2024年8月31日の投稿[1件]
高校の学生運動のお話からふとおもったんですが、むかしのインテリは、社会をダイナミックに変えていくことを、一種の使命のように感じていたんですよね。
学生運動もそういったインテリの社会意識のもとに起こっています。
なのでこれから大学へ行き、社会を背負う人間になろうとする高校生が、学生運動にいち早く参加しようとしたのも、わかる気がします。
けれど学生運動が敗北してから、日本での学歴エリートの権威も失墜して、たんなる勉強ができる賢い人、という以上の意味付けがなされなくなったのではないでしょうか。
本来、東京大学であったり京都大学に入学できるような人は、日本の社会の中核を担うべき人材です。
当人にもエリートであるという意識がなくてはならないし、社会全体でそのように意識付けする必要もあったとおもいます。
お笑い芸人や落語家になったり、クイズ同好会でテレビに出るというようなことは、本来の役割ではないんですが、そんなことが当たり前になったのは、学生運動の敗北と地続きなのではないかとおもっています。
義理の息子さんのお父さんのご不幸、たいへんでしたね。
そこでスピリチュアルに感じられる出来事があったとのこと。
ぼくの以前の話をおぼえていてくださったので、今回はそこから発展させていこうかとおもいます。
今回は5次元の話で、かなりスピリチュアルな話でもあるとおもいます。
ただ、最初に言っておくのですが(そしてあとでも述べますが)、この話は、巷にある「5次元意識」というような、チャネリングのような話とはまったく関係がありません。
あくまで物理学的なアプローチに、ファンタジーな領域が混じった話とおもっていただければとおもいます。
宇宙物理学では約94%の暗黒物質・暗黒エネルギーがあって、われわれが感知できる物質は約5%だといいます。
最近ではこの人間に感知できない物質とエネルギーを、「5次元に関連している」とする研究・仮説があるようです。
https://gigazine.net/news/20210215-dark-...
最近話題になった本で『三体』という中国の小説があるんですが、あれは宇宙物理学をもとにしたファンタジーでした。
宇宙人である三体星人は、われわれ人類が4次元までしか感知できないことに目をつけて、さらに高次元を利用する、という描写があります。
つまり、肉体を持ち、時間にとらわれざるを得ないわれわれは4次元までしか認知できないのですが、宇宙にはさらに高次元の世界がありうるというのです。
1次元は、直線です。
2次元は紙に書かれた絵のような、面ですね。
3次元はこの面に奥行きが加わった、われわれが暮らしているような空間です。
では4次元はというと「3次元 + 時間(過去・現在・未来)」になります。
この4次元がわれわれの暮らす次元です。
われわれは4次元に生きているので、流れていく時間の中で、現在を生きて、おなじ現在を生きるだれかと出会います。
では5次元とはなんなのかというと、4次元における「時間」の軸が無数に存在している……つまり、パラレルワールドが無数に展開されているというのです。
パラレルワールドとはなにかというと、たとえばぼくがいま右を向く、という選択をするか、あるいは左を向く、という選択をするかで、未来はほんの少し分岐しますよね。
その分岐したぶんの世界が存在する、というのです。
しかしぼくたちは「いま現在のじぶん」という四次元空間を生きていますから、肉体がある以上、五次元空間を感知することはできません。
肉体をもって、時間とともに生きているわれわれが、パラレルワールドを自由に行き来できる、というのはあくまでファンタジーです。
暗黒物質や暗黒エネルギーが五次元と関与しているということも、もしかしたら今後物理学の精緻な研究とデータの積み重ねで、立証される、あるいはその現実性に肉薄することがあるかもしれません。
しかし、われわれが実際に五次元を利用して、過去や未来を変えるということは、すくなくとも肉体をもって「いま現在のじぶん」を生きている限りは不可能でしょう。
かといって、じゃあ死んだらそういうことが可能なのかどうかというと、それもだれにもわからないことです。
そしてだれにもわからないということは、可能性を否定するわけにもいかない、ということでもあるわけです(笑)
以前にも話したかもしれないんですが、「インターステラー」という映画があります。
これは映画公開から3年後に、重力波の検出によってノーベル賞を受賞した、物理学者のキップ・ソーンがかかわった映画なんですが、5次元空間が出てきます。
