地的な珍味なんですが、「さめたれ」という、サメの肉をたれに浸けた加工品があります。
お酒のアテにちょうどよくて、なかなかおいしいのですが、伊勢から離れるととんとみかけません。
あとは、手こね寿司といって、薄切りにしてたれに浸けたカツオを乗せたちらし寿司があって、これもポピュラーでした。
これらは当時、スーパーでも当たり前に売っていました。
ところでわたくしごとですが、先日献血に行き、血液検査の結果が出ました。
脂質制限をしていますが、たしかにコレステロール値は下がっていました。
210あたりをうろうろしていたのが、180と目にみえる形で下がっており、それ以外の項目はいつもとおなじ。
総コレステロール値には血中の中性脂肪も含まれているので、この調子で脂質制限を続けて、低めのコレステロール値を維持していくつもりです。
2024年12月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
後半です。
どうやら阿波内侍はずいぶん激しい気性の人だったようです。
史実と平家物語の行間を読むようにして推察していくと、どうも感情の振れ幅が大きな人だったとおもわずにいられません。
そしてそんな阿波内侍の性格は父譲りだろうとおもいます。
阿波内侍の父、信西はもともと後白河天皇の腹心でした。
母の紀伊二位が後白河天皇の乳母だったことを利用して、信西も後白河天皇と非常に近いところにいたのです。
後白河天皇を即位に導いたのも信西でした。
信西は清盛とも親交がありました。
いわば当時の後白河天皇の趨勢を盤石なものにするための、中枢人物といえます。
儒学者だったのですが、激烈な政治改革者でもありました。
しかしその激烈さゆえに、後白河天皇の家臣から反信西派があらわれ、1160年、後白河天皇や清盛の隙をつくかたちで信西が攻撃され、無念の死を遂げます。
信西もまた入道とは名ばかりの、血の匂いの強い男でした。
1160年というと、崇徳院が讃岐に流されている最中です。
愛する帝は辺境の地に配流され、父は政変に巻き込まれて自害。
この時期の阿波内侍はまだ出家しておらず、俗世の中で居場所を失い、ただ呪わしい運命に翻弄されるほかありませんでした。
父は後白河天皇の側についていたとはいえ、なにが起こったのか細かいところまではわからない阿波内侍からすれば「見殺しにされた」と感じたのではないでしょうか。
そう考えると、崇徳院も気性の激しい人でした。
「瀬をはやみ 岩に急かるる滝川の 割れても末に 会わんとぞおもう」
急流の滝川が、岩にせき止められてふたつに割れる。しかしこの流れがまたひとつになるように、わたしたちもまた会えるだろう。
百人一首にもある、崇徳院の有名な歌です。
平安時代の和歌としては言葉が激しく、恋の歌と解釈しても激しいのですが、この歌にはもうひとつの意味がある、とされています。
それは後白河天皇との争いに敗れたあと、皇位を譲らざるを得なかったじぶんの立場に対して、また返り咲こうとする意志があるという意味です。
阿波内侍の立場に立てば、この歌は崇徳院がじぶんのことを歌にしてくれたのではないかとおもったことでしょうし、あるいは裏側の政治的な意味にも気づいていたかもしれません。
しかし崇徳院も京の地を再び踏むことなく崩御。
20年のときが経ちました。
人間、怒りの感情は長くもたないといいます。
一生恨んでいたい、怒っていたいという激情でさえ、いつの間にか琥珀のように結晶となって心の中に沈んでしまい、もはや血液を巡ってたぎらせることができなくなるものです。
出家した徳子の話を耳にしたとき、阿波内侍の心にあったのは深い虚無と、じぶんとおなじく世を捨てて生きざるを得ない徳子への同情だったのではないか。
そのころ徳子もまた、じぶんとよく似た境遇の、うらぶれた阿波内侍という尼僧が寂光院に住んでいるらしいことを知ります。
阿波内侍は山のものを売り歩きによく都に来ていて、寂光院までは都から歩いて一日もかからない距離だという。
徳子はそんな阿波内侍に強いシンパシーをおぼえ、わが身をそこへ預けようとおもったのかもしれません。
寂光院と長楽寺にいたふたりの情報がどのように交差したのか。
平家物語から類推するなら、女房のひとりがたまたま阿波内侍の身の上を知っていて、徳子へと情報が伝わった、と考えるのがよさそうですが、はっきりしたことはわかりません。
いずれにせよ、お互いの望むところだったからこそ、徳子は寂光院に入寺し、阿波内侍も徳子を受け入れました。
そして徳子が入寺すると建礼門院の立場を進んでゆずり、徳子の従者となったのです。
もし阿波内侍が、「崇徳院に仇をなした一族を受け入れるなど、できようものか」といった黒い魂にとらわれ続けていたら、徳子の入寺はあり得なかったでしょう。
阿波内侍にとっても、徳子の入寺は恩讐を越えてかなえられたことだったのだとおもいます。
しかし徳子にとっては、まさかここまで暮らすのがたいへんな場所だとは、おもいもよらなかったことでしょう。
阿波内侍もまた、徳子に建礼門院を譲ったからといって、奉るようなことはせず、厳しい生活の修行をともにこなすようになったのです。
ところで「灌頂の巻」で、後白河法皇が大原へ御幸したとき、法皇が寂光院で最初に出会ったのが、阿波内侍でした。
ここからは平家物語に阿波内侍が登場するくだりを抜粋して翻訳していきます。
法皇は寂光院のみすぼらしい有様におどろきました。
節だった竹を柱にした庵室の軒には蔓草が這っていて、周囲にも雑草がはびこっています。
屋根を葺く杉皮も薄く、夜には月の光が差し込み、雨漏りも激しいだろうことは容易に想像がつきました。
あたりはサルの鳴き声や、木こりが薪を切る斧の音、風が吹けば笹の葉擦れの音が聞こえるばかり。
法皇が「人はおらんか」と呼びかけましたが、なんの返事もありません。
ずいぶん経って、老い衰えた女性があらわれました。
「女院(徳子)はいずこにおられるのか」
と法皇がたずねると、老女は「山の上で花を摘んでおられます」と答えました。
法皇が「いくら世を捨てたとはいえ中宮であったのだぞ。代わりにやってくれる者もおらぬというのか。おいたわしい」と嘆くと、老女が答えました。
「仏道の戒めによるご果報が尽きてしまわれたから、いまこのような御目にあわれているのでございます。身を捨てての行なのですから、なぜその身を惜しむことがありましょう。
因果経に書かれているように、過去の原因を知りたければ、現在の結果をみなければなりません。未来に起こることの結果を知るためには、現在の原因を探らねばなりません。過去、未来の原因と結果によって起こっていること(訂正:現在)なのだから、嘆くべきことではないのです。
悉達太子(仏陀)も艱難辛苦の苦行を経て、最後に悟りを得られました」
老女は布切れを結び合わせた衣服ともいえぬものを着ているような有様で、それがこのような説法を説くものだから、不思議におもった法皇は、
「そもそもなんじは何者なのか」と問いました。
すると老尼は堰を切ったようにさめざめと泣き始めました。
いったん泣きはじめるとしばらくは法皇の問いかけにも答えられません。
ようやく涙を抑えて話し始めました。
「わたしは亡き少納言、入道信西の娘、阿波内侍と申す者でございます。母は紀伊の二位。かつてあれほどお世話になりましたというのに、お忘れになられるとは、わが身もそれだけ老いたのでしょう」
法皇はおどろきました。
「まさかなんじは、あの信西の娘だったのか。もうすっかりおもい出せずにいたが、夢でもみているようだ」
法皇のお供の者たちも「なるほど不思議な尼だとはおもっていたが、そういうことなら合点がいく」と口々に言い合いました。
その後、花摘みから帰ってきた徳子が法皇の御幸を知り、動揺します。
「いくら世を捨てた身とはいえ、このような姿は見られたくない。消えてなくなりたい」といって途方に暮れて泣いているところへ、阿波内侍がやってきて、言いました。
「なにを恥ずかしがることがありましょう。さっさと御対面なさって、帰ってもらえばよいのです」
徳子は、
「御念仏を一度唱えれば、阿弥陀さまの光明がさすことを期待しておりました。
十度御念仏を唱えれば、菩薩さま方に御来迎いただけるものとおもっておりました。
なのにまさかあのお方が御幸なさるとはおもってもおりませなんだ」
と嘆きながら、泣く泣く法皇の待つ庵室へ向かったといいます。
その後、徳子が地獄の六道の話をし、法皇とともに泣き暮れたことはすでに述べました。
これまで話したことを踏まえて平家物語での阿波内侍の言動を考えると、法皇への複雑な心境が、あの堰を切ったような涙にあらわれているし、徳子への厳しい態度の中にも、一種のやさしさがあることがわかります。
ところで、この時代の宮中の人が標準語をつかっていたはずはありません。
実際のところを想像して、言葉を変えてみました。
「もうそない恥ずかしいいわんと、とっとと会って、さっさと帰ってもらいよし」
と、阿波内侍が法皇のいる庵室をちらちら向きながら小声でいまいましげに言うと、おろおろと涙を浮かべてうろたえる徳子がつぶやきました。
「いっしょうけんめいお経を唱えてたらふつうは仏さまが来るもんとちゃいますか。やのに来てほしくもないあの人が来はるんやさかい、わけがわからしまへん」
