山麓王国

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ふと、當麻という言葉をみかけて、「あ」とおもいました。

去年ぼくは、奈良国立博物館で「中将姫と當麻曼荼羅 ―祈りが紡ぐ物語―」という特別展をやっているのを、その開催期間が終わった冬の農閑期に知って、歯噛みしたのです。

ものすごく興味があったんですが、なぜ興味があったのかということを説明するために避けて通れないのが、中将姫の物語です。

以下、仏教説話として知られる中将姫物語を要約しました。


奈良時代の貴族、藤原豊成の妻に女の子が生まれます。
紫陽花寺で有名な長谷寺に願をかけて生まれたことから、長谷姫と名付けられました。

その後豊成の妻が亡くなります。

長谷姫が6歳のときに豊成は後妻をめとるのですが、この後妻が非常に嫉妬深い性格でした。
長谷姫は聡明な美女だったために、この継母から虐待を受けます。

長谷姫は13歳の折に、朝廷でその才が認められ、中将の位を授かって内侍となり、中将姫と呼ばれるようになりました。

いよいよ嫉妬心を燃やした後妻は、家臣に命じて中将姫を殺害しようとします。
しかし中将姫の心根を知っている家臣には、殺すなどできようはずがありません。

中将姫は家臣に助けられ、宇陀の山中にかくまわれて暮らすことになりました。

豊成はその後姫を探し続けたのですが、翌年ようやく再開を果たします。
豊成は娘を都に連れて帰ろうとしたのですが、姫はそれを断り、仏門に入りたいと願い出ました。

豊成はその願いを受け入れて、當麻寺に姫を届けます。
中将姫は16歳になっていました。

それからというもの、姫は毎日仏道に励み、亡くなった母をおもい、じぶんも極楽浄土へとのおもいを募らせるようになります。

あるとき姫は仏の化身に出会い、蓮をたくさん集めなさいという啓示を受けます。
中将姫は方々に頼んでたくさんの蓮をあつめて、それを糸にしました。
するとまた仏の化身があらわれて、この糸を織り上げなさいという。

姫は一心に蓮糸をつむぎ、一夜のうちにすばらしい曼荼羅を作り上げました。

曼荼羅を完成させた中将姫は、29歳で極楽に往生したといいます。


藤原豊成は実在の朝廷高官でしたが、中将姫は実在した人物かどうか、さだかではありません。
当時、奈良から大阪の四天王寺にかけて、この手の仏教説話が多数つくられたようです。

継母にいじめられて家を追い出され、仏の功徳を受けるというパターンはほかにも「俊徳丸伝説」があって、どちらも物語の骨格の部分がとても似ています。

それはともかく、ぼくは子供のころ、東大阪市にある「大蓮」という地域に住んでいました。
近くの公園の土を30cmも掘ると水がわいてくるようなところでした。

いまは治水工事がなされていますが、むかしの大阪はどこもかしこも沼地で、田んぼとレンコン畑だらけだったという、その名残があったんですね。

最近になって知ったんですが、この大蓮という地名は、中将姫が蓮の糸を探したときに、とてもよい蓮がとれたことからその地名になったとのことでした。

知らず知らず中将姫の伝説に縁のあるところで暮らしていたのだな、と勝手に親近感をおぼえていたのです。

#与太話
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夏ならではの怖い話、といっても、ぼくはなにか、守られているとか、直感はあるのだけど、霊感はまったくないんで、その手の話はできません。

ただ最近、個人的に怖いとおもったことはあって、それはなにかというと。

寝ている間に怖い夢をみて、金縛りにあったりして、「助けてくれ」と言おうとしてもうまく声が出せず、ようやくなんとか声が出て、「助けてくれえ!!」と叫ぶ。

そんな経験、ありませんか?

