山麓王国

No.1519

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今回のギズモさんへの返信は最後に書かせていただきます。

まずは前回の続きをどうぞ。



(前回の続き)

ロゴセラピーで伝えているふたつの実践方法が、般若心経と似ているという話でした。

ロゴセラピーが伝えていることのひとつは、じぶんが恐れることに、ユーモアをもってあえてぶつかってみること。

たとえば、人前でしゃべるのが恐い、言葉が出てこなくなる、顔が赤くなる、というような場合は、

「よし、きょうは盛大にどもって、赤鬼みたいに顔を真っ赤にして、みんなを大笑いさせてやろうじゃないか」

というような感じで、あえてじぶんがおそれることに突っ込んでいくのです。

このときに大事なのが、じぶんという人間からあえて距離をとることです。

ロゴセラピーでは「自己距離化」というようです。

じぶんの置かれている状況や、じぶんの肉体や精神から、距離を置くために、ユーモアを積極的に利用するんですね。



この自己距離化は、ヴィクトール・フランクルが師事していたフロイトも似たことを言っています。

ドイツ語でガルゲンフモール(Galgenhumor)というのですが、日本語にすると、「絞首台のユーモア」あるいは「曳かれ者の小唄」なんていわれたりもするようです。

Galgen が絞首台で、humorがユーモアですね。

ある月曜日、絞首台に曳かれていく罪人が、「ああ、今週もいいことがありそうだ」と言ったというのです。

今週にいいことがあろうとなかろうと、もうこの罪人はいま絞首台で首をくくられて死ぬわけですから、かれは冗談(ユーモア)を言ったのです。

もちろん強がりなんですが、これが大事なんだとフロイトはいいました。

ユーモアによってじぶんから距離を置くことで、恐怖から自我の崩壊を防ぐ効果があるというのです。

おもうようにならない現実が目の前にあるのだけど、その状況にじぶんが屈することなく、主体的に生きるためには、ユーモアが必要だというわけです。

ヴィクトール・フランクルも実際に収容所の中で、このユーモアによる自己距離化を実践していたといいます。

さすがに絞首台のユーモアやホロコーストは極端な例ですが、ロゴセラピーの場合、ユーモアをもって日常の困難に立ち向かうことで、生きる不安を解消していくことができるといいます。