ほんとうは阿波内侍と徳子の間で、こんなユーモラスな一場面があったのかもしれません。
余談ですが、徳子の夫、高倉天皇が危篤になったとき、清盛の寿命もわずかでした。
しかし清盛の権力欲は最後まで衰えることがありません。
あろうことか高倉天皇が崩御するようなことがあれば、徳子を後白河法皇のもとに入内させようと提案したのです。
後白河法皇を幽閉した隙に安徳天皇を即位させた清盛でしたが、高倉天皇がいなくなると手詰まりでした。
平家と皇室の直接の縁がなくなり、安徳天皇の天皇としての正当性が揺らいでしまうからです。
そこで清盛は徳子を利用して、後白河院の後妻にして、天皇家とのつながりを維持しようとしたわけです。
しかしさすがにその無理筋の政略はあらゆる方面から避難(誤字:非難)を浴びました。
後白河法皇もこの提案を辞退。
徳子さえこれを断固として拒否しました。なんとじぶんの髪を切ってまで抵抗の意志を示したのです。
もちろんこの話はなかったことになりましたが、高倉天皇の崩御から2か月で清盛も死去し、平家は栄華の頂点から滅亡の坂を転げ落ちることになりました。
つまり徳子と法皇は、いわば互いに縁談を断り合った複雑な間柄でもあったのです。
話をもとに戻します。
阿波内侍が法皇に因果経を説いたくだりには、法皇への批判が含まれていました。
法皇は出家とは名ばかりで、血に汚れた政治権力を振りかざし、なにをするにも下々に任せている。
それに比べて徳子はいまや、みずからの運命を乗り越えて悟りを得るために、因果をよく見極めて苦行に励んでいるのだ、と。
法皇はその言外に匂わせた批判めいた口調の厳しさに面食らって「そもそもなんじはだれなのだ」と問わずにいられなかったのでしょう。
寂光院にたどり着いた法皇の呼びかけにだれも応じなかったときも、阿波内侍は遠くから仰々しい行列をみて、法皇がやってきたことを察したのかもしれません。
徳子が入寺した以上、そういうことも起こりうるかもしれない、と阿波内侍は内心おもっていたはずです。
そしていざ法皇の姿を認めると、ゆっくり時間をかけてじぶんの人生を振り返り、息をととのえ、グッと腹を決めて、ようやく法皇の前に向かいました。
しかしたいへんな感情の高ぶりをおぼえながら法皇に対峙したのに、その存在がすっかり忘れ去られていたことに、おもわずこらえきれずに涙があふれる。
あのシーンはそのように読み解けるとおもいます。
徳子が病を得て身まかろうというとき、数人の従者とともに阿波内侍もその最期を看取ったといいます。
徳子の死の時期には諸説あり、長生きしたという説もあるのですが、もしそうなら阿波内侍が徳子に看取られていたかもしれません。
しかしもし平家物語のとおり37歳で入寂したとすれば、阿波内侍はどのような心境で徳子を看取ったのか。
考えてはみたのですが、わかりませんでした。察することが許されない領域のようにおもえたのです。
さて、徳子が寂光院に入寺するきっかけはなんだったのか、ということから、今回は平家物語の行間を読むかたちで、かなり創作に近い内容になりました。
もともと後半は3000文字程度でおさまっていたんですが、推敲して書き足していくうちにえらく長くなってしまいました。すみません(笑)
今回はこれでおしまいです。
どうやら阿波内侍はずいぶん激しい気性の人だったようです。
史実と平家物語の行間を読むようにして推察していくと、どうも感情の振れ幅が大きな人だったとおもわずにいられません。
そしてそんな阿波内侍の性格は父譲りだろうとおもいます。
阿波内侍の父、信西はもともと後白河天皇の腹心でした。
母の紀伊二位が後白河天皇の乳母だったことを利用して、信西も後白河天皇と非常に近いところにいたのです。
後白河天皇を即位に導いたのも信西でした。
信西は清盛とも親交がありました。
いわば当時の後白河天皇の趨勢を盤石なものにするための、中枢人物といえます。
儒学者だったのですが、激烈な政治改革者でもありました。
しかしその激烈さゆえに、後白河天皇の家臣から反信西派があらわれ、1160年、後白河天皇や清盛の隙をつくかたちで信西が攻撃され、無念の死を遂げます。
信西もまた入道とは名ばかりの、血の匂いの強い男でした。
1160年というと、崇徳院が讃岐に流されている最中です。
愛する帝は辺境の地に配流され、父は政変に巻き込まれて自害。
この時期の阿波内侍はまだ出家しておらず、俗世の中で居場所を失い、ただ呪わしい運命に翻弄されるほかありませんでした。
父は後白河天皇の側についていたとはいえ、なにが起こったのか細かいところまではわからない阿波内侍からすれば「見殺しにされた」と感じたのではないでしょうか。
そう考えると、崇徳院も気性の激しい人でした。
「瀬をはやみ 岩に急かるる滝川の 割れても末に 会わんとぞおもう」
急流の滝川が、岩にせき止められてふたつに割れる。しかしこの流れがまたひとつになるように、わたしたちもまた会えるだろう。
百人一首にもある、崇徳院の有名な歌です。
平安時代の和歌としては言葉が激しく、恋の歌と解釈しても激しいのですが、この歌にはもうひとつの意味がある、とされています。
それは後白河天皇との争いに敗れたあと、皇位を譲らざるを得なかったじぶんの立場に対して、また返り咲こうとする意志があるという意味です。
阿波内侍の立場に立てば、この歌は崇徳院がじぶんのことを歌にしてくれたのではないかとおもったことでしょうし、あるいは裏側の政治的な意味にも気づいていたかもしれません。
しかし崇徳院も京の地を再び踏むことなく崩御。
20年のときが経ちました。
人間、怒りの感情は長くもたないといいます。
一生恨んでいたい、怒っていたいという激情でさえ、いつの間にか琥珀のように結晶となって心の中に沈んでしまい、もはや血液を巡ってたぎらせることができなくなるものです。
出家した徳子の話を耳にしたとき、阿波内侍の心にあったのは深い虚無と、じぶんとおなじく世を捨てて生きざるを得ない徳子への同情だったのではないか。
そのころ徳子もまた、じぶんとよく似た境遇の、うらぶれた阿波内侍という尼僧が寂光院に住んでいるらしいことを知ります。
阿波内侍は山のものを売り歩きによく都に来ていて、寂光院までは都から歩いて一日もかからない距離だという。
徳子はそんな阿波内侍に強いシンパシーをおぼえ、わが身をそこへ預けようとおもったのかもしれません。
寂光院と長楽寺にいたふたりの情報がどのように交差したのか。
平家物語から類推するなら、女房のひとりがたまたま阿波内侍の身の上を知っていて、徳子へと情報が伝わった、と考えるのがよさそうですが、はっきりしたことはわかりません。
いずれにせよ、お互いの望むところだったからこそ、徳子は寂光院に入寺し、阿波内侍も徳子を受け入れました。
そして徳子が入寺すると建礼門院の立場を進んでゆずり、徳子の従者となったのです。
もし阿波内侍が、「崇徳院に仇をなした一族を受け入れるなど、できようものか」といった黒い魂にとらわれ続けていたら、徳子の入寺はあり得なかったでしょう。
阿波内侍にとっても、徳子の入寺は恩讐を越えてかなえられたことだったのだとおもいます。
しかし徳子にとっては、まさかここまで暮らすのがたいへんな場所だとは、おもいもよらなかったことでしょう。
阿波内侍もまた、徳子に建礼門院を譲ったからといって、奉るようなことはせず、厳しい生活の修行をともにこなすようになったのです。
ところで「灌頂の巻」で、後白河法皇が大原へ御幸したとき、法皇が寂光院で最初に出会ったのが、阿波内侍でした。
ここからは平家物語に阿波内侍が登場するくだりを抜粋して翻訳していきます。
法皇は寂光院のみすぼらしい有様におどろきました。
節だった竹を柱にした庵室の軒には蔓草が這っていて、周囲にも雑草がはびこっています。
屋根を葺く杉皮も薄く、夜には月の光が差し込み、雨漏りも激しいだろうことは容易に想像がつきました。
あたりはサルの鳴き声や、木こりが薪を切る斧の音、風が吹けば笹の葉擦れの音が聞こえるばかり。
法皇が「人はおらんか」と呼びかけましたが、なんの返事もありません。
ずいぶん経って、老い衰えた女性があらわれました。
「女院(徳子)はいずこにおられるのか」
と法皇がたずねると、老女は「山の上で花を摘んでおられます」と答えました。
法皇が「いくら世を捨てたとはいえ中宮であったのだぞ。代わりにやってくれる者もおらぬというのか。おいたわしい」と嘆くと、老女が答えました。
「仏道の戒めによるご果報が尽きてしまわれたから、いまこのような御目にあわれているのでございます。身を捨てての行なのですから、なぜその身を惜しむことがありましょう。
因果経に書かれているように、過去の原因を知りたければ、現在の結果をみなければなりません。未来に起こることの結果を知るためには、現在の原因を探らねばなりません。過去、未来の原因と結果によって起こっている
悉達太子(仏陀)も艱難辛苦の苦行を経て、最後に悟りを得られました」
老女は布切れを結び合わせた衣服ともいえぬものを着ているような有様で、それがこのような説法を説くものだから、不思議におもった法皇は、
「そもそもなんじは何者なのか」と問いました。
すると老尼は堰を切ったようにさめざめと泣き始めました。
いったん泣きはじめるとしばらくは法皇の問いかけにも答えられません。