一生懸命叫んだので、これでだれか助けてくれるんじゃないかと期待しながら、なんとか金縛りを解いて、フッと目が覚める。

しかしどうやらこのとき、「助けてくれ」の言葉は、実際には言葉になっていないらしいんですよ。

ぼく自身は、あれは現実の言葉になっているとおもい込んでいたのですが、実際はまったく言葉になっていないようです。

だから、すごい怖い夢をみても、一生懸命叫んでも、現実にはだれも助けにきてくれないんですよね。



ばあちゃんが亡くなる二日前のこと。

97歳のばあちゃんは、もう意識もほとんどなく、衰弱していたんですが、もう最後かもしれないと、親戚がみんなで集まってあれこれしゃべってたときに、ベッドに寝ているばあちゃんの指がとことこと動くのをみたんです。

なにか懐かしい声がするので、意識の反応があったのだろう、というくらいのことでした。


いまになって、もしかしたらばあちゃんは、夢の中で、なにかわれわれに向かって、言葉を叫んでいたのかもしれないなと、そんなことをおもったんですよね。

あの指の動きからばあちゃんの言葉を汲み取ってやることはできなかったものか、とおもうと同時に、じぶんが死ぬときも、もしかしたら、一生懸命叫んでるのにだれにも言葉が届いてないのかもしれないなとおもうと、背筋がキュッとなったんですよね。
#与太話
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こちら、「フルベッキ群像写真」といいます。

オランダの宣教師グイド・フルベッキが佐賀藩の藩校で学生と教師をあつめて撮影した写真で、明治初年頃のものといわれています。

……フルベッキですか。(なにかを想像しながら)
#与太話

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ふだん何気なくつかってる言葉が、じつは省略語で、意味がわからないということがあります。

回をわけて2例あげますが、今回は「祇園」。

祇園精舎の鐘の声、と平家物語の冒頭にありますが、祇園とは「祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)」の略。
ですから、省略せずにいうと「祇樹給孤独園精舎の鐘の声」になります。
漢字が多くてイヤになります。

祇樹というのは、ブッダがいたころのインドの、コーサラ国の祇陀太子(ジェータ太子)が所有していた樹林です。
祇陀太子の樹林だから、祇樹。

給孤独というのは、スダッタという金持ちのニックネーム。
漢字で書くと須達長者なんですが、孤独な貧民に施しを与えるような人だったそうで、そこで給孤独というニックネームがついたそうな。

精舎というのは修行する場所ということです。

この言葉が生まれた由来として、スダッタがブッダに入れ込んだあげく、ジェータ太子に頼み込んで巨額の私財を投じて樹林を買い取り、ブッダの修行の場所にしてくれと喜捨するんですね。

だから「祇樹給孤独園」は「祇陀太子の樹園を買った給孤独が、ブッダに捧げた修行の園」ということになります。
この言葉が省略されて祇園となったわけです。

ちなみにインドの祇園精舎は場所も特定されていて、グーグルマップにも載ってます。
https://www.google.com/maps/place/%E7%A5...

#与太話
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原題「The Homesman」、邦題が「ミッションワイルド」。

トミー・リー・ジョーンズが監督と主演を務めた映画で、きょうアマプラで3回目をみました。

3回見て、3回気づきがある映画です。

ネットのレビューなどでは、ペラペラの感想や説明であふれてますし、どういう映画なのか、よくわからないという人がほとんどだとおもうんですが、ストーリーについてはネットを調べれば出てきますから、ぼくは説明されていない部分を書きます。

これはアメリカの西部開拓時代において、社会がイケイケの開拓精神や資本主義、男尊女卑の抑圧とそれを黙殺する風潮に堕している。その堕落はプロテスタント教会も例外ではなく、だれも本来の崇高な精神を顧みることはない、という骨格の話です。

ほんとうの善性をもった信仰の人が、ほかならぬ神に打ちのめされるような話で、この映画は西部開拓時代ではあっても、既存のアングロサクソン賛美の勇ましい西部劇とは真逆の、アングロサクソンの開拓史の暗部を暴くような構成になっています。


