No.1533
先日のパワーテープ、しばらくつけてるんですが、日が経つにしたがってじんわりと効果を実感しています。
これはチタンが入っているということですが、そういえばうちの祖母が高齢になって骨折したときに、太ももにチタンを入れて補強したんです。
あれはもしかしたらものすごいこりほぐし効果があったのではないかと、どうでもいいことを考えていたんですが、磁石にせよチタンにせよ、おもいもよらないところでじぶんのカラダの役に立つんだなあと感心しています。
今回、かなり長い返信になりましたが、一回で投稿してしまいます。
ぜひゆっくりご覧ください(笑)
前々回の返信として考えていたのは、「虐待は反動の連鎖を生む」ということでした。
たとえば子供を虐待すると、その子供は虐待から逃れる方法を考えるのと同時に、じぶんに与えられた抑圧を他者(弱者)に与えてバランスをとろうとします。
親がやっているわるいことを子供もしたいとおもうように、じぶんが受けている虐待は不快で苦しいものだとわかっていながら、他人におなじことをしなければ気がすまない、という情動です。
子供は親の轍を踏むまいとはおもってるんです。
しかし親に対する反動の気分はあるものの、それがどういうカタチであらわれるかというと、たとえばグレるであるとか、家を出るであるとか、バイクで暴走行為をするとか、いわゆる非行に走るんですね。
その過程で、同級生をいじめるであるとか、じぶんがされていることを弱いものに対して行う、というような、おかしなことになってしまう。
最悪、じぶんの子供にまた虐待を加えてしまう、という場合もあるでしょう。
子供はまだ理性で行動を制御することができませんから、ほんとうは親の側が虐待をすれば子供がどうなるか、わかっていなければならないんですが、親も20代あたりだとまだなかなか気づけないことかもしれません。
結局、この連鎖を断ち切るには、じぶんは親から虐待を受けたけど、もうじぶんで終わりにしようという決意が必要だとおもいます。
じぶんはひどい虐待を受けたのに、だれにもやり返すことをせず、じぶんだけが損な役回りになる不平等を、理性で納得して、心の平和を求めていくのでないと、いつまでも修羅の道を行かねばならないんですね。
しかしそういう考えに至るにも非常に多くの経験値が必要ですから、いままさに虐待を受けている子供にそのような理屈を説いても、残念ながら上滑りするだけでしょう。
スサノオと氷川信仰について、あらためていろいろ調べてみました。
そこで以前と話が食い違ってしまって申し訳ないんですが、いままで理解しきれていなかったところが理解できたので、ここに書いてみます。
なにが食い違っていたかというと、スサノオとひと言でいっても、じつは「各神社がスサノオのどの神話を信じているかはちがう」という点が、以前の話ではごちゃ混ぜになってしまっていたということです。
つまり、牛頭天王とスサノオが結びつくタイプの神社と、ヤマタノオロチ伝説のスサノオが結びつくタイプの神社があるということです。
氷川神社は後者なんですね。
以前お話したことと重なる部分があるとおもいますが、まず、スサノオと牛頭天王は、本地垂迹(神仏習合)と深いかかわりがあります。
これは蘇民将来の伝説が根っこにあるんです。
備後国風土記という、奈良時代初期に書かれたという地誌がありました。
これは現在では失われており、どのようなことが書かれていたのかわかりません。
しかし鎌倉時代の「釈日本紀」で、この備後国風土記に書かれていたこととして、蘇民将来とスサノオの伝説が書かれているのです。
その伝説とは、このようなものです。
北の海におわした武塔の神が、南の海に住む女神に会いに行く途中で、日が暮れました。
その地にはふたりの蘇民将来が暮らしていました。
兄の蘇民将来はひどく貧しく、弟の蘇民将来はたいへん裕福でした。
武塔の神は一夜の宿を借りるため、まず弟の蘇民将来のところへ行ったのですが、弟は宿を貸すことを惜しんで、武塔の神を追い出してしまいました。
