全年1月13日の投稿[9件]
2025年 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
お福分けの写真、ありがとうございます。
この写真を受けて、今回はもうすこし磯前神社について……そしてちょっとヘンな話をしようとおもいます。
岬の突端に鳥居をつくるというのは、やはり神社の名前が「磯前」だからでしょうね。
大洗磯前神社も、酒列磯前神社も、おそらく江戸時代に社殿が建つまでは、お社はほとんどおまけのようなものだったことでしょう。
因幡の白兎の物語の舞台が、岬の岩礁であることを考えても、このふたつの神社はもともと、荒々しい波濤をもたらす岩礁(岬)そのものがご神体だったのではないかとおもわれます。
大洗磯前神社ではオオナムチ(オオクニヌシ)を直接的に大黒天とみなしていたそうです。
しかし七福神信仰は室町以降におこったといいますから、平安時代にはなかった考えですね。
大黒天は「海の向こうからやってきた福の神」のひとりです。
大黒天は打ち出の小槌を持っていますから、一寸法師をスクナヒコナに見立てるつながりが出てくるんですね。
もちろん、たいへんめでたいシンボルです。
日本海側や瀬戸内海に面して鳥居をつくる場合、大陸からのよそものの侵略に対しての縄張りを主張するという、ものものしい側面が出てきます。
しかしこちらは太平洋側でしょう。
たとえば伊勢の、二見浦の夫婦岩の場合は、あれは猿田彦に由来していますが、太陽(アマテラス)をお迎えするためのご神体なんですよね。
非常に明るいものをお迎えするのであって、そこには侵略を警戒するようなものものしさはありません。
同様に茨城のふたつの磯前神社も、あの岩礁を包括するご神体を仲立ちにして、なにかとてもめでたく縁起の良い、現世利益にむすびつく存在を海の向こうからお迎えする、というイメージがあったはずです。
薬師菩薩にしても、海の向こうからあの鳥居に向かって、晴れ晴れしいなにかを伴いながら御来迎いただくというようなイメージだったことでしょう。
平和な太平洋側の海岸で、さらに日が昇ってくるという「陽」の感覚が、こういった印象をもたらしたのだとおもいます。
さて、ここから盛大に話がそれるんですが、人類は有史以来、資本主義が台頭するまでは、基本的に日が昇る東の方向へ向かっていったようです。
なんだかとんでもないことを言ってるようにおもわれるかもしれませんが、歴史を振り返ってみるとあらゆる面でそうとしか考えられないんです。
奈良朝廷が「日出処の天子、書を日没する処の天子に致す」と隋に国書を出したときも、日が昇る東をよいものとみなし、日の沈む西をよくないものとみなしてますよね。
ところ変わって、アメリカ大陸にいた原住民は、DNAをみるとモンゴロイドの系統だったといいます。
つまり、ユーラシア大陸にいた人々が太陽の上る方向へ、とほうもない旅路を経てアメリカ大陸に定着した。
ヨーロッパ側からも多少の流入はあったようですが、西へ向かって海を渡ってアメリカ大陸へ、という旅路はあまり流行らなかったようです。
人類は積極的には西に向けての冒険をしませんでした。
漠然と太陽の昇る東方に明るい「生」をイメージし、太陽の沈む西方に暗い「死」をイメージしたからでしょう。
ヨーロッパが本格的にアメリカ大陸を開拓し始めたのは、産業革命ごろでした。
その産業革命が起こる250年以上前の1492年。
コロンブスがスペインから船出して、偶然アメリカ大陸を発見します。
大航海時代ですね。
この時期、ヨーロッパは世界中の海を渡って、富や資源を持ち帰りました。
それによってヨーロッパで価格革命が起こります。
これが産業革命と近代資本主義の起爆剤となりました。
この時代のヨーロッパの人々の、お金や富に対する熱狂はたいへんなものです。
資本主義というあたらしい燃料がもたらした火力は、人類がそれまで抱いていた迷信をも焼き切ってしまいました。
人々は、死を連想する西方にも臆することなく立ち向かうようになります。
コロンブスがアメリカを発見してしばらく経った1517年、カトリックからプロテスタントが分離しました。
これは理由があるんです。
カトリックは金儲けや蓄財を罪としていましたが、プロテスタントはルターから始まり、カルヴァンに引き継がれる中で、段階的に金儲けも蓄財も肯定していくんですね。
おりしも大航海時代による価格革命の機運に乗じて、ヨーロッパで必然的に経済格差が生まれていました。
つまり、成金がわんさか生まれていたんです。
しかしカトリックは旧態依然の、「じぶんたちだけが免罪符などで儲けて、庶民には金儲けは罪として、質素倹約を押し付ける」という姿勢です。
そこで旧来のカトリックでは「時代に乗り遅れる」ので、プロテスタントが発生した……プロテスタントには、キリスト教を資本主義の新時代に合わせてブラッシュアップした側面がありました。
プロテスタントは禁欲的な戒律をもちましたが、それも近代資本主義の合理性を求める精神によくなじんだのです。
そんなかれらにとって西方のアメリカ大陸はまさに桃源郷でした。
なにせカトリックと対立する必要もなく、じぶんが努力して開拓した土地はそのままじぶんの土地となるのですから。
いまのアメリカがなぜあんなにも極端な資本主義国家なのか、という問題の、原理の部分はここにあります。
アメリカはまさに、一貫して金儲けのための国でした。
そんな特殊な事情がなければ、人間は本来、縁起のわるい日の沈む方角を積極的に開拓しようとはなかなかおもわなかったことでしょう。
日本が本格的に西方を侵略したのも、明治維新以降、脱亜入欧で本格的な資本主義社会になってからですよね。
