2024年11月の投稿[7件]
2024年11月26日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
民主主義を説明するにはひと言ではもちろん足りないんですが、それでもムリにひと言でいえば、民主主義とは「手続き」なんですね。
国民・市民による選挙という手続きによって政治家が選ばれ、憲法・法律という手続きによって国家の秩序をたもつ。
この「手続き」のシステムが民主主義の背骨になっています。
で、この手続きの面倒くささは、民主主義の長所でもあり、短所でもあるんです。
たとえば安倍晋三を殺した山上徹也は、そこにどんな正当性があろうと、国家からみればテロリストということになります。
なぜなら民主主義国家では、たとえ悪があるとわかっていても、それは法秩序の手続きによって正していかねばなりませんし、殺して解決してやろうというのは、手続きを踏んでおらずアウトだからです。
しかし、ここでひとつの疑問が生まれます。
「法が権力者を優遇することがあるような例外がある以上、国民が民主主義のシステムをおとなしく守っているだけではダメな局面もあるんじゃないか?」
この疑問は残念ながら、ただしいんです。
山上徹也が革命分子から「山上烈士」などともてはやされたのは、民主主義のシステムを暴力的に打ち砕いたときに、それでたしかに世の中が変わってしまったからです。
山上徹也の「家庭の事情」をマスメディアが大きく取り上げ、統一教会は弱体化し、政治的には安倍派の影響力も衰微しました。
革命側からみれば、以下のように言いたくなることでしょう。
「日本は民主主義だなどと言ってるが、手続きを無視して暴力でものごとを変えたら、世の中はちゃっかりそこに乗っかって、変革をおこなったじゃないか。
ほんとうにこの国が民主主義国家なら、安倍晋三殺害によって世の中を変えるなんてことはしてはいけなかったんじゃないのか。
統一教会の問題はそのままにしておかなきゃいけないし、マスメディアはこの問題を問題として取り上げちゃいけなかったはず。
民主主義にあるべき手続きを踏んでいないのだから、本来無効でなくちゃならないことを、変革の材料として認めてしまっているじゃないか。
テロリストが権力者を殺して世の中を変えたなんて、あってはならないのに、山上徹也は安倍晋三を殺して、世の中を変えてしまった。
民主主義国家なんてこんなもんなんだよ」
戦争のころの日本の民主主義がおかしかった理由は、この山上徹也的な手法が横行していたからです。
必要となれば民主主義的な手続きを完全に無視して事を運び、変革をおこなってしまい、あらためて民主主義的に事を運ぶ、というやり方です。
本来、こんなことは超例外でなければならないんですが、日本自体しっかりした民主主義的思想が共有できておらず、さらに二二六事件によって軍部が政治中枢に入り込んでから、収拾がつかなくなったんですね。
これはおそらく以前にも書いたことがあるとおもうんですが、昭和天皇も戦後なお「いざとなれば手続きを省略できる独裁のほうがよいのではないか」と考えていたようです。
ほかならぬ昭和天皇が、民主主義の手続きのもどかしさをボヤいていたわけです。
日本は明治以降、曲がりなりにも選挙制度と立憲主義をとっていて、西洋的な国家運営を目指していました。
そこにはもちろん、民主主義的な方向性も含まれていました。
しかし昭和天皇でさえ、いざとなれば手続きなんかやってる場合じゃないだろうという認識だったわけです。
戦後GHQは、このように民主主義が恣意的に運用されることを認めませんでした。
「『民主主義国家』を謳う国が、国ごとに実際は異なる政治体制だとすると、もう『民主主義』という言い方をやめてもいいように思います」
というギズモさんの言葉はもっともです。
アメリカにしたって、トランプが4年前に議会を襲撃しましたが、あれは議会制民主主義を手続きを経ずに破壊しようとしたわけで、本来あってはならないことです。
アメリカが厳格に民主主義を標榜するのであれば、トランプは処刑されてしかるべきでした。
しかし当のアメリカが、それはそれとしてトランプを再選させてしまいました。
民主主義は厳格に運用されないと意味がないんですが、その運用のありようは国によってちがうし、その時代によって厳格に運用されたり、いい加減になったりする、維持管理がたいへんなシステムなんだとおもいます。
指をケガする出来事が続いたとのこと、たいへんだったとおもいますが、その後障りはないでしょうか。
もしぼくにおなじようなことが起こったら、やっぱりなにかのメッセージだとおもってしまうことでしょう。
なにかじぶんの心の方向性で改めるべき点がないか、振り返ります。
今後はより注意深く行動しよう、ともおもいます。
まあ、実際にはまたおなじようなことはやらかしちゃうわけですが(笑)
結局、ケガをじぶんの行動改善のきっかけにしてるんです。
家電の故障などもそうですが、ケガなども一度起きると続けざまにあれこれ起こることがありますね。
うちの父は、がんが発見された後、検査でそれがふたつだったとわかり、肺がんを胸腔鏡手術で治療するはずが、問題が発生して胸を横に20cmも切る開胸手術になってしまいました。
さらにその後の入院中にコロナに感染。
退院後に咽喉がんの放射線治療で苦しみ、その数か月後に帯状疱疹を発症。さらにその数か月後に脱腸がみつかり、これも手術で治しています。
これまでほとんど大きな病気のなかった父が、たった1年の間で立て続けにいくつもの病気治療に追われました。
まあ、全身のメンテナンスをして改善したのだとおもえば、いまとなってはよかったとおもいますが、ああいうことがほんとうに起こるから、不思議ですね。
平家物語なんですが、先日、直売所が改装工事で休業したんです。
それでできた貴重な休日を利用して、日帰りで大原の寂光院に行きました。
平清盛が死んだ後、あれよあれよと平家は没落します。
清盛に煮え湯を飲まされていた後白河法皇が源氏と手を組み、平家は頼朝が派遣した義経に追われ続けます。
京都から瀬戸内海沿いへと撤退しながら、最後壇ノ浦で一族郎党みな討ち死にします。
権勢を極めた清盛は、とうとう孫に天皇を持つにまで至ったのですが、清盛の娘であり、7歳の安徳天皇の母である平徳子は、目の前で我が子が清盛の妻である二位尼に手を取られ、舟から飛び込んで壇ノ浦の海に入水するさまをみます。
後を追って徳子も海に身を投げたのですが、彼女だけが源氏方に救われてしまうんですね。
子を失い、家族もみな失い、権力も失い、じぶんだけが生き永らえてしまった。
寂光院は平徳子(建礼門院)が、壇ノ浦の合戦ののちに隠棲していた尼寺で、平家の菩提を弔い、自身の運命に苦しみながら日々を過ごしたといいます。
没落し、断絶したとはいえ、天皇の母です。
丁重に扱われていましたが、なにせたいへんな田舎でした。
在所の人々が、夏野菜と赤ジソでつくったお漬物を持ってきたのだけど、これを建礼門院はしみじみと喜んで食べたといいます。
そのときにこの漬物を「しば漬け」と名付けたそうな。
大原にはこの時代のしば漬けを再現した、ほんとうにシンプルな製法のものが売られていて、このお漬物を買ってきて、食べたんですが、乳酸発酵の効果でものすごく酸っぱい(笑)
スーパーに売ってるしば漬けとはまったくちがう、まったく現代に迎合していない、それでいて洗練されたお漬物でした。
こんなに純朴で、風変わりで、大昔の味をつないだお漬物はめったにないとおもい、今度京都の贈りもののひとつにしようとおもったんです。
が、なにせお漬物は好き嫌いがありますから、これだけは事前に伺っておこうとおもった次第です(笑)
国民・市民による選挙という手続きによって政治家が選ばれ、憲法・法律という手続きによって国家の秩序をたもつ。
この「手続き」のシステムが民主主義の背骨になっています。
で、この手続きの面倒くささは、民主主義の長所でもあり、短所でもあるんです。
たとえば安倍晋三を殺した山上徹也は、そこにどんな正当性があろうと、国家からみればテロリストということになります。
なぜなら民主主義国家では、たとえ悪があるとわかっていても、それは法秩序の手続きによって正していかねばなりませんし、殺して解決してやろうというのは、手続きを踏んでおらずアウトだからです。
しかし、ここでひとつの疑問が生まれます。
「法が権力者を優遇することがあるような例外がある以上、国民が民主主義のシステムをおとなしく守っているだけではダメな局面もあるんじゃないか?」
この疑問は残念ながら、ただしいんです。
山上徹也が革命分子から「山上烈士」などともてはやされたのは、民主主義のシステムを暴力的に打ち砕いたときに、それでたしかに世の中が変わってしまったからです。
山上徹也の「家庭の事情」をマスメディアが大きく取り上げ、統一教会は弱体化し、政治的には安倍派の影響力も衰微しました。
革命側からみれば、以下のように言いたくなることでしょう。
「日本は民主主義だなどと言ってるが、手続きを無視して暴力でものごとを変えたら、世の中はちゃっかりそこに乗っかって、変革をおこなったじゃないか。
ほんとうにこの国が民主主義国家なら、安倍晋三殺害によって世の中を変えるなんてことはしてはいけなかったんじゃないのか。
統一教会の問題はそのままにしておかなきゃいけないし、マスメディアはこの問題を問題として取り上げちゃいけなかったはず。
民主主義にあるべき手続きを踏んでいないのだから、本来無効でなくちゃならないことを、変革の材料として認めてしまっているじゃないか。
テロリストが権力者を殺して世の中を変えたなんて、あってはならないのに、山上徹也は安倍晋三を殺して、世の中を変えてしまった。
民主主義国家なんてこんなもんなんだよ」
戦争のころの日本の民主主義がおかしかった理由は、この山上徹也的な手法が横行していたからです。
必要となれば民主主義的な手続きを完全に無視して事を運び、変革をおこなってしまい、あらためて民主主義的に事を運ぶ、というやり方です。
本来、こんなことは超例外でなければならないんですが、日本自体しっかりした民主主義的思想が共有できておらず、さらに二二六事件によって軍部が政治中枢に入り込んでから、収拾がつかなくなったんですね。
これはおそらく以前にも書いたことがあるとおもうんですが、昭和天皇も戦後なお「いざとなれば手続きを省略できる独裁のほうがよいのではないか」と考えていたようです。
個人の自由のないことは言語道断だけれども、
ものが着々進むのは事実上、統制の強い力で引っ張らねば上がらぬ。
自由 民主という方向でゆくと なかなかものは進まぬ
これはむつかしい。
スターリンでもヒトラーでもムッソリーニでも
全体主義で引っ張るのが仕事は進む
英米のような思想系統のものは
自由でしかも仕事がいくかもしれぬが
国によってはそれではなかなか
国運を急に引っ張るはむつかしい
これはむつかしい問題だね。
ほかならぬ昭和天皇が、民主主義の手続きのもどかしさをボヤいていたわけです。
日本は明治以降、曲がりなりにも選挙制度と立憲主義をとっていて、西洋的な国家運営を目指していました。
そこにはもちろん、民主主義的な方向性も含まれていました。
しかし昭和天皇でさえ、いざとなれば手続きなんかやってる場合じゃないだろうという認識だったわけです。
戦後GHQは、このように民主主義が恣意的に運用されることを認めませんでした。
「『民主主義国家』を謳う国が、国ごとに実際は異なる政治体制だとすると、もう『民主主義』という言い方をやめてもいいように思います」
というギズモさんの言葉はもっともです。
アメリカにしたって、トランプが4年前に議会を襲撃しましたが、あれは議会制民主主義を手続きを経ずに破壊しようとしたわけで、本来あってはならないことです。
アメリカが厳格に民主主義を標榜するのであれば、トランプは処刑されてしかるべきでした。
しかし当のアメリカが、それはそれとしてトランプを再選させてしまいました。
民主主義は厳格に運用されないと意味がないんですが、その運用のありようは国によってちがうし、その時代によって厳格に運用されたり、いい加減になったりする、維持管理がたいへんなシステムなんだとおもいます。
指をケガする出来事が続いたとのこと、たいへんだったとおもいますが、その後障りはないでしょうか。
もしぼくにおなじようなことが起こったら、やっぱりなにかのメッセージだとおもってしまうことでしょう。
なにかじぶんの心の方向性で改めるべき点がないか、振り返ります。
今後はより注意深く行動しよう、ともおもいます。
まあ、実際にはまたおなじようなことはやらかしちゃうわけですが(笑)
結局、ケガをじぶんの行動改善のきっかけにしてるんです。
家電の故障などもそうですが、ケガなども一度起きると続けざまにあれこれ起こることがありますね。
うちの父は、がんが発見された後、検査でそれがふたつだったとわかり、肺がんを胸腔鏡手術で治療するはずが、問題が発生して胸を横に20cmも切る開胸手術になってしまいました。
さらにその後の入院中にコロナに感染。
退院後に咽喉がんの放射線治療で苦しみ、その数か月後に帯状疱疹を発症。さらにその数か月後に脱腸がみつかり、これも手術で治しています。
これまでほとんど大きな病気のなかった父が、たった1年の間で立て続けにいくつもの病気治療に追われました。
まあ、全身のメンテナンスをして改善したのだとおもえば、いまとなってはよかったとおもいますが、ああいうことがほんとうに起こるから、不思議ですね。
平家物語なんですが、先日、直売所が改装工事で休業したんです。
それでできた貴重な休日を利用して、日帰りで大原の寂光院に行きました。
平清盛が死んだ後、あれよあれよと平家は没落します。
清盛に煮え湯を飲まされていた後白河法皇が源氏と手を組み、平家は頼朝が派遣した義経に追われ続けます。
京都から瀬戸内海沿いへと撤退しながら、最後壇ノ浦で一族郎党みな討ち死にします。
権勢を極めた清盛は、とうとう孫に天皇を持つにまで至ったのですが、清盛の娘であり、7歳の安徳天皇の母である平徳子は、目の前で我が子が清盛の妻である二位尼に手を取られ、舟から飛び込んで壇ノ浦の海に入水するさまをみます。
後を追って徳子も海に身を投げたのですが、彼女だけが源氏方に救われてしまうんですね。
子を失い、家族もみな失い、権力も失い、じぶんだけが生き永らえてしまった。
寂光院は平徳子(建礼門院)が、壇ノ浦の合戦ののちに隠棲していた尼寺で、平家の菩提を弔い、自身の運命に苦しみながら日々を過ごしたといいます。
没落し、断絶したとはいえ、天皇の母です。
丁重に扱われていましたが、なにせたいへんな田舎でした。
在所の人々が、夏野菜と赤ジソでつくったお漬物を持ってきたのだけど、これを建礼門院はしみじみと喜んで食べたといいます。
そのときにこの漬物を「しば漬け」と名付けたそうな。
大原にはこの時代のしば漬けを再現した、ほんとうにシンプルな製法のものが売られていて、このお漬物を買ってきて、食べたんですが、乳酸発酵の効果でものすごく酸っぱい(笑)
スーパーに売ってるしば漬けとはまったくちがう、まったく現代に迎合していない、それでいて洗練されたお漬物でした。
こんなに純朴で、風変わりで、大昔の味をつないだお漬物はめったにないとおもい、今度京都の贈りもののひとつにしようとおもったんです。
が、なにせお漬物は好き嫌いがありますから、これだけは事前に伺っておこうとおもった次第です(笑)
2024年11月21日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
司馬遼太郎の言葉から、幅広く深いお話をありがとうございます。
『街道をゆく』の中の言葉だったのですね。知りませんでした。
著名人の言葉というのは、どこかで書かれたものから切り取られている場合が多いので、そこだけを読んでも意味を的確に捉えられないことがあるかもしれませんね。
私はこれを読んだ時、最初に数年前のワクチン騒ぎを思い出しました。
強制ではなく任意接種とは言いながら、職域接種も行われ、接種済みの人は何かと優遇されていました。現在84%を超す人が接種しています。
そして、何らかの事情で打てない人は仕事を追われたり(特に医療従事者・介護関係の人たち)、職場で白い目で見られ仲間外れにされ、まさに同調圧力であったと思います。
主人も娘夫婦も私も、「打たない人(実際は打てない)」ということで、それぞれけっこうな脅迫感や疎外感を味わいました(笑)
大多数がやっていることが神聖であり、同時に脅迫、という見本みたいなものだと思ったわけです。
接種関連について話したいわけではないので、この話はここまでということで(笑)
国ごとの主義というのは、時代や国政などで変化することがあるのですね。
しかも、自分の国は民主主義なのに、西側諸国からみたらそれを認められないとなると、民主主義の統一性、整合性というものからして、わからなくなります。
北朝鮮が民主主義国家とは呼びたくない、と私も思うのですが、『民主主義国家』を謳う国が、国ごとに実際は異なる政治体制だとすると、もう『民主主義』という言い方をやめてもいいように思います(笑)
国の正式名称につく、つかないで違いがあるのかどうかわかりませんが、やっぱりわかりにくいです。
自由で国民が生きやすい均一性、長いものに巻かれる式ではないことが理想でしょうが、民主主義国家であっても本当の民主主義とは言えず、変わり続けるもの、諸行無常のようなものですね。
日本は戦後民主主義になったと思っていましたが、明治時代からだったのですね。
それからの推移のお話、とてもわかりやすかったです。
収容所の中の人間性のお話も、考えさせられました。
囚人だけでなく、管理する者の人間性も奪いとるというのは、人間の心理というものをよく考えているのかもしれませんが、普通は考えつかないことのようにも思います。
アウシュビッツだけでなく日本でもありましたが、医師が行った人体実験も、医師という本来人を救う立場の者から人間性を奪いとったということでしょう。
いろいろな国、いろいろな状況下での「均一性」があることを学ばせていただき、戦争や独裁、暴力的な抑圧などがない、ある程度自由な中での均一性は、生きやすさにつながるようにも思いました。
私も『街道をゆく』を読んでいないので、どんな場面で、どんな意図で書いたかはわかりませんが、日本人は「人と同じ」を無難と考えている民族だと思います。
学校でも、枠からはみ出ず、みんなと協調でき、「わたしがわたしが」と言わないのがおりこうさんの定義ですよね(笑)
枠から飛び出した子の方が将来大物になることが多いように思うのですが、みんなと同じが無難というのもわかります。
お風呂をはじめとする霊現象もどきの話を、笑わずに説明していただき、ありがとうございます。
「よくわからないのだけど、耳を傾ける」ということ、すごく納得しました。
イライラしているからぶつけた、と考えるのが普通なのかもしれませんが、気持ちを切り替えるための、みえない存在からのメッセージなのでしょうね。
私はこの10日ほどの間(農園主さんの No.1536の記事を読む前)で、指を3本、ケガしました。
最初は、スーパーの焼いた「とろ赤魚」(生より安かったので)を、買ってからエコバッグに詰める時、食品用ポリ袋(クルクル巻いて置いてあるもの)に入れようとしたら、右の小指に激痛が!!
赤魚の骨がものすごく太いのですが、もろにブスっとさしてしまい、流血しました←珍しい人でしょ?(笑)
数日後は、左の親指をどこかにぶつけた時、けっこう強くぶつけたようで、爪と肉の間が割れ、また流血(笑)←ものすごく痛いです(-_-;)
さらに数日後、今度は右手の親指の爪の間に紙が入り、また爪と肉の間を切り、またまた流血(笑)←これも、ものすごく痛いです(;^_^A
仕事でピアノを弾いている時、痛みが走って気が遠くなりました(笑)
で、考えたわけです。
立て続けに起きた指のケガ、これはどういうメッセージなんだろうと。
ネットで見ると、スピリチュアル的に書いてあるんですが、どれも納得できませんでした(笑)
小さなケガを数回与えてもらったことで、大きなケガをふせいでもらった、ということかもしれませんね。
農園主さんは、ぶつけたことから「気持ちを切り替える」ことができて、すごいな~と思います。
気持ちを切り替える努力はしても、なかなか難しく、いつまでも不満や不安を引きずってしまうので、見習います。
ネット周りのトラブルの件、ご心配ありがとうございます。
おかげさまで、今はかなり快適な環境です。
新しいパソコンと以前からあったプリンターを、有線でなくWi-Fiでつなぎましたが、有線にしていた時より通信速度が速く、実に快適です。
ご質問の件です。
平家物語ですが、全部通しては「もちろん」読んでいません(笑)
能や浄瑠璃、歌舞伎、琵琶法師、小説などから、なんとなくストーリーのほんの一部(エピソード)を知っている、程度です。
例えば巻一なら「祇園精舎」、巻五だと「勧進帳」のように。
歴史的に源平に疎いので、正直なところ、何も知らないです(笑)
お漬物は大好きですし、ナスとミョウガも大好きです(*^^)v
昨日は10度を下回り、雪でも降りそうな寒さでした←そんなことはないですが(笑)、本当に寒いです。
来週お風呂が新しくなるので、風呂釜を傷めるからと使えなかったバスソルトを盛大に入れて、温まっています。
『街道をゆく』の中の言葉だったのですね。知りませんでした。
著名人の言葉というのは、どこかで書かれたものから切り取られている場合が多いので、そこだけを読んでも意味を的確に捉えられないことがあるかもしれませんね。
私はこれを読んだ時、最初に数年前のワクチン騒ぎを思い出しました。
強制ではなく任意接種とは言いながら、職域接種も行われ、接種済みの人は何かと優遇されていました。現在84%を超す人が接種しています。
そして、何らかの事情で打てない人は仕事を追われたり(特に医療従事者・介護関係の人たち)、職場で白い目で見られ仲間外れにされ、まさに同調圧力であったと思います。
主人も娘夫婦も私も、「打たない人(実際は打てない)」ということで、それぞれけっこうな脅迫感や疎外感を味わいました(笑)
大多数がやっていることが神聖であり、同時に脅迫、という見本みたいなものだと思ったわけです。
接種関連について話したいわけではないので、この話はここまでということで(笑)
国ごとの主義というのは、時代や国政などで変化することがあるのですね。
しかも、自分の国は民主主義なのに、西側諸国からみたらそれを認められないとなると、民主主義の統一性、整合性というものからして、わからなくなります。
北朝鮮が民主主義国家とは呼びたくない、と私も思うのですが、『民主主義国家』を謳う国が、国ごとに実際は異なる政治体制だとすると、もう『民主主義』という言い方をやめてもいいように思います(笑)
国の正式名称につく、つかないで違いがあるのかどうかわかりませんが、やっぱりわかりにくいです。
自由で国民が生きやすい均一性、長いものに巻かれる式ではないことが理想でしょうが、民主主義国家であっても本当の民主主義とは言えず、変わり続けるもの、諸行無常のようなものですね。
日本は戦後民主主義になったと思っていましたが、明治時代からだったのですね。
それからの推移のお話、とてもわかりやすかったです。
収容所の中の人間性のお話も、考えさせられました。
囚人だけでなく、管理する者の人間性も奪いとるというのは、人間の心理というものをよく考えているのかもしれませんが、普通は考えつかないことのようにも思います。
アウシュビッツだけでなく日本でもありましたが、医師が行った人体実験も、医師という本来人を救う立場の者から人間性を奪いとったということでしょう。
いろいろな国、いろいろな状況下での「均一性」があることを学ばせていただき、戦争や独裁、暴力的な抑圧などがない、ある程度自由な中での均一性は、生きやすさにつながるようにも思いました。
私も『街道をゆく』を読んでいないので、どんな場面で、どんな意図で書いたかはわかりませんが、日本人は「人と同じ」を無難と考えている民族だと思います。
学校でも、枠からはみ出ず、みんなと協調でき、「わたしがわたしが」と言わないのがおりこうさんの定義ですよね(笑)
枠から飛び出した子の方が将来大物になることが多いように思うのですが、みんなと同じが無難というのもわかります。
お風呂をはじめとする霊現象もどきの話を、笑わずに説明していただき、ありがとうございます。
「よくわからないのだけど、耳を傾ける」ということ、すごく納得しました。
イライラしているからぶつけた、と考えるのが普通なのかもしれませんが、気持ちを切り替えるための、みえない存在からのメッセージなのでしょうね。
私はこの10日ほどの間(農園主さんの No.1536の記事を読む前)で、指を3本、ケガしました。
最初は、スーパーの焼いた「とろ赤魚」(生より安かったので)を、買ってからエコバッグに詰める時、食品用ポリ袋(クルクル巻いて置いてあるもの)に入れようとしたら、右の小指に激痛が!!
赤魚の骨がものすごく太いのですが、もろにブスっとさしてしまい、流血しました←珍しい人でしょ?(笑)
数日後は、左の親指をどこかにぶつけた時、けっこう強くぶつけたようで、爪と肉の間が割れ、また流血(笑)←ものすごく痛いです(-_-;)
さらに数日後、今度は右手の親指の爪の間に紙が入り、また爪と肉の間を切り、またまた流血(笑)←これも、ものすごく痛いです(;^_^A
仕事でピアノを弾いている時、痛みが走って気が遠くなりました(笑)
で、考えたわけです。
立て続けに起きた指のケガ、これはどういうメッセージなんだろうと。
ネットで見ると、スピリチュアル的に書いてあるんですが、どれも納得できませんでした(笑)
小さなケガを数回与えてもらったことで、大きなケガをふせいでもらった、ということかもしれませんね。
農園主さんは、ぶつけたことから「気持ちを切り替える」ことができて、すごいな~と思います。
気持ちを切り替える努力はしても、なかなか難しく、いつまでも不満や不安を引きずってしまうので、見習います。
ネット周りのトラブルの件、ご心配ありがとうございます。
おかげさまで、今はかなり快適な環境です。
新しいパソコンと以前からあったプリンターを、有線でなくWi-Fiでつなぎましたが、有線にしていた時より通信速度が速く、実に快適です。
ご質問の件です。
平家物語ですが、全部通しては「もちろん」読んでいません(笑)
能や浄瑠璃、歌舞伎、琵琶法師、小説などから、なんとなくストーリーのほんの一部(エピソード)を知っている、程度です。
例えば巻一なら「祇園精舎」、巻五だと「勧進帳」のように。
歴史的に源平に疎いので、正直なところ、何も知らないです(笑)
お漬物は大好きですし、ナスとミョウガも大好きです(*^^)v
昨日は10度を下回り、雪でも降りそうな寒さでした←そんなことはないですが(笑)、本当に寒いです。
来週お風呂が新しくなるので、風呂釜を傷めるからと使えなかったバスソルトを盛大に入れて、温まっています。
2024年11月16日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
司馬遼太郎の「日本人は均一性を欲する。大多数がやっていることが神聖であり、同時に脅迫である。」という言葉は知りませんでした。
『街道をゆく』に書かれてあるというのですが、読んだことがないので、憶測で話します。
これは現代だと「長いものに巻かれる」とか「同調圧力」という言葉になりますね。
多数派について同調圧力をかける社会は日本に限ったことではないとおもうんですが、そこをあえて司馬さんが「日本人は」と言ったことには注意が必要な気がしました。
この司馬さんの言葉を受けて、今回は雑談をします。
できるだけカンタンに、とおもいつつも、結局ややこしい話になってしまいました。
どうぞゆっくりお読みください(笑)
古い封建主義(王が領主を利用して国を統治するやり方)や、現代でも社会主義国家は、司馬さんのいうところの「均一性」で国を統治しようとするんですね。
社会主義国家は個人主義や民主主義を認めていないので、どうしても全体主義的な、衆人環視による同調圧力で国を支配しようとします。
その点、日本は主義があいまいな国なんです。
鎌倉時代から江戸時代までの日本は、封建主義ですね。
封建主義とは、殿様(王様)がいて、領主がいて、領民がいるという関係です。
殿様は領主にその地を治める自由を与えますが、上納金を要求しますし、国の有事には命を差し出せと迫ります。
領主は領民から好きなだけ税をとることができますが、殿様には逆らえません。
この時代の領民は「均一」でした。
発言権もなにもなく、ただ決められた税をおさめ、必要になれば戦争に駆り出されるだけで、自我らしい自我も認められない、極めて均一な存在です。
先日、実存主義について書きましたが、この時代のほとんどの人は、社会に対してじぶんの実存の喜びを感じるような機会はとても少なかったとおもいます。
すこし話があっちこっちしますが、つい最近NHKで「アウシュビッツ証言者はなぜ自殺したか」という、30年ほど前の古い番組の再放送をみました。
プリーモ・レーヴィという有名なアウシュビッツ生還者が取り上げられているのですが、かれがこんなことを言っていました。
国家社会主義をとっていたナチス政権は、収容所の人間の人間性を強制的に消し去って「均一」にしました。
国家から強要されて、じぶんの実存を抑圧されることがいかに不快なことか。
しかしそういったことは、近代以前では程度の差こそあれ、どの国でも当たり前に行われていたことでもありました。
話を戻します。
では、封建主義の江戸時代が終わり、明治時代からの日本はどうなったのか。
意外かもしれませんが、明治以降、いまに至るまで日本はずっと民主主義でした。
ただ、曲がりなりにもまともに運営できていた民主主義が、太平洋戦争が近づくにつれて、おかしなことになるんです。
軍部が政治中枢に入り込むようになり、どんどん人々の暮らしが統制されて、自由が奪われ、民主主義が恣意的に運用されるようになります。
国民は暴力的な抑圧を受けながら、同時に体制翼賛に熱狂します。
戦中の日本は、いわば「民主主義のバランスが著しく崩れた状態」でした。
ある瞬間には政府によって民主主義がないがしろにされ、ある瞬間には国民によって民主主義が暴走する、という状況だったんです。
戦争中の日本のありようは、「日本帝国主義」といわれます。
この言葉はおなじ悪の枢軸だったドイツやイタリアと比べると、どうにもあいまいです。
ドイツだったら、国家社会主義のナチズム。
イタリアは社会保守主義でファシズム。
どちらも「社会主義」という点が共通しています。
なのに日本は「日本帝国主義」で、方向性がよくわからないんですね。
なぜかというと、日本はたしかに一貫して民主主義だったからなんです。
でも西側諸国からみて、戦中の日本を民主主義と認められるかというと、まあムリですよね(笑)
実際当時の日本は、民主主義国家とはとてもいえない統制社会でした。
だから結局「日本帝国主義」というほかないんです。
ちなみに北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」ですよね。
あの国は民主主義国家を標榜しています。
だから、北朝鮮とはどういう国だといわれたら、いちおう「共和制をとる民主主義国家である」ということになります。
けれど、いまの北朝鮮が民主主義的な国であることを信じる人はほとんどいないし、民主主義国家とは呼びたくないでしょう。
北朝鮮のありようは、戦中の日本ととてもよく似ています。
司馬さんは若いころに「均一性を欲する」「大多数がやっていることが神聖」な、統制された日本を体験しています。
それだけに司馬さんにとっては、自由が与えられた戦後の日本のほうがよいとおもっていたことでしょう。
しかし同時に、そうカンタンに日本人が変わるはずがない、ともおもっていたとおもいます。
日本人は長いあいだ、統制されて均一に暮らしていました。
たとえ戦後、民主主義や個人主義を受け入れても、過去から続く民族性はなかなか捨てることができません。
現代日本にも司馬さんは、統制され続けてきた日本人のDNAを感じることがあったとおもいます。
均一性を欲する、大多数がやっていることを神聖なものとする性格に、「日本人は」という主語をくっつけた司馬さんがなにをおもっていたのか、前後の文脈が知りたいので、今度『街道をゆく』を読んでみようとおもいます。
東新町氷川神社ですが、御龍社のミツハノメノカミ、クラオカミノカミは、おっしゃるとおりそれぞれ水神ですね。
特にオカミノカミはヒカワヒメの親ですから、やはり氷川神社との浅からぬ縁を感じます。
御龍社の龍がヤマタノオロチをイメージしているのか、あるいは水神との関連で龍ということになっているのかはわかりませんが、やはり斐伊川の伝説のスサノオが結びついているという縁起はたしかなのだろうとおもいます。
お風呂の件、よかったですね。
世の中はかならず、なにか起こったときには明確な原因があります。
この原因の部分を霊現象のように片付けることはできませんよね。
けれど、人生に起こった出来事に、なんらかのメッセージを感じることはあるとおもうんです。
ぼくはこのメッセージについては、「よくわからないのだけど、耳を傾ける」ようにしています。
たとえばひとりのときに、日常で起きた不満について、相手への文句をぶつぶつ考えていたとします。
そういうときには、なぜか柱に足の小指をぶつけるとか、頭になにかぶつける、ということがよくあるんです(笑)
これは原因としては不注意としかいいようがないんですが、じぶんにはみえない存在からメッセージをもらったとおもうようにして「あ、こういう考え方だとダメだな」と気持ちを切り替えるようにしています。
どうしてもじぶんが間違えていないというときは、「アナタはそういうふうにぼくをたしなめますが、ぼくはどうしてもこういう理由で許せんのですよ」と言い訳を述べたりもします(笑)
ネット周りのトラブルのときはいろいろ物入りだったとおもいますが、その後快適になりましたでしょうか?
寒さがなかなか本格的になりませんが、例年よりずいぶん遅く、ようやくこたつを用意しました。
ところですこしお伺いしますが、ギズモさんは平家物語はご存知ですか?
あと、お漬物であるとか、ナスやミョウガが苦手ということはありませんか?
『街道をゆく』に書かれてあるというのですが、読んだことがないので、憶測で話します。
これは現代だと「長いものに巻かれる」とか「同調圧力」という言葉になりますね。
多数派について同調圧力をかける社会は日本に限ったことではないとおもうんですが、そこをあえて司馬さんが「日本人は」と言ったことには注意が必要な気がしました。
この司馬さんの言葉を受けて、今回は雑談をします。
できるだけカンタンに、とおもいつつも、結局ややこしい話になってしまいました。
どうぞゆっくりお読みください(笑)
古い封建主義(王が領主を利用して国を統治するやり方)や、現代でも社会主義国家は、司馬さんのいうところの「均一性」で国を統治しようとするんですね。
社会主義国家は個人主義や民主主義を認めていないので、どうしても全体主義的な、衆人環視による同調圧力で国を支配しようとします。
その点、日本は主義があいまいな国なんです。
鎌倉時代から江戸時代までの日本は、封建主義ですね。
封建主義とは、殿様(王様)がいて、領主がいて、領民がいるという関係です。
殿様は領主にその地を治める自由を与えますが、上納金を要求しますし、国の有事には命を差し出せと迫ります。
領主は領民から好きなだけ税をとることができますが、殿様には逆らえません。
この時代の領民は「均一」でした。
発言権もなにもなく、ただ決められた税をおさめ、必要になれば戦争に駆り出されるだけで、自我らしい自我も認められない、極めて均一な存在です。
先日、実存主義について書きましたが、この時代のほとんどの人は、社会に対してじぶんの実存の喜びを感じるような機会はとても少なかったとおもいます。
すこし話があっちこっちしますが、つい最近NHKで「アウシュビッツ証言者はなぜ自殺したか」という、30年ほど前の古い番組の再放送をみました。
プリーモ・レーヴィという有名なアウシュビッツ生還者が取り上げられているのですが、かれがこんなことを言っていました。
強制収容所の特徴は人間性を消し去ることにある。
囚人だけではない。
囚人を管理する者たちの人間性も奪いとるのだ。
立場はちがうが、結果は同じになる。
収容所の中で人間性を自覚し得た者はごくわずかだった。
国家社会主義をとっていたナチス政権は、収容所の人間の人間性を強制的に消し去って「均一」にしました。
国家から強要されて、じぶんの実存を抑圧されることがいかに不快なことか。
しかしそういったことは、近代以前では程度の差こそあれ、どの国でも当たり前に行われていたことでもありました。
話を戻します。
では、封建主義の江戸時代が終わり、明治時代からの日本はどうなったのか。
意外かもしれませんが、明治以降、いまに至るまで日本はずっと民主主義でした。
ただ、曲がりなりにもまともに運営できていた民主主義が、太平洋戦争が近づくにつれて、おかしなことになるんです。
軍部が政治中枢に入り込むようになり、どんどん人々の暮らしが統制されて、自由が奪われ、民主主義が恣意的に運用されるようになります。
国民は暴力的な抑圧を受けながら、同時に体制翼賛に熱狂します。
戦中の日本は、いわば「民主主義のバランスが著しく崩れた状態」でした。
ある瞬間には政府によって民主主義がないがしろにされ、ある瞬間には国民によって民主主義が暴走する、という状況だったんです。
戦争中の日本のありようは、「日本帝国主義」といわれます。
この言葉はおなじ悪の枢軸だったドイツやイタリアと比べると、どうにもあいまいです。
ドイツだったら、国家社会主義のナチズム。
イタリアは社会保守主義でファシズム。
どちらも「社会主義」という点が共通しています。
なのに日本は「日本帝国主義」で、方向性がよくわからないんですね。
なぜかというと、日本はたしかに一貫して民主主義だったからなんです。
でも西側諸国からみて、戦中の日本を民主主義と認められるかというと、まあムリですよね(笑)
実際当時の日本は、民主主義国家とはとてもいえない統制社会でした。
だから結局「日本帝国主義」というほかないんです。
ちなみに北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」ですよね。
あの国は民主主義国家を標榜しています。
だから、北朝鮮とはどういう国だといわれたら、いちおう「共和制をとる民主主義国家である」ということになります。
けれど、いまの北朝鮮が民主主義的な国であることを信じる人はほとんどいないし、民主主義国家とは呼びたくないでしょう。
北朝鮮のありようは、戦中の日本ととてもよく似ています。
司馬さんは若いころに「均一性を欲する」「大多数がやっていることが神聖」な、統制された日本を体験しています。
それだけに司馬さんにとっては、自由が与えられた戦後の日本のほうがよいとおもっていたことでしょう。
しかし同時に、そうカンタンに日本人が変わるはずがない、ともおもっていたとおもいます。
日本人は長いあいだ、統制されて均一に暮らしていました。
たとえ戦後、民主主義や個人主義を受け入れても、過去から続く民族性はなかなか捨てることができません。
現代日本にも司馬さんは、統制され続けてきた日本人のDNAを感じることがあったとおもいます。
均一性を欲する、大多数がやっていることを神聖なものとする性格に、「日本人は」という主語をくっつけた司馬さんがなにをおもっていたのか、前後の文脈が知りたいので、今度『街道をゆく』を読んでみようとおもいます。
東新町氷川神社ですが、御龍社のミツハノメノカミ、クラオカミノカミは、おっしゃるとおりそれぞれ水神ですね。
特にオカミノカミはヒカワヒメの親ですから、やはり氷川神社との浅からぬ縁を感じます。
御龍社の龍がヤマタノオロチをイメージしているのか、あるいは水神との関連で龍ということになっているのかはわかりませんが、やはり斐伊川の伝説のスサノオが結びついているという縁起はたしかなのだろうとおもいます。
お風呂の件、よかったですね。
世の中はかならず、なにか起こったときには明確な原因があります。
この原因の部分を霊現象のように片付けることはできませんよね。
けれど、人生に起こった出来事に、なんらかのメッセージを感じることはあるとおもうんです。
ぼくはこのメッセージについては、「よくわからないのだけど、耳を傾ける」ようにしています。
たとえばひとりのときに、日常で起きた不満について、相手への文句をぶつぶつ考えていたとします。
そういうときには、なぜか柱に足の小指をぶつけるとか、頭になにかぶつける、ということがよくあるんです(笑)
これは原因としては不注意としかいいようがないんですが、じぶんにはみえない存在からメッセージをもらったとおもうようにして「あ、こういう考え方だとダメだな」と気持ちを切り替えるようにしています。
どうしてもじぶんが間違えていないというときは、「アナタはそういうふうにぼくをたしなめますが、ぼくはどうしてもこういう理由で許せんのですよ」と言い訳を述べたりもします(笑)
ネット周りのトラブルのときはいろいろ物入りだったとおもいますが、その後快適になりましたでしょうか?
寒さがなかなか本格的になりませんが、例年よりずいぶん遅く、ようやくこたつを用意しました。
ところですこしお伺いしますが、ギズモさんは平家物語はご存知ですか?
あと、お漬物であるとか、ナスやミョウガが苦手ということはありませんか?
2024年11月11日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
ネットでたまたま見つけすご~~く納得したので、お返事に関係ありませんし、ご存じとはと思いますが書いておきます。
日本人は均一性を欲する。大多数がやっていることが神聖であり、同時に脅迫である。
―――司馬遼太郎
「虐待は反動の連鎖を生む」というお話、これは、嫁姑の関係でもありますね。
いい年をし、多くの経験を積んだ姑が、自分が過去にされたことをまた嫁にしてしまうというのは、嫁をいじめることで、満足感、征服感のようなものが生じるのかもしれません。
頭ではいけないとわかっているケースも多いと思いますが、それでも虐待してしまうこともあるでしょう。
いじめられたお嫁さんが、じぶんに与えられた抑圧を誰に与えてバランスをとるのかというと、子どもだったり、ママ友だったり、そういう連鎖もありますね。
ただ、嫁姑の場合、最近の若い女性はどんどん強くなってきているので、嫁いじめは昔より減ってきたかもしれません。
氷川神社のお話、非常に詳しく教えていただき、ありがとうございます。驚きました(いつもですが)。
ちょっとは調べたつもりでしたが、知らないことばかりでした。
農園主さんが書いてくださったことは、神社の神職さんたちもご存じでないかもしれない、と思います。
氷川神社でも茅の輪くぐりを行っているところといないところがあるのですが、農園主さんのお話から、そういう違いについても理解できました。
スサノオをまつっていない他の系列の神社でやっているところもよく見るのですが、現代では、行事としてより収益につながるイベントとして行っているところも多いですね。
東京都板橋区の東新町氷川神社は、祭神はスサノオですが、境内社として御龍社があり、素敵な切り絵御朱印(書き足し「龍の切り絵」)が辰の日にいただけます。
御龍社の祭神は、弥都波能売神( みつはのめのかみ)闇淤加美神 (くらおかみのかみ)の二柱です。
弥都波能売神は「水を司る神様」、闇淤加美神は「谷間を流れる水を司る神様」で、山を流れる水を司る高淤加美神(たかおかみのかみ)と、対の神であるとも同一の存在であるとも言われているそうですね。
農園主さんが、氷川大神が水神だとおもうとおっしゃったので、この氷川神社の御龍社のことを思い出しました。
信仰をつないできた人々のおもい、ということ、よくわかります。
以前読んだ話ですが、来てくれる人が多く、よくお掃除がされている神社の神様は、神格が上がる(神として進歩する)んだそうです。
誰も来ないし、手入れもされない神社は神様が離れていき、よくないものが棲みつくことになると。
人が神様に感謝することで神様を育て、神様も気持ちよく人を守ってくれる、相互関係が大事なのかもしれません。
農園主さんのお話をしっかりと頭に入れ、今後氷川神社にお参りしたいと思います。
話は変わりますが、この夏に娘婿の父親が亡くなった時、不思議な現象、お風呂のお湯が止まらなくなったり、お風呂のリモコンがつかなくなったり、ということを書きました。
あれ以来支障なく使用できていたのですが、数日前にエラーコードが出るようになり、追い炊きをすると白いポヨポヨしたものが出てきたりするようになったので、管理事務所に連絡をしました。
すぐに点検に来てくれましたが、以前の居住者の時に新しくしたままで、20年ほど経っているとのこと。
部品を交換して様子を見ても、すぐに故障する可能性が高いので、風呂釜と浴槽を新しいものと交換してくれることとなりました(*^。^*)
交換に来てくれるまで(11月末)、追い炊きと自動運転をしなければ、普通にカランからお湯を溜められるしシャワーは使えるそうですので、一安心でした。
つまり、霊現象ではなかったわけですね(笑)
ネットが使えなくなった(モデムとルーターの故障)のは雷が原因、パソコンが動かなくなったのはWindows8,1だったからという、現実的なことと解釈した方がよさそうですね。
時期的に重なると、霊現象や不思議な出来事として片づけてしまいがちですが、気をつけます(笑)
一気に寒くなり、慌てて衣類の入れ替え、冬用の布団の用意をしました←疲れました(笑)(書き足し)前回すでに書いてました(;^_^A
朝晩の気温差も大きいので、お風呂でよく温まって冷えないようになさってくださいね。
日本人は均一性を欲する。大多数がやっていることが神聖であり、同時に脅迫である。
―――司馬遼太郎
「虐待は反動の連鎖を生む」というお話、これは、嫁姑の関係でもありますね。
いい年をし、多くの経験を積んだ姑が、自分が過去にされたことをまた嫁にしてしまうというのは、嫁をいじめることで、満足感、征服感のようなものが生じるのかもしれません。
頭ではいけないとわかっているケースも多いと思いますが、それでも虐待してしまうこともあるでしょう。
いじめられたお嫁さんが、じぶんに与えられた抑圧を誰に与えてバランスをとるのかというと、子どもだったり、ママ友だったり、そういう連鎖もありますね。
ただ、嫁姑の場合、最近の若い女性はどんどん強くなってきているので、嫁いじめは昔より減ってきたかもしれません。
氷川神社のお話、非常に詳しく教えていただき、ありがとうございます。驚きました(いつもですが)。
ちょっとは調べたつもりでしたが、知らないことばかりでした。
農園主さんが書いてくださったことは、神社の神職さんたちもご存じでないかもしれない、と思います。
氷川神社でも茅の輪くぐりを行っているところといないところがあるのですが、農園主さんのお話から、そういう違いについても理解できました。
スサノオをまつっていない他の系列の神社でやっているところもよく見るのですが、現代では、行事としてより収益につながるイベントとして行っているところも多いですね。
東京都板橋区の東新町氷川神社は、祭神はスサノオですが、境内社として御龍社があり、素敵な切り絵御朱印(書き足し「龍の切り絵」)が辰の日にいただけます。
御龍社の祭神は、弥都波能売神( みつはのめのかみ)闇淤加美神 (くらおかみのかみ)の二柱です。
弥都波能売神は「水を司る神様」、闇淤加美神は「谷間を流れる水を司る神様」で、山を流れる水を司る高淤加美神(たかおかみのかみ)と、対の神であるとも同一の存在であるとも言われているそうですね。
農園主さんが、氷川大神が水神だとおもうとおっしゃったので、この氷川神社の御龍社のことを思い出しました。
信仰をつないできた人々のおもい、ということ、よくわかります。
以前読んだ話ですが、来てくれる人が多く、よくお掃除がされている神社の神様は、神格が上がる(神として進歩する)んだそうです。
誰も来ないし、手入れもされない神社は神様が離れていき、よくないものが棲みつくことになると。
人が神様に感謝することで神様を育て、神様も気持ちよく人を守ってくれる、相互関係が大事なのかもしれません。
農園主さんのお話をしっかりと頭に入れ、今後氷川神社にお参りしたいと思います。
話は変わりますが、この夏に娘婿の父親が亡くなった時、不思議な現象、お風呂のお湯が止まらなくなったり、お風呂のリモコンがつかなくなったり、ということを書きました。
あれ以来支障なく使用できていたのですが、数日前にエラーコードが出るようになり、追い炊きをすると白いポヨポヨしたものが出てきたりするようになったので、管理事務所に連絡をしました。
すぐに点検に来てくれましたが、以前の居住者の時に新しくしたままで、20年ほど経っているとのこと。
部品を交換して様子を見ても、すぐに故障する可能性が高いので、風呂釜と浴槽を新しいものと交換してくれることとなりました(*^。^*)
交換に来てくれるまで(11月末)、追い炊きと自動運転をしなければ、普通にカランからお湯を溜められるしシャワーは使えるそうですので、一安心でした。
つまり、霊現象ではなかったわけですね(笑)
ネットが使えなくなった(モデムとルーターの故障)のは雷が原因、パソコンが動かなくなったのはWindows8,1だったからという、現実的なことと解釈した方がよさそうですね。
時期的に重なると、霊現象や不思議な出来事として片づけてしまいがちですが、気をつけます(笑)
一気に寒くなり、慌てて衣類の入れ替え、冬用の布団の用意をしました←疲れました(笑)(書き足し)前回すでに書いてました(;^_^A
朝晩の気温差も大きいので、お風呂でよく温まって冷えないようになさってくださいね。
2024年11月6日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
先日のパワーテープ、しばらくつけてるんですが、日が経つにしたがってじんわりと効果を実感しています。
これはチタンが入っているということですが、そういえばうちの祖母が高齢になって骨折したときに、太ももにチタンを入れて補強したんです。
あれはもしかしたらものすごいこりほぐし効果があったのではないかと、どうでもいいことを考えていたんですが、磁石にせよチタンにせよ、おもいもよらないところでじぶんのカラダの役に立つんだなあと感心しています。
今回、かなり長い返信になりましたが、一回で投稿してしまいます。
ぜひゆっくりご覧ください(笑)
前々回の返信として考えていたのは、「虐待は反動の連鎖を生む」ということでした。
たとえば子供を虐待すると、その子供は虐待から逃れる方法を考えるのと同時に、じぶんに与えられた抑圧を他者(弱者)に与えてバランスをとろうとします。
親がやっているわるいことを子供もしたいとおもうように、じぶんが受けている虐待は不快で苦しいものだとわかっていながら、他人におなじことをしなければ気がすまない、という情動です。
子供は親の轍を踏むまいとはおもってるんです。
しかし親に対する反動の気分はあるものの、それがどういうカタチであらわれるかというと、たとえばグレるであるとか、家を出るであるとか、バイクで暴走行為をするとか、いわゆる非行に走るんですね。
その過程で、同級生をいじめるであるとか、じぶんがされていることを弱いものに対して行う、というような、おかしなことになってしまう。
最悪、じぶんの子供にまた虐待を加えてしまう、という場合もあるでしょう。
子供はまだ理性で行動を制御することができませんから、ほんとうは親の側が虐待をすれば子供がどうなるか、わかっていなければならないんですが、親も20代あたりだとまだなかなか気づけないことかもしれません。
結局、この連鎖を断ち切るには、じぶんは親から虐待を受けたけど、もうじぶんで終わりにしようという決意が必要だとおもいます。
じぶんはひどい虐待を受けたのに、だれにもやり返すことをせず、じぶんだけが損な役回りになる不平等を、理性で納得して、心の平和を求めていくのでないと、いつまでも修羅の道を行かねばならないんですね。
しかしそういう考えに至るにも非常に多くの経験値が必要ですから、いままさに虐待を受けている子供にそのような理屈を説いても、残念ながら上滑りするだけでしょう。
スサノオと氷川信仰について、あらためていろいろ調べてみました。
そこで以前と話が食い違ってしまって申し訳ないんですが、いままで理解しきれていなかったところが理解できたので、ここに書いてみます。
なにが食い違っていたかというと、スサノオとひと言でいっても、じつは「各神社がスサノオのどの神話を信じているかはちがう」という点が、以前の話ではごちゃ混ぜになってしまっていたということです。
つまり、牛頭天王とスサノオが結びつくタイプの神社と、ヤマタノオロチ伝説のスサノオが結びつくタイプの神社があるということです。
氷川神社は後者なんですね。
以前お話したことと重なる部分があるとおもいますが、まず、スサノオと牛頭天王は、本地垂迹(神仏習合)と深いかかわりがあります。
これは蘇民将来の伝説が根っこにあるんです。
備後国風土記という、奈良時代初期に書かれたという地誌がありました。
これは現在では失われており、どのようなことが書かれていたのかわかりません。
しかし鎌倉時代の「釈日本紀」で、この備後国風土記に書かれていたこととして、蘇民将来とスサノオの伝説が書かれているのです。
その伝説とは、このようなものです。
北の海におわした武塔の神が、南の海に住む女神に会いに行く途中で、日が暮れました。
その地にはふたりの蘇民将来が暮らしていました。
兄の蘇民将来はひどく貧しく、弟の蘇民将来はたいへん裕福でした。
武塔の神は一夜の宿を借りるため、まず弟の蘇民将来のところへ行ったのですが、弟は宿を貸すことを惜しんで、武塔の神を追い出してしまいました。
それで兄の蘇民将来のところへ行くと、貧しい中でも粟柄(粟の収穫を終えた茎)を座布団として、粟飯を炊いて武塔の神にたてまつり、一夜の宿を与えたのです。
翌朝、武塔神は南海に向けて旅立ちました。
しかし年を経て、武塔神が八柱の子を率いて戻ってきます。
武塔神は兄の蘇民将来のもとを訪れて、言いました。
「わたしはおまえの弟に報いを与えるために戻ってきた。汝の家に子はいるか」
「娘と妻がおります」
「それでは茅の輪をつくり、腰に付けさせよ」
兄の蘇民将来はそのとおりにしました。
その夜。
娘ひとりをおいて、武塔神はその地をことごとく打ち滅ぼしてしまいました。
(なぜ蘇民の娘ひとりだけを救ったのか、家族を救わなかったのか、原文には書かれていません)
武塔神が言いました。
「わたしは速須佐雄(はやすさのお)の神である。これより後、世に疫病が流行れば、蘇民将来の子孫であるといって、茅の輪を腰につけていれば災いを免れるだろう」
……これで話はおしまいです。
北の海にいた武塔の神を、大陸からきた神として、神仏習合の時代になって、祇園精舎の守護神であった牛頭天王とむすびつけたんですね。
そして「スサノオ = 牛頭天王」は疫病を退散させるチカラをもつ荒ぶる神として位置づけられます。
また、茅の輪で疫病を防ぐというくだりと、薬師如来がむすびついてくるんですね。
この「スサノオ = 牛頭天王」の流れを直接的につないでいる代表的な神社といえば八坂神社でしょう。
八坂神社は江戸時代以前には祇園社と呼ばれていました。
祭神は牛頭天王(スサノオ)と八柱の子です。
しかし「祇園社」という名前はまさに神仏習合で、これは明治時代の神仏分離によって、ダメだということになったんですね。
いま、八坂神社で祇園祭が行われていますが、祇園という名に、むかしの名残があります。
祇園祭は、荒ぶる神を鎮めるお祭りであるのと同時に、疫病を退散させるためのお祭りでもあります。
またスサノオを祭神とする神社以外でも、夏越の祓になると茅の輪くぐりをしているところがありますが、あれも蘇民将来の伝説からきている厄除けのイベントですね。
あと有名なところだと、岩手県の蘇民祭もこの伝説がもとになっているのですが、こちらは伝説がすこし脚色されており、弟の裕福なほうの蘇民将来は「巨丹将来」と呼ばれていたりします。
蘇民祭は複数の寺で行われていて、いちばん有名だったのが黒石寺の蘇民祭だったらしいのですが、ここでは武塔の神は薬師如来であったといわれています。
しかし、氷川信仰の場合は、蘇民将来の伝説で考えるよりは「水神である氷川大神と、出雲地方でヤマタノオロチを退治したときのスサノオ」で考えるのがスッキリします。
氷川神社では古くから主祭神はスサノオではあったんですが、途中でこれが「氷川の大明神」、「氷川大神」という総合的な存在に変化するんです。
そして江戸末期に神仏分離の気風が高まると、あらためて祭神はスサノオであると決められます(ほかにクシナダヒメ・オオナムチが並びます。オオナムチは若いころのオオクニヌシです)。
これは以前、ギズモさんが富士山の浅間神社に奉られていたのは浅間大神であったとお話いただいたことと似ています。
その土地と結びついた独自の祭神があって、それが後世に神道の神とむすびつくパターンですね。
浅間神社の場合はかぐや姫と浅間大神が同一視されていて、これがコノハナサクヤヒメとむすびつきました。
氷川大神の場合は、かなり複合的なんですが、まず氷川という語源をたどってみましょう。
氷川の語源は、島根県の奥出雲にある斐伊川だといいます。
出雲には因幡の白兎伝説などの出雲神話がありますが、スサノオがヤマタノオロチを退治した場所でもあります。
ヤマタノオロチについては、島根の山々で行われていた「たたら製鉄」の赤いあかりが夜に灯っている、その不気味な様子を大蛇にたとえたという説があります。
つまり、たたら製鉄利権を牛耳っているその地の連中をヤマタノオロチに見立てて、スサノオという朝廷側の荒神が、これをたたきつぶして支配した、という物語ですね。
またべつの説では、暴れ川である斐伊川を、多くの支流なども含めて大蛇に見立てて、これをスサノオが鎮めたという伝説です。
氷川信仰は、この後者の斐伊川の伝説がもとになっているようです。
およそ1500年前に氷川神社が創建されるまでの歴史については、島根県にいた出雲族が関東の荒川のあたりに入植し、根付いたことに始まるといわれています。
つまり出雲族がスサノオのヤマタノオロチ神話を荒川と結び付けて、氷川信仰を生み出したということのようです。
東京と埼玉にかけて約280社もあるという氷川神社は、荒川の流域に集中しています。
むかしの荒川はその名の通りの暴れ川で、農業に多大な恩恵をもたらすのと同時に、ときにひどい暴れ方をして人々の生活を破壊してしまいます。
流域に暮らす人々は、荒川のもたらす恩恵と破壊に、感謝と畏怖の念を抱いていたことでしょう。
出雲族の斐伊川に基づくヤマタノオロチ退治の伝説に、土着の自然信仰(アニミズム)が加わり、さらに神仏習合の影響があって、氷川大神にむすびつくんですね。
祭神は延喜式のころからスサノオだったようなのですが、神仏習合の影響を受けてあいまいになります。
江戸時代まで大宮氷川神社の参道には「氷川大明神」「本地聖観音」といった石碑が立っていたようです。
ちなみに「本地聖観音」とは、本地垂迹(神仏習合)による聖なる観音という意味です。
観音という、女性を匂わせる仏様であることは、あとでちょっとポイントになります。
ともあれ、江戸時代末期にスサノオをあらためて明確に祭神と決めるまでは、総じて氷川大神という、土着の神に近い存在が崇められていたようです。
そのように考えていくと、氷川信仰におけるスサノオの場合は、おなじスサノオでも蘇民将来の伝説とは関連性が薄いようです。
では氷川大神とはなんなのかというと、個人的には水神だとおもいます。しかも、男の神様でもあり、女の神様でもある感じです。
荒川の荒ぶる水神として、ヤマタノオロチを鎮めたスサノオがまずイメージされます。
そこに農耕神としてのクシナダヒメが女神として加わります。
大宮氷川神社は男体社といわれるそうですが、さいたま市緑区には氷川女体神社があるそうですね。
その主祭神はクシナダヒメで、男女を区分けしているのは、荒ぶる川と恵みの川をそれぞれ男女に見立てたということでしょう。
そして観音というすこし女性的な、両性を有するような仏になったのも、荒川を男と女に見立てる観念があったことと無縁でないようにおもえます。
さらにいえば、観音信仰は薬師如来とおなじく救済や現世利益をつかさどる仏様なんですよね。
最後に不思議な神様をひとり紹介します。
スサノオの孫と結婚した、その名も「日河比売(ヒカワヒメ)」という女神がいるんです。
この日河比売の神格は水神です。
系譜の面でもスサノオの孫と結びつくわけで、日河比売は氷川信仰となんらかのつながりがあるのではないかといわれています。
おそらくこういった出雲の神話、神仏が複合的に組み合わさって、氷川神社の信仰がつながれてきたのでしょう。
「氷川神社は最強では?」というギズモさんのお考えですが、荒川周辺の信仰のありようの強さという意味では、たしかに相当なものです。
というのも、地域一帯でこれほど単一的に崇められている神というのはめずらしいのではないでしょうか。
ぼくは常々、神社はその地にいた人々のおもいの歴史が重なっていることが大事だとおもっています。
歴史の縦軸において、水害が多く農業的な恵みも多かったであろうこの土地で、氷川大神への信仰をつないできた人々の願いやおもいは、おろそかにできません。
いわゆるパワースポットとは、「霊的ななにかを感じる場所」みたいなあやふやなものではないとおもっていて、その地をつないできた過去の人々(と現代のわれわれ)の気持ちの強さだとおもいます。
その点で氷川神社はとても大きなチカラのある神社だとおもいます。
これはチタンが入っているということですが、そういえばうちの祖母が高齢になって骨折したときに、太ももにチタンを入れて補強したんです。
あれはもしかしたらものすごいこりほぐし効果があったのではないかと、どうでもいいことを考えていたんですが、磁石にせよチタンにせよ、おもいもよらないところでじぶんのカラダの役に立つんだなあと感心しています。
今回、かなり長い返信になりましたが、一回で投稿してしまいます。
ぜひゆっくりご覧ください(笑)
前々回の返信として考えていたのは、「虐待は反動の連鎖を生む」ということでした。
たとえば子供を虐待すると、その子供は虐待から逃れる方法を考えるのと同時に、じぶんに与えられた抑圧を他者(弱者)に与えてバランスをとろうとします。
親がやっているわるいことを子供もしたいとおもうように、じぶんが受けている虐待は不快で苦しいものだとわかっていながら、他人におなじことをしなければ気がすまない、という情動です。
子供は親の轍を踏むまいとはおもってるんです。
しかし親に対する反動の気分はあるものの、それがどういうカタチであらわれるかというと、たとえばグレるであるとか、家を出るであるとか、バイクで暴走行為をするとか、いわゆる非行に走るんですね。
その過程で、同級生をいじめるであるとか、じぶんがされていることを弱いものに対して行う、というような、おかしなことになってしまう。
最悪、じぶんの子供にまた虐待を加えてしまう、という場合もあるでしょう。
子供はまだ理性で行動を制御することができませんから、ほんとうは親の側が虐待をすれば子供がどうなるか、わかっていなければならないんですが、親も20代あたりだとまだなかなか気づけないことかもしれません。
結局、この連鎖を断ち切るには、じぶんは親から虐待を受けたけど、もうじぶんで終わりにしようという決意が必要だとおもいます。
じぶんはひどい虐待を受けたのに、だれにもやり返すことをせず、じぶんだけが損な役回りになる不平等を、理性で納得して、心の平和を求めていくのでないと、いつまでも修羅の道を行かねばならないんですね。
しかしそういう考えに至るにも非常に多くの経験値が必要ですから、いままさに虐待を受けている子供にそのような理屈を説いても、残念ながら上滑りするだけでしょう。
スサノオと氷川信仰について、あらためていろいろ調べてみました。
そこで以前と話が食い違ってしまって申し訳ないんですが、いままで理解しきれていなかったところが理解できたので、ここに書いてみます。
なにが食い違っていたかというと、スサノオとひと言でいっても、じつは「各神社がスサノオのどの神話を信じているかはちがう」という点が、以前の話ではごちゃ混ぜになってしまっていたということです。
つまり、牛頭天王とスサノオが結びつくタイプの神社と、ヤマタノオロチ伝説のスサノオが結びつくタイプの神社があるということです。
氷川神社は後者なんですね。
以前お話したことと重なる部分があるとおもいますが、まず、スサノオと牛頭天王は、本地垂迹(神仏習合)と深いかかわりがあります。
これは蘇民将来の伝説が根っこにあるんです。
備後国風土記という、奈良時代初期に書かれたという地誌がありました。
これは現在では失われており、どのようなことが書かれていたのかわかりません。
しかし鎌倉時代の「釈日本紀」で、この備後国風土記に書かれていたこととして、蘇民将来とスサノオの伝説が書かれているのです。
その伝説とは、このようなものです。
北の海におわした武塔の神が、南の海に住む女神に会いに行く途中で、日が暮れました。
その地にはふたりの蘇民将来が暮らしていました。
兄の蘇民将来はひどく貧しく、弟の蘇民将来はたいへん裕福でした。
武塔の神は一夜の宿を借りるため、まず弟の蘇民将来のところへ行ったのですが、弟は宿を貸すことを惜しんで、武塔の神を追い出してしまいました。
それで兄の蘇民将来のところへ行くと、貧しい中でも粟柄(粟の収穫を終えた茎)を座布団として、粟飯を炊いて武塔の神にたてまつり、一夜の宿を与えたのです。
翌朝、武塔神は南海に向けて旅立ちました。
しかし年を経て、武塔神が八柱の子を率いて戻ってきます。
武塔神は兄の蘇民将来のもとを訪れて、言いました。
「わたしはおまえの弟に報いを与えるために戻ってきた。汝の家に子はいるか」
「娘と妻がおります」
「それでは茅の輪をつくり、腰に付けさせよ」
兄の蘇民将来はそのとおりにしました。
その夜。
娘ひとりをおいて、武塔神はその地をことごとく打ち滅ぼしてしまいました。
(なぜ蘇民の娘ひとりだけを救ったのか、家族を救わなかったのか、原文には書かれていません)
武塔神が言いました。
「わたしは速須佐雄(はやすさのお)の神である。これより後、世に疫病が流行れば、蘇民将来の子孫であるといって、茅の輪を腰につけていれば災いを免れるだろう」
……これで話はおしまいです。
北の海にいた武塔の神を、大陸からきた神として、神仏習合の時代になって、祇園精舎の守護神であった牛頭天王とむすびつけたんですね。
そして「スサノオ = 牛頭天王」は疫病を退散させるチカラをもつ荒ぶる神として位置づけられます。
また、茅の輪で疫病を防ぐというくだりと、薬師如来がむすびついてくるんですね。
この「スサノオ = 牛頭天王」の流れを直接的につないでいる代表的な神社といえば八坂神社でしょう。
八坂神社は江戸時代以前には祇園社と呼ばれていました。
祭神は牛頭天王(スサノオ)と八柱の子です。
しかし「祇園社」という名前はまさに神仏習合で、これは明治時代の神仏分離によって、ダメだということになったんですね。
いま、八坂神社で祇園祭が行われていますが、祇園という名に、むかしの名残があります。
祇園祭は、荒ぶる神を鎮めるお祭りであるのと同時に、疫病を退散させるためのお祭りでもあります。
またスサノオを祭神とする神社以外でも、夏越の祓になると茅の輪くぐりをしているところがありますが、あれも蘇民将来の伝説からきている厄除けのイベントですね。
あと有名なところだと、岩手県の蘇民祭もこの伝説がもとになっているのですが、こちらは伝説がすこし脚色されており、弟の裕福なほうの蘇民将来は「巨丹将来」と呼ばれていたりします。
蘇民祭は複数の寺で行われていて、いちばん有名だったのが黒石寺の蘇民祭だったらしいのですが、ここでは武塔の神は薬師如来であったといわれています。
しかし、氷川信仰の場合は、蘇民将来の伝説で考えるよりは「水神である氷川大神と、出雲地方でヤマタノオロチを退治したときのスサノオ」で考えるのがスッキリします。
氷川神社では古くから主祭神はスサノオではあったんですが、途中でこれが「氷川の大明神」、「氷川大神」という総合的な存在に変化するんです。
そして江戸末期に神仏分離の気風が高まると、あらためて祭神はスサノオであると決められます(ほかにクシナダヒメ・オオナムチが並びます。オオナムチは若いころのオオクニヌシです)。
これは以前、ギズモさんが富士山の浅間神社に奉られていたのは浅間大神であったとお話いただいたことと似ています。
その土地と結びついた独自の祭神があって、それが後世に神道の神とむすびつくパターンですね。
浅間神社の場合はかぐや姫と浅間大神が同一視されていて、これがコノハナサクヤヒメとむすびつきました。
氷川大神の場合は、かなり複合的なんですが、まず氷川という語源をたどってみましょう。
氷川の語源は、島根県の奥出雲にある斐伊川だといいます。
出雲には因幡の白兎伝説などの出雲神話がありますが、スサノオがヤマタノオロチを退治した場所でもあります。
ヤマタノオロチについては、島根の山々で行われていた「たたら製鉄」の赤いあかりが夜に灯っている、その不気味な様子を大蛇にたとえたという説があります。
つまり、たたら製鉄利権を牛耳っているその地の連中をヤマタノオロチに見立てて、スサノオという朝廷側の荒神が、これをたたきつぶして支配した、という物語ですね。
またべつの説では、暴れ川である斐伊川を、多くの支流なども含めて大蛇に見立てて、これをスサノオが鎮めたという伝説です。
氷川信仰は、この後者の斐伊川の伝説がもとになっているようです。
およそ1500年前に氷川神社が創建されるまでの歴史については、島根県にいた出雲族が関東の荒川のあたりに入植し、根付いたことに始まるといわれています。
つまり出雲族がスサノオのヤマタノオロチ神話を荒川と結び付けて、氷川信仰を生み出したということのようです。
東京と埼玉にかけて約280社もあるという氷川神社は、荒川の流域に集中しています。
むかしの荒川はその名の通りの暴れ川で、農業に多大な恩恵をもたらすのと同時に、ときにひどい暴れ方をして人々の生活を破壊してしまいます。
流域に暮らす人々は、荒川のもたらす恩恵と破壊に、感謝と畏怖の念を抱いていたことでしょう。
出雲族の斐伊川に基づくヤマタノオロチ退治の伝説に、土着の自然信仰(アニミズム)が加わり、さらに神仏習合の影響があって、氷川大神にむすびつくんですね。
祭神は延喜式のころからスサノオだったようなのですが、神仏習合の影響を受けてあいまいになります。
江戸時代まで大宮氷川神社の参道には「氷川大明神」「本地聖観音」といった石碑が立っていたようです。
ちなみに「本地聖観音」とは、本地垂迹(神仏習合)による聖なる観音という意味です。
観音という、女性を匂わせる仏様であることは、あとでちょっとポイントになります。
ともあれ、江戸時代末期にスサノオをあらためて明確に祭神と決めるまでは、総じて氷川大神という、土着の神に近い存在が崇められていたようです。
そのように考えていくと、氷川信仰におけるスサノオの場合は、おなじスサノオでも蘇民将来の伝説とは関連性が薄いようです。
では氷川大神とはなんなのかというと、個人的には水神だとおもいます。しかも、男の神様でもあり、女の神様でもある感じです。
荒川の荒ぶる水神として、ヤマタノオロチを鎮めたスサノオがまずイメージされます。
そこに農耕神としてのクシナダヒメが女神として加わります。
大宮氷川神社は男体社といわれるそうですが、さいたま市緑区には氷川女体神社があるそうですね。
その主祭神はクシナダヒメで、男女を区分けしているのは、荒ぶる川と恵みの川をそれぞれ男女に見立てたということでしょう。
そして観音というすこし女性的な、両性を有するような仏になったのも、荒川を男と女に見立てる観念があったことと無縁でないようにおもえます。
さらにいえば、観音信仰は薬師如来とおなじく救済や現世利益をつかさどる仏様なんですよね。
最後に不思議な神様をひとり紹介します。
スサノオの孫と結婚した、その名も「日河比売(ヒカワヒメ)」という女神がいるんです。
この日河比売の神格は水神です。
系譜の面でもスサノオの孫と結びつくわけで、日河比売は氷川信仰となんらかのつながりがあるのではないかといわれています。
おそらくこういった出雲の神話、神仏が複合的に組み合わさって、氷川神社の信仰がつながれてきたのでしょう。
「氷川神社は最強では?」というギズモさんのお考えですが、荒川周辺の信仰のありようの強さという意味では、たしかに相当なものです。
というのも、地域一帯でこれほど単一的に崇められている神というのはめずらしいのではないでしょうか。
ぼくは常々、神社はその地にいた人々のおもいの歴史が重なっていることが大事だとおもっています。
歴史の縦軸において、水害が多く農業的な恵みも多かったであろうこの土地で、氷川大神への信仰をつないできた人々の願いやおもいは、おろそかにできません。
いわゆるパワースポットとは、「霊的ななにかを感じる場所」みたいなあやふやなものではないとおもっていて、その地をつないできた過去の人々(と現代のわれわれ)の気持ちの強さだとおもいます。
その点で氷川神社はとても大きなチカラのある神社だとおもいます。
2024年11月1日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
お忙しいところ、ありがとうございます。
少しでも効果があれば何よりです。たくさん寝るのもだいじですね。
腰をかがめる姿勢は、どうしても影響がでますね。
私はおととい、中腰でけっこうな時間、衣類の入れ替えと、冬の布団にカバーをつけていたら、立ち上がったとたん、いきなりギクっときました(笑)
ぎっくり腰の軽症というところなので、とりあえず冷たい湿布をしています(この寒いのに・・・)
お返しは、いつも農園主さんの記事から充分いただいているので、お気になさらずにお願いします(*^_^*)
まだ教えていただきたいこともいろいろありますので、農閑期を待ちます(笑)←農閑期は農園主さんのやりたいことがたくさんあってお忙しいはず(>_<)
お返事が必要なことではないので、お時間ある時に読み流していただきたいのですが。
今の住まいの氏神さまは、北野神社といって、祭神は菅原道真だということを以前お話したことがありました。
つい数日前、調べたわけではなく、たまたま「天神様はもともとは祟り神」という記事をネットで見ました。
内容は覚えていませんが牛頭天王の話になり、牛頭天王はスサノオであるという話でした。
「牛頭天王はスサノオ」ということは、農園主さんから教えていただいていました。
ところがここで、何かひっかかり、なんだろうなんだろう?と落ち着かなかったのですが、そこで、以前いただいたメールを探してみたらありました。
2022年3月のもの2件です。
ひとつめは、籠神社にいらした時のお話と、抜粋・要約すると『菅原道真を祭神にしている神社は、もしかしたら八坂神社の流れをくんでいないでしょうか。~~~略~~~八坂神社はもともと祇園社で、いまはスサノオノミコトがまつられていますが、長い間、本地垂迹した牛頭天王がまつられていました。』
2件目のメールを抜粋・要約すると『牛頭天王は、現世利益をもたらす薬師如来でもあるといわれている。つまり、スサノウは牛頭天王で、その牛頭天王は薬師如来である、という、ややこしいことになっていたようです。ちょっと前に、生きている以上は現世利益を求めてもいいだろうと、薬師如来をまつる寺社を探していた。薬師如来をまつっている寺社が少ないのは、もしかしたら明治の神仏分離で全国の牛頭天王が排除されたことと関係があるとおもっている。うちの地域は牛頭天王をまつっているので、期せずして、もっとも身近なところに薬師如来がおられた。その時、青い鳥の話を思い出した』という内容でした。
スサノウは牛頭天王であることは、農園主さんのメールで覚えていましたが、薬師如来でもあったことを、すっかり忘れていたんです。
何が言いたいのかというと。
関東に多い氷川神社の祭神はスサノオノミコトです。
この神さまが牛頭天王でもあり、加えて薬師如来でもあると、数日前いきなり理解できたわけでして(笑)
となると、もしかしたら氷川神社は最強では?と思ったんです。
薬師如来は、現世利益もですが、病気治癒や心の苦しみにも対応しているわけですし、スサノオ本人?も、病気や災いを祓う神ですね。
ここ数年、氷川神社にお参りし、お札をお祀りしているのは、薬師如来ともご縁があったということかもしれません。
つまらないことを失礼しました。
今日明日は雨のようですね。冷えないようお気をつけください(o_ _)o))
少しでも効果があれば何よりです。たくさん寝るのもだいじですね。
腰をかがめる姿勢は、どうしても影響がでますね。
私はおととい、中腰でけっこうな時間、衣類の入れ替えと、冬の布団にカバーをつけていたら、立ち上がったとたん、いきなりギクっときました(笑)
ぎっくり腰の軽症というところなので、とりあえず冷たい湿布をしています(この寒いのに・・・)
お返しは、いつも農園主さんの記事から充分いただいているので、お気になさらずにお願いします(*^_^*)
まだ教えていただきたいこともいろいろありますので、農閑期を待ちます(笑)←農閑期は農園主さんのやりたいことがたくさんあってお忙しいはず(>_<)
お返事が必要なことではないので、お時間ある時に読み流していただきたいのですが。
今の住まいの氏神さまは、北野神社といって、祭神は菅原道真だということを以前お話したことがありました。
つい数日前、調べたわけではなく、たまたま「天神様はもともとは祟り神」という記事をネットで見ました。
内容は覚えていませんが牛頭天王の話になり、牛頭天王はスサノオであるという話でした。
「牛頭天王はスサノオ」ということは、農園主さんから教えていただいていました。
ところがここで、何かひっかかり、なんだろうなんだろう?と落ち着かなかったのですが、そこで、以前いただいたメールを探してみたらありました。
2022年3月のもの2件です。
ひとつめは、籠神社にいらした時のお話と、抜粋・要約すると『菅原道真を祭神にしている神社は、もしかしたら八坂神社の流れをくんでいないでしょうか。~~~略~~~八坂神社はもともと祇園社で、いまはスサノオノミコトがまつられていますが、長い間、本地垂迹した牛頭天王がまつられていました。』
2件目のメールを抜粋・要約すると『牛頭天王は、現世利益をもたらす薬師如来でもあるといわれている。つまり、スサノウは牛頭天王で、その牛頭天王は薬師如来である、という、ややこしいことになっていたようです。ちょっと前に、生きている以上は現世利益を求めてもいいだろうと、薬師如来をまつる寺社を探していた。薬師如来をまつっている寺社が少ないのは、もしかしたら明治の神仏分離で全国の牛頭天王が排除されたことと関係があるとおもっている。うちの地域は牛頭天王をまつっているので、期せずして、もっとも身近なところに薬師如来がおられた。その時、青い鳥の話を思い出した』という内容でした。
スサノウは牛頭天王であることは、農園主さんのメールで覚えていましたが、薬師如来でもあったことを、すっかり忘れていたんです。
何が言いたいのかというと。
関東に多い氷川神社の祭神はスサノオノミコトです。
この神さまが牛頭天王でもあり、加えて薬師如来でもあると、数日前いきなり理解できたわけでして(笑)
となると、もしかしたら氷川神社は最強では?と思ったんです。
薬師如来は、現世利益もですが、病気治癒や心の苦しみにも対応しているわけですし、スサノオ本人?も、病気や災いを祓う神ですね。
ここ数年、氷川神社にお参りし、お札をお祀りしているのは、薬師如来ともご縁があったということかもしれません。
つまらないことを失礼しました。
今日明日は雨のようですね。冷えないようお気をつけください(o_ _)o))
いつもお気遣いいただいて、痛み入ります。パワーテープ、きのう届きました。
早速腰と肩に貼ってみたのですが、一日経って、たしかにこわばっていた筋肉がほぐれたのか、痛みがマシになりました。
こういったアイテムがあるんですね。
ありがたく利用させていただきます。
今後、腰に限らず膝であったり腕であったり、磁気ネックレスでカバーできないこわばりが出ることでしょうから、症状が出たときに利用するやり方で、常備させていただきます。
ここ最近はサトイモの収穫で、黄色いコンテナ箱に座りながら、畑でサトイモをほぐす作業をしているんですが、このとき固いコンテナに座って2時間も腰をかがめて仕事をしているのもよくなかったようです。
おとといから夜8時半に寝ついて、さらに昼寝もして、きのうはパワーテープにも頼らせていただいて、カラダが求めるまま一日に10時間以上寝てるんですが、ようやくすこしラクになってきました。
たいへん恐縮なことではありますが、助かりました。ありがとうございます。
またなにかの形でお返しさせていただきます(笑)
週明けから一気に寒さが厳しくなるといいます。
ギズモさんも喉のことなど、気がかりがおありだとはおもいますが、お互いカラダをいたわって乗り切りましょうね。
早速腰と肩に貼ってみたのですが、一日経って、たしかにこわばっていた筋肉がほぐれたのか、痛みがマシになりました。
こういったアイテムがあるんですね。
ありがたく利用させていただきます。
今後、腰に限らず膝であったり腕であったり、磁気ネックレスでカバーできないこわばりが出ることでしょうから、症状が出たときに利用するやり方で、常備させていただきます。
ここ最近はサトイモの収穫で、黄色いコンテナ箱に座りながら、畑でサトイモをほぐす作業をしているんですが、このとき固いコンテナに座って2時間も腰をかがめて仕事をしているのもよくなかったようです。
おとといから夜8時半に寝ついて、さらに昼寝もして、きのうはパワーテープにも頼らせていただいて、カラダが求めるまま一日に10時間以上寝てるんですが、ようやくすこしラクになってきました。
たいへん恐縮なことではありますが、助かりました。ありがとうございます。
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週明けから一気に寒さが厳しくなるといいます。
ギズモさんも喉のことなど、気がかりがおありだとはおもいますが、お互いカラダをいたわって乗り切りましょうね。