ぼくは先日、ビッグモーターの件で「経済」「経営」の経という字は、お経とおなじ語源で、道理を意味する、といいました。45

じぶんの生活を実践するには道理が必要で、お金を扱うにも道理が必要。

その道理は、わが国においては仏教の「経」が負担していて、近代資本主義の礎であるヨーロッパ、アメリカではキリスト教の敬虔さが、「金がすべてさヒャッハー!」みたいな実際主義的な暴走を止めていた。

……ところが、ほんとうは、止められなかったんですよね(笑)
止められているなら、現代にビッグモーターの問題などは起こりません。

資本主義はルール無用の奪い合いであり、主義を前にすると道理は踏みつけにされます。

西部時代のアメリカはみな開拓と資本主義に狂っていて、まっとうに信仰し、まっとうにお金を運用し、その地に根付いて生きようとする人を退屈だと言い、みななにか空虚な成功を夢見ている。

主人公のヒラリー・スワンクと、心を病んだ女性たち以外は、すべてがこの手の人間で、唯一小悪党のトミー・リー・ジョーンズが実際主義からすこし改心しかかるのですが、やっぱり最後は拳銃ぶっぱなしながら、資本主義と開拓精神の熱狂に戻っていくのです。

そのあたりがわかったうえであの作品をみると、みえてくるものがまるで違ってくるという、そういうタイプの映画です。

#与太話
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ホームページの宿命で、ほっとくと返信のラリーはどんどん長くなっていきます。

もしホームページのコミュニティを広げたら、返信のリソースがたいへんなことになっちゃうぞ、というおかしな焦燥感とともに、じゃあコミュニケーションをはしょるかというと、それはどうもホームページの道義に反するという、これまたおかしなジレンマが起こってしまう。

まあ、ホームページの道義ってなんなんだ、という話なんですけども(笑)

それでも、どうしてもこの点が割り切れなくて苦しむ、ということを、20年前にもやっていたなあ、とほほえましく懐古するきょうこのごろ。


ホームページが衰退していった原因のひとつは、本筋から離れたリソースが増大していく、という点だったとおもいます。

ただ日常を語りたいだけなのに、最低限のプログラムの知識が必要だったり、いいねですませられないからコミュニケーションがどんどんふくらんでいく。
管理人の性質に合わせてホームページのルールなるものがどんどん増えて、立て看板だらけになっていく。
その点、システムの保守管理をしてくれているブログやSNSと比べて、ホームページ時代は非効率的でした。

でもいまぼくは、やっぱりこの非効率が大事だったんだ、と考え直しています。


生活が効率的であるということは一種の快楽ではあるので、頭ごなしに否定はできませんけど、じつは人間自体は非効率的な生き物です。

現代は効率を求める快楽に向かいすぎて、非効率を愛する視座が欠けているようにおもえるんですよね。

あんまりいまこの瞬間の効率性だけを求めすぎると、子供をもうけるのだって非効率的だ、子供にじぶんの生活の足を引っ張られる、みたいな極端な考えに行きつきそうだし、実際少子化という現象はそういうことだとおもいます。
ぼく自身、ここまで極端ではなくても、家庭がないことの背景に、非効率を愛せなかったじぶんがいるような気がしてなりません。

しかしぼくはもう、これから日を追うごとに非効率的で非生産的な、孤独なジイさんに向かっていくわけですから、せめてこれからは、この採算の取れない「お祭りの場所」(楽しいけど生産性のない場所)を愛することで、活路を見出そうじゃないかという、淡い期待を寄せているのです(笑)

#与太話
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『浮雲』というタイトルの小説を、二葉亭四迷は明治20年に、昭和24年には林芙美子が書いています。
で、ぼくはどちらも読んだことがありません。