それで兄の蘇民将来のところへ行くと、貧しい中でも粟柄(粟の収穫を終えた茎)を座布団として、粟飯を炊いて武塔の神にたてまつり、一夜の宿を与えたのです。
翌朝、武塔神は南海に向けて旅立ちました。
しかし年を経て、武塔神が八柱の子を率いて戻ってきます。
武塔神は兄の蘇民将来のもとを訪れて、言いました。
「わたしはおまえの弟に報いを与えるために戻ってきた。汝の家に子はいるか」
「娘と妻がおります」
「それでは茅の輪をつくり、腰に付けさせよ」
兄の蘇民将来はそのとおりにしました。
その夜。
娘ひとりをおいて、武塔神はその地をことごとく打ち滅ぼしてしまいました。
(なぜ蘇民の娘ひとりだけを救ったのか、家族を救わなかったのか、原文には書かれていません)
武塔神が言いました。
「わたしは速須佐雄(はやすさのお)の神である。これより後、世に疫病が流行れば、蘇民将来の子孫であるといって、茅の輪を腰につけていれば災いを免れるだろう」
……これで話はおしまいです。
北の海にいた武塔の神を、大陸からきた神として、神仏習合の時代になって、祇園精舎の守護神であった牛頭天王とむすびつけたんですね。
そして「スサノオ = 牛頭天王」は疫病を退散させるチカラをもつ荒ぶる神として位置づけられます。
また、茅の輪で疫病を防ぐというくだりと、薬師如来がむすびついてくるんですね。
この「スサノオ = 牛頭天王」の流れを直接的につないでいる代表的な神社といえば八坂神社でしょう。
八坂神社は江戸時代以前には祇園社と呼ばれていました。
祭神は牛頭天王(スサノオ)と八柱の子です。
しかし「祇園社」という名前はまさに神仏習合で、これは明治時代の神仏分離によって、ダメだということになったんですね。
いま、八坂神社で祇園祭が行われていますが、祇園という名に、むかしの名残があります。
祇園祭は、荒ぶる神を鎮めるお祭りであるのと同時に、疫病を退散させるためのお祭りでもあります。
またスサノオを祭神とする神社以外でも、夏越の祓になると茅の輪くぐりをしているところがありますが、あれも蘇民将来の伝説からきている厄除けのイベントですね。
あと有名なところだと、岩手県の蘇民祭もこの伝説がもとになっているのですが、こちらは伝説がすこし脚色されており、弟の裕福なほうの蘇民将来は「巨丹将来」と呼ばれていたりします。
蘇民祭は複数の寺で行われていて、いちばん有名だったのが黒石寺の蘇民祭だったらしいのですが、ここでは武塔の神は薬師如来であったといわれています。
しかし、氷川信仰の場合は、蘇民将来の伝説で考えるよりは「水神である氷川大神と、出雲地方でヤマタノオロチを退治したときのスサノオ」で考えるのがスッキリします。
氷川神社では古くから主祭神はスサノオではあったんですが、途中でこれが「氷川の大明神」、「氷川大神」という総合的な存在に変化するんです。
そして江戸末期に神仏分離の気風が高まると、あらためて祭神はスサノオであると決められます(ほかにクシナダヒメ・オオナムチが並びます。オオナムチは若いころのオオクニヌシです)。
これは以前、ギズモさんが富士山の浅間神社に奉られていたのは浅間大神であったとお話いただいたことと似ています。
その土地と結びついた独自の祭神があって、それが後世に神道の神とむすびつくパターンですね。
浅間神社の場合はかぐや姫と浅間大神が同一視されていて、これがコノハナサクヤヒメとむすびつきました。
氷川大神の場合は、かなり複合的なんですが、まず氷川という語源をたどってみましょう。
氷川の語源は、島根県の奥出雲にある斐伊川だといいます。
出雲には因幡の白兎伝説などの出雲神話がありますが、スサノオがヤマタノオロチを退治した場所でもあります。
ヤマタノオロチについては、島根の山々で行われていた「たたら製鉄」の赤いあかりが夜に灯っている、その不気味な様子を大蛇にたとえたという説があります。
