全年12月1日の投稿[2件]
2024年 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
記事を読ませていただいた時、ちょうど、とんかつ屋さんで「しば漬け」を食べていたところだったので、シンクロにびっくりしました(笑)
ご飯、キャベツ、しじみのお味噌汁がお代わり自由なのですが、しば漬けのお代わりはできないシステムでした(笑)
寂光院にいらしたんですね。京都は何回か行きましたが、大原方面は一度も行っていないんです。
平家物語の、安徳天皇の入水の場面は有名な話ですが、徳子のその後の話は知りませんでしたし、しば漬けのお話も初耳でした。
わざわざ寂光院にいらしたのは、何か思うところがあってでしょうか。
民主主義についてのご説明をありがとうございます。
昭和天皇の「いざとなれば手続きを省略できる独裁のほうがよいのではないか」という考えは、あくまでも「いざとなれば」という段階でのことなのでしょうね。
全体主義ではなく、自由、民主という方向性の中で、いざとなったら独裁権やそれに近い権限を持つ機関や人があれば、統制がとりやすくなるように思いますし、それが無理なら、手続きを順々と律義に形式的に踏むのではなく、できるところはできるだけ飛ばして、ということでいいのではないかと思います。
民主主義は、話せばわかる的な考え方だと思いますが、話をする前に暗殺したり襲撃するという暴力的な変え方は、いつの世にもどこの国でもあるのかもしれません。
でも、(追記)悪は悪だと認識したうえで、いい方向に世の中が変わっていくべきですね。
トランプは議会を襲撃したのに、再選されるというありえないことが起きましたが、兵庫県の知事も自殺者2名を出したに関わらず、華々しく再選され、驚きました。
もしSNSというものがない時代なら、あれほど応援する人が出てこないで落選したかと思うのですが、そもそもパワハラなどが本当にあったかどうか、その事実関係が不明瞭な段階で立候補が可能だったことに問題を感じます。
パワハラが事実であったとしても、再度知事になって言動には留意するでしょうし、市民によって選挙で選ばれたのですから、今後はしっかりと頑張ってくれたらと思います・・・・・が、なんだかすっきりしない再選でした(笑)
お父様のお話ですが、一気に起きて、ご家族もご心配でしたね。
立て続けに起きると、ご本人もご家族も、考えなくてもいいことまで考えてしまい、それがまた身体に影響して病気が長引いたりすることがあるかと思いますが、よく乗り越えてくださいましたよね。
ちょっとした風邪でも気が滅入ってしまうこともありますし、病気とたたかうには、精神力が大事だと思います。
同時に、周りの方々が体力、精神力を維持することも重要ですね。
娘婿の父親にがんが見つかった時の話です。
敷地内に氏神さまがまつってあり(昔からあったとか)、その祠に柿の枝が大きく張り出してきて、それを切らないと神様に失礼だと気になっていたようなのですが、(補足・娘婿の)父親が大殺界かなにか?にあたっており、そういう時期に氏神さまに触れてはいけない(木を切ってはいけない、だったかもしれません)という考えが(補足・娘婿の)父親にあって、結局そのままにしておいたそうです。
切った方がよかった、切れば快方に向かっていたかもしれない、などと家族で悩んだらしいのですが、そういう気持ちになるのはよくわかります。
先日の立て続けの指のけがの時でさえ、なにかの呪いではないかと思ったわけですから(笑)←あの後、また指の付け根に擦り傷を作りました(;^_^A
娘婿の実家は群馬県ですが、群馬はモロヘイヤ好きがとても多い県らしいですね。テレビでやっていました。
以前娘の家に行くと、冷蔵庫にモロヘイヤが入っていて、娘は食べないのになぜ?と思ったことがありましたが、娘婿が好きだということでした。
東京ではあまりポピュラーに売られていないし、食べたことがない人も多いかもしれません。
そちらではよく売れるとあったので、やはり土地土地の食文化というのは興味深いなと感じます。
お風呂が新しくなりました(^^♪
とは言え、かなり安いタイプのようで、浴槽は前と同じ型の、昭和的なスタイルのものでした(笑)
でも風呂釜が新しいせいか、沸かしなおしてもお湯がきれいで快適です。
液晶パネルの字も、まぶしいくらいピカピカ光っています(笑)
いつもは烏の行水なのですが(すぐのぼせるので)、気持ちがいいので、今月のコンサートで歌う曲の歌詞を数曲、壁に張り、覚えているところです。