それまでに一度、豊臣秀吉が東アジアの征服を企て、朝鮮半島へ攻め込んだことがありました。
まだ鎖国をしていない1580年ごろですから、日本の武将たちは西洋の思想を相応に理解しています。
秀吉は、世界中を開拓し迷信をおそれぬ西洋の思想を理解したうえで、「ならばわしも西方を支配しよう」と決意したのかもしれません。
仏教でいえば、西方浄土は死後の世界ですよね。
それに対して東方浄土(瑠璃光浄土)には、現世利益がある。
この東と西の方角による生と死のイメージの違いは明確でしょう。
飛躍しますが、『西遊記』も、西の方角へのわるいイメージを利用しています。
なにせ三蔵法師が天竺(西方)へ近づくほど、まがまがしい妖怪変化がわんさか出てくるわけです。
そのおそろしい西方の世界を越えると、ありがたい経典が得られます。
しかしその境地へは、生身では行くことができません。
西遊記の終盤の話です。
聖域にたどりついた三蔵一行は、激流の川に差し掛かりました。
孫悟空でさえわたることができなさそうな川の向こうから、底の抜けた舟に乗った宝幢光王仏があらわれます。
ありがたい宝幢光王仏のお迎えなのだからと三蔵法師が意を決して底なし舟に乗ると、そのまま肉体は川に飲み込まれました。
しかし不思議なことに、三蔵はなにごともなかったように舟に乗っています。
いったいこれはどうしたことかと一向(誤字:一行)いぶかしがるのですが、舟がしばらく進むと、三蔵の肉体が川から流れてくるではありませんか。
それをみて一行は、「川を流れていたのはお師匠様の現身で、いまそこにおられるお師匠様は凡胎を脱してまことの悟りに至ったのだ」と理解します。
つまり、この川で三蔵法師は死に、肉体から解脱したことで天竺にたどり着くことができたんですね。
そして天竺で経典を受け取ると、東土(長安)へ戻って経典を太宗皇帝に届け、そのまま一行は今度はあっという間に天竺へ戻り、それぞれが釈迦如来に認められてしかるべき仏様になる。
西遊記の最後は、こんな感じです。
やはり西の方角と「死」が結びついていました。
さて、ずいぶんおかしな方向に話がそれました。
ギズモさんから写真をみせていただいて、むかしの人々は太陽ののぼる東の海にとてもよいイメージを抱いていたのだろうな、ということを述べるために、ずいぶん遠回りをしました。
すみません(笑)
この写真を受けて、今回はもうすこし磯前神社について……そしてちょっとヘンな話をしようとおもいます。
岬の突端に鳥居をつくるというのは、やはり神社の名前が「磯前」だからでしょうね。
大洗磯前神社も、酒列磯前神社も、おそらく江戸時代に社殿が建つまでは、お社はほとんどおまけのようなものだったことでしょう。
因幡の白兎の物語の舞台が、岬の岩礁であることを考えても、このふたつの神社はもともと、荒々しい波濤をもたらす岩礁(岬)そのものがご神体だったのではないかとおもわれます。
大洗磯前神社ではオオナムチ(オオクニヌシ)を直接的に大黒天とみなしていたそうです。
しかし七福神信仰は室町以降におこったといいますから、平安時代にはなかった考えですね。
大黒天は「海の向こうからやってきた福の神」のひとりです。
大黒天は打ち出の小槌を持っていますから、一寸法師をスクナヒコナに見立てるつながりが出てくるんですね。
もちろん、たいへんめでたいシンボルです。
日本海側や瀬戸内海に面して鳥居をつくる場合、大陸からのよそものの侵略に対しての縄張りを主張するという、ものものしい側面が出てきます。
しかしこちらは太平洋側でしょう。
たとえば伊勢の、二見浦の夫婦岩の場合は、あれは猿田彦に由来していますが、太陽(アマテラス)をお迎えするためのご神体なんですよね。
非常に明るいものをお迎えするのであって、そこには侵略を警戒するようなものものしさはありません。
同様に茨城のふたつの磯前神社も、あの岩礁を包括するご神体を仲立ちにして、なにかとてもめでたく縁起の良い、現世利益にむすびつく存在を海の向こうからお迎えする、というイメージがあったはずです。
薬師菩薩にしても、海の向こうからあの鳥居に向かって、晴れ晴れしいなにかを伴いながら御来迎いただくというようなイメージだったことでしょう。
平和な太平洋側の海岸で、さらに日が昇ってくるという「陽」の感覚が、こういった印象をもたらしたのだとおもいます。
さて、ここから盛大に話がそれるんですが、人類は有史以来、資本主義が台頭するまでは、基本的に日が昇る東の方向へ向かっていったようです。
なんだかとんでもないことを言ってるようにおもわれるかもしれませんが、歴史を振り返ってみるとあらゆる面でそうとしか考えられないんです。
奈良朝廷が「日出処の天子、書を日没する処の天子に致す」と隋に国書を出したときも、日が昇る東をよいものとみなし、日の沈む西をよくないものとみなしてますよね。
ところ変わって、アメリカ大陸にいた原住民は、DNAをみるとモンゴロイドの系統だったといいます。
つまり、ユーラシア大陸にいた人々が太陽の上る方向へ、とほうもない旅路を経てアメリカ大陸に定着した。
ヨーロッパ側からも多少の流入はあったようですが、西へ向かって海を渡ってアメリカ大陸へ、という旅路はあまり流行らなかったようです。
人類は積極的には西に向けての冒険をしませんでした。
漠然と太陽の昇る東方に明るい「生」をイメージし、太陽の沈む西方に暗い「死」をイメージしたからでしょう。
ヨーロッパが本格的にアメリカ大陸を開拓し始めたのは、産業革命ごろでした。
その産業革命が起こる250年以上前の1492年。
コロンブスがスペインから船出して、偶然アメリカ大陸を発見します。
大航海時代ですね。