ようやく涙を抑えて話し始めました。
「わたしは亡き少納言、入道信西の娘、阿波内侍と申す者でございます。母は紀伊の二位。かつてあれほどお世話になりましたというのに、お忘れになられるとは、わが身もそれだけ老いたのでしょう」
法皇はおどろきました。
「まさかなんじは、あの信西の娘だったのか。もうすっかりおもい出せずにいたが、夢でもみているようだ」
法皇のお供の者たちも「なるほど不思議な尼だとはおもっていたが、そういうことなら合点がいく」と口々に言い合いました。
その後、花摘みから帰ってきた徳子が法皇の御幸を知り、動揺します。
「いくら世を捨てた身とはいえ、このような姿は見られたくない。消えてなくなりたい」といって途方に暮れて泣いているところへ、阿波内侍がやってきて、言いました。
「なにを恥ずかしがることがありましょう。さっさと御対面なさって、帰ってもらえばよいのです」
徳子は、
「御念仏を一度唱えれば、阿弥陀さまの光明がさすことを期待しておりました。
十度御念仏を唱えれば、菩薩さま方に御来迎いただけるものとおもっておりました。
なのにまさかあのお方が御幸なさるとはおもってもおりませなんだ」
と嘆きながら、泣く泣く法皇の待つ庵室へ向かったといいます。
その後、徳子が地獄の六道の話をし、法皇とともに泣き暮れたことはすでに述べました。
これまで話したことを踏まえて平家物語での阿波内侍の言動を考えると、法皇への複雑な心境が、あの堰を切ったような涙にあらわれているし、徳子への厳しい態度の中にも、一種のやさしさがあることがわかります。
ところで、この時代の宮中の人が標準語をつかっていたはずはありません。
実際のところを想像して、言葉を変えてみました。
「もうそない恥ずかしいいわんと、とっとと会って、さっさと帰ってもらいよし」
と、阿波内侍が法皇のいる庵室をちらちら向きながら小声でいまいましげに言うと、おろおろと涙を浮かべてうろたえる徳子がつぶやきました。
「いっしょうけんめいお経を唱えてたらふつうは仏さまが来るもんとちゃいますか。やのに来てほしくもないあの人が来はるんやさかい、わけがわからしまへん」
ほんとうは阿波内侍と徳子の間で、こんなユーモラスな一場面があったのかもしれません。
余談ですが、徳子の夫、高倉天皇が危篤になったとき、清盛の寿命もわずかでした。
しかし清盛の権力欲は最後まで衰えることがありません。
あろうことか高倉天皇が崩御するようなことがあれば、徳子を後白河法皇のもとに入内させようと提案したのです。
後白河法皇を幽閉した隙に安徳天皇を即位させた清盛でしたが、高倉天皇がいなくなると手詰まりでした。
平家と皇室の直接の縁がなくなり、安徳天皇の天皇としての正当性が揺らいでしまうからです。
そこで清盛は徳子を利用して、後白河院の後妻にして、天皇家とのつながりを維持しようとしたわけです。
しかしさすがにその無理筋の政略はあらゆる方面から
後白河法皇もこの提案を辞退。
徳子さえこれを断固として拒否しました。なんとじぶんの髪を切ってまで抵抗の意志を示したのです。
もちろんこの話はなかったことになりましたが、高倉天皇の崩御から2か月で清盛も死去し、平家は栄華の頂点から滅亡の坂を転げ落ちることになりました。
つまり徳子と法皇は、いわば互いに縁談を断り合った複雑な間柄でもあったのです。
話をもとに戻します。
阿波内侍が法皇に因果経を説いたくだりには、法皇への批判が含まれていました。
法皇は出家とは名ばかりで、血に汚れた政治権力を振りかざし、なにをするにも下々に任せている。
それに比べて徳子はいまや、みずからの運命を乗り越えて悟りを得るために、因果をよく見極めて苦行に励んでいるのだ、と。
法皇はその言外に匂わせた批判めいた口調の厳しさに面食らって「そもそもなんじはだれなのだ」と問わずにいられなかったのでしょう。
寂光院にたどり着いた法皇の呼びかけにだれも応じなかったときも、阿波内侍は遠くから仰々しい行列をみて、法皇がやってきたことを察したのかもしれません。
徳子が入寺した以上、そういうことも起こりうるかもしれない、と阿波内侍は内心おもっていたはずです。
そしていざ法皇の姿を認めると、ゆっくり時間をかけてじぶんの人生を振り返り、息をととのえ、グッと腹を決めて、ようやく法皇の前に向かいました。
しかしたいへんな感情の高ぶりをおぼえながら法皇に対峙したのに、その存在がすっかり忘れ去られていたことに、おもわずこらえきれずに涙があふれる。
あのシーンはそのように読み解けるとおもいます。
徳子が病を得て身まかろうというとき、数人の従者とともに阿波内侍もその最期を看取ったといいます。
徳子の死の時期には諸説あり、長生きしたという説もあるのですが、もしそうなら阿波内侍が徳子に看取られていたかもしれません。
しかしもし平家物語のとおり37歳で入寂したとすれば、阿波内侍はどのような心境で徳子を看取ったのか。
考えてはみたのですが、わかりませんでした。察することが許されない領域のようにおもえたのです。
さて、徳子が寂光院に入寺するきっかけはなんだったのか、ということから、今回は平家物語の行間を読むかたちで、かなり創作に近い内容になりました。
もともと後半は3000文字程度でおさまっていたんですが、推敲して書き足していくうちにえらく長くなってしまいました。すみません(笑)
今回はこれでおしまいです。
2024年11月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
司馬遼太郎の言葉から、幅広く深いお話をありがとうございます。
『街道をゆく』の中の言葉だったのですね。知りませんでした。
著名人の言葉というのは、どこかで書かれたものから切り取られている場合が多いので、そこだけを読んでも意味を的確に捉えられないことがあるかもしれませんね。
私はこれを読んだ時、最初に数年前のワクチン騒ぎを思い出しました。
強制ではなく任意接種とは言いながら、職域接種も行われ、接種済みの人は何かと優遇されていました。現在84%を超す人が接種しています。
そして、何らかの事情で打てない人は仕事を追われたり(特に医療従事者・介護関係の人たち)、職場で白い目で見られ仲間外れにされ、まさに同調圧力であったと思います。
主人も娘夫婦も私も、「打たない人(実際は打てない)」ということで、それぞれけっこうな脅迫感や疎外感を味わいました(笑)
大多数がやっていることが神聖であり、同時に脅迫、という見本みたいなものだと思ったわけです。
接種関連について話したいわけではないので、この話はここまでということで(笑)
国ごとの主義というのは、時代や国政などで変化することがあるのですね。
しかも、自分の国は民主主義なのに、西側諸国からみたらそれを認められないとなると、民主主義の統一性、整合性というものからして、わからなくなります。
北朝鮮が民主主義国家とは呼びたくない、と私も思うのですが、『民主主義国家』を謳う国が、国ごとに実際は異なる政治体制だとすると、もう『民主主義』という言い方をやめてもいいように思います(笑)
国の正式名称につく、つかないで違いがあるのかどうかわかりませんが、やっぱりわかりにくいです。
自由で国民が生きやすい均一性、長いものに巻かれる式ではないことが理想でしょうが、民主主義国家であっても本当の民主主義とは言えず、変わり続けるもの、諸行無常のようなものですね。
日本は戦後民主主義になったと思っていましたが、明治時代からだったのですね。
それからの推移のお話、とてもわかりやすかったです。
収容所の中の人間性のお話も、考えさせられました。
囚人だけでなく、管理する者の人間性も奪いとるというのは、人間の心理というものをよく考えているのかもしれませんが、普通は考えつかないことのようにも思います。
アウシュビッツだけでなく日本でもありましたが、医師が行った人体実験も、医師という本来人を救う立場の者から人間性を奪いとったということでしょう。
いろいろな国、いろいろな状況下での「均一性」があることを学ばせていただき、戦争や独裁、暴力的な抑圧などがない、ある程度自由な中での均一性は、生きやすさにつながるようにも思いました。
私も『街道をゆく』を読んでいないので、どんな場面で、どんな意図で書いたかはわかりませんが、日本人は「人と同じ」を無難と考えている民族だと思います。
学校でも、枠からはみ出ず、みんなと協調でき、「わたしがわたしが」と言わないのがおりこうさんの定義ですよね(笑)
枠から飛び出した子の方が将来大物になることが多いように思うのですが、みんなと同じが無難というのもわかります。
お風呂をはじめとする霊現象もどきの話を、笑わずに説明していただき、ありがとうございます。
「よくわからないのだけど、耳を傾ける」ということ、すごく納得しました。
イライラしているからぶつけた、と考えるのが普通なのかもしれませんが、気持ちを切り替えるための、みえない存在からのメッセージなのでしょうね。
私はこの10日ほどの間(農園主さんの No.1536の記事を読む前)で、指を3本、ケガしました。
最初は、スーパーの焼いた「とろ赤魚」(生より安かったので)を、買ってからエコバッグに詰める時、食品用ポリ袋(クルクル巻いて置いてあるもの)に入れようとしたら、右の小指に激痛が!!