つまり、たたら製鉄利権を牛耳っているその地の連中をヤマタノオロチに見立てて、スサノオという朝廷側の荒神が、これをたたきつぶして支配した、という物語ですね。
またべつの説では、暴れ川である斐伊川を、多くの支流なども含めて大蛇に見立てて、これをスサノオが鎮めたという伝説です。
氷川信仰は、この後者の斐伊川の伝説がもとになっているようです。
およそ1500年前に氷川神社が創建されるまでの歴史については、島根県にいた出雲族が関東の荒川のあたりに入植し、根付いたことに始まるといわれています。
つまり出雲族がスサノオのヤマタノオロチ神話を荒川と結び付けて、氷川信仰を生み出したということのようです。
東京と埼玉にかけて約280社もあるという氷川神社は、荒川の流域に集中しています。
むかしの荒川はその名の通りの暴れ川で、農業に多大な恩恵をもたらすのと同時に、ときにひどい暴れ方をして人々の生活を破壊してしまいます。
流域に暮らす人々は、荒川のもたらす恩恵と破壊に、感謝と畏怖の念を抱いていたことでしょう。
出雲族の斐伊川に基づくヤマタノオロチ退治の伝説に、土着の自然信仰(アニミズム)が加わり、さらに神仏習合の影響があって、氷川大神にむすびつくんですね。
祭神は延喜式のころからスサノオだったようなのですが、神仏習合の影響を受けてあいまいになります。
江戸時代まで大宮氷川神社の参道には「氷川大明神」「本地聖観音」といった石碑が立っていたようです。
ちなみに「本地聖観音」とは、本地垂迹(神仏習合)による聖なる観音という意味です。
観音という、女性を匂わせる仏様であることは、あとでちょっとポイントになります。
ともあれ、江戸時代末期にスサノオをあらためて明確に祭神と決めるまでは、総じて氷川大神という、土着の神に近い存在が崇められていたようです。
そのように考えていくと、氷川信仰におけるスサノオの場合は、おなじスサノオでも蘇民将来の伝説とは関連性が薄いようです。
では氷川大神とはなんなのかというと、個人的には水神だとおもいます。しかも、男の神様でもあり、女の神様でもある感じです。
荒川の荒ぶる水神として、ヤマタノオロチを鎮めたスサノオがまずイメージされます。
そこに農耕神としてのクシナダヒメが女神として加わります。
大宮氷川神社は男体社といわれるそうですが、さいたま市緑区には氷川女体神社があるそうですね。
その主祭神はクシナダヒメで、男女を区分けしているのは、荒ぶる川と恵みの川をそれぞれ男女に見立てたということでしょう。
そして観音というすこし女性的な、両性を有するような仏になったのも、荒川を男と女に見立てる観念があったことと無縁でないようにおもえます。
さらにいえば、観音信仰は薬師如来とおなじく救済や現世利益をつかさどる仏様なんですよね。
最後に不思議な神様をひとり紹介します。
スサノオの孫と結婚した、その名も「日河比売(ヒカワヒメ)」という女神がいるんです。
この日河比売の神格は水神です。
系譜の面でもスサノオの孫と結びつくわけで、日河比売は氷川信仰となんらかのつながりがあるのではないかといわれています。
おそらくこういった出雲の神話、神仏が複合的に組み合わさって、氷川神社の信仰がつながれてきたのでしょう。
「氷川神社は最強では?」というギズモさんのお考えですが、荒川周辺の信仰のありようの強さという意味では、たしかに相当なものです。
というのも、地域一帯でこれほど単一的に崇められている神というのはめずらしいのではないでしょうか。
ぼくは常々、神社はその地にいた人々のおもいの歴史が重なっていることが大事だとおもっています。
歴史の縦軸において、水害が多く農業的な恵みも多かったであろうこの土地で、氷川大神への信仰をつないできた人々の願いやおもいは、おろそかにできません。
いわゆるパワースポットとは、「霊的ななにかを感じる場所」みたいなあやふやなものではないとおもっていて、その地をつないできた過去の人々(と現代のわれわれ)の気持ちの強さだとおもいます。