この時期、ヨーロッパは世界中の海を渡って、富や資源を持ち帰りました。
それによってヨーロッパで価格革命が起こります。
これが産業革命と近代資本主義の起爆剤となりました。
この時代のヨーロッパの人々の、お金や富に対する熱狂はたいへんなものです。
資本主義というあたらしい燃料がもたらした火力は、人類がそれまで抱いていた迷信をも焼き切ってしまいました。
人々は、死を連想する西方にも臆することなく立ち向かうようになります。
コロンブスがアメリカを発見してしばらく経った1517年、カトリックからプロテスタントが分離しました。
これは理由があるんです。
カトリックは金儲けや蓄財を罪としていましたが、プロテスタントはルターから始まり、カルヴァンに引き継がれる中で、段階的に金儲けも蓄財も肯定していくんですね。
おりしも大航海時代による価格革命の機運に乗じて、ヨーロッパで必然的に経済格差が生まれていました。
つまり、成金がわんさか生まれていたんです。
しかしカトリックは旧態依然の、「じぶんたちだけが免罪符などで儲けて、庶民には金儲けは罪として、質素倹約を押し付ける」という姿勢です。
そこで旧来のカトリックでは「時代に乗り遅れる」ので、プロテスタントが発生した……プロテスタントには、キリスト教を資本主義の新時代に合わせてブラッシュアップした側面がありました。
プロテスタントは禁欲的な戒律をもちましたが、それも近代資本主義の合理性を求める精神によくなじんだのです。
そんなかれらにとって西方のアメリカ大陸はまさに桃源郷でした。
なにせカトリックと対立する必要もなく、じぶんが努力して開拓した土地はそのままじぶんの土地となるのですから。
いまのアメリカがなぜあんなにも極端な資本主義国家なのか、という問題の、原理の部分はここにあります。
アメリカはまさに、一貫して金儲けのための国でした。
そんな特殊な事情がなければ、人間は本来、縁起のわるい日の沈む方角を積極的に開拓しようとはなかなかおもわなかったことでしょう。
日本が本格的に西方を侵略したのも、明治維新以降、脱亜入欧で本格的な資本主義社会になってからですよね。
それまでに一度、豊臣秀吉が東アジアの征服を企て、朝鮮半島へ攻め込んだことがありました。
まだ鎖国をしていない1580年ごろですから、日本の武将たちは西洋の思想を相応に理解しています。
秀吉は、世界中を開拓し迷信をおそれぬ西洋の思想を理解したうえで、「ならばわしも西方を支配しよう」と決意したのかもしれません。
仏教でいえば、西方浄土は死後の世界ですよね。
それに対して東方浄土(瑠璃光浄土)には、現世利益がある。
この東と西の方角による生と死のイメージの違いは明確でしょう。
飛躍しますが、『西遊記』も、西の方角へのわるいイメージを利用しています。
なにせ三蔵法師が天竺(西方)へ近づくほど、まがまがしい妖怪変化がわんさか出てくるわけです。
そのおそろしい西方の世界を越えると、ありがたい経典が得られます。
しかしその境地へは、生身では行くことができません。
西遊記の終盤の話です。
聖域にたどりついた三蔵一行は、激流の川に差し掛かりました。
孫悟空でさえわたることができなさそうな川の向こうから、底の抜けた舟に乗った宝幢光王仏があらわれます。
ありがたい宝幢光王仏のお迎えなのだからと三蔵法師が意を決して底なし舟に乗ると、そのまま肉体は川に飲み込まれました。
しかし不思議なことに、三蔵はなにごともなかったように舟に乗っています。
いったいこれはどうしたことかと
それをみて一行は、「川を流れていたのはお師匠様の現身で、いまそこにおられるお師匠様は凡胎を脱してまことの悟りに至ったのだ」と理解します。
つまり、この川で三蔵法師は死に、肉体から解脱したことで天竺にたどり着くことができたんですね。
そして天竺で経典を受け取ると、東土(長安)へ戻って経典を太宗皇帝に届け、そのまま一行は今度はあっという間に天竺へ戻り、それぞれが釈迦如来に認められてしかるべき仏様になる。
西遊記の最後は、こんな感じです。
やはり西の方角と「死」が結びついていました。
さて、ずいぶんおかしな方向に話がそれました。
ギズモさんから写真をみせていただいて、むかしの人々は太陽ののぼる東の海にとてもよいイメージを抱いていたのだろうな、ということを述べるために、ずいぶん遠回りをしました。
すみません(笑)
2024年 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
今、鍵付きで投稿しようとしたところでした。
もしかして、有料記事を送ってくださる方がいるのだとすると、私がいつも図々しくコメントしているために、その方がコメントできずに遠慮していらっしゃるのでは、と思うので、そうだったら遠慮なく言ってくださいね、と書くつもりでしたが、実にタイムリーな投稿をありがとうございます(笑)
テレパシーで何か伝わったとしか思えません(^^;)
あ、既に読ませていただいていました。
もしかして、有料記事を送ってくださる方がいるのだとすると、私がいつも図々しくコメントしているために、その方がコメントできずに遠慮していらっしゃるのでは、と思うので、そうだったら遠慮なく言ってくださいね、と書くつもりでしたが、実にタイムリーな投稿をありがとうございます(笑)
テレパシーで何か伝わったとしか思えません(^^;)
あ、既に読ませていただいていました。
1266
ちょっと言葉足らずでしたが、だれかがプレゼントしてくれるといっても、ぼくにプレゼントするのではなくて、拡散するために勝手に落っことしてくれているのです。
それを拾ったものだから、申し訳ないという意味でして。