赤魚の骨がものすごく太いのですが、もろにブスっとさしてしまい、流血しました←珍しい人でしょ?(笑)
数日後は、左の親指をどこかにぶつけた時、けっこう強くぶつけたようで、爪と肉の間が割れ、また流血(笑)←ものすごく痛いです(-_-;)
さらに数日後、今度は右手の親指の爪の間に紙が入り、また爪と肉の間を切り、またまた流血(笑)←これも、ものすごく痛いです(;^_^A
仕事でピアノを弾いている時、痛みが走って気が遠くなりました(笑)
で、考えたわけです。
立て続けに起きた指のケガ、これはどういうメッセージなんだろうと。
ネットで見ると、スピリチュアル的に書いてあるんですが、どれも納得できませんでした(笑)
小さなケガを数回与えてもらったことで、大きなケガをふせいでもらった、ということかもしれませんね。
農園主さんは、ぶつけたことから「気持ちを切り替える」ことができて、すごいな~と思います。
気持ちを切り替える努力はしても、なかなか難しく、いつまでも不満や不安を引きずってしまうので、見習います。
ネット周りのトラブルの件、ご心配ありがとうございます。
おかげさまで、今はかなり快適な環境です。
新しいパソコンと以前からあったプリンターを、有線でなくWi-Fiでつなぎましたが、有線にしていた時より通信速度が速く、実に快適です。
ご質問の件です。
平家物語ですが、全部通しては「もちろん」読んでいません(笑)
能や浄瑠璃、歌舞伎、琵琶法師、小説などから、なんとなくストーリーのほんの一部(エピソード)を知っている、程度です。
例えば巻一なら「祇園精舎」、巻五だと「勧進帳」のように。
歴史的に源平に疎いので、正直なところ、何も知らないです(笑)
お漬物は大好きですし、ナスとミョウガも大好きです(*^^)v
昨日は10度を下回り、雪でも降りそうな寒さでした←そんなことはないですが(笑)、本当に寒いです。
来週お風呂が新しくなるので、風呂釜を傷めるからと使えなかったバスソルトを盛大に入れて、温まっています。
『街道をゆく』の中の言葉だったのですね。知りませんでした。
著名人の言葉というのは、どこかで書かれたものから切り取られている場合が多いので、そこだけを読んでも意味を的確に捉えられないことがあるかもしれませんね。
私はこれを読んだ時、最初に数年前のワクチン騒ぎを思い出しました。
強制ではなく任意接種とは言いながら、職域接種も行われ、接種済みの人は何かと優遇されていました。現在84%を超す人が接種しています。
そして、何らかの事情で打てない人は仕事を追われたり(特に医療従事者・介護関係の人たち)、職場で白い目で見られ仲間外れにされ、まさに同調圧力であったと思います。
主人も娘夫婦も私も、「打たない人(実際は打てない)」ということで、それぞれけっこうな脅迫感や疎外感を味わいました(笑)
大多数がやっていることが神聖であり、同時に脅迫、という見本みたいなものだと思ったわけです。
接種関連について話したいわけではないので、この話はここまでということで(笑)
国ごとの主義というのは、時代や国政などで変化することがあるのですね。
しかも、自分の国は民主主義なのに、西側諸国からみたらそれを認められないとなると、民主主義の統一性、整合性というものからして、わからなくなります。
北朝鮮が民主主義国家とは呼びたくない、と私も思うのですが、『民主主義国家』を謳う国が、国ごとに実際は異なる政治体制だとすると、もう『民主主義』という言い方をやめてもいいように思います(笑)
国の正式名称につく、つかないで違いがあるのかどうかわかりませんが、やっぱりわかりにくいです。
自由で国民が生きやすい均一性、長いものに巻かれる式ではないことが理想でしょうが、民主主義国家であっても本当の民主主義とは言えず、変わり続けるもの、諸行無常のようなものですね。
日本は戦後民主主義になったと思っていましたが、明治時代からだったのですね。
それからの推移のお話、とてもわかりやすかったです。
収容所の中の人間性のお話も、考えさせられました。
囚人だけでなく、管理する者の人間性も奪いとるというのは、人間の心理というものをよく考えているのかもしれませんが、普通は考えつかないことのようにも思います。
アウシュビッツだけでなく日本でもありましたが、医師が行った人体実験も、医師という本来人を救う立場の者から人間性を奪いとったということでしょう。
いろいろな国、いろいろな状況下での「均一性」があることを学ばせていただき、戦争や独裁、暴力的な抑圧などがない、ある程度自由な中での均一性は、生きやすさにつながるようにも思いました。
私も『街道をゆく』を読んでいないので、どんな場面で、どんな意図で書いたかはわかりませんが、日本人は「人と同じ」を無難と考えている民族だと思います。
学校でも、枠からはみ出ず、みんなと協調でき、「わたしがわたしが」と言わないのがおりこうさんの定義ですよね(笑)
枠から飛び出した子の方が将来大物になることが多いように思うのですが、みんなと同じが無難というのもわかります。
お風呂をはじめとする霊現象もどきの話を、笑わずに説明していただき、ありがとうございます。
「よくわからないのだけど、耳を傾ける」ということ、すごく納得しました。
イライラしているからぶつけた、と考えるのが普通なのかもしれませんが、気持ちを切り替えるための、みえない存在からのメッセージなのでしょうね。
私はこの10日ほどの間(農園主さんの No.1536の記事を読む前)で、指を3本、ケガしました。
最初は、スーパーの焼いた「とろ赤魚」(生より安かったので)を、買ってからエコバッグに詰める時、食品用ポリ袋(クルクル巻いて置いてあるもの)に入れようとしたら、右の小指に激痛が!!
赤魚の骨がものすごく太いのですが、もろにブスっとさしてしまい、流血しました←珍しい人でしょ?(笑)
数日後は、左の親指をどこかにぶつけた時、けっこう強くぶつけたようで、爪と肉の間が割れ、また流血(笑)←ものすごく痛いです(-_-;)
さらに数日後、今度は右手の親指の爪の間に紙が入り、また爪と肉の間を切り、またまた流血(笑)←これも、ものすごく痛いです(;^_^A
仕事でピアノを弾いている時、痛みが走って気が遠くなりました(笑)
で、考えたわけです。
立て続けに起きた指のケガ、これはどういうメッセージなんだろうと。
ネットで見ると、スピリチュアル的に書いてあるんですが、どれも納得できませんでした(笑)
小さなケガを数回与えてもらったことで、大きなケガをふせいでもらった、ということかもしれませんね。
農園主さんは、ぶつけたことから「気持ちを切り替える」ことができて、すごいな~と思います。
気持ちを切り替える努力はしても、なかなか難しく、いつまでも不満や不安を引きずってしまうので、見習います。
ネット周りのトラブルの件、ご心配ありがとうございます。
おかげさまで、今はかなり快適な環境です。
新しいパソコンと以前からあったプリンターを、有線でなくWi-Fiでつなぎましたが、有線にしていた時より通信速度が速く、実に快適です。
ご質問の件です。
平家物語ですが、全部通しては「もちろん」読んでいません(笑)
能や浄瑠璃、歌舞伎、琵琶法師、小説などから、なんとなくストーリーのほんの一部(エピソード)を知っている、程度です。
例えば巻一なら「祇園精舎」、巻五だと「勧進帳」のように。
歴史的に源平に疎いので、正直なところ、何も知らないです(笑)
お漬物は大好きですし、ナスとミョウガも大好きです(*^^)v
昨日は10度を下回り、雪でも降りそうな寒さでした←そんなことはないですが(笑)、本当に寒いです。
来週お風呂が新しくなるので、風呂釜を傷めるからと使えなかったバスソルトを盛大に入れて、温まっています。
2024年6月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
メール、ありがとうございましたm(_ _"m)
紙のノートにちゃんと書きとめておきます。
紙のノートにちゃんと書きとめておきます。
1475
住所と電話番号なんですが、メールでお送りしましたので、またご確認ください。
住所と電話番号なんですが、メールでお送りしましたので、またご確認ください。
2024年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
1399
カントリーロードの歌詞に出てくる車は、大昔の武骨なマニュアル車をおもわせますね。
500マイルにせよカントリーロードにせよ、郷愁をおもわせる日本の曲って少ないです。
国土が狭くて交通網がそれなりにしっかりしてるからだとおもいますが、それ以上に、戦後の日本には西洋のような開拓の歴史がないので、安住の地から危険な未開拓の土地へ、という物語がないんですよね。
以前、海外の民族音楽を日本人がそれっぽく歌っても、文化的に根を張っていなければうまくいかない、という話をしましたが、あれに似ているとおもいます。