さっきのギガジンの記事に「重力だけが5次元目以降の余剰次元に移動できる」という一文があるのですが、重力波と5次元につながりがあることが、この映画でも示唆されています。
映画序盤では、主人公の娘の部屋の本棚から本が落ちる不思議な現象が描かれます。
幽霊がいるという娘に、幽霊などいないという主人公。
ちなみにこの映画では地球がもうほとんど住めない状態になりつつあるんですね。
主人公はほどなく地球にかわる星を探すために宇宙へ旅立つのですが、星々を旅するうちに地球との時差が広がり、竜宮城にいる浦島太郎のような状態になってしまいます。
主人公の年とおなじになった子供たちが宇宙船にメッセージを届けるようになり、そのうち子供たちが主人公より年老いていく。
この描写はまるで、若くして死んだ親に子供の年齢が近づき、肩を並べ、父の年齢を追い越していくのに似ています。
そしてさっき言った本棚から本が落ちる現象は、じつは未来の主人公が5次元空間から重力波を利用して、過去の娘にメッセージを送っていたということが、映画終盤でわかるんです。
このインターステラーは、アマゾンプライムビデオで見られますから、すこし長い映画なんですが、ぜひ見ていただきたいです。
ギズモさんのおっしゃる、「偶然」が、ほんとうに偶然なのかどうか、考えるきっかけになるのではないかとおもいます。
個人的にあの5次元空間の描き方は、ギズモさんのおっしゃる不思議な現象を、科学的なアプローチから答えているようにおもえました。
そこからさらに飛躍して、いよいよファンタジーの領域に入りますが、われわれが死んで肉体を失ったとき、時間や空間の物理性はどうなるでしょうか。
肉体がなくなったとき、じぶんという精神性はどこへ行くのか。
この肉体は時間と空間にとらわれていますが、われわれの死後の精神、あるいは魂、あるいはこの宇宙のエレメントのようなものは、時間を感じることができるのでしょうか。
たとえば、ぼくが死んだら、何年過ぎたかなんてさっぱりわからないでしょう。
次に生まれ変わるときには、1億年が過ぎていたということだって、ないとは言い切れません。
もっといえば、ぼくが死んだとき、次に生まれ変わりがもしあるとすれば、それは果たして地球なのか、あるいは宇宙のべつの星もあり得るのか。
江戸時代に上田秋成が書いた『雨月物語』の「菊花の契り」というエピソードの中に「人一日に千里をゆくことあたはず。魂よく一日に千里をもゆく」という言葉があります。
人間は一日に千里をゆくことはかなわないが、魂であれば一日に千里でもゆくことができる、というのです。
江戸時代の人がこういう感覚をもっていたことに感心するのですが、しかし人間の魂が、物理学でいうところの光速を越えることはできるでしょうか。
結局人間の魂も物理的な法則に縛られているのだとしたら、宇宙にいくら恒星系の知的生命体のいる星があるとしても、ぼくは何光年、つぎの命にたどりつくまで旅をしなければならないでしょうか。
確率で考えれば、永遠に宇宙の迷子になる可能性のほうが高そうですね(笑)
けれど、われわれはもしかしたら、死後、五次元のような、いまわれわれがとらわれている次元とはまったくべつの次元から世界を俯瞰することだってできるかしれにし(ミスタイプでした→できるかもしれませんし)、ひょいと気まぐれになんらかの命を生きるということだって可能かもしれません。
それに、生前の魂の方向性というものがあるのなら、肉体から魂が解き放たれた瞬間、いま生きているだれかに、なにかわずかなメッセージを与えることも可能かもしれないとはおもいます。
しかしさっき言った物理学者のキップ・ソーンがいうには、重力波には、映画にあるような「本を落とす」ようなチカラはない、といいます。
だから、よくオカルトの話にあるような、強烈な心霊現象(ポルターガイスト)のような干渉は、できないのだろうとおもっています。
しかし、だとすれば、なにかもっと微弱なメッセージを、われわれはべつの次元から受け取っている「かもしれません」。
すくなくとも頭ごなしに否定するようなことではないとおもいます。
ミャンマーや、日本にも多少あるとおもうんですが、精霊信仰のある国では、亡くなった人がいまじぶんの目の前を飛んでいる蝶かもしれないなどというような話がありますよね。
科学がなかったころから、われわれは感覚的に、なにか本質的なことを理解していたのかもしれないぞ、という気もしています。