というわけで、消しました(笑)
ちょっと言葉足らずでしたが、だれかがプレゼントしてくれるといっても、ぼくにプレゼントするのではなくて、拡散するために勝手に落っことしてくれているのです。
それを拾ったものだから、申し訳ないという意味でして。
というわけで、消しました(笑)
人工知能は、地に足がついていないんだという考えはまさにそのとおりで、意識の真似事のようなことをしている、という感じです。
では意識とはなんなのか、ということが記事の中で語られていたわけですが、だんだんと宗教的な話になっていくんですよね。
科学がどんどん「人間」から剥離していって、たとえば医療がすべてデータで語られて、人間を見なくなっていくとき、それじゃあAIが医療をすればいいじゃないか、ということになる、という。
科学だけが突出して発達して、人間がどんどん置いてけぼりになっていくわけです。
そんなことを考えていると、近い将来、人間は結局、近代以前の信仰の生き物に回帰していくのではないかという気がします。
人間が科学を操っていこうという近現代だったから、宗教はなおざりにされていたわけですが、科学が人間を置いてけぼりにして、人間が追いつけなくなったとき、人間はまたなにかを拝むことで、心のよすがを求めずにいられなくなるようにおもえます。
病気が科学のチカラで治っても、生活が科学のチカラでどんどん便利になっていっても、なぜそうなっているのかということに理解がいかなくなった人類は、結局人知の及ばぬなにかを畏れることによって生きるしかないのではないか。
それはたとえば軽微なモノであれば、朝、テレビの星座占いをみて一日の行動指針を決めるというようなことから、重度のモノであればじぶんの稼ぎのほとんどを信仰に貢いで安心せねば気が済まぬといったところまで、いまと変わらぬような信仰のありようが、いよいよ深く根を張っていく。
科学の時代なんだからそんなことはもうしなくていいんだ、という時代から、やっぱりそうじゃないんだ、という反動の時代がくるのではないか。
なぜそんなことになるのかというと、宗教は人間の苦しみから生まれたものだからです。
AIは人間の意識の真似事はするけれど、苦しみを分かち合うことができません。
人間を生きるという苦しみがわからない存在が、いよいよ科学の分野で存在感を増していく。
そうすると(これまでも半ばそうだったのだけど)科学に必死になってついていく分野の人々もまた、人間的なあいまいさを排除して、データ至上主義のロボットのようになるほかありません。
AIが科学分野で突出し、人間がそこに追い付けなくなれば、多くの人は科学の土俵から下りて、人間にしかできないことに回帰していくことでしょう。
それは結局、理屈ではないなにかを共有することで人間同士が連帯していくということです。
そうすることで、AIの完全支配から逃れようとする……というと大げさかもしれませんが、ようするにいまのぼくの、自然とともに生きているようなことが……最後に結局手前味噌な話ではありますが、大地に足をつけて生きて、日々の資本主義活動に追われすぎず、ゆっくりと時間をかけてものごとを考えて、自然を畏れて生きるようなことが、どうしたって人間の行きつくところだとおもうのです(笑)
#与太話
では意識とはなんなのか、ということが記事の中で語られていたわけですが、だんだんと宗教的な話になっていくんですよね。
科学がどんどん「人間」から剥離していって、たとえば医療がすべてデータで語られて、人間を見なくなっていくとき、それじゃあAIが医療をすればいいじゃないか、ということになる、という。
科学だけが突出して発達して、人間がどんどん置いてけぼりになっていくわけです。
そんなことを考えていると、近い将来、人間は結局、近代以前の信仰の生き物に回帰していくのではないかという気がします。
人間が科学を操っていこうという近現代だったから、宗教はなおざりにされていたわけですが、科学が人間を置いてけぼりにして、人間が追いつけなくなったとき、人間はまたなにかを拝むことで、心のよすがを求めずにいられなくなるようにおもえます。
病気が科学のチカラで治っても、生活が科学のチカラでどんどん便利になっていっても、なぜそうなっているのかということに理解がいかなくなった人類は、結局人知の及ばぬなにかを畏れることによって生きるしかないのではないか。
それはたとえば軽微なモノであれば、朝、テレビの星座占いをみて一日の行動指針を決めるというようなことから、重度のモノであればじぶんの稼ぎのほとんどを信仰に貢いで安心せねば気が済まぬといったところまで、いまと変わらぬような信仰のありようが、いよいよ深く根を張っていく。
科学の時代なんだからそんなことはもうしなくていいんだ、という時代から、やっぱりそうじゃないんだ、という反動の時代がくるのではないか。
なぜそんなことになるのかというと、宗教は人間の苦しみから生まれたものだからです。
AIは人間の意識の真似事はするけれど、苦しみを分かち合うことができません。
人間を生きるという苦しみがわからない存在が、いよいよ科学の分野で存在感を増していく。
そうすると(これまでも半ばそうだったのだけど)科学に必死になってついていく分野の人々もまた、人間的なあいまいさを排除して、データ至上主義のロボットのようになるほかありません。
AIが科学分野で突出し、人間がそこに追い付けなくなれば、多くの人は科学の土俵から下りて、人間にしかできないことに回帰していくことでしょう。
それは結局、理屈ではないなにかを共有することで人間同士が連帯していくということです。