ヘンな話ですが、もし満州国というものが戦後も続いていて、日本人が日本から満州へ出稼ぎに、ということがあったら、500マイルやカントリーロードのような歌が日本の自前でできていたかもしれないな、とおもいました。
駒込の妙義神社は武勇の神社ですよね。
古い販売機だから故障しているということでしたが、いつごろからそういうおみくじのスタイルだったんでしょうね。
あまり大阪やうちのあたりの神社ではみかけません……いや、そういえば宝塚大劇場の近くにある清荒神という神仏習合の寺社では、境内から出た門前町の入り口に、そんな自販機があったようにおもえます。
それでもおみくじはたしか、100円か、あるいは200円で、10円ということはありませんでした(笑)
いずれにせよ、大吉のおみくじでよいお参りになったようでなによりです。
うちのあたりも天気が大きく崩れて、春の手前で一気に寒の戻りです。
けさは畑がうっすら白くなっていましたし、日中も粉雪がちらついていました。
寒暖差がすごいうえに花粉もシーズンですので、体調にはどうぞお気を付けくださいね。
カントリーロードの歌詞に出てくる車は、大昔の武骨なマニュアル車をおもわせますね。
500マイルにせよカントリーロードにせよ、郷愁をおもわせる日本の曲って少ないです。
国土が狭くて交通網がそれなりにしっかりしてるからだとおもいますが、それ以上に、戦後の日本には西洋のような開拓の歴史がないので、安住の地から危険な未開拓の土地へ、という物語がないんですよね。
以前、海外の民族音楽を日本人がそれっぽく歌っても、文化的に根を張っていなければうまくいかない、という話をしましたが、あれに似ているとおもいます。
ヘンな話ですが、もし満州国というものが戦後も続いていて、日本人が日本から満州へ出稼ぎに、ということがあったら、500マイルやカントリーロードのような歌が日本の自前でできていたかもしれないな、とおもいました。
駒込の妙義神社は武勇の神社ですよね。
古い販売機だから故障しているということでしたが、いつごろからそういうおみくじのスタイルだったんでしょうね。
あまり大阪やうちのあたりの神社ではみかけません……いや、そういえば宝塚大劇場の近くにある清荒神という神仏習合の寺社では、境内から出た門前町の入り口に、そんな自販機があったようにおもえます。
それでもおみくじはたしか、100円か、あるいは200円で、10円ということはありませんでした(笑)
いずれにせよ、大吉のおみくじでよいお参りになったようでなによりです。
うちのあたりも天気が大きく崩れて、春の手前で一気に寒の戻りです。
けさは畑がうっすら白くなっていましたし、日中も粉雪がちらついていました。
寒暖差がすごいうえに花粉もシーズンですので、体調にはどうぞお気を付けくださいね。
2023年12月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
コメントの件、勝手な言い分で申し訳ありませんが、ありがとうございます。
農閑期は待ちに待った大切な時間ですね。
楽しく充実した日々になりますように(*^^)v
わたくしごとですが、コロナの3年間仕事がほぼなく、もう私の人生(イコール仕事)終わったかも、などと思っていたのですが、今年の4月から一部復活し、さらにご縁があり、今までのところ+他の場所でも講座を担当させていただいています。
23日は何年振りかでクリスマスコンサートなのですが、6月からの気管支炎の影響で、ごく低い音域しか歌えなくなってしまいました。
気管支炎が治ったあとも軽快しないので、音声外来まで行ってきましたが、声帯に異常なし。
それで少しは安心したものの、やはり歌えず、7月ごろからちょっとした鬱になっていました。
命に関わることではないのだからと思っても、歌えないということは生きている意味がない、とまで思っていました。
この不完全な状態でコンサートで歌うのは、来てくださる方に失礼と思い、歌うのは断念し、演奏に留めることにしました。
殆どの時間は、来場者が私の伴奏で歌う、というスタイルなので、歌えなくても問題はないのですが、久々のチャンスを逃したのは本当に残念です。
「徹子の部屋」で偶然見たのですが、齋藤悌子さんという、87歳のジャズシンガーがいます。
気負わず自然でクセのない、素敵な歌い方をする方です。
とってもお元気で、まだあと10年は歌うと仰っていました。
それを聞いて、97才までなら、私はもっともっとある!!と思いました←仕事があれば、ですが。
この番組を見なかったら、自暴自棄になり、歌をあきらめていたところでした。
本当に「偶然」見たことで、やっと前向きになることができたのですが、これも偶然ではなく、見るように、とのことだったと解釈しています。
クリスマスコンサートで、齋藤さんバージョンのシンプルなテネシーワルツ、歌いたかったなぁ、とは思いますが、スッパリあきらめて、歌えるようになるよう精進します。
という宣言を聞いていただくのもご迷惑でしょうが(笑)、一番つらかった時期にまた農園主さんとお話できる機会をいただき、教えていただくことばかりで、その中からたくさん気づくこともあって、本当に感謝しかありませんm(_ _"m)
こちらこそ、よろしくお願いいたしますヾ(@⌒ー⌒@)ノ
農閑期は待ちに待った大切な時間ですね。
楽しく充実した日々になりますように(*^^)v
わたくしごとですが、コロナの3年間仕事がほぼなく、もう私の人生(イコール仕事)終わったかも、などと思っていたのですが、今年の4月から一部復活し、さらにご縁があり、今までのところ+他の場所でも講座を担当させていただいています。
23日は何年振りかでクリスマスコンサートなのですが、6月からの気管支炎の影響で、ごく低い音域しか歌えなくなってしまいました。
気管支炎が治ったあとも軽快しないので、音声外来まで行ってきましたが、声帯に異常なし。
それで少しは安心したものの、やはり歌えず、7月ごろからちょっとした鬱になっていました。
命に関わることではないのだからと思っても、歌えないということは生きている意味がない、とまで思っていました。
この不完全な状態でコンサートで歌うのは、来てくださる方に失礼と思い、歌うのは断念し、演奏に留めることにしました。
殆どの時間は、来場者が私の伴奏で歌う、というスタイルなので、歌えなくても問題はないのですが、久々のチャンスを逃したのは本当に残念です。
「徹子の部屋」で偶然見たのですが、齋藤悌子さんという、87歳のジャズシンガーがいます。
気負わず自然でクセのない、素敵な歌い方をする方です。
とってもお元気で、まだあと10年は歌うと仰っていました。
それを聞いて、97才までなら、私はもっともっとある!!と思いました←仕事があれば、ですが。
この番組を見なかったら、自暴自棄になり、歌をあきらめていたところでした。
本当に「偶然」見たことで、やっと前向きになることができたのですが、これも偶然ではなく、見るように、とのことだったと解釈しています。
クリスマスコンサートで、齋藤さんバージョンのシンプルなテネシーワルツ、歌いたかったなぁ、とは思いますが、スッパリあきらめて、歌えるようになるよう精進します。
という宣言を聞いていただくのもご迷惑でしょうが(笑)、一番つらかった時期にまた農園主さんとお話できる機会をいただき、教えていただくことばかりで、その中からたくさん気づくこともあって、本当に感謝しかありませんm(_ _"m)
こちらこそ、よろしくお願いいたしますヾ(@⌒ー⌒@)ノ
藪蛇をつつくようなことかもしれませんが、男らしさや女らしさ、あるいはLGBTQにもそれぞれのらしさがあるとおもいます。
現代はその「らしさ」を抑制する社会になっているように感じています。
ぼくとしては、じぶん以外のだれかに「らしさ」を無理強いすることなく、マウントをとるようなことをしなければ、基本的にじぶんの特性を抑圧する必要はないだろうとおもっているんですが、その点は和合の精神だとおもいます。
和合というのは、仲良くすることという意味ですが、特に夫婦和合なんて言葉があって、男女が仲睦まじいという意味合いが強いようです。
これは日本特有の、ものごとをなあなあにすませるとか、いわゆる日和見なところにも通じるんですが、同時に性格のちがうもの同士が一緒に仲良くできるコツのようなものでもあるでしょう。
神道と仏教が習合したのも、和合のひとつのカタチといえます。
なので、ギズモさんのおっしゃる、欠けているところを合わせてよりよくする、というのはただしいとおもいます。
コメントの件ですが、それではいままで通りで、返信のペースを下げるということにしましょう。
ぼくはちょっと農閑期の間は、発信するよりもあたらしくなにかできることはないか模索したり、積みあがったゲームをする時間にあてようとおもっています。
おもいついたことは書き続けるつもりですが、いままでとはすこしペースが変わるとおもいます。
今後ともよろしくお願いいたします。
現代はその「らしさ」を抑制する社会になっているように感じています。
