全年6月9日の投稿[1件]
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きのう、ひさしぶりにサルが出ました。
山の奥まで鉄パイプを打ち鳴らしながら追いかけまわしましたが、どうも群れではなく、一匹でやってきたようです。
幸いなんの被害もなかった……と見回りをしたときにはおもったのですが、けさズッキーニの収穫をしようとしたら、たくさん食い荒らされていました(笑)
しかし不幸中の幸いだったのが、ズッキーニの株自体に被害がなかったことです。
ていねいにズッキーニをもぎとって、そして中途半端に食い荒らしているのです。
べつに甘いわけでもなく、栄養価が高いわけでもない、サルにとっておもしろくもない野菜だったとおもいます。
数年前まではこの時期はえんどう豆が収穫時のシーズンで、きっとそれを狙ってきたのでしょうが、ぼくはもうサル対策で豆をつくらないようにしています。
もちろんぼくは被害が出たので腹を立てていますが、サルからすればアテがはずれたあげく、こわい人間に追いかけまわされて、ろくな目にあわなかったといったところでしょう。
サルに限らず、人間以外の生き物は結局、生きるための用があって動いているわけで、人間のような気まぐれはほとんどないんですよね。
なので、ギズモさんのベランダの柵にまた鳥がきたときには、鳥よけのトゲトゲのマットをベランダ柵に一時的に設置して様子をみるのもいいかとおもいます。
鳥からすれば止まり木になるモノがなくなれば用がなくなるので、めったに来なくなることでしょう。
水系の話ですが、ぼくも地理にはうとかったのが、あるときからこのように考えるようになりました。
水は高いところから低いところに流れるわけですが、山というのはミニチュアでいえば、「山のカタチをしたスポンジ」のようになってるんですね。
なので、土のスキマなどに水が浸み込んで、岩山だったら水が磨かれてきれいな飲み水になるし、そうでない山でも、長い時間をかけて、扇状地などの谷をつくって、そこを山から沁みだした水が流れ、人間にとって生活水になります。
山はスポンジですから、雨がやんだあともよほど乾かないと、当面水を流し続けてくれます。
インドと中国をへだてるヒマラヤ山脈は8000m級の巨大な連峰なんですが、この山から下りてくる水はすさまじい大河を形成します。
そしてこの大河のほとりにいくつもの古代文明ができました。
古代文明ができたということは、たくさんの人が集まったということです。
山が大きいほど、含む水の量も多く、ふもとは巨大な川になるというわけで、そのようなところでは安定して人口を増やすことができたために、その当時の世界の中では突出した文明が興ったんですね。
ヒマラヤから日本に話を戻しますが、以前、人間は谷のあるところなら生きていける、という話をしました。1438
これはつまり、谷が形成されるには、それなりに高い山が必要で、山があれば木がある。
木があるということは、人間にとって木々を利用した道具や燃料があるということです。
それで、むかしの日本人もヒマラヤのような規模ではありませんが、川の近くに集まりました。
みんな、山と川の大事さがわかっていますから、山の岩などを神様に見立てて信仰し、地域一帯で縄張りにします。
つまり、生活をするのに大事な山を、地域一丸で管理したわけです。
この山を外部の人間がみだりに荒らすようなことをすれば、それは「神の名のもとに」成敗されました。
このように思考のとっかかりを得たことで、日本の山のありかたと川のあり方を知ることは、その土地で古くから生きていた人の足跡を知ることだとおもうようになりました。
ぼくの川や山への興味はそういうところから始まっています。
佐藤さとるさんは手塚治虫とおなじ生まれ年で、2017年に89歳で亡くなられました。
コロボックルシリーズ以外にもうちには佐藤さんの本がありました。
子供のころに読んで、心に残っていておもしろかったのは、『赤んぼ大将』という物語です。
まだ言葉の話せないやんちゃな赤ん坊が、じつはオモチャや動物、ショベルカーなどとは言葉を交わすことができて、冒険をするというもので、これも村上勉さんの挿絵がとてもよかったんですよね。
『星の王子さま』の挿絵は、作者自身で描いたというんですが、文章も挿絵も、どちらもが非常に心をつかむものであるという稀有な作品で、ぼくも大好きです。

直売所の群馬県の野菜ですが、もしかしたら地域一帯の農家さんでまとまって、そのときに収穫した野菜をまとめて配送して、ガソリン代などを節約しているかもしれませんね。
店側は売れ残りの廃棄などを請け負って、手数料を引いた売り上げを農家さんに分配。
農協や地元の市場に卸す場合、ポピュラーな野菜を大量生産して一気に収穫して出荷するやり方でないと商売になりませんが、実際の田舎では小規模な畑でめずらしい野菜などもつくっています。
つまり、ぼくのような野菜作りのスタイルですね(笑)
ところが、そういうやり方の場合、直売所に卸すしかありませんから、販路が少ないのが悩みになります。
なので必然的に栽培される量が減ります。
特に都市部にはほとんど出回りません。
その直売所はそこに目を付けて、特定の地域の農家さんと契約して野菜を仕入れているのかな、と。
百姓目線のひいき目もありますが、きっと大儲けできるようなスタイルではなく、手間はかかるけど都市部の地域の人々の食卓を賑わせるためにやっているささやかなご商売でしょうから、ぜひ地元の人に愛されて長く続いてほしいものです。