そのうえであらためて注意したいのですが、今回の話は、ネット上にうっすらとはびこる「五次元意識」のようなスピリチュアル、チャネリングのようなものではないし、あくまで科学的な事実と可能性から、われわれがなにか感覚的に理解している不思議な話をつないで「楽しむ話」だとおもっていただけるとありがたいです。
学生運動もそういったインテリの社会意識のもとに起こっています。
なのでこれから大学へ行き、社会を背負う人間になろうとする高校生が、学生運動にいち早く参加しようとしたのも、わかる気がします。
けれど学生運動が敗北してから、日本での学歴エリートの権威も失墜して、たんなる勉強ができる賢い人、という以上の意味付けがなされなくなったのではないでしょうか。
本来、東京大学であったり京都大学に入学できるような人は、日本の社会の中核を担うべき人材です。
当人にもエリートであるという意識がなくてはならないし、社会全体でそのように意識付けする必要もあったとおもいます。
お笑い芸人や落語家になったり、クイズ同好会でテレビに出るというようなことは、本来の役割ではないんですが、そんなことが当たり前になったのは、学生運動の敗北と地続きなのではないかとおもっています。
義理の息子さんのお父さんのご不幸、たいへんでしたね。
そこでスピリチュアルに感じられる出来事があったとのこと。
ぼくの以前の話をおぼえていてくださったので、今回はそこから発展させていこうかとおもいます。
今回は5次元の話で、かなりスピリチュアルな話でもあるとおもいます。
ただ、最初に言っておくのですが(そしてあとでも述べますが)、この話は、巷にある「5次元意識」というような、チャネリングのような話とはまったく関係がありません。
あくまで物理学的なアプローチに、ファンタジーな領域が混じった話とおもっていただければとおもいます。
宇宙物理学では約94%の暗黒物質・暗黒エネルギーがあって、われわれが感知できる物質は約5%だといいます。
最近ではこの人間に感知できない物質
https://gigazine.net/news/20210215-dark-...
最近話題になった本で『三体』という中国の小説があるんですが、あれは宇宙物理学をもとにしたファンタジーでした。
宇宙人である三体星人は、われわれ人類が4次元までしか感知できないことに目をつけて、さらに高次元を利用する、という描写があります。
つまり、肉体を持ち、時間にとらわれざるを得ないわれわれは4次元までしか認知できないのですが、宇宙にはさらに高次元の世界がありうるというのです。
1次元は、直線です。
2次元は紙に書かれた絵のような、面ですね。
3次元はこの面に奥行きが加わった、われわれが暮らしているような空間です。
では4次元はというと「3次元 + 時間(過去・現在・未来)」になります。
この4次元がわれわれの暮らす次元です。
われわれは4次元に生きているので、流れていく時間の中で、現在を生きて、おなじ現在を生きるだれかと出会います。
では5次元とはなんなのかというと、4次元における「時間」の軸が無数に存在している……つまり、パラレルワールドが無数に展開されているというのです。
パラレルワールドとはなにかというと、たとえばぼくがいま右を向く、という選択をするか、あるいは左を向く、という選択をするかで、未来はほんの少し分岐しますよね。
その分岐したぶんの世界が存在する、というのです。
しかしぼくたちは「いま現在のじぶん」という四次元空間を生きていますから、肉体がある以上、五次元空間を感知することはできません。
肉体をもって、時間とともに生きているわれわれが、パラレルワールドを自由に行き来できる、というのはあくまでファンタジーです。
暗黒物質や暗黒エネルギーが五次元と関与しているということも、もしかしたら今後物理学の精緻な研究とデータの積み重ねで、立証される、あるいはその現実性に肉薄することがあるかもしれません。
しかし、われわれが実際に五次元を利用して、過去や未来を変えるということは、すくなくとも肉体をもって「いま現在のじぶん」を生きている限りは不可能でしょう。
かといって、じゃあ死んだらそういうことが可能なのかどうかというと、それもだれにもわからないことです。
そしてだれにもわからないということは、可能性を否定するわけにもいかない、ということでもあるわけです(笑)
以前にも話したかもしれないんですが、「インターステラー」という映画があります。
これは映画公開から3年後に、重力波の検出によってノーベル賞を受賞した、物理学者のキップ・ソーンがかかわった映画なんですが、5次元空間が出てきます。
さっきのギガジンの記事に「重力だけが5次元目以降の余剰次元に移動できる」という一文があるのですが、重力波と5次元につながりがあることが、この映画でも示唆されています。
映画序盤では、主人公の娘の部屋の本棚から本が落ちる不思議な現象が描かれます。
幽霊がいるという娘に、幽霊などいないという主人公。
ちなみにこの映画では地球がもうほとんど住めない状態になりつつあるんですね。
主人公はほどなく地球にかわる星を探すために宇宙へ旅立つのですが、星々を旅するうちに地球との時差が広がり、竜宮城にいる浦島太郎のような状態になってしまいます。
主人公の年とおなじになった子供たちが宇宙船にメッセージを届けるようになり、そのうち子供たちが主人公より年老いていく。
この描写はまるで、若くして死んだ親に子供の年齢が近づき、肩を並べ、父の年齢を追い越していくのに似ています。
そしてさっき言った本棚から本が落ちる現象は、じつは未来の主人公が5次元空間から重力波を利用して、過去の娘にメッセージを送っていたということが、映画終盤でわかるんです。
このインターステラーは、アマゾンプライムビデオで見られますから、すこし長い映画なんですが、ぜひ見ていただきたいです。
ギズモさんのおっしゃる、「偶然」が、ほんとうに偶然なのかどうか、考えるきっかけになるのではないかとおもいます。
個人的にあの5次元空間の描き方は、ギズモさんのおっしゃる不思議な現象を、科学的なアプローチから答えているようにおもえました。
そこからさらに飛躍して、いよいよファンタジーの領域に入りますが、われわれが死んで肉体を失ったとき、時間や空間の物理性はどうなるでしょうか。
肉体がなくなったとき、じぶんという精神性はどこへ行くのか。
この肉体は時間と空間にとらわれていますが、われわれの死後の精神、あるいは魂、あるいはこの宇宙のエレメントのようなものは、時間を感じることができるのでしょうか。
たとえば、ぼくが死んだら、何年過ぎたかなんてさっぱりわからないでしょう。
次に生まれ変わるときには、1億年が過ぎていたということだって、ないとは言い切れません。
もっといえば、ぼくが死んだとき、次に生まれ変わりがもしあるとすれば、それは果たして地球なのか、あるいは宇宙のべつの星もあり得るのか。
江戸時代に上田秋成が書いた『雨月物語』の「菊花の契り」というエピソードの中に「人一日に千里をゆくことあたはず。魂よく一日に千里をもゆく」という言葉があります。
人間は一日に千里をゆくことはかなわないが、魂であれば一日に千里でもゆくことができる、というのです。
江戸時代の人がこういう感覚をもっていたことに感心するのですが、しかし人間の魂が、物理学でいうところの光速を越えることはできるでしょうか。
結局人間の魂も物理的な法則に縛られているのだとしたら、宇宙にいくら恒星系の知的生命体のいる星があるとしても、ぼくは何光年、つぎの命にたどりつくまで旅をしなければならないでしょうか。
確率で考えれば、永遠に宇宙の迷子になる可能性のほうが高そうですね(笑)
けれど、われわれはもしかしたら、死後、五次元のような、いまわれわれがとらわれている次元とはまったくべつの次元から世界を俯瞰することだってできるか
それに、生前の魂の方向性というものがあるのなら、肉体から魂が解き放たれた瞬間、いま生きているだれかに、なにかわずかなメッセージを与えることも可能かもしれないとはおもいます。
しかしさっき言った物理学者のキップ・ソーンがいうには、重力波には、映画にあるような「本を落とす」ようなチカラはない、といいます。
だから、よくオカルトの話にあるような、強烈な心霊現象(ポルターガイスト)のような干渉は、できないのだろうとおもっています。
しかし、だとすれば、なにかもっと微弱なメッセージを、われわれはべつの次元から受け取っている「かもしれません」。
すくなくとも頭ごなしに否定するようなことではないとおもいます。
ミャンマーや、日本にも多少あるとおもうんですが、精霊信仰のある国では、亡くなった人がいまじぶんの目の前を飛んでいる蝶かもしれないなどというような話がありますよね。
科学がなかったころから、われわれは感覚的に、なにか本質的なことを理解していたのかもしれないぞ、という気もしています。
そのうえであらためて注意したいのですが、今回の話は、ネット上にうっすらとはびこる「五次元意識」のようなスピリチュアル、チャネリングのようなものではないし、あくまで科学的な事実と可能性から、われわれがなにか感覚的に理解している不思議な話をつないで「楽しむ話」だとおもっていただけるとありがたいです。