もうひとつは、過ぎ去った過去や、まだきていない未来を意識せず、いまやるべきことに集中しようというものです。

人間はじぶんの行動をいちいち反省しすぎてしまうことがあるので、過去に起こったこと、未来に起こるであろうことと距離を置いて、いま現在やるべきことに集中する。

ロゴセラピーの実践的な部分だけを切り抜くと、このふたつだけなんですね。



般若心経がじぶんや煩悩を捨てて修行をしろというのと、生きる不安を解消するためにじぶんから距離を置こうとするロゴセラピーとは、共通点があるとおもいます。

じぶんに執着しすぎると、かえってよくない、という点です。

意識がすべてだという唯識の思想は正しくて、われわれは生きている限りじぶんの意識から逃れることができません。

われわれが見ている景色だって、われわれに起こる出来事だって、それはじぶんがあるからこそ感じるのであって、それはふだんは、とてもありがたいことです。

けれど、肉体が痛みに支配されたり、社会から迫害を受けたり、死が近づいて苦しみばかりの状況になったら、今度はこの意識が邪魔になってきます。

そうすると今度は、逆にじぶんから距離を置いて、じぶんの意識を切り離す努力をしないと、苦しみに耐えられなくなる、というわけです。



これまでの話をまとめてみます。

般若心経は人間の意識を切り離して、無と無限(宇宙)に同化することが大事だ、という思想に至りました。

しかし個々の人間がどう生きるべきかということまでは示しませんでした。

日本の仏教の場合、それを補完したのが日蓮宗です。

しかし日蓮宗の考え方も、人々が社会のために奉仕することで、社会の人々を救うのだとは言いましたが、個々人が幸せに生きる方法については教えてくれませんでした。



というのも、近代以前の社会では、みんな生きることに必死で、それ以上の幸せを考えている余裕はなかったし、いまよりもずっと、差し迫ったところに死があったんですよね。

だから当時の人々は、みんな死に方ばかりを考えました。武士は立派な死に方を求めたし、浄土宗はあの世に救いを求めました。

これは日本だけではなく、世界中そうだったとおもいますし、日蓮宗のような考え方のほうが、めずらしかったとおもいます。

みんなあまり、生きていること自体に意味を求めたりはしなかったんです。




それが近代西洋で産業革命が起こり、社会が大きくなり、爆発的な豊かさが得られるようになりました。

そこで合理主義が台頭すると同時に、ようやくひとりひとりの幸福を追求していく思想が生まれます。

実存主義では、人間には明確な価値があると主張して、社会の役に立つことでじぶんの価値を高めるべきだと主張しました。

ヴィクトール・フランクルはさらにそこから、人間の生きる苦しみに対処するための実践法をロゴセラピーというカタチで提示します。

たとえば現代では、たとえば手術をするときには麻酔をつかうし、がんで肉体に痛みが出て耐えられない場合も、モルヒネなどをもちいて緩和ケアをおこないますよね。

肉体と苦しみを切り離す技術が、科学的にも確立したわけですが、こういうことはやはり、豊かさという土台がなければ成り立たないことだとおもいます。

その点では、やはり実存主義は人々を救済しているとおもいます。



どうしても人間が生きる意味についてまで説明したかったために、ギズモさんとの対話の腰を折る格好になって申し訳ないです。

では最終的に、ぼくはこの一連の思想をどう理解したか、ということなんですが、こう考えるのがバランスがよいのではないかとおもいます。



ぼくは、元気でいる間は実存主義的にものを考えるのがよいとおもいます。

社会のためになるように努力をし、社会の中に居場所をみつけて、よりどころにする。

生きる意味は、向こうからやってくるのではなくて、じぶんから見つけていくものだ、という考え方ですね。

しかしじぶんがたとえ元気であっても、ホロコーストや、いわれなき差別のようなカタチで、じぶんが社会から迫害されて、仲間外れにされてしまうこともあるでしょう。

そうすると、いくら元気でも社会の役に立てず、じぶんの存在意義を見失うかもしれません。

そういうときは、ロゴセラピーを利用して、ユーモアと自己距離化によってじぶんの精神を維持しなくてはならないでしょう。



では、肉体が衰えて社会の役に立てなくなったり、あとは死を待つだけ、という状況になればどうするか。

もちろんそんな中でも、せめてじぶんにできることはないかという模索はするとおもいます。

しかし人間、肉体や精神がいうことをきかなければどうしようもありません。

そうなったときは、もはや実存主義に頼る段階は過ぎています。

そうなれば、神仏に救われることを祈ることになるでしょう。

死ねばみな救われる、という宗教はここにきて役に立ちます。

ぼくとしては特定の信心を持たないので、じぶんが死ねば宇宙のエレメントになるのだという考えを支持します。

いずれにせよ、死ねばこの肉体のとらわれから救われるのは間違いありません。

このようにして、今回話した思想は、じぶんが生きるステージによって変化していきます。

この地図があれば、われわれが生きて、そして死ぬことの見通しが立つのではないでしょうか。

というわけで、長かった話もこれでおしまいです(笑)

お付き合いいただいてありがとうございました。



(前回の投稿への返信)

宗教とは人が集まって支え合うシステムのようなものだとおもいますが、「本人の達成感、熱意、宗教への熱い思い」は、その根幹をなすとおもいます。

欲徳がらみでない熱意は、ほんとうに大事だとおもいます。

おそらくいまここでわれわれが話しているようなことも、宗教や信仰の集会に近いものだとおもいますし、かなり深いところまで理解を進めているとおもうんですが、なぜこれが成立するかというと、お互いに欲徳がからんでおらず、忖度のない関係だからだとおもいます。

けれど、もちろん宗教の集会のように「ある目的をもって人が集まる」中で、心のとらわれが解放されていくこともあるでしょう。

満たされないおもいがあったときに、べつの目標を達成しようとすることで、心を満たそうとする行動を、心理学的には、「代償行動」というのだそうです。

以前にも言ったとおもうのですが、ギズモさんにとって、たいへんな時期に信仰とその仲間が代償的に作用して、心の安定が得られたのであれば、それはなによりだったとおもいます。



じぶんが「生かされている」という感覚ですが、大事だとおもいます。

じぶんがいま主体的に……つまり実存主義的に生きていると、「生かされている」という感覚は薄れていきますよね。

けど、人間はずっと実存を保っていることはできません。つまり、衰えるし、死にます。

人間はじぶんの衰えや死を予測できる生き物なので、いつまでも主体的に社会の主人公でいられるわけではないことを知っています。

だからこそ、大いなるなにかに「生かされている」という敬虔な考えは、元気なときにこそしっかり意識しておく必要があるんですよね。

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