そうすることで、AIの完全支配から逃れようとする……というと大げさかもしれませんが、ようするにいまのぼくの、自然とともに生きているようなことが……最後に結局手前味噌な話ではありますが、大地に足をつけて生きて、日々の資本主義活動に追われすぎず、ゆっくりと時間をかけてものごとを考えて、自然を畏れて生きるようなことが、どうしたって人間の行きつくところだとおもうのです(笑)
#与太話
「スパルタ馬鹿舌頑固オヤジ」には笑ってしまいました(笑)
インスタント麺はほとんど食べないのですが、サッポロ一番は、塩が格別においしかったという記憶があります。
さっきスーパーで見てきたら、5袋入って600円くらいでした。
時々食べたくなるのはカップ焼きそばで、お湯を捨てたあと、付いているソース+少量のバターとお醤油で炒めるのが好きです。
もちろん面倒な時は、お湯を捨てたらすぐ食べます(笑)
ベースのおじさんは、以前居酒屋で飲んでいたら近くの席からバンドの話が聞こえてきて、「あ、こいつらバンドマンだ」と思い、声をかけたんだそうです。
それがきっかけで、ベーシストとしてバンドに入ったのですが、やはりそれも縁ですね。
私は決して腕があるわけではないのですが、あちらのプロフィール記事に書いているカードの仕事や宝塚のカラオケ作りにしても、どれもどなたかのお引立てによって得ることができた仕事で、思ってもみなかった仕事をいただけたりと、つくづくご縁の大切さを感じます。
パクチーですが。
昔1年ほど上海にいた時、外で食べる麺にも入っていました。
中国では「香菜(シャンツァイ)」と呼びますが、セロリは好きでもなかなかなじめませんでした。
「小紹興(Xiao Shao Xing)」、上海語で「ショウドシン」という、紹興酒で有名な紹興出身の人が魔都時代の上海に作ったお店があり、お粥や蒸し鶏が有名なんです。
八角などと一緒に蒸した鶏を、ゴマ油とお醤油の、ちょっと甘いタレをつけて食べるのですが、それがまた絶品で。
ただ、中国醤油は日本のものよりずっと濃いです。
そこに、必ずパクチーがついているわけです。
そのうち慣れ、いつのまにか大好きになりました。
日本で売っているパクチー(=香菜、コリアンダー)は、最近はなんだかいやに硬く、生だと口に残ります。
サッと湯がくか、炒めないととても食べにくいのが残念です。
ミツバと同じくらいの束で200円くらい、高いです。
五香牛肉という中国の料理があるのですが、牛肉のブロックとお酒、生姜、八角、五香粉を入れ、醤油味で煮こむだけ、うちはちょっと甘めに煮ます。
ゆで卵も一緒に煮こみ、仕上げに彩りとして香菜を散らしますが、最近は硬いので少し煮てしまいます。
案外、香辛料のせいで独特な香りも少なくなるので、常備菜になるかもしれません。
コツは、国産のいい肉を使わないことです。
脂っこくなってしまうからですが、かと言ってヒレではパサパサしてしまいます。
オーストラリアのすね肉あたりが、おいしくできるようです。
パクチーそのものはおかずになるというものでもないのでしょうが、脂っこい料理の付け合わせ用に、浅漬けみたいにするのもいいかもしれませんね。
今日は雪が降ったのですが、30分ほどで止みました。
なかなか積もりません(^^;)
インスタント麺はほとんど食べないのですが、サッポロ一番は、塩が格別においしかったという記憶があります。
さっきスーパーで見てきたら、5袋入って600円くらいでした。
時々食べたくなるのはカップ焼きそばで、お湯を捨てたあと、付いているソース+少量のバターとお醤油で炒めるのが好きです。
もちろん面倒な時は、お湯を捨てたらすぐ食べます(笑)
ベースのおじさんは、以前居酒屋で飲んでいたら近くの席からバンドの話が聞こえてきて、「あ、こいつらバンドマンだ」と思い、声をかけたんだそうです。
それがきっかけで、ベーシストとしてバンドに入ったのですが、やはりそれも縁ですね。
私は決して腕があるわけではないのですが、あちらのプロフィール記事に書いているカードの仕事や宝塚のカラオケ作りにしても、どれもどなたかのお引立てによって得ることができた仕事で、思ってもみなかった仕事をいただけたりと、つくづくご縁の大切さを感じます。
パクチーですが。
昔1年ほど上海にいた時、外で食べる麺にも入っていました。
中国では「香菜(シャンツァイ)」と呼びますが、セロリは好きでもなかなかなじめませんでした。
「小紹興(Xiao Shao Xing)」、上海語で「ショウドシン」という、紹興酒で有名な紹興出身の人が魔都時代の上海に作ったお店があり、お粥や蒸し鶏が有名なんです。
八角などと一緒に蒸した鶏を、ゴマ油とお醤油の、ちょっと甘いタレをつけて食べるのですが、それがまた絶品で。
ただ、中国醤油は日本のものよりずっと濃いです。
そこに、必ずパクチーがついているわけです。
そのうち慣れ、いつのまにか大好きになりました。
日本で売っているパクチー(=香菜、コリアンダー)は、最近はなんだかいやに硬く、生だと口に残ります。
サッと湯がくか、炒めないととても食べにくいのが残念です。
ミツバと同じくらいの束で200円くらい、高いです。
五香牛肉という中国の料理があるのですが、牛肉のブロックとお酒、生姜、八角、五香粉を入れ、醤油味で煮こむだけ、うちはちょっと甘めに煮ます。
ゆで卵も一緒に煮こみ、仕上げに彩りとして香菜を散らしますが、最近は硬いので少し煮てしまいます。
案外、香辛料のせいで独特な香りも少なくなるので、常備菜になるかもしれません。
コツは、国産のいい肉を使わないことです。
脂っこくなってしまうからですが、かと言ってヒレではパサパサしてしまいます。
オーストラリアのすね肉あたりが、おいしくできるようです。