山の奥まで鉄パイプを打ち鳴らしながら追いかけまわしましたが、どうも群れではなく、一匹でやってきたようです。
幸いなんの被害もなかった……と見回りをしたときにはおもったのですが、けさズッキーニの収穫をしようとしたら、たくさん食い荒らされていました(笑)
しかし不幸中の幸いだったのが、ズッキーニの株自体に被害がなかったことです。
ていねいにズッキーニをもぎとって、そして中途半端に食い荒らしているのです。
べつに甘いわけでもなく、栄養価が高いわけでもない、サルにとっておもしろくもない野菜だったとおもいます。
数年前まではこの時期はえんどう豆が収穫時のシーズンで、きっとそれを狙ってきたのでしょうが、ぼくはもうサル対策で豆をつくらないようにしています。
もちろんぼくは被害が出たので腹を立てていますが、サルからすればアテがはずれたあげく、こわい人間に追いかけまわされて、ろくな目にあわなかったといったところでしょう。
サルに限らず、人間以外の生き物は結局、生きるための用があって動いているわけで、人間のような気まぐれはほとんどないんですよね。
なので、ギズモさんのベランダの柵にまた鳥がきたときには、鳥よけのトゲトゲのマットをベランダ柵に一時的に設置して様子をみるのもいいかとおもいます。
鳥からすれば止まり木になるモノがなくなれば用がなくなるので、めったに来なくなることでしょう。
水系の話ですが、ぼくも地理にはうとかったのが、あるときからこのように考えるようになりました。
水は高いところから低いところに流れるわけですが、山というのはミニチュアでいえば、「山のカタチをしたスポンジ」のようになってるんですね。
なので、土のスキマなどに水が浸み込んで、岩山だったら水が磨かれてきれいな飲み水になるし、そうでない山でも、長い時間をかけて、扇状地などの谷をつくって、そこを山から沁みだした水が流れ、人間にとって生活水になります。
山はスポンジですから、雨がやんだあともよほど乾かないと、当面水を流し続けてくれます。
インドと中国をへだてるヒマラヤ山脈は8000m級の巨大な連峰なんですが、この山から下りてくる水はすさまじい大河を形成します。
そしてこの大河のほとりにいくつもの古代文明ができました。
古代文明ができたということは、たくさんの人が集まったということです。
山が大きいほど、含む水の量も多く、ふもとは巨大な川になるというわけで、そのようなところでは安定して人口を増やすことができたために、その当時の世界の中では突出した文明が興ったんですね。
ヒマラヤから日本に話を戻しますが、以前、人間は谷のあるところなら生きていける、という話をしました。1438
これはつまり、谷が形成されるには、それなりに高い山が必要で、山があれば木がある。
木があるということは、人間にとって木々を利用した道具や燃料があるということです。
それで、むかしの日本人もヒマラヤのような規模ではありませんが、川の近くに集まりました。
みんな、山と川の大事さがわかっていますから、山の岩などを神様に見立てて信仰し、地域一帯で縄張りにします。
つまり、生活をするのに大事な山を、地域一丸で管理したわけです。
この山を外部の人間がみだりに荒らすようなことをすれば、それは「神の名のもとに」成敗されました。
このように思考のとっかかりを得たことで、日本の山のありかたと川のあり方を知ることは、その土地で古くから生きていた人の足跡を知ることだとおもうようになりました。
ぼくの川や山への興味はそういうところから始まっています。
佐藤さとるさんは手塚治虫とおなじ生まれ年で、2017年に89歳で亡くなられました。
コロボックルシリーズ以外にもうちには佐藤さんの本がありました。
子供のころに読んで、心に残っていておもしろかったのは、『赤んぼ大将』という物語です。
まだ言葉の話せないやんちゃな赤ん坊が、じつはオモチャや動物、ショベルカーなどとは言葉を交わすことができて、冒険をするというもので、これも村上勉さんの挿絵がとてもよかったんですよね。
『星の王子さま』の挿絵は、作者自身で描いたというんですが、文章も挿絵も、どちらもが非常に心をつかむものであるという稀有な作品で、ぼくも大好きです。

直売所の群馬県の野菜ですが、もしかしたら地域一帯の農家さんでまとまって、そのときに収穫した野菜をまとめて配送して、ガソリン代などを節約しているかもしれませんね。
店側は売れ残りの廃棄などを請け負って、手数料を引いた売り上げを農家さんに分配。
農協や地元の市場に卸す場合、ポピュラーな野菜を大量生産して一気に収穫して出荷するやり方でないと商売になりませんが、実際の田舎では小規模な畑でめずらしい野菜などもつくっています。
つまり、ぼくのような野菜作りのスタイルですね(笑)
ところが、そういうやり方の場合、直売所に卸すしかありませんから、販路が少ないのが悩みになります。
なので必然的に栽培される量が減ります。
特に都市部にはほとんど出回りません。
その直売所はそこに目を付けて、特定の地域の農家さんと契約して野菜を仕入れているのかな、と。
百姓目線のひいき目もありますが、きっと大儲けできるようなスタイルではなく、手間はかかるけど都市部の地域の人々の食卓を賑わせるためにやっているささやかなご商売でしょうから、ぜひ地元の人に愛されて長く続いてほしいものです。