その点で氷川神社はとても大きなチカラのある神社だとおもいます。
これはチタンが入っているということですが、そういえばうちの祖母が高齢になって骨折したときに、太ももにチタンを入れて補強したんです。
あれはもしかしたらものすごいこりほぐし効果があったのではないかと、どうでもいいことを考えていたんですが、磁石にせよチタンにせよ、おもいもよらないところでじぶんのカラダの役に立つんだなあと感心しています。
今回、かなり長い返信になりましたが、一回で投稿してしまいます。
ぜひゆっくりご覧ください(笑)
前々回の返信として考えていたのは、「虐待は反動の連鎖を生む」ということでした。
たとえば子供を虐待すると、その子供は虐待から逃れる方法を考えるのと同時に、じぶんに与えられた抑圧を他者(弱者)に与えてバランスをとろうとします。
親がやっているわるいことを子供もしたいとおもうように、じぶんが受けている虐待は不快で苦しいものだとわかっていながら、他人におなじことをしなければ気がすまない、という情動です。
子供は親の轍を踏むまいとはおもってるんです。
しかし親に対する反動の気分はあるものの、それがどういうカタチであらわれるかというと、たとえばグレるであるとか、家を出るであるとか、バイクで暴走行為をするとか、いわゆる非行に走るんですね。
その過程で、同級生をいじめるであるとか、じぶんがされていることを弱いものに対して行う、というような、おかしなことになってしまう。
最悪、じぶんの子供にまた虐待を加えてしまう、という場合もあるでしょう。
子供はまだ理性で行動を制御することができませんから、ほんとうは親の側が虐待をすれば子供がどうなるか、わかっていなければならないんですが、親も20代あたりだとまだなかなか気づけないことかもしれません。
結局、この連鎖を断ち切るには、じぶんは親から虐待を受けたけど、もうじぶんで終わりにしようという決意が必要だとおもいます。
じぶんはひどい虐待を受けたのに、だれにもやり返すことをせず、じぶんだけが損な役回りになる不平等を、理性で納得して、心の平和を求めていくのでないと、いつまでも修羅の道を行かねばならないんですね。
しかしそういう考えに至るにも非常に多くの経験値が必要ですから、いままさに虐待を受けている子供にそのような理屈を説いても、残念ながら上滑りするだけでしょう。
スサノオと氷川信仰について、あらためていろいろ調べてみました。
そこで以前と話が食い違ってしまって申し訳ないんですが、いままで理解しきれていなかったところが理解できたので、ここに書いてみます。
なにが食い違っていたかというと、スサノオとひと言でいっても、じつは「各神社がスサノオのどの神話を信じているかはちがう」という点が、以前の話ではごちゃ混ぜになってしまっていたということです。
つまり、牛頭天王とスサノオが結びつくタイプの神社と、ヤマタノオロチ伝説のスサノオが結びつくタイプの神社があるということです。
氷川神社は後者なんですね。
以前お話したことと重なる部分があるとおもいますが、まず、スサノオと牛頭天王は、本地垂迹(神仏習合)と深いかかわりがあります。
これは蘇民将来の伝説が根っこにあるんです。
備後国風土記という、奈良時代初期に書かれたという地誌がありました。
これは現在では失われており、どのようなことが書かれていたのかわかりません。
しかし鎌倉時代の「釈日本紀」で、この備後国風土記に書かれていたこととして、蘇民将来とスサノオの伝説が書かれているのです。
その伝説とは、このようなものです。
北の海におわした武塔の神が、南の海に住む女神に会いに行く途中で、日が暮れました。
その地にはふたりの蘇民将来が暮らしていました。
兄の蘇民将来はひどく貧しく、弟の蘇民将来はたいへん裕福でした。
武塔の神は一夜の宿を借りるため、まず弟の蘇民将来のところへ行ったのですが、弟は宿を貸すことを惜しんで、武塔の神を追い出してしまいました。