パクチーそのものはおかずになるというものでもないのでしょうが、脂っこい料理の付け合わせ用に、浅漬けみたいにするのもいいかもしれませんね。
今日は雪が降ったのですが、30分ほどで止みました。
なかなか積もりません(^^;)
https://bunshun.jp/articles/-/68285
このニュース見てると、いまの某芸人の乱倫報道に対するニュースメディアのコメント欄なんかみてても、世論誘導のために企業に雇われたバイトがいるのだろうなとおもわずにいられません。
政治がバイトを雇って世論誘導をしていることがあきらかになっている以上、あの政治とのコネクションの強いお笑い企業がそれをしていないわけがないものなあ。
というのも、かの芸人の乱倫疑惑を擁護する意見が非常に不自然な形で湧いてたんですよね。
そして、その擁護の意見が報道後間もないのに、なぜか全体的に統制されている。
無理筋の擁護なのに、その論理に統制がとれているのって、おかしいんですよね。
どこかで、「こういうカタチで擁護してくださいね」という旗振りがいて、バイトがそこに従ってネット上で投稿をするような流れができていたんだとおもいます。
そうでもなければ、あの報道以降、キモチワルイくらい統制のとれた擁護意見が幅を利かせることなんてないはずです。
このニュース見てると、いまの某芸人の乱倫報道に対するニュースメディアのコメント欄なんかみてても、世論誘導のために企業に雇われたバイトがいるのだろうなとおもわずにいられません。
政治がバイトを雇って世論誘導をしていることがあきらかになっている以上、あの政治とのコネクションの強いお笑い企業がそれをしていないわけがないものなあ。
というのも、かの芸人の乱倫疑惑を擁護する意見が非常に不自然な形で湧いてたんですよね。
そして、その擁護の意見が報道後間もないのに、なぜか全体的に統制されている。
無理筋の擁護なのに、その論理に統制がとれているのって、おかしいんですよね。
どこかで、「こういうカタチで擁護してくださいね」という旗振りがいて、バイトがそこに従ってネット上で投稿をするような流れができていたんだとおもいます。
そうでもなければ、あの報道以降、キモチワルイくらい統制のとれた擁護意見が幅を利かせることなんてないはずです。
1262
わざわざ問い合わせまでしていただいたのですか。
絵馬を専門にしている工房があるとは知りませんでした。
池原昭治さんも絵馬を描いているようですが、地元の香川県を中心に活動なさっているようですね。
絵馬ひとつにしてもこだわりの職人さんがおられるということ、勉強になりました。
ありがとうございます。
バンドの話、たいへん興味深かったです。
人のご縁はほんとうに不思議なものですよね。
それだけのプロと出会えるというのは、ギズモさんに腕があったからでしょう。
しかしいま、若い世代で音楽をやっている人に、おなじような出会いがあるかというと、ちょっとむずかしいかもしれません。
ぼくはちょうど、人同士が積極的にかかわりあって、ぶつかりあいながら向上していく時代と、人同士が距離を保ちながらデジタルな情報によって向上していく時代との汽水域のような世代ですが、むかしのほうが貴重なご縁に巡り合う機会は多かったような気がします。
パクチーは、よほど慣れないと日本人には違和感が強い野菜だとおもいますが、最初から特に違和感がなかったのでしょうか。
あるいは、あの強烈な風味がクセになるきっかけのようなことがあったのでしょうか。
ぼくは20代で台湾に観光したときに、どこでなにを食べても高確率でパクチーがしっかり入っていて、アジアではパクチーからは逃げられないのだなと観念した記憶があります。
いまでは慣れてそこまで気になることもなくなりましたが、大好物とまではいかず、一度栽培したこともあるんですが、うまい活用法がみつかりませんでした。
常備菜にできるようなレシピがあれば、もう一度栽培して、壁を破ってみたい気がしないでもありません(笑)
わざわざ問い合わせまでしていただいたのですか。
絵馬を専門にしている工房があるとは知りませんでした。
池原昭治さんも絵馬を描いているようですが、地元の香川県を中心に活動なさっているようですね。
絵馬ひとつにしてもこだわりの職人さんがおられるということ、勉強になりました。
ありがとうございます。
バンドの話、たいへん興味深かったです。
人のご縁はほんとうに不思議なものですよね。
それだけのプロと出会えるというのは、ギズモさんに腕があったからでしょう。
しかしいま、若い世代で音楽をやっている人に、おなじような出会いがあるかというと、ちょっとむずかしいかもしれません。
ぼくはちょうど、人同士が積極的にかかわりあって、ぶつかりあいながら向上していく時代と、人同士が距離を保ちながらデジタルな情報によって向上していく時代との汽水域のような世代ですが、むかしのほうが貴重なご縁に巡り合う機会は多かったような気がします。
パクチーは、よほど慣れないと日本人には違和感が強い野菜だとおもいますが、最初から特に違和感がなかったのでしょうか。
あるいは、あの強烈な風味がクセになるきっかけのようなことがあったのでしょうか。
ぼくは20代で台湾に観光したときに、どこでなにを食べても高確率でパクチーがしっかり入っていて、アジアではパクチーからは逃げられないのだなと観念した記憶があります。
いまでは慣れてそこまで気になることもなくなりましたが、大好物とまではいかず、一度栽培したこともあるんですが、うまい活用法がみつかりませんでした。
常備菜にできるようなレシピがあれば、もう一度栽培して、壁を破ってみたい気がしないでもありません(笑)