ぼくとしては、じぶん以外のだれかに「らしさ」を無理強いすることなく、マウントをとるようなことをしなければ、基本的にじぶんの特性を抑圧する必要はないだろうとおもっているんですが、その点は和合の精神だとおもいます。
和合というのは、仲良くすることという意味ですが、特に夫婦和合なんて言葉があって、男女が仲睦まじいという意味合いが強いようです。
これは日本特有の、ものごとをなあなあにすませるとか、いわゆる日和見なところにも通じるんですが、同時に性格のちがうもの同士が一緒に仲良くできるコツのようなものでもあるでしょう。
神道と仏教が習合したのも、和合のひとつのカタチといえます。
なので、ギズモさんのおっしゃる、欠けているところを合わせてよりよくする、というのはただしいとおもいます。
コメントの件ですが、それではいままで通りで、返信のペースを下げるということにしましょう。
ぼくはちょっと農閑期の間は、発信するよりもあたらしくなにかできることはないか模索したり、積みあがったゲームをする時間にあてようとおもっています。
おもいついたことは書き続けるつもりですが、いままでとはすこしペースが変わるとおもいます。
今後ともよろしくお願いいたします。
2023年11月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
私も、農園主さんのライフワークの書きものの場は、わけた方がいいと思います。
SNSの情報は、(たぶん)殆どが必要ないのに、その必要がないものに振り回されてしまい、精神的におかしくなることもあります。
おかしくならないとしても、よくない方向に影響され、時間の無駄と言えるかもしれません。
SNSの情報は、(たぶん)殆どが必要ないのに、その必要がないものに振り回されてしまい、精神的におかしくなることもあります。
おかしくならないとしても、よくない方向に影響され、時間の無駄と言えるかもしれません。
万博についてのご意見、本当に読みたかったです、残念。。
私の単純思考ですと、開催国がお金をかけたい気持ちは理解できますし、確かにお金もかかってしまうのでしょうが、規模を縮小してでも入館料を安くできないものかと思います。
お金がかかる、お金が足りない、という報道ばかりで、こういう内容を見てもらいたくて頑張ってます、
だからお金が必要です、というものが全然伝わってこないんですよね。
そういうことがしっかりと報道されれば、国民の気持ちも少しは変わってくるのではないか、と淡い期待ですが(笑)
国家の経済のところ、とてもわかりやすいです。
メディアがあおるというのも、本当に困ったものです。
国民の多くは、報道をほぼ無条件に信じてしまう傾向にあると思うのですが、
あおるだけでなく、伝えるべきことを報道しないということも往々にしてあり、メディアの在り方に疑問を感じます。
サトイモですが、年末が近く、なんとないあわただしさも関係あるのでしょうか。
時間が無駄、とか手間がかかると感じる時期なのかもしれませんね。
昨日、埼玉産のサトイモを買いましたが、土は洗ってあるものを買いました。
というより、泥付きのものはあまり見かけません。
泥付きゴボウも、いつもあるというものでもないです。
サトイモでもゴボウでも、皮をむいたものの売れ行きはいいようなので、どうしても便利な方が売れるのかもしれません。
でも、泥付きの方が、絶対おいしいですよね。
私の単純思考ですと、開催国がお金をかけたい気持ちは理解できますし、確かにお金もかかってしまうのでしょうが、規模を縮小してでも入館料を安くできないものかと思います。
お金がかかる、お金が足りない、という報道ばかりで、こういう内容を見てもらいたくて頑張ってます、
だからお金が必要です、というものが全然伝わってこないんですよね。
そういうことがしっかりと報道されれば、国民の気持ちも少しは変わってくるのではないか、と淡い期待ですが(笑)
国家の経済のところ、とてもわかりやすいです。
メディアがあおるというのも、本当に困ったものです。
国民の多くは、報道をほぼ無条件に信じてしまう傾向にあると思うのですが、
あおるだけでなく、伝えるべきことを報道しないということも往々にしてあり、メディアの在り方に疑問を感じます。
サトイモですが、年末が近く、なんとないあわただしさも関係あるのでしょうか。
時間が無駄、とか手間がかかると感じる時期なのかもしれませんね。
昨日、埼玉産のサトイモを買いましたが、土は洗ってあるものを買いました。
というより、泥付きのものはあまり見かけません。
泥付きゴボウも、いつもあるというものでもないです。
サトイモでもゴボウでも、皮をむいたものの売れ行きはいいようなので、どうしても便利な方が売れるのかもしれません。
でも、泥付きの方が、絶対おいしいですよね。
しかしいずれにせよSNSはもう、「変わらない居場所」にはなり得ないということはわかってしまったのだし、幻想を抱くのはよしたほうがいいのかもしれません。
ここでじぶんの暮らしの覚書をしながら、どこかで本格的にじぶんのライフワークになる書きものの場を設けるというのが、進むべき方向だろうとおもいます。
SNSの無尽蔵にわいてくる情報は、もうぼくの年齢では吸収しなくてもよいものがほとんどです。
これからは得る情報を取捨選択して、発信する立場にならないと。
ここでじぶんの暮らしの覚書をしながら、どこかで本格的にじぶんのライフワークになる書きものの場を設けるというのが、進むべき方向だろうとおもいます。
SNSの無尽蔵にわいてくる情報は、もうぼくの年齢では吸収しなくてもよいものがほとんどです。
これからは得る情報を取捨選択して、発信する立場にならないと。
https://www.gizmodo.jp/2023/11/bluesky-f...
ブルースカイなら、やるかもなあ。
ブルースカイなら、やるかもなあ。
10月中は、サトイモは洗わないで出荷しても売れていたのが、11月になると売り上げが落ちてきて、やっぱり洗うほうが売れるのかな、とやってみたら、やっぱり売れゆきがよくなりました。
ほんとうは土がついたままのほうが保存がきくし、こちらもとりあえずひと手間減るのでラクなんですが、洗ったほうが売れるのなら、洗います。
#野菜
ほんとうは土がついたままのほうが保存がきくし、こちらもとりあえずひと手間減るのでラクなんですが、洗ったほうが売れるのなら、洗います。
#野菜
1049
万博のことについてある程度書いたんですが、あまりにもひどい批判になってしまい、消しました(笑)
ごくカンタンに書くと、こう国民も諸外国もシラケてしまっている状況では、もうどうしようもないなあ、という感じです。
ところで、国家の経済を鶏と卵でいえば、政治は鶏で、国民(お金……かなあ)は卵です。
政府が主導してお金を刷って、国民に渡すわけですから、まず最初に政治が国民に対してお金を落とすわけです。
だから、政治は国民・市民のためになることであればどんどんお金をつかうべきであり、国民もそれはよろこんで許容すべきで、国民は税金を支払うことでお金を循環させていけばいい。
それがいまは、政治もケチなら国民もケチ。
「市民がこんなに苦しんでいるのに、政治がこんなムダ遣いをしていますよ」とあおるメディアもまるで貧乏神のようです。
政治と国民が、お互いウィンウィンの関係になるようにとおもったら、ひとつの大事を成し遂げるために生じる多少のムダには、お互いが寛容であるほうがよい、とおもっています。
万博のことについてある程度書いたんですが、あまりにもひどい批判になってしまい、消しました(笑)
ごくカンタンに書くと、こう国民も諸外国もシラケてしまっている状況では、もうどうしようもないなあ、という感じです。
ところで、国家の経済を鶏と卵でいえば、政治は鶏で、
政府が主導してお金を刷って、国民に渡すわけですから、まず最初に政治が国民に対してお金を落とすわけです。
だから、政治は国民・市民のためになることであればどんどんお金をつかうべきであり、国民もそれはよろこんで許容すべきで、国民は税金を支払うことでお金を循環させていけばいい。
それがいまは、政治もケチなら国民もケチ。
「市民がこんなに苦しんでいるのに、政治がこんなムダ遣いをしていますよ」とあおるメディアもまるで貧乏神のようです。
政治と国民が、お互いウィンウィンの関係になるようにとおもったら、ひとつの大事を成し遂げるために生じる多少のムダには、お互いが寛容であるほうがよい、とおもっています。
2023年10月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
きのう、いい具合に雨をもらって、これで今回の葉野菜も発芽してくれるなあ、とおもってたら、きょうはほとんど一日中の雨で、これはちょっと降りすぎ。
きょうは肌寒くて、季節がひとつ進んだ感じがあります。
#野菜
きょうは肌寒くて、季節がひとつ進んだ感じがあります。
#野菜
https://news.yahoo.co.jp/articles/578c19...
