山麓王国

全年12月13日の投稿4件]

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平家物語と寂光院へのご旅行のお話をありがとうございました。

国道で、そんな危険な道路があるんですね。
ネットで実際に百井別れ(「分かれ」ではないんですね)のあたりを走っている写真を見つけましたが、こう書かれていました。
森に吸い込まれるような林道状態。・舗装が荒れています。・勾配が尋常ではありません。

帰りは別の道を通ったとのことで安心しましたが、同じ道を通らないと帰れないということだと、ぞっとします。

大根を洗っているおばあさんに道を尋ねたら、高野聖みたいに~というくだりは、農園主さんならではと、感服しました。
異界に引きずり込まれなくて本当によかったです(笑)

鞍馬寺には異界と通じている場所があると、以前noteで知り合った女性が言っていましたが、他でも、鞍馬のあたり一帯には天狗がいるという話もよく聞きます。
なんでも天狗はとてもいたずら好きで、気に入った人には有り得ないものを見せて喜ぶんだそうです。
例えば、山道ですれ違った人が一瞬でいなくなったとか、山中の神社でほんの1分ほど目をつぶってお参りしていたら、誰もいないのにさっきまでなかったお花が置いてあったとか。
そのおばあさんも、天狗のいたずらかもしれません(笑)

授与所の女性がおっしゃった、「仏様のお導き~」ということは、本当にあると、常々思っています。
寺社仏閣は、人と人とのつながりと同じで、ご縁だと感じます。
行きたいと思ったところは、「来なさい」と呼ばれているのかもしれません。
ここは行ってみたいな、とずっと思っていても、なぜか行くチャンスがないことも多いので、そこはたぶんご縁のないところなのかも、と思います。

摩訶不思議なことを言いますが(笑)、お寺や神社に行く時、なぜかあっさりと着かないことがとても多いです。かなりの確率でそうなります。
車の場合、ちゃんとナビを入れても、遠回りな道を指示されたり、だんだん細くなって車が通れなくなる道を当たり前のように案内され立ち往生したり、同じところをぐるぐる回ったり。
広い普通の道で行けるのに、くねくねカーブの多い山道を指示されることもずいぶんありました←ナビの「推奨」を選んでいるのに、ですよ( ̄▽ ̄;)
電車で徒歩の場合も、どこかで道に迷うんです(笑)
ネットなどの情報では、それは歓迎されている証拠。苦労して来なさい(かわいい子には旅をさせろ的な)、ということらしいですが、なかなかたどり着けないところほど、「ああ、ここ好き~」という神社やお寺なのもおもしろいです。

動画を拝見しましたが、建礼門院の大原西陵には鳥居があったので、不思議に思い調べたら、「出家していたため、鳥居の中に五輪塔という珍しい御陵」とありました。

寂光院は、徳子が望んで行ったわけではないのでしょうが、なぜそこ?という、場所ですね。
菩提を弔いながら生涯を過ごさなければならないのなら、もっと他のところでもよかったように思いますが、そこには誰かの思惑があったのでしょうか。
山々の景色は、現代とその頃とほとんど変わっていないであろうと考えると、徳子の思いのようなものが、今も残っているように感じました。

私は今まで、壇ノ浦の海で入水や自害をしたことについて、女や子供、一族郎党がみな後を追わねばならなかった、あるいは殺されるものだと思っていましたが、記事を拝読するとそうではなく、女子供は殺す必要がなかったのですね。

平家物語は、史実に基づいてはいてもフィクションが多いとのことですが、農園主さんが書いてくださった後白河法皇と徳子のくだりは、当時本当にあった会話のように思います。

武家と皇室の血で血を洗うような因縁の物語が「灌頂の巻」での二人の語り合いで浄化されてしまう、とお書きになっていらっしゃいますが、確かにこの語り合いがなく徳子がひっそりと亡くなっては、徳子の汚名と孤独を背負いながらの生活が、ひたすら悲しくつらいものになってしまったかと思えます。

徳子は後白河法皇の姪にあたるとのことですが、甥、姪というものは、我が子同様に、無条件でかわいいもののはずです。
しかも、徳子の夫は息子である高倉天皇。
安徳天皇への愛情も推して知るべしかと思います。

地獄の六道に例えた、というのも、徳子の経験したことの壮絶さを感じます。
それによって後白河法皇も、徳子の生き地獄のようなできごと、思いを、心から理解できたのではないでしょうか。
想像にすぎませんが、汚名もつらく悔しいことですが、目の前で我が子が沈んでいくのを見たという心の痛みは、一生消えなかったかと思います。

戦によって、男性はもちろん、多くの女子供が犠牲になってきたことをわかっていながら、何百年経っても争いを繰り返す人間の愚かさを痛感します。

平家物語について、実際に訪れた寂光院のお話と合わせて書いてくださり、ありがとうございました。
地図を添えてくださったことや、行く道のことまで書いてくださったことで、平家物語の時代、徳子の出家してからの暮らしぶりや様子に、思いを馳せることができました。

ご存じかとは思いますが、婦人病に悩む中将姫のために作られた秘薬の製法を、津村家(藤村家)が中将姫をかくまったお礼として教えられ、それをもとにツムラの創業者が中将湯を作ったそうですね。
私が子どものころ、おばさんたちはどこの家でも、中将湯か實母散を飲んでいました。
中将姫の時代の平均寿命は24歳だとか。
それを考えると、中将姫の婦人病というのは、恐らく更年期障害のようなものだったかと思います。

中将湯の成分で作られた薬湯(やくとう、でなく、くすりゆの方です)がバスクリンだそうです。
あのすごい緑色に薬効があるように思いますが、普通のバスクリンの成分に生薬は入っていないんです。
乾燥硫酸ナトリウム、炭酸水素Na  
その他の成分 L-グルタミン酸ナトリウム、ホホバ油、無水ケイ酸、デキストリン、アラビアゴム、ヒドロキシプロピルセルロース、香料、黄202(1)、青2、青1、粘度調整剤

一方、「バスクリンのくすり湯 バスハーブ」はほとんどが生薬です。
バスハーブ抽出液(トウキ、センキュウ、ハマボウフウ、チンピ、ハッカ、カミツレの生薬抽出エキス)

その他の成分
無水エタノール、BG、香料、クエン酸水和物、PVP、POE 硬化ヒマシ油、イソステアリン酸 POE 硬化ヒマシ油、シメン-5-オール、パラベン、黄202(1)

割高ですが、冬場の皮膚のかゆみに効果があるし温まるので、ここ数年、チビチビと、少なめに入れて使っています(笑)←宣伝ではありません(笑)

沸かし直しのお湯は金属的な原因があると思いますが、薪もアレルギーがあるんですね。
(書き足し:薪のアレルギーではなく、薪で沸かすことで起きるアレルギーということですね。失礼しました。
アレルギーというのは、本当に厄介なものです。
年齢や環境によっても変わりますし、体質改善と言ってもなかなかできるものでもありません。
私もいろいろなアレルギーがあり、苛立つことも多いですが、だましだましつき合っていくしかないのかもしれませんね。

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私の雑談的な話が、問題提起になってしまいましたね。
教えていただくことばかりで申し訳ありませんが、とても興味深いです。

柳沢吉保が造営した大名屋敷というくらいしか知りませんでしたが、大和郷につながるとは、もう謎解きの世界のように思いました。
しかも、明日が討ち入りの日とは。
これは、偶然はなくすべてが必然と言う、ユングの共時性(同時性)かもしれませんね。

忠臣蔵のお話は、歌舞伎の演目にもありますが観たことはありません。
どうも筋が理解しにくいからなのですが、農園主さんのご説明で、すっと頭に入りました。

「金と女を使う」というのは、案外、正鵠を得た発言かと思います。
いい方にも悪い方にも、確かにお金と女は使いようです(笑)

大和郷は、駒込と巣鴨の両駅の内側部分となりますが、巣鴨駅正面には、徳川慶喜が駿府から戻った明治30年に住んだお屋敷がありました。
そこを選んだ理由はわかりませんが、すぐ前に山手線が開通すると聞き、4年住んだだけで引っ越してしまい、今は石碑しか残っていません。

仙台の塩竈神社は何回かお参りしておりますが、最近行けなかったので、今年はお清めの「切麻入り御塩」を送ってもらいました。
この神様が、愛知県岡崎の六所神社でまつられているのが気になりました。
以前、籠神社のお話では、塩竈神社のご祭神・鹽土老翁神も、籠に乗ってワダツミに行ったというお話もあったように思います。

相性のよい神仏のお話もぜひ伺いたく、楽しみにしております(*^^*)

前に、スサノウ→牛頭大王→薬師如来というお話を伺ったことを思い出しました。
巣鴨の真性寺の薬師如来は秘仏で、たまにお参りするんですが、そのたびになぜか地面がぐらぐらするんです。
階段を上ったところに本堂があるのですが、下は建物の1階になっているので、それは理由にならないはずです。
もしかすると、とてもパワーの強い薬師如来なのではと思います。
何が言いたかったかというと、牛頭天王はご縁が無くお参りしたことはありませんが、スサノオに導かれた(ように思う)時期と、この薬師如来を真剣にお参りするようになった時期がほぼ同じなんです。

農園主さんの「あしたが討ち入りの日というのは、なにかの偶然でしょうか」の一文に、私もスサノウと薬師如来が同時期に気にかかったことは、偶然ではなく必然だったように思ったわけです。
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……あしたが討ち入りの日というのは、なにかの偶然でしょうか。
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大和郷について、気になったので調べていました。
すこし長くなりますが、きっと参考になるとおもいます。


六義園は、「生類憐みの令」で有名な徳川綱吉につかえた柳沢吉保(1659~1714)が造営しました。

吉保は譜代大名です。

一般的な大名は、日本全国にいる藩の殿様ですが、譜代大名は徳川家の家臣で大名の立場になった者をさします。
つまり、江戸城でつかえながら、同時に大名というわけです。

柳沢吉保は能力が高く、将軍の雑務をする小納戸といわれる役人の立場から、最終的に江戸の大老にまで成り上がります。

もちろんそんな大出世の裏には、いろんな政治工作があったことでしょう。



柳沢吉保には悪役のイメージがつきまとうのですが、そのきっかけは、忠臣蔵の物語で有名な赤穂事件(1701~1703)でした。

以前にも話したかもしれませんが、赤穂事件についてざっと説明します。

いまの兵庫県の赤穂藩の殿様である浅野内匠頭が、江戸城で天皇家の饗応役をすることになったのですが、そこでおなじ饗応の責任者であった吉良上野介こと吉良義央に斬りかかります。

なぜこのときに浅野が吉良に斬りかかったのかは、文献がなく、はっきりしていません。

忠臣蔵が物語になってからは、吉良が饗応の手配をする間に浅野をいじめて、「フナじゃフナじゃ、フナ侍じゃ」の有名なセリフを言ったということになっていきますが、これはもちろんフィクションです。

いずれにせよ、浅野は刀を抜いて吉良に斬りかかり、周囲にいた者が「浅野殿、ここは殿中でござるぞ」といって浅野を止めました。

江戸城内(殿中)で刀を抜くことはご法度だったのです。

しかしこの時代、ケンカは両成敗が原則でした。

それがなぜか浅野だけが即日切腹となり、吉良はおとがめなしとなったのです。

さらに赤穂藩は取りつぶしとなります。

この理不尽に対して赤穂藩の家老である大石内蔵助を中心に、藩内がもめました。

ともかくここは辛抱して赤穂藩をたてなおすことを考えよう、という者もいれば、これで黙っていれば武士の名折れである、お家が断絶してでも吉良を討つべし、という声もある。

結局四十七士で吉良を討つことになるわけですが、うわさで江戸の世論が盛り上がってしまい、吉良邸への討ち入りのときには見物者が出るほどだったそうな。



で、浅野内匠頭を即日切腹にし、赤穂藩をとりつぶすという裁定に、柳沢吉保がかかわっていたんですよね。

そういう理不尽な裁定が江戸庶民の話題になったこともあって、世間では柳沢吉保は悪役というイメージがつくことになりました。

また出典がはっきりしないのですが、柳沢吉保には「泰平の世の中で、出世をするのは、金と女を使うに限る」と言ったという話が残っています(笑)

よほど世間からよくおもわれていないのだろうとおもいますが、少なくとも政治手腕はたしかでした。

いわゆる清濁併せ呑むタイプの大人物だったのだろうとおもいます。



1704年、吉保は江戸にいながらにして甲府藩主、15万石の大名となりました。

しかし1709年に綱吉が亡くなると、徳川家の体制が一新し、吉保は隠居に追いやられます。

隠居した吉保は、過去(1695年)に幕府から拝領していた土地を、本格的に庭園として造営しました。

これが六義園です。



吉保は1714年に亡くなりますが、その息子である柳沢吉里は、1724年に大和郡山に転封となりました。

享保の改革により、江戸幕府の天領(直轄地)を増やすこととなり、甲府は幕府が管理することになったのです。

吉里に落ち度があったわけではありませんし、転封先の郡山も15万石でしたが、……親父が成り上がりすぎたために、その死後、子孫が振り回されるハメになった側面はあるでしょう。

かくして柳沢家は藩の殿様となり、その後明治まで郡山藩の大名を務めました。

しかし柳沢氏が郡山に転封されてからも、六義園には柳沢の下屋敷(しもやしき・控えの屋敷)があったことから、大和村(大和郷)といわれたのだそうです。



以上、六所神社のことも気になったのですが、また機会のあるときにします。

あと、相性のよい神仏というお話から考えてみると、ぼくはどうも……ここに移住するにあたってこれまでにいた神様に偶然のご縁があって、これがまた最近あたらしく気づいたつながりがあったんですが、それもまたべつの機会にお話しします。

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