それで兄の蘇民将来のところへ行くと、貧しい中でも粟柄(粟の収穫を終えた茎)を座布団として、粟飯を炊いて武塔の神にたてまつり、一夜の宿を与えたのです。
翌朝、武塔神は南海に向けて旅立ちました。
しかし年を経て、武塔神が八柱の子を率いて戻ってきます。
武塔神は兄の蘇民将来のもとを訪れて、言いました。
「わたしはおまえの弟に報いを与えるために戻ってきた。汝の家に子はいるか」
「娘と妻がおります」
「それでは茅の輪をつくり、腰に付けさせよ」
兄の蘇民将来はそのとおりにしました。
その夜。
娘ひとりをおいて、武塔神はその地をことごとく打ち滅ぼしてしまいました。
(なぜ蘇民の娘ひとりだけを救ったのか、家族を救わなかったのか、原文には書かれていません)
武塔神が言いました。
「わたしは速須佐雄(はやすさのお)の神である。これより後、世に疫病が流行れば、蘇民将来の子孫であるといって、茅の輪を腰につけていれば災いを免れるだろう」
……これで話はおしまいです。
北の海にいた武塔の神を、大陸からきた神として、神仏習合の時代になって、祇園精舎の守護神であった牛頭天王とむすびつけたんですね。
そして「スサノオ = 牛頭天王」は疫病を退散させるチカラをもつ荒ぶる神として位置づけられます。
また、茅の輪で疫病を防ぐというくだりと、薬師如来がむすびついてくるんですね。
この「スサノオ = 牛頭天王」の流れを直接的につないでいる代表的な神社といえば八坂神社でしょう。
八坂神社は江戸時代以前には祇園社と呼ばれていました。
祭神は牛頭天王(スサノオ)と八柱の子です。
しかし「祇園社」という名前はまさに神仏習合で、これは明治時代の神仏分離によって、ダメだということになったんですね。
いま、八坂神社で祇園祭が行われていますが、祇園という名に、むかしの名残があります。
祇園祭は、荒ぶる神を鎮めるお祭りであるのと同時に、疫病を退散させるためのお祭りでもあります。
またスサノオを祭神とする神社以外でも、夏越の祓になると茅の輪くぐりをしているところがありますが、あれも蘇民将来の伝説からきている厄除けのイベントですね。
あと有名なところだと、岩手県の蘇民祭もこの伝説がもとになっているのですが、こちらは伝説がすこし脚色されており、弟の裕福なほうの蘇民将来は「巨丹将来」と呼ばれていたりします。
蘇民祭は複数の寺で行われていて、いちばん有名だったのが黒石寺の蘇民祭だったらしいのですが、ここでは武塔の神は薬師如来であったといわれています。
しかし、氷川信仰の場合は、蘇民将来の伝説で考えるよりは「水神である氷川大神と、出雲地方でヤマタノオロチを退治したときのスサノオ」で考えるのがスッキリします。
氷川神社では古くから主祭神はスサノオではあったんですが、途中でこれが「氷川の大明神」、「氷川大神」という総合的な存在に変化するんです。
そして江戸末期に神仏分離の気風が高まると、あらためて祭神はスサノオであると決められます(ほかにクシナダヒメ・オオナムチが並びます。オオナムチは若いころのオオクニヌシです)。
これは以前、ギズモさんが富士山の浅間神社に奉られていたのは浅間大神であったとお話いただいたことと似ています。
その土地と結びついた独自の祭神があって、それが後世に神道の神とむすびつくパターンですね。
浅間神社の場合はかぐや姫と浅間大神が同一視されていて、これがコノハナサクヤヒメとむすびつきました。
氷川大神の場合は、かなり複合的なんですが、まず氷川という語源をたどってみましょう。
氷川の語源は、島根県の奥出雲にある斐伊川だといいます。
出雲には因幡の白兎伝説などの出雲神話がありますが、スサノオがヤマタノオロチを退治した場所でもあります。
ヤマタノオロチについては、島根の山々で行われていた「たたら製鉄」の赤いあかりが夜に灯っている、その不気味な様子を大蛇にたとえたという説があります。
つまり、たたら製鉄利権を牛耳っているその地の連中をヤマタノオロチに見立てて、スサノオという朝廷側の荒神が、これをたたきつぶして支配した、という物語ですね。