だから、知らないのをいいことにこれからものすごくうるさいことを書き連ねますが、まずぼくはいままで、浮いていない雲を見たことがないんですよ。

「頭痛が痛い」みたいなもので、雲はそもそも浮いてるのに、わざわざ念を押すように浮雲という意味がどこにあるのか、と。

しかしふと気になって、浮くの対義語である「沈む」から、「沈雲」なんて言葉はあるのだろうか、と調べてみました。

これがあったんですよね。

「垂れこめる雲」という意味合いなんだそうで、沈雲(ちんうん)なんていわれると、不肖のおじさんは下品なことしかおもい浮かばないんですが、ともかく雲は常態として浮かびながら、さらに浮いたり沈んだりしてみえるようで、わざわざ雲の浮かび方に対してそういうまわりくどい言葉が用意されている。

たぶん、浮雲は「ふわふわと軽い雲」、沈雲は「どんよりと重い雲」というようなニュアンスなのだろうとはわかってるんですよ。

しかしそれだとまたぼくみたいなヒネクレモノは、
「浮いている雲の軽い重いなんて、どうやって計るのですか( ー`дー´)キリッ」
なんて考え始めるわけです。

しかしそんなことを言いはじめたら、「青雲のこころざし」なんていうけど、ぼかぁ青い空はみたことがあっても、青い雲は見たことがないのですよ。

そんな感じで雲に対してウザ絡みしているうちにメンドウになって、あーあ、二葉亭四迷もこの際小説のタイトルを『雲』にしといてくれりゃ、こんなことを気にしなくてすんだのにと無茶苦茶な八つ当たりをする始末。

ね、ものすごくうるさい話だったでしょう(笑)

#与太話
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ちょうどブラタモリをみていて「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」という俳句が出てきたんですが、ドナルド・キーンという日本文学の屈指の評論家はこの句に対して、すごいことをいいました。

まず、この俳句には、母音が i になる言葉が7つもあるというんですね。

「し」ずかさや 「い」わ「に」「し」「み」「い」る せ「み」のこえ

で、セミの鳴き声はミーンミーンですが、「min min」ですから、母音は i なんです。

つまり、芭蕉はこの句を詠む際に、セミの鳴き声の i を意識して、母音が i になる言葉を多用したという分析をするんですね。

ぼくはこれを聞いたときに、ドナルド・キーンの分析力のすごさはもちろん、俳句という文芸はもう江戸時代に完成されていて、たった17文字の芸術がやれることは、早々に頭打ちになっていたのだとぼうぜんとしたものです。
#与太話
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若いころ、親父の年相応のたるんだ手の甲をみて、じぶんもこうなるという道筋はわかっていても、それが頭で上手に処理できずにいたのだけど、45のぼくの手の甲はしっかり当時の親父のごとく、たるんできているのです。
そしてそれは、じぶんの手の甲を目にしたとたん、なんだそんなもんか、という、ほとんど無関心に近い心境で受け止めていて、同時にそれは、当時の親父もきっとそうだったのだと気づくのです。
#与太話
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https://news.yahoo.co.jp/articles/2d553e...
このニュースの内容。
ようするに、この44歳の男、じぶんの車のバンパーに上向きに取り付けたカメラで、狭い住宅街を徐行して走行し、女性のスカートの中を盗撮していたそうで、自宅には5TBのハードディスクが30個あったのだそうな。

いやあ、「浜の真砂は尽きるとも 世に変態の種は尽きまじ」とはよく言ったものです。←言わない

#与太話
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天気予報によると、晴れるのはきょうまでで、また明日にはまとまった雨が降るようです。
水はけのわるいうちの畑は、これだけカンカン照りになったにもかかわらず、まだ畑の一部に水が残っているほどで、水が乾くより先にまた雨というので、もううんざり。

で、いま「うんざり」という言葉を書きながら、うんざりとはなんというヘンテコな言葉だろう、とおもっていました。
「倦んずあり」から変化したというのだけど、であれば「ウンズァリ」くらいの発音がいいんじゃないか、とおもって、ひとりでつぶやいてみたら、じぶんがとんでもない阿呆になったような気がして、たいへん楽しかったです。
#与太話

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