こんなニュースをみましてね。
ようするに、いまYouTubeのアドブロックを解除するように警告する流れがあります。
これはそのうち、広告(グーグルアドセンス)をみてくれないと、グーグルアカウントの利用の制限もありうる、といううわさが広まっているという話。
ネットフリックスも、最安のプランには広告がつくのだそうで。
この流れからいけばプライムビデオだって、そのうち広告がつくようになるでしょう。
いよいよ広告がうるさくなってきて、ぼくはぼちぼち、ネットと距離をおくことを真剣に考えなきゃいけない時期にきたのかなとおもっています。
星新一のショートショートに、このような現代を予感させる作品があります。
『妄想銀行』に収録されている『住宅問題』です。
初版発行はなんと1967年。
エヌ氏はある住宅に無料で住んでいるんですが、その家では、ありとあらゆる場所で広告が流れるようになっていて、家賃は広告のスポンサーによってまかなわれています。
うるさい広告に悩まされずにすむ、有料の住宅に住むことがエヌ氏の夢だ、という話。
現代のネット社会を予言する話ですが、ぼくがこの作品を読んだ1990年代には、おもしろくはあってもピンとこない作品でした。
というのも、家賃全体が広告でまかなわれるという極端な事例が、じぶんの身に起こりうる話だとおもえなかったからです。
あるいは、当時だったら、住宅に無料で住めるのなら広告をみるくらいかまわないじゃないか、とさえおもっていたところがあります。
テレビのCMを、お金を払えばカットしてくれる、というような時代でもありませんでしたしね。
星さんの感覚だと、そのような未来が見えているのだろうか、とおもっていましたが、ネット社会になってから、この予言は的中しているのではないかという気がしました。
いまとなっては、この半世紀以上前に書かれた作品は、じぶんの身にまさに起こっていることです。
#与太話
こんなニュースをみましてね。
ようするに、いまYouTubeのアドブロックを解除するように警告する流れがあります。
これはそのうち、広告(グーグルアドセンス)をみてくれないと、グーグルアカウントの利用の制限もありうる、といううわさが広まっているという話。
ネットフリックスも、最安のプランには広告がつくのだそうで。
この流れからいけばプライムビデオだって、そのうち広告がつくようになるでしょう。
いよいよ広告がうるさくなってきて、ぼくはぼちぼち、ネットと距離をおくことを真剣に考えなきゃいけない時期にきたのかなとおもっています。
星新一のショートショートに、このような現代を予感させる作品があります。
『妄想銀行』に収録されている『住宅問題』です。
初版発行はなんと1967年。
エヌ氏はある住宅に無料で住んでいるんですが、その家では、ありとあらゆる場所で広告が流れるようになっていて、家賃は広告のスポンサーによってまかなわれています。
うるさい広告に悩まされずにすむ、有料の住宅に住むことがエヌ氏の夢だ、という話。
現代のネット社会を予言する話ですが、ぼくがこの作品を読んだ1990年代には、おもしろくはあってもピンとこない作品でした。
というのも、家賃全体が広告でまかなわれるという極端な事例が、じぶんの身に起こりうる話だとおもえなかったからです。
あるいは、当時だったら、住宅に無料で住めるのなら広告をみるくらいかまわないじゃないか、とさえおもっていたところがあります。
テレビのCMを、お金を払えばカットしてくれる、というような時代でもありませんでしたしね。
星さんの感覚だと、そのような未来が見えているのだろうか、とおもっていましたが、ネット社会になってから、この予言は的中しているのではないかという気がしました。
いまとなっては、この半世紀以上前に書かれた作品は、じぶんの身にまさに起こっていることです。
#与太話
2023年9月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
アマプラでマトリックス・レザレクションズをみる。
わるい点
・ご都合主義的な展開。
・バーチャルの世界はなんでも暴力。夢の中で憎いあいつをしばく、みたいなことを延々やってる。。
・マトリックスでやったことを、もう一度やってる。
よい点
・お金がかかっていそう。
・ザ・ワールドが発動する。
・シナリオはちゃんとおもしろい。
・敵側のわるいところは、モブの命は使い捨て。味方側のよいところは、戦うことは厭わなくても、命を大事にする。
・中年のネオとトリニティがよい。
評価がイマイチな理由は、たとえるなら、過去にすごい流行った曲を、熟練の域に達したミュージシャンが、節回しを変えて歌うと腹立つ、みたいなところかなあ、と。
個人的には、よかったです。
マトリックス3部作は見ておく必要があります。
ED曲、あれ、これレイジ・アゲインスト・マシーンちゃうの、とおもって調べたら、ブラス・アゲインストというバンドが、レイジの「Wake Up」をカバーしたものらしい。
レイジ・アゲインスト・マシーンは、非常に独特なベースラインとリズムを持つバンドで、政治的なメッセージを怒りと情動で伝えてくるのですが、異様な人気を誇りました。
#与太話
わるい点
・ご都合主義的な展開。
・バーチャルの世界はなんでも暴力。夢の中で憎いあいつをしばく、みたいなことを延々やってる。。
・マトリックスでやったことを、もう一度やってる。
よい点
・お金がかかっていそう。
・ザ・ワールドが発動する。
・シナリオはちゃんとおもしろい。
・敵側のわるいところは、モブの命は使い捨て。味方側のよいところは、戦うことは厭わなくても、命を大事にする。
・中年のネオとトリニティがよい。
評価がイマイチな理由は、たとえるなら、過去にすごい流行った曲を、熟練の域に達したミュージシャンが、節回しを変えて歌うと腹立つ、みたいなところかなあ、と。
個人的には、よかったです。
マトリックス3部作は見ておく必要があります。
ED曲、あれ、これレイジ・アゲインスト・マシーンちゃうの、とおもって調べたら、ブラス・アゲインストというバンドが、レイジの「Wake Up」をカバーしたものらしい。
レイジ・アゲインスト・マシーンは、非常に独特なベースラインとリズムを持つバンドで、政治的なメッセージを怒りと情動で伝えてくるのですが、異様な人気を誇りました。
#与太話
うちの市は田舎ですが、それをいよいよ田舎寄りに向かっていったところにある、温泉がメインの温泉旅館は、むかし原発の補助金でつくられたもので、20年ほど前は300円で入湯できたらしいんですが、ぼくが移住したときは400円。
それがいまは600円で、値上げしても深刻な経営難のようです。
きょうこの温泉に行ったんですが、これまで月2回の休みだったのが、来月から毎週月曜日が休みになること、今後は温泉のみの運営で旅館と宴会のサービスは終了になるそうな。
ここの回数券をまだ15枚くらい持ってるんですが、なんだか早いところつかいきらないと、いつつぶれるかわからない感じ。
それで、帰りに寄った小さなスーパーは、我が家からいちばん近い、といっても車で10分ほどかかるんですが、来月の10日で閉店するんですよね。
こういう小さな、あんまり安売りもしないし、客もあんまり来ないような店が、地域で続けていくことができない、そういう余裕がない時代になってきたようです。
温泉もおなじで、こういうひなびたところまでガソリンをつかって、道楽を楽しむ人が減ってきた。
コロナのせいかなともおもいましたが、コロナはあくまで補助的に作用しただけで、たぶんこれは時間の問題だったでしょう。
まあ、きょうのように、家にいたらカラダにカビが生えてきそうなときに、おじさんが楽しめる道楽が、どうにも寂しいことになって、残念です。
#与太話
それがいまは600円で、値上げしても深刻な経営難のようです。
きょうこの温泉に行ったんですが、これまで月2回の休みだったのが、来月から毎週月曜日が休みになること、今後は温泉のみの運営で旅館と宴会のサービスは終了になるそうな。
ここの回数券をまだ15枚くらい持ってるんですが、なんだか早いところつかいきらないと、いつつぶれるかわからない感じ。
それで、帰りに寄った小さなスーパーは、我が家からいちばん近い、といっても車で10分ほどかかるんですが、来月の10日で閉店するんですよね。
こういう小さな、あんまり安売りもしないし、客もあんまり来ないような店が、地域で続けていくことができない、そういう余裕がない時代になってきたようです。
温泉もおなじで、こういうひなびたところまでガソリンをつかって、道楽を楽しむ人が減ってきた。
コロナのせいかなともおもいましたが、コロナはあくまで補助的に作用しただけで、たぶんこれは時間の問題だったでしょう。
まあ、きょうのように、家にいたらカラダにカビが生えてきそうなときに、おじさんが楽しめる道楽が、どうにも寂しいことになって、残念です。
#与太話
きのうからすこしずつズッキーニの収穫がはじまっています。
きのうは3つ。きょうは6つ。これからすこしずつ増えていきそうです。
オクラは安定して30袋ちょっと穫れていて、そこにイモヅルとつるむらさきが少量。
あともう少ししたらチンゲンサイの収穫も期待できそうですが、こちらは黒ワリフで軟弱に育っているので、どうなるかわかりません。
収穫後、まだ土がぬかるむ中、雑草が目立つ畑を無理やり中耕除草して、草刈りが必要な場所の草刈り。
じつはここ数日体調がわるくて、寝込むほどではないものの、畑仕事が気張れるほどではなかったもので、きょうはカラダがよく動いて助かりました。
#野菜
きのうは3つ。きょうは6つ。これからすこしずつ増えていきそうです。
オクラは安定して30袋ちょっと穫れていて、そこにイモヅルとつるむらさきが少量。
あともう少ししたらチンゲンサイの収穫も期待できそうですが、こちらは黒ワリフで軟弱に育っているので、どうなるかわかりません。
収穫後、まだ土がぬかるむ中、雑草が目立つ畑を無理やり中耕除草して、草刈りが必要な場所の草刈り。
じつはここ数日体調がわるくて、寝込むほどではないものの、畑仕事が気張れるほどではなかったもので、きょうはカラダがよく動いて助かりました。
#野菜
とても長い夢を見て、目が覚めて、スマホを確認して、まだ一時前だったことに衝撃を受けた記念書き込み。
なるほどまだ眠い。
なるほどまだ眠い。
2023年8月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
ズッキーニ、白い不織布をかけて育苗したのだけど、ちょっと徒長気味に育ちました。
あとは次にひと雨もらえるまで、水やりをして苗の活着をうながすのが仕事です。
たしか8月13日ごろに種まきした記憶があるんですが、発芽はあっというまで、台風が来る日にはもう頭を出しており、きょうは21日なので、約一週間でもう本葉が出ていました。
ほんとうは直播にすれば手間もコストも安上がりなんですが、天候的に考えて播種できたのが昨日だとちょっと遅いし、これでよかったんだとおもいます。
【補足】
72個のペーパーポットのうち欠株は2つでした。2列畝をつくって、余った穴が5つ。
ここに前回まききれなかった種を1~2粒ずつまいて、秋ズッキーニの種5袋ぶんをすべて消費します。
ムダがなくて上々です。
#野菜
あとは次にひと雨もらえるまで、水やりをして苗の活着をうながすのが仕事です。
たしか8月13日ごろに種まきした記憶があるんですが、発芽はあっというまで、台風が来る日にはもう頭を出しており、きょうは21日なので、約一週間でもう本葉が出ていました。
ほんとうは直播にすれば手間もコストも安上がりなんですが、天候的に考えて播種できたのが昨日だとちょっと遅いし、これでよかったんだとおもいます。
【補足】
72個のペーパーポットのうち欠株は2つでした。2列畝をつくって、余った穴が5つ。
ここに前回まききれなかった種を1~2粒ずつまいて、秋ズッキーニの種5袋ぶんをすべて消費します。
ムダがなくて上々です。
#野菜
2023年7月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
夏の第二弾ベカナとチンゲンサイの種まき。
よく照っているので、今後は水やりが欠かせません。
ちなみに第一弾はベカナが7割、チンゲンサイが4割の出来といったところ。
雨で土のコンディションがわるい中での畝だったので、想定の範囲内。
チンゲンサイはすこし発芽のコントロールがむずかしいですが、ベカナが好成績なので、このままうまく育ってくれればほんとうに助かります。
もしこの時期のベカナがうまく育てば、ほんとうに種袋どおり真冬を除いた周年栽培ができそうです。
#野菜
よく照っているので、今後は水やりが欠かせません。
ちなみに第一弾はベカナが7割、チンゲンサイが4割の出来といったところ。
雨で土のコンディションがわるい中での畝だったので、想定の範囲内。
チンゲンサイはすこし発芽のコントロールがむずかしいですが、ベカナが好成績なので、このままうまく育ってくれればほんとうに助かります。
もしこの時期のベカナがうまく育てば、ほんとうに種袋どおり真冬を除いた周年栽培ができそうです。
#野菜
【種袋に記載されている気候区分の考え方】
https://www.ohtashp.com/garden/01_classi...