またべつの説では、暴れ川である斐伊川を、多くの支流なども含めて大蛇に見立てて、これをスサノオが鎮めたという伝説です。
氷川信仰は、この後者の斐伊川の伝説がもとになっているようです。
およそ1500年前に氷川神社が創建されるまでの歴史については、島根県にいた出雲族が関東の荒川のあたりに入植し、根付いたことに始まるといわれています。
つまり出雲族がスサノオのヤマタノオロチ神話を荒川と結び付けて、氷川信仰を生み出したということのようです。
東京と埼玉にかけて約280社もあるという氷川神社は、荒川の流域に集中しています。
むかしの荒川はその名の通りの暴れ川で、農業に多大な恩恵をもたらすのと同時に、ときにひどい暴れ方をして人々の生活を破壊してしまいます。
流域に暮らす人々は、荒川のもたらす恩恵と破壊に、感謝と畏怖の念を抱いていたことでしょう。
出雲族の斐伊川に基づくヤマタノオロチ退治の伝説に、土着の自然信仰(アニミズム)が加わり、さらに神仏習合の影響があって、氷川大神にむすびつくんですね。
祭神は延喜式のころからスサノオだったようなのですが、神仏習合の影響を受けてあいまいになります。
江戸時代まで大宮氷川神社の参道には「氷川大明神」「本地聖観音」といった石碑が立っていたようです。
ちなみに「本地聖観音」とは、本地垂迹(神仏習合)による聖なる観音という意味です。
観音という、女性を匂わせる仏様であることは、あとでちょっとポイントになります。
ともあれ、江戸時代末期にスサノオをあらためて明確に祭神と決めるまでは、総じて氷川大神という、土着の神に近い存在が崇められていたようです。
そのように考えていくと、氷川信仰におけるスサノオの場合は、おなじスサノオでも蘇民将来の伝説とは関連性が薄いようです。
では氷川大神とはなんなのかというと、個人的には水神だとおもいます。しかも、男の神様でもあり、女の神様でもある感じです。
荒川の荒ぶる水神として、ヤマタノオロチを鎮めたスサノオがまずイメージされます。
そこに農耕神としてのクシナダヒメが女神として加わります。
大宮氷川神社は男体社といわれるそうですが、さいたま市緑区には氷川女体神社があるそうですね。
その主祭神はクシナダヒメで、男女を区分けしているのは、荒ぶる川と恵みの川をそれぞれ男女に見立てたということでしょう。
そして観音というすこし女性的な、両性を有するような仏になったのも、荒川を男と女に見立てる観念があったことと無縁でないようにおもえます。
さらにいえば、観音信仰は薬師如来とおなじく救済や現世利益をつかさどる仏様なんですよね。
最後に不思議な神様をひとり紹介します。
スサノオの孫と結婚した、その名も「日河比売(ヒカワヒメ)」という女神がいるんです。
この日河比売の神格は水神です。
系譜の面でもスサノオの孫と結びつくわけで、日河比売は氷川信仰となんらかのつながりがあるのではないかといわれています。
おそらくこういった出雲の神話、神仏が複合的に組み合わさって、氷川神社の信仰がつながれてきたのでしょう。
「氷川神社は最強では?」というギズモさんのお考えですが、荒川周辺の信仰のありようの強さという意味では、たしかに相当なものです。
というのも、地域一帯でこれほど単一的に崇められている神というのはめずらしいのではないでしょうか。
ぼくは常々、神社はその地にいた人々のおもいの歴史が重なっていることが大事だとおもっています。
歴史の縦軸において、水害が多く農業的な恵みも多かったであろうこの土地で、氷川大神への信仰をつないできた人々の願いやおもいは、おろそかにできません。
いわゆるパワースポットとは、「霊的ななにかを感じる場所」みたいなあやふやなものではないとおもっていて、その地をつないできた過去の人々(と現代のわれわれ)の気持ちの強さだとおもいます。
その点で氷川神社はとても大きなチカラのある神社だとおもいます。