浴室に小さな窓があり、開けると外気が入ってきて、冬場はちょっとした露天風呂の味わいです(笑)
京都と言えば、常用している東寺のお線香がなくなりそうなので、東寺に問い合わせをしました。
東寺は今どき珍しく、オンラインで授与品などを販売していません。
なにしろホームページにも、東寺内の授与所で何を売っているのかを掲載していないのです。
当面は行く予定がないので、購入方法を尋ねたところ、郵送してくれるとのことでした。
郵便局での払い込みしか方法がなく、この時代にネット振込ができないというのも不便なものですが、東寺だからそんなものか、と納得です(笑)
オンライン販売までやっていたら、手が回らなくなるということもあるかもしれませんね。
12月に入りましたが、例年ほど寒くはありません。
雪が降れば農閑期になりますが、それまでの準備や、農閑期にやりたいこと、役員会(訂正・自治会)など、忙しく過ごされるかと思います。
お返事のペースはゆっくりと、お差支えのないようにお願いします(*^_^*)
ご飯、キャベツ、しじみのお味噌汁がお代わり自由なのですが、しば漬けのお代わりはできないシステムでした(笑)
寂光院にいらしたんですね。京都は何回か行きましたが、大原方面は一度も行っていないんです。
平家物語の、安徳天皇の入水の場面は有名な話ですが、徳子のその後の話は知りませんでしたし、しば漬けのお話も初耳でした。
わざわざ寂光院にいらしたのは、何か思うところがあってでしょうか。
民主主義についてのご説明をありがとうございます。
昭和天皇の「いざとなれば手続きを省略できる独裁のほうがよいのではないか」という考えは、あくまでも「いざとなれば」という段階でのことなのでしょうね。
全体主義ではなく、自由、民主という方向性の中で、いざとなったら独裁権やそれに近い権限を持つ機関や人があれば、統制がとりやすくなるように思いますし、それが無理なら、手続きを順々と律義に形式的に踏むのではなく、できるところはできるだけ飛ばして、ということでいいのではないかと思います。
民主主義は、話せばわかる的な考え方だと思いますが、話をする前に暗殺したり襲撃するという暴力的な変え方は、いつの世にもどこの国でもあるのかもしれません。
でも、(追記)悪は悪だと認識したうえで、いい方向に世の中が変わっていくべきですね。
トランプは議会を襲撃したのに、再選されるというありえないことが起きましたが、兵庫県の知事も自殺者2名を出したに関わらず、華々しく再選され、驚きました。
もしSNSというものがない時代なら、あれほど応援する人が出てこないで落選したかと思うのですが、そもそもパワハラなどが本当にあったかどうか、その事実関係が不明瞭な段階で立候補が可能だったことに問題を感じます。
パワハラが事実であったとしても、再度知事になって言動には留意するでしょうし、市民によって選挙で選ばれたのですから、今後はしっかりと頑張ってくれたらと思います・・・・・が、なんだかすっきりしない再選でした(笑)
お父様のお話ですが、一気に起きて、ご家族もご心配でしたね。
立て続けに起きると、ご本人もご家族も、考えなくてもいいことまで考えてしまい、それがまた身体に影響して病気が長引いたりすることがあるかと思いますが、よく乗り越えてくださいましたよね。
ちょっとした風邪でも気が滅入ってしまうこともありますし、病気とたたかうには、精神力が大事だと思います。
同時に、周りの方々が体力、精神力を維持することも重要ですね。
娘婿の父親にがんが見つかった時の話です。
敷地内に氏神さまがまつってあり(昔からあったとか)、その祠に柿の枝が大きく張り出してきて、それを切らないと神様に失礼だと気になっていたようなのですが、(補足・娘婿の)父親が大殺界かなにか?にあたっており、そういう時期に氏神さまに触れてはいけない(木を切ってはいけない、だったかもしれません)という考えが(補足・娘婿の)父親にあって、結局そのままにしておいたそうです。
切った方がよかった、切れば快方に向かっていたかもしれない、などと家族で悩んだらしいのですが、そういう気持ちになるのはよくわかります。
先日の立て続けの指のけがの時でさえ、なにかの呪いではないかと思ったわけですから(笑)←あの後、また指の付け根に擦り傷を作りました(;^_^A
娘婿の実家は群馬県ですが、群馬はモロヘイヤ好きがとても多い県らしいですね。テレビでやっていました。
以前娘の家に行くと、冷蔵庫にモロヘイヤが入っていて、娘は食べないのになぜ?と思ったことがありましたが、娘婿が好きだということでした。