https://note.com/nohen_saito/n/nb7297456...
上記ふたつの情報からみるに、種袋に書かれてある温暖地や暖地、寒冷地といった区分けは、日本地図を色分けした、あのざっくりした表記ではなく、平均気温から考える必要がありそうです。
たとえば当地では体感では冬にどっさり雪が積もる地域なので、寒冷地基準になるのではないかとおもっていたのですが、ちゃんと調べてみたらとんでもない。ほとんど暖地に近い温暖地でした。
うちのあたりは標高100mになるので、0.6度差し引いて、かろうじて温暖地基準での栽培が適しているようです。
意外だったのは、いまや温暖化の影響で本州の多くで「暖地」基準の栽培が適しているようになっていることです。
たとえば北陸の、福井県の敦賀や、石川県の金沢が温暖地ですらなく、暖地の気候分布になっていることは、種袋からはちょっと読み取れない事実だろうとおもいますし、種袋のあの日本地図の色分けはすでに時代が遅れてしまっている、ということになります。
#野菜
https://www.ohtashp.com/garden/01_classi...
https://note.com/nohen_saito/n/nb7297456...
上記ふたつの情報からみるに、種袋に書かれてある温暖地や暖地、寒冷地といった区分けは、日本地図を色分けした、あのざっくりした表記ではなく、平均気温から考える必要がありそうです。
たとえば当地では体感では冬にどっさり雪が積もる地域なので、寒冷地基準になるのではないかとおもっていたのですが、ちゃんと調べてみたらとんでもない。ほとんど暖地に近い温暖地でした。
うちのあたりは標高100mになるので、0.6度差し引いて、かろうじて温暖地基準での栽培が適しているようです。
意外だったのは、いまや温暖化の影響で本州の多くで「暖地」基準の栽培が適しているようになっていることです。
たとえば北陸の、福井県の敦賀や、石川県の金沢が温暖地ですらなく、暖地の気候分布になっていることは、種袋からはちょっと読み取れない事実だろうとおもいますし、種袋のあの日本地図の色分けはすでに時代が遅れてしまっている、ということになります。
#野菜
オクラが壊滅状態(最近獣害対策をしたおかげで、すこしだけ持ち直しつつある)で、ぼちぼちヒマになりそうで戦慄しているわけですが、いまのところベカナは苗がそこそこうまくできています。チンゲンサイは春に比べると発芽率が30%ほど劣る感じ。
あんまり日射がきついとあっという間にダメになるし、水やりが欠かせないし、強い雨にあたるとこれまた病気が多発するでしょうし、どう考えても夏の葉物栽培は難儀なんですが、ことしに限ってはともかく収入源になるものをすこしでも、というのと、来年以降の作付けの勉強に、転んでもタダでは起きぬ精神でおります。
あんまり日射がきついとあっという間にダメになるし、水やりが欠かせないし、強い雨にあたるとこれまた病気が多発するでしょうし、どう考えても夏の葉物栽培は難儀なんですが、ことしに限ってはともかく収入源になるものをすこしでも、というのと、来年以降の作付けの勉強に、転んでもタダでは起きぬ精神でおります。
https://www.asahi.com/articles/ASR7N6220...
Twitter社が、自治体のアカウントを凍結する例が相次いでいるそうです。
そのため災害の際の情報の発信が行えず、支障が出ているそうな。
「プラットフォームの悪用とスパムを禁止するルールに違反している」というのがその理由だというのですが、具体的な理由が伝えられることはなかったといいます。
自治体アカウントの凍結に限らず、このところのTwitter社の恣意的な運用にはあきれるほかありません。
この状況の意味するところは、もはやTwitter社はネット言論のインフラを請け負うつもりがないということであり、公器にもなりえないということです。
あるいは、そのように使いたいのであれば、しっかり金を払え、ということでもあるのでしょう。
そしてこの問題の論点はイーロンマスクがどうこうではなく、ビジネスなんだからお金を払うべきだというようなことでもありません。
企業によって運営されるSNSはすべて「じぶんたちの都合でいつでもはしごを外してくる」ということです。
もちろんこれまで自治体などが無防備に、Twitterのような責任の主体のないプラットフォームを情報インフラ代わりに利用してきたことがおかしいのですが、われわれ末端のユーザーもこういった問題の当事者です。
ぼくなどはべつに重要な情報を扱っているわけではないんですが、それでも7月頭にTwitter社がおこなった閲覧件数の一時制限以来、Twitterにじぶんの発言をあずけることが怖くなりました。
じぶんの発信したいことを安心して発信できる場を設けなければならないのではないかという焦燥感に駆られ、このような場所をつくるに至っています。
ここはSNSのような大勢の集いの場にはなりえないかもしれませんが、すくなくともじぶんの発信の自由は守られています。
なにをいおうが、恣意的に凍結されることはない、という自由を実感して、どうもやっぱり、近頃のSNSはおかしかったのだな、とおもう次第です。
#時事
Twitter社が、自治体のアカウントを凍結する例が相次いでいるそうです。
そのため災害の際の情報の発信が行えず、支障が出ているそうな。
「プラットフォームの悪用とスパムを禁止するルールに違反している」というのがその理由だというのですが、具体的な理由が伝えられることはなかったといいます。
自治体アカウントの凍結に限らず、このところのTwitter社の恣意的な運用にはあきれるほかありません。
この状況の意味するところは、もはやTwitter社はネット言論のインフラを請け負うつもりがないということであり、公器にもなりえないということです。
あるいは、そのように使いたいのであれば、しっかり金を払え、ということでもあるのでしょう。
そしてこの問題の論点はイーロンマスクがどうこうではなく、ビジネスなんだからお金を払うべきだというようなことでもありません。
企業によって運営されるSNSはすべて「じぶんたちの都合でいつでもはしごを外してくる」ということです。
もちろんこれまで自治体などが無防備に、Twitterのような責任の主体のないプラットフォームを情報インフラ代わりに利用してきたことがおかしいのですが、われわれ末端のユーザーもこういった問題の当事者です。
ぼくなどはべつに重要な情報を扱っているわけではないんですが、それでも7月頭にTwitter社がおこなった閲覧件数の一時制限以来、Twitterにじぶんの発言をあずけることが怖くなりました。
じぶんの発信したいことを安心して発信できる場を設けなければならないのではないかという焦燥感に駆られ、このような場所をつくるに至っています。
ここはSNSのような大勢の集いの場にはなりえないかもしれませんが、すくなくともじぶんの発信の自由は守られています。
なにをいおうが、恣意的に凍結されることはない、という自由を実感して、どうもやっぱり、近頃のSNSはおかしかったのだな、とおもう次第です。
#時事

