山麓王国

2023年12月12日の投稿2件]

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農園主さんのお考えの通り、駅前の六義園の裏には大和郷(やまとむら)という高級住宅街があり、そこにある幼稚園は庶民は入れないところで、美智子さまも通っていました。
因みにこの幼稚園の初年度納入金は、約80万円です(◎_◎;)

ここも「ヤマト」の名がついていますが、関連はわかりません。

https://www.mecyes.co.jp/column/article/...

駅を下っていく道は、両側が広い商店街で、今でも昔ながらの庶民的なお店がたくさん連なっていますが、確かに大和郷のあたりはお店はあまりありません。

今回の「妙義神社」のこと、些細な話題でしたのに、これほど詳しく教えてくださりありがとうございます。
脱帽以上、もう本当に驚いています。
感服というか(いつもですが)、適当なことばが見当たりません。
何度も読み返しました。

花山院長親の名前は初めて聞きました。
群馬県の妙義神社は行ったことがないのですが、榛名神社は何度かお参りし、ここも岩山、奇岩で、本社も岩に接しています。

群馬県の妙義神社と駒込の妙義神社の関連、詳しくご説明いただき、ありがとうございます。
双方の妙義神社の神職の方も知り得ない、すごいご見解だと思います。
仰るように、憶測なのかもしれないけれど、それはもう立派な考察です。

神仏習合~分離神仏神仏分離も、大いに関係しているのですね。
「武尊大権現」にもびっくりです。

先日お参りした六所神社、お参りの際ざっと調べたのですが、日本に点在する六所神社の中にはご祭神がなんだか違うところもありました。
(追記)六所神社の場合、六柱の神様が祀ってあるという意味合いで、土地によって祭神が違っているようでした。

こういうことを考えると、神社の名前の意味するところは、あいまいなこともあるのかな、とは思っていました。
全部調べたわけではありませんが、愛知県岡崎市の六所神社は、こうなっていました。

鹽竈六所明神(鹽竈神社の六所宮の神)より勧請を受けたもので、六柱の神を祀っていた。岡崎の六所神社はそのうち猿田彦命・塩土老翁命・事勝国勝長狭命の三神の分祀を受けた。現在は、他に12柱の神を祀る

塩土老翁命、前に教えていただいたことがありましたね。

このうち、猿田彦神は、お札はおまつりしていないのですが、適度に信じており、伊勢神宮の中?そば?の猿田彦神社から、お浄めされた火打石を送っていただいています。

神仏は、好みというか、なんとなく相性があるように感じます。
神社・お寺にもそういったなにかはありますね。
そう考えると、人間も同じかもしれませんが。

いつも、いろいろ教えていただき、本当にありがとうございます(o_ _)o))
Icon of nouennushi
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山手線の中で降りたことがない駅のナンバーワンというのは、もしかしたら郊外で閑静な住宅街というようなイメージがあるのでしょうか。

商業地域がすこし離れた場所にあって、住宅街が主役の街の駅は地味になりやすいようにおもえます。



駒込の妙義神社は、群馬県の妙義山の中腹にある妙義神社と、祭神がヤマトタケルである点が共通しているんですが、駒込の神社はもともと白鳥社としてヤマトタケルをまつっていたところから、なぜ妙義神社という名前にしたのかがよくわかりませんでした。

群馬県の妙義山は、ゴツゴツとした岩山であり奇岩なんですが、南北朝時代の知識人である花山院長親がこれをみて「明々魏々である」といったことが、妙義に転じたということのようです。

それで、群馬の妙義神社では花山院長親も祭神に数えられているんですが、駒込の妙義神社ではまつられていません。



ネットで調べたんですが、どうもおなじことが気になった方がいるらしく、群馬の妙義神社に電話をかけて聞かれたというホームページがありました。

そこで、駒込の妙義神社は、室町時代に江戸城を建城した武将、太田道灌が白鳥社から妙義神社としたのではないかというんですが、太田道灌と群馬県の妙義神社の関係性まではわからないのだそうな。

駒込の妙義神社には、末社に太田道灌霊社がまつられているようですね。



室町以前、駒込の妙義神社が白鳥社という名前だったころ、ヤマトタケル信仰は廃れていましたが、これを太田道灌の時代に神仏習合で補強したのかな、というのがぼくの憶測です。

群馬県の妙義神社の鳥居の片側に「武尊大権現」と書かれた写真をみつけました。

妙義神社ではヤマトタケルが、仏教由来の山岳信仰である大権現と結びついていたんですね。

おなじヤマトタケルを信仰していた駒込の白鳥社が、名前を妙義神社に改め、仏教の信仰を取り込むことで、地域の信仰を取り戻そうとしたのかなと。

しかし明治の神仏分離で、そのあたりの事情についてはっきりしたことが言えない状態になって、由緒をみても情報が断絶したままになっている、といったところでしょうか。

特に東京の神社ですから、神仏習合の名残はすべて隠滅させていたのかもしれないなあ、と。

繰り返しますが、憶測です(笑)



駒込の妙義神社は太田道灌が武勇の人であったため、「勝負の神様」「戦勝の宮」といわれたそうですが、ヤマトタケル、牛頭天王も含めて、やはりギズモさんは神仏習合の、荒ぶる神がお好きなようにおもえます。

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