山麓王国

2023年12月11日の投稿4件]

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地名を調べると、昔の様子がわかりますね。

駒の意味、ありがとうございます。
高麗が由来というのは、おもしろいですね。

駒込は、山手線の中で降りたことがない駅のナンバーワンという称号をもらっています(笑)
有名な庭園も2ヶ所あるし、東洋文庫もあるんですが、どうしてなんでしょうね。

生まれた家のすぐ近くにあったので、つい最近まで氏神さまだと思っていた「妙義神社」のHPにはこのように書かれています。
祭神は日本武尊です。

伝承によれば、日本古代史における伝承上の英雄 日本武尊が、当時東国にいた民族である蝦夷を討つために東征した際、この妙義神社がある場所に陣営を構えたと伝えられています。
人々は、御威徳慕い尊びまつりこの地に社が建てられました。
日本武尊が白鳥に生まれ変わり飛び立ったという伝説から、白雉(はくち)2年(651)5月12日、白鳥社と号しました。


ボロボロの神社だったのですが、さっきHPを見たら、令和2年に 「木造の神明造、拝殿に勝軍宮の扁額、社殿の昇龍と降龍の彫刻と、昔の神社の姿を復元」とあり、すごく立派になっていました。

古いだけに真偽がわかるはずもないですが、このような伝説は、日本中にあるのでしょうね。

笑われるかもしれませんが、最近どうもスサノオとヤマトタケルに呼ばれることが多く、妙義神社も近いうちにお参りしてこようと思います。
呼ばれるというのはもちろん直接「おいで」と言われたわけではなく(笑)、夢を見たり、今日みたいに、検索したというほんの偶然から、引き寄せのような形で呼ばれたんだろうな、という自己判断です。
スピリチュアルとか霊感とかではありませんが、どちらにしろあやしいと思われるのは同じかもしれません(笑)
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1173
駒込の地名の由来、ヤマトタケルに由来してるんですね。

余談ですが、駒という地名がつく場合、ひとつは「馬」が語源なんですが、朝鮮半島が由来になることもあるようです。

大昔の人々は、朝鮮のことを「高麗」(こうらい)(こま)と呼んでいました。

コマ遊びの独楽も、奈良時代に唐から朝鮮半島を経由して伝わったことから、「高麗=コマ」なんだそうな。

東京にある狛江という地名は、高麗人(朝鮮人)が住んでいたからなんだそうで、おなじく大阪の大和川沿いにある駒川という地名も、高麗人の居住地だったことが由来らしいです。



スサノオを「いるさ」と読むのははじめて聞いたようにおもえます。

ヤマトタケルの伝承といい、おそらく駒込という地域では古くから、日本神話に対する信仰があつかったのではないでしょうか。

Wikipediaで千駄木を調べたところ、牛舎の写真や歌川広重の絵がありましたが、江戸城からたった5km離れた東京の中心部といわれてもピンとこないような、のどかな様子でした。

こういった歴史の延長線上に、ギズモさんのおっしゃっていた、六本木で金魚を飼っていたというような景色があったのだろうかとおもいました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%...
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おじいさまのそういうお話は貴重ですね。
何気ない会話だったとは思いますが、昔のことを、実際に経験したりご存じだった方から聞く機会は、ありそうでなかなかないものです。

東京では、自然がどんどん失われていく一方で、商業施設の屋上などに、ビオトープが作られていたりします。
小さな自然保護なのでしょうが、金魚鉢の延長のように思ってしまいます。
と言いながら、けっこう見て楽しんでいたりするのですが(笑)

私が小さい頃、家に、古くて細長い木の札があって、墨で「東京府北豊島群駒込村~~」と書かれていました。
駒込村からあとの住所表示も書かれていたはずですが、覚えていません。
たぶん、昔、家の玄関に掛けてあったんでしょうが、あれを取っておいたら鑑定団で1,000円くらいの値がついたのではないかと思います(笑)

真偽はわかりませんが、日本武尊が訪れた時、林にいた、たくさんの馬を見て、「駒、込みたり」と言ったので、駒込という地名がついたそうです。
この林は、その頃「素盞烏山(いるさやま)」と呼んでいたらしいのですが、その後「駒込林」となったようです。
素盞烏山の素盞烏、これスサノオですよね?
でも読み方が違う??
おもしろい発見をしました。

「転間(こま)」(川に囲まれた谷や低湿地)とする説もあるそうです。

森鴎外・夏目漱石が住んでいた、文京区千駄木も、昔は駒込村千駄木でした。

ごめんなさい、生まれたところをちょっと熱く語ってしまいました(笑)
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1170
うちの祖父も、戦前戦後の大阪平野は見渡す限り田んぼか沼しかなかったといってました。

ぼくが子供のころ、40年前でも、都市部の中に田んぼや畑があるのはめずらしい光景ではなかったのですが、いまはほとんど見かけなくなりました。

むかしの都市部はいまみたいに高い建物がありませんから土地の高低がわかりやすかったでしょうし、水が高いところから低いところへ通り、高台に木々が生えているというようなこともわかりやすかったことでしょう。

アスファルトに覆われて、人工的に治水工事がなされてしまうと、むかしどのようになっていたのかは想像がつかなくなりますが、そういうことが土地の名前に残されてたりするんですよね。

大都市をみていると、ほんとうにこれが人間の手でやれることなのかと不思議におもうほどですが、同時にそこに生まれて暮らしていると、ぼく自身もそうであったように、自然の地理がじぶんの生活にどう影響するのか、わからなくなってしまう問題もあろうかとおもいます。



江戸城からわずか2km離れた六本木が田舎だったころというのは、どんなものだったのか、みてみたいものです。

スクランブル交差点も一度渡って、おのぼりさん気分を味わってみたいです(笑)

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