池原昭治さんを知らなかったので調べましたが、まんが日本昔ばなしの方だったんですね。
気になって六所神社に問い合わせたところ、「伊勢絵馬(名古屋)」という工房に依頼していて、そこに所属する方々の作品の中から選ぶんだそうです。
最近の絵馬は、干支の動物たちがユニークなものが多い中で、龍が龍らしく見えるのが好ましいです。
「バイミア~」で言えば、バンドだからできることであって、弾き語りではこのパフォーマンス(誰かのお財布を見てポイ)ができません。
と言いつつ、実はこの間から、なんとかできないものか、さんざん模索しているところでした(;一_一)
間合いの取り方が難しいということにお気づきになったのはさすがです。
観客の反応によって、臨機応変にしています。
バースでしゃべりを入れたり、客席に降りたり、その時の観客の反応しだいで進めていくので、リハーサルの時とはだいぶ違ったものになることが多いのですが、どんなに違うことをやっても、バンドの人たちはみごとに合わせてくれるので、やりたい放題です(笑)
八代亜紀さんのバースは原曲のバースを訳したものではないので、途中で原曲のバースに戻していきます。
10年ほど前、仕事関係の女性に、どうしても気になっているお店があるので一緒に行きましょうと言われ、アウトドアっぽい居酒屋さんに行きました。
驚くほどどお料理がおいしかったので、しばらくしてひとりで焼き鳥を買いに行ったのですが、店長が気さくな方で、うちはひとりの人も多いので飲んで行ってと言われ、そこから足繁く通うようになったんです(もう何年も行っていませんが)
ライブやコンサートの日は、そのお店の近くの男性の美容師さんにヘアメイクをお願いしていたのですが、その美容師さんがそこの常連さんだったので、私の仕事が店長にもわかってしまいました。
ある日飲みに(食べに)行くと、店長がひとりの男性のお客さんを紹介してくれました。
「おやじです」と。
その時はその人がベースをやってるとしか聞かなかったのですが、後日、バンドの練習の時に来るように言われ、歌わされて、その結果メンバーに加えていただきました。
当時はバンマスのピアニストがいたのでボーカルで入りましたが、その後その人がやめたので、ピアノも担当するようになりました。
みんな、もうすでに音楽を生業とはしていなかったので、そこからの仕事というのはあまりなく、私の仕事に来てもらう形で何回かステージに出ていただきました。
本当に、ご縁というのはどこでつながるかわからないものです。
タイ料理を食べに行くと、辛さをお子さま向けに調整してもらっています(笑)
適度に辛くないとおいしくないのですが、喉に影響が出るので、控えめにしています。
市販のキムチはニンニクが入っていますが、この程度は大丈夫なようです←ニンニクのこと、よく覚えてくださってましたね。
パクチーは大好物で、ゴマ油+お醤油で食べたりします。
謎!!
謎多き女というと、なんだかとっても魅力的な気もしますが、家族さえも、私のやっていることはつかめていないのです(笑)←言わなければわかるわけがないという単純な話です(≧▽≦)
気になって六所神社に問い合わせたところ、「伊勢絵馬(名古屋)」という工房に依頼していて、そこに所属する方々の作品の中から選ぶんだそうです。
最近の絵馬は、干支の動物たちがユニークなものが多い中で、龍が龍らしく見えるのが好ましいです。
「バイミア~」で言えば、バンドだからできることであって、弾き語りではこのパフォーマンス(誰かのお財布を見てポイ)ができません。
と言いつつ、実はこの間から、なんとかできないものか、さんざん模索しているところでした(;一_一)
間合いの取り方が難しいということにお気づきになったのはさすがです。
観客の反応によって、臨機応変にしています。
バースでしゃべりを入れたり、客席に降りたり、その時の観客の反応しだいで進めていくので、リハーサルの時とはだいぶ違ったものになることが多いのですが、どんなに違うことをやっても、バンドの人たちはみごとに合わせてくれるので、やりたい放題です(笑)
八代亜紀さんのバースは原曲のバースを訳したものではないので、途中で原曲のバースに戻していきます。
10年ほど前、仕事関係の女性に、どうしても気になっているお店があるので一緒に行きましょうと言われ、アウトドアっぽい居酒屋さんに行きました。
驚くほど
ライブやコンサートの日は、そのお店の近くの男性の美容師さんにヘアメイクをお願いしていたのですが、その美容師さんがそこの常連さんだったので、私の仕事が店長にもわかってしまいました。
ある日飲みに(食べに)行くと、店長がひとりの男性のお客さんを紹介してくれました。
「おやじです」と。
その時はその人がベースをやってるとしか聞かなかったのですが、後日、バンドの練習の時に来るように言われ、歌わされて、その結果メンバーに加えていただきました。
当時はバンマスのピアニストがいたのでボーカルで入りましたが、その後その人がやめたので、ピアノも担当するようになりました。
みんな、もうすでに音楽を生業とはしていなかったので、そこからの仕事というのはあまりなく、私の仕事に来てもらう形で何回かステージに出ていただきました。
本当に、ご縁というのはどこでつながるかわからないものです。
タイ料理を食べに行くと、辛さをお子さま向けに調整してもらっています(笑)
適度に辛くないとおいしくないのですが、喉に影響が出るので、控えめにしています。
市販のキムチはニンニクが入っていますが、この程度は大丈夫なようです←ニンニクのこと、よく覚えてくださってましたね。
パクチーは大好物で、ゴマ油+お醤油で食べたりします。
謎!!
謎多き女というと、なんだかとっても魅力的な気もしますが、家族さえも、私のやっていることはつかめていないのです(笑)←言わなければわかるわけがないという単純な話です(≧▽≦)
ぼくはインスタント麺が好きなおじさんですが、サッポロ一番は20代までによく食べて、30代になってからはすっかり食べなくなりました。
理由は、高いから。
ふつうのインスタント麺の一段上をいく高価格で、安物好きのぼくにはとても手が出ない、というわけです。
ところが調べてみたら、サッポロ一番は売れ行きがものすごくよいのだそうです。
やはり消費者は保守的で、価格が多少高くても、あたらしい味に挑戦するよりも、決まりきったものをルーティンにすることで安心する傾向が強いようです。
これを野菜農家で当てはめて考えてみます。
いまはどんどんあたらしい品種ができていて、文字通りの日進月歩。
いままで「あたらしい品種」だとおもってつくっていたものが、いつの間にか「どこにでもある品種」になり、そのうち「古い品種」になる。
では直売所農家をしているぼくは、どこにでもある品種、古くなった品種は切り捨てて、どんどんあたらしい品種にチャレンジして、おいしさや合理性をアップデートしていけばいいのか、という話なんです。
サッポロ一番の例をみている限り、たぶん、ちがうんですよね。
たとえふるい品種であっても、それが直売所のなじみの購買層にとって安心できる味であれば、変えないほうがいい。
あるいは、安定感のあるふるい品種と、あたらしい品種を両方作って販売してみて、今後のスタンダードになる品種を選別していく、という形がよいでしょう。
社会は日進月歩であたらしい品種、あたらしい技術が開発されていますが、人間の味覚は保守的です。
世代がガラッと変わるほどの年月をかけて、ようやくあたらしい品種にあたらしい世代の味覚が追い付いていくといったところでしょう。
最近では聞かれなくなりましたが、むかしはよく「いまどきの野菜は甘すぎる。野菜はむかしながらの青臭いのがちょうどいいんだ!」という、スパルタ馬鹿舌頑固オヤジが幅を利かせていたものです。
ああいう世代が駆逐されて、現代ようやくあたらしい品種がスタンダードになりました。
だいたい1980年ごろに、旧来の野菜の品種の概念をくつがえすようなあたらしい品種が出回り、スパルタ馬鹿舌頑固オヤジの保守的なキャンペーンがはじまり、そういった声が2000年あたりには終息に向かっていったことを考えると、やはり20年、四半世紀といったところでしょうか。
われわれ直売所農家は、日進月歩でめまぐるしく変化する技術よりも、人の味覚が入れ替わる世代交代の20年を意識したほうがよさそうです。
#野菜
理由は、高いから。
ふつうのインスタント麺の一段上をいく高価格で、安物好きのぼくにはとても手が出ない、というわけです。
ところが調べてみたら、サッポロ一番は売れ行きがものすごくよいのだそうです。
やはり消費者は保守的で、価格が多少高くても、あたらしい味に挑戦するよりも、決まりきったものをルーティンにすることで安心する傾向が強いようです。
これを野菜農家で当てはめて考えてみます。
いまはどんどんあたらしい品種ができていて、文字通りの日進月歩。
いままで「あたらしい品種」だとおもってつくっていたものが、いつの間にか「どこにでもある品種」になり、そのうち「古い品種」になる。
では直売所農家をしているぼくは、どこにでもある品種、古くなった品種は切り捨てて、どんどんあたらしい品種にチャレンジして、おいしさや合理性をアップデートしていけばいいのか、という話なんです。
サッポロ一番の例をみている限り、たぶん、ちがうんですよね。
たとえふるい品種であっても、それが直売所のなじみの購買層にとって安心できる味であれば、変えないほうがいい。
あるいは、安定感のあるふるい品種と、あたらしい品種を両方作って販売してみて、今後のスタンダードになる品種を選別していく、という形がよいでしょう。
社会は日進月歩であたらしい品種、あたらしい技術が開発されていますが、人間の味覚は保守的です。
世代がガラッと変わるほどの年月をかけて、ようやくあたらしい品種にあたらしい世代の味覚が追い付いていくといったところでしょう。
最近では聞かれなくなりましたが、むかしはよく「いまどきの野菜は甘すぎる。野菜はむかしながらの青臭いのがちょうどいいんだ!」という、スパルタ馬鹿舌頑固オヤジが幅を利かせていたものです。
ああいう世代が駆逐されて、現代ようやくあたらしい品種がスタンダードになりました。
だいたい1980年ごろに、旧来の野菜の品種の概念をくつがえすようなあたらしい品種が出回り、スパルタ馬鹿舌頑固オヤジの保守的なキャンペーンがはじまり、そういった声が2000年あたりには終息に向かっていったことを考えると、やはり20年、四半世紀といったところでしょうか。
われわれ直売所農家は、日進月歩でめまぐるしく変化する技術よりも、人の味覚が入れ替わる世代交代の20年を意識したほうがよさそうです。
#野菜