東京ではあまりポピュラーに売られていないし、食べたことがない人も多いかもしれません。
そちらではよく売れるとあったので、やはり土地土地の食文化というのは興味深いなと感じます。
お風呂が新しくなりました(^^♪
とは言え、かなり安いタイプのようで、浴槽は前と同じ型の、昭和的なスタイルのものでした(笑)
でも風呂釜が新しいせいか、沸かしなおしてもお湯がきれいで快適です。
液晶パネルの字も、まぶしいくらいピカピカ光っています(笑)
いつもは烏の行水なのですが(すぐのぼせるので)、気持ちがいいので、今月のコンサートで歌う曲の歌詞を数曲、壁に張り、覚えているところです。
浴室に小さな窓があり、開けると外気が入ってきて、冬場はちょっとした露天風呂の味わいです(笑)
京都と言えば、常用している東寺のお線香がなくなりそうなので、東寺に問い合わせをしました。
東寺は今どき珍しく、オンラインで授与品などを販売していません。
なにしろホームページにも、東寺内の授与所で何を売っているのかを掲載していないのです。
当面は行く予定がないので、購入方法を尋ねたところ、郵送してくれるとのことでした。
郵便局での払い込みしか方法がなく、この時代にネット振込ができないというのも不便なものですが、東寺だからそんなものか、と納得です(笑)
オンライン販売までやっていたら、手が回らなくなるということもあるかもしれませんね。
12月に入りましたが、例年ほど寒くはありません。
雪が降れば農閑期になりますが、それまでの準備や、農閑期にやりたいこと、役員会(訂正・自治会)など、忙しく過ごされるかと思います。
お返事のペースはゆっくりと、お差支えのないようにお願いします(*^_^*)
2023年 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
悟り~般若心経のわかりやすい解説、ありがとうございます。
仏教の悟り。
「わかろうと努力しながらも、わけもわからずじぶんを生きていることこそが悟りである」
これは、子規の病牀六尺の悟りにもつながっているように感じました。
寒山拾得、これでまだとっかかりなんですか?
少しまた調べていたら、土田 耕平さん(知りませんでしたが、明治時代の童話作家)が、「寒山拾得」を、子ども向きなのかわかりやすいように書いていました。
http://hohrei.web.fc2.com/tk_117.html
ここでは、閭丘胤が自己紹介のあと、さらに「あなた方お二人は、普賢菩薩、文殊菩薩であられると承りました」と言っています。
読み手にとっては、ここが明確だと「豊干がしゃべったな」という言葉の持つ意味が理解しやすいように感じました。
敢えて書かなかったのが、夏目漱石のすごいところだとも思います。
『寒山拾得』を読んで、疑問に思ったことなどちょっと書いてみます。
私の見解と言うことではなく、よくわからない点です。
農園主さんの
「閭丘胤の世俗的で虚飾にまみれた礼がおかしくなって笑った」という解説で、ああ、そういうことだったのか、と思いました。
閭丘胤が豊干から、ふたりが普賢菩薩・文殊菩薩の化身だと聞かず、「会いに往ってためになるような、えらい人」というだけの認識で行ったとします。
(このような仮定は、鴎外の『寒山拾得』の論点とならないかもしれませんが、このあたりがとても引っ掛かりました。)
ところが実際会ってみて、「ためになるような、えらい人」とはとても言えない、みすぼらしい様子のふたりだった。
それでも、あのようなていねいな自己紹介をしたのだろうかという疑問。
普賢菩薩と文殊菩薩の化身と知って、ていねいな自己紹介をしたのは、文中にある「盲目の尊敬」なのでは、とも思いました。
仏教では仏陀(釈迦)にとって文殊菩薩と普賢菩薩は脇侍ですが、仏陀はふたりを従えてはいても、ふたりに助けてもらい守ってもらう立場でもありますよね。
豊干が拾得を拾ってきた、寒山は残飯を貰いに来る、となると、3人の関係性が見えるように思うのですが、
「豊干がしゃべったな」と皮肉ったということは、対等、或いは仏陀が下という関係にも思われます。
また、実は3人とも化身でも何でもない普通の僧で、閭丘胤が計略にはまり、恥をかかされたということはないのか。
そして最後の「僧らが、ぞろぞろと来てたかった」「道翹は真蒼な顔をして立ちすくんでいた」のくだりは、どうも意味不明です。
ふたりが菩薩の化身だとわかってしまったことによって、何か恐ろしいことが起きるとか?
僧たちは、実は怪しげな妖怪のようにも感じます。
追記
「寒山子詩集」について書かれたものを少し読んでみましたが、道翹が立ちすくんだのは、ふたりが仏の化身だとわかったことによる驚愕のようにも思いますが、定かではありません。
仏教の悟り。
「わかろうと努力しながらも、わけもわからずじぶんを生きていることこそが悟りである」
これは、子規の病牀六尺の悟りにもつながっているように感じました。
寒山拾得、これでまだとっかかりなんですか?
少しまた調べていたら、土田 耕平さん(知りませんでしたが、明治時代の童話作家)が、「寒山拾得」を、子ども向きなのかわかりやすいように書いていました。
http://hohrei.web.fc2.com/tk_117.html
ここでは、閭丘胤が自己紹介のあと、さらに「あなた方お二人は、普賢菩薩、文殊菩薩であられると承りました」と言っています。
読み手にとっては、ここが明確だと「豊干がしゃべったな」という言葉の持つ意味が理解しやすいように感じました。
敢えて書かなかったのが、夏目漱石のすごいところだとも思います。
『寒山拾得』を読んで、疑問に思ったことなどちょっと書いてみます。
私の見解と言うことではなく、よくわからない点です。
農園主さんの
「閭丘胤の世俗的で虚飾にまみれた礼がおかしくなって笑った」という解説で、ああ、そういうことだったのか、と思いました。
閭丘胤が豊干から、ふたりが普賢菩薩・文殊菩薩の化身だと聞かず、「会いに往ってためになるような、えらい人」というだけの認識で行ったとします。
(このような仮定は、鴎外の『寒山拾得』の論点とならないかもしれませんが、このあたりがとても引っ掛かりました。)
ところが実際会ってみて、「ためになるような、えらい人」とはとても言えない、みすぼらしい様子のふたりだった。
それでも、あのようなていねいな自己紹介をしたのだろうかという疑問。
普賢菩薩と文殊菩薩の化身と知って、ていねいな自己紹介をしたのは、文中にある「盲目の尊敬」なのでは、とも思いました。
仏教では仏陀(釈迦)にとって文殊菩薩と普賢菩薩は脇侍ですが、仏陀はふたりを従えてはいても、ふたりに助けてもらい守ってもらう立場でもありますよね。
豊干が拾得を拾ってきた、寒山は残飯を貰いに来る、となると、3人の関係性が見えるように思うのですが、
「豊干がしゃべったな」と皮肉ったということは、対等、或いは仏陀が下という関係にも思われます。
また、実は3人とも化身でも何でもない普通の僧で、閭丘胤が計略にはまり、恥をかかされたということはないのか。
そして最後の「僧らが、ぞろぞろと来てたかった」「道翹は真蒼な顔をして立ちすくんでいた」のくだりは、どうも意味不明です。
ふたりが菩薩の化身だとわかってしまったことによって、何か恐ろしいことが起きるとか?
僧たちは、実は怪しげな妖怪のようにも感じます。
追記
「寒山子詩集」について書かれたものを少し読んでみましたが、道翹が立ちすくんだのは、ふたりが仏の化身だとわかったことによる驚愕のようにも思いますが、定かではありません。