山麓王国

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2024年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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わざわざありがとうございます。
お気になさらず、ゆっくりで<(_ _)>

本日は、ひっさびさのコンサートなのですが、声の調子も万全ではなく、どうなることか(笑)

しかも先方の施設にはろくに機材もないので、普通はマイクだけで済むものが、マイクスタンドや小さいアンプ持参で、セッティングを思うだけで気が遠くなりますが、行ってきます(*^^)v
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すみません、ちょっと書きたいことがうまくまとまらないので、しばらく時間をください。

スピリチュアルと伝統宗教について書いています。
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高島易断の暦は、毎年11月くらいには書店に平積みになります。
大々的に並ぶので、それなりに売れているようですね。
他に暦を出版しているところが少なく、ほとんど目につかないので、よけい売れるのかもしれません。

年始に寺社でご祈祷をしていただくと、神饌の他に、ぺらっぺらのうす~い暦をいただけます(販売もしていたように思います)。
編纂しているところが寺社で違うせいか、暦の解釈も多少違ったりします。

九星は生まれた年で9種類、十二支も生まれた年ですが12種類、西洋占星術だと年は関係なく12種類(最近13種類とする説もありますが)。
それぞれ興味はとてもありますが、同じ年生まれの人、または同じ星座の人が、同じような性格であったり、同じような人生を歩むとか、それはちょっとないのではないか、と思います。

例えば、2024年の山羊座生まれの赤ちゃん全てが、似たような性格で似たような生き方をする確率はどのくらいなんでしょうね。
確かに統計学として似通った傾向はあるのでしょうが、「信じる信じないはあなた次第」の世界かもしれません。

昔、高校の同級生の男子が、偶然にも同じ誕生日でした。
まじめなのはいいのですが、どうも好きになれないタイプでした←たぶん向こうもそう思っていたはずです(;一_一)

四柱推命や奇門遁甲は、生まれた場所や時間も必要とするので、より詳しくなるのは当然ですよね。

占いの話になってしまいましたが、こういうものは、心のよりどころ程度に思っておくのがいいんでしょうね。


お天気は本当に悩まされますね。
4月以降に急に忙しくなると、どうしても無理をしがちだと思いますが、今のうちにしっかりと体力を温存し、備えてください。

♪つくしの子が恥ずかしげに顔をだ~します♪という歌を思い出しました(笑)

ふきのとうはスーパーでも並びますが、つくしが売っているのは見たことがないような気がします。
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高島易断、初めて聞きました。

なんとなくああいう本はむかしみかけたような気もします。

高島易断ではありませんが、うちでは母がたまに年始に九星気学の本を買っていたのはおぼえています。

ぼくはカレンダーの六曜と九星気学以外に親しみがありませんでしたが、家庭でどんなカレンダーをつかっていたか、市販の手帳(マメ知識のついたもの)をつけるクセがあるか、暦に興味があったかといったところで、守り本尊などの知識のあるなしが決まるのかもしれませんね。




農閑期はもう終わりで、いつでもスタートしたいんですが、なにせ天気がわるくて動けません。

仕方ないのでこまごました作業をしているんですが、結局3月にしておきたい畑仕事が後回しになるだけなので、4月以降すごい忙しさになりそうで、いまから戦慄しています。

うちのあたりはいまちょうど梅の花がよく咲いていて、桜はそちらより1~2週間ほど遅れるとおもうんですが、やはり入学式にはもう散り気味なのではないかとおもいます。

でもことしは暖冬といいながら、晩冬が非常に寒くて、しかも雨が多いため、うちのあたりでは梅も桜も咲きどきを戸惑っているようにおもえます。



タブレット、8インチのNEC製、いいものを買われたんですね。

持ち運びにはやはり8インチくらいがいいとおもいます。

つかい方にもよるとおもうんですが、日常的な使用であれば、高い性能よりも取り回しのよさと頑丈さが重要なんですよね。

画面スクロールで酔うのは気の毒ですが、タブレットを利用してうまく生活に活用なさっているのはすごいことだとおもいます。
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帝釈天の南天のこと、知りませんでした。
今度行く機会があれば見てきたいと思います。

「鎌倉文士に浦和画家」というのも初耳でした。
浦和がそんな街だったことも知りませんでした。
最近の浦和は、ずいぶん近代的でおしゃれな街になりましたが、以前は浦和大根で有名な田舎でした。

干支の守り本尊ですが、高島易断の毎年の暦は、宗教に関係なくどこの家にもあったように思います。
引越しや婚礼などの吉日や黒日、大安とか仏滅をみるために、置いてあったのかもしれませんね。

巻末に、干支ごとの守り本尊のページがあるので(ペラペラの安い暦にはなかったかも)、親から聞いたか、自分で見たか、ということではないかと思います。
私もそれで知っていました。

そろそろ農閑期も終わりでしょうか?
タネもいろいろな種類があって、ネーミングも工夫がありますね。
ずらっと並ぶタネの袋、壮観です。

こちらでは、来週月曜日が桜の開花予想となっていますが、入学式の頃には影も形もない、ということになりそうです。


数日前、突然タブレット(NECの10,1インチのアンドロイド)の充電ができなくなりました。
ちょうど3年経つので、バッテリーの交換時期にきているのですが、バッテリーの問題ではないことも視野に入れないといけなくて、預ける時は、最初に1万円のなんとか金?を取られるそうです。
それは戻ってこないのと、もしバッテリー交換だったら、さらにバッテリー料金を取られます。
1ヶ月預けてそれでは損が大きいので、いろいろ考えて、新しく買うことにしました。

昔、オーディオでけっこう知名度があった、aiwaのものがあり、どうせまた3年ほどで買い替えるなら安い方がいいと思い買ったのですが、早速その日、充電はできない、電源ボタンが作動しないという不具合が起き、翌日持って行って返品しました。

交換しますと言われましたが、また不具合が起きたらという不信感もあり、結局またNECにしました。

NECといっても、今は中身はレノボなのですが、レノボより安かったです。
他の海外製品で多少安いのもあったのですが、メモリが3GB、ストレージが32GBだったりと、ほんの数千円のところでケチって後悔しそうで・・。

そして、ジャジャ~~ン!!(笑)
今回は、じっくり考えて、8インチにしました。

ご存じのとおり、携帯がガラホなので、外の買い物でアプリを使えないんです。
使う時は、10,1インチのアンドロイドを持っていっていたので、やっぱり相当不便でした。

レジでタブレットを出すと、一瞬びっくりされますし(笑)

昨日買ってきて、アプリを入れまくりました(笑)
これで、コンビニでもスーパーでも、いくらかでもポイントがたまりますし、クーポンも使えます。

ようやく、人並みな??生活手段を得ることができて、明日使うのが楽しみです(*^^)v

ガラホと8インチタブレットの両方を持って行くなら、スマホにした方が早いに決まっていますが、やはり画面のスクロールで酔います(*_*)
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ことし栽培するタネです。
毎年タネは楽天スーパーセールの間に買いだめします。

オクラはことしは複数の種類を育てるつもりです。

白オクラのヘルシエははじめてチャレンジします。
いわゆる機能性成分を多く含むおいしい品種ということなんですが、一般的に多肥を好むオクラの中で、こちらは肥料を抑え気味につくったほうがよいという、栽培方法のクセがあるようなので、そのあたりを見極めようとおもいます。

去年は大奥だけを育てました。

一般品種なら硬くなってしまう大きさでもやわらかく食べられるという品種で、初期からバテることなく、旺盛かつコンスタントに収穫できる強みがありましたが、終盤息切れする傾向を感じました。

10月ごろから収量が減り、11月にはもう仕舞い支度といった感じです。

そこでこれまで長く作ってきたピークファイブも一緒に育てることにしました。

この品種は栽培期間中の収量に波があるのですが、11月中旬くらいまで育ちます。

たぶん、この混合栽培が直売所にはよいのではないか、という実験です。



葉物は、この写真以外にもカブと春菊とベカナがありますが、ことしの春は新作をふたつ投入します。

沖縄で栽培されているカラシナの一品種である「シマナ」。

あと、台湾小白菜を育てます。これはクセになるほのかな苦みがあるということなんですが、見た目がベカナそっくりなのが気になるところです。



ズッキーニはブラックボー。これは草勢が強く、収量も多く、病気に強く、緑色が深いため市場性が高い、個人的に春作のズッキーニはこの品種がいちばんよいとおもっています。

秋作のズッキーニにはKZ-2という品種です。

カブでお世話になっている種苗会社ヴィルモランみかどのズッキーニで、つるありインゲンのビックリジャンボもそうなんですが、生産者側のかゆいところに手が届くつくりやすさと、食味が両立したよい種苗会社です。



シャオパオはミニチンゲンサイなんですが、小さいものをたくさん詰めて売ると、直売所ではよく売れるんですよね。

それに大きくなって、花芽がつきかかったものでも商品になるのが強みです。

市場のチンゲンサイとは見た目がちがっていて、密植に耐えて、作り手としてもメリットがあるので、うちはチンゲンサイはこの品種で決まりです。



赤ちりめんしそは、うちの利用しにくい農地にまいて雑草同然に育てます。

うまく収穫出来たら塩漬けにして、柴漬けや梅干しのシソとして利用したいとおもっています。

シソは日当たりのわるいところでもよく育つし、鹿の被害も比較的少ないようです。

そこで、山際の竹林そばの日当たりのわるい、水はけのわるいところにまいて、あとはこぼれ種から毎年自生させて収穫する魂胆でいます。

なにせシソは、一度育ててこぼれ種が落ちると、翌年からはなにもしなくてもほかの雑草を鎮圧して、優先的に育ってくれるので重宝します。



キュウリのなるなるZUTTOは、なるなるシリーズの最新作のようですが、うちは夏場の水やりがカンタンではなく、販売用はそこそこに、おそらく自家用としてキムチや漬物に回る予定です。

いちばん右に見切れてるのは「くりまさる南瓜」といって、去年ご近所さんに苗を差し上げたら、ものすごく甘くておいしいカボチャがとれたと喜んでもらいました。

ちなみにうちは去年の酷暑で全滅したんですけどね(笑)

#野菜
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鎌倉に南天を植えているご家庭が多いのを実際に調べたというのはすごいです。
鎌倉夫人という言葉をみたのはたぶん初めてだとおもうんですが、その名前の文学作品があるようですね。

柴又帝釈天の大客殿に、樹齢1500年の南天の床柱があるそうですが、一般的な樹齢1000年越えの巨木と比べると、幹の直径が30cmとかなり小ぶりです。

そう考えると庭木として世代を超えて何百年でも長く楽しめるわけですが、鎌倉の家々の南天がいつごろに植わったものなのか、気になるところです。

ぼくが知っているのは「鎌倉文士に浦和画家」という言葉ですが、鎌倉夫人にせよ鎌倉文士にせよ、いずれにしてもハイソな場所ですね。



神仏が守ってくれるという話なんですが、現代のような文明がなかったむかしの人は、守り本尊にじぶんの運命をあずけて……たとえば小さな木彫りの仏像であったり、あるいは石になにか刻んだようなものを懐に入れて、そういったものをじぶんの守り神として拝みながら暮らしていたのだろうとおもいます。

しかしギズモさんの高校時代のご友人は、どういうきっかけでその若さで守り本尊のことを知ったんでしょうね。

ぼくのように中年になるまでまったく知ることなく生きてきた人間としては、守り本尊を知っているかどうかの、世代別アンケート調査があったらみてみたいものです(笑)
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神仏には失礼かもしれませんが、身も蓋もない言い方をしてしまえば、所詮あとから人間が当てはめたものであって、仰るとおり「勝手に選ばれて」しまっていますよね。

高校三年生の時つきあっていたBFが、受験の時に身につけていくようにと、十二支の守り本尊のネックレスをくれました。
はっきり覚えていませんが、偽物のヒスイみたいな仏像がついたネックレスでした。

そんなもの(仏様、ごめんなさい)つけて受験に行く女子はいませんよね。
でも、私は素直なので、つけていきました。

・・・落ちました(笑)

その仏様に恨みはありません。
今思えば、高3男子がそんなものをくれた不可解さ・・・。
宗教には関係ない一家だとは思うのですが、なんだったんでしょう(^_^;)

それが原因ではありませんが、その後、別れました(笑)

私は、ほぼすべての神仏が、それなりに守ってくれていると思うことにしています。
よく仏様のヒエラルキーのような図を見ますが、私も上座、下座は無いように思います。
役目が違うということはあるかもしれませんが、何かに特化している(恋愛にご利益があるとか、勝負にご利益があるとか)というのも、あとから人間が決めたことかもしれません。


男子の聖闘士星矢、女子のセーラームーン、ですね。
子どもは、時代に関係なく、アニメやコミックには影響されてしまいますよね。
本当に、関係のないことで巻き込まれるのは、迷惑以上に迷惑だったと思います。

南天というと、南天のど飴です(笑)
あれは、効きます。
化学薬品ではないので安心ですし、やっぱり昔から伝わる漢方の効能は、案外ばかにできません。

あと、南天は「難を転じる」ので魔除けと言いますね。
少し前に、たぶんネットの記事だと思うんですが、「鎌倉の住宅はみな庭に南天を植えている」というのを読みました。
鎌倉は時々行くので、そのあと、実踏に行って見ました(笑)

本当でした。
鎌倉はお屋敷町というか、「鎌倉夫人」という言葉があるように、お庭がある立派なお宅ばかりです。
通り道を見ただけなので、どのくらいの割合で南天の木があるかまで調べませんでしたが、かなりの家に南天がありました。

鎌倉時代に渡来したそうですが、東京の一軒家や他の県ではあまり見かけたことがないので、おもしろい現象です。
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むかしぼくが子供のころ、聖闘士星矢というアニメがあって、あれに十二星座の敵キャラがいたんです。

中でもかに座のデスマスクというのがほんとうにゲスな敵キャラだったそうな。(ぼくは聖闘士星矢はコミックもアニメもみていません)

で、ぼくがかに座だと知るや、同級生が寄ってたかってバカにしてきたのです。

こっちとしては、完全に巻き込まれたかっこうで、ものすごく迷惑でした。

それで、守り本尊に対しても地味だと言ってしまいましたが、なんとなくあの聖闘士星矢の一件がフラッシュバックするんですよね。

「知らない間に巻き込まれてる」という不快感があって、勢至菩薩に対しても、「なんで勝手に選ばれてるんだろう」とひがむ体質ができてしまった次第です(笑)

寒山拾得の考え方でいえば、仏さんの立場であっても上座と下座をもうけるような考え方には意味がないということですし、守り本尊というようなことも、心のお守りくらいに考えるのがいいのだろうとおもっています。



バラクーダの「日本全国酒飲み音頭」はバカバカしくて好きな曲ですが、あれは祭りの本質をついているような気がします。

みんなで酒でも飲みながら祭りをしましょうよ、というとアルコールハラスメントといわれる時代になって、日本の祭りはどんどん縮小傾向になっています。

酒が飲めない人はそもそも祭りにおもしろみを感じませんし、酒飲みもなんのご褒美もなく、実務だけの祭りをしろといわれたら、やる気がなくなります。

みんなそんな調子で、酒の一杯も出ない冠婚葬祭に魅力を感じなくなっているのだろうな、と。

その点、バレンタインやクリスマスなどの西洋のイベントは、実質的には買い物や商業的消費を楽しむイベントなので、現代で受け入れられる理由も(納得がいくかどうかは別として)わかります。



そういえば、柊はうちの裏山でもぼちぼち自生してます。

鹿山になってしまったところは、鹿があまり食べない木ばかりになっていくのだそうで、その中に柊も含まれます。

毎年節分に柊をもらってこようとおもうのですが、ちょうど雪が積もっていたり、めんどうくさかったりで、飾ったことがありません。

柊と南天を玄関先に飾っておけば、それっぽい感じになりそうなんですけどね。
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守り本尊は、暦の最後の方に書かれていますが、自分の年以外は気に留めていませんでした。
兼任(笑)もあるんですね~。
不動明王は大日如来の化身という考えもあるとすると、未・申・酉を守っているわけですね。

関東の三大師のひとつ、川崎大師の薬師殿の中には、大きな薬師如来がいます(いらっしゃる、と書くべきか・・・)。
その中に、十二支に合わせて、十二神将という像がまつられています。

これも十二支の守り本尊のようですが、天部で、奈良の新薬師寺で初めて知りました。
三國志に出てくるような、孫悟空のような、アニメのような、という雰囲気です←例えが変かもしれません。

勢至菩薩は確かに印象は薄いですが、単独で信仰される仏様ではないというのが一因だそうですね。
今回調べてみて初めて知ったことばかりでしたが、なんだかすごいパワーのある菩薩さまなんですね。

柊のセットは、毎年必ずスーパーで売られるんですが、玄関に飾ってあるのを殆ど見たことがありません。
あれだけ売っているんだからもっと見かけていいはずなんですが、どうやら私だけが売り上げに貢献しているようです(笑)

「日本全国酒飲み音頭」ではありませんが、古くから伝わる行事は毎月のようにあるのに、バレンタインやクリスマス、ハロウィンの方が有力ですね(笑)



いわしの水槽があった場所ですが、ネットで検索しても見つかりませんでした。
千葉県の九十九里の「海の駅」に(道の駅みたいなところです)、いわし資料館があり、そこにいわしの展示水槽があって、NPOからのクレームに館の関係者が困惑しているというニュースがネットにありました。
もしかすると、ショッピングモールと、このいわし資料館を勘違いしていたかもしれません。


突然思い出しましたが、美味しんぼで、あの食通の京極さんが、土佐のいわしの丸干しに大感激する話がありました。
丸干しと目刺しは違うんですよね。
急に食べたくなりました(笑)
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菩薩や明王や天部には、有名なものと、あんまり有名でないものがありますよね。

ご存知かもしれませんが、生まれ年の「守り本尊」なるものがあるそうです。

以下、十二支による守り本尊の一覧です。

子年   千手観音菩薩
丑年   虚空蔵菩薩  
寅年   虚空蔵菩薩
卯年   文殊菩薩
辰年   普賢菩薩  
巳年   普賢菩薩
午年   勢至菩薩
未年   大日如来  
申年   大日如来
酉年   不動明王
戌年   阿弥陀如来  
亥年   阿弥陀如来



ぼくの場合は午年で「勢至(せいし)菩薩」が守り本尊になるのですが、最初に聞いたときは、そんな菩薩があることを知りませんでした。

勢至菩薩は阿弥陀如来の脇侍なのだそうで、おなじ脇侍に観音菩薩がいて、阿弥陀三尊というそうですが、どうも勢至菩薩の印象は薄い気がします。


おひなさまが大陸の王朝の影響を受けているというのは、もしかしたらほんとうにそういう面があったかもしれませんね。

江戸当時の人形職人は、おそらく実際の宮中をみたことはないはずですし、参考にできるものはなんでも参考にしたとおもいます。
その中には大陸の王朝の文物もあったかもしれません。

享保のころは豊かな時代で、ひな人形もバブルっぽい華美なものになっていたそうですが、ああいう演出はたしかに日本的なものではないですね。



柊イワシは、地域によってやるところとやらないところがあるそうですが、ぼくが物心ついて以来、一般家庭の玄関先で柊イワシをみたことはないかもしれません。

豆まきは子供のころにしましたし、いまでもやっているようですが、これも身近なものではなくなりました。

ことし、すこし気まぐれを起こして、煎り豆を裏山の奥のほうでまいてきました。

家のまわりにまくのはネズミを呼ぶようなものなのでやめましたが、むかしの人は、人間以外の生き物に対しても、それを福として呼び込むくらいの、牧歌的な心の余裕があったのかもしれませんね。



東京ではショッピングモールにいわしの巨大水槽があるのですか。

NPOのクレームも含めて、あまり田舎ではみられない光景のような気がしますが、飼育目的ではなく、生け簀として利用するというのだったらクレームもなかったかもしれない……いや、やっぱりクレームがついたでしょうね(笑)
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烏枢沙摩明王の画像までありがとうございます。
トイレの神様は、明王だったんですね。
名前は何となく知ってはいましたが、どこかに仏像がまつられているのを見たことがないような気がします。

天台宗の五大明王は金剛夜叉明王の代わりが烏枢沙摩明王だそうですので、東寺の立体曼荼羅の五大明王とは違うんですね。
調べてみたら、都内でもお札を売っているところは少なく、密教系のお寺などの5ヶ所くらいでした。

よくお参りする調布不動尊にも、三宝荒神と烏枢沙摩明王のお札が売っているのを、ネットで初めて知りました。

京都の飲食店では、神棚の他に、厨房やトイレに各種のお札がたくさんはってあって、さすが京都、と感じ入ったことがあります。


お雛様ですが、それはとても興味深い博物館ですね。
時代でずいぶん変わってきていることと思います。
享保びな、知らなかったので検索しましたが、たしかにシャンデリアのようなベッドメリーのような感じですね。
なんとなく、朝鮮や中国の王朝の影響があるような気もします。

はまぐりですが、昨日デパートでは大きい物が5個で2,000円でした。
1個ずつのばら売りをすれば買う人も増えると思うのですが、どこでも5個セットというのはなんなんでしょうね。
6人家族なら、ひとりは我慢ですね(笑)

いわしはとても健康にいいということで、一時、水煮などの缶詰の品切れが続いていました。
農園主さんのいわしのお料理、とてもいいですね。
骨まで食べられたら最高ですよね。

ウェイパーは本当においしく万能ですが、おうどんに使うことは想定外でした。
いいアイデアですね~。

節分の日、玄関のドアに、スーパーなどで売っている節分セットを買い、ヒイラギをはり付けます。

ヒイラギと、紙製の鬼のお面が入っていますが、お面は捨てるしかないです(笑)
ヒイラギの上に、イワシの頭の焼いたものを刺すのですが、この時期は目刺ししか見たことがありませんので、目刺しを焼きます。
まったく疑問に思っていませんでしたが、節分の頃は、見かけなくて当たり前なんですね。

焼いた目刺しを刺しておくと猫が来るかもしれないし、匂いもあり、近所迷惑かと思い、今年は省略しました。

もうすっかり場所を忘れましたが、水族館ではなく、ショッピングモールのような場所に去年行きました。
そこに、すごい数のいわしだけが泳いでいる、けっこう大きい水槽がありました(観賞目的の水槽です)
水槽は大きくても、いわしの数がものすごいので、いわしが密集している感じです。

その水槽の前に、「NPO(確か)から飼育環境が適切でないという事でクレームが来ているので、近々撤去するか改善するかの措置を行う」旨の張り紙がありました。
その後どうなったのかはわかりませんが、確かに水族館でゆうゆうと泳いでいるいわしとは違うので、クレームの対象になってもしかたがないのかもしれません。
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お雛様は、この前、ある市が運営する小さな博物館で、享保びなから、明治大正昭和、現代のものまで並べられたのをみてきました。

享保びなのお雛様は、とりわけ頭の飾り物がとても華美で、なんというかたとえがうまくいえませんが、シャンデリアというか、赤ちゃんのベッドメリーみたいな、こういう飾りはちょっと現代ではあまり見かけないようにおもえます。

はまぐりはもう取りつくされて、何年も生育した大ぶりのものが出回らなくて、大きなのはすごい値段ですよね。

そういえばことしはいわしが豊漁なんですが、意外と日本海側は毎年シーズンになると安くなるので、いつもと値段が変わりません(笑)

この時期のマイワシは、たくさん買っておいて、内臓も取らず、そのまま圧力なべに放り込んで、水に塩を入れて、ショウガをひとかけ入れて30分以上弱火で煮ます。

新鮮なものに限りますが、いわしはサンマとおなじでワタも食べられますし、いまの時期のいわしは卵を持っていて、これもなかなかの珍味なのです。

圧力なべで長時間煮ることで、骨までやわらかくいただけるようになって、残ったお出汁は醤油を足して厚揚げと炊いたり、キムチと豚肉と少量のウェイパーでおうどんにしたりしました。

節分にいわしを食べる習慣がありますが、あれは旧暦に食べられていたんじゃないかとおもうことがあります。

新暦の2月はまだいわしのシーズンには早くて、いまごろが最盛期なんですよね。



トイレの神様ですが、むかしはかまどや厠に神様がいたんですよね。

神仏習合からきていて、三宝荒神はかまどの神様といいます。

で、烏枢沙摩明王がかまどや厠の神様といわれています。

あと、トイレの神様としては金勝要神という神様が出てくるのですが、これは大本教に関係する神様のようで、女神ということなので、おそらくあの歌の神様はここに由来するのでしょう。

ちなみに烏枢沙摩明王は以下の画像のようで、まあなんというか、「キレイな神様」という感じではなさそうですね(笑)
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年を取ると性格が丸くなるという言葉がある反面、年を取ってひねくれてきた、という人もいますね。
長老さんは、昔はイヤゴト(聞いたことはないですが、意味が伝わってくることばですね)を言うタイプだったかもしれないですね。

農園主さんは一番の若手でしょうが、若い者を偉そうにこき使う人でなくてよかったと思います。

サンポール、少し前にネットでバズりましたね。
最近は見かけなくなった洗剤と思っていて、まだあったことにも驚きでした。

トイレの神様、これは歌の話ではなくて、髪の長い女性の神様がいるらしいという話があります。
迷信と思うと、すべての神様が迷信かもしれないので、「いらっしゃる」と思い、せっせと掃除をしています。
大みそかだけですが、お神酒も上げます。
きれいに掃除することにこしたことはないので、いてもいなくてもいいんですけどね(笑)


そう言えばカーナビの声は、日高のり子さんをはじめ、いろんな声優さんの声を、録音ではなく音声を合成して作っているようですが、あれはわりと自然です。
地名など、イントネーションがおかしくなりそうですが、ある程度修正しているのかもしれませんね。

明日はお雛様ですが、娘が出て行ってからは(家出ではありません)、特に何もしなくなりました。
私のお雛様を飾るだけなんですが、久し振りにはまぐりのお吸い物を作ろうと思い、魚屋さんをのぞいたら、国産(どこだったか・・・)のちょっと大きいものが、5個入って1,680円でした。
ここ数年、こんな値段です。
台湾産のものは安かったのですが、アサリの大きさでした・・・。

はまぐりはいい出汁がでるので、けちけちせずに買って来ればよかったですが、その分でペコちゃんのケーキでも食べた方がいいかな、と(笑)
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おそらくもともとこの長老は非常にマッチョな考え方をする人で、それこそマウントをガンガンとっていくタイプだったとおもいます。

長老の若いころは、理不尽に対して暴力やマウントで戦わねば生きていけない時代だったのかもしれません。

それがいまは生活が豊かになって、道徳的に人に接していればきちんと生活をしていけるようになりました。

若い世代が礼儀正しいということも大きいとおもいます。

イヤゴト(これは方言かもしれません、文句、クレームというような意味です)を言う人も少なくなってきました。

このような時代の変化によって、長老も他者にマウントをとることがなくなってきた、ということだとおもうんです。

いまでも長老はすこし年下の70代の自治会員(この人はイヤゴトを言います)には、すごいきつい言い方をします(笑)

牙は抜けてないんですよね。



雑巾をつかった雑巾がけは、お寺のお坊さんがやるような雑巾がけはしませんが、簡易モップに雑巾(使い古しのタオル)を巻いてフローリングを掃除することはします。

トイレ掃除は以前は使い捨てシートを利用してたんですが、最近は雑巾(タオル)のほうが掃除しやすいことに気づいて、タオル掃除の頻度が増えました。

そういえば、もうご存知かもしれませんが、ふだんのトイレ掃除に加えて、ワンシーズンに一回くらいの頻度で、サンポールを使い古しの歯ブラシにつけて、トイレのふちや、裏側、陶器のざらつきなどに塗布して、数分おいてから歯ブラシで掃除すると、尿石汚れがなくなってピッカピカになることに最近気づきました。

うちはバリアフリーとは縁遠い、段差だらけの家なので、ルンバで掃除できる家がうらやましいです。



読み上げ機能、配信をしてる人がコメントを読み上げ機能で「聞き」ながら会話しているのをみたことがあります。

あの読み上げも、おそらく日進月歩でイントネーションの伝え方が上達しているようですし、そのうちふつうに話しているのと変わらないくらいの精度になるのかもしれませんね。

2024年2月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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その超人的長老さんの世代だと、苦労は買ってでもしろとか、休むヒマがあれば働け、という考え方の人が多いと思うのですが、なかなかできた方ですね。
私も早く片付けたいタイプで、一気にやってしまうことが多いのですが、思い出してみると、がむしゃらにやるより、途中で何か違うことをしたりちょっとおやつを食べたりするほうが、その後の捗りが効率的だったりしています。

疲れていない状態をキープする、これはどんなことにでも応用できますね。
心に留めておきます。

美味しんぼ、そのシーンが思い出せませんが、いかにも山岡さんが言いそうなことですね(笑)
だいぶ前から、お米は「研ぐ」ということがなくなりましたし、家庭科の教科書でも「お米を洗う」になっていますよね。
それに、お湯で研ぐ(洗う)ほうが、訂正浸透率←浸透圧?? 吸水率??がよくなっておいしく炊ける、というネットの記事を読んだことがあります。

話がちょっと違いますが、昔は雑巾がけをお湯でやるなんてとんでもない、水でやれ、というお年寄りが多かったと思います。
つまり、過程の苦労をすべきだ、という精神なのでしょう。

最近は、雑巾を使った雑巾がけなんて、やる人はいるのでしょうか。
100均で雑巾は売っているので需要はあるのかもしれませんが、クイックルみたいな立って掃除する簡易モップ?を使う人が圧倒的に多いでしょうし、水拭きのできるタイプのルンバかもしれません(笑)

以前は毎日していた雑巾がけを週1~2日にし、あとはクイックルを使うようになりましたが、やっぱり手で雑巾がけした方がきれいになるのは間違いありませんし、なんとなく気持ちもスキッとします。
でも最近は、水拭きできるルンバを誰か買ってくれないかな、と思うようになりました(笑)

文明の利器を使って、過程で苦労せず無駄な努力をしない。
それによって得られる時間や、体力と心の余裕、これは必要ですね。

余談ですが、先日たまたま「読み上げ」機能を使ってみました。
AI独特の感じではなく、「どこの地方の人?」というような、ちょっと素朴な訛りがあるような話し方で、なんだか好感が持てて、失礼ですがちょっと笑ってしまいました(笑)。
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田舎暮らしをしてるとお金にならない仕事ばかりなんですが、それでもいいとおもえるのは、多くの人がひとりひとりの保全の苦労があってこそだということを知っていて、ねぎらい合う空気ができているからだとおもっています。

だから、介護だと特に、感謝の言葉、ねぎらいの言葉は折に触れて捧げたほうがいいと、ぼくもおもいます。



もう何度か言ってるかもしれませんが、うちの近所に、80になって現場仕事の大工をしているという超人的長老がいます。

この方といっしょに草刈りや原木しいたけづくりをしたとき、休み方がうまいことに気が付きました。

たとえば、「1~10までを片付けるタスク」があったとします。

で、「8」まで片付いたとしますよね。

肉体的にはちょっと疲れた程度で、これも10段階でいえば6くらいの疲れです。

残った作業があと2くらいなら、すこし無理押ししても片付けてしまいたいとおもいます。

このとき、ぼくの頭の中には、「タスクを早く片付けること」が最優先事項になっています。

ところが長老は、「休むで」といって、みんなを半ば強制的に休ませるんですね。

体力的に5~6割の疲れで、一回しっかり休憩をとって、みんなでわいわい談笑して、それであとひと仕事を一気に片付けよう、となる。

つまり、疲れるまでやるんじゃなくて、ひと仕事を終えるまでできるだけ、疲れてない状態をキープするようにしてるんですね。

そのときに大事なのは、全体で「あともうちょっとで片付くのに」といわずに、休憩を受け入れる心構えだろうとおもいます。

介護の場合、それでは一日のタスクが終わらないということもあるかもしれませんが、そこはもうじぶんのできる範囲を越えているということで、行政や家族など頼めるところにヘルプを求めたり、あるいはタスクの一部を無理やり削ってでもじぶんの休息にあてたほうがよい、ということが、きのうの話でした。



食事に関しても、「おいしい」「健康に問題ない」という結果が出ていれば、過程はなんだっていいんだとおもいます。

日本……というより東洋的なクセだとおもうんですが、結果よりもその過程で苦労しているかどうかということが大きく評価されるところがあります。

おなじ結果でもその過程で苦労してナンボみたいな気風があって、たとえばお米をお湯で研ぐなんてダメだ、なぜ冷たい水で研がないんだということを、「美味しんぼ」で山岡士郎が言ってたのをむかし読みました。

ぼくからすれば、出来上がるご飯が特別まずくなるというのでもなければ、ラクなほうがいいとおもいます。

文明が未発達だったむかしなら、なにごともマンパワーに頼るほかありませんでしたから、ともかく万事なまけさせない衆人環視的な圧迫教育が必要だったのも理解できなくもありません。

でも、現代は機械社会と資本主義によって、必要最低限にして最大限の利益を得る努力をするようになりました。

その中で「むしろ必要のない努力はしてはいけない」という風潮が生まれてきたのは、ものすごくよいことだとおもっています。
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たしかに、安いものでもおいしいことはおいしいですね。

10年ほど前でしょうか、時期は はっきり覚えていませんが、練り物が身体によくないと言われていたことがありました。
それ以来あまり買わないようにしていたのですが、最近そういう噂が聞えてこないので、時々買うようになりました。
少し甘めのものが、特においしいと思います。

このところの練り天のお話でおいしさを再認識したので、これからは一生懸命買うことにします(笑)

介護される側もする側も、それを取り巻く側も、7割を目標というお話、なんだかとても気持ちが楽になりました。
道徳と義務感。確かにそのとおりです。

自分が10割以上頑張ったとしても、相手はそれを当たり前と思うかもしれません。
7割で自分も相手もこんなものだと納得させ、余力をキープするのが大事ですね。

例えは違いますが、介護や看病に関係のない一般的な家族の食事作りにしても、三食手を抜かない、出来合いのお惣菜は買わない主義の主婦が、たまたま忙しくてスーパーのお惣菜を買ってきて、ものすごく後ろめたい気持ちでテーブルに出したら、誰からも何も文句も言われず、今まで頑張ってきたのはなんだったんだ、という話はけっこうあるようです。
↑ 私もそうでした(笑)

看病、介護も同じですね。
自分ができることは、精一杯以上にやらないといけない、という思い込み。
これは取り払わないといけませんね。

あとは、看病・介護をしてくれる人に、ありがとうの言葉を、時々でもいいのでかけてあげられるかどうか、これも大事なことと思います。
具合が悪い時は難しいかもしれませんが、そのひとことで、けっこう救われるものです。
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たまにデパートなどで、揚げたての練り天を売ってるところがありますね。
あれはたしかに絶品で、やっぱり作り立てにかなうものはないとおもいます。

練り物の場合、値段はかなり確かな指標だとぼくもおもいます。
ただおもしろいのは、安い練り物もあのやわらかい食感がそれなりにうまいということで(笑)

練りキムチ、いいですね。ヤンニョムにそのまま練り物を漬けたら、いちおう魚介ですし、よい珍味になりそうな気が……。



ちょっと本筋からズレた内容になるかもしれないんですが、介護の話は、うちの場合は去年の父のがんもそうでしたが、家族の中で将来に向けてのいろんな話が出てきていて、むずかしい問題になりつつあります。

ぼくとしては、介護される側もする側も、それを取り巻く側も含めて、チカラの入れようとしては7割くらいを目標にキープするくらいがいいのではないかとおもっています。

毎日100%の掃除ができる人がいないのに似ています。

だいたいだれでもそうだとおもいますが、7割を越えたら続きません。

7割がんばっても介護される側へのケアが足りないということになると、申し訳ないけどずさんなケアに甘んじないと、こちらの生活まで崩れてしまいます。

せめてテレビみて、おせんべいかじって、ダラダラする時間が一日に数割ないと、人間疲れてしまうものですから。

あとは、生活の不具合の度合いに応じて、地域包括支援センターなどでアドバイスをうかがうなど、行政からの支援のとっかかりをつかんでおくのは大事ですよね。

介護される側のQOLが大きく取り沙汰されることが多いんですが、ぼくとしては介護する側のQOLはそれ以上に大事だとおもっています。

なにせ家庭での介護というのは、金銭的報酬もない、いやおうなしに道徳と義務感が搾取される分野ですからね(笑)

介護する側の人生の豊かさに目を向けて、共倒れにならないように……うちの場合は父か母、どちらが介護者に回るかはわかりませんが、ぼくとしてはそのへんに気を配っていこうというのが、いまの時点の考えです。
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練り天の話、あのあと書こうと思ったのですが、しつこいかなとやめてしまいました(笑)

コロナが流行る前あたり、デパ地下の催事場で、さつま揚げ(呼び方は違ったと思います)の詰め合わせを買ったのですが、今まで食べたことがないくらい、絶品でした。
北海道の、名前は知らない商店でしたが、「北海道にもさつま揚げがあるんだ」と思い、ちょっとびっくりしました。

先日熱海に行った時、駅ビルにある「まる天」というお店に、ものすごく行列ができていました。
お店の名前の由来を調べたら、農園主さんも書いていらっしゃる「丸天」からきているようです。

ここはいつ行っても並んでいるのですが、うちの近くの巣鴨にも店舗があるので、時々買っています。
棒にさしてあるものがメインですが、わりと大きめで300円くらい、いろいろな種類があって、本当においしいので、そのまま食べます。

おいしいものとあまりおいしくないものの差はなんだろう、と時々考えることがありますが、単純に考えれば値段かもしれません。

農園主さんのお住いのあたりの練り物は、こちらでは売られていないのかもしれませんね。

野菜と一緒に豆板醤で炒めてもおいしいし、豚肉の代わりに、豚キムチならぬ、練りキムチもなかなかです。

大石静さんの記事、読ませていただきました。
年代はだいぶ違いますが、他人事ではないと切実に思います。
自分が調子の悪い時に寝込まれると、それはもう悲惨な状況になります。

昨年、気管支炎を長引かせてしまったのは、自分がつらい時に、しかたがないので一生懸命看病をしたせいだと思います。
恩にきせるわけではありませんが、相手は子どもではないのだから「自分の調子が悪い時は適度に手を抜いて世話をする」ことが大事だと思ったのです←後の祭りですが。

これからどんどん若返っていくわけではないので、自分の健康状態がよくない時に看病なり介護なりをすることになると思うと、共倒れかも、と考えてしまいます。

今まで、熱を出して寝込まれることがほとんどなかったので、あまり深く考えていませんでしたが、ほんの一週間でも、本当に疲れました。

大石さんは、本当に頭が下がります。
老々介護がいつまで続くのか、先が見えないというのは、気が遠くなる話です。

やるだけやったと思い、涙も出ませんでした。夫が恐れず、苦しまずに人生を終えられるように――それをプロデュースすることが妻としての最後のミッションだと思って、こちらの命も削れるほどやりましたので。


これほどのことが、私にできるとはとても思えません。
それは、愛情や気持ちがないから、ということでなく、一週間で音を上げそうになった自分を省みての、率直な思いです。

たいした病気はせずに元気でいてくれて、自分も健康でいないといけない、ということですね。
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そういえば練り天の話をもうすこし。

うちのあたりは日本海側で、本格的な練り物で有名なところです。

練り物はどこも似たようなものといえば似たようなものなんですが、食べ比べてみるとちがうものです。

ただ消費期限の短い食品ですし、地元だと飽和状態になりがちで、4本入り300円の丸天やごぼ天が、たまに半額になっていることがあって、そんなときはよろこんで買います。

で、食べきれない場合は冷凍保存して、煮物に利用します。



薄揚げも冷凍保存がきくので、うちでとれた野菜を煮物にするハードルがずいぶん下がりました。

カブと炊き合わせたり、切り干し大根の煮物、夏には甘唐辛子やオクラと炊き合わせたりなど、冷凍庫様様の暮らしをしています。

ただうちのあたりは停電などがたまにあるので、そのあたりがリスクではあるんですが。
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https://fujinkoron.jp/articles/-/11064

今回の大河の脚本を書かれた、大石静さんの記事なんですが、興味深かったです。

伴侶との離別について語っておられるんですが、大河ドラマの苦労話などとは切り離して、たんたんと語るべきテーマに沿った話をしているあたりが、ちょっとすさまじいくらいで。
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子供のころは練り物がどちらかというとあまり好きではなかったんですが、大人になってから好物になりました。

練り天はそのまま食べてもおいしいんですが、煮物にトッピングするのがいちばんの利用法だとおもっています。

アテにする場合、チーズと一緒だとこれ以上ないご馳走になるんですよね。
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あ~、竹輪に拘らず、練り物でもおいしいですよね。
特にごぼてん、いい出汁がでそうです。
ありがとうございます。

リニューアルオープンしたスーパーに昨日行ったのですが、オープン記念のセール品が多く、ちょうど練り物の盛り合せを、3割引きで買ってきていました。
今見たらごぼう天もあったし、初めて見ましたがベーコンで巻いた野菜天もありました。
竹輪を買いに行かないですみました。
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切り干し大根にいれる竹輪は煮込み竹輪が望ましいんですが、安いちくわでもかまいませんし、丸天やごぼてんなど、いろんな野菜などが入った練り物のてんぷらを一口サイズに切って入れてもおいしかったです。

練り物の甘みやうまみがいい出汁になるようで、これがあると箸が進み方がちがいますね。
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お父さま、いいお医者様とご縁があって、本当によかったですね。
大変な治療に耐えて乗り越えたこと、感服します。
「うまく関係を築く」こと、これは医師にとっても患者にとっても、大事なことだと思います。

堀ちえみの場合、舌や口腔内に異常があった時、歯科医院かどこか忘れましたが、ずっと通院治療していたのに「心配のないただの口内炎」という診断をされ、安心していたそうです。
ところがだんだんひどくなり、何も食べられないほどの激痛が続き、ずいぶんたってから他の病院で診てもらったらすでにステージ4(5かもしれません)の舌がんだったそうです。
もっと早くちゃんと診てくれていたら、という思いは、本人も家族も当時は相当あったようです。


私も、痛みや熱に弱く、うまく死ねる自信もないので、健康でいることの大事さが本当に本当に、身にしみます。


農園主さんのお考えは決して極端な言い方ではなく、ああ、医師とはそういうものなんだな、と、とても納得しました。
ありがとうございます。

話は変わりますが。
以前、切り干し大根にちくわを入れるというお話を書いていらっしゃいましたね。
あの「ちくわ」は、短くて細い「ちくわ」ではなく、おでんに入れる、ちょっと柔らかい「ちくわ」の方ですよね?
私はひじきを煮る時、おでん仕様の方のちくわを入れるのが大好きなんですが、切り干し大根でもやってみたいと思いました。

数日前はかなり暖かかったので冷やし中華気分でしたが、寒さが戻ってしまい、シチュー&おでん日和です(*^_^*)
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ちょっと極端な言い方をしますが、医師はかならずしも患者を救うためにあるのではなく、医療の世界を発展させるためにあるのだとおもっています。

ただ、結局医療の世界を発展させるためには患者を治さなければならないし、そのための技術を究めなければならない。

じつは、患者の痛みや不満をとりのぞくのは、医師の仕事ではありません。

医師は医学がこれまで名付けてきた病名を患者の症状に当てはめて、その病気を治すための方法を提示して実行することが仕事です。

患者にとってはどちらも似たようなものだとおもうんですが、おそらく医師の多くはそこをつかいわけてるとおもうんです。

介護の勉強をしたときに、キュア(治療)とケア(介護)のちがいを学びましたが、医師はキュアをする存在だと学びました。

だから、治療の過程にものすごい苦しみがあるとか、最悪死ぬリスクがあるとしても、医師は患者を治して医療の世界を発展させるためなら、それを実行します。

それに、最初から優秀な医師がいるわけではないので、シロウトに毛が生えたような研修医も存在すれば、特定の手術だけが得意なスーパードクターもいれば、なぜかケアまでしてくれる特異な医師もたまにはいることでしょう。

そうすると、患者としては、医師の治療に過度な期待をもつよりは、最近の言い方でいえば、「じぶんの機嫌はじぶんでとる」ほうがよいのだとおもいます。

それがつまり「じぶんなりに納得のいく哲学」を持つということで、病気に対して納得する、痛みに対して納得する、死に対して納得するというような、受け入れにくいものを受け入れるための準備が必要なんですよね。



それでもぼくは医師ではないし、痛みにも弱くうまく死ねる自信もないので、ギズモさんが経験なさった理不尽なおもいには同情します。

うちの父は地元の病院をかかりつけにしたことで、たまたまうまくがんをみつけてもらって、手遅れになる前に治療してもらうことができたといってました。

もちろん治療の過程ではたいへんなおもいをしてるんですけどね。

75歳の父は病院の常連になっていますが、だからこそうまく関係を築けた医師は大事にして、メンテナンスしてもらいたいとおもっているようです(笑)
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農園主さんのお仕事は、単純に考えてもとても大変な仕事だと思います。
お天気に左右されることが多く、頑張った分すべてが報酬として反映されるわけではなく、記事にしていらっしゃるだけではわからないご苦労も多いことと思います。
それでも、「楽しんでやっている、食べてもらう人に喜んでもらいたくてやっている」という、その心意気があるからできることなんですよね。

仕事に対する報酬は当然不可欠ですが、金額は二の次三の次(相手側の言い値)、まずはやりたい内容かどうか、そして人に喜んでもらえるものであるかが大切なことだと思い、仕事をしています。
服装も大事なので、安くてもそれなりのものを購入すると、年間にすれば経費の方が収入を簡単に超えてしまいますが、まぁ、そんなものだと納得しています(笑)


昔の小説に出てくるような島部や過疎地の医者は、医師免許がないのに、病気やケガの治療、手術からお産まで、なんでもやってのけたわけですが、結局は書物から得る知識のみでなく、臨床数、経験の多さに他ならないと思います。

また私事で申し訳ないですが、昨年、床も天井もぐるぐる回るひどいめまいと嘔吐で、救急車を呼びました。
昼間なので、外来の耳鼻科に回してくれれば、すぐに数年に一度起こる「良性発作性頭位めまい症」だとわかったのに、救急外来にずっと座らされたままで、吐き気止めの点滴を3時間受けました。
研修医の若い女性に、「血液検査の結果、白血球と血糖値が高い、24時間空腹なのにこの数値は異常。糖尿病の疑いと脳の異常が考えられるので後日検査を受けるように」と、かなり強い断定的な口調で言われました。
帰る際、救急外来の主任のような女性医師がその研修医と一緒に来て、「もし心配ならば後日検査してください」という、さほど心配はないというニュアンスで言われましたが、結局は研修医の練習台だったわけです。

白血球と血糖値は、何らかの炎症があればそれだけで上がると知ってはいたのですが、それを研修医に言っても埒があかないと思い黙っていましたが、最初から最後まで、つらいなかで、納得のいかない措置でした。

翌日、近くの耳鼻科に行き、耳石が三半規管に入り込んで起こった「良性発作性頭位めまい症」だと診断されました。
また、内科で血液検査を改めてしてもらいましたが、白血球も血糖値も、数値は正常に戻っていました。

研修医の、医学書に書かれているマニュアル通りの診断を丸のみしていたら、糖尿病かも?、脳がおかしいのかも?と、大きな不安に陥るところでした。

研修医を育てるには仕方がないこととは理解できますが、まずは医師が同席し、その上で診断の補足を行ってほしいと思うんですよね。


他にも身内でこれに類似したことがあり、医師の言うことを丸のみにしてはいけないし、結局は医師としての腕より人柄だと、深く感じています。

「医療や医師に任せっぱなしではなく、じぶんなりに納得のいく哲学が必要だとおもいます」というのは、本当に同じ気持ちです。

水木しげるの腕のことは知っていましたが、そのエピソードは知りませんでした。
赤ん坊のにおい、それは新生を感じるものだったのでしょうか。
生きる上での本能かもしれませんね。
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時給で割ると不毛という点では、ぼくもそうです。

山間部の百姓仕事は、野菜をつくる以外のところでやることが多く、また経費もたくさんかかります。

この前確定申告をすませましたが、懐に入ったお金から経費と医療控除を引いて、時給を割り出す……というような計算はろくなことにならないのでやりません(笑)

けど、ぼくも野菜作りはじぶんなりに楽しんでやっているし、食べてもらう人に喜んでもらいたくてやっています。

この仕事だからそうおもえるのかもしれませんが、いただくお金が仕事の副産物であっても納得ができるんですよね。

もしかしたらギズモさんにとってもいまのお仕事は、いただくお金に増してやりがいがまさる一面があるのではないでしょうか。



現代では特にそうなのかもしれませんが、医師はエラーの多い存在だとおもいます。

医療はいまやナノレベルの進化を遂げていますが、医師はただの人間にすぎないうえに、いまは専門医療で細分化されていて、膨大な症例の引出しから病態を導かねばならず、個人の手に負えないところまできているようにおもえます。

つまり、患者がおもう医療テクノロジーへの期待度に対して、医師という人間がついていけてない面があるんですよね。

そのうえで、われわれもじぶんの病気や死について、医療や医師に任せっぱなしではなく、じぶんなりに納得のいく哲学が必要だとおもいます。



そういえば、ゲゲゲの鬼太郎で有名な水木しげるは、南方のパプアニューギニアの戦線で左腕を負傷し、粗末な医療で腕を切断しました。

それでひどい熱で苦しんで、もうダメかというところまでいったらしいんですが、あるときじぶんの腕の傷が治りかかったところから、赤ん坊のようなにおいがしたというんです。

その匂いをかいだときに「おれは助かる」とおもったというんですが、そういう感覚はちょっと医師にはわからないとおもいます。

おそらくギズモさんの日にち薬とおっしゃる感覚も医師にはつかみあぐねるところだとおもいますし、きっとご自身の感覚の中で回復基調を実感しておられるのがなによりの薬になっているようにおもえました。
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緊張と緩和のお話、ありがとうございます。
動の中に静があり、緊張の中に緩和がある、このバランスが大事なんですね。
心に留めて、企画していこうと思います。

仕事は、決して忙しいと言えるほどないのですが、事前準備をきちんとしていくと、どうしても時間ばかりかかってしまいます。
時給としては悪くなくても、毎日あるわけではないのと、準備にかなりの時間をかけることを考えると、時給500円以下とか、数十円ということになったりもします。

これは、仕事に対する向き合い方の問題で、適度に準備の手を抜けばいいことなのですが、なかなかそれができません。
特にステージの場合、1番○○、2番○○、というように単調に演奏や歌を進めて行くのが嫌いで、ちょっと他にはないような演出に拘ってしまうので、それを延々と考えているという、いいような悪いようなところがあります。


ご心配いただき、ありがとうございます。
音声外科でも耳鼻科でも、結局異常が見られず、不調の原因がまったくわからないので、やりようがないというのが現状です。
だいぶ前ですが、農園主さんが農園主さんではない時分、「医師から考えないようにと言われたけれど、それではだめだと思い、自分で考えて乗り越えた」というようなお話をなさっていましたよね。
医師の診立てはそれぞれで、それが患者に合うこともあれば、合わないこともありますよね。

今回、どの医師にも、6月の咳~気管支炎(コロナとかの感染症ではない)とはまったく関係ないと断言され(声帯にも異常がないので)、薬も意味がなく、外科的にも何もできることはないと言われました。
でも、自分なりに考えてみると、気管支炎の後遺症しか考えられなかったんです。
その証拠に、日にち薬みたいに、1日1ミリみたいに徐々にですが、歌えるようになってきています。
医師を信用するしないの問題ではなく、やっぱり自分の心や身体のことは、自分に聞くのが正解なんだろうな、と思うのです。

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