山麓王国

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Icon of gizumo
一晩で50㎝ですか?  相当な降り方だったんですね。
雪かき、お疲れ様でした。
ずいぶん冷えたことと思います。
これだけ降って除雪におわれると、雪見酒なんてのんきなことを言ってもいられないでしょうが、今日はゆっくりお風呂とお酒で温まってください。

遠藤周作は、自分も楽しみながら人を楽しませたい、という気持ちで生きていたように思えます。
佐藤愛子のエッセイにもよく出てきますが、農園主さんが書いていらっしゃるように、人間の「虚をつく」のが大好きだったんでしょうね。

以下は、「遠藤周作の沈黙とその舞台、潜伏キリシタン」についての記事と、2番目は「沈黙」に関する、東京都調布市・サレジオ会調布修道院内の、チマッティ資料館の館長を務めるガエタノ・コンプリ神父のインタビューです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/21da66...

https://www.christiantoday.co.jp/article...


貼ってくださった youtube、以前観たことはありましたがすっかり忘れていました。ありがとうございます。
音楽業界でヨーデルは案外希少なので、これは当たったでしょうね。

最近はまったくテレビの歌番組を見ていないので、どんな音楽が流行っているのかもわかりませんが、農園主さんのおっしゃるように、「じぶんたちの民族音楽を、日本独自のカタチでどれだけ進化させてきただろうか」ということについては、とても考えさせられます。

唱歌の話になりますが、音楽の教科書から文部省唱歌がどんどん消えて行き、童謡も唱歌も親が知らないから子どもを寝かせる時に歌えない、だから子どもも知らないで育つというのはなんともさみしいことです。

保育科・幼児教育科受験のための曲目はもはや知らない歌ばかりですが、それは日本の唱歌や童謡のいいところを取り入れて作られたものとはどうも違っています。

文部省唱歌は、鎖国が終わってようやく、西洋音楽(音階)を取り入れながら日本独特の歌を作った一番顕著な例だったように思いますが、その後はたぶんないですね。
唱歌から童謡に発展はしても、そこまでだったように思います。

古い童謡・唱歌が消えていっても、子どもが大きくなっても覚えていて歌え、歌い継げるような、日本独自の進化した民族音楽が必要かもしれません←古い人間の戯言です(笑)

おとなの歌については、外国のモノマネをした機械的進化をしてきているので、心に残る歌というのがなくなり、「日本の歌は外国の歌よりつまらない」と感じます。

ところで、「全日本民医連」というサイトに、「神々のルーツ」というシリーズがあり「原始神道の誕生」「消された権現社の名」などがありました。
サイト内で「神々のルーツ」で検索すると、他の記事がでてきます。

農園主さんなら、また違った解釈、考え方があるように思いますので、参考までに。

https://www.min-iren.gr.jp/?p=44760
(権現社)

https://www.min-iren.gr.jp/?p=44982
(山がご神体、みたいな話)

お返事のお気遣いはないようにお願いします(*^^*)
Icon of nouennushi
ゆっくりお休みをいただいて、助かりました。

こちらはきのうからたっぷり雪が積もり、除雪のしどおしでした。

どれくらい積もったかというと、これくらい。

202401251402111-nouennushi.jpg

暖冬の影響か、べちゃ雪で除雪もしにくく、車が通ると圧雪でワダチがガチガチに凍ってアイスバーンになり、きょうの正午ごろに、集落の登り坂の一部で車が立ち往生してしまったということで、朝からずっと雪かきしてました。

今夜もまだ降るらしいんですが、おそらくあとひと息で今回の豪雪は収束するでしょう。

それにしても、ここ数年、一度に50cm以上降るドカ雪が続いています。

暖冬のことしくらいは安心できるだろうとおもってたんですが、結局ことしもひどい大雪でした(笑)


1279
遠藤周作については、たしかさくらももこのエッセイにも書かれていたはずで、いたずら好きのじいさんだ、というような内容だったとおもいます。

遠藤さんは非常にひょうひょうとしたユーモアのある人物でしたが、同時に家族内でこじれていたり、キリスト教の問題など、いわゆる純文学的な暗いテーマを心に抱えた人でもあり、肉体的に病気の多い人でもあったんですよね。

個人的には、この人は人間の「虚をつく」のがよほど好きなのか、エッセイでも純文学でも、ずっとそんなことばかりしてる印象です。

じぶんでも狐狸庵と名乗っていましたが、実際に狐狸のようなつかみどころのなさがあったのだとおもいます。

かれが日本人の立場でキリスト教に挑んでいくのも、重苦しく書きながら、じつは無邪気で無垢な子供が、大人にえげつない質問をするような、あどけなさを装いながら、相手の虚をつくユーモアを秘められているようにおもえます。

たとえば多神教の日本と、一神教のキリスト教の対立や融合なんて、ものすごく基本的で重要なテーマですが、キリスト教の中では臭い物のフタのようなところがあって、ギズモさんもおっしゃってましたが、ほんとうに嫌な顔をしたり批判する人もいたことでしょう。

遠藤さんはそこをなんの悪気もなく突っつくんですよね(笑)

それでもし、本気で顔を真っ赤にして怒る人がいたら、あんなマジメな作品を書いていながら、遠藤さん自身は狐狸が人を化かして喜ぶように、愉快げに笑っていた気がしてなりません。

というのも、重苦しい問題提起の作品ほど、心にどこか楽観性、ユーモアがないと書けないとおもうからです。



タモリのヨーデル話法からヨーデルの詳しいお話、ありがとうございます。

「歌唱力よりアイドル性が重視されている」という話をうかがいながら、そういえばこんな子がいたな、とYouTubeをゴソゴソ探し回っていました。

ご存知かもしれませんが、貼り付けておきます。



ソフィア・シキチェンコというウクライナの歌手ですが、彼女はもう大人になっています。

ギズモさんのおっしゃるとおり、民族音楽としてのヨーデルをいちばんうまく歌うのは東欧人だとおもいます。

日本人がそれっぽいことをしても、文化的に根を張っていないのでうまくいきません。

しかしそこを踏み込んで考えていくと、日本人はじぶんたちの民族音楽を、日本独自のカタチでどれだけ進化させてきただろうか、という考えが鎌首をもたげてきました。

日本的な音楽を、外国の音楽と融合させて、なにかあたらしげにしたものはあります。

けれど、アメリカでブルースがロックに発展していった、ジャズがフュージョンに発展していったというような、自国内での突然変異というようなことは、日本ではあまり起こらない気がします。

その点で「平成あたりから、どんどん歌手の質が低下している」というご指摘にも、同調できるフシがあります。

昭和は、結局明確なカタチになったかははっきりしませんが、なにか生み出そうとはしてたんですよね。

昭和には商業的な中にも日本的な音楽をブラッシュアップしていこうという気風があったのが、平成になると商業音楽であることだけが大事になっていくでしょう。

売れる音楽、儲かる音楽だけが正義という価値観の中で、大事なモノを落っことしてしまったような気がするのです。

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2026年4月5日(日) 11時48分53秒〔6時間前〕