山麓王国

2023年12月16日の投稿4件]

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昔の人は(昔とひとくちに言っても、昭和が既にレトロと言われているので、どの時代から昔かわかりませんが)、よく子どもに、
ご飯を残したらバチがあたるとか、嘘をついたらバチがあたる(閻魔さまに舌を抜かれるとも)とか、神仏の名をを利用した「しつけ」をしていた家庭が多かったように思います。
その親たちが特に信心深かったわけではないでしょうが、そう言われて素直に言いつけを守る子どもも多く、それはそれでいい時代だったのかもしれませんね。

農園主さんが書いていらっしゃるエルサレムあたりの話だと思いますが、現地の人を取材した番組を観たことがあります。
安息日に電気を使ったらいけないというので、ネットもご法度、炊飯器などはタイマーにしておくなど、若い人も細かく制限された戒律に従っていて、これをもう少し柔軟にしていくという方向性はないのかな、と思いました。

こういうことを考えると、日本に生まれたことは自由があっていいとは思うのですが、もしかすると現地の人は、生まれる前からの習慣なので、さほど不便、理不尽なことだとは感じていないのかもしれませんね。

下駄の事で、つまらないことを思い出しました。
花魁道中の独特な歩き方は、一種の作法だと思っていたのですが、あのようにしないと下駄が高くて歩けないんだそうです。
私なら、一歩進む前に転ぶでしょう(笑)

餅つき機があるのに、外なら使わないというのは、餅つきはお正月を迎えるための伝統的な行事だからでしょうか。
 (追記)単純に電源の問題??

こういう行事は見るだけでも楽しいものですが、やる方は大変ですよね。
風が強い日となって餅つき機でお餅をついて、おいしいお酒を召し上がってきてくださいね。

今日は、変に暖かい日でした(^^;)
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オーディブル。

まんまことシリーズ。

この作品はすこしずつ主人公たちの結婚が進んでいくんですが、それ以外は謎解きのようになっていて、いわば舞台が江戸の、大人による『ズッコケ三人組』のような感じです。

9巻まであるうちの、7巻『かわたれどき』まで聞いて、さすがにすこし疲れてきました。

1巻10時間ほどあるので、70時間ちょっとは聞いたことになります。

そこで、気分を変えて『木挽町のあだ討ち』を聞くことに。



これはなんとなくうわさでおもしろいということを聞いていて、江戸が舞台であるということ以外、どんな話かさっぱりわからないまま聞いてみました。

つい今しがた聞き終えたんですが、たしかにおもしろい。

芥川龍之介が書いた『藪の中』という作品があります。

これはいまでも「真相は藪の中」なんて言い方をする、そのもとになった作品です。

ある男が死んだ、その真相を知るために、いろんな人から話を聞いていくんですが、みんなそれぞれに証言が食い違っていて、なにがなんだかわからなくなる。

『藪の中』はみんな語り口調で話していく作品なんですが『木挽町のあだ討ち』もおなじやり方で、いろんな人が話をする格好で物語が展開していきます。

真相がどんどんわからなくなっていく短編の『藪の中』の向こうを張って、真相がすこしずつ明らかになって、最終的にすべての伏線がキレイに回収される長編が『木挽町のあだ討ち』といった感じ。

たぶん、作者は『藪の中』を意識してるだろうとおもうんですよね。

ちなみに『木挽町のあだ討ち』はところどころにホロッとくるところがあります。

ひとつ間違うとベタな展開になりがちなところを、こちらの心に浸み込むように伝えてくる技術はすごいとおもいました。



あとこれから、遠藤周作の『沈黙』の朗読があたらしく入ってきたのでこれを聞こうかとおもっていて、さらに半藤一利の語る昭和史と幕末史あたりも聞こうとおもっています。

2か月間で200円の割引セールなんですが、いまだいたい一か月。

ふだんの月額1500円はとても出せませんが、さて、タイムリミットまでにどこまで聞けることでしょう(笑)

#与太話
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今週半ばに、日曜日に餅つきをしようとお誘いがありました。

コロナになってから、自治会のイベントが減ったことで、ご近所さんが有志でやってくれているのです。

集まるのは8人ほど。

屋外の餅つきなんですが、去年からはぼくが鍋の用意を自発的にするようになり、ことしもおなじく鍋の野菜や肉の準備と、あとお酒を買いました。

気をつかわなくていいと言ってもらってるんですが、餅や場所を用意してくださるのがふだん物心両面でお世話になっているご近所さんで、すこしくらい還元させてもらいたくて。

しかしあしたはどうも風が強くなりそうなので、もしかしたらご近所さんの家の中で、餅つき機をつかってやることになるかもしれないとご連絡がありました。

そのほうがラクでよいのは間違いありません(笑)

というわけであしたは一日酒飲みになりそうです。

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庚申信仰は、庚申の日の夜には眠ってはならないというんですよね。

眠ると体内から三尸が出てきて、天帝に告げ口をしてわるいことが起こる(寿命が縮む)というような迷信があるため、人の心が離れてしまったのだろうとおもいます。

むかしはそういった民間信仰でも地域の結びつきにはなっていたのだろうとおもうんですが、この手の罰則をつくるような信仰は長続きしないですね。

生前の行いが死後に裁かれるというような地獄思想が現代になって廃れたのも、罰則だからです。

「〇〇してはならない。これを破ると天罰が下る」というような信仰は、法律がまともに機能していなかった近代以前には一定の効果もあったのかもしれません。

が、法による罰則がしっかり機能する時代になると、罰則は宗教の役割ではなくなります。

それに加えて、庚申信仰は古神道のようにはっきりした教祖もなく、「人間はこう生きるべき」という教義もなくてぼんやりしていたところも、衰退の原因だろうとおもいます。



一本下駄は山登りに便利で修験者が履いていたというんですが、そもそもあれを履きこなすのに修行が必要そうです。

猿田彦も現代風にスパイク長靴くらい履かせてあげればいいのになあ(笑)



信仰の作法の件ですが、先日テレビ番組で宗教者ふたりが対談しているのをみました。

いま起こっているイスラエルの戦争について語っていたんです。

イスラエルの、いま戦争が起こっているガザから東へ80kmほど離れたところに、エルサレムがあります。

エルサレムにはユダヤ教の聖地「嘆きの壁」、キリスト教の聖地「聖墳墓(せいふんぼ)教会」、イスラム教の聖地「岩のドーム」があります。

世界の主要な宗教3つの聖地が、エルサレムに固まっているんですね。

日本人であれば、じぶんの信仰にかかわらず、あんまりむずかしく考えず、嘆きの壁にも聖墳墓教会にも岩のドームにも、観光気分で行くのではないかとおもいます。

でも現地では、じぶんの宗教がユダヤ教なら嘆きの壁にしか行かない。

キリスト教なら聖墳墓教会にしか行かないし、イスラム教なら岩のドームにしか行かないのだそうな。

それぞれ、すぐ近くにあるべつの聖地には見向きもしない。

そういう宗教的な頑固さが、長く続いているイスラエルの戦争の一因ではないかというんですね。



なにが言いたいのかというと、じぶんの信仰に対してあまり頑固になって、よその宗教を受け付けないということをすると、それはやっぱり対立を生んで、いがみあうきっかけになってしまうということです。

キリスト教徒がお焼香をするのは、むしろキリスト教の懐の深さを示すことになるでしょうし……お地蔵さんに柏手を打つのも、その人に信心が備わっていれば問題ないような